閑話:黄金剣のとある一日
「ご馳走様。まあ、悪くは有りませんでしたわ」
「お粗末様でした、エルドラドさん」
――エルドラドが、盲目の少年に保護されてからしばらくの時が過ぎた。
少年は別にエルドラドの奴隷というか、従僕という訳でもないのに彼女を甲斐甲斐しく世話をして。
エルドラドもまた、別に少年の主という訳でもないのに、下僕のように扱う……そんな、奇妙な共同生活が続いていた。
衰弱しきっていたエルドラドの体も、幾分かは回復してきたのか。
最近ではベッドから起き上がり、周囲を軽く散策するようにはなっていて。
とはいっても、地図も何も持っていないエルドラドでは、この深い森の中を歩いた所でまた遭難するというのは目に見えており――
「……ふ、ぅ。まあ、仕方有りませんわね」
――何より。
エルドラドは不思議と、今のこの生活がまんざら悪くない、とまで思ってしまっていた。
盲目の少年は自分に文句を言うわけでもなく、甲斐甲斐しく尽くしてくれるし。
少年の料理は決して特別美味しい、という訳ではなかったものの、エルドラドの味覚をギリギリ満足させていたし。
少なくとも、体が完治するまではエルドラドはここで過ごそうと、そんな事を考えつつ。
「ここを出る時は、あの子供を連れて行っても良いかもしれませんわね。荷物持ちくらいは出来るでしょうし」
……目に深い傷を負っている、盲目な少年にさせるには少々過酷過ぎるような、そんな言葉を口にしながら。
その日も、エルドラドは日課の散策を終えれば、優雅な足取りで今や彼女の拠点とも言えるであろう少年の小屋に向かい――
「――!!」
「……あら、何かしら」
――そんな最中。
丁度、その小屋のある方角から、聞き慣れない声が……怒声が聞こえてくれば、エルドラドは軽く眉をひそめた。
「――ハハハッ、テメェこんな所にいやがったのか!ランパードから逃げる時に奴隷の大半を失っちまったが、俺にも運が回ってきやがったぜ!!」
「……っ、はな、せ……離して……っ!!」
エルドラドが木陰から身を乗り出してみれば、そこにあったのは――大凡、エルドラドの美的感覚にそぐわない粗野な風貌の男と、それに腕を掴まれている少年の姿。
体格差もあるのだろう、男に抵抗を試みつつも、少年は小屋の外に引きずり出されていて。
「……ん」
そんな少年の姿を見れば、エルドラドは小さく息を漏らす。
別段、助けようという心は湧いてこなかったエルドラドは、巻き込まれるのも面倒だ、とため息を吐き出しながら。
さっさと男が去ってくれないかしら、なんて少年の身を案じる事すらせずに。
「やめて、下さい……!!」
「うるせぇ!テメェの千里眼さえありゃあ、俺もまた別の国で返り咲けるんだ!!」
――しかし、そんな男の言葉を聞いた瞬間。
エルドラドは何かしら、と再び木陰から顔を出せば、少年と男の様子を見守り始めた。
男は、盲目の……それも小柄な少年の何処に、一体そんな価値を見出しているのか。
少し血走った目を向けたまま、自分よりも遥かに小さな少年を引きずって。
「いや、だ……嫌だ、嫌だ……っ、僕はもう、見たくないものは、見ない――ッ!!」
「ふざけんな!!テメェのその千里眼はなぁ、俺達みたいなのに利用される為にあるんだよ!どんなモノでも見通せちまう化け物がッ!!人間様みたいな言葉を吐くんじゃねぇ!!」
ああ成程、と。
エルドラドはそこでようやく、少年がどうやって料理を――いや、そもそもこんな鬱蒼とした森の中で生活していたのかを、理解した。
千里眼、と呼ばれるその能力は恐らく視力が完全に失われた状態であっても、問題なく使えるのだろう。
何でも見通せる、という事は問題なく周囲の光景を見て、鬱蒼とした木々に隠れた食材を見つけることも出来る、という事で。
「この――ガキがっ!!良いから来い!!テメェには金の在り処を見る以外の価値なんざねぇんだからよぉ!!」
――そして、男のその言葉からすれば。
きっと、本来ならば見えないような隠してあるものさえも、容易く見通してしまうのだろう。
成程、男がどうあっても少年を連れていきたいわけだ、なんてエルドラドは納得しつつ……しかし、少年を助けようとは思わなかった。
たしかにその目は便利かもしれないが、だからと言って別段助けなければ行けないわけではない。
エルドラドにとって、少年が自分に食事を提供したのは当然のことでしか無く、恩とさえも感じていなかったのだ。
エルドラドは再び木陰に身を隠せば、少年が連れ去られるのを待ち、面倒事を避けようとして――……
「……あん?なんだぁ、この飾り……金で出来てんじゃあねぇか」
「ぁ――や、やめて、触らないで!!」
「何だ、テメェだってそういう風に使ってたんじゃねぇか!じゃあ問題ねぇだろうが……おらっ、寄越せ!!」
……少年の耳元に付けていた、小さな金の耳飾り。
エルドラドが戯れに、少し飾ればマトモになるかしら、と少年に付けさせたもの。
それを奪われそうになれば、少年は今まで以上に声を荒げながら、その細腕で必死に抵抗し始めた。
まあ、人間なんてそんなものだろう。
金品は綺羅びやかで魅力的だから、あんな子供でさえそれを奪われるのは耐えられないのだ。
エルドラドは欠伸混じりに、そんな動向に興味を失いつつも、耳を傾けて。
「……っ、やめて!!これは、大事な……大事なものなんだ!僕を、はじめて人として見てくれた人が、くれた――っ!!」
しかし、少年の口からこぼれだしたそんな言葉に、ぴくり、と耳を動かした。
「嘘つきやがれ!化け物みてぇな面したやつにこんな飾りを送る馬鹿が何処に居る!?」
「嘘じゃない!あの人は――エルドラドさんは、こんな僕にだって、人間扱いをしてくれた!……っ、僕はもう、あの方の物なんだ!!あんたのものになんか、ならない――っ!!」
エルドラドの視界に、あの穏やかそうな、気の弱そうな――痩せぎすで体の小さな少年が、必死になって自分の与えたものを守ろうとする姿が、映る。
男はその必死の形相に、一瞬だけ怯むが……それでも、強引に少年の耳を引っ張り上げれば。
「――っ、~~~~……っ!!」
「……ハッ。さっさと渡しときゃあ良かったんだよ、この化け物がッ!」
――男の手には、血に染まった耳飾り。
耳を抑え込んで声を漏らす少年は、痛みもあるのだろうけれど、それ以上に――自分の大事なものを取り上げられた悲しみに、染まっていて。
それを見た瞬間、エルドラドは何も考えることも無く、木陰から飛び出した。
別に弱者を救おうだなんて正義は、エルドラドにはない。
別に悪漢を倒そうだなんて正義は、エルドラドにはない。
ただ、エルドラドは――自分の物を傷つけられたことに、汚された事に、激昂した。
「――あん?なんだ、このアマ――ぐ、がっ!?」
まだエルドラドの体力は半分程度しか戻っていないが、それでもただの荒くれ者を相手をするには十分過ぎた。
エルドラドは片手で男の首を掴めば、そのまま釣り上げて――少年から奪っていた、血肉が付いてしまっている耳飾りを奪い取り。
「……エル、ドラド……さん……」
「持っておきなさい。後で継いであげますわ」
ぽい、と投げ渡すように少年にそれを返せば。
その金色の瞳を、荒くれ者に向けた。
「ぐ……ご……っ、で、め……っ、はな、ぜ……ぇ……っ」
「醜い。汚い。穢らわしい。そんな無様さでよくも私の所有物に触れてくれましたわね」
「――っ!?あ――が――ッ」
エルドラドに掴まれた部分から、荒くれ者の体が金へと変わって行く。
薄汚れた体も、服も――恐怖に怯えたその瞳さえも、余すこと無く無機質な金へと変わり、変わり。
そのまま、人の形さえ失えば――ジャラジャラと音を立てて、金貨となって地べたに転がり落ちた。
そんな男の有様を見えずとも見てしまったのだろう、少年は言葉を失いつつ。
「え……えっと、あの」
「見せなさい」
どう言葉をかけるべきなのか、迷ったのか。
しどろもどろになっている少年を無視するように、エルドラドは少年の耳を見て……穴の部分からキレてしまっている耳たぶを、軽く指でなぞり。
「……っ!?」
「大人しくしてなさい。形だけ整えますわ」
少年の耳を金に変えてしまえば、同じように金に変えた耳飾りと、それにこびりついた肉片を文字通り継いで。
まるで溶接でもするかのように、少年の耳の形を整えれば――
「え……あ」
「全く。あの程度の男に汚されるなんて、恥を知りなさい」
――金から人の体に戻ったその耳には、傷跡一つ残っておらず。
少年は不思議がるようにその耳元に触れて、耳飾りを確認し。
そんな少年の様子を眺めながら、エルドラドは僅かに口元に笑みを浮かべると、じゃらり、と地面に散らばった金貨を手にとった。
既に、荒くれ者だった名残などまるで残っていない――エルドラドらしい姿が刻まれたその金貨を、エルドラドは指先で軽く歪めつつ。
ちょうど少年の火傷を隠すような、顔の上半分だけを覆う金細工の仮面を作ると、被せて。
「私の所有物であるなら、身嗜みも気を使いなさいな。それで、食事の準備は出来ていますの?」
「ぁ……い、いえ、まだです」
「なら早くなさいな。今日からは、貴方に私の所有物としての作法を教えて差し上げるのですから」
「……っ、は、はいっ」
エルドラドからの突然のプレゼント――実際は、所有物を飾るエルドラドの癖のようなものなのだが――に、少年は体をこわばらせつつも。
続く言葉に笑みを零せば、仮面を指先で触りながら、少年は嬉しそうに笑みを零して。
そんな少年の姿に、エルドラドは淡く笑みを零しつつ……ふと、胸を指先で抑えた。
返ってくるのは、頭ほどもある豊満な胸から来る弾力と、生身の暖かさだけ。
「……まだ本調子には程遠いですわね。さて、今夜はあの子に私の所有物として――ええ、夜伽でも教えるとしましょうか」
エルドラドは胸の内に僅かに感じた、むず痒いような暖かさに首をひねりつつも。
くす、と楽しげに、愉しげに笑みを零せば――足元に残っていた、仮面にも使わなかった男の残骸をどろりと溶かして、少年の後を追って小屋に入っていった。
――森の中に黄金で出来た小屋が出来たのは、それから僅か後の事である。




