10.外道少女
ランパード市街地の一角。
ちょうど城の正門前にある広場は、平時であれば多くの人が行き交い活気に溢れていた。
出店も多く立ち並び、安定した生活と平和を享受していた人々が笑顔でそれを楽しんでいたその姿は、正しく幸福だったと言えるだろう。
「――……♪」
……無論。
その広場も今や、妖花が所々に咲き乱れ、地面から這い出した蔓や根によって荒れ果てて。
かつての幸福など、平和など微塵も感じられない程に蹂躙され尽くしていたのだが。
そんな荒廃した風景の中、かつては噴水だったのだろう。
広場の中央にある、装飾の名残が見える瓦礫の上に腰掛けた長身の女性――オルカは愉しげに、愉しげに笑みを浮かべていた。
「ふふ、楽しいわね、他人の記憶を見るのは。貴女の幸せも、不幸も、恥ずかしい記憶も全部見せてもらったわ」
誰に言う訳でもなくそう言葉にしつつ、オルカはしゅるり、と周囲の植物を操るようにして蔦を、根を編むようにすれば、一本の槍を作り出す。
極彩色の花のような穂先が付いたそれを軽く握れば、ヒュン、と軽い風切り音と共にそれを振るい――一瞬の後、腰掛けていた瓦礫はバラバラに寸断された。
その槍の鋭さも疾さも、以前のオルカの比ではない。
僅かに切っ先の煌めきだけを残したその槍撃は、まるで舞いか何かのようで――オルカはそれを見れば、ニタァ、と。
まるで何かを嘲笑うかのように、凡そ彼女らしくもない笑みを浮かべた。
「――ほら、貴女の築いた技なんてこんなものよ。私が少し覗いて手を加えるだけで、この有様」
オルカは誰かを嗤い、嗤い――そして、花の咲いていない、無事な方の左目からボロボロと涙を零し。
自分が流している涙だというのに、オルカはそれを心底愉快そうに愉しみながら、片手で軽くそれを拭った。
――オルカは既に、アルルーナの咲かせた花に体の大部分を掌握されてしまっていた。
全身の動き。
視界や、言葉。
そして――彼女が今までに積んできた経験や記憶。
オルカは今や、自らの体が自らを嘲笑い、虚仮にしていく光景を眺める事しか出来ず。
「ちょっと貧相だけれど、腰回りは悪くないし――そうね、貴女を消す前にあの御爺様の相手をしてあげましょうか。くすっ、いい思い出になりそうでしょう?」
そして、彼女に咲いた花は――アルルーナは、そんな彼女の無念を、苦痛を、恥辱を肴に快楽を得ていた。
オルカの体を操り、その肢体を指先でなぞりあげ。
誰も居ないその場で、扇情的に、艶かしく振る舞いつつ、甘い声を漏らし。
おおよそ彼女らしくもない、ただ彼女の心を辱める行為を繰り返しながら――まだ残っているオルカの意思が、何かを口にしたのか。
アルルーナはニンマリと、邪気しか感じられない笑みを浮かべ。
「――だって、愉しいでしょう?未来を信じている他人の心を踏みにじるのは」
大凡、真っ当な精神であるならば口にはしないであろう言葉を口にした。
元より魔族との相互理解など、出来る事自体が稀有ではあるが、ことアルルーナにおいてはそれ以前の問題だった。
アルルーナは、自ら以外の全てを自らの快楽の為の糧としか見ていない。
アルルーナは、自らの快楽の為であれば一時の敗北を恥とさえも思っておらず――ただ、相手が苦しみ藻搔き、苦悩する様を眺める事ができれば、それで幸せだったのだ。
それをオルカが理解したのを感じたからだろう。
アルルーナはくすくすと愉しげに嗤いつつ、これから起こるであろう出来事に、うっとりとした吐息を漏らした。
「さあ、ここからはもっともっと愉しいわ。貴女には特等席で楽しませてあげましょうね、オルカ?」
アルルーナはそう言葉にすれば、身に纏っていた服を脱ぎ捨てて。
一糸まとわぬ姿になった後に、体に蔦を巻き付かせて――オルカの体を、淫らに、扇情的に彩った。
必要最低限の部分を隠すように蔦で体を締め付けつつ、所々に花をあしらったその姿は美しくも妖艶で、オルカは自らの姿に羞恥に染まるものの、それを表に表すことさえ出来ず。
「私の予想ではね、きっと少数精鋭で来るわ。大きな戦力は割けないでしょうし、もしかしたら御爺様一人でココに来るかもしれないわね。まあ、来ても御爺様とそのオマケくらいでしょう」
自らを彩った後に、アルルーナは妄想を語る乙女のような表情を浮かべながら、甘ったるく息を漏らす。
アルルーナは、感情がどういう風に動くものなのかをよく理解していた。
他人が、大事な者を奪われたらどうするか。
他人が、焦燥に駆られたらどうするか。
どうすれば、他人が自らの掌で踊るのかを――他人の心を慮る事も無いアルルーナは、永く、多くの者を弄んだ経験の上で、学んでいた。
「ああ、きっとあの御爺様はオルカを殺せないわ。悲劇、悲劇ね、オルカの口で、声色で言葉を口にすればきっとそれだけで御爺様は動きを止めてしまうでしょう」
悲劇、と口にしつつもその表情に浮かんでいるのは、たまらないと言った喜悦のそれ。
甘く声を漏らしつつ――制圧されたことで、把握できる部分も減った市街地を探れば、そこには確かにアルカンの姿があり、アルルーナは唇を軽く舐める。
「そうしたら――御爺様の手足を切り落として、ええ♥末期の思い出に、私がたっぷりと悦ばせてあげるとしましょう。くす、くすっ、あははは――っ」
アルルーナはそんな下卑た言葉を口にしながら、嗤い、嗤い。
――その素っ首に突きつけられた物をみれば、目を丸くした。
それは、自らが先程作り出した筈の極彩色の槍。
それを、アルルーナは――否、オルカの体は自らの首に、顎の下に突きつけていたのだ。
プルプルと、まるで何かに抵抗しているかのように切っ先を震わせつつ、予想外の動きをしたオルカの体にアルルーナはきょとん、としつつ。
「……くすっ。それだけ残っているならきっと、これからの光景はとてもとても愉しいわ?たっぷりと愉しんでいって頂戴ね」
奇跡といっても良い、掌握した筈の体の抵抗を嘲笑うかのように、再び掌握し直せば。
自害しようとしたオルカに語りかけるように、優しく――しかし嘲笑うかのような言葉をかけると、通りの方へと視線を向けた。
もうすぐアルカンが来る。
アルカンはアルルーナにとって――分体しかいないこの状況において、驚異となる戦力の一人だった。
オルカの肉体があれば、アルカンとは対等に渡り合えるだろう。
情に訴えかければ、合理を捨てて助けに来たところを見れば、アルカンの動きは途端に鈍るだろう。
ああ、鍛え上げた技を十全に使えないまま。
教え子の、弟子の体に殺されるその無念は、きっと甘美に違いない。
そう考えながら、アルルーナは甘ったるく吐息を漏らしながら悦に入り――……
「さあ、貴女達は見学していらしてね。たっぷりと学習して頂戴な」
……その言葉と同時に、ずるり、と地面から這い出した者があった。
まるで芽でも芽吹くかのように産まれたのは、地面から這い出したのは、新緑の髪をした幼子。
二人ほどしか居なかったが、彼女達は産まれてすぐにも関わらず、すっくと立ち上がれば、オルカの――アルルーナの言葉に、笑みを浮かべ。
各々、瓦礫の上に腰掛けたのを見れば……アルルーナは、ああ、早く悲劇が起こらないかしら、なんてうっとりとした笑みを零した。
――自分の予測を大きく外れた者が一人、迫っている事になど気づく由もなく。




