13.気狂いエルフは、溺れながら③
元より、俺達とリリエル以外には誰も居ないのだろう。
音のする方へと歩けば、直ぐに木々の間にリリエルの姿が見えた。
『良い、私以外で傷つけるんじゃないわよ――ルシエラ様は、守りをお願いします』
『ええい、一々注文が多いのう……っ』
「うん、大丈夫。わかってるから」
ワタツミから聞こえる二人の声に軽く頷きつつ、俺は小さく息を漏らすとルシエラを武器の形へと戻し、ワタツミを空いた手に持つ。
正直言って、かなりやりにくい。
この体になってから、ルシエラを基本両手で扱っていたっていうのもあるが、ルシエラとワタツミのサイズ差もあるし、何より――先程ワタツミたちが口にしていた事が、問題過ぎた。
攻撃は、飽くまでもワタツミで。
ルシエラで攻撃してはならない、という縛り。
ワタツミでも攻撃して良いのかどうかは怪しい所ではあるが、二人が大丈夫と言っているのだからそこは信じるしか無い、が――ルシエラを攻撃に扱えない、というのは何とも難しい話だ。
「――見つけましたよ、エルトリス様。良かった、お二人共無事だったのですね」
そして、とうとう向こうも俺達を見つけたのか。
そんな、懐かしむような言葉とともに、リリエルは淡い笑みを俺達に向けてきた。
酷く穏やかで、とても嬉しそうなその笑顔は、リリエルの顔だというのに薄ら寒くなる。
そんな、そんな表情をリリエルが浮かべたりなどするものか。
「――……っ」
俺は、言葉を返すこと無くルシエラとワタツミを握りしめれば、そのまま一気に間合いを詰めて――
「さすがはエルトリス様、ですが」
『――エルトリス様、お気をつけを。アレは、多数の犠牲者の力を蒐集しています』
――俺が間合いに入るその刹那、リリエルの背後から無数の武器が、腕がずるり、と這い出してきた。
その腕は決してリリエルの物ではなく――成程、おそらくは力を求めている、という言葉通りこの森に入ってきた連中から奪ってきた物なのだろう。
「ええ、ですが――今の私の敵では有りません。無数の力を手にした私と、手を出す事さえ叶わないエルトリス様では……ふふっ、ふふふふ……っ!」
自身の絶対的な優位を知っているからだろう。
リリエル本人ならば決して浮かべることのない、口元だけを大きく歪めた歪な笑みを浮かべながら、その背中から生やした武器を俺に向けて、振るって――……っ!?
「……っ、く、ぅっ!?」
『リリエルもどきは攻撃し放題か、つくづく面倒な――っ!!』
リリエルの物ではない、誰かの腕から振るわれた武器をルシエラで弾く。
が、リリエル……否、リリエルもどきが制裁される様子はまるでなく、歯噛みする。
ルシエラで身を守って、と言われた時点で大凡は察していたが、成程、これは酷い。
看板に記された文字通り、この森においてあのリリエルもどきは正しく絶対者なのだろう。
無論、この森の外であったのならそんな事は出来ないのだろうが、看板を読み、それを理解してこの森に入ってきた者は既に、あの看板にあるルールに縛られてしまうのだ。
言葉を返せば、逃げる事さえも叶わなくなる。
力を簒奪され、恐らくは――賭博兎に負けるより、更に酷いことになるのだろう。
「~~……っ」
……冗談じゃあない。
一瞬だけ想像して、背筋が凍る。
振るわれる武器を弾き飛ばし、周囲の木々を軽く払いつつ、俺はリリエルとの距離を保ちながらワタツミを握りしめた。
「……ああ、その棒きれも居たのですね。ふふっ、なんて無様。力はおろか、肉体さえ失い、そんな矮小な檻に閉じ込められているなんて」
背中から生やした武器を振るう最中、俺の手に握られているものにようやく気が付いたのか。
リリエルもどきはそんな言葉を口にしながら、ぐにゃり、と口元を歪め、嗤う。
「貴女は要りません。ええ、私こそがリリエル=アルトリカ……貴女は、ただの棒きれとして圧し折って差し上げましょう、ふふふっ、あはははははっ」
そんな、自らの肉体を使って醜く笑うリリエルもどきに、リリエルは一言も言葉を返さない。
無論、リリエル自身がルールの事をよく理解している、というのも有るのだろうけれど――ああ、それでこそだ。
どんなにリリエルの肉体に宿っていても。
どんなにリリエルの心の一部だったのだとしても。
やはり、目の前に居るリリエルもどきは、所詮はもどきでしかないのが、よく分かる。
力を得る、というのはリリエルにとっては手段の一つに過ぎない。
力を失おうとも、肉体を失おうとも、リリエルはその心の奥にあるものが揺らがない限りは、決して折れないのだろう。
リリエルもどきはそんな俺達を見つめながら、どんなに言葉を弄しても、武器を振るっても進まない事態に僅かに表情を歪め――
「しかし、よく粘りますねエルトリス様。では、こうしましょう」
「っ!」
――危うく、声が出そうになった。
リリエルもどきが手にしたのは、俺もよく知っている武器。
背中から生えた腕が、マロウトを引き絞っているのを見れば――俺は、一瞬だけだけれど動きを止めて。
その刹那、暴風を伴った矢が俺に向かって、容赦なく放たれた。
とっさにルシエラで防ぐけれど、流石と言うべきか。片手で受けた事もあって、完全に威力を殺し切る事ができず――
「――っ、きゃ、ああぁっ!」
『エルトリス――っ!?』
――軽い身体は矢の勢いに、暴風に押し負けて、軽く吹き飛ばされる。
背中を気に打ち付けられる直前で体を動かし、受け身を取るけれど――その間に出来る事は、そう多くはなく。
その間に、リリエルもどきは俺との間合いを詰めれば……俺が手にしているルシエラを、その回転する刃先を指先で握りしめた。
「――それでは頂きますね、エルトリス様」
「あ……っ」
その瞬間、まるで俺の手がリリエルの声色に従うかのように、握る力が緩んでしまって。
ひょい、とルシエラを手にしたリリエルもどきは、にんまりと、とてもとても嬉しそうに、その口元を歪めてみせる。
――途端に、全身から力がガクン、と抜け落ちた。
ぺたん、とその場に尻もちをついてしまった俺を見れば、リリエルもどきはくすくすと、リリエルであれば絶対にしないような笑みを零し。
「ふふっ、ふふふっ。あはっ、あははははっ。これでエルトリス様は――いえ、エルトリスちゃんは何も出来ない女の子、ですね」
俺を真上から見下すようにしながら、そんな言葉を口にすれば。
ルシエラに軽く頬ずりをしながら、うっとりとした表情を浮かべると、パチン、と指先を鳴らした。
「……っ、な、に……これ……っ!?」
それと同時に、俺が尻もちを突いていた地面が、ぐにゃりと歪む。
まるで粘土のように柔らかく、しかし藻掻いても振りほどくことが出来ないそれに、俺はどんどん飲み込まれていき。
「――ふふっ、そうですね。エルトリスちゃんは特別に、形を残してあげましょうか。棒きれに入っている元私も、そうすれば寂しくはないでしょう?」
「あ……う、ぁっ?!ん、ぐ……むうぅぅ……っ!!」
足先からふくらはぎ、そしてお尻を柔らかく包み込み、締め付けて。
そのまま腰を這い上がり――無駄に大きな胸を絞り出すように、強調するように纏わり付いてくれば、俺は顔を熱くする、けれど。
――そのまま、口元まで覆われてしまえば、目元だけを残すようにして、頭まで俺はその柔らかな、しかし強靭な何かに包み込まれて、しまった。
「くす……ああ、そうでしたね。エルトリスちゃんには魔力も無いですから、光もしないんですね、ふふっ、ふふふ」
「ん、ぐ……んむっ、むうぅぅ……っ」
「安心して下さい、すぐに慣れますよ。ええ、そんな無様なキノコになったエルトリス様でも、私はちゃんと世話して差し上げますから――」
狂気に満ちた笑みを浮かべながら、リリエルもどきは俺に視線を合わせるように屈み込むと――既にキノコのようになっている纏わり付いているモノ越しに、胸元の膨らみに軽く触れて。
そのまま、ずるずると視界まで塞がっていくのを感じながら――……
『――のう、リリエルもどきよ』
「どうかしましたか、ルシエラ様?ああ、エルトリス様を助けろという事なら――」
『頭上注意じゃ』
……視界が塞がる刹那。
トス、と軽い音を鳴らしながら――屈み込んでいたリリエルの背中に、白い、白い刃が突き刺さった。
「――え? え、あ――え、そんな、まさか、嘘」
『馬鹿め。やはり貴様は紛い物よ。エルトリスが狙ってこうしたのも見えなんだか』
――そう、マロウトに弾き飛ばされた刹那。
ルシエラで周囲の木々を軽く払って広げた空間で、俺は思い切ってワタツミを空高く投げ上げたのだ。
上手いこと弾かれる位置を調整して誘導し、油断を誘い、後はリリエルもどきが油断するように時間を稼いでいただけ。
「……っ、ぷ、ぁ……っ!あとは、任せて良いんだよね、リリエルお姉ちゃん、ワタツミちゃんっ」
『ええ、任せなさい!それはそれとして、ぞんざいに扱われた事には怒って良いのかしら――ここからは、お任せを。私の不始末は、私で付けます』
ぐにゃり、どろり、と溶けていくキノコ状の拘束をなんとか振り払いつつ声を上げれば、リリエルもどきの身体にしっかりと突き刺さったワタツミ達は、そう返しながら。
「あ――ぐ、おのれ……っ、良いでしょう、私は多くの力を得たのです、今更あなた達などに遅れを取るものですか――!!」
『笑止。利用された挙げ句目的すら忘れた貴女は、私の恥です――疾く、消して差し上げます』
リリエル同士がそう言葉をかわした瞬間。
ワタツミから湧き出すように生まれた氷が、リリエルもどきとワタツミ自身を包み込んだ。




