1.少女は、不思議の国で
――穏やかな日差しが降り注ぐ朝。
牧歌的な町並みの中を歩く、一人の少女が居た。
紅色を基調としたエプロンドレスを身に纏った、背丈が低く、その癖とても――それこそ、背後からでも解ってしまう程に豊かな胸元が特徴的なその少女は、鼻歌を歌いながらバスケットを片手に通りを進んでいく。
お使いでもしているのだろう、空のバスケットにはメモ紙が入っていて。
それに時折視線を落としつつ歩く少女の姿は微笑ましく、通りを歩く者たちも彼女を見ながら笑みを零していた。
そうしてしばらく進んだ後、少女はとある店の前で立ち止まった。
大小様々な野菜や魚、肉が並んでいるその店に入れば、少女はメモを見ながらふらり、ふらりと店の中を歩いていく。
少女は決してこの店に来るのが初めてというわけではなかったが、何しろ背丈が背丈だ。
100を少し超える程度の背丈では、棚のものをはっきりと全て確認する事も難しいのだろう、時折背伸びをしてまで物を探すその姿はたどたどしく、愛らしく。
「――おや、お使いかいエルちゃん?」
そんな少女を微笑ましく思ったのか、或いは見かねたのか。
奥で座っていた店の店主であろうソレは、のそりと身体を起こせば、少女を遥か頭上から見下ろした。
それは、おおよそ人ではなかった。
動物の名前で言うのであれば、灰色狼が一番近いだろうか?
もっとも灰色狼とは違い、店主は二足歩行をしているし、200はゆうに超える程の巨体では有ったのだが――そんな店主に見下されながら、少女はぴくっと肩を揺らしつつも、直ぐに笑みを零す。
「うんっ。お母さんに、お夕飯のお買い物を頼まれたの」
「そうかい、偉いねぇ。おじさんにメモを見せてご覧」
店主に促されるまま、背伸びをしてメモを渡す少女の姿に店主はその大きな口で笑みを浮かべた。
メモの内容に目を通せば、ふんふん、と少し鼻を鳴らしながら少女の持っていたバスケットに食材を詰め始め。
野菜に魚、肉。少女が持っていたメモにかかれていた物を大凡詰め終われば、最後に少女の前にそっと、包みに入った何かを差し出した。
「これは、お使いが出来るお利口なエルちゃんへのご褒美だよ。どうぞ」
「わぁ、ありがとうおじさんっ」
キャンディか、或いはもっと別のものか。
店主から受け取った包みに嬉しそうに笑みを零しながら、少女はしっかりとお礼を口にすれば、母親から渡されたのだろう財布から代金を支払って、頭を下げる。
その度に豊かな胸元をだぷんっ、ぶるんっ、と揺らし、少しよろめくその様は少々見ていて危なっかしいけれど。
少女がそれでも自分でちゃんと持ち直して、両手でバスケットを握りながら歩き始めたのを見れば、店主は少女の自主性を重んじたのだろう。
「気をつけて帰るんだよ――まあ、危ないことなんてこの町じゃあないけれどね」
「はーいっ」
そう声をかけるだけに止めた店主に、少女は元気に返事をしながら店を出た。
穏やかな日差しは、絶える事無く降り注ぐ。
町中だと言うのに、その辺りにあるベンチに腰掛けてしまえばそのまま眠ってしまいそうな程の、心地よい暖かさに少女は目を細める。
――昼寝をしたい、という訳では無いのだろうけれど。
先程の包みの中身が気になったのだろう少女は、ベンチにバスケットを置くと軽くよじ登るようにしてそこに腰掛けて、包みを開いた。
中に入っていたのは、色とりどりの飴玉と一枚の紙切れで。
少女は紙切れには目もくれずに、飴玉を口にするとその甘さに小さく声を漏らす。
「~~……♥」
身長相応の短い足をぱたぱたとさせながら、甘味を十分に味わった少女は穏やかな日差しを浴びながら、空を見る。
今日も変わらない、いつまでも変わることがない、青い空。
時折鳥が空を飛んでいる事もあるけれど、崩れることのない穏やかさに包まれているその光景に、少女は眩しそうに目を細め――そして、ひょいっとベンチから降りれば再び通りをゆっくりと歩き始めた。
両手でバスケットを抱えて、豊か過ぎる胸元を揺らしながら歩く少女は微笑ましげな視線を集めながらも通りの先、少し町外れの方にある花畑に囲まれた小屋にたどり着けば、小さく息を漏らしつつコンコン、とその木造りの扉を叩いて。
『――と、お帰りじゃな、エルちゃん。お使いご苦労さま』
「うんっ」
そうしていつものように長身で、見るものの目を引くような美しい母親に笑顔を向ければ。
手にしたバスケットを母親に手渡して、少女は花畑に囲まれた自分の家へと入っていった。
それは、いつもと変わらない、永遠に穏やかなこの世界の日常――
――そして、今現在エルトリスがたちが囚われている、脱出困難な牢獄でもあった。
『――して、どうじゃった?』
「ん、はい。一応ちゃんと、調べてくれたみたい」
自宅として割り当てられた小屋に入れば、エルトリスは普段のように――しかし言葉遣いだけはそのままで――振る舞い、小さく息を漏らし、椅子にどっかりと座り込む。
そんなエルトリスの様子に苦笑しつつもお疲れ様、と口にすれば、いかにも村娘然とした服装に身を包んだルシエラは飴玉の詰まった包み――に入っていた、紙切れをつまみ上げた。
『……気狂いエルフに、泣き虫妖精。それに、美しい声の小鳥……のう』
「一応、あたしが言った特徴から調べてくれたみたいだけど……ぜんぶが正しいかは怪しいかもね」
『まあ、私達というかエルちゃんも、あと一歩でこれの仲間入りだったからのう。有り得ん話ではないか』
そんな言葉を口にしながら、挙げた名前がいる場所まで書かれている紙を畳み、胸元にしまい込むと、ルシエラはエルトリスの隣に腰掛けて、少し顔を赤らめているエルトリスのその頭を優しく撫でる。
そうされるだけで、エルトリスはほう、と小さく息を漏らしながら――危うくその手に身を委ねそうになった、甘えきった自分に頭を振った。
『さしずめ、甘えん坊な女の子と言ったところかのう』
「う、うるさないなぁ、もうっ!ギリギリセーフだったんだから、いいでしょ!」
『……うむ、本当にそうならなくて良かった。あの鳥頭は置いておくとしても、リリエルもアミラも堕ちたであろう今、動けるのは私とエルトリスだけだからの』
からかう様子もなく、心底安堵したような口調で語るルシエラに、エルトリスも少しだけ難しそうな顔をしてから小さく頷いて。
……そして、こんな事になってしまった原因の事を、忌々しいあの出来事を思い返す。
ランパードへと向かう道中、アリスに為す術もなく囚われたエルトリス達であったが、最初からこうであった訳ではなかった。
アリスは始め、テーブルを囲んで穏やかにお茶会をしただけで――無論、それだけでエルトリス達を開放する訳はなく、文字通り一杯遊ぶ為にこの世界に定住させたのだ。
クラリッサ曰く、永遠のお茶会と呼ばれるこの世界は、光の壁の向こう側にあるアリスの領域と同一の場所らしく。
距離、場所、時間を問わずアリスの周囲に顕現するそれから逃れられた魔族は、六魔将を除けば皆無で――無論、それを聞いた所でここからの脱出を諦めるエルトリス達ではなかった。
……だが、ことこの空間に置いてはそれこそが悪手だったのだ。
穏やかで暖かな平穏だけが満たすその空間から外に出ようと、リリエルも、アミラも、エルトリスも――そして、アルケミラを主とするクラリッサも足掻きはしたが、その代償は余りにも大きかった。
足掻けば足掻く程、穏やかなこの世界にそぐわない事をすればする程に、逆にこの世界に強制的に馴染まされる。
その法則にエルトリスが気づいたのは、半ばこの世界に馴染みかけた頃で――口調を意識しても変える事ができないのは、それが原因だった。
エルトリスはまだいい方だろう。
行方知れずとなった3人は、最早元々自分がどうであったかも見失い、この世界に馴染みきってしまったのか……エルトリスの元に戻る事さえ無く。
「……だいじょうぶ、皆助けるんだからっ」
『そうだの。情けなーい下僕を助けるのも、上に立つ者の役目という奴じゃ』
ぱちん、と軽く頬を叩けば、エルトリスはその豊か過ぎる胸を張って、ルシエラににっこりと笑みを浮かべて見せた。
その表情に不安も無ければ、迷いもない。
言葉遣いや仕草が多少歪めど、その内にあるものまでは変わっていないエルトリスに、ルシエラもまた笑みを零しながら、ぽんぽん、とその頭を撫でれば。
『――それはそれとして。さて、では夕飯を作るとするかの』
「あ、うんっ」
『ふふ、私も多少は慣れてきたからの。近所の連中に教わった秘伝を見せてやろう……!』
近所から教わったレシピを秘伝と口にしつつ、最近になってようやく作れるようになった、真っ当な料理を作り始め。
それを楽しみにしているエルトリスの姿に、ルシエラは得意げに笑みを浮かべてみせた。




