28.妖花の暇つぶし
人の住む世界とそれ以外とを別つ光の壁の、その向こう側。
その一角にある、様々な植物がうねるように絡み合い、ひしめき合う領域。
「――つまらない」
……その領域の主。
アルルーナは、吐き捨てるようにそう呟きながら、頬杖をついた。
「つまらない、つまらない、つまらないつまらないつまらない――」
繰り返すように呟くたびに、ぐにゃり、ぐにゃりと彼女の居る部屋が、空間が歪んでいく。
無表情で繰り返すアルルーナの心情を表すかのように、床が、壁が、うねり、うねって――そして、唐突にぴたりと収まった。
それから程なくして、アルルーナの前に現れたのは二人の魔族。
片方は一糸まとわぬ姿にされた、赤髪青肌の女性。
そしてもう片方は、浅黒い肌をした巨躯の――まるで獅子のような頭をした男性で。
二人はアルルーナに殺意に満ちた視線を向けながらも、何故か飛びかかる事はおろか、直立不動のまま動くことすらせずに。
見れば、二人共髪の毛に、そして鬣に一輪の花が咲いており。
アルルーナは立ち上がれば、ゆっくりと――わざと隙を晒すように歩いて近づけば、それを指先でなぞりあげた。
「……っ、殺すならば、殺せ……」
「我々を操ろうと、バルバロイ様は歯牙にも掛けんぞ――!」
「ええ、ええ。そうでしょうね、あの脳筋馬鹿はそうでしょうとも」
バルバロイ、と言う名前を耳にすれば、アルルーナは淡く笑みを浮かべながら、小さく頷いて、甘く吐息を漏らす。
――六魔将が一角、バルバロイ。
聳えるような巨躯と圧倒的な武力を以て、六魔将にまで上り詰めたその存在には、アルルーナも一目置いていた。
つい先日起きた小競り合いでは、形式上は痛み分けに終わりはしたものの、アルルーナは相応以上の深手を負い、対してバルバロイには大したダメージを与える事すら出来ず。
無論、そんなダメージは一日もかからずに癒えてしまった上に、アルルーナはバルバロイの部下を蹂躙し、弄び、十二分に楽しんだ訳だが……閑話休題。
ともあれ、そんな事もあってアルルーナは気分良く過ごしていたのだが、つい先日起きた予想外、予測外、期待はずれの出来事に酷く不機嫌になっていて。
故に、その捌け口に囚えていたバルバロイの部下を使う事にしたのである。
当然、二人もそれを十二分に理解していた。
囚えられた時から死を覚悟していた二人にとって、それは当然の結末であり――六魔将を相手にした上での死なのだから、誉れとさえ思っていた。
――そんな二人の様子を見れば、アルルーナは嬉しそうに、愉しそうに、歪に口元を歪めてみせる。
「そんなに緊張しないで下さいな。私はなにも、貴方達を殺すだなんて野蛮な事は考えて無いのよ?」
パンパン、と軽く手を鳴らすと同時に、床……植物の隙間からズルリと蔦が伸びれば、何かが入った籠の形をした植物が、アルルーナの手の上に載せられた。
茨を編んで作られた籠の中に居るのは、地味な色合いをした、大きなカエルのような生き物。
魔族ならば子供の頃から知っているであろう水辺に住むその生き物は、鈍重で鈍感で、多くの生き物の餌となる生き物で。
その生き物の頭に生えている花を、アルルーナはずるり、と引き抜けば。
まるで指輪のように赤黒い根を指先に絡め――ぐったりとした生き物の頭を軽くなぞり。
「――何、を」
「貴様……まさ、か」
――それを見た瞬間。
二人はぞくり、と背筋を震わせた。
戦いの末に囚われて、処刑されるのであれば良い。
それはバルバロイの部下となり、戦いの中で死んで行く事を望んだ彼らにとっては本望だからだ。
「……ええ、殺すなんてそんなつまらない事。私がする訳ないでしょう?」
だが――アルルーナは、そんな二人の心情を理解しつつも、酷く愉しそうに表情を歪めてみせた。
それと同時に、二人は理解する。
機嫌が悪くなった腹いせに殺されるのだと思っていた二人は、それがとんでもない的外れな勘違いだと理解させられる。
「……っ、や、やめろっ!!嫌だ、そんな――それだけは、嫌あぁぁぁっ!!」
「くそっ、殺せ!殺せ、殺してくれ、頼む――」
「――ああ♥」
戦いの中に身をおいた武人である二人が、みっともなく叫びながら顔を青ざめさせるのを見て、アルルーナはうっとりとした表情で、身体を震わせた。
頬を紅潮させながら、甘く息を漏らし――そして、先程カエルのような生き物にそうしたように、二人の頭に咲いた花に手をかければ。
「やめ――ぴっ」
「殺――ひゅっ」
ずるり、と。
赤黒い根を引きずり出すように二人の頭から引き抜いた途端、二人は間の抜けた声を上げながら、直立不動を崩してその場に崩れ落ちた。
びくんっ、びくんっ、と痙攣している二人を見下ろしながら、アルルーナはその頭に再び手を翳して――
「――げごっ。げこっ、げぇっ」
「げここっ。ぐけっ、げげっ」
「ぷっ……ふふっ、ふふふっ」
――頭に、先程カエルのような生き物から引き抜いた花を植え付ければ。
二人は間の抜けた鳴き声を上げながら、四つん這いになって、ぴょこん、ぴょこん、と無様に、滑稽に、跳ね回り始めた。
全裸で無様に跳ね続けるその様子に知性は無く、恥もなければ――先程まで二人が抱いていたような恐怖さえもない。
アルルーナはそんな二人の様子を見れば、軽く噴き出しつつ。
今度は、籠の中でぐったりとしている生き物に、先程二人の頭から引き抜いた花を、植え付けた。
「――ゲゴッ!?ゲコッ、ゲェェッ!!」
「グゲッ!ゲェッ、ゲゴォォッ!!」
ぐったりとしていたカエルのような生き物が動き出し、籠の淵に手をかけるようにずるり、ずるりと跳ねる事も出来ずに鈍重に這い回り。
そして、何かを訴えかけるように鳴き出すのを見れば――
「あはっ。あははっ、きゃはははははは――ッ!!!」
――アルルーナは、まるで楽しい見世物でも見た子供のように、無邪気に、愉しげに笑い出した。
部屋で跳ね回る二人と、籠の中で鳴き叫ぶ二匹を眺め、笑いながら。
アルルーナは極少数、自分の役に立つからと手元に置いている部下に、その両方をバルバロイの元へと送るように命じて、満足げに息を漏らした。
「……ふぅ。さて、それはそれとして……エルトリス、ね」
先程のような不機嫌さは無く、今度は淡々と、不機嫌にさせられた原因の名前を口にする。
人間の世界の一角を為す国を落とし、そこに住まう生命を弄び。
そして、人間同士の殺し合いを眺め――ある程度まで楽しんだなら、周囲に自らを咲かせていく。
その目論見をご破産にしてくれた相手を――分体がアルーナを名乗り反逆する寸前まで集めたその情報を元に、記憶して。
「ヘカトンバイオンも、コレにやられたんだったわね……全く、情けない」
――その上で、アルルーナはエルトリスを取るに足らない塵芥と判断した。
この先どんな成長を遂げようが、自らが手を下したなら刹那で潰せる相手だと。
それが、その程度が人間の限界であると結論づけて。
「まあ――ふふ、嫌がらせの一つくらいはしようかしらね」
柔らかな笑みを浮かべながら、そんな言葉を口にすれば。
――その日、光の壁に向けて、何かが動き始めた。




