閑話.黄金剣は放浪中
――エルトリス達が、六魔将アリスと思いがけない遭遇をしていた、その頃。
「……う、ぅ」
ヤトガミの洞窟深部で、エルトリスを辱める事で苦戦させた――肉体を奪い得た魔剣エルドラドは、アマツからそれなり離れた森の中で、倒れていた。
「……これ……は……予想外……です、わ……」
とはいっても、野盗に襲われたわけでも無ければ魔獣に襲われたわけでも無い。
否、野盗に襲われはしたものの、エルドラドはその尽くを容易く返り討ちにした挙げ句、黄金に変えて自らを飾るアクセサリーに変えては居たのだが――閑話休題。
今、エルドラドは魔剣であった頃ならば有り得なかった苦難に襲われていた。
それに気がついたのは、這々の体でエルトリスから逃れ、そのまま逃げるようにアマツからも離れていってから少し過ぎた頃。
きゅるる、と自らの身体から音が鳴った事に首を傾げつつも、エルドラドはそれを特に気にかける事も無く、今は安全な場所へ、というエルトリスへの恐れを胸に進み続けていた。
エルトリスに敗北を喫したとは言えど、エルドラドもまた高位の魔剣である。
道中は何の問題も滞りも無く進み、エルドラドは意気揚々と森の中を進んでいた、のだが。
……ぐうぅぅ、きゅるるるる。
「く、うぅぅ……!!か、身体にちからが……入りません、わ……」
――それは、エルドラドが肉体を持たない魔剣だった頃には無かった感覚。
肉体を得て、それを自らの好みに作り替えたエルドラドは、人間の生理という物をしらなかった。
空腹。
はじめに鳴った腹の音を無視しての強行軍を繰り返した結果、エルドラドは今、極度の空腹で身動き一つ取れなくなっていたのである。
多少身体が不調を訴えたとて、少し休憩すれば良くなるだろうとタカを括っていたエルドラドは、今になって激しい後悔に襲われていた。
折角肉体を得て、あの退屈極まりない洞窟から脱し、これから自らの時代が来る――そんな展望が、人間にとっては当然である空腹――或いは栄養失調という形で失われる等、エルドラドには耐えられず。
「ぐ……ぐぐぐ……っ、こ、こんな所で……朽ちるなんて……」
絶対嫌ですわ、と口にしつつ、エルドラドは極度の空腹と栄養失調に襲われている身体を無理やり動かし、森の中を這いずっていく。
その有様は、優雅や高貴といったモノとはかけ離れた、幽鬼か何かのよう。
それでも、進むことが出来たのはほんの数メートル。
エルドラドは、とうとう残っていた最後の力も使い果たし、このまま深い森の中で朽ち果ててしまうのか、と絶望に襲われた。
「……? 誰か、居るんですか?」
「……っ、う……」
――そんな、エルドラドの耳にがさがさ、という草木を掻き分ける音と共に、少し幼気な声が聞こえてきた。
しまった、とエルドラドは何とか交戦しようとはするものの、欠片の力も残っていないその身体はまるでいう事を聞かず。
近づいてくる足音に対応も出来ないまま、エルドラドは意識を失った。
――エルドラドが次に目を覚ましたのは、見知らぬ部屋の中。
視界に映る木造りの天井に、エルドラドは眉を顰める。
「……ここは……っ、うぅ」
身体を起こせば、そこがベッドの上だとエルドラドはようやく認識するけれど、次いで来た眩暈に軽く頭を抱え込む。
体調不良も、何もかも今まで肉体を持たなかった――洞窟外からの知識が無かったエルドラドには新鮮だったけれど、それはそれとして苦痛は苦痛なのか。
小さく溜息を漏らしつつ、エルドラドはここが一体どこなのかを確認しようと窓の外に視線を向けた。
窓の外に広がっているのは、鬱蒼とした木々ばかり。
恐らく意識を失った場所からそこまで離れては居ないのだろう、と何となくエルドラドはそんな事を考えながら、ベッドから降りて、立ち上がろうとして――
「……っ、と、と……っ!?」
――ぐらり、と。
膝に力が入らず、どたん、と尻もちを突いてしまった。
その音に気づいたのか、部屋の外から足音が聞こえてくれば、エルドラドは身構える。
足腰は立たないものの、幸いというべきか、その格好は倒れた時のままで。
腰に帯びていた金色の魔剣を手にすれば――普段ならば重さも感じないであろうそれに、ずっしりとした重みを感じつつも、来る相手を仕留めんと息を整えた。
コン、コン、という少し控えめなノックの音。
それから少しして扉が開き、エルドラドはその切っ先から剣閃を放とうとして――
「……良かった、目が覚めたんですね。物音が聞こえましたが、大丈夫ですか?」
「――……」
――その、あまりの敵意のなさに。
そして、その少年の姿に、エルドラドは警戒よりも先に疑問が浮かんでしまった。
その少年は、余りにも小柄だった。
痩せているのもあるが、しっかりと成長できなかったのか――その背丈は130に届かない程度しかなく。
しかし、それ以上に特徴的だったのは、その顔――いや、その目だった。
事故か、或いは人為的なものか。
少年の目があるべき場所にあるのは、大きな火傷だけで。
目を開こうにも瞼さえ焼けてしまっている……否、既に眼球すら無いであろう有様は、エルドラドの警戒心を奪うには十分すぎた。
――こんな子供が、自分になにか出来るものか。
そんな侮蔑にも似た安堵を覚えつつ、エルドラドは小さく息を漏らす。
「簡単ですが、食事を用意したのでどうぞ。こんな森で遭難だなんて、大変でしたね」
「そうなん……え、ええ、まあそうですわね」
少年は、エルドラドを遭難者と勘違いしたのか。
目も見えないであろう有様でありながら、器用に板の上に乗せた料理をエルドラドが寝ていたベッドの脇に運べば、そのままエルドラドに手を差し伸べて。
エルドラドはまた一瞬だけ警戒をしたものの、今は何もしないほうが得策か、と少年の手を取ってベッドに腰掛けた。
「事情は聞きません。僕も、まあ……色々とありますし。とりあえず、どうぞ」
「……どうぞ、って」
「美味しくないかもしれませんが、何か食べたほうが良いと思います。ベッドから起き上がれないくらい、お腹がすいているみたいですから」
「ん……まあ、それでは」
少年の言葉に、エルドラドは軽く眉をひそめつつ、少年が用意した料理に視線を向ける。
そこにあったのは、いかなる手段で用意したのか、硬そうなパンと暖かく湯気を立てている野菜の、山菜の煮込みがあって。
エルドラドはそういった物を口にしたことは無かったけれど――この作り替えた肉体が、食事という行為を覚えていたのか。
ぐうぅ、きゅるる、とお腹が音を鳴らしたのを聞けば、何故かエルドラドは妙に気恥ずかしくなりつつも、その料理に手を付けた。
「――……っ」
「あ……や、やっぱり、美味しくなかったですか?」
「……うるさいですわ」
――煮込みも、パンも。
それは決して豪華ではなく、華美でもなければエルドラドのセンスに合ったモノでさえ無かったけれど。
それを一口食べてしまえば、エルドラドは何も言葉にすることはなく、もくもくと用意された料理を口にしていった。
少年の心配そうな言葉を一蹴しつつ、食べて、食べて――
「――おかわり」
「え」
「早く次を持っていらっしゃい」
「……は、はいっ」
――そして、用意された料理を全て平らげれば。
少年にそんな言葉を向けながら、少し顔を赤く染めつつも、ふいっと視線を窓の外に移した。
空腹で、空腹で。倒れてしまうほどに空っぽだったお腹には、少年の料理は暖かく、染み渡るようで――それが、エルドラドには癪だったのだろう。
光を失った少年は、そんなエルドラドの様子など見ることは出来なかったけれど、おかわりを要求された事が嬉しかったのか。
口元を嬉しそうに緩めれば、ゆっくりと板に乗った容器を手にして、部屋を後にした。
「……全く、殺風景で貧相な部屋ですこと」
目が見えない相手とは言えど、相手の差し出した料理に夢中になってしまった事に屈辱半分、羞恥半分になりながら。
エルドラドはせめてケチが付けられる部分にケチを付けつつ、小さく息を吐き出した。
「とりあえず――調子が戻るまではここに居るとしましょうか。隠れ家としてなら、まあ30点はあげても良いですし」
ぶつくさとそんな言葉を口にしつつ、エルドラドは簡素なベッドの上で横になる。
本当だったなら、今頃人間どもを黄金に変えて、全てがエルドラドに傅くような黄金の国を作っている真っ最中の筈だったのに――そんな、今となっては夢物語のような事を考えながら。
エルドラドは、早く次の料理が来ないかしら、なんて、ベッドの上で足をパタパタとさせていた。




