29.開戦
――エルトリス達が、アリスの永遠のお茶会からの帰還を果たそうとしている、その頃。
三大国の一つ、ランパードの周辺には、大きな人だかりが出来ていた。
その人々の多くは武装しており、中には魔導人形まで用意――配備されていて。
人だかり、と言うよりは軍隊と言うべきなのだろう。
まるでこれから戦争でも始まるのではないか、といった緊張感の中――その最前線に居る二人は、物憂げな視線をランパードの方へと向けていた。
片方は、遠くから見ても一際目立つほどの長身に、余りにも女性的な……豊満な身体をした、若い女性。
そしてもう片方は、枯れ木のように老いた、しかしまるで衰えた様子が見えない老人。
「……あの、アルカンさん」
「む、何じゃ?」
「その、ですね。事あるごとにお尻を触ろうとするのは止めてもらえませんか……?」
――アルカンと比べても、周囲の兵士たちと比べても大きな身体を少しすくませるようにしながら、エスメラルダは顔を赤らめて。
その、隠しきれる筈もない大きな膨らみを両手で隠すようにしながら、ジト目で……先程から、隙あらばエスメラルダにセクハラをしようとしているアルカンを睨んだ。
アルカンはそんなエスメラルダの様子にカカッ、と喉を鳴らしながら笑いつつ。
「なぁに、緊張も少しは解れたじゃろう」
「それは――そういうことじゃなくてですねっ。こういうのは犯罪ですよ!?」
「カッカッカ!いやぁ、三英傑と聞いておったがこんな美人ともなればのう、反応せん方が失礼かと思ってのう」
三英傑らしからぬ、まるで普通の女性のような反応を好ましく思ったのか。
アルカンは触ろうと思えば触れるであろうエスメラルダの身体に触れはせず、ただからかうように触れるフリだけを繰り返し――
「――ぬがっ!?」
「……申し訳有りません、エスメラルダ様。アルカン師が、ご無礼を」
「駄目だよー、お爺ちゃん」
「い、いえ……その、まあ、触られたわけでは無いですから」
――とうとう弟子たちに頭を思い切り叩かれてしまえば。
アルカンの弟子であるオルカ達の言葉に顔を赤くしながらも笑みを零し――そして、小さく息を漏らすと改めて、ランパードの方へと視線を向けた。
ランパードが、三大国の一つであるクロスロウドに宣戦布告をしたのは、ほんの少し前の事。
突然のことにクロスロウド国内は騒然としたが、ヘカトンバイオンによる爪痕が未だ癒えていない状況を狙ったのだろうと判断した王の行動は、非常に迅速だった。
復興に充てる人員とランパードへの対処に回す人員を――兵糧が保つ程度まで選り分け、エスメラルダにそれを率いさせる形で即日ランパードへの進軍を開始。
道中何事か、と声をかけてきたアルカン達と合流し、事情を知ったアルカンは憤慨しながらエスメラルダ達と同行し――そして、その後は何事も無くランパード近郊まで到達、したのだが。
「……しかし妙だの。宣戦布告は確かに有った……んじゃな?」
「はい、それは間違いないです。私は兎も角、王様がその辺りを間違える筈はないですから」
エスメラルダの王への信頼を少し羨むようにしつつも、ふむ、と小さく呟けば、未だに静けさを保っているランパードを見て、アルカンは眉を顰めた。
宣戦布告をしたのに、兵を出す様子もない……というのも異常だが、それ以上にアルカンが違和感を感じたのは、その異様なまでの静けさだった。
――活気がない。
ランパードは三大国の一つであり、アルカンが知る限りではこの時間にもなれば、人々の声が、動きが外からでも判る程に活気があったはず。
だというのに、今のランパードからは活気は愚か、人の動きさえも感じられず。
「……戦時だから、かもしれんが」
「ここまで無抵抗というか、反応がないのは不気味――」
ランパードにはほとんど来たことの無いエスメラルダも、それが異常なのは理解できたのだろう。
エスメラルダはアルカンの言葉に相槌を打ち……
……そんな最中。
突然、重たい音を鳴らしながら、ランパードの城門が開いた。
本来ならば、既に包囲されているような状況でそんな事をするなんてあり得ない筈だ。
出自故にそういった戦術には疎いエスメラルダも、元々はランパードで三英傑の一人として過ごしていたアルカンも、突然の奇行に呆気にとられ――
「……な」
――声を漏らしたのは、アルカンだった。
突然開かれた城門から現れたのは、ランパード国の鎧を身に着けた兵士たち。
それ自体に、何かおかしい事はない。
戦時なのだ、兵士が戦場に現れること自体は、何も――そう、何もおかしくはない。
アルカンが目を見開いたのは、その兵士の有様だった。
「――ァ……あ」
「ぁ――う……ゥ」
「……アルカン、さん。ランパードの兵士さん達は、皆、あんな?」
「そんな訳がないじゃろう……っ、何じゃ、あの愚王は一体何をした――ッ!?」
頭から、目から、肩から。
身体の所々から、鮮やかな色をした大輪の華を咲かせたランパードの兵士達は、虚ろに声を漏らしながら、ぞろり、ぞろりと動き始める。
その有様は、文字通り生きる屍、といったところだろうか。
愚王を見放したとは言えど、一度は面倒を見ていた兵士たちのあまりの変わりように、アルカンの表情は一変する。
飄々とした好々爺といった雰囲気は消え、憤怒に燃えるその表情には、オルカやメネスと言った弟子すらも怯み――
「……進軍します!相手は尋常ではありません、皆さん気を付けて――!!」
――エスメラルダは即座に、全軍に号令を出した。
三英傑からの号令とも有れば、兵士たちは沸き立ちながら、魔導人形と共に城門から現れた不気味な兵隊へと突撃していく。
「儂も行く。オルカ、メネス、努々油断するな」
「無論です」
「うん、私も判るから大丈夫だよ」
それに混じり――先陣を切るように、アルカンとメネス達もその華を咲かせた者達の元へと駆けていった。
大群が迫る最中にあっても、花を咲かせた不気味な者たちは表情を替える事もなく、呻くばかりで。
アルカンはせめて一思いに、とその刃をかつては部下であった者たちに奔らせる。
見えない斬撃は、刹那の間にその首を、五体を寸断し――
「――ぬ、ぅ!?」
――寸断されたはずの頭部が、その瞳がぎょろり、と動く。
切断され泣き別れになったはずの五体は、その切断面からまるで根っこのような物を生やしながら繋がれば、鞭のように腕を撓らせてアルカンへと襲いかかり。
「メネス、オルカ!華を狙えッ!!」
その奇っ怪な攻撃を、アルカンは軽くいなしつつ。
その根っこらしき何かが伸びているであろう元である華を微塵に刻めば、そこでようやく不気味な兵士は動きを止め、崩れ落ちた。
そうしている内に、不気味な兵士達とクロスロウドの兵士達が交戦を始めていく。
クロスロウドの兵士達の練度が低い訳では断じて無い。
断じて無い、が――しかしそれでも尚、目の前の不気味な兵士を前にして、彼らは苦戦を強いられていた。
体の各所に咲いている華を破壊しない限り死なない兵士たちは、うめき声をあげながら、全身に刃を突き立てられても尚、止まらない。
それに対処できる者は、この場にはアルカンとその弟子達、それにエスメラルダと一部の兵士しかおらず。
「――っ、く、せめてあのお嬢ちゃん達がおれば――!」
如何にアルカン達が居たとて、大量にいる不気味な兵士から味方を守るのは至難の業。
何より、人間とは思えない不死性を持ったランパードの不気味な兵に、クロスロウドの兵士たちの間にも徐々に、徐々に恐慌が広がり始めていて。
アルカンは軽く毒づきつつも、周囲に居る不気味な兵士達の華を刻みながら、少しでも被害を食い止めようと動き――
――そんな、混戦の最中。
唐突に、ランパードの城門……その真正面で、爆発じみた音が鳴り響いた。
「――障害物が有りましたので、取り除きました。ランパード前でございます、エルトリス様方」
「お、おい、今吹き飛ばしたのは人間じゃないよな――人間じゃない、よな!?」
「……落ち着いてくださいアミラ様。どうも、妙な状況のようです」
『ちょっと、ランパードって大国じゃないの?私結構楽しみにしてたのに――』
爆発じみた音と同時に上がった土煙から現れたのは、シルクハット頭の魔族。
それの後ろから現れた、緑髪のエルフと、空色の髪のエルフメイド。
「……ん?何だ、戦ってる……というか、こりゃ戦争の真っ最中か何かか?」
『ふむ、良く分からん状況だの』
「これは……ちっ、嫌な奴の気配を感じるわ。気を付けなさい、エルトリス」
――そして、小さな、小さな。
この戦場にはあまりにも似つかわしくない、金糸の髪をたなびかせた幼い少女と、肩についた埃を払いつつ毒づく、赤い髪の女性。
その少女の姿を見れば、その姿を知っていたクロスロウドの兵士たちが――恐慌していた筈の兵士たちの表情に、希望が灯る。
「では、私はこれで。アリス様に御用の際は、いつでも私の名をお呼び下さい」
「ん。ああ、ありがとな、えっと――」
「ハッター、と。アリス様にもそう呼ばれておりますので……では」
シルクハット頭の男はそう言葉を口にすると同時に、なにもない場所を扉のように開けば、消えていき。
少女はそんな――魔族としか思えない相手に手を振りながら。
その行動が、仲間だと判断させたのだろう。
先程、シルクハット頭の男に吹き飛ばされた兵士たちが、ウジュルウジュルと根っこを蠢かせながら立ち上がれば、一斉にその少女に向かって襲いかかり――
「――ったく、襲われる言われはないんだけどな……ま、いいさ。久々に暴れられそうだしな」
『くく、そうじゃな。久々に、暴れてやるとするか――!!』
――瞬間。
つながっていたはずの体は、ぞぶん、と音を立てて、食いちぎられた。
繋がる猶予さえ無いほどに五体を無惨に食いちぎられれば、華から伸びた根は必死になって繋がる部分を探している様子だったが、その華を少女は軽く踏みにじって。
「……かかっ、カカカ……っ!!派手な登場じゃな、お嬢ちゃん!」
「おう、アルカンじゃねぇか。って事は、俺が遅刻しちまった感じかこれ」
少女はアルカンと親しげに言葉を交わしながら、笑みを零し。
そして少し言葉を交わせば、それだけで状況を理解したのだろう。
「――よし、んじゃ適当に暴れるか。アミラ、リリエル、やれるな」
「当然だ。久方ぶりのこの体だ、大暴れしてやるさ」
「鍛錬にはちょうど良さそうな木偶達です。やりますよ、ワタツミ」
『もう、街並みとか見るの楽しみだったのに――……仕方ないわね』
少女のその言葉とともに、戦場に暴風が、氷が現れた。
半ば――兵士に対しては圧していた不気味な兵達は、突然現れた敵に向かい、襲いかかるものの、彼女たちはそれを歯牙にもかけず。
「エルトリス。私も手伝うわ」
「ん……?おい、良いのか?」
『こりゃどう考えても魔族の仕業じゃろ。手を貸すなんぞしたら面倒じゃろうに』
「――これをやったクソ女は大嫌いなのよ。今回だけは手を貸してあげるわ」
そして、更に戦場にそぐわない歌が響き渡れば――不気味な兵士たちの動きは、露骨に弱り。
勝機を見出した兵士たちは恐慌から完全に立ち直れば、華を咲かせた不気味な兵士達へと猛然と挑みかかった。
「――ふぅん。ちょっとは楽しくなってきたかしら?」
「どうした、アルーナ……?」
――その様子を、はるか遠く。
ランパード国、城内……その玉座の間から、見通しているかのように、少女は嗤う。
現国王エクスの膝の上に腰掛けたまま、嗤っていた少女――アルーナは、エクスの言葉に柔らかな笑みを浮かべれば、その頬をそっと撫でて。
「何の心配も要りませんわ、エクス様……♥ふふ、全ては私の手のひらの上ですもの」
「そうか。だが、くれぐれも無理はするなよ、アルーナ。お前にもしもの事があれば、私は」
「……本当に、可愛らしいお方。大丈夫ですわ、エクス様……ええ、アルーナは何処にも行きませんとも」
その甘い、甘い。
幼い姿にそぐわないような、蠱惑的な声色で言葉を囁やけば、アルーナは深く、深くエクスに口づけて――……
……そして、優勢な状況で喜んでいるクロスロウドの兵士達を。
少女の姿を見つけて、表情を輝かせている三英傑であるエスメラルダを。
かつてこの国の英傑であったアルカンを。
――アリスの世界に取り込まれてなお、こちら側の世界へと戻ってきた少女たちを、遠くから眺めながら。
アルーナは、心底楽しそうに。
まるで虫かごに入った虫けらが死んで行くのを楽しむかのような、そんな残酷な色を、瞳に宿した。




