18.カラクリ世界の体内迷宮③
「白雪の壁……ふ、ぅ」
「大丈夫か、リリエル?」
「はい、まだ余裕はありますので」
進んできた道を、氷の壁で塞ぎつつ。
もう十数回は魔法を行使しただろうか、リリエルは小さく息を漏らしながらも、アミラの心配そうな言葉にそう応える。
体内迷宮に入ってから、もう一時間は過ぎただろうか?
薄暗く、外の景色を見ることも出来ないこの場所では、どうにも時間の感覚が狂って仕方がない。
分かれ道を進み、正解の道を見つければ背後の道を塞ぎ。
そうやって、あの痩せっぽちな化け物が俺達に追いつくまでの時間を稼ぎながら、進んでいくのを繰り返し、繰り返し。
「……は、ぁ。しかし、どこまで続いているのだろうな、この迷宮は」
慣れない体で先行して、疲労が出てきているのだろう。
息を軽く切らせながら、アミラはそんな事を口にしながら、額の汗を拭った。
全容が見えない以上、何とも言えないけれど――少なくとも、無限ではない筈だ。
有利不利はあれど、賭博兎の時も、リリエルもどきの時も、俺達には必ず勝機というものが用意されていたし。
飽くまでも想像の上だけれど、こちらが勝利できないルールという物は作れないんじゃないだろうか。
相手が勝てるように、しかしその勝利までは遠く、険しく。
そうやって圧倒的な優位を作り出して、住民を食い物にしているのが悪役……という事なのかもしれない。
「大分進んだし、終わりはそう遠くはないと思うよ。がんばろう、アミラお姉ちゃんっ」
「そうだな……っ、はぁ……っ、ふ、ぅ」
そんな事を考えつつ、疲労が見えてきたアミラを軽く鼓舞しつつ。
アミラは俺の言葉に応えるように笑顔をみせてくれてはいたものの、それでも口から出る吐息は少し苦しそうだった。
『アミラ、少し休め。リリエルの肩にでも留まると良かろう』
「いや、しかし――」
「ルシエラ様の言う通りです。幸い時間は稼げていますから、無理はなさらず」
そんなアミラを見るに見かねて、ルシエラがそう口にすれば、それは出来ない、とアミラは頭を振ってはいたものの。
リリエルにまで勧められてしまえば、断るのも悪いと思ったのか。
ふわふわと、ゆっくりと飛びながらリリエルの肩の上に腰掛ければ……アミラは疲れを吐き出すように、大きく、大きく溜息を漏らした。
「……済まない、どうにもこの体だと疲れるな」
「気になさらないで下さい、アミラ様。私も、疲労自体は感じていますから」
「あれ、リリエルお姉ちゃんも?」
『あら、もしかして貴女も?』
成程、慣れない環境に慣れない役割、更には圧倒的に不利な戦いともあれば、疲労も溜まるか。
少しずつ蓄積していた疲労がアミラ一人の物ではないと判れば、俺達は一度危険を承知で休憩を取るべきか、と考えて――
「……む」
――コトン、と。
不意に、俺達以外に音を鳴らすものが居ない空間に、何かがおちる音が鳴り響いた。
視線を向ければ、そこには小さな小さな靴らしいものが、落ちていて。
「済まない、脱げてしまったか。おかしいな、紐が緩んだ様子も無かったんだが」
『まあ、今のアミラなら靴はあんまり要らんとは思うがの』
紐が緩むだかなんだかで、アミラの靴が脱げてしまったのだろう。
珍しいことも有るものだ、と思いながら、ルシエラの言葉に軽く笑いつつ、アミラは床に落ちた靴を拾いに飛んで……
……またコトン、と。
今度はもう片方の靴まで床に落ちた。
「ぬ……なんだ、紐でも切れたのか?」
地面を歩いている訳でもないのに面妖な、とボヤくように口にしつつ、アミラは靴を拾えば首をひねる。
不思議なことに、靴は紐が緩んだ様子もなければ、当然紐が切れたなんて事も無く。
――ぞくり、と。
それを見た瞬間、嫌な悪寒が背筋を撫でた。
アミラは不思議そうにしつつ、靴を履き直すけれど――その靴のサイズが、合わない。
どうしても余ってしまうのか、踵が浮いてしまうようで。
「……まさか」
その様子を見ながら、俺は自分の姿を見る。
鏡のような物もない場所だから、大まかにしか確認できないけれど――俺はまだ、特に変化は無いようだったが。
「っ、急ごう、リリエルお姉ちゃん!急がないとまずいよ!!」
「……そのようですね、急ぎま、しょ――っ!?」
リリエルも何が起きているのか理解したのだろう。
表情を固くしつつ、アミラを肩に乗せれば急ぎ足で先に進もうとして――がくん、と。
特に躓くようなものもないその場所で、リリエルは軽くころんだのか、大きく蹌踉めいた。
――見れば、リリエルの靴もいつの間にか緩く……サイズが合わない物に、なっており。
それどころか、先程まで見上げていたリリエルの顔は――今でも見上げなければならなかったけれど――先程よりも少し、俺に近づいてきていた。
より強き者はやがて地を這い回り、より弱き者はやがて全てを屠るだろう。
時を経るごとに、姿形もそれに相応しく――
『……っ、急ぐぞ!長居は不味い!!』
「は、はい!」
看板の文面を思い出したのか、リリエルはその表情を強張らせながら、サイズの合わなくなった靴の紐をキツく結う事で強引に履き直し、俺達は先程よりも急いで、迷宮の中を進んでいった。
――弱く、弱く。
時を経るごとにそうなっていくという文面通り、その変化はとうとう俺達の身体にまで現れ始めていた。
思えば、アミラが、リリエルが、そして俺が疲労を感じていたのもそうだったのかもしれない。
基礎体力の低下――いや、靴のサイズが合わなくなって、背丈まで縮んできた事を考えれば、退行というのが正しいのだろうか。
正しく、弱い、弱い姿へと戻って行き始めた俺達は、はぁ、はぁ、と呼吸を荒くしながら走り、走り――
「――っ、は、ぁ……はぁ……っ!!」
「リリエル、少しペースを落とせ!私が先行して先の様子を見てくるから、お前は通路の封鎖を!」
「は……い……っ、おねが、い……はぁ、しま、す……っ」
普段ならばなんて事はない運動量で、肩で息をするようになったリリエルを見かねてか。
肩で少し休憩していたアミラは、もどかしいと言わんばかりに靴を脱ぎ捨てると分かれ道の先を偵察にむかっていった。
息も絶え絶えと言った様子でリリエルも言葉を返せば、立っていられなくなったのか、その場で屈み込み。
「……っ、白雪、の、壁……!?」
そして、アミラに言われた通りに氷の壁を作り出せば――リリエルは、信じられないと言った表情を浮かべていた。
薄い。
先程よりも明らかに薄く、見るからに脆くなっている氷壁。
それを作り出したのが自分だ、ということが信じられないのか、リリエルは目を丸くしながら――
「けほっ、こほ……っ、は、あぁ……っ、白雪の壁――っ!」
――それをもう一つ作り出す事で、辛うじて強度を増しつつ。
ふら、ふらとリリエルは立ち上がると、壁に背を預けるようにしながら呼吸を整え始めた。
目に見える変化が訪れてから、急激に変化のスピードが上がったように感じる。
……いや、それも当然か。
俺達は……リリエル達は、恐らく今、成長期を逆行しているのだ。
成長しきってからの旅路で培ったものはそれはそれで大きいけれど、それでも成長期と比べれば得た物は決して多くはない。
「リリエルお姉ちゃん、大丈夫……?」
「だい、じょうぶ……です。ご心配、なさらず」
リリエルの顔が、いつもよりも近づいてきている。
ひたいに汗を流しながら、無表情は維持しつつも口元だけ笑みを浮かべるその様は、確かにリリエルだけれど……その背丈は、既にいつもより頭一つ分は、縮んでいるように見えた。
「済まない待たせた、こっちへ――!」
「は、い。行きましょう、エルトリス様」
『ワタツミ、お前もリリエルをフォローせんか!多少なら出来るじゃろう!?』
『解ってる、やってるわよ!でも、段々出力が落ちてきてて――』
戻ってきたアミラの姿も、見れば明らかに先程よりも幼くなり始めていた。
小さくはなっていても、元の成熟していた女性だった筈のアミラの顔立ちが、僅かに幼さが混じり始め。
しっかりと凹凸のあった身体からは、明らかに凹凸が失われはじめて、い、て……?
「……アミラ、お姉ちゃん」
「は、ぁ……っ、何だ、どうしたエルトリス――っ」
……おかしい。
幼くなる、逆行している――この考えは、あの看板の文面と照らし合わせても間違いはない、筈だ。
アミラは気づいていない。
いや、鏡がないんだから気付ける筈がない。
アミラの飛ぶ高さは、先程よりも明らかに低く、低くなり始めていて――しかしそれは、決して逆行し、弱体化しつつあるからというだけではなく。
「――っ、アミラお姉ちゃん、わたしの肩に乗ってていいよ!」
「いや……っ、ふ、ぅ……そんな、訳、には」
「良いから、乗って休んでて――!!」
アミラの体を優しく掴みながら、肩に載せる。
手のひらに触れたその感触は、小さく、そして柔らかく。
「……あ、え?」
――その掴まれた時の感触で気づいたのだろう。
アミラの表情が、一気に青ざめていく。
先程よりも幼くなり、縮んでいるアミラの身体は、ただ成長期を逆行した……というだけではなかった。
思えば、逆行している筈なのに靴しか脱げない、というのは何かがおかしかったのだ。
確かに服の丈は少しずつ余り始めてはいたけれど、それで服がブカブカになった、という感覚はリリエルにも、アミラにも無く。
「……っ、~~~~っ!?!?」
アミラは、その少しもっちりとし始めた顔を赤く、赤く染めれば声にならない叫びをあげた。
晒されている素足も、先程より短く、太く。
アミラの身体は縦に縮む代わりに、横に少し膨らんでいるようで――それが、女性であるアミラにとっては余りにもショックだったのだろう。
耳まで赤く染めて、涙目になりながら、アミラはそれでもしっかりと迷宮の構造を焼き付けるように、前を見ていた。
「……っ、は、ぁ……っ、ふぅぅ……っ」
「リリ、エル」
「アミラ、様……?」
見れば、リリエルのその細身な体も少しずつ、少しずつではあるけれど、太くなり始めていて。
軽快だった足音を少し重くしつつも、何とか走るリリエルに、アミラは絞り出すように声を漏らす。
「……あのカエルは、絶対に殺すぞ」
「……っ、当然、です……言われるまで、も……なく……っ」
「は、ぁ……っ、わ、わたしも協力するから、ね……っ?」
――女性としては絶対に許すことが出来ない行為。
今なお徐々に縮み、そして……やがて地を這う、というその言葉通りにしようとするかのように、肥え続けていく状況の中。
アミラは目尻に涙を浮かべつつも、リリエルに敗けないほどの殺意をその瞳に宿らせていた。
そんな二人に俺は少したじろぎつつも、徐々に、徐々にルシエラからの力の供給が弱くなってきているのを感じれば、先を急ぐ。
……まだ、背後から音は聞こえてこないけれど。
あの化け物共がどんな風になっているかなど、想像もしたくなかった。




