21.約束を、交わし合って
「……は、ふ。ただいまー」
『全く、疲れたのう……』
何とか動ける程度まで回復した俺達は、アヌーラをあの家に放置したまま家路についていた。
家にたどり着けば、俺もルシエラも口から疲れを吐き出すように、そんな言葉を口にしながら椅子に腰掛けて。
「協力、有難うございました」
「気にするな、仲間だろうに。しかし、これで後はあの鳥……いや、クラリッサだけか」
心からの感謝を口にするリリエルに、アミラは軽くそう返しながら……あと一人、この場に居ないあいつの名前を口にした。
クラリッサ。
アリスと遭遇した時に、理由こそ自分の主への忠誠だったものの、俺達を助けようとしてくれた魔族。
仲間かどうか、といわれればきっと違う……利害だけの関係では有るのだろうけれど、助けようとしてくれたその行動には報いるべきだろう。
『その後もあのアリスをどうするのかが残ってるわ。正直、気が滅入りそう』
『……正直、私達はまだ奴の事をろくに知らんからの。そういう意味でも、クラリッサの知恵は必要じゃ』
「そう、だね」
――そして、何よりルシエラの言葉通り、魔族の持つ情報という物が、今の俺達には何よりも必要だった。
アリスは今まで相手にしてきた魔族達のように判りやすい相手ではない。
その能力も、力の程も、俺達はまるで把握すら出来ていないのだ。
今までアリスと遭遇したのは2回。
その2回とも、俺達は何一つアリスに抵抗する事も出来ないままで――判っているのは、ただただその存在が理不尽であるという事だけ。
「とにかく、明日はクラリッサお姉ちゃんを助けにいきましょ。アリスちゃんの事は、それからで良いわっ」
『そうね、何をするにしても情報が足りなすぎるわ。ね、リリエル』
「……」
『……リリエル?』
ワタツミの言葉に、リリエルは反応を返す事もなく、ぼんやりと……何か、考え事でもしているかのように、視線を宙に彷徨わせていて。
リリエルとしてはとても珍しい、そんな隙だらけな姿に俺もアミラも、ルシエラも――ワタツミまでもが顔を見合わせながら、首をひねる。
「……リリエルお姉ちゃん、大丈夫?」
「え……あ、も、申し訳有りません。何か、有りましたか?」
『――ふむ、疲れておるようだの。先に休んでおれ、リリエル。ベッドは好きなのを使って構わん』
俺からも声をかければ、そこでようやく気づいたのか。
ハッとした様子で、いつものように応えようとするリリエルを見れば、ルシエラは少し苦笑しながら、そう促した。
「いえ、しかし――」
「気にするな、どうせ今日はもう何処に行くわけでもないさ」
『そうよ、貴女がその調子だと私が困るわ。私の主なんだから、ちゃんと休んでしゃんとなさいな』
ワタツミはそう言いながら、人の姿になれば。
その小さな手でリリエルの手を引いて、ベッドのある部屋の方へとリリエルを引っ張り込んで――
「ぁ――」
「……?」
――リリエルが、部屋に入る刹那。
俺の方を見て、何かを伝えようとしていたかのように見えたけれど――それが何なのかを理解するよりも早く、扉は閉じてしまい。
一体何だったのか、と思いつつも。
俺はその後軽く食事を取れば、明日に向けてしっかりと休もうと、早めにベッドの中に潜り込んだ。
「――様――……リス様」
「……ん、ゅ」
――俺がベッドで眠りについて、しばらく後。
多分熟睡していたんだろう、まだずっしりと重たく沈んでいる意識をゆっくりと浮かび上がらせながら、目を開けば……目の前には、リリエルの顔があった。
俺が目を覚ませば、リリエルは淡く笑みを浮かべながら、周囲を軽く見回して。
『……すぅ……ん……』
「……失礼しますね、エルトリス様」
「え……あ」
ルシエラがすやすやと安らかに寝息を立てているのを見れば、リリエルは小さな声で断りを入れてから、ひょいっと、俺の身体を軽く抱き上げた。
まだ寝ぼけているからだろう、力のあまり入らない手足をリリエルは優しく支えるように、包むようにしながら静かに、静かに部屋を出る。
「ふぁ……っ、どうしたの……リリエル、お姉ちゃん……」
「少し、二人で話がしたく……外なら、大丈夫でしょうか」
欠伸混じりに出した言葉に、リリエルはそう返すと、俺を抱いたまま小屋の外へ。
夜風が冷たい……なんて事もなく、心地よい気温を保っている不思議な夜空の下、俺は花畑の前で降ろされると、丁度いい高さの石の上に腰掛けた。
リリエルには少々小さく低い石では有ったけれど、リリエルも俺に倣うように腰掛ければ、寄り添ってきて。
「――本当に、有難うございました。エルトリス様が居なければ、私はここまで辿り着けなかったと、思います」
――そして、そんな言葉を口にした。
家に戻った時とはまた違う、感謝と――それと、申し訳無さが入り混じったような声色。
リリエルは俺に寄り添うようにしつつ、視線を合わせるようにすれば、頭を下げる。
「ん……それは、前もいったでしょ?」
「判っています。エルトリス様は、邪魔にならない範囲であれば手伝ってくれる、と……そう、言ってたのは、判っているのです」
前にも言ったその言葉に、それでも、とリリエルは言葉を紡ぐ。
「――エルトリス様は、私を買い、自由を与え、そして私の復讐にも手を貸してくれました。ですが……私には、その恩義に報いるだけの力が、有りません」
「報いる……って」
「私は、エルトリス様に与えられてばかりです。買われた奴隷だと言うのに、私は未だにエルトリス様に、何も返せてはいない」
それは、リリエルとしてはとても珍しい――アヌーラに向けた激情とはまた違う、感情の発露だった。
自らの目的を果たしたことへの感謝と、それに対して何も返す事ができていないという罪悪感……いや、これは不義理への不満、なのだろうか。
「いいよ。だって、リリエルお姉ちゃんには料理とか作ってもらったり、色々してもらったでしょ?」
「……っ」
俺としては、そんな物は余り感じてほしくはなかった。
旨い料理を食わせてくれたし、竜車を扱ったり、戦いでだって時折手助けをしてくれた。
……それだけで、十分だって言うのに。
それでも、リリエルは納得できない、と言った様子で……まるで姿相応の、まだ若い女性のように頭を振れば。
「――ですから、私は約束したいのです。この世界に居る内に、エルトリス様と」
――約束をする、という事は。
この世界でそれをする、という事がどれだけ重いのか、リリエルは既に身にしみて理解している筈なのに。
無論、この世界を出たのならばきっと、多分……恐らくは、無効になるとは思うのだけれど、それだって確実じゃあないのに。
「待って、わたしは……リリエルお姉ちゃんを、そこまで縛るつもりなんて」
「いいえ、エルトリス様。これは私の身勝手です、ですからエルトリス様は気に病む必要など、ないのです」
でも、リリエルの意思は硬く、硬く。
ああ、そう言えばそういう所を買ってたんだな、と変な所で納得してしまえば――俺は、小さく息を漏らし。
リリエルはそんな俺の様子に笑みを零し、感謝するように軽く頭を下げれば。
「……約束します。私は決してエルトリス様を裏切りません。エルトリス様が求めた事には、必ず応えましょう」
そんな、一方通行な約束を口にした。
この世界において、約束は絶対だ。
もし今俺が何かを言えば、リリエルはきっと笑顔で応えてくれるのだろう。
「なら、私も」
……そうであるなら、俺もリリエルの主として、応えなければ。
ただそんな忠誠にも似た感情を、一方的に受けるというのはむず痒すぎる。
「約束するね。私は、リリエルお姉ちゃんの期待を、絶対に裏切らない」
俺の言葉に、約束に。
リリエルは少し驚いたように……しかし、嬉しそうに笑みを零せば。
「……はい。これからも、宜しくおねがいしますね、エルトリス様――」
「ん――……っ」
自然な、おそらくはリリエルが本来持っていたであろう笑みを俺に向けながら、柔らかく、包むように俺の身体を抱きしめてきて。
俺は、少しだけ苦しく感じつつも、それ以上に心地よく……まあ、こういうのも悪くないか、なんて思いながら。
――夜が明ければ。
この世界において一番安全な場所へと、俺達は足を向けた。
向かう先は、文字通りアリスが居るであろう場所。
そこにいるであろう、クラリッサを迎えに行くとしよう。




