29.落とし穴
アルカンと他愛のない会話をした翌朝。
俺達が起きるのが――特に俺は二度寝したからだけども――遅かったのもあってか、アルカン達は既に宿を発った後で。
俺に渡すように、と宿の主人に預けた書き置きを手渡されれば、それを見て思わず軽く笑ってしまった。
【――儂が来るまで、楽しい事は残しておくようにの】
ただ簡潔に、それだけが書かれた書き置きを適当に畳んで、荷物入れの中に入れる。
部屋に忘れ物でも無いか、軽く確認すれば、軽く欠伸をして。
『なんじゃ、おねむかの?』
「あー……まあ、やっぱ二度寝すると眠いな」
「まあ、竜車の中でゆっくりと休むと良い。宿程ではないだろうが、多少は寝れるだろう」
「それでは、私は鍵を返してきますね」
「ああ、頼む」
アルカン達との死合で負った傷もすっかり癒えた俺達も、アマツを発つ事になった。
既に目的は果たしているし、次の目的地も決まっているのだから、ここに留まる理由もないだろう。
……ほんの少し、まあここの湯船が気持ちよかったのもあって寂しい気持ちはあるが、それはそれ。
リリエルが宿の主人に鍵を返したのを見れば、俺達は暫く預けていた竜車に乗って、ゆっくりと街の外へと向かっていく。
『また来ても良いかもしれんの。ここは羽休めには良さそうじゃ』
「……だな、色々済んだらまた来るか」
「良いな。次は他の宿にも泊まってみたいし――」
「その時までに、何かいい場所が無いか調べておくとしましょう」
ルシエラの言葉に軽く返し、続く言葉に少しだけ、ほんの少しだけ目を丸くした。
……ああ、そうだな、そう出来たらきっと良い。
その時にはもうちょい気のおける連中が増えてたら、きっと尚の事楽しいだろう。
そうこうしている内に、アマツを出たのか。
外の賑わいはやがて遠くなり、周囲からは木々のざわめく音と、時折動物の鳴き声がするばかりになった。
さて、ここからランパードは結構な距離があるはずだし、俺も一寝入りするか、と。
毛布を荷物から引っ張り出せば、軽く包まりながら、うつらうつらとして――
「――お疲れ様。随分長い滞在だったわね」
「……ん。あ」
――久しく聞いていなかったその声に、俺はカクン、と頭を揺らしながら目を開いた。
相変わらずアミラは警戒しているようだったけれど、その声の主は気にもとめていないのか。
トン、トン、と軽く竜車の中に入れば腰掛けて。
「で、無事目的は果たせたのかしら?」
「ああ、まあな。少し違う形だったけど……いや、思ってた以上に、か」
翼を収め、人の姿になった魔族――クラリッサに軽く言葉を返せば、俺は軽く欠伸をした。
クラリッサは、ふぅん、と余り興味を示した様子も無く声を漏らし。
「……ああ、そうそう。貴女、監視されてたわよ?」
……何気ないことのように、そんな言葉を口にした。
もそり、と毛布の中で姿勢を軽く正すと、改めてクラリッサの方に視線を向ける。
監視。
俺を監視する奴なんて、心当たりは殆どない。
例えば、それこそ目の前のクラリッサみたいな特別な事情でもなければ、俺なんかを監視する意味は――
「……もしかして、どっかの国の奴か?」
「正解。ええっと、何だったかしら……ランパ……ランパッド?ラムパッド?」
「まさか、ランパードか?私達……というかエルトリスはその国とは関わったことすら無いはずだが」
『鬱陶しい奴らだのう……クロスロウドでは無かろうし、ランパードか残りの一つのどちらかじゃろうが』
――そこまで考えて、俺が以前巨獣殺しだのなんだの言われていた事を、今になって思い出した。
辺境都市で魔族を……ファルパスを倒した時にそういうのを聞きはしたが、よもやここまでしつこいとは思っても居なかった。
「……恐らくは、ランパードですね。オルカさん達の話だと戦争をしたがっているようでしたし」
「はぁ、戦争?人間って馬鹿なのかしら、内輪揉めなんて――って、まあ私達が言えたことではないけれど」
リリエルの言葉に、クラリッサは心底呆れ返ったような言葉を口にする……が、すぐに口を噤む。
……派閥が有る、という話だし。
まあ、魔族も一枚岩じゃあないんだからこっちの事をどうこう言えるような状態じゃあないんだろう。
しかし、それなら今の状況はかえって都合が良いかも知れない。
ランパードに行って、魔族が居れば魔族を――まあ、馬鹿王がちょっかいかけてくるようならその馬鹿王をぶちのめしちまえば、大体解決するだろうし。
「――それで、今度はそのランパードって国に行くのね。ご苦労な事だわ」
「ま、正直言って望み薄では有るんだけどな。王が馬鹿なだけで魔族絡みかはちょっと怪しいし」
「でしょうねぇ。全く、そんな悠長な事しないでアルケミラ様の元で一緒に働きましょうよ。そうしたら、魔族とやりたい放題よ?」
「……だから、誰かの下に付くのは嫌だっつってんだろ」
「意地張ったってどうせ無駄なのに――アルケミラ様は、一度目を付けた相手は何が有っても手に入れるタイプなんだから。あの忌々しい壁が、もう少し弱くなったら――」
――クラリッサが、何やら聞き捨てならない言葉を口にしたその瞬間、竜車が唐突に足を止めた。
ガタンと揺れる竜車の中、何が有ったのか、とルシエラと視線を交わし、頷き合えば俺はルシエラを手に外へ出る。
アミラも、そしてクラリッサまでもが何が有ったのか、と竜車から降りて。
そして、竜車の進む道の先。
まだ雪が残る、吐息が白む程の空気の中――異質な物が、俺達の視界に映った。
心地よさそうな、穏やかな光。
色とりどりの花々が咲き乱れる花園。
穏やかな明かりの中を蝶が舞うその様は、息が白む程の寒さだというのに暖かだと錯覚してしまう程で。
「最、悪」
そんな、楽園じみた光景にクラリッサが漏らしたその言葉に、俺も思わず頷いてしまった。
その楽園のような花園の真ん中には、テーブルに腰掛けた幼い姿が一つ。
俺と背格好が然程変わらない程に幼く、愛らしい少女。
以前クロスロウドでも見たその姿を目にした瞬間、アミラは顔を青褪めさせて、リリエルは構えつつも震え。
「――あ。待ってたわ、エルちゃん♥」
「……冗談きついな、おい」
友好的な笑顔と共に、嬉しそうに言葉を投げかけてくるその少女に、俺は思わずそう呟いてしまった。
――竜車の行く先。
俺達が向かおうとしていた道の先で、六魔将の一人であるアリスが存在し得ない穏やかな日差しの中で、紅茶を口にしていた。
どうする。
人魔合一という新しい境地を見出しはしたが、どう考えてもアリスと戦うのは、相手をするのは時期尚早だ。
だからといって、アリスが俺達を見逃すはずがない。
だって、約束までしてしまったのだ。
今度は、皆と一緒に一杯遊ぶ、という口約束を。
アリスはその口約束に喜んであの場は引いてくれたが、今度は俺達は怪我もしておらず万全で、今度こそ気まぐれが起こる理由さえない。
「――……っ、アリス様」
「っ、何を――!」
「黙って。お願い、静かにしてて」
そんな最中、クラリッサはバサ、と翼を広げればアリスの方へと飛んでいった。
逃げるつもりか、とアミラが声を上げるものの、それを窘めるようにクラリッサが余裕のない声を出せば、アミラは押し黙り。
そして、クラリッサを見たアリスはまるで旧知の仲の相手にでも出会ったかのように、表情を綻ばせた。
「あ、クラリッサちゃん!こんにちは、アルケミラちゃんは元気かしら?」
「はい、それは。その、アリス様……差し出がましい事とは、思うのですが」
「どうしたの?」
終始穏やかで、まるで友人か子供にでも声をかけるようなアリスとは対象的に、クラリッサはその前で身体を強張らせ、跪いたまま動かず。
「――どうか、エルトリスたちを見逃しては頂けませんか?彼女達は、アルケミラ様の客でもあるのです」
「……ん」
意を決したように口にしたその言葉に、アリスは口元に指を当てながら首を捻った。
そうしている間にも、アリスがくつろいでいた花園は広がっており――いつの間にか、竜車が走っていた道までもが花で覆われて。
そうして、数秒、或いは1分程は静寂が続いていただろうか。
冷たい空気が暖かな日差しに変わっていく奇妙な感覚を覚えつつも、俺も、アミラも、リリエルも動くことが出来ず。
「ね、クラリッサちゃん」
「は……はい」
「クラリッサちゃんは、勘違いしてるよ?私、別にアルケミラちゃんのお客様を取ろうだとか、そんな事は考えてないもの」
「……っ、で、では」
ようやくアリスが言葉を口にすれば、その言葉にクラリッサは顔を上げて。
「――ええ♥エルちゃん達と一杯遊んだら、その後でアルケミラちゃんの所に行きましょう?それまでは、クラリッサちゃんも一緒に遊びましょうね♥」
――そして、続く言葉にクラリッサは間髪入れずに空へと飛べば、身動きを取れずにいた俺達に声をあげた。
「――っ、さっさと逃げなさいエルトリス!!足止めは私がするから!!」
「な……っ」
「アンタに壊れられたらアルケミラ様に申し訳が立たないのよ――ッ、さっさと行け、人間!!」
クラリッサの叫び声に、身体を硬直させていたリリエルが、そしてアミラが動く。
俺は――クラリッサに借りを作る事に舌打ちをしつつ、竜車へと飛び込めば、リリエルに走り蜥蜴を全力で駆けさせた。
ここで潰れても構わないから、とにかく遠くへ、遠くへ。
「――っ、――……っ♪」
「あら、相変わらずお歌が上手なのね、クラリッサちゃん♥それじゃあ私も――」
後方では、クラリッサが美しい歌声を奏で――それに合わせるように、重ねるように、もう一つの歌声が響き始める。
「くそ……っ、まだ花園は抜けねぇのか!?」
「駄目です、花園に果てが――果てが、見えません……っ!!」
リリエルの言葉に、視線を前方へと向ければそこにあるのは一面の青空で。
周囲に有ったはずの森も、山さえもが見えなくなっている事に気づけば、俺は背筋をぞくりと震わせた。
――まるで、もう既に手遅れのようじゃあないか、と。
「――……♪――――♪♪」
「……っ!?エルトリス様、アミラ様、竜車から降りて――!!」
「な……く、ぁっ!?」
歌声が遠くから響けば、唐突に竜車が激しく揺れ、横転する。
花園の中に横倒しになった竜車から既の所で脱出すれば――そこには、何も外傷も負っていない筈なのに、倒れ伏して動けなくなっている走り蜥蜴の姿があった。
過度に走らせすぎた?
そんな訳はない、まだ全力で走らせて数分も経っていない筈なのに――!
「――♪――……♪♪……♪」
『――ちょ、ちょっと!どうしたのよリリエル!?』
「……っ、何故……力が、入らない……っ」
「く……こんな、時にどうして……」
『何じゃ、何が起きておる――エルトリス、まだ動けるか!?』
「当たり前だ、くそ、何が起きて――……!!」
次いで、リリエルが、そしてアミラが力なく花園の上に倒れ伏していく。
毒か、或いは何らかの攻撃を既に受けていたのかは分からないが、この状況はとてもまずい。
俺の方は少し気怠さを感じる程度で、それ以上ではないのが幸いだけれど――
「……さあ、それじゃあエルちゃん♥」
「――あ」
何とか、リリエルたちを抱えてでもこの場から脱さなければ、と。
そう考えて、行動を移すよりも速く――何故か、遠く後方に居たはずのアリスは俺の目の前に立っていて。
「約束よ、皆で一杯遊びましょう?時間も忘れて、一杯、一杯――♥」
――アリスが俺の顔にそっと手を添えて。
敵意なく、優しい声色でそう囁やけば、俺の意識は深い深い穴の底に落ちていった。




