5.少女と賭博兎、そして簡単なゲーム①
賭博兎は警戒する俺を余所に、鼻歌交じりに様々な絵が書かれた札を手元で弄りながら、机の上に散らばらせていった。
恐らくは、アミラからマロウトを取り上げたであろう遊びとやらをするつもりなのだろう。
付き合ってやる必要があるかどうかと言われれば、先程の得体のしれない体験と良い、出来るなら相手にしたくはないけれど――
「……わたしが勝ったら、何かあるの?」
「ん?ああ、そうだね……うん、それじゃあなにか一つ、欲しいのを言って貰っても良いかな。私が出来る範囲であるなら、応えるよ」
「そう、それじゃあアミラお姉ちゃんから奪ったのを、返して」
「うん、了解――ふふ、お嬢さんが勝てたなら、必ずそれに応えよう」
――マロウトを取り戻すには、恐らくはコイツを打ち倒す以外に手はないのだから仕方がない。
賭博兎が準備を進めている間に、考える。
先程、ルシエラを呼ぼうとした瞬間に起きた、奇っ怪な出来事。
俺の行動そのものが丸ごとなかった事にされたかのような、あの力は……余り考えたくはないが、アリスの持つあの理不尽さに良く似ていた。
かと言って、この眼の前の賭博兎がアリス自身かと言われれば、それは断じて違うと確信出来る。
アリスならばこのような回りくどい罠を張る必要も無いし、何より――あの独特の得体のしれなさを、目の前の賭博兎からは感じられない。
飽くまでも、この賭博兎もまたこの世界に囚われた一人でしか無いのだろうと、俺は何となくだけれど察する事ができた。
「……賭博兎は、なんでこんな事をしているの?」
「なんで、ね。それはまあ、ほら――それが私に与えられた役割だからね」
「悪役、が?」
俺の問いかけに、賭博兎は少しだけ可笑しそうに笑みを零す。
――悪役、と賭博兎は口にした。
でも、そんな事は有り得るのだろうか?
暴力や相手に害をなす行為を行えば、すぐさま小さな執行人がやってきて制裁を課すこの世界で、悪役なんてする余地が有るとは到底思えなくて。
「私の役割は遊び人だよ。悪役だなんて役割は多分無いから、安心していいわ」
そこまで口にして、ただ、と賭博兎は言葉を続けていく。
「――この世界において、約束は絶対だ。きっとアリス自身が約束を何より大事にしているから、だろうけれど」
賭博兎のその言葉を聞いた瞬間、ぞくり、と背筋が冷えた。
突然足元が奈落に変わったかのような、なにか致命的な事をしてしまったような、そんな感覚。
俺が表情を変えたのが判ったのだろう、賭博兎はたゆん、とその豊かな胸元を机の上に載せて、屈み込めばその口元をにたり、と歪めた。
「約束してしまったねお嬢さん、あの子のように。私に勝ったら――ええ、そう口にしてしまったなら、既に約束は成立だ」
「……っ!」
事、ここにおいて理解する。
俺はずっと、この世界において相手に害を為す行為は出来ない物だと、そう思い込んでいた。
事実、相手に暴力を振るおうと――害を為そうとすれば、その瞬間小さな執行人が現れて、その振るおうとした者を処罰する、その場面を俺自身が見てきたから。
――俺自身、その小さな執行人に制裁された側だからこそ、そう思っていた。
「うん、その代わりに私は……ああ、お嬢さんに勝つ度に、何か一つ貰うとしようかな」
「何か、一つ……って」
「心配しないでも良いよ、私があの子から貰った魔弓以上の物は貰えないし、貰わないから……♪」
だが、違う。
この世界の決まり事には、例外が有ったのだ。
互いに納得した、そう見做される行為であるのならば、害を為せる。
今で言うのであれば、俺はもし勝ったらマロウトを返せ、と要求したのだから――それを賭博兎が了承した瞬間に、約束が、契約が成立してしまったのだ。
「……っ、やっぱり――」
「あ、それは止めたほうが良いよ。一方的な約束の破棄は、制裁対象だから」
「――っ、こ、の……っ」
――そして、約束の破棄を行えば、それは相手を害したと見做されて小さな執行人がやってくる。そう、賭博兎は口にした。
本当かは判らない。
嘘を口にしている可能性は十二分にあるし、そうであるなら俺は約束を破棄して、ルシエラを呼んでこの場から逃れる事も出来るだろう。
だが、それを試して失敗したなら――そう思うと、俺はどうしてもその言葉を口にできず。
「さて、準備も終わったし。そろそろ始めようか、お嬢さん」
「……約束は、守ってね」
「当然。私はその辺りはとてもしっかりしているからね、安心していいよ」
正しく、悪役。
この世界の決まり事を逆手に取って、相手を弄ぶ事を楽しんでいるであろう賭博兎は、俺の言葉に真紅の瞳を細めれば、パン、と軽く手を叩き合わせた。
机の上には、先程の絵札がその絵柄が見えないように裏返されて並んでいて。
賭博兎はその裏返しにされた絵札を一枚、また一枚と捲れば、その絵柄を露わにしていく。
「――絵柄合わせ。これだったら、ルールを知らなくても簡単に出来るし良いよね♪」
「ん。絵札の絵柄を合わせれば、いいの?」
「うん、ルールはただそれだけ。絵柄が違ったら手番は交代、合っていたらそのまま続行――と、今のは説明だから無かったことにして」
絵柄が露わになった絵札を裏返しに戻し、賭博兎は手で軽くかき混ぜるように絵札を混ぜ合わせれば、小さく息を漏らした。
「それじゃあ始めようか、お嬢さん。ふふ、楽しい時間を過ごそうね♥」
「お断りよ、賭博兎。さっさと終わらせて、マロウトを返してもらうんだから――」
――そうして、遊戯が始まった。
絵柄合わせ、というそのままなネーミングセンスは正直どうかと思うが、これならば俺に勝ちの目もあるだろう。
……元々遊びというか賭け事自体、そこまで得意ではないけれど。
事、記憶力という一点にかけては、俺は自信があった。
最初は、互いに絵柄を合わせる事が出来る筈もなく、手番が変わっていく。
2順、3順と手番が回れば、その間互いに合わせることが出来た絵札は一枚もなく。
「うーん、やっぱり上手くはいかないね」
「そう?」
ここまで捲られた絵札は、十枚とちょっと。
そのくらいの絵札であれば――普段、戦闘の時に覚える相手の癖や行動を思えば、記憶することは容易かった。
1組、2組、3組。
記憶した絵札を合わせて行けば、手番は変わる事はなく。
「――へぇ」
「ちょっと馬鹿にしてたでしょ。マロウト、返してもらうんだから」
そうして、確実に合わせる事ができる絵札がなくなれば、俺は既に開示されている絵札を捲って相手に手番を回した。
わざわざ、相手に情報をこれ以上知らせてやる事も無い。
相手としては、たかが子供相手だと油断していたのだろうけれど、それが運の尽きだ。
賭博兎は俺が手番を回してきたのを見れば、淡く笑みを浮かべながら――そのまま、まだ開示されていない部分を開けていく。
「……ん」
「と、運が良かった。うん、馬鹿にしててごめんね?あの威勢のいい妖精の子みたいにはいかなさそうだし、真面目にやろうかな」
開示されたのは、先程俺が最後に返した絵札と同じ柄。
こういう事もあるから仕方ないが――だからこそ、俺はこういう遊びが苦手だった。
理外から攻められるというか、経験が役に立たないと言うか。
そのまま賭博兎は2組合わせれば、まだ開けられていない部分を開き、間違えて。
「……ふ、ぅ」
……落ち着け、大丈夫。
俺は絵札を覚えられるし、相手はそこまで完全には覚えられない様子だった。
それなら、ちゃんとやれば俺が負ける事はない――無い、筈だ。
そう考えながら、俺は再び絵札を捲り、合わせ――……
「――いやあ、勝負は時の運って言うけれど。ちょっと驚いちゃったな」
「~~……っ」
……結果。
最後の最後で賭博兎が思わぬ追い上げを見せて、1組差で俺は賭博兎に負けてしまった。
時の運、と言われればそこまでなのだろうけれど、その最後の手番までは俺が優位に立っていただけに、悔しくて仕方がない。
そんな俺を見ながら、賭博兎はふぅ、と小さく息を漏らし――そして、にんまりと笑みを浮かべて。
「それじゃあ、そうだね。先ずはお嬢さんの、その記憶力をもらおうか」
「――え?」
――そう、賭博兎が告げた瞬間。
俺の頭から、すぅ、と何か、淡い光の塊のような物が抜ければ――賭博兎が用意していた、カンテラのようなものの中に吸い込まれていった。
今、賭博兎は何と口にした?
記憶力を、貰う?
「え、な……っ」
「あ、心配しないでいいよ。記憶力を完全に奪うとか、そんな無粋な真似はしないから」
慌てた俺の様子を見ながら、賭博兎は心底楽しそうに笑みを零す。
記憶力を貰う、と賭博兎は口にしていた。
慌てて俺は、今までの事――俺がこの体になってから経験してきた、幾つもの事を思い返す。
最初に灰色狼に襲われたことも、リリエルとの出会いも、ファルパスと戦った事も――大丈夫だ、その後全部、アルカンと話したことまでちゃんと、思い出せる。
「それで、当然まだ続けるよね。まだ、お嬢さんはお友達の大事な物を取り戻してないものね?」
「……っ、当たり前でしょ。同じようなことが続くなんて、思わないで!」
賭博兎が失敗したのか、はたまた奪われた記憶力が微小なものだったのかは分からないけれど、これは好都合だ。
今回は運悪く負けたが、幸運はそう何度も続くものじゃあない。
何か致命的なことをされる前に、次こそこの下らない遊びを終わらせなければ。
そうして、再び賭博兎との絵札合わせが始まった。
最初の流れは変わらない。
互いに絵札を捲りつつ、その絵柄を記憶するだけ。
2順、3順と手番は巡り――
「あ、れ?」
――そこで、ふと異変に気づく。
あれ、賭博兎が最初に捲っていた絵札は、どんな絵柄をしていたっけ――?
「くす……どうしたのかな、お嬢さん。お嬢さんの番だけど?」
「……まさか」
おかしい、おかしい、おかしい。
まるで霞でもかかってしまったかのように、つい先程捲られた絵札のことを、俺は思い出す事ができなくなっていた。
思い出せるのは、精々が1順前。それ以上思い出そうとしても、どうしても――絵柄は愚か、どこが捲られたのかさえも、思い出せなくて。
その原因を作ったであろう賭博兎を睨めば、賭博兎はとても楽しそうに、愉しそうに笑みを浮かべながら、その豊満な胸を軽く抱えるようにして、俺を見下し。
「――たっぷりと時間をかけても大丈夫だよ、お嬢さん。私は幾らでも待っててあげるから、ね♥」
そんな、余裕たっぷりの言葉に俺は神経を逆なでされつつも。
ここで冷静さまで欠いたらお終いだ、と息を吸い、吐いて――何とか、朧げに残る記憶を元に、賭博兎との遊戯を続行した。
 




