1.それは、恋の物語
――三大国の一つ、ランパード。
強大な軍事力を骨子としたランパードは、かつて一人の王によって栄華を極めていた。
その王は武力、知力、人格、その全てに優れており。
そんな王に反旗を翻す者など誰一人としておらず、他の二国とも良好な関係を築き上げて。
ランパードに住まう民草は、心からその王に心酔していた。
この栄華は、繁栄は永久に続くものであり、これから先もずっと幸福で有り続けられるのだと、盲信していた。
その王が――文武両方に長けた賢王もまた、一人の人間である事さえも忘れて。
「――……」
「どうかなさいましたの、エクス様……?」
かつては栄華を極めていたランパード、その最奥に位置する王の私室。
そこで、現国王であるエクスは目を覚ました。
隣で眠っていたのだろう。新緑のような色をした、少し癖のある長髪を揺らし、赤い瞳をした美しい少女はエクスの額についていた汗を軽く拭って。
そこでようやくエクスは、自分がひどい寝汗をかいていた事に気づいたのだろう。
少女の言葉に小さく頷きながら、体を起こした。
「……大丈夫。心配してくれて有難う、アルーナ」
「また、夢を見ましたのね……本当に、お優しい方なのですから」
エクスの言葉に、緑髪の少女――アルーナは淡く笑みを浮かべれば、その身体を軽く抱き寄せる。
平均的な成人男性であるエクスの体は、アルーナの小柄な体では当然受け止められる筈もなく、共に眠っていたベッドに倒れ込んで。
「アルーナ……」
「大丈夫ですわ。エクス様は、エクス様――他の何者でも無いのですから」
「……有難う、アルーナ」
そして、甘く囁かれたその言葉に、エクスは安堵するかのように息を漏らした。
部屋には、灯り一つなく――アルーナはその身体をただ、優しく寄り添わせる。
ふわり、ふわりと部屋に咲き乱れている毒々しい程に鮮やかな花々は、二人を祝福するかのように淡く輝きながら――二人以外、意思のある者が誰一人として存在しない城の中を、明るく照らした。
城の中を蠢くのは、頭に、身体に大輪の華を咲かせた、呻く人型のみ。
それは当然、町中も同じで……かつての日常の真似事でもするかのように、不気味にガクン、ガクン、と蠢く民草は、真夜中だと言うのにその動きを止める事も、眠りに就く事さえも無く。
所々に咲いている花々が仄かに光り、町中を照らす幻想的な風景の中。
既に滅びているランパードは不気味に、静寂を保っていた。
「――ふ、ぅ」
そのランパードから程なく離れた、クロスロウド軍の野営地。
恐らくは指揮を出す――或いは重要な人物が居るのであろう、その中でも一際大きな天幕の中。
斥候であろう兵士達からの報告を聞いた、枯れ木のような老人……アルカンは、怒りを堪えるようにその身体を僅かに震わせながら、小さく息を吐き出した。
「……そう、か。残念じゃ」
「既に、滅んでいただなんて……」
「三大国の一つがこうもあっさり、か。笑えねぇ話だな」
円卓を囲んでいた幼気な少女――エルトリスと、その中の誰よりも長身な女性――エスメラルダも、俄には信じがたい、というかのような表情を浮かべながらも。
つい先程戦った、不気味な兵士達を見れば、それが現実だと理解できてしまったのだろう。
――宣戦布告をしてきた国が、既に滅びていた。
そんな奇っ怪な現実に、三人は……そして、その仲間であろう面々は、どうしたものかと軽く頭を悩ませて。
そして、ふと何かを思い出したかのように、エルトリスはその面々の中で唯一、不機嫌そうにランパードのある方角に視線を向けている……円卓に座る事もなく、壁際で立ったままの赤髪の女性に視線を向けた。
「そういや、クラリッサ。お前はなんか知ってそうな口ぶりだったな」
「……ええ、まあね。こういう事ができる奴なんて、あのクソ女くらいしか居ないわ」
赤髪の女性――クラリッサは、エルトリスの言葉に小さく息を吐き出しつつ、眉を潜める。
エルトリスの言葉に対して不快感を抱いている、というわけではない。
どちらかと言えば、そのクソ女について思い出すだけでもうんざりする、と言った様子で……周囲からの視線に、髪を軽く掻くようにすれば、クラリッサは深くため息を漏らした。
「あの華に寄生された兵士とか、多分だけどまあ間違いないわ。アルルーナのクソ女の仕業よ」
「――アルルーナ!?」
「アルルーナじゃと?!」
クラリッサの告げた名前に、エスメラルダとアルカンの表情が一変する。
その名前が余程衝撃的だったのか、アルカンでさえも冷や汗を垂らしながら――しかし、エルトリスは表情を変えること無く、ふむ、と軽く首をひねる。
そんなエルトリスの様子を見れば、クラリッサは不機嫌そうだった顔を僅かに緩めて……
「あら、この名前を聞いても動揺しないのね。流石はアルケミラ様が――」
「――アルルーナって、誰だ?」
……そして、そんなエルトリスの言葉にガク、と膝から崩れ落ちた。
アルカンとエスメラルダも、エルトリスのそんな言葉に苦笑しつつ。
「もう、エルトリスちゃんっ。クロスロウドに居た時に本で読んだでしょう?」
「本……そういや、なんか見たことあった、ような」
「――全く、大物なんだか子供なんだか」
エスメラルダに窘められるエルトリスの姿を見れば、すっかり不機嫌な様子も抜けたクラリッサは、円卓の一角に軽く腰掛けた。
――既に先の一件で、少なくともこの中にいる人間はクラリッサが魔族である事を知っているからだろう。
彼女を受け入れているエルトリス達は兎も角、アルカンの弟子やエスメラルダとその配下からの視線は厳しいモノだったが、彼女はそんな物を気にすることもなく。
「――アルルーナはアルケミラ様と同じ六魔将の一人、よ。あの華はクソ女の能力の一環、ね」
「華……兵士達に植え付けられておった奴か」
淡々と言葉を口にしていくクラリッサに、アルカンは僅かに眉をひそめながら……先程切り捨てなければならなかった、かつては自分の部下だった者も入り混じっていた兵士達を思い浮かべた。
頭や肩、胸から大輪の華を咲かせた、うわ言を呟く不気味な兵隊。
華以外の部分をいくら斬りつけても、内側から生える根が即座に身体を再生させてしまう、不死に近い存在。
「もし何かで種を植え付けられたら、即座に肉ごと切り捨てる事ね。でないと貴方達も即座にアレの仲間入りよ」
「……なんて、おぞましい」
「一応、あのクソ女の持ってる力の中じゃ一番マシな部類なんだけれどね、これ」
クラリッサも六魔将の部下という事もあってか、かつてアルルーナの力を見た事があったのだろう。
軽い対処法を口にしつつ――その能力の悍ましさに顔を顰めたエスメラルダに、ぽつりとそんな言葉を口にして。
「……それと、多分だけれど。あのクソ女を叩くなら、多分今しかないわ」
「ん……そりゃあどういう意味だ」
「忘れたのかしら?私達が、こちらに来られない理由」
そして、続くクラリッサの言葉にエスメラルダはハッとしたような表情を浮かべ、口元に指を当てた。
「――光の、壁」
人の世界と魔族の世界を分ける、光。
強い魔族であればある程に強く拒絶されるそれは、今まで多くの魔族達の侵入を阻み、人の世界の安寧を保ってきた。
それをすり抜けてきた、というのであれば答えなど、考えるまでもない。
「そう。まあ、ここに居るあのクソ女は分体の一つでしょうけれど……多分、種かなにかの状態でこっちに来たんでしょうね」
「待て。それではまるで――」
「……つまり、本体には程遠い状態で、軍事国であるランパードを滅ぼした、と?」
アミラの、そしてリリエルの言葉にクラリッサは深く頷いた。
六魔将アルルーナ、その種子。
本体であるアルルーナには遠く及ばないであろう、種子から芽生えたモノが僅かな間にランパードを滅ぼしたというその事実に、エスメラルダは、アルカンは――天幕に居た者たちは、表情を強張らせ。
「――なら、話は早いな」
しかし、ただ一人。否、二人。
「つまり、今のうちにぶっ倒しちまえば良いんだろう?」
『簡単な話じゃな。しかも今回は周囲に気兼ねなくやれる訳じゃ』
「……そうね。あのクソ女を倒すっていうんなら、私も協力するわ」
事も無げに――否、寧ろ愉しみで仕方がないと言った様子でエルトリス、そしてその魔剣であるルシエラは、笑みを浮かべれば。
クラリッサは、そんな二人に少し可笑しそうに笑みを零した。




