28.約束を、交わさずとも
『……それで、この状況はどう判断すれば良いのじゃ?』
「うう、ん」
アリスのお願いに、しばらく付き合った後。
いつの間にかおままごと自体が終了していたのか、或いはアリスが満足したからか。
先程までの役割に縛られていた自分を多少恥じつつも、今の俺の状況があまりにも不可思議だからか、ルシエラ達は俺の方に視線を向けながら、首をひねっていた。
「~♪」
「……一体どんな手品を使ったの」
「別に、そんな事はしてないんだけど……」
小鳥の姿に戻ってしまったクラリッサは訝しげな視線を向けつつ、怪しむように囀る。
リリエルも、アミラも同様に、どうしてこうなっているのかがわからない様子で。
「……その、アリスちゃん」
「なーに、エルちゃんっ♪」
「そろそろ、離れてくれると――」
「やだ。駄目よ、もうちょっとエルちゃんを堪能するんだからっ」
――甘えるように、じゃれるように、俺に背後から抱きつきながら、頬と頬をくっつけるようにするアリスは、そんな視線をまるで気にすることもなく。
俺はどうしたものか、と悩みつつも――まるで子供のように無邪気にはしゃぐアリスを、無理やり引っ剥がす気にもなれなかった。
……いや、多分そんな事をしようとしても無駄なんだろうけども。
そうしようとしても、何というかその気持ちを挫かれそうなのは、何となく目に浮かぶし。
とは言えこのままだといつになったら開放されるかも判らないし、さてどうしたものか、と頭を悩ませていると――
「――アリス様。エルトリス様達は、何か用があるのでは?」
――不意に。
俺達以外には誰も居なかった筈のその部屋に、酷く落ち着いた声が響いた。
音もなく、気配もなく、いつの間にかアリスの傍らに立っていたのは、シルクハットを頭に――というか、頭がシルクハットだけの、紳士風の魔族で。
その魔族の声に、アリスは耳を傾けるようにすれば、んー、と小さく声を漏らしながら。
「んー……」
「アリス様は、少しお考えの様子。少しの間、くつろいでお待ち下さい」
「……そうね、そうさせてもらうわ」
そのシルクハット頭の魔族の言葉に、クラリッサは少し疲れたように声を漏らすと、ふわり、と幕を引くように現れた椅子に留って羽を休めた。
同時に現れたテーブルの上には、いつの間に用意したのか、あたたかそうに湯気を立てている琥珀色の液体が入ったカップが並んでおり。
『……毒ではなかろうな』
「滅相もない。アリス様のご友人のお連れ様です、そのような無礼は働きませんよ」
「ルシエラ、彼からは特に悪意らしきものも感じない。多分だが、大丈夫だ」
『ふん、どうだかの。この世界そのものだってそうであろうに』
ルシエラは未だに警戒を解かないまま、椅子に腰掛けて。
そんなルシエラにシルクハット頭の魔族は特に不快にする様子もなく、全員……アリスに抱きつかれている俺以外が腰掛けたのを見れば、軽く頭を下げてから俺の方に視線を向けた。
表情も何も判らない、シルクハットだけの頭だと言うのに、何故だろう。
俺に向けられている視線は、まるで感謝しているかのような、或いは羨んでいるかのような、そんな感情が込められているのが、判ってしまう。
「――アリス様の友人になってくれて、感謝いたします、エルトリス様」
「え……う、うん」
未だにうーん、うーん、と悩んでいる様子のアリスの声を聞きつつも、シルクハット頭の魔族に深々と頭を下げられてしまえば、俺は思わず声をつまらせてしまった。
……一体何が有難う、だというのか。
それが、まるで判らなくて。
「貴女は、アリス様のただ1人の特別な友人になられたのです。感謝しない訳にはいきますまい」
「……ちょっと待って、ただ1人って」
そんな俺の考えを見透かしたかのようなその言葉に、思考が止まる。
ただ、1人。
確かにアリスにとって、自分で作った友人以外の存在は稀有なのかもしれないけれど。
でも確か、アルケミラはアリスと出会って尚、無事で居るのだから――
「六魔将の方々と、貴女では意味合いが違うのですよ」
「いみ、あい?」
シルクハット頭の魔族のその言葉に、考える。
六魔将は、まあ格の差があるかどうかは知らないけれど、互いに勢力を作って争い合っている関係……だった、ような、気がする。
無論その中でも利害の一致とかで手を結んだりとか、色々有るとは思うけれど……
……ああ、そうか。
六魔将の友人は、そういった利害関係で結んだ友人、だからか。
「貴女は、矮小な身でありながらアリス様を憐れむでもなく、同情するでもなく、対等な友人を望まれた――それが、どれだけ稀有な事か」
「……矮小っていわれると、いい気分はしないけど」
「それは、失礼を。ですが……ああ、そうできた貴女は、本当に羨ましく思います」
シルクハット頭の魔族は、そう言うと俺に琥珀色の液体が入ったカップを手渡した。
ふわり、と甘く香るはちみつのような香り。
ルシエラはこの世界に来てから、色々と――それはもう悪辣な悪役を見てきたからだろう、警戒していたけれど。
この男は、俺達に対してまるで敵意を抱いていないのは何となく理解できたので、俺はためらうこと無くそれに口を付けた。
「……美味しい」
「ふふ、ハッターの淹れるお茶は世界一なのよ!ねー、ハッター♥」
「有難うございます、アリス様」
思わず口から出てしまった言葉に、アリスはまるで自分のことのように得意げに、そう言いながら。
ハッターは表情もわからない顔で笑みを浮かべるようにすると、軽く頭を下げる。
そして、アリスも考え事が終わったのか、俺を軽く抱きしめるようにしたまま、立ち上がって。
「――ん。エルちゃんは、やる事があるのよね」
「う、ん。わたしは行かなきゃ、いけないから」
俺がしっかりとそう答えれば――アリスは少しだけ残念そうに。
しかし、柔らかな笑みを浮かべれば……その外見からは想像できないくらいに、暖かな母性を宿した笑みを見せれば、俺を抱いていた腕の力を、緩めた。
「判ったわ。それじゃあ今回はこれでお別れね」
「……ああ、今回は……っ、と」
口から溢れ出した言葉に、思わず違和感を抱いてしまう。
俺の、いつも通りの……本来の、口調。
「――きゃ、あっ!?」
『ぶふっ!?ぷっ、あ、あははははっ!何をしておるのじゃ、ぷくっ、あはははは――っ』
「う、うるさいわね!急にバランス、が――……」
突然響いた悲鳴と、ルシエラの笑い声に視線を向ければ。
椅子に留まるようにしていた筈のクラリッサが、椅子を思い切りひっくり返して転んでいて――その姿は、いつの間にか小鳥から元の魔族の姿に戻っていた。
見れば、ルシエラの格好も、リリエルの格好も――そして、アミラの大きさまでも、全てがここに来る以前の物にもどっていて。
……机の上で座るという、まるで子供のような行儀の悪さを晒していたアミラは顔を赤くしながらそさくさと降りていたが、まあ見なかった事にしておこう。
「ね、エルちゃん。一つだけ約束してくれる?」
元の姿に戻った面々に、俺は軽く安堵を覚えつつ。
静かなアリスの声に振り返れば、そこにあったのは無表情に近い――しかしどこか不安げな様子の、アリスの顔で。
「……また、私と遊んでくれる?」
今の俺よりずっと強い……いや、恐らくは同じ地平にさえ立っていないであろうアリスは。
まるでその外見相応な子供のように、そんな言葉を口にした。
――仮に、俺が元の体だったとして。
元の姿だったとしても、アリスに勝てるかどうかと言われれば、正直言って判らない、というのが本当のところだ。
言うなれば、本にかかれている者と、それを読んでいる者、というのだろうか。
立ち位置そのものが違うアリスと戦ったとして、負ける事はなくとも勝つことも難しいとしか思えず。
今の弱体化しきった俺ともなれば、最早勝機など微塵もないであろう、そんなアリスが不安げに口にしたその言葉に、俺は思わず笑みを零してしまった。
「馬鹿だな、お前」
「え」
「当たり前だろ。友達ってのは、そういうもんらしいしな」
――ああ、それはきっと。
俺が元の体だった頃に、掛けてもらいたかった言葉なのだろう。
俺の強さに惹かれて集まったアイツらは、俺に畏敬の念だか、そういうのを向けていたけれど。
そういうのじゃなく、強さとか関係なく……ただ、こうやって普通に言葉を交わしてくれたのなら、それだけで――……
「……うんっ、そうねっ!お友達はそういうもの、だものね♥」
……それだけで、アリスはその表情を幸せそうに綻ばせれば。
シルクハット頭の男に視線を向けると、小さく頷いて――それだけでシルクハット頭は何かを察したのか、小さく頷いて。
「それじゃあ後は任せちゃうわね、ハッター。エルちゃんたちを送ってあげて?」
「はい、畏まりました、アリス様。丁重にお送りいたします」
シルクハット頭――ハッターがそう告げれば、アリスは俺に向けて満面の笑みを浮かべながら、軽く手を振って……そして、次の瞬間には視界が切り替わった。
アリスの家の中だった筈なのに、周囲はいつの間にか一面の花畑に変わっており。
いくら探しても、周囲にはアリスの姿はなく。
「――一緒に居ては、別れづらくなると思ったのでしょう。ああ、羨ましい事です」
ハッターは俺の疑問に応えるように、微笑ましげな声色でそう口にすれば。
同じように景色が切り替わって戸惑っているルシエラ達に声をかけて、俺達を案内するように花畑の中を迷うこと無く、ゆっくりと歩き始めた。




