9.変わった心
「……私は、見殺しにするべきだと思うわ」
生存者の救出と、市街地の大方の制圧を終えた後。
オルカがアルルーナに乗っ取られ、人質となった現状をどうやって打開するかを話し合うその場で、クラリッサは静かにそう呟いた。
もしこの場に居たのなら、刃を引き抜いていたであろうメネスは、居ない。
背中から臓器を穿たれた、その傷は余りにも深く。
一命こそ取り留めたものの、体を動かす事はおろか、起こす事さえも憚られるような状態で。
そんな中、口にされたクラリッサのその言葉に厳しい視線を向ける者は居たけれど、反論を口にする者は誰も居なかった。
この場に居る奴らは別に馬鹿って訳じゃあない。
理解しているのだ。オルカの肉体をのっとった上で、あの場から引いた、アルルーナのその意図を。
「あのクソ女の狙いは、こちらの足並みを崩す事よ。わざわざそんな見え透いた罠に乗る必要は無いわ」
「……だが、オルカを見捨てろというのか?」
続く言葉に、小さく息を漏らしながら――アミラがそう口にすれば、クラリッサは小さく頷いた。
アミラ自身、自分の言っている事が愚かしい事は理解できているのだろう。
だからだろうか、クラリッサも顔を顰めるような事はなく。
「そうね。少なくとも、今までアルルーナと戦ってきたアルケミラ様は、私達はそうしてきたわ」
ただ、事実として。
今まで幾度となく戦ってきた相手への対処を、口にした。
――それが正しいのは、多分全員理解しているんだろう。
幼体は学習し、際限なく強化される。
その特性が万が一、あの乗っ取られたオルカにもあるのだとすれば――否、幼体の死に際の自爆であの状態になってしまったのだから、その可能性はかなり高い。
だとするのならば。
アルルーナの狙いは、自明の理だ。
こちらの仲間を人質にとった上で戦闘を長引かせ、幼体を、そして本体――今回で言うのであれば、分体を際限なく強化する。
そして、仲間に対する対応でこちらの足並みを崩す。
実に無駄がなく、そして実に胸糞悪いやり方だが……今のこっちの状況を鑑みれば、この上なく有効だと言わざるを得ないだろう。
第一段階である市街地の制圧は概ね終わったと言うのに、この沈み込んだ空気。
これでは、どちらが攻めているのか解ったもんじゃあない。
「……のう、クラリッサとやら」
そんな中。
少し疲労を見せるように息を漏らしたアルカンが口を開けば、クラリッサは何かしら、と視線を向けた。
「あの状態から救う手立てはないのかの」
「……一応だけれど、早い段階で花を切除出来たなら、助かった例はあるわ」
アルカンの言葉に、クラリッサがそう返せば。
まだ助かる可能性があると判れば、沈み込んでいたはずの面々が顔を上げて――しかし、それを語るクラリッサの表情はどうにも、それ以上口にして良いものかと言いあぐねているようだった。
「何か有るんだろ。言えよ」
……助けられる可能性がある。
手段も判っている。
だと言うのに、それを口にしなかったのは、まあ恐らくはそういうことなのだろうけれど。
それでも、クラリッサ自身の口から聞かなければ、正しい判断は下せない。
クラリッサは俺の言葉に軽く唇を噛みながら、息を吐き出せば――クラリッサ自身、それをよく判っていたからか。
「――アルルーナのあの花は、体の深部まで深く食い込んでいるの」
「それが、何だと……」
「……深く、って。まさか」
クラリッサの言葉にアミラは眉を潜めたが、エスメラルダは何かを察したのだろう。
顔をわずかに青ざめさせながら――そんなエスメラルダの表情を見つつ、こくん、とクラリッサは小さく頷いた。
「血肉、骨、それに臓器。場合によっては、ココにもね――花を切除すれば、死んだ根はそこに残るわ」
――ああ、そうか。
よくよく考えれば、花を咲かせた連中達が動いているのもそういう仕組みなんだろう。
骨に、血肉に――そして、頭の内側にまで根を張って動かしているというのであれば、あの不気味な動きも、花以外を切除しても根が繋がって再生するのも、理解できる。
そして、花を切除した瞬間そいつらが息絶えるのも。
当たり前だ、根が張り切っているそいつらの体の中は、根が死んでしまえば最早穴だらけの死体でしかないんだから。
「……解らない。それでも助かった例はあるんだろう?」
「多分、後遺症が残るんだと思います。それも、軽いものじゃなくて」
「――助かった子は居たけれど。その子はもう二度と戦えず、マトモにしゃべる事も出来ず……しばらくして、自害したわ」
――だから。
仮に助かったのだとしても、血肉に、骨に、そして頭の中に穴が出来てしまう。
そんな状態で助かったとして、助けられた人間に待ってるのは絶望と苦痛しか無い。
……何て腹立たしい。
クラリッサが毛嫌いしている理由が良く判る。
「……っ、くそ……じゃあ、見捨てるしかない、のか」
「私はそれが、一番リスクの少ない選択だと思うわ。ただ……今回は、まだアルルーナの花に乗っ取られてからそれ程時間は経っていないから」
「可能性は、あると」
あるのは、あくまでも可能性だ。
今の時点でも既に手遅れの可能性はあるし、仮に助かったとしても重篤な後遺症が残る可能性もある。
……もちろん、それもなく無事助かる可能性だって、きっと。
「――儂が、独りで行こう。弟子の不始末じゃからのう」
「待って下さいアルカンさん、それは――」
「馬鹿弟子に多くの戦力を割く訳にも行くまい。お前さん達は予定通りに進めてくれれば良い」
恐らく、アルカンは仮に救った時に何かがあったとしても、その重責は自分が負うべきだと思っているのだろう。
まともに生きられなくなった弟子に恨み言をぶつけられる事になるのだとしても、それで良いと考えているのだろう。
つくづく、馬鹿らしい。
ああなってしまったのはオルカの責任だし、それを助けてやる義理なんて俺達には無い。
それこそ本来なら、生存者なんぞ無視してまるごと焼き払ってしまえばそれで済んだ話だってのに。
どうでも良い弱者にばっかり気を向けるから、こうして要らない苦労をするんだ。
――なんて。
ちょっと前までの俺だったら、そんな風に考えていたんだろうな、と。
ちょっとだけ可笑しくなって、こんな状況だと言うのに、俺は小さく笑ってしまった。
その気苦労が心地いい。
その要らない苦労さえ、必要なものだと感じてしまう。
「――ったく。一人で行くなんてのは相手の術中にハマるようなもんだろうが」
気に入った奴が苦労してるってんなら、それを助けてやるのだって一興だろう。
それに、何より――ああ、クラリッサの言う通り、俺もアルルーナって奴がどうにも気に食わないらしい。
勝つ為にいかなる手段をも尽くす、っていう訳じゃあ無く。
ただ相手を苦しめ、踊らせ、それを楽しむためにいかなる手段をも尽くす――そんなアルルーナには一泡吹かせてやらなきゃ気が済まない。
「俺も行く。さっさと花を引き千切って連れ戻して、そしたらアルルーナの分体とバカ王をぶっ飛ばして終いだ」
「――……カ、カカッ」
俺がそう言いながら立ち上がれば、アルカンは終始真面目な――アルカンらしくもなかったその表情を緩め、笑い。
「では、お嬢ちゃんには露払いでも頼もうかのう」
「ああ、任せとけ。あんま苦戦してたら、俺が全部やっちまうからな、アルカン」
「……そう、だな。悩んでいても、悔やんでいても進まないか」
「ええ。エルトリス様、こちらはお任せを。そちらが終わる頃には、市街地の制圧を完了させておきます」
「うん。お姉ちゃん達に任せて、ね」
沈み込んでいた空気が、少しだけ明るくなったのを感じれば――俺も、口元を緩めながら。
「クラリッサ、何かあったら直ぐ伝えてくれるか」
「ええ、任せておきなさい……気をつけるのよ、あのクソ女は何を仕掛けてくるか、解らないから」
『案ずるな、私が何もさせんさ』
『オババの、言う通り……私達、強い』
クラリッサの言葉に軽く手を振りつつ。
俺とアルカンは、ルシエラとヤシャザクラの言葉を心強く思いながら、市街地の中を駆け出した。




