27.たった、ひとつの、やさしい、やいかた、よん
……一面の花園の中、あたしは、おかあさんの膝の上で、うつらうつらとしていた。
きこえてくるのは、クラリッサさんの、きれいな、きれいな、おうた。
きいてるだけで心がふわふわして、きもちよくなっちゃう、すてきなおうた、で。
「……ん。ふふ、エルトリスちゃんにはちょっと退屈だったかしら?」
「あ……ふ、そ、そんなこと、ないよ」
「良いの、良いの。心を落ち着かせる歌だもの、今のは」
うつらうつらしてるのを、みられちゃって。
あたしが顔を熱くしちゃうのをみれば、クラリッサさんは、おかしそうにわらいながら、頭をなでて、くれた。
たったそれだけで、あたしはふにゃり、と頬を緩めて、しまって……くぁ、と。
ちいさく、ちいさく、あくびをしてしまう。
『ふむ、ではそろそろお昼寝の時間かの。よし、ここは私が一つ、絵本でも読んでやろう』
「あ、絵本っ。それはとっても素敵だわっ」
「アリスは絵本が本当に好きだものな、ふふ」
「ほら、エルトリス。ルシエラさんが絵本を読んでくれるみたいですよ」
「……ん、ゅ」
お母さんにそういわれると、あたしは目をごしごししながら……ふら、ふらと。
ゆっくりとお母さんのひざのうえから、たちあがって、ルシエラさんの近くにいって。
すでに、ちかくにすわっていたアリスお姉ちゃんに、まるでぬいぐるみにそうするみたいに、ぎゅうっと抱っこされてしまえば、心地よさに、目をほそめた。
「エルちゃんは、特等席、ね♥」
「あふ……ん、ありがと、アリスおねえたん」
ちょっと眠気で、ろれつがまわらないけれど。
あたしのことばに、アリスお姉ちゃんは、嬉しそうに笑みをこぼして……そんな、あたしたちをみながら、ルシエラさんは、手にしていた絵本を開いて――……
――ルシエラさんの読んでくれた、えほんは、聞いたこともないような、お話だった。
おおきなおおきな、力だけのかいぶつが、ある日なかよくあそんでいるひとたちをみて、ふとこう思った。
わたしも、あそびたい。わたしも、あんなかおをしてみたい。
だから、かいぶつは、そのおおきなからだを、すてた。
だから、かいぶつは、そのするどいつめときばを、ひきぬいた。
だから、かいぶつは、そのしっぽを、ひきちぎった。
そうしてかいぶつは、ちいさく、ちいさく、かわいく、かわいく。
なかよくあそんでいた、ひとたちと、いっしょにあそべるようになるために……ずっと、ずっと、よわく、よわくなりつづけて。
そうして、かわいい女の子になったかいぶつは、えがおで、おともだちをつくりにいった。
女の子のすがたはかわいくて、いかにもよわそうだったから、出会ったひとは、かいぶつとあそぼうとした……の、だけれど。
……でもかいぶつは、ひととどうやってあそぶのかを、しらなかった。
どうやればあいてがよろこぶのか、どうやればなかよくあそべるのか、そんなこと、何もしらなくて。
だから、かいぶつはせっかくかわいい、ちいさな女の子になったのに、ともだちはできなかった。
かいぶつはそれでも、えがおをくずさない。
かいぶつは、ひとと接しながら、どうすればなかよくなれるのか、どうすればいっしょにあそべるのか、いっしょうけんめい勉強して――そうして、いつしかかいぶつの、女の子のまわりには、たくさんのおともだちができて。
そうして、かいぶつの女の子は、しあわせに、しあわせにすごしましたとさ。
めでたし、めでたし。
「……ん、ぁ」
「あ……起きちゃったのね、エルちゃん」
――いつのまに、ねちゃってたんだろう。
ぼんやりと目をひらくと、めのまえには、アリスおねえちゃんのかおが、あって。
周りをみれば、アミラおねえちゃんも、お母さんたちも、みんな……あたたかな花園のなかで、すぅ、すぅ、とお昼寝を、してて。
あたしは、くあ、とあくびをしながら……うれしそうに笑みをうかべている、アリスおねえちゃんと、しせんを、合わせた。
「エルちゃんは、ピクニックは楽しかった?」
「ん、ゅ……うん、あたち、おねえたんと、こうしてるの、好き」
「……♥」
まだねむくて、ろれつが回らない口で、そういうと。
アリスおねえちゃんは、しあわせそうに、えみをこぼして……あたしのあたまを、やさしく、やさしくなでて、くれて。
――ただ。
「……ね、ぇ。アリス、おねえたん」
「ん、どうかしたのかしら、エルちゃん♪」
なんで、だろう。
あたしには、なんでかわからない、けれど。
「なんで、さみしそうな、おかお、してるの?」
その顔が、何だかひどく、さびしそうな顔に、みえた。
アリスおねえちゃんの顔は、表情は、かわらない。
やさしくて、やわらかくて、あたたかな、あたしの大好きな、アリスおねえちゃんの笑顔の、まま。
「ううん、寂しくなんて無いわ。だって、こうして皆、一緒なんだもの」
そういって、あたしの言葉を、ちがうよって、ひていする。
そう、なのかな。
ほんとうに、さびしくないの、かな。
……ああ、なんだか、あたしも、そういうのがあった、気がする。
むかし、むかし――ずっと、むかし。
あたしが、あの子に出会うまで……たのしい時も、きっとあったけど。
ルシエラさんと会って、それからさわがしくて、たのしい日はおおく、なったけど。
でも、ずっとあたしは、さびしかったような、きがする。
あの子にであって、いっぱいあそんで、それで、さびしさはうまった、けど。
そのあと、あたしはリリエルお母さんと、アミラお姉ちゃん……ううん、ほかにも、いっぱい、いっぱい。
いろんな、ひとにあって……さびしさなんて、わすれちゃった、きがする。
それはきっと、あたしが、よわくなったから。
それはきっと、あたしが、みんなにちかづいたから――だから、同じ人がいっぱいで、さびしく、なくなったんだ。
――でも、アリスおねえちゃん、は?
アリスおねえちゃんと、同じ人は、どれくらいいるんだろう。
「……エルちゃん?」
そうおもってしまうと、なんだかとてもさみしくなって。
あたしは、ちいちゃな手を、アリスお姉ちゃんのほおに、そっとふれた。
アリスお姉ちゃんはきょとんとしたかおを、しながら……
「――あたし、は」
……まだ、あたまは夢うつつ。
さっきから、あたしはへんなこと、ばっかり考えてる気がする。
あたしは、仲良しの町でくらしてる、おかあさんの子供の、アリスお姉ちゃんのいもうとの、えるとりす、なのに。
なのに、しらないあたしが、こうしたいって、いってるんだ。
「あたしは、アリスおねえたんの、おともだちだよ」
「――……」
アリスおねえちゃんの、表情が、かわる。
笑顔から、なにもかんがえていない、みたいな……ひょうじょうのない、顔になる。
なにか、おこらせるような事を、言ってしまったのかも、しれない。
でも、ふしぎとこわくはなかった。
だって……ああ、だって。
あたしは、おれは、俺は。
こいつの寂しさを、埋めてやりたいと、そう思ってしまったから。
「……エルちゃんは、私のお友達?」
「うん。アリスちゃんは、私のお友達だよ」
ぐにゃり、と――アリスの膝の上で横たえていた、俺の身体が、変わる。
ただでさえ、アリスの妹とされて小さくなっていたからだが――もっと、もっと、ちいちゃく、なっちゃう。
おてて、なんもにぎれなく、なて。
ありす、おねたん、が、おおきく、なて。
「私は、エルちゃんを簡単に、こんな風にできちゃうのに。このまま、私の中にいれちゃったりも出来るのよ?」
「――あ、ぅ……だ、ぁ」
こえ、でない、けど。
で、も……あた、ち、こくん、って、して。
あたま、どんどん、だめ、なて、って――これ、あか、たんに、なっちゃ……
――途端に、辿々しくなっていた思考が、戻ってくる。
小さく、小さくされてしまった身体は、まだ、そのままだったけれど。
でも――そんな状態でも尚、恐怖を浮かべなかったから、なのか。
アリスは、俺の顔をじいっと、観察するように見つめながら――笑みを零せば。
「……嬉しいわ、嬉しいわ……っ、いっぱいお友達は居るけれど、誰かからお友達になろうなんて言われたのは、初めてよ――♥」
「あ、ぶ……っ、ん、む――ふ、うぅ……っ!」
そのまま、アリスは――眠っているリリエル達に気遣うことも無く、大きな声で、心底嬉しそうな声をあげて、小さな、小さな俺を抱きしめた。
柔らかくて、ふわりと甘く香るアリスに包まれるようにされながら、俺は心地よさに、目を細める。
……正直、ちょっぴり苦しいとも思ったけれど。
でも、何だか妙に以前の俺に近しいような気がしてしまうアリスが本当に喜んでいるのを見れば、つい、俺も嬉しくなってしまった。
「ねえねえ、エルちゃんっ♥」
「ん、ぁ……ぅ?」
「ふふ、大丈夫よ♪ちゃんと考えてる事とか、ぜーんぶ判るものっ」
言葉が口にできない事をもどかしく思いつつも、アリスにはそんな事など何の問題もないのだろう。
嬉しそうに、外見相応の――でも以前から幾度となく見せていた笑みとは違う、自然な笑みを見せながら、アリスはふわり、と俺を包み込んだまま。
「エルちゃんがやりたい事があるのは判ったわ。でもその、ちょっとだけ、私もしてみたい事があるの」
アリスらしからぬ。
俺にそんな事をしても嫌われないだろうか、大丈夫だろうか、なんて。
そんなちょっとだけ不安げな声を漏らしながら……口にせずとも、俺の許可を求めてきた。
――まあ、今のアリスならそんな悪い事にはならないだろう、なんて考えて。
「……♥よかった、よかった……それじゃあ、エルちゃんっ♥」
「――え、あ」
その瞬間、体の感覚が一気に戻ってくる。
まるで力の入らなかった手足も、言葉を発することさえ出来なかった口も、全部――元通りになれば、俺はきょとんとしてしまって。
ちょっとだけ恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうにしているアリスと視線を合わせれば――
「アリスちゃん、私とどうしたいのかしら……っ?」
――口からこぼれた声に、俺はドキッとしてしまった。
その声は、俺の声ではなかった。
ついさっきからずっと聞いている、俺から友だちになろうと呼びかけた相手の、そんな声。
「えへへ……その、いきなり本番は恥ずかしいから、練習しようかなって♥エルちゃんのお顔としたら、恥ずかしくて嬉しくて、倒れちゃいそうだものっ」
「え、私……もしかして、アリスちゃんに、なって……っ?」
「ええっ♥ふふ、こうしてると鏡を見ているみたいだけれど――それじゃあ、エルちゃんっ」
頭の中は、変わらず俺のままなのに。
声も、きっと姿かたちもアリスそっくりに、アリスそのものにされてしまえば。
俺は目の前の少女になってしまっている、という奇妙な――倒錯した感情に、顔を熱くしつつ。
そんな俺に笑みを零しながら、アリスはゆっくりと顔を近づけて……
……ちゅっ、と。
俺とアリスは、触れ合うだけの、しかしたっぷりと親愛を込めたキスを、交わした。
「えへへっ、うふふっ♪仲のいい人とはキスをするのよね♥嬉しいわ、嬉しいわっ」
無邪気に笑みを零すアリスに、俺は顔を熱く、熱くしつつ。
目の前の無邪気で愛らしい――寂しがりな女の子に、俺は今なってしまっているのかと思うと、どうにも、こう、妙な感情が浮かび上がってしまい。
「……そう言えばアリスちゃん、その」
「あら、どうしたのエルちゃん?」
「どうして、私はそのままなのかしらっ?」
これなら、中身までアリスに染められたほうがまだ、恥ずかしくなかったのでは、と思ったものの。
そんな俺の言葉に、アリスは少しだけきょとんとしつつ、笑みを零せば。
「――大事なエルちゃんに、そんな事するわけないじゃない♥」
……その純粋な、純粋過ぎる好意に、思わずまた、ドキッと胸を高鳴らせてしまった。




