13.それは、一つの愛の形
君はきっと、父上のようになれると言われたのを、覚えている。
父は、偉大な王だった。
人格に優れ、智に優れ、武に優れ、正しく無欠の賢王だった。
僕は、そんな父の元に産まれ、沢山の愛情を受けて育ってきた。
一流の教師、一流の環境、そして無償の愛を与えてくれる臣下たち。
それはきっと、とても幸せな事だったのだと思う。
僕もそれを幸せだと信じて疑わなかった。
父のようにあろうと思った。
将来は、きっと父のようになれるのだと、信じていた。
……それが、子供の愚かな幻想だったという事に気付いたのは、何時だったか。
如何に努力しようとも、僕の武は普通の域を超えることは出来なかった――同時期に訓練を始めていた、若い兵士に僕は敵わなくなっていた。
如何に努力しようとも、僕には魔法の才という物が無かった――市井の人間でさえ扱える魔法さえも、十全には使えなかった。
如何に学べど、僕の智はその学んだ物の全てを留めておく事ができなかった――それでも、必死になって僕は寝食を削って、努力し続けた。
そんな僕を、父は褒めてくれた。
そんな僕を、臣下は敬愛してくれた。
彼らに、僕を虚仮にするような意図はきっと無いのだろう。
そんな僕に、父はきっと良い王になれると言ってくれた。
そんな僕に、臣下は誰一人として王を辞すようには言ってくれなかった。
彼らは、きっと僕の事を真摯に思い、そう言葉にしてくれたのだろう。
――それが。
それが、どれだけ苦痛で、恐ろしく、悍ましい事なのかも知らずに。
狂ってしまいそうだった。
父の作り上げてきたこの楽園を、僕が引き継ぐ?
冗談ではない。そんな事をしてしまったなら、この国がどうなってしまうかなんて目に見えている。
ああ、それでも恐ろしいことに、きっと臣下たちは僕を責める事はしないのだろう。
この大国が、楽園が薄汚れてしまったのだとしても、それは仕方のないことだと思っているのだろう。
耐えられない。
耐えられるわけがない。
それから逃れる方法なんて、簡単なことなのに。
ただ僕ではなく、もっと他の優れたものが王位を継承すれば、それだけで済む話なのに、誰もそういった言葉を口にしようとしない。
きっと、そんな事なんて考えてすら居ないのだろう。
狂っている。
どうしようもない凡夫である僕を王として支えようとする臣下たちも。
どうしようもない凡夫である僕を、良い王になれると口にした父も。
そんな事をすればどうなるかなんて、僕よりも賢い皆なら重々に理解しているだろうに――
――そんな最中。
僕は、とある行商人が持ってきたという一つの種に、目を奪われた。
果実大の大きさがあるその種を、他のものは気味悪がっていたけれど――ああ、きっとこういうのを育てていれば、この陰鬱な感情も少しは晴れるだろうと、そんな逃避にも似た感情を懐きながら、僕はそれを部屋で育てる事にした。
芽が出るまで、数日。
日々少しずつ育っていくソレを育てながら、僕は――臣下たちには口にできる筈もない言葉を、弱音を、それに吐露し続けた。
別段、何か意味があると思っていた訳ではない。
そうする事で、少しでも重石を乗せられたかのような心が軽くなれば、と。
そんな日々を、僕は一月程繰り返して。
「――可哀想なエクス様。誰にも、自分を見てもらえていませんのね?」
……そして、彼女は僕の前に現れた。
1m程まで育ったその植物が、しゅるりしゅるりと形を変えながら、一人の少女の形を作り上げ、僕の前に降り立ったのだ。
気が、狂ったのかと思ったけれど。
彼女の言葉が、そして僕に触れる彼女の指先がそうではない事を、教えてくれた。
――彼女は、不思議な女性だった。
少女のような外見だというのに、ほんの一月育っただけの植物だったというのに、僕よりも多くの物事を知っていた。
ランパードの外の事。誰も知り得ない筈の、光の壁の向こう側の事。
王となる為の日々を過ごしながらも、僕は彼女と居る時間だけが、幸せと感じるようになっていた。
……無論、判っている。
彼女が、人間ではなく魔族である事は、判っている。
「貴方は貴方のままで良いのですよ、エクス様。王になど、ならなくとも良いのです」
でも。
それでも、産まれて初めて僕を王の息子ではなく、一人のエクスとして見てくれた女性をどうして忌避することが出来ようか。
「……ううん。僕は、王になるよ」
ある日、いつものように僕をいたわるように言葉をかけてくれた彼女に、そう返せば。
彼女は珍しく――意表でも突かれたのか、驚いたような表情を見せてくれて。
そんな彼女を微笑ましく、愛おしく思いながら。
「君はきっと、この国を落とす――侵略するつもりなんだろう?」
……判っていた言葉を、口にしながら。
彼女はきっと、僕を――凡夫であるエクスを、籠絡し、このランパードという大国を落とすつもりなのだろうと、判っていながら。
「僕は、この国を君に捧げるよ。その為になら、王になるのだって悪くはない」
アレほど忌避していた、恐れていた、王になるという事。
それが彼女のためになるという事に、少しだけ誇らしくなりながら、そう言葉にした。
その時の彼女の顔は、一生忘れないと思う。
例えそれが、偽りの物だったのだとしても。
それが全て、奸計によるものだったのだとしても、後悔はない。
――だって、僕は産まれて初めて。
エクスとして、自分の意志で道を決めたのだから。
「――来た、か」
荒廃した城の中。
形を残している大広間で独り佇みながら、エクスは聞こえてきた戦闘音に目を開いた。
轟音に悲鳴、勝鬨。
静まり返っていた城内にそんな声が、音が響き渡ればエクスは何処か、過去を懐かしむように小さく息を吐き出して。
そして、傍らに居ない――自分が居ない玉座の間で待っているであろうアルーナを思い、目を細めた。
手にしているのは、かつて父が愛用していた長大な刀。
今のエクスにはあまりにも大きすぎる、身の丈よりも大きなその刃を片手に携えながら……エクスは、侵入者を出迎えるように。
大きな音とともに開け放たれた扉に視線を向けながら、過去にもそうしたように、柔和な笑みを侵入者達へと向けた。
「ようこそ、侵入者達。でも、ここで行き止まりだ」
エクスの言葉に、侵入者達の――アルカンの、エルトリスの、そしてエスメラルダ達の動きが止まる。
それは決して、エクスから放たれた威風だとか、そういった物ではない。
ただ、アルカンは信じられないと言った表情で、エクスの姿を――その顔を、見つめながら。
「……馬鹿な」
「相変わらず失礼だね、アルカン。でも、とても貴方らしい」
「――……っ、王よ、貴方は一体何になってしまったというのだ……っ!!」
幼気な風貌で。
エルトリスよりも少し背が高い、少年のような姿をしたエクスを見て。
――そう、年齢を考えるならばあり得ないその風体を見て。
アルカンが唇を噛み締めながら、吐き捨てるようにそう口にすれば――エクスは、そんなかつての臣下の姿を見て、心を揺らす事さえなく、携えていた長刀を引き抜いた。




