5.少女と魔姫、相見える
――廃墟の間から姿を表したそれを見た瞬間、クラリッサの表情が一変した。
まるで汚物でも見るかのような、嫌悪に満ちた表情。
緑髪の、俺よりも背の低いように見える幼女――に見えるそれは、始めこそ戸惑うようにそれを受けていたものの。
「……下手な芝居はやめなさい、クソ女」
「――あら、少しだけ見知った顔も居るのね。ふふふっ、貴女達は一際楽しそう」
クラリッサの吐き捨てるような言葉を聞けば……それを心底楽しそうに。
その外見からは想像も出来ないほどに妖艶に笑みを浮かべてみせた。
元より、その幼気な外見とは裏腹に、異様な悪寒を漂わせていたから俺も助けようとは微塵も思わなかった、が――成程。
「こいつがアルルーナか?」
「あら、私の事を……そうね、そこの可愛い鳥娘から聞いたのかしら。意外ね、貴女が人と仲良くするなんて」
俺の言葉を、目の前の幼女の姿をしたそれは否定する事すらせずに、クラリッサに視線を向けた。
つまりは、そういう事だろう。
こいつはアルルーナの、その分体――
「……まだ種から芽生えたばかりの幼体よ。今なら駆除できるわ、さっさとやりましょう」
――否、どうやらその幼体、らしい。
「――幼体、か」
『成程、笑えるのう。しかし喰いではありそうじゃ』
「ふふ、そんなに怯えないで下さいな。ええ、今の私では貴女達にはきっと勝てないでしょうし」
歌うように自らの敗北を詠うその姿には、焦りや不安といった様子はまるでない。
……倒せる、というのは確かでは有るが。
それでも、こいつの強さは今までであった魔族の中でも群を抜いている。
流石に魔導人形に取り憑いたヘカトンバイオン程ではないが、それでも――あの卵野郎よりは数倍、強い。
それが、種から芽生えたばかりの幼体だというのだから、笑える話だ。
「それにしても意外ね。貴女が協力するだなんて――それもあのいけ好かない女の命令なのかしら」
「――っ、触手と花粉に気をつけなさい!特に花粉は吸わないで!!」
「ああ、解ってる――ッ!!」
幼体がまるで日常会話でもするかのように語りかけながら、その背中から無数の触手――いや、植物の蔓を伸ばしてくる。
10本、或いはそれ以上か。
無数の蔓がまるで鞭のように撓ったかと思えば、周囲にあった人だったものの残骸を引き千切るようにしつつ――スパァン、と空気を叩くような音が周囲に鳴り響いて。
それをルシエラで弾き、衝撃ごと押し返すようにしながら。
クラリッサもそれを翼を羽撃かせ、蔓と蔓の間を縫うように舞い飛んでいく。
蔓の先端は恐ろしいほどの速度ではあるものの、捌けない程ではない。
一本一本がそれだけで人体を爆散させる程の、廃墟を倒壊させるほどの破壊力を秘めてはいるものの、これならアルカンの見えない斬撃の方が格段に厄介だ。
「あら、凄いのね貴女。どうかしら、私と番になるつもりはない?」
「つがい……?」
『――耳を貸すなエルトリス。こやつをさっさと殺すぞ』
攻撃を全て捌かれ、躱されながら。
良くわからない言葉を口にした幼体に、ルシエラがドスの利いた声を漏らせば、幼体はくすくすと笑いながら、あら怖い、なんて言葉を口にして。
「――それなら仕方ないわね。貴女も私の玩具にしてあげるわ、きっとね」
――刹那。
捌き、弾き、食らっていた蔓の一部が変色する。
赤と黄色、それに紫といった極彩色で彩られた花が、蔓の一本一本に咲き乱れたかと思えば――ばふん、と。
音を立てるように、桃色の花粉が勢いよく撒き散らされた。
花粉を撒き散らしながら、なお蔓の攻撃は一切緩まない。
クラリッサの言葉通り、恐らくは吸ってしまえばただでは済まないだろう色をしたそれは、またたく間に俺とクラリッサを覆い尽くしていく。
『つまらん小細工じゃな――!!』
――それを、ルシエラをぐるんと振り回して霧散させていく。
激しく回転したルシエラは花粉を吸い込むようにしながら喰らい、喰らい――周囲を満たした筈の花粉は、ものの数秒で消え去って。
「ちょ――花粉は吸うなって……ッ!!」
「心配すんな、こいつに毒の類いは一切効かねぇよ」
『……ぐぅ、しかし甘ったるいのう。胃がもたれそうじゃ』
クラリッサの心配そうな、非難するような声に軽くそう返しつつ。
振り回した勢いをそのままに、突き出すように幼体へと攻撃を繰り出せば――ぞぶん、とその右肩から先を、ルシエラは容赦なく食い千切った。
幼体は声も上げずに、肩から先が消えた自分の傷口を眺めつつ、妖艶に口元を緩めて。
「――あら、素敵ね。その武器も、貴女自身も人としては実に良いわ……ああ、弄んでしまいたい」
――見る者を魅了するその笑顔から吐き出された、腐毒のようなその言葉に、俺はゾクリと背筋を震わせた。
アリスのような純粋な、無邪気な好意とは、残酷さとはまるで違う。
こいつは、この幼体は――否、アルルーナという存在は、それこそ世の中の善悪を、昏い所をよく知った上で。
その上で、この国のような惨劇を、玩弄を心の底から愉しんでいる――!!
「……成程、クソ野郎だな」
「ええ、クソ女よ――ッ」
その笑顔を潰すように、クラリッサがその猛禽のような両足で幼体を頭を鷲掴みにすれば、ぐしゃり、と音を立てながら握りつぶし。
幼くも美しかったその顔を、見るも無惨に潰されながら――しかし、それでも幼体は倒れる事はなかった。
「――ああ、もしかして。その子、アルケミラのお気に入りかしら?」
そんな、明らかに即死していても可笑しくない筈の傷を受けながら。
しかし事も無げに、幼体がその言葉を口にした瞬間――殺意とはまた違う、悍ましいとしか言いようのない圧を俺に向けてきた。
まるで、虫が体を這い回るかのような強烈な不快感と悍ましさ。
既に死に体だというのに、一体何処にそんな機能が残っていたのか、幼体は潰れた頭でくすくすと、先程と同じように笑みを零し。
「……アルケミラ様のモノに手を出すつもり?」
「あら、まだその子はあの女の物ではないでしょう?くす、貴女も随分とその子にご執心なのね……ますます、虐めたくなってきたわ」
殺意の籠もったクラリッサの言葉に、幼体は事も無げにそう答えつつ。
……そんな素振りを見せながらも限界、だったのだろうか。
ぐらりと体を揺らせば、そのままゆっくりと地面に倒れ込んだ。
そんな幼体を、クラリッサは念入りに脚で潰し、潰し、潰して。
俺の方に視線を向ければ……ほんの少し赤らんだ顔のまま、ジト目で俺を睨みつけてきた。
「――全く、つくづく厄介なのに目をつけられるのが得意なのね、エルトリス」
「んな事言われてもな」
クラリッサの言葉に頬を掻きつつ、小さく息を漏らす。
どっちかと言えば、俺が目を付けられたと言うよりは――そう、クラリッサの主人であるアルケミラが目をつけていたから、というような気もするし。
そんな事を考えながら、ぐしゃぐしゃに潰された幼体に視線を向ける。
蔓による鞭のような攻撃と、そこから発生する……毒のような花粉を撒き散らす攻撃。
まあアルカンは元より、オルカ達やリリエル達なら対処は出来る、とは思うが。
「……なあクラリッサ。これは、後何体くらい居ると思う」
「そう、ね。幼体が芽生えるまでは、そこそこ時間がかかる筈だから、そんなに数はいないとは思うけれど――」
クラリッサはそう言いながらも、徐々に市街地の各所から聞こえてきた悲鳴と怒号に耳を傾ければ、眉を顰め。
「――多く見積もって、30。最低でも10は居ると思ったほうが、良いわね」
『は、まるでタチの悪い虫じゃの。仕方あるまい、私達で駆除して回るか』
「そうだな。こいつは流石に、兵士連中じゃ荷が重い」
――市街地に居るかもしれない生存者を探すには、兎に角人数が必要だ。
それをいたずらに減らす訳にも行くまい、と――俺は軽くため息を漏らしながら、市街地の中を駆け出した。
「――ん。成程成程、このくらいは出来るのですね」
……そんなエルトリス達の様子を眺めながら、玉座に、エクスの膝の上に座ったまま、アルーナは楽しげに笑みを零す。
魔都に――廃墟にある花、人型から咲いている華、そして幼体からの情報は全て、全てアルーナの元に統合されていた。
見たもの、感じたもの――それどころか臭いや音まで、魔都で起きたあらゆる情報はアルーナへと集められ、蓄積されていく。
幼体が敗北したのを見ても、感じても、アルーナはまるで焦る様子もなく、寧ろとても楽しそうに嗤っていた。
「……しかし、分身のようなものとはいえ、君がやられるのを見るのは気分が良くないな」
「あら、エクス様ったらお優しいんですから……大丈夫、彼女たちと私は別物ですし」
エクスのそんな言葉に、アルーナは妖艶にほほえみながら、甘く囁きかける。
……そう、事実。
幼体がいくら潰されたとて、市街地に蔓延る華を咲かせた人型を駆除されたとて、アルーナ自身には何の問題もなかった。
「さて、じゃあそろそろ反映させるとしましょうか。ふふっ、ふふふっ、ここからが楽しいですわよ、エクス様――」
――二人しか居ないその空間に、楽しげな、妖艶な笑い声が響き渡る。
アルーナのそんな姿を見つめながら、エクスは怯える事もなく、恐怖さえもせず。
ただ、彼女の笑みに嬉しそうに笑っていた。




