8.簒奪
「先手必勝――ってな」
容赦なく拳を叩き込み、叩き潰した幼体の成れの果てを見下ろしながら、小さく息を漏らす。
出来る限り力を温存しておくつもりではあったけれど、この幼体どもの性質を考えるのなら今回のやり方がきっと正解なんだろう。
圧倒的火力で、学習する暇もなく倒す。
リリエル達にはまだ難しいかもしれないが、俺やアルカン、それにエスメラルダならそれも十二分に可能だった。
以前だったらそれこそ奥の手を使わないと出来なかったであろう事を、人魔合一を体得した事で容易く行えたのだから、アルカンとの一件は無駄ではなかったな、なんて思いながら。
人魔合一が解けて、ルシエラが自分から離れていくような感覚に奇妙な寂しさを覚えつつも、周囲の様子に視線を向けた。
花を咲かせた人型は、相変わらず不気味な声をあげながら徘徊してはいたけれど、兵士達も先程の事で士気が上がったんだろう。
多対一であたる事で実力差を埋めながら、徐々にだが花を咲かせた人型達を圧倒しつつあり。
『この分なら、何とかなりそうかの』
「だな。まあ……」
……まあ、これはあくまでも前哨戦。
いや、前哨戦とさえ呼べないような何かかもしれない。
幼体の実力こそ大したことは無かった――否、大したことが無い内に処理する事ができたが、分体の強さはこれとは比較にならないだろう。
学習し、反映し、強化される。
このサイクルは恐らくだが、分体の方にも適用されていると思ったほうがいい。
要するに、さっさと分体そのものを叩いた方が手っ取り早いんだが――
「……つくづく嫌らしい奴だな、アルルーナってのは」
「やっと解った?本当に最悪な奴よ、アレは」
――上空から幼体をつぶさに探していたクラリッサが戻ってくる。
ああ、本当に最悪だ。
アルルーナは、その分体は人間の感情ってもんをよく理解してるんだから。
「――居たぞ、生存者だ!もう大丈夫だ、野営地まで――」
「……いっそ、見つからなけりゃあ踏ん切りも付くんだろうがな」
「多分、あちこちに適当に生かしてあるんでしょうね。そうしている限りは、こっちは牛歩で進むしかないんだもの」
市街地の各所からあがる、生存者を見つけた兵士達の声。
本来ならば喜ばしい筈のそれも――アルルーナの性質を考えるのであれば、ただ手のひらの上で踊らされているかのようで、腹立たしくなる。
そう、いっそ生存者など居なければ、エスメラルダの最大火力で市街地ごと焼き払ってしまえば、大方済んでしまうのだ。
始めから全ての人間が死に絶えているのだという前提で動けたのなら、分体をいたずらに強化する事無く仕留めに行ける、というのに。
だと言うのに。
こうやって、生存者があちこちに居るせいでそれも出来ない。
もしかしたら他にも生きている人間が居るのかもしれない、というその善性が、この悪逆を為したアルルーナを守っている。
「……ままならんものじゃの」
「おう、アルカン。まだ鈍ってないみたいで安心したぞ」
「カッカッカ、まだまだ若い者には負けんわい」
幼体を狩り尽くすのに一役買ったアルカンも、一休みといった所なのか。
腰に下げた酒瓶を軽く口にしつつ、小さく息を漏らしながら瓦礫の上に腰掛けた。
……多分、アルカンもさっき考えた事くらいは理解しているんだろう。
市街地での戦闘では勝利した筈だと言うのに、未だにアルルーナの掌の上から抜け出せていない、この現状を歯がゆそうに――ああ、いや、それだけじゃあないのか。
『そう言えば、ここの出身だったの』
「ああ。全くもって、腹が立つわ」
『大丈夫……私も同じ。絶対、絶対、許さない』
アルカンもヤシャザクラも、この国と袂を分かったとは言っても思い入れはあるんだろう。
それが無惨に蹂躙されているのを見て、怒りに燃えているのか。
アルカンは表情こそいつものように薄く笑みを浮かべていた物では有ったけれど、その雰囲気は表情とは真逆だった。
抜身の刃、とでも言えば良いのだろうか。
抑え込んでいても感じられてしまう程の殺意を頼もしく思いつつ――……
「……無事に戻ったようじゃな」
「っと、みたいだな」
……アルカンの視界の先。
所々が植物で侵食されつつも原型を保っている通りの先から現れた面々を見れば、俺は思わず安堵の息を漏らしてしまった。
そこに居たのは、リリエル達とオルカ達。
ここに来る途中で会ったのだろう、どちらも傷だらけではあるが、命には別状はないようで。
『全く、冷や冷やするのう……とは言え、アレ相手にあの状態なら及第点か』
「だな。良くやってるさ」
幼体と何度か戦っている筈のリリエル達が、ちゃんと自分たちの足でこちらに向かってきているのを見れば、自分の判断が間違っていなかったのだと安心する。
……出会った頃と比べて、リリエルは本当に強くなった。
奴隷商人に売られていた頃のリリエルは、ただ復讐心とそこから来る容赦の無さだけが取り柄だったというのに、今じゃ立派な戦力だ。
無論、そうなったのはリリエルの努力と、何よりもその意志によるものなのだけれど。
「取り敢えず、幼体の姿は見えなかったし、これで一段落ね。市街地の制圧が終わったら、ようやく――」
クラリッサのそんな言葉を聞きながら。
不意に、奇妙な違和感に気がついた。
待て。
おい待て、何を――
「伏せろリリエル、アミラ――ッ!!!」
――考えるよりも早く、言葉が口から飛び出した。
ルシエラもその一瞬で状況を判断したのだろう、即座に武器の形を取れば――俺は、ルシエラを握りながら駆け出して。
間に合わない、どうやったって間に合う訳がない。
アルカンもそれに気付いたのか――しかし、状況が状況だっただけに、一瞬だけ判断が遅れたようだった。
俺の声に反応したリリエル達が、倒れ込むようにその場で伏せれば、その僅か頭上を刃が掠めていく。
幼体は、居ない。
クラリッサの言う通り、幼体は既に片付いている筈で――仮に居るとしても、この近辺には存在していない。
「――え」
その声は、オルカのものだった。
信じられない、と言った響きが含まれた、その声。
そんな声を口にしながら――オルカは、手にしていた魔槍をリリエル達に、振るっていて。
リリエル達が辛うじてそれを躱したかと思えば、オルカは流れるような動きで、未だに状況を理解できていなかったメネスの、その背中を貫いた。
「……え?」
メネスは、それが何なのか解っていないようだった。
幼体を倒し、俺達と――アルカンと合流して、安堵に緩んでいたその口から、ごぽ、と血の塊がこぼれ落ちる。
「おる、か?」
「……え……ち、ちが、私は――何で、そんな――」
自分を貫いた物が何なのかを理解すれば、メネスは不思議そうに、オルカを見て。
オルカは自分でしたことだと言うのに、顔を青ざめさせながら――何故か、メネスの背中を貫いたその槍を、動かそうとはしなかった。
「――っ、その子を拘束しなさいッ!!早く!!!」
「っ、失礼しますオルカさん――四重奏……ッ!!」
クラリッサの叫び声と同時に、伏せていたリリエルが即座にワタツミを引き抜くのと同時に、詠唱を始める。
それを見た瞬間、聞いた瞬間、オルカの体はその戸惑うような表情とは裏腹に、実に的確に動いた。
「氷華葬送――!!」
「――それを食らうのはごめんね。危ない危ない」
自らの武器である筈の魔槍を手放しながら、オルカは廃墟の壁を蹴るようにしながら跳び、屋根へと移る。
――そして、その口から明らかにオルカの物ではない声を、言葉を口にすれば。
「う゛――あ、あ゛――あ、あぁァァァ――ッ」
オルカの、右目。
その内側から、極彩色の花が、花開いた。
右目から――右目があった場所から、涙のように血を流しつつ、オルカは苦悶の声をあげて。
そして、ガクン、と体を揺らせば……凡そ彼女らしくもない笑みを浮かべて、俺たちを見下ろした。
「――あ、ぁ。ふふ、案外悪くないものね、こういうのも」
「……う、そ……種、なんて……くらって……ない……」
メネスは――否、その場に居た全員が、オルカの姿をしたそれが何なのかを理解する。
メネスが口にした言葉に、オルカが何をされたのかを理解してしまう。
――そして、それを理解した瞬間。
俺よりも疾く、この中で誰よりも疾く、オルカの元へと跳んだ小さな影があった。
「あら、素敵な御爺様。少しぶりね」
「オルカの体を返せ。さもなくば斬る」
「ふふ、脅しにもなってませんわ?大丈夫、この子は今しばらくは生かしてあげますから――」
瞬時にオルカの……否、その体をいかなる手段を用いてか奪い取ったアルルーナと肉薄したアルカンは、その言葉に即座に構え。
続けざまに放たれるであろう見えない斬撃を前にして、しかしアルルーナはオルカの顔で、妖艶に笑みを浮かべた。
「――っ、チィ……っ!!」
「また後で……ゆっくりと語らいましょうね、御爺様……いえ、アルカン師♥」
しゅる、と小さな音と共に作り出された槍が、自分ではなくその遥か下。
倒れ伏したまま、背中から血を流し続けているメネスへと向けられれば、アルカンは歯軋りを鳴らしつつも放たれた槍を弾き飛ばし。
その一瞬、僅かな硬直を突いて、オルカの体を奪ったアルルーナは軽快な足取りで屋根から屋根へと跳び、その場から姿を消した。
――市街地を大方制圧し終えた後。
兵士達が生存者を救出した事に湧く中、アルカンはそれを喜ぶことも無く、独りかつて自らが守っていたであろう城を、眺めているようだった。




