25.蓮華の上で
黒い鎖が、白い華の上を舞う。
以前――僅か前にエルトリスがアルーナと戦った時とは、明らかに違う光景。
まるで鋭い槍の如く放たれる黒い鎖は、その鋭さのままに白き華を穿ち、貫いていく。
そんな黒の嵐の中を、アルーナは寸分違わず隙間を縫うようにして、その身体をくねらせながらエルトリスへと肉薄した。
その手に握られているのは、長刀。
丁度エクスが扱っていたものと同じ丈のものを植物で再現したそれは、ルシエラに勝るとも劣らぬ硬度を持ちながら、小さく幼いエルトリスへの身体へと容赦なく振るわれていく。
「――は、は――あはっ、きゃはははははっ!!」
それを、エルトリスは狂喜しながらその腕で弾き飛ばした。
腕に巻いている鎖は赤熱しながら、長刀を弾き飛ばす瞬間に回転しているのか。
長刀を弾くと同時に火花を散らしながら、隙あらばその長刀を食らいつくさんとして。
アルーナはそれに軽く舌打ちをしつつ、広い、広い巨大な華の上を身体をくねらせるようにしながら、距離を離した。
――やはりあの時に殺しておくべきだったと、アルーナは後悔する。
目の前のエルトリスは、以前とは比較にならない程に厄介に成長していた。
以前のエルトリスが相手であるなら、百の力を持ってすれば十二分に鏖殺出来たはずなのに。
だと言うのに、既に五十の力を使い――一部は時間の経過とともに戻ってきているとは言えど――消耗した今のアルーナでは、変化しつつあるエルトリスを鏖殺することは叶わなくなっていた。
「躍れ、蹂躙する巨木――!!」
故に、最初から出し惜しみはしない。
華を食い破るようにして現れたのは、先程は狭い玉座の間だったが故に、その身を表しきれなかった大蛇。
巨大な建物がそのまま動いているかのようなそれは、轟音を鳴らしながら叫び、エルトリスへと襲いかかる。
一度は為す術なく、圧倒的な質量で文字通り圧倒されてしまった相手を前に、しかしエルトリスは笑いながら。
「――二度目は、無いよ」
臆すること無く、迷うことさえもなく、そう口にすれば。
それと同時に、右手を天へと突き出した。
「……な」
それは、信じがたい光景だった。
否、元より有り得ない話だったのだ。
エルトリスの、ルシエラの鎖が、今や城のように巨大になったアルーナの巨体を縛り上げるなど。
どう考えてもそれは、腕に巻いた鎖よりも遥かに長く、永く。
そんな事など、出来うる筈もないというのに――
――だというのに。
エルトリスの右腕は、見る見る内に、大きく、巨きく変わって行く。
黒い鎖は音を立てて右腕に絡み続け、巨大な円柱を作り上げていく。
そんな質量など無かったはずのルシエラの鎖が、見る見る内に永く、永く伸びて、伸びて。
「――GoAaaaaaaaaaaa――!!!」
「そぉ、ら――ッ!!!!」
その巨大な黒い円柱を、エルトリスは一切の容赦なく、自らに向けて大口を開いていたユグドラに向けて、叩きつけた。
「Gi……GaAaaaaaaaaa!?!?」
圧倒的な質量を持っていた筈のユグドラが、エルトリスの一撃を前に、巨大な華の上に叩きつけられる。
その巨体を沈み込ませながら、同時に黒い円柱が赤熱したかと思えば、瞬く間にその身体は削り取られ――否、ルシエラに食い千切られていって。
それを、見ていながら。
アルーナは硬直も、戸惑いも、恐れる事さえもなく、躊躇なく円柱を叩きつけているエルトリスの横合いから、長刀を正眼に振り下ろした。
身体をうねらせながら、勢いをつけた一撃は容赦なく。
ユグドラへの攻撃で隙を晒したエルトリスを、真っ二つにせんと襲いかかり――
『甘いわ、戯けが……!!』
「……っ」
――ユグドラさえも囮にしたその一撃を、エルトリスの周囲を飛来する円盤は火花を散らしながら、受け止めてみせた。
押し込みこそすれど、その長刀はエルトリスの身体に届くことはなく、金属音とともに弾き飛ばされて。
しかしそれでもアルーナの猛攻は止まらない。
その下半身――幾重にも絡んだ茎のようなそれをうねらせれば、まるで鞭のようにエルトリスに向けて叩きつける。
「あ、は――っ、危ない、危ない」
だが、それさえも。
エルトリスは自らの体の前で鎖を編むようにして、黒い網を作り出せば受け止めてみせた。
直撃さえすれば棘が食い込み――否、それ以前に骨は砕けて内臓が弾ける程の威力を持ったそれを、鎖で出来た網は柔軟に吸収しつつ。
「――っ、化け物、め……!!」
「あははっ、そう、お互いにね――!!」
同時に赤熱して、アルーナの体を食い破ろうとしたのを見れば。
アルーナは吐き捨てるように――口元を歪めながらそう言葉にすれば、即座に体を離しながら、その身を再び進化させた。
アルーナの本能が、身体が、警鐘を鳴らし続けていた。
この少女を生かしてはならない。
この少女を早く殺さなければならない。
そうしなければ、敗北する。
――エクス様の為に、これ以上動けなくなる。
それは初めて、アルルーナとして産まれ落ち、アルーナとしての自我を獲得した彼女が得た感情だった。
「――っ、あ、あああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
恐怖。
その原始的な本能を糧にして、アルーナは絶叫しながらその身を変貌させていく。
その蛇のような下半身は解けてほつれ、寸断されたかと思えば二本の足のように。
紅い花びらを纏うようにしたドレスのようなスカートは、硬く、硬く。
その両肩からは、仄かに光る藍色の花を咲かせながら――その花はまるで、大気から何かを吸い上げるように蠢いて。
それに呼応するかのように、長刀はまばゆく、青く輝いていく。
奇しくもそれは、エルトリスが――ルシエラがしているモノと同じ、捕食行為だった。
周囲に散っている微細な魔力を捕食し、かき集め、自らのものとして。
その全てを長刀に込めたアルーナの姿を見れば、エルトリスは甘く息を漏らしながら、体を震わせる。
――決着は、刹那。
次の一瞬で全てが決まる事を、エルトリスは、アルーナは確信した。




