18.かくして、女帝は君臨する①
『――っ、どうした、しっかりせんか!どうしたのじゃエルトリス!?』
――ルシエラの、声が、聞こえる。
頭に響くその声に、俺はぼやけて霞む意識を必死になって、かき集めた。
周囲には、まだ薄桃色の靄がかかったまま。
でも、毒の類だったならば――それなら、ルシエラの力である程度は、無効に出来る、筈なのに……っ。
どくん、どくんっ、ばくんっ、と自分でも聞こえてしまう程に、心臓の音が、うるさい。
身体からは勝手に汗が噴き出して、熱くて、熱くて、ドロドロに溶けてしまっているかのよう。
『どうしたというのじゃ……っ、毒など受けておらぬ!毒ではないのに、何故――!!』
「……っ、く……っ」
ルシエラの声に、言葉に、小さく声を、息を漏らす。
霞む視界の隅に、倒れ伏したまま――身体をびくん、びくん、と痙攣させているエスメラルダの姿が、映った。
……毒じゃあ、ない。
ああ、確かに頭は熱病のように茹だっているし、身体も溶けてしまっているかのように熱いし、心臓は早鐘を打っている……けれ、ど。
だからといって、それが俺達の命を奪うものかと言えば、きっと違うのだという事は、理解できた。
だから、俺は手足に何とか、力を込めて……っ。
「……っ、く、ふ……っ、あ、あぁ……っ!!」
――ただ、立ち上がるだけで。
まるで全身が溶け落ちてしまいそうに熱く、熱く――口からは、勝手に声が漏れ出して、しまう。
この感覚を、知っている。
アルカンと戦っていた――強敵と戦っていた、愉しい時に感じていた高揚感。
だが、これはその熱を更に数倍に高めたような――内側から、身体と心を焼き焦がすような、灼熱だった。
「――やっと、静かになりましたわね。故人を想う時位、そっとしておく程度の配慮は持てないのかしら」
……そんな、立つだけでも溶け落ちてしまいそうな俺を前に。
いつの間にか玉座から立ち上がっていたのか、アルルーナは……俺を、見下ろすようにして、いた。
その腕には、エクスの亡骸を抱いたまま。
……否、よく見れば、その腕に、身体にエクスの亡骸は癒着するように、融合するように溶け込んでいて。
その姿も、少女から幾分か成長したのか――長身ではないものの、大人びた姿に様変わりしたアルルーナは、俺を見下ろしたまま、その指先を軽く、俺の頬に這わせてきた。
「――っ!」
「……意外ね。私にも、幾分かは憎しみが、憎悪が残ると思っていたのだけれど――」
その指先が身体をなぞるだけで、口から勝手に声が、溢れそうになる。
溶け落ちそうなまでに熱くなった身体は、過度なまでに神経を研ぎ澄まされていた。
極度の興奮、集中。
自分ですら御せない程のそれは、本来ならば戦いに利する筈のそれは、どんな拘束具よりも俺をきつく、きつく締め上げて、いて。
「――私は、貴女に何の感慨も浮かばない。ああ、これが独立した感覚というモノなのね」
アルルーナの冷ややかな視線を受けつつも、俺はそれを少しでも、僅かでも抑え込もうと呼吸を整えていく。
落ち着け、落ち着け、落ち着け――大丈夫だ、この感覚自体は知っている。
毒ではない、というのであれば慣らせばいい。
この異常なまでの興奮に、異常なまでの集中に、慣れればいいんだ。
「さて、それじゃあそろそろ逝きなさい。私はこれから、エクス様から頂いたものを綺麗に整えなければならないから」
事も無げに、アルルーナは静かに言葉を紡いでいく。
――違和感が、消えない。
おかしい。
コイツは、本当にアルルーナなのか?
どう考えても、あの時オルカに寄生して、何処までも人を弄ぶように振る舞っていたあの女とは思えない。
そんな俺の思考を余所に、アルルーナはシュルシュルと音を鳴らしながら、瞬く間に蔓を束ねれば――まるで、何かを掘削するかのような。
華で彩られた、巨大な槍……否、槍とも言えない螺旋状の円錐を作り上げて――……
「――あら」
「……っ、あ……ぐ、あ、あぁぁぁ――ッ!!!」
『舐めるな、妖女めが――!!』
……それが、回転しながら俺を肉片に変えようと迫る最中。
ようやく動いた両腕で、俺はそれを思い切り鷲掴みにすれば、腕に巻き付いたルシエラの鎖が火花を散らした。
鎖が瞬く間に赤熱し、赤く染まり――それでも、俺の腕を焦がすことは無く。
円錐の動きを止める事は、それでも叶わなかったが……周囲からルシエラの円盤が飛来すれば、一斉にアルルーナとその円錐を切り刻まんと襲いかかって。
円盤に生え揃った牙は、円盤を瞬く間に切り刻みながら。
アルルーナは事も無げに円盤をひらりと躱せば、ふむ、と目を細めた。
――危なかった。
後一瞬、身体の自由が戻るのが遅ければ、身体に風穴を――いや、こんな小さな身体はきっと肉片になっていたに違いない。
やはり、違う。
アルルーナならば、あの状況なら俺をもっと弄ぼうとする筈なのだ。
もしそうであったなら――そんな遊びをするようであれば、今の一瞬でその身体を捉える事も、出来ていただろうに。
だと言うのに、今目の前に居るそれは、そんな遊びなど微塵も無かった。
冷淡で、合理的で、容赦がない。
それは、俺が今まで見てきたアルルーナとは対極とも言える有様で。
「……っ、誰だ、テメェは」
「ん……そう。そうね、私と貴女が会うのは始めてだものね。ちゃんと、挨拶はしておきましょうか」
俺の言葉に、目の前の存在は特に驚くことも無く。
そう言えばそうだった、と事も無げに言葉を口にすれば……うやうやしく、頭を下げてみせた。
「――私は、アルーナ。エクス様から国を頂いた者ですわ」
アルーナ、と名乗るそれが持つ力は、明らかにアルルーナと同種のものだ。
先程部屋を満たした花粉も、様々な植物を以て身を守ったのも――そして、先程俺を肉片に変えようとしたあれさえも。
「私はこれから、エクス様の弔いをしなければいけませんの。ええ、エクス様から頂いた世界を、綺麗に、綺麗に彩って――」
玉座の間に、まだ薄桃色の靄が漂う部屋に、まるで壁を覆うかのように華が、咲き乱れていく。
それはまるで、新たに生まれた王を――君臨した女王を、祝っているかのよう。
アルーナは、そんな風に周囲を塗り替えながら、一体いつの間に作り上げたのか、その手に細身の刃を握り込んでいた。
赤い華に彩られた柄と、一本の蔦をまっすぐに伸ばしたかのような――レイピアのような、何か。
「――だから。早々に消えてもらいますね」
――それが、一瞬で視界から消失する。
「っ、ぐ……っ!!」
辛うじて反応した手足でソレを弾き返せば、しかしアルーナは表情一つ変える事も無く、細身の刃を振るい続けた。
疾い。
アルカンのような技がある訳ではない。
ただただ、その身体能力を遺憾なく発揮しているだけであろう、単純な動きが只管に疾く、疾く――
『ち、ぃ――何じゃ、この硬さは!?』
――しかも、蔦一本で出来たような細身の刃だと言うのに、ルシエラはそれを噛み砕く事が出来ないようだった。
高速で回転した円盤に触れようが、渾身の力で横から殴りつけようが、細身の刃は曲がる事はおろか、亀裂すら入る事もなく。
それは、クラリッサから聞いていた――そして、今まで相対してきた幼体から想像出来たアルルーナとは、まるで違うモノだった。
あの相手を踏み躙る事で愉悦を得る、その分隙の大きなアルルーナだったならまだやりようは有っただろう。
だが、目の前のアルーナにはそんな遊びが無い。
ただ、アルーナ自身が口にした目的のためだけに――その障害となる俺達を容赦なく排除しようとするその姿に、隙らしきものは見当たらない。
先手必勝で火力を叩き込む事さえ許さないその有様は、正しく難敵。
まだ本気さえも見せていないアルーナに、俺は軽く圧倒させられながら――
「――ふ、ふっ」
「……?」
「あはっ、は――あはは……っ!!」
――どくん、どくん、と。
既に先程の花粉で過度に高鳴りすぎていた身体に、新しく熱が灯っていく。
……何だ。
何だ、何だ。
今回の相手はつまらない、クソみたいな相手だと思ってたのに――
「気でも狂ったのかしら?」
「……ううん、違う、よ。愉しい、だけ」
翡翠色の剣閃をギリギリの所で弾き飛ばしつつ、更に高鳴っていく鼓動を御する事もできないままに。
俺は取り繕うことさえせず、言葉を口にする。
まるで身体は火が灯ったかのように、燃え盛っているかのように、熱い。
でも――その熱に応えるように、俺の身体は動いてくれた。
ああ、どうやらようやくこの熱にも、慣れてきたらしい。
『は――らしくなってきたのう、エルトリス……!!』
そんな俺に呼応するように、ルシエラが声をあげる。
――らしく、なってきた。
ああ、そうだ。こうでなくちゃあいけない。
これこそが戦いだ――強者との血肉を削るようなそれこそが、俺の最も好んでいるものなのだから――!!




