25.たったひとつのやさしいやりかた②
「――起き――い、起きな――、――リス――」
――深く、深く沈み込んだ意識の中。
優しい声色に、意識が少しずつ、少しずつ浮かび上がってくる。
真綿に包まれたままのような、そんな意識の中。
まだ重たい瞼を開けば、目の前には知らない天井があった。
淡いピンク色の可愛らしい壁紙に、外から差し込んでくる暖かな日差し。
「……ふ、ぁ……っ」
「やっと起きましたか。全く、お寝坊さんですね、エルトリスは」
「ん……むにゃ……。おはよう……」
まだ気怠さに包まれている身体を起こしながら、大きくあくびをすれば。
俺の隣に立っていた、大好きなお母さんの優しい声に、俺は目をこすりながらそう口にして、ベッドからゆっくりと降りた。
そのままだと足が付かないから、ゆっくり、慎重に。
この間は寝ぼけてうっかり転がり落ちて、お姉ちゃんたちを起こしちゃったりしたし。
「ん……しょっ、と」
「気を付けてくださいね。もうお姉ちゃん達は起きていますよ」
「あれ、今日は何か有ったっけ?」
床に降りれば、ぼんやりとした頭を軽く捻りながら、考える。
……何だったっけ。
どうにも、まだ起きたばっかりだからか、昨日の夜に何をしていたのかも、思い出せない。
そんな俺を見ながら、お母さんは少し可笑しそうに笑みを零すと、ぽんぽん、と頭をなでてくれて――
「ん……♥」
「今日は、ルシエラさんやワタツミさん、それにクラリッサさんと一緒にピクニックに行く日でしょう。昨日の夜は、楽しみだ楽しみだって言ってたでしょうに」
「……あ、そうだっけ」
――撫でられる感触が心地よくて、目を細めながら。
お母さんの言葉に、そういえばそうだった、と、ふわっと頭の中に、昨晩の記憶が蘇ってきた。
お姉ちゃんたちと、今日のピクニックが楽しみだねって一杯お話して、お話して。
お休みなさい、って言ったあとも、興奮して眠れなくて……うう、だからこんなに眠たいのか。
「ほら、顔を洗ってきなさい。もう少ししたら朝ごはんにしますから」
「ふあぁ……っ、はぁい、おかあさん」
お母さんの言葉に促されるように、俺はとことこと歩き出す。
まだちょっと眠たくてふらつくけれど、まあ流石に転ぶほどでもなく。
ドアノブには手が届かないから、いつもみたいにお母さんに開けてもらって、俺はそのまま井戸の方へと向かった。
「――ん、おはようエルトリス。お寝坊さんだな」
「おはよう、エルちゃん♥」
「おはよ、アミラお姉ちゃん、アリスお姉ちゃん……あふ……っ」
井戸の前には、もう顔を洗い終えたのだろう。
水をくんだ桶の前で、さっぱりとした顔をしているお姉ちゃん達に軽く挨拶しながら、俺も桶の前に立てば、手のひらで軽く水を掬って――
「――ぷ、ぁ……つ、つめたい……っ」
「冷たいのは苦手だものな、エルトリスは」
「ほら、お顔きれいきれいしましょうね、エルちゃんっ」
「ん、ゅ……っ」
――顔に浴びせたその水の冷たさに、声を漏らしつつ。
お姉ちゃんたちに優しく、柔らかな布地で顔を拭われれば、心地よくて。
はふ、と小さく息を漏らしながら、心地よさに体の力を抜くと……ぽふん、と俺の身体をお姉ちゃん達が、抱きとめてくれた。
見上げれば、お姉ちゃんたちは俺を見て、微笑ましげな表情を浮かべていて。
「ふふ、抱っこしてやろうか?」
「……っ、い、いいっ!一人で、あるけるもん!」
「そうよね、エルちゃんはもう一人でちゃんと歩けるものね♥」
アミラお姉ちゃんに、そうやってからかわれてしまえば、かあっと顔を熱くしてしまう。
確かに、ちょっと前まではアミラお姉ちゃんに抱っこしてもらったりもしてたけど、もうちゃんと歩けるんだから、そんな事してもらう必要は、ないのに。
俺よりも頭一つ、二つは背の高い二人から冗談交じりにからかわれつつ、撫でられつつ。
抱っこの代わりに、とでも言うかのように、俺の両手を左右からきゅっと握られれば、俺よりもずっと大きなその手を握り返して、ふにゃり、と笑みを零してしまった。
「さ、ご飯を食べたらピクニックの準備だな」
「そうね、さあ行きましょう、エルちゃん」
「う、うんっ」
そのままお姉ちゃんたちと一緒に歩くけれど、二人の歩幅にあわせるようにすると、どうしても早歩きになってしまって。
その度に、胸もだぷんっ、だぷんっ、って揺れちゃうから、どうにもバランスが取りづらくて、歩き方がたどたどしくなって、しまう。
二人もそんな俺に気づいたのか、くす、と優しく笑みを零すと、少しだけ歩くのをゆっくりにしてくれて。
それでもまだちょっと歩きづらかったけれど、何とか食卓まで辿り着けば、俺は小さく息を漏らしながら、香ってくる美味しそうな香りに目を細めた。
ぐうぅ、とお腹がなると、それに気づいたんだろう。
お母さんが俺の所に来れば、ひょいっと抱き上げてくれて……そのまま、椅子に座らせてくれた。
俺はまだまだ小さいから、椅子もそういう子用のだったけれど、お姉ちゃんたちはお母さんとおんなじ椅子で、ちょっとうらやましい。
「それでは、いただきましょう」
「いただきます」
「いただきます♥」
「ん、いただきますっ」
ともあれ、お母さんが手を合わせるのに合わせて、俺達も目の前の食事に手を付けていく。
相変わらず、お母さんのご飯はおいしくて、おいしくて。
食べてる内に、ついつい夢中になってしまって、周りが見えなくなってしまいそうになる。
「ほら、エルトリス」
「ん、ぅ?」
「口元が汚れていますよ。お外では、気を付けましょうね」
「……んっ。ふぁ、い」
お母さんに口元を拭われながら。
いつのまにか、俺の口元はご飯やら飲み物やらで汚れていて、ちょっと恥ずかしくなってしまった。
顔を熱くしながら返事をすれば、お母さんは優しく笑みを零しながら――そのまま、お洋服にも落ちていた食べ物を拭って、くれて。
流石に恥ずかしかったので、それからは気を付けながら食べ物を口にしつつ。
お姉ちゃんやお母さんから、大分遅れながら食事を終えれば、俺はお姉ちゃん達と一緒にピクニックの準備をし始めた。
お弁当はお母さんが作ってくれるけれど、持っていく荷物は自分たちでちゃんと用意しなければならない。
俺は取り敢えず、お気に入りのお人形を詰めたり、お姉ちゃんたちが用意したおやつから好きなのを選んだり、しつつ――
「ふふ、エルちゃんはお人形さんが大好きなのね♥」
「うんっ。ふわふわしてて、きもちよくて、好きだよっ」
――何か、暖かな視線を向けてきたアリスお姉ちゃんに、そう応えながら。
俺は、荷物の中に詰めたお人形を取り出せば、ぎゅうっと胸元で抱きかかえてみせた。
……あれ、何でかわからないけど、前よりもお人形が大きな気がする。
お人形が大きくなるわけもないし、俺がちっちゃくなったわけでもない、のに。
「私も、エルちゃんが大好きよっ♥」
「わ、ぷ……ん……っ。わたしも、アリスお姉ちゃん達のこと、大好きっ」
そんな俺を、アリスお姉ちゃんはぎゅうっと抱きしめてきて――胸元に顔を埋めさせられながら。
甘い香りに目を細めつつ、俺も笑みを零し。
「ふふっ、私も二人共大好きだぞっ」
「きゃ、もうっ♥」
そんな俺達をまとめて、アミラお姉ちゃんがぎゅうっとすると、心地よくて、幸せで。
二人に包まれるように抱きしめられながら、ピクニックの準備を終えた俺達は、ルシエラ達が来るのを今か今かと、待ち続けた。




