22.片翼の小鳥はかく囀り①
翌日。
俺達は軽く朝食をとった後、本来リリエルと合流した後に向かう筈だった場所へと、足を向けていた。
向かう先は、クラリッサと思われる相手が居る場所。
「……は、ぁ」
『何じゃ、緊張しておるのか?』
「ん……」
ルシエラのからかうような言葉に少し眉を顰めながら、しかし言葉を返す事が出来ない。
正直なところを言うならば、その場所に近づくことさえ、できる事なら避けたいと思ってしまっている。
緊張している、というよりは忌避感を覚えている、という方が近いだろう。
いつものように町を出れば、花畑の中にある看板の前まで辿り着き。
「まあ、今回の目的はまだ、アリスと対面する事では有りませんから」
「私が出来る限り、居ないかどうか探るようにはするが――期待は、しないでくれ」
「……うん、わかってるよ。有難うね、二人共」
リリエルとアミラの言葉に、小さく頷けば――この永遠のお茶会の中でまだ言っていない場所へと、歩き出した。
カラクリ世界でも、キノコの森でも、妖精の住処でも……ましてや、さっきまで俺達が居た家のある方角にある町でもない。
――アリスが間違いなく居るであろう、その場所。
アリスのお家、と記されている方角へと進んでいけば、周囲の景色は徐々に、徐々に変わっていく。
花畑に咲き乱れる花々は、より鮮やかに。
時折吹く柔らかな風は、暖かな日差しは、異様な程に心地よく。
地平線まで、見渡す限り――何も遮るものがない一面の花畑を歩いていると、心が勝手にふわふわしてしまって――……
「ふ、ぁ……っ」
『……嫌な空気じゃな、ここは。余りにも、平和が過ぎる』
「言い得て妙ですね。何というか、こう――警戒が、出来ないというか」
思わず欠伸を漏らしながら、ルシエラとリリエルの会話に耳を傾けつつ、ああ、と小さく頷いた。
警戒が、出来ない。
これから向かう先がどれだけ危険なのか、リスクがあるのか、行く前はあれだけ忌避感を抱いていた筈なのに、足を進める度に、勝手にそれが薄れていく。
単に穏やかな風景が続いているから、という訳でもないのかもしれない。
よくよく考えてみれば、この先は有る種、永遠のお茶会の中心部とも言える場所でもあるのだ。
「しかし、花が綺麗だな。こう、お昼寝をしたら気持ちよさそうだ」
『呑気な事言ってないで、ちゃんと周囲を見てなさい。アリスが見えたら、見つかる前に退くわよ』
「……わ、判っているとも。ただちょっと、そういうのもいいかなって」
――危ない。
アミラと、その言葉に呆れているワタツミの会話を聞きながら、かすかにそんな考えが首をもたげる。
もたげる、けれど――でも、それ以上に。
「うん、でもきっと、ここでピクニックをしたら楽しいわ――」
ああ、そんな風に出来たなら、きっと楽しいのだろう、なんて。
そんな穏やかで暖かな光景が、頭に浮かんで離れない。
でも、それよりも……そう、今回はクラリッサを迎えに来たのだ。
ピクニックだとか、そういうのは後回しでいいだろう。
クラリッサがどんな姿になってしまって居るのかは、想像に難くはないから、探すのもそう簡単ではないだろうけれど――
「――……♪……♪」
――そんな事を考えていると。
不意に、道の先……遠くに小さなお家が見える、その方角からきれいな、きれいな歌声が聞こえてきた。
それは、決して大きな音ではなかったけれど、不思議と俺達のところまで、響き渡ってくるようで。
俺達は軽く顔を見合わせれば、小さく頷いてからその歌声が聞こえてくる方へと足を進めていく。
「――♪」
少し進む度に、その歌声は次第にはっきりとしてきて……やがて、赤い屋根の可愛らしいお家の傍に立つ木の周りに、小鳥たちが集まっているのが見えてきた。
赤、青、黒、白。色とりどりの小鳥達は、歌声に聞き入っているのだろう、俺達が近寄っても逃げる様子もなく。
「……わ、ぁ」
――俺も、リリエルも、アミラも、そしてルシエラも、ワタツミも。
気づけば、その小鳥たちに交じるように、歌声に耳を傾けていた。
歌だとかそういう事に余り興味がない俺でも、その歌声が美しい事は……そして、それが凄いという事は、何となくだけど理解できる。
聞いているだけで、まるで友と二人で語らい、演奏しているかのような――そんな情景が浮かんでくる、そんな歌声。
それを、俺達は声をあげる事もなく、その歌声の主に声をかける事も忘れて、ただただ聞き入って――……
「――……ん。ご清聴、感謝するわ」
……そうして、歌が終われば。
自然と、意識さえすること無く、俺達はパチパチと手を叩いていた。
小鳥たちも、歌っていたその色鮮やかな翼をもった鳥を称賛するように、ピィピィと声をあげて。
そんな俺達に、その色鮮やかな鳥は――表情はよく判らなかったけれど、笑みを零すようにすれば、小さく息を漏らした。
「さて、と……いつかは来ると思っていたわ、エルトリス」
「……クラリッサお姉ちゃん、だよね」
当然のように。
何の動揺もなくそう口にした色鮮やかな鳥に、俺がそう問いかければ、鳥はその小さな頭をカクン、と縦に揺らして。
「ええ。もうとっくに諦めたものだと思っていたけれど……流石、アルケミラ様が求めた人間と言った所かしら」
色鮮やかな鳥……クラリッサは、クク、と軽く喉を鳴らすようにそう言えば、色鮮やかな翼を軽く動かしてみせた。
その姿は、妖精という小さな存在に変えられてしまったアミラよりも、遥かに酷い。
アミラはまだ人の形を、元の姿を保ってはいたけれど……クラリッサは最早、元の面影など殆ど残っていなかった。
唯一残っている部分といえば、鳥という部分とその歌声くらいで、後はもうただの鳥でしか無いその姿。
しかし、クラリッサはその姿を嘆くこともなければ、悔やんでいる様子もなく。
「……甚だ不本意だが、私達はお前に助けられたんだ。いくぞ、一緒にここから出よう」
アミラがそう言葉にすれば、クラリッサはきょとん、としたような様子で目を丸くして――くす、と。
鳥の姿だと言うのに、まるで人のように笑い出した。
「ふふ、ふ……そう、そうね。貴女達はまだ、よく知らないんだものね」
「クラリッサ、お姉ちゃん?」
「……私から言えるのは一つだけよ、エルトリスちゃん」
俺のことをそう呼ぶ声には、嘲る様子はまるで無い。
だからかもしれないけれど、ちゃん、と呼ばれても、俺は違和感さえ覚える事はなく。
寧ろ、慈悲や慈愛といった優しさに満ちた、そんな声をクラリッサはその嘴から紡ぎ出し。
「諦めなさい。ここから出る事は、出来ないわ」
――そしてクラリッサは、そんな諦めを口にした。




