8.インターミッション
『――ふぅ、いい湯じゃった』
ギルドにランダルフの首を持ち込んだ後。
無事に無一文から小金持ちまで戻った俺たちは、宿に戻ってのんびりと過ごしていた。
ルシエラと言えば、人の姿をとったまま剣の癖に浴場に小一時間程浸かっていたらしく、軽く湯気を立てながら部屋に戻れば俺が腰掛けて居たベッドに倒れ込んで――
『ほーれ、いつまで拗ねとるんじゃエルちゃんは』
「別にそういうんじゃねぇよ、抱きつくな」
――そのまま俺を抱えるようにしつつ、ごろんと身体を横たえた。
剣のくせに柔らかくていい香りがするのが、無性に腹立たしい。
背中にしっかりと押し当てられた膨らみの感触も、以前の俺なら多少は喜びはしただろうが……今の俺には、少々大きすぎるというか。
「本当に仲が宜しいのですね、お二方は」
『まー文字通り一蓮托生、運命共同体だからのう』
「仕方なくって奴だ、仕方なく……こら、やめろって言ってんだろ」
むにゅり、と身体が軽く沈むくらいに抱き寄せられれば、俺は思い切りルシエラの腕を抓った。
……いくら何でも、こっちを圧倒してくる胸っていうのは流石に問題だろう、色んな意味で。
思い切り腕を抓りあげてもびくともしないというか、痛みを感じているかも怪しいルシエラは俺の抵抗をケラケラと笑いながら受けていた、が。
ふと何かを思いついたかのような、そんな嫌な顔をすれば、俺を抱えたまま体を起こし。
『――そうじゃ、折角じゃから二人で浴場に行ってきてはどうじゃ?』
「私と、エルトリス様がですか?」
『うむ、裸の付き合いという言葉もあるじゃろう』
俺の意見など、何一つ聞くことも無くそんな事をのたまい出した。
「おい、待てルシエラ。俺の意思は」
『だってお前さんは私と入るの嫌がるじゃろ』
「それはお前が一緒に入る度に変なことをしようとするからだろ……」
……そう、それはもう変なことを。
全身くまなく洗うとか言ってアレコレするわ、湯船に一緒に入るとかいってアレコレするわ、コイツと一緒に湯浴みなんざしようものなら湯浴みする前より疲弊する事間違いないのだ。
何度言っても止めないから、俺はちょっと前から1人で湯浴みをするようになったんだが――
『ほれ、しのごの言わずに行ってこい。リリエル、ちゃんと綺麗にしてやるのじゃぞ』
「ちょ、お前――っ」
「――っと。畏まりました、そういう教育も受けておりますので、お任せ下さい」
ぽーい、とルシエラに軽く投げられた俺の身体をリリエルは軽くキャッチしてみせつつ、そう言って指を立てる。
腕から降りようとしても、全然びくともしない……細っこい身体してるくせに、意外と力強いなこいつ!?
「おいコラ、勝手に話を進めんな!」
『どーせエルちゃんは身体とか適当に洗っとるじゃろ?リリエルに教えてもらうと良い』
「お任せ下さい。では行きましょう、エルトリス様」
「ぬ、が……は、離せっ」
違う、そうだった!ルシエラと離れてるからか――!!
久方ぶり過ぎて、すっかり今の俺単独での力の事を忘れてた!
というかルシエラのやつ、俺への力の供給をすっぱり断ってやがる!?
「ご安心下さい、丁寧に洗わせて頂きますので」
「ん……ぐ……」
……こうなってしまったら、仕方ない。
ルシエラも呼べばまあ来るだろうし、俺に何か有ればルシエラも死ぬ事くらいは解ってる筈だ。
何より、リリエルはまあルシエラみたいにアレコレはしてこないだろう。
「……してこないよな?」
「何がでしょうか?」
きょとん、と無表情のまま首を傾げるリリエルを見て、まあ大丈夫だろうと諦めをつければ、俺は大人しくリリエルと一緒に浴場へと向かう事にした。
まあ、多少なりと身体の汚れが気になりはしていたし、丁度いい。
元の俺の時だって身体を誰かに洗わせるなんて事くらいはやった事があるし、特に何か問題が起きる事もないだろうさ、きっと。
そんなこんなで互いに服を脱いだ後。
浴場に行けば、幸いというべきか――いや、男としては残念と思うべきなのか――そこには他に誰も居らず。
俺は安心半分、残念半分といった感じで湯船の傍に腰掛けた。
「あー、ルシエラはああ言ってたがテメェは自由にしてていいからな、リリエル」
「いえ、そういう訳には」
「良いから。ったく、ルシエラの奴も何考えてるんだか」
全く、本当にルシエラはからかい半分愉悦半分で俺のことをガキ扱いしやがる。
元々の俺の姿を知ってる上でソレをやるんだから、本当にたちが悪い。
湯船の湯を汲めば、頭から思い切り浴びて、ぶるぶると頭を振る。
……一緒に揺れる、胸についた駄肉が鬱陶しくもあるが。まあ、ちょっとした戦いの後でこうして湯浴みをするのは、こんな身体だって気持ちいいもんだ。
顔に、体に張り付く髪を軽く手で退ければ、俺はそのまま湯船に入ろうとして――
「……お待ち下さい、エルトリス様」
「と、と……っ!?な、何だよリリエル」
――入ろうとして、その寸前でひょいっとリリエルに脇から抱え込まれた。
「流石に、その……それだけで済ませるのは、ちょっと」
「何だよ、ちゃんと体は流しただろ」
「……成程、ルシエラ様の言っていた事が解りました」
そんな訳のわからない事をのたまいつつ。
俺の言葉にため息を吐き出すと、リリエルはその細い太ももの上に俺を座らせた。
……一体何をするつもりだ、こいつ?
「良いですか、エルトリス様。折角綺麗な髪をしているのですから、あんな雑な事をしてはいけません」
「んだよ、別に俺は――」
「今日は私に任せて下さい。こういう事は、慣れていますので」
そう言って、リリエルは湯を汲むとゆっくりと俺の頭に浴びせかけて――手慣れた様子で、俺の髪を洗い始めた。
正直、俺は別に身なりはそこまで気にしてないからどうでも良いんだが……
……どうでも、良いんだが。
「ん……ぁ……」
「気持ちいいですか、エルトリス様」
「う……いや……べつに……」
リリエルの労るような手付きが、髪だけじゃなくて頭皮まで優しく洗われるのが、予想以上に心地よくて少し声が漏れてしまう。
ルシエラにされた時はただただ俺のことを辱めるような事ばっか考えたような感じの手付きだったけど、リリエルのそれは全然違った。
毛先まで優しく、丹念に。
特に下心も何もなく、奉仕――というのは少し違うような。
「――……♪」
「あふぅ……」
……気付けば俺は、リリエルの膝の上で完全に身体を弛緩させていた。
ルシエラの洗い方と比べたら雲泥の差だ。これならまあ、確かにリリエルに洗うのを任せるのも悪くない。
やがて、リリエルの手は俺の身体の方にも伸びてくる。
少しくすぐったくはあったが、相変わらずリリエルの手は優しく、心地よくて。
「ん……っ」
「擽ったかったでしょうか?」
「あ……いや、だいじょぶ、だ」
思わず漏れた声に、少しだけ恥ずかしくなりつつも。
結局、頭から爪先まで俺はリリエルに洗われてしまった。
……これじゃあまるで、本当にガキみたいだけど。心地いいものは心地よかったんだから、仕方がない。
最後にもう一度湯を浴びせられると、これで大体が済んだのだろう。
リリエルは俺を湯船に入れると、そのまま今度はリリエル自身の身体を洗い始めた。
「んあー……まあ、ありがとうな」
「どういたしまして。エルトリス様が喜んでくれたのならば、何よりです」
湯船に身体を浸し、くたりとしながら一応、本当に一応だけれどリリエルに礼を言っておく。
こういう洗い方が出来る奴からすれば、そりゃあまあ俺の洗い方だと文句の一つも言いたくなるんだろうな、なんて納得してしまった。
リリエルは自分の体を洗うのも変わらず丁寧で、俺はリリエルをぼんやりと眺めつつ湯船の淵に顎を乗せる。
色白な肌、ルシエラとは違って細身の身体。
薄っすら――という訳じゃあないけれど、ルシエラと比べればやや薄い胸。
いわゆるスレンダー、って奴だろうか。ルシエラとは正反対だけど、リリエルも十二分に綺麗な部類に入るんだろうな。
目の保養、目の保養。
「――それでは、隣を失礼します」
「あー、遠慮すんな。好きに入っとけ」
俺の隣にちゃぷん、と入ってきたリリエルにそう言いつつ、小さく息を漏らす。
……入るまではまあ、あんな無様なのを見たせいでちょっと落胆していたけれど。
こうして湯船に浸かってのんびりしていたら、俺はもうランダルフの顔もぼんやりとしか思い出せないくらい、どうでも良いと思えるようになっていた。
ぷかぷかと眼前に浮かぶ、胸についた駄肉も今だけは気にならない。
普段は重いし、動きは制限されるし、本当に良いことのない駄肉だけれどまあ、こうして湯船に浮いてる間は関係ないしな。
「……」
「んぁ?どうした、リリエル」
……ふと、視線を感じて顔を向ければ。
そんな駄肉を、リリエルは食い入るように見つめていた。
ぷかぷかと浮かぶ駄肉と自身の胸を見比べてから、どこか納得がいかないと言った様子で俺の方に視線を向ける。
「――これが、格差なのでしょうか」
そんな事を呟きながら、リリエルは小さく息を漏らすと口を閉じた。
……そんなに良いものじゃないんだけどなぁ、これ。
基本ルシエラの弄りの対象だし、邪魔でしか無いからあげられるならリリエルに譲りたいくらいなのに。
無表情ながらに僅かに悔しがっているリリエルの様子に苦笑しつつ……ふと、思い出した。
そう言えば、まだ聞いてなかったな。
「そう言えば、リリエル」
「何でしょうか?」
「お前のやりたい事って、何なんだ」
リリエルが俺たちに買われた時に言っていた、あの言葉。
為さなければならない事。俺たちが邪魔をするのであれば、俺たちを殺してでも為そうとする、それの事を俺はまだ知らない。
まあ、十中八九俺と同じく復讐だろうが。それでも、絶対的な強者に牙を向けられる程の動機を俺は知りたかった。
リリエルは無表情なまま視線を落とす。
……話したくない、というのであれば強制するつもりもない。
ただ、コイツは俺が手伝う可能性を示唆した時に驚いていたようだったから、そんな訳でもないのだろう。
「――復讐、です」
そうしてしばらくの静寂の後、リリエルは少しずつ、それについて話し始めた。
家族が目の前で皆殺しにされた事。
それを前にして、自分が何も出来なかった事。
そして――……
「化け物?」
「はい。今でも克明に覚えています」
……リリエルの大事だったものを奪い、リリエルを地獄の底に突き落としたという、その化け物の事を。
最初は比喩的な意味かと思っていたが、どうやらそれとは違うらしく、リリエルの語る化け物の姿は文字通りのソレのようだった。
カエルのような顔。
コウモリのような翼。
細く長い手足を品のいいスーツで包んだそれは、人では有り得ない異形の姿で。
「――へぇ、そんな奴が居るのか」
「はい。恐らく……いえ、間違いなく魔族でしょう」
「マゾク?」
聞き慣れない言葉に俺が問い返せば、リリエルは小さく頷いた。
「魔王の眷属、魔族。上位の者は魔将と呼ばれるそうですが――」
「――ぶ、ふっ!?」
……そして、次いで出た言葉に思い切り噎せてしまう。
魔王?今、リリエルは魔王って言ったのか?
「――どうかなさいましたか、エルトリス様?」
「ごほっ、けほ……っ、い、いや、何でもない。つまり、そういうのが居るんだな」
おかしい。有り得ない、絶対におかしい。
魔王だって?俺が元の姿だった時にはそんな化け物みたいな奴なんて居なかった。
そもそも魔族ってなんだ、魔国ならまあ分かるが。魔将ってのも訳が判らない。
大体、俺がここに居るのに魔王ってどういう事だ――!?
「……いや、考えても仕方ねぇか」
「何か、私がおかしな事でも……?」
「ああいや、悪い、そうじゃない。寧ろ良いことを聞かせてくれたな、有難うよリリエル」
兎も角、一つ指針が出来た。
居るはずのない魔王、知らない魔族……それに、あの女が関わってない訳がない。
なら、これから俺たちがすべき事は――……
『おい、エル。聞こえるか?』
「……って、何だルシエラ。折角いい感じに考えが纏まってたってのに」
……そこまで考えた所で、不意に部屋にいるであろうルシエラの声が頭に響いた。
魂で繋がってるのだから、そういう事も当然出来るんだが……そういやリリエルにはそういうのは教えてなかったからか、突然俺がいもしないルシエラと喋り始めて小首を傾げていて。
『お客さんじゃ。部屋に戻ってこい、面白い話が聞けるぞ』
「客だぁ?何だそりゃ」
「……エルトリス様?」
ルシエラの言葉に首をひねりつつ、とうとう心配そうな視線を俺に向けてきたリリエルを見れば、俺は小さくため息を漏らした。
……頼むからそんな目で俺を見ないでくれ。
別に頭がおかしくなったとか、そういうのじゃないんだから。
ともあれ、ルシエラが呼んでるからには仕方がない。
リリエルにも事情を話して、心地よかった時間を終える事にしよう――




