27.少女、少しだけ理解する
「――は、ふ」
湯船に浸かりながら、小さく息を漏らす。
メネス達――というよりは、メネスとサクラは相変わらず少し騒がしかったものの。
身体を洗っている時と比べれば、大分大人しくなった二人をオルカはしっかりと監視していて。
そんな三人をほんの少しだけ微笑ましく思いながら……俺は、隣に居るルシエラに少しもたれ掛かるような形で、暖かな感覚に身を委ねていた。
湯は熱くもなく、温くもなく。
この幼く弱い身体でも心地よいと感じる程度で、早々にのぼせる事も無いだろう。
『傷の具合はどうじゃ?』
「ん……」
心地よさに浸っていると、不意にルシエラの静かな声が耳に届く。
いつもからかったり、おちょくったりしてくるルシエラらしくもないその声に、俺は少し不思議な感覚を覚えつつも、こくん、と頷いた。
「大丈夫、もう大体良くなった。痕も、残ってないだろ?」
『そうか、それは何よりじゃ』
俺がそう口にすれば、ルシエラはまた静かになり――少しだけ寄りかからせて居た俺の身体を軽く抱き寄せると、膝の上に載せて。
またからかうつもりか、と少しだけ身構えたものの。
ルシエラは俺の腰に軽く腕を添えるようにすれば、ただ優しく抱くだけだった。
……熱でもあるんだろうか。いや、魔剣だからそういう事は無いんだろうけども、ちょっとだけ心配になる。
『――思えば、私とお前はずいぶん長い付き合いじゃな』
「ん、ぁ?あ、ああ、まあ……そう、だな」
唐突なルシエラの言葉に、少しだけ考える。
アルカンとサクラは、アルカンが若い頃からと言っていたし……下手をすれば80年だかそれ以上を共に過ごしてるんだろうから、それには流石に及ばないけれど。
『くく、薄汚れた子供が、死体塗れの部屋にあった私を手にした時は、短い付き合いだろうと思っておったが』
「……ああ、そういやそうだったな」
――遠い、遠い昔。
俺が元の体で、更にまだ年端も行かなかった子供の頃。
殺して、奪って、襲って――そうしなければ生きていく事さえ叶わなかった、幼少期。
更なる力を求めて、半ば処刑道具として扱われていたルシエラを手にしたのは、何十年も前だったか。
『エルトリスは、私の予想に反して魂も、肉体も飛び抜けて強かったのう。よもや、私を扱って最期まで戦い抜くとは思わなんだ』
「ハッ。まあ、最期は負けたし――今は、この体たらくだけどな」
少しだけ自嘲的に笑いつつ、今の身体に視線を落とす。
嘗ては生半可な刃を通さなかった、筋骨隆々とした身体は、今ではシミ一つ無い白く、柔らかな肌に。
少し身動きするだけでも揺れて、弾んでしまう胸元の駄肉は、減るどころか最近は僅かに重みを増している気がするし。
その癖、背丈だけは相変わらずちっこいままな、何とも脆弱でみっともない――以前の俺とは性別から強さまで、まるで真逆なこの身体。
……ただ、どうしてだろう。
最近は、どうにも……いや、嫌な事には代わりはないのだけれど、こうなってしまった事自体は悪い事じゃなかったかもしれないと、思えるようになっていた。
『……そんなか弱い、幼女の身体になってもエルトリスは、エルトリスのままじゃったな』
「当たり前だ、どんな身体でも変わるもんかよ」
『じゃが、少しだけ変わったよ、お前は』
ルシエラのそんな、どこか感慨深いと言った声色に、顔を上げる。
そこにあるのは、いつも通りのルシエラの顔。
――いや、いつも通りだけれど、どこか……こう、穏やかで、暖かな。
そんな、ルシエラらしくもないその表情に、俺はとくん、と胸を高鳴らせてしまった。
『以前のエルトリスは、私を使う事はあれど、頼る事は無かったからの』
「……そう、か?」
『ああ、そうだとも。飽くまでも、私を武器としてしか見ていなかったじゃろう?』
ルシエラのその言葉に、む、と声をつまらせる。
……思えば、確かにそうだったかもしれない。
俺は今まで、ルシエラの事をただの喋る武器だとしてしか扱ってこなかった、ような気がする。
この体になってからも、ルシエラという武器が有れば何とかなると、以前のように扱って。
それでも勝てない事態に陥れば――短絡的に、新しい武器を用意すればいいとまで、考えもした。
結果として、俺はアルカン達から人魔合一という新たな境地を学びはしたが――あの時、ルシエラに対して抱いた感情は、抱いたものは、決して武器に向ける物ではなかったと、思う。
『だから……あの時、私を真に求めてくれた――共に闘おうと口にしてくれた事は、本当に嬉しかった』
「ん……」
ぎゅう、と傷に障らない程度に、しかしその大きな体に軽く埋めるように、抱きしめられる。
以前の俺だったら、ただ恥ずかしくて鬱陶しいと思うだけだったそれも、少しだけ心地いい。
真に、求めた。
共に、闘った。
それは、以前の――強かった筈の俺では、決して辿り着くことは無かったであろうモノ。
「そう、だな」
ぽつり、と口にしながら、表情を緩める。
ルシエラと一体となり、共に戦ったあの刹那の時間は、もしかしたらあの少年と戦った時間に比肩しうる――或いは、それを超える程に楽しかった。
頼れる誰かと共に戦うという初めての体験は、思った以上に悪くはなくて。
「――ああ、そうか」
『む……どうした、エルトリス?』
「ああ、いや。やっと……少しだけ、解った気がしたんだ」
そして、ようやく俺は僅かながらに理解した。
どうして、俺に挑んできた連中は一人じゃなくて徒党を組むことが多かったのか。
どうして、暴れまわっていたばかりの俺の周りに、いつしか取り巻きが増えていったのか。
至極単純な話。
そうする方が、一人でやるよりもきっと楽しかったのだ。
気に入った連中同士で集まって、色々やるのはきっと楽しいことだったのだ。
打倒し得ない強敵と戦うのだって、一人で戦うよりは、きっと。
……俺は、結局一人でどうにでも出来てしまったから、そんな思考を抱くことさえ無かったけれど。
「……少し、勿体なかったかもな」
『何じゃ、一人で話して一人で納得して』
「何、まあこうなったのも悪くない、って思っただけだ」
『……ふむ』
もしも、最期の少年との戦いに。
こうして、ルシエラと心を交わし、言葉を交わし――そして、ルシエラを真に頼り。
ともに戦う事ができたのならば、勝てたのではないだろうか。
否、たとえそれでも尚届かなかったのだとしても、きっともっと楽しかった――楽しめたのではないだろうか。
そんな、今更どうしようもない事を思い、笑って。
首をひねるルシエラにそう返すと――ルシエラは、いつものように少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。
『そうだのう、以前の身体では無かった楽しみが一杯有るからのう』
「ん……ルシエラ?」
『一杯可愛い格好をして♥一杯甘いものを食べて♥いーっぱい猫可愛がりしてやろう♥』
「え、ちょ、こら――っ」
優しく抱いていた腕はそのままに、ルシエラはその長い両足を広げれば、俺の身体に軽く絡めて。
首から下をつま先まで、ルシエラに軽く包まれるようになれば、俺は身動き一つ取れなくなってしまい――
『ふっふっふ、可愛い可愛い私のエルちゃん♪これからも一杯可愛がってやるからの……?』
「こ、この――この、馬鹿剣――っ!」
――耳元で甘く囁かれれば、ふるりと身体を震わせつつ。
ルシエラの柔らかな肢体に包まれる感覚に、頭を今にものぼせそうな程に熱くしながら、俺は思わず声を荒げてしまった。
そんな俺達に視線を向けながら、どこか微笑ましげに笑うサクラに、メネスに、そしてオルカ。
俺は、まるで小動物でも愛でるかのように頬ずりしたり、頭をなでたりとからかうように可愛がってくるルシエラになすすべもなく――……
……結局、のぼせてダウンするまで、俺はルシエラから解放される事はなかった。
何というか、こう。
穏やかになったというか、優しくなった反面、こういうスキンシップはより過激になったような、そんな気がする。




