17.カラクリ世界の体内迷宮②
――前後左右、上下さえも滅茶苦茶になっていた感覚が戻ってくる。
目を開けば、そこは先程まで居た金属質な家の中ではなく、苔むした石造りの通路の中だった。
周囲に視線を向ければ、リリエルも、アミラも……それにルシエラも、ワタツミもしっかり居て、少し安心する。
「逸れないで、済んだみたいだね」
『まあ、私とリリエルで挑んだ時もバラバラにされる事はなかったから、大丈夫だとは思っていたけれど――……』
そう言いながらも、それでも少し不安だったのか、ワタツミは安堵の息を漏らしつつ。
しかし、周囲に視線を向ければ……少しうんざりとしたように眉を顰め、軽く舌打ちをした。
『……構造が全然違うわね。嫌になるわ』
「想定の範囲内です。ここはアレが作り出した物なのですから、仕方ないかと」
どうやら、以前と構造がまるで違うらしい。
それに関しては、事前にリリエルと話し合って判っては居たけれど……つくづく厄介で、面倒な能力だ。
本来ならルシエラを使って即座にこの壁をぶち壊し、即座にあのニヤけたカエル面を顔面蒼白にさせてやるんだが――永遠のお茶会の中じゃあ、それも出来ない。
「でも、多分一度作ったものの中身は、変えられないから」
『そうだの。まあ私とエルトリスが居るのじゃ、早々に攻略してさっさとあのカエル面を潰すとしよう』
「そうだな――と、看板か」
ともあれ、今回はリリエルだけではなく俺達も居る。
アヌーラがどんな迷宮を作り出そうが、その内容を変える事は――約束を違える事は出来ない筈なのだから、俺達でそれを攻略してしまえばそれで良い。
そんな事を考えつつ、ふわり、と発光しながら空を舞うアミラが看板を軽く照らせば、俺達もそちらに視線を向けた。
「……えっと、ルシエラ」
『判っておる、判っておる。ええと、何々――』
……相変わらず、俺はその文字の半分も読むことが出来なかったけれど。
ルシエラはそれを察してくれたのか、優しく頭をなでてくれて。
俺は心地よさに目を細めながら――何やら、他の三人から生暖かい視線を向けられてるような気がして、顔を熱くしてしまった。
――ここは逆しま。
強き者は弱く、弱き者は強く。
より強き者はやがて地を這い回り、より弱き者はやがて全てを屠るだろう。
時を経るごとに、姿形もそれに相応しく。
か弱き追跡者に一度囚われたのならば、それはより速く進むだろう。
迷宮の主を打倒せんとするならば、ここを脱せよ。
ルシエラが読み上げた看板の内容に、ぞくり、と背筋が凍る。
ああ、成程あのカエル野郎はそういう奴なのか。
「――足音だ」
アミラの言葉に、俺達は背後を――そこに広がる闇の中で、仄かに光る赤い瞳を見た。
ぬるり、とそこから現れたのは、骨と皮ばかりの細身とさえ言えない、痩せぎすな人型の何かで。
ギョロギョロと大きな目をせわしなく動かしながら、ひたり、ひたり、と四足で此方へと向かってきており――
『ふん、如何にもな奴じゃな――っと、と』
「急ごう、ルシエラ。アレに捕まるのは、絶対にダメ――ッ!」
――弱い。
どう贔屓目に見たって、俺達ならば1分どころか数秒もかからずに倒せるであろう、その異形は、今は未だゆっくり、ゆっくりと動いていたけれど。
先程の看板と照らし合わせるのであれば、それは余りにも、余りにも危険な存在で。
「リリエルお姉ちゃ――」
「判っております――白雪の壁!!」
リリエルもそれを察していたのか、俺の声が届くよりも速く、通路を塞ぐように氷の壁を作り出した。
通路を塞ぐ分厚い氷の壁は、痩せっぽちな異形に進行を確かに阻止して、遅らせる。
ペタン、ペタン、カリ、カリ、とその細長い指先で氷の壁を叩き、撫でているその姿を見る限り、当分は――氷の壁が溶けない限りは、問題ないだろう。
そう、今はまだ問題はない。
でも、俺達がこのままで居られる内になんとかこの迷宮を脱しなければ、不味いことになる……!
「行きましょう。迷宮のルールがアレだけならば、急いで脱すればいいだけの話です」
「ああ、そうだな――私が先頭を行こう、光っている私なら灯りにもなるからな」
アミラの言葉に小さく頷いて、俺達は背後でぺた、ぺた、と音を立てる異形を無視するように駆け出した。
ルシエラを武器の姿に変えつつ握り、ワタツミもリリエルの腰に下がるように戻る。
あの看板の文面が、俺達にとっては何よりも不味いものだというのは、誰もが理解できていたらしい。
皆、一様にその表情は硬く、険しく。
ただひたすらに続く石の通路を、俺達は走り続けた。
「――ググッ。良いですねぇ、対応が早い」
――エルトリス達が危機を察知し、的確に行動しているのを見ながら、アヌーラは愉しげに笑みを浮かべ、血のように赤い酒を口にする。
アヌーラにとって、エルトリス達のような――リリエルのような復讐者で愉しむのは、言わば酒の肴のようなものだった。
つまりは人生をより楽しく、彩るもの。
他人の幸せを踏み躙り、踏み躙られた者が歪みながら凄絶に生きて、その内の一握りが己の元に辿り着く。
アヌーラにとって、それは良くある事であり――そして、その尽くはその力の前に踏み躙られてきた。
アヌーラの能力である体内迷宮は、本来は自らの体内を迷宮に変化させて、その上で相手をその内に閉じ込めるだけの能力である。
迷宮である、という事は当然出口も有り、内側から強引に破壊されればアヌーラも絶命するという、極めて使い勝手の悪い能力、それが体内迷宮――だったのだが。
アヌーラは、六魔将であるアリスの能力を利用したならば、己もまた無敵になれる事に気が付いてしまった。
暴力を振るう事が、特殊なルールを組まない限りは起こり得ないアリスの能力の内側でならば。
そして、その特殊なルールを自分の手で――相手が了承したならば、確実に作り出せるこの世界ならば。
使い勝手の悪い、さしたる強さもない体内迷宮は、強力無比な能力へと生まれ変わる。
「……グゲッ。ゲゲッ、さて、彼女達はどうしましょうか……ググッ、グゲゲ……っ」
己の作り出した迷宮の中で右往左往する、本来ならば自分など歯牙にも掛けないような強者達。
それを見て、アヌーラはまた酒を一口飲めば――愉しげに、愉しげに喉を鳴らし。
自らの勝利を疑う様子さえ無く、エルトリス達をどうしてしまおうかと、妄想を広げていた。
「また分かれ道か……全く、記憶も楽ではないというのに」
アミラは辟易とした表情を浮かべながら、今まで歩いてきた道を脳裏に記しているのだろう。
片目を閉じながら、僅かに考え込むようにしてから、分かれ道を進んでいく。
行き止まりに出くわさない訳ではない、が――それでも、今まで歩いてきた場所を正確に覚えていられる、というのはあの大森林に住んでいたアミラならではだろう。
俺もルシエラもそういうのは得意ではないし、リリエルもメイドとしての訓練は積んだとしても、そんな特殊な訓練は積んでいないだろうから実に有り難い。
アミラのお陰で、この複雑な迷宮も着実に……少なくとも、リリエル単独だった時よりは確実に速く進めている――
「……っ、ん」
『む、どうしたリリエル』
――そんな最中。
不意に、リリエルは何かを感じ取ったように足を止めた。
自分の体を確認するようにしつつ、少し崩れていた服を軽く直しながら、リリエルはその違和感が何なのか判らなかったのか、首を捻り。
「……いえ、大丈夫です。気の所為だったようなので」
『珍しいわね、リリエルがそういうのって』
「まあ、リリエルお姉ちゃんだってそんな事もあるよ」
「此方は大丈夫なようだ。先に進もう――」
軽く頭を下げるリリエルに、軽くそう返しながら。
俺達はそのリリエルの違和感を気にかける事もなく、先を急いだ。
何しろ、今回ばかりは立ち止まってばかりは居られないのだから仕方ない。
今はまだ、あの痩せっぽちな化け物は着いてきては居ないけれど――あれに捕まるのは、間違いなく不味いだろうから。
――直後、俺も何やら少し妙な違和感を覚えはしたけれど。
その違和感の正体が何なのか判らず、それを口に出すことはしなかった。




