4.魔都は、牙を剝いた
「きゃ……ふっ、あはは」
「ふ……うふ、ふ……ふふ」
――既に半ば廃墟と化しているランパード市街から、異様なほどに明るい……しかし掠れた笑い声が響き渡る。
廃墟から響き渡る笑い声は只管に不気味で、ただそれだけで市街を制圧するために突入した兵士達の気勢を削ぎ落としていた。
確かに兵士達は魔獣と戦う為の訓練も積んではいるが、それは飽くまでも獣の延長線。
人の形をした――否、元々は人であったであろう物が、人の声で笑うのを見てしまえば、それだけで悍ましさと恐怖が心を塗りつぶしていく。
「きゃは……きゃはは――ッ」
「――耳障りですね。静かにして下さい、生存者の声が聞こえません」
そんな兵士達の前。
少し突出するように、しかし兵士達から見える場所で、空色の髪をした……メイド風の服を身に纏ったエルフは、静かな声とともに白刃を振るった。
ただそれだけで、パキン、と凍りついた笑う人型は声すらあげなくなり、パラパラと崩れ落ちていく。
「あは……は……っ、う、ふ……っ」
「全くもって、腹が立つ……!アリスが可愛く思えてくるな!」
そして、緑髪の軽装のエルフもまた、背にしていた弓を構えれば。
暴風を纏い放たれた矢は、笑う人型に咲いている大輪の華を違うこと無く撃ち抜き、散らし――そのまま、背後にあった廃墟まで軽く巻き込んで。
ガラガラと崩れていく、辛うじて形を保っていた筈の建物を見れば、緑髪のエルフは――アミラは、自分がやった事だというのにぽかんとした表情を浮かべていた。
「あ、れ?」
「……アミラ様。その、生存者を探すという目的もありますので」
「い、いや、わかってる、判っているぞ!?」
そんなアミラの様子に、空色の髪のエルフ――リリエルは少しだけ、ほんの少しだけジト目で何てことを、と言った視線を向ければ。
慌てた様子でアミラは弁解しつつも、建物の内側から這い出してくる者たちに視線を向ければ、怯むこと無く白刃を、そしてその矢を向けていった。
「……さ、流石はあの巨人に立ち向かったエルトリス様のお仲間達だ」
「俺達も震えている場合ではないぞ!クロスロウドほ兵士としての誇りを示せ!!」
そんな二人の様子に、兵士達は奮い立てば。
今尚建造物から這い出し、笑い声をあげている華を咲かせた人型に向かって刃を振るい始め――……
「カカ、中々良き兵士達じゃな」
……それを遠くで聞きながら、枯れ木のような身体をひらりひらりと動かしつつ、アルカンは愉しげに笑った。
それを追うように、華を咲かせた人型はアルカンに向けて手を伸ばそうとするが、それが届くよりも早く人型はその場で崩れ落ちていく。
キン、という僅かな金属音の後、人型に咲いていた大輪の華は微塵に切り刻まれ、バラバラになって。
アルカンがひらりひらりと、建物から這い出してくる人型に少し近づいては進み、近づいては進みと繰り返していく内に、ただそれだけで人型は何かをする事さえ出来ないままに、二度と動くことはなくなっていた。
傍から見ればまるでアルカンが近くを歩いただけで、人型が自然に死んでいるようにさえ見える光景の中。
アルカンは今共に、遠くで戦っている者たちの声を聞いて頬を緩ませつつも、一歩一歩先へと進む度に――かつては自分が歩いたであろう道を進む度に、何処か遠い情景を見るような、そんな視線を廃墟に向けていた。
英傑としての仕事をサボり、買食いしていた串焼きの店。
暇な時に部下たちを連れて酒を飲み交わした酒場。
部下たちから送られた帯が売られていた、店。
その全ては、最早見る影もない。
内側から植物に侵食され、生きている者の気配はなく、動いているのは魔族の操り人形と化した――死後も尊厳を弄ばれ続けている、かつて自分が守った者たちだけ。
『……アルカン、大丈夫?』
「大丈夫、か。儂もまだまだ未熟じゃな」
自らが帯びている魔刀の――ヤシャザクラの言葉に、アルカンはハッとした様子で頭を振りながら、小さく息を漏らす。
そうしている間にも、華を咲かせた者たちを斬り伏せてはいるものの、アルカンの表情は少し、ほんの僅かに憂いを帯びていた。
しかし、それだけ。
アルカンはヤシャザクラの言葉に心を落ち着かせれば、再び市街をひらり、ひらりと歩き出す。
その歩みを止める事など、笑う人型達に出来る筈もなく――
「――ひっく、ひっく……っ、ふ、えぇ……っ」
「……っ」
――不意に聞こえてきた、子供のすすり泣くような声にアルカンは周囲に視線を向けた。
見れば、建物と建物の間にある狭い路地に、座り込んでいるような小さな影。
先程から耳障りな、不安を煽るような笑い声を上げている人型達とは違って、座り込んだまますすり泣いているその小さな影を見れば、アルカンは半ば思考を停止させながら、その子供へと近づいた。
啜り泣く小さな影は、とてもとても小さくて幼い……エルトリスよりも更に小さく幼い、幼女だった。
背中まで伸びる、新緑のような色をした髪の毛に白いワンピースを着ただけで、靴さえも履いていない幼女の姿は痛ましく。
「大丈夫か、お嬢ちゃん」
『安心、して。私とアルカンは、強い。もう安心』
泣きじゃくる幼女を元気づけるように、アルカンとヤシャザクラが声をかければ。
幼女は鼻をすすりながらも顔を上げて、赤い瞳を震わせながら、二人に向ける。
「……っ、ひっく……お爺ちゃん、達……どこ、から……?」
「クロスロウドからじゃ。心配するな、すぐに外に連れて行ってやるからの」
柔らかく笑みを浮かべるアルカンに、幼女はホッとした様子で壁に手を当てながら立ち上がり、こくん、と頷いて。
そんな幼女の様子に、アルカンはどこかホッとしたように息を漏らしながら、先導するように歩き出し――……
「――演技ならもう少し上手にやる事じゃな、下衆が」
……瞬間。
背後から凄まじい勢いで伸びた蔓を、アルカンは振り返ることさえ無く寸断した。
背中から生えた蔓を寸断され、不思議そうに、意外そうに、幼女は首を傾げつつ……くす、と。
その幼さからは想像もできないほどに妖艶に、笑みを零して。
「素敵な御爺様ね。アルカン様、だったかしら――ふふ、私と番になるつもりは無い?」
『……臭い。どんなに取り繕っても、臭い。腐臭がする』
「老若問わず行けると自負しておるがな。貴様のような輩はお断りじゃ……それ以上囀るな」
キン、という短い音とともに、ゴロリと幼女の首が落ちる。
あら、と少し間の抜けた声を漏らしながら、幼女はそのまま絶命――することは、無かった。
胸元で首を抱えるようにすれば、幼女は事も無げに首を繋ぎ、何事もなかったかのように笑って。
「それは残念。それじゃあ遊びましょう、アルカン様。まだ幼いから、上手く踊れないけれど――ふふ、うふふっ」
新緑の幼女は愉しげに、愉しげに。
子供のように――しかし子供らしからぬ笑顔をアルカンに向けながら、纏う気配を一変させた。
「それじゃあお姉さん達も、私と一緒に踊りましょう?」
「貴女達はちょっと弱そうだから、私が加減してあげますね、ふふっ」
「あら、少しだけ見知った顔も居るのね。ふふふっ、貴女達は一際楽しそう――」
――同刻。
新緑の幼女がエルトリス達の、リリエル達の、アルカンの弟子達の――否、市街地の各所に姿を表した。
楽しげな、不気味な笑い声が響く廃墟の中。
その様子を遠く、遠く――魔都と化したランパードの最奥、城の玉座の間から眺めながら。
「ほら、エクス様にも見えますでしょう?愉快ですわね、果たして何人が生き残れるかしら!」
「ああ。来訪者たちには、歓待してあげないとね――」
アルーナとエクスは、それをまるで劇場で演劇でも眺めているかのように、楽しげに、仲睦まじく笑みを零していた。




