26.明かりを羨む夜啼鳥
エルトリス達が浴場でのんびりと身体を暖めている頃。
そこから程なく離れた山の上から、街の様子を欠伸混じりに眺めている小さな影があった。
クラリッサ。
クロスロウドでエルトリスと出会い――アルケミラからの命で、エルトリスをアルケミラの陣営へと引き込もうとしている魔族。
彼女は人目がないのを良いことに、文字通り翼を広げながらのんびりと羽を休めていた。
「……一段落、ついたのかしら」
そんな言葉を口にしつつ、腰掛けた樹の幹の上でぶらぶらと足を揺らす。
クラリッサはエルトリス達が街に入って以降、ずっとエルトリス達の事を山の上から観察――もとい、監視していた。
魔族ゆえか、超常じみたその視力は屋外に居る存在であれば、例え夜中であったとしても捉える事が可能で。
その視力をもってして、クラリッサはエルトリスが命の危機に陥ったのであれば横槍を入れて、恩の一つでも売ってやろうと思っていた……の、だが。
「流石にアルケミラ様が求めるだけはあって、そういうのは無かったわね。残念」
くぁ、と小さく欠伸をしながら寝ぼけ眼を擦り、目論見が外れた事を軽く嘆く。
とは言っても、その嘆きも冗談交じりで――主であるアルケミラが求めた者であるのであれば、その程度は当然だという認識のほうが強かった。
クラリッサの眼前に広がるのは、退屈で穏やかな、人間の街の明かり。
多くの魔族がそれを見れば壊したい、滅ぼしたいといった衝動に駆られる中、クラリッサだけは――否、クラリッサともう一人だけは、ほんの僅かに違う感情を抱いていた。
あの多くの人間たちに、有象無象達に自分の歌を、音楽を聞かせたい。
無論その欲求は、アルケミラの命令には及ぶことがない程度のものではあったけれど。
「……アンタが隣に居たら、こんな退屈じゃなかったのかしらね?」
今はもう、答えが帰ってくる訳もないその問いを呟きながら、クラリッサは夜空を見上げた。
既に滅び、消失した同胞。
歌と楽器、僅かに違えど似たような物を愛した者。
ファルパスの名を、口にする事はなく……しかしその存在を懐かしむように、クラリッサは白い息を吐き出して。
――そして、眼下で小さく呻く者たちに視線を向けた。
「ぐ……っ、あ……」
「く、うぅ……っ」
「……退屈しのぎくらいにはなってくれればよかったのに。つくづく残念だわ、ホント」
いつから倒れ伏しているのか。
その身体には薄く雪が積もっていて、漏れる声は弱々しく。
外傷もないというのに、身動き一つ取ることが出来ないその者達を見下ろしつつ、クラリッサは翼を軽く羽撃かせると彼らの近くに舞い降りた。
「……っ、化け物……め……」
「失礼ね。いきなり襲いかかってきたのは貴方達でしょうに」
冒険者というには些か立派な鎧を、装備を身につけた者たちを、猛禽類のような足先で軽く突きながら、クラリッサは溜息を漏らす。
――正確には、エルトリスたちを監視している中で偶然見かけた怪しい連中に、わざと見つかるように振る舞っていたのだが。
そんな事を口にするはずもなく、クラリッサは被害者然とした態度を取りつつ、やれやれと言った様子で肩を竦めて。
「――あの子達に何か用かしら?」
「ぐ……っ、あの子、だと……」
「エルトリスよ。貴方達、あの子を観察していたでしょう?」
クラリッサのその言葉に、その者達はビクッと肩を震わせた。
依然として何故か立ち上がることが出来ない身体。
いつ殺されてもおかしくないというその状況で、その名前が出てくれば――
「……っ、そ、そうか……貴様……っ、いや、あの少女は……魔族と、組んで……」
「……は?」
――そんないかにも的外れな言葉が、連中のリーダーであろう者の口から飛び出した。
クラリッサは思わぬ言葉に首をひねりつつ、何を言ってるんだろう、と言った様子で眉を顰めるが、その様子を見ることが出来ないその男は、確信を突いたのだろうと思い込み。
「おかしい、と……おもって、いたんだ……!あんな、小さな子供が……魔獣を、魔族を相手取った、などと……っ」
「……はぁ」
「く、くく……しかし、残念だったな……っ。あの街には、かつて我がランパードの剣とも呼ばれた、あの方が居る、のだ……!あの少女の正体など、直ぐに、看破……する、だろうさ……!!」
重ね重ね、的外れな言葉を繰り返すその男にクラリッサは心底呆れ果ててしまった。
男の口にした、ランパードの剣と呼ばれた男の事であれば、クラリッサも既に察知していた。
エルトリスと会話を交わしたりしている場面を幾度か見ていたが――そしてつい先日、傷まみれになったエルトリス達と共に霊峰の方から戻ってくるのを見たが、その男は終始エルトリスと意気投合し、仲がいい様子で。
……元より、男の言う的外れな事実など有りはしないのだから、当たり前の事ではあるのだが。
それでも尚、まだ自分の都合の良い現実しか見えていない男は、勝ち誇ったように言葉を口にする。
「あの、方さえ……その気になれ、ば……!貴様ごとき、魔族、などぉ……っ!!」
「――もう良いわ」
そんな男の態度を見るに堪えないと感じたのか。
それとも、飽きたのか。
クラリッサは小さく息を吸えば、周囲に響くような美しい歌声を口ずさみ始めた。
「……っ、ひ……っ!?ま、まて、待ってくれ!!」
「――♪――♪♪」
聞くものを魅了するかのようなその美しい声色に、先程まで勝ち誇っていた男は――そして、その部下達は悲鳴をあげる。
その悲鳴は不思議なことに、然程音量が有るわけでもないというのに直様その悲鳴を掻き消して。
「ぁ――あ、ぁ――あぁ……っ」
口をパクパクとさせながら、か細い声をあげつつ。
特に外傷を負うことも無く、言葉を発する事は出来ていた男たちは次々に力なく雪の上で伏せていく。
その表情には恐怖がありありと浮かんでいたが、しかしそれでも男たちは傷一つないその身体を微かに動かす事さえ出来なかった。
ほんの少しでも力が入れば、起き上がり、立ち上がって、直様その場から逃げ出すことも出来ただろうに、それさえも出来なかった。
「――……♪」
それこそが、クラリッサの持つ力だった。
その美しく、聞くものを魅了するような歌声は生きとし生けるものの力を奪う、魔性そのもの。
クラリッサはその歌声を敵対する相手に聞かせる事で無力化し、そのまま息の根を止める事を得意としていた。
ファルパスと同じく音を司る力でありながら、その在り方は対極的で。
聴くものを強化する事が出来たファルパスと、聴くものを弱体化させるクラリッサは有る種、アルケミラの陣営の強さを支える大事な屋台骨でもあったのだ。
――もっとも、その屋台骨の片方は既に欠けてしまったのだが。
「……ん。全く、退屈しのぎにもならなかったわ」
足元でか弱く震える男たちを見ながら、クラリッサは翼を羽撃かせると再び木の幹に腰掛ける。
男たちは命乞いをしようとしたものの、既に声さえも出すことは出来ず。
とくん、とくん、と自らの鼓動がじわりじわりと弱くなっていくのを感じさせられながら、その生命が尽きるのを何も出来ずに感じる事しか出来なかった。
「それにしても――」
そんな男たちからは既に興味を失っているのか、クラリッサは視線の先に広がる暖かな街の明かりを見ながら、小さく息を漏らし。
「――私も入ってみたいなぁ。気持ちいいのかしら」
魔族の文化にはない、所々から上がる湯けむりらしい白い筋に、心の底から羨ましそうにそんな言葉を口にした。




