つかの間の休息
息抜き回。
あれから椿とアズール、狩人の面々は疲労困憊といった体で支部へと帰還した。
警備隊の一部の人達は、現場に残って被害状況の確認などをしている。
負傷した人や、力及ばず亡くなってしまった人達は、治療院と言う名の病院へと運び込まれ、ティオ達の遺体も、ここに安置されていた。
支部の扉を開けて帰ってきた全員が、血と汗、土埃に塗れて酷い有様だ。
空にはすでに太陽が昇り、燦々と輝く朝日が、徹夜明けの椿達の目をこれでもかと刺激する。
疲れ果て、トボトボと歩く全員に、戦闘を歩いていたアズールが振り向き、口を開いた。
「皆、ご苦労だった。しばらくはゆっくりと休んでくれ」
労うアズールの顔にも疲労が見え隠れしているが、それは肉体的以上に精神的なものが大きいのだろう。
ちなみにガイは、あの騒ぎの中一足先に支部へと運び込まれ、自室で治療が続けられた。
そのかいあって、止血は何とか出来たものの、未だ危険な状態には変わりなく、意識も戻っていない。
これ以上の治療は、この町では無理だと判断されたが、さらなる悪化を防ぐため、交代で治癒魔法を使える魔法士が、昏睡状態のガイに引き続き治癒魔法をかけ続けていた。
受付を担当している数人の女性が、ふかふかのタオルを狩人達に手渡してくる。
椿もそれを受け取り、顔の汗と手に付いていた黒血を拭き取る。
シンはある程度眷属を倒した後、身体の主導権を椿に返したが、事態が終息しても椿と一体化したままだ。
「丸一日休みに出来ないのが心苦しいが、緊急事態が起こらない限りは午前中だけでも休みにするつもりだ。各々休息を取ってくれ。報告書の提出なども後回しで構わん。今回の報奨金の給付については、また後日の説明とする。では解散」
アズールがそう言うと、狩人達は這う這うの体で散り散りになり、ベテラン勢は支部の自室へ、他の狩人達は支部を出て宿屋へ、その体力も無いものは支部1階で雑魚寝を始める。
椿は宿屋も取っていないし、他の狩人達に交じって1階で寝るか、と考えているとアズールから声がかけられた。
「ツバキ。私の部屋を使え」
「え、でもそれだとアズールさんが休めませんよ」
軽い驚きと共に疑問を浮かべて訊ねる椿に、アズールは首を横に振る。
「問題ない。私は休まなくても平気な身体だし、まだやる事があるからな」
「・・・そうですか。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
疲労と眠気がピークに達している椿は、上手く働かない頭のまま、アズールの申し出を受け入れる。
「あぁ。起きたら執務室に来てくれ。3階の真ん中、私の部屋の隣にある」
「わかりました」
返事をして、椿は階段を上り、3階左手奥にあるアズールの部屋の扉を遠慮なく開けて、フラフラと中に消える。
それを見送った後、アズールも階段を上って執務室に入って行った。
アズールの部屋に入った途端、椿の身体から金の粒子が放出し、シンが分離する。
その粒子が集結して、一瞬の後シンの身体が構成された。
現れたシンはフードを被っておらず、漆黒の髪がむき出しだった。
「ふぅ。お疲れ~いやぁ中々、激動の一日だったねぇ」
ほぼ丸一日歩き通しな上、気を張り続けていて肉体的にも精神的にも疲労MAXな椿は、シンと話す余力すらないのか、トロンとした目で頷く。
「・・・ん」
そうして椿は一文字だけ返事をすると、フラフラとベッドに向かって歩いていき、剣帯も剣も外さず、ボフッとうつ伏せにダイブした。
そのまま盛大に深呼吸をする。
真っ白い布団から香る、陽のいい匂いに椿の眠気が増大。
睡魔が意気揚々と椿に襲い掛かってきた。
「あれ、寝ちゃうの?」
「ん~・・・」
またもや一文字だけの返事をして、椿は眠気に抗うこと無く瞼を閉じる。
「ふふ。おやすみ椿」
椿と同じだけ動いていたはずなのに、まだまだ余裕を感じさせるシンの声色を聞いて、椿は釈然としない気持ちを抱いたまま、眠りに落ちて行った。
それからたっぷり8時間後。
椿が目を覚ますと、陽は頂点からそこそこ傾き、時刻はちょうど昼と夕方の間だった。
いつの間にか寝返りを打っていたらしく、布団の上で仰向けになっている。
椿がガバッと起き上がると、枕元で腰かけていたシンが声をかけた。
「おはよう椿。よく眠れた?」
後方から話しかけられた事に、若干驚きつつ椿は振り返る。
「おはよう。・・・シン、寝なかったの?」
「はは。まぁ睡眠が必要なほど消耗してなかったからね。それより、アズールが言った事覚えてる?」
言った事・・・と考えを巡らせ、すぐに思い出す。
「確か執務室に来いって・・・」
そこまで言って、椿は言葉を詰まらせる。
執務室に来るように言われたのは覚えているが、最後の部分があやふやな為、肝心の執務室が何処にあるのか思い出せなかった。
眉根を寄せて、考え込む椿に、シンが助け船を出す。
「執務室は3階真ん中の部屋だよ。この部屋の隣だから、すぐに行ってみよ」
そう促され、椿は頷いてすぐにベッドから降りた。
真っ白だった布団が、土埃と服に染み込んだ黒血で汚れているのを見て、罪悪感が芽生えるのと同時に、風呂に入りたい欲求がこみ上げる。
そう言えば、昨日の昼から何も食べてないな、と思い至った所で、椿の腹からグゥ~と音が鳴った。
思わず顔を赤くして腹を押さえていると、シンが椿の隣に来る。
「あー、後で何か食べに行こっか」
苦笑気味に言うシンの顔が憎たらしい。
椿は怒りそのままに、シンを置いてノシノシと扉に向かって荒々しく歩いていく。
椿のその行動が照れ隠しである事を知っているシンは、やはり苦笑し、フードを目深に被って椿の後を追い、アズールの部屋を後にしたのだった。
部屋を出た二人は左に進み、執務室の前まで来る。
そして椿が扉を2回ノックすると、すぐに中から「入れ」とアズールの声が返ってきた。
ノブを回し、ゆっくりと扉を押し開けると、まず椿の目に入ったのは書類がうず高く積まれた、大きく重厚な机だった。
あまりにも書類の量が多い為、そこに座っているであろうアズールの姿が埋もれていて見えない。
次に壁一面の本と天井から吊り下がっているシャンデリア、床に敷かれた赤いビロードの絨毯へと目が移る。
豪華だが品良くまとめられている部屋は、エルンドラ家の室内と比べて対照的だ。
静かな室内には、カリカリとペンの走る音が響いていたが、その音が不意に止まる。
そうしてアズールが立ち上がると、ようやく椿達の目に、眼鏡をかけたアズールの姿が映った。
「どうした?そんな所で。中に入れ」
扉を開けたまま立ち止まっている椿を見て、怪訝そうにアズールが促す。
「椿、入れないよ~」
椿の後ろから、シンが軽く非難の声を上げる。
「あ、ごめん」
品の良い部屋に、思わず足を止めて見入っていた椿は、シンに謝ってから室内に足を踏み入れる。
絨毯のふかふかした感触に、落ち着かない気持ちを抱きながら、アズールの元まで歩を進める椿とシン。
アズールの眼鏡姿を初めて見る椿は、イケメンは何でも似合うな・・・としみじみ思う。
「よく休めたか?」
「おかげさまでー」
返事をしたのは椿の隣に立つシンだ。
「すみません。ぐっすり寝すぎたようで、こんな時間になってしまいました・・・」
シンとは逆に、頭を垂れて謝る椿。
「いや、昨日は大変だったからな。少しでも疲れが取れたなら何よりだ」
首を振るアズールの目には、言葉と同様に椿を気遣う色が浮かんでいる。
「ありがとうございます。あの、ガイの事なんですけど・・・」
「あぁ、その事も含めて、今後の事を話したいと思ってな」
そう言うと、アズールは椿達の目の前に移動して、改めて話し出した。
「ガイだが、ここでは今以上の治療は出来ないのが現状だ。未だ意識も戻っていない。その為、私はこれから転移をしてガイを王都へと運ぶ。王都ならば、私以上の治癒魔法が使える者もいるからな。意識まではわからないが、危険な状態からは脱せるはずだ」
コクッと頷く椿を確認して、アズールはさらに話を続ける。
「で、ここからがツバキ達にも関係する話なんだが、君達も王都に来て欲しい。王都にはツバキの守護天使が待っているし、これからの救世主の道筋を提示してくれるだろう。王も君達に会いたいと仰せだ。ただ今回の転移魔法は距離が」
アズールがそこまで言った所で、椿が慌てたように口を挟んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!守護天使・・・についてはまぁいいとして、王と謁見ですか!?あの、私、服これしか持ってないし、この世界での礼儀作法とかも知らないんですけど!もしも、無礼を働いたなんて事になったら・・・」
この服、と椿は黒血が至る所に付いた軍服風のワンピースを指した上で、顔色悪くアズールに訴えた。
それを受けて、アズールは首を振る。
「作法など気にしなくていい。王は、何と言うかいい加減、いや失礼。適当・・・豪快・・・。とにかく細かい事を気にしない気さくな方だ。周りの者もそれは承知している。手討ちにする事など、万に一つも無いから安心していい。が、確かにそれは不味いか・・・」
アズールは椿の服を眺めながら呟くと、おもむろに手に魔法陣を浮かべ、椿に向けて放つ。
「焔よ」
その途端、椿の身体が白焔に包まれる。
「わ!」
驚いて目を瞑る椿をよそに、白焔は椿の服に付いた黒血を浄化していく。
そしてほんの数秒で、黒血のみを燃やし尽くすと、白焔は音も無く消えていった。
「もういいよ、椿」
シンの声を聞いて、恐る恐る目を開いた椿は、新品同様になった服を見て感嘆の声を漏らす。
「すごい、綺麗になってる」
「これでいいだろう」
手を下ろしたアズールがそう言ったのを聞いて、椿は反射的に礼を言う。
「あ、ありがとうございます。ってそうじゃなくて!確かに服は綺麗になりましたけど、そうじゃないんですよ!私が言いたいのは、王様に会うならもっと華美で豪華な服じゃないといけないんじゃないですか!?って事です!えーっと、なんて言ったっけ・・・そう!ドレスコードって奴です!」
キリッとした表情でまくし立てる椿に、やはりアズールは先ほどと同じように首を横に振った。
「さっきも言ったが、王はそんな事気にしない。むしろ堅苦しいのが嫌いなお方だ。そのままの格好で問題ない」
えー、と釈然としない面持ちのまま、とりあえずアズールの言葉を受け入れる椿。
「話の続きだが、転移魔法は王都まで距離がある為、定員は私を含めて二人までだ。何回も転移魔法を使って移動するのも色々と効率が悪い。その為、明日の朝、支部の横に馬車を用意しておく。椿達はそれで王都まで来てくれ」
「わかりました」
「王都までのメイン街道は定期的に眷属討伐をしている。直近だと昨日の昼か。遭遇することはまず無いと思うが、念の為これを渡しておく」
そう言ってアズールが懐から出したのは、輪っかになった白い紐の先に、薄く文字の彫られた群青色の玉が下がる、房の付いたやや小ぶりのアミュレットだった。
「これを持っていれば低位眷属、と言っても中級以下に限るが、気づかれないだろう。まぁ、絶対では無いのが心苦しい所だが、これからの旅にも役立つ物だ。受け取れ」
ずいっと差し出すアズールに、椿は遠慮がちに受け取る。
「あ、ありがとうございます」
「気にするな。それはあくまでも、眷属からの認識を阻害する為の物だし、その効果範囲も狭い。場合によっては気づかれる事もある。あまり過信はしないでくれ」
「はい。肝に銘じておきます」
しっかりと返事をする椿に、アズールも首肯して返す。
「明日の朝に馬車を用意するって言ってたけど、じゃあそれまでは自由時間って事?」
椿が、受け取ったアミュレットを早速剣帯の腰ベルトに装着しているのを確認しながら、シンはアズールに訊ねる。
「あぁ、今の内に色々と準備をすると良い」
「じゃあじゃあ!お風呂屋さんってある?もう身体中、汗でベタベタで気持ち悪いんだよねぇ~」
ウンザリと言った様子のシンに、アズールは少し考えてから答える。
「風呂・・・。浴場などの大きなものは無いが、軽い湯浴み屋なら、この支部を出て南大通りに少し行くとあるぞ」
「ありがとー!」
元気のいいシンの礼を受けた後、アズールは改まった様子で椿に声をかけた。
「さて、ここまでが今後の話だ。これからツバキ達には、昨日エルンドラ家で何があったのか話してもらう。無事生き残っているのが、君達しかいないからな。悪いが、自由行動はこの後になる」
神妙な表情で言うアズールに、同じく椿も真剣な顔で返事をした。
「はい」
こうして、椿は昨日ガイと別れた後の事を、要点を抑えながら簡潔に説明していく。
時折、シンが捕捉の説明や合いの手を入れながら話を続け、ようやくアズール達と再会した所まで話し終えた頃には、外はすでに夕闇が迫る時刻になっていた。
どういう仕組みなのか、自動でシャンデリアと燭台に火が灯り、暗くなる部屋を明るくする。
「ーーという訳です」
「なるほど。眷主、緋がこの町に運び込まれたのはつい昨日の事で、眷主、翠がエルンドラ家の長男となったのが3年前。さらにその前から、エルンドラ家は密かに眷属を運び込み、地下迷宮に放っていたと・・・」
ふぅ、とアズールは眉間に深い皺を刻み、重いため息を吐くと、眼鏡を外して目頭を指で押さえながら、一度首を横に振った。
「これは、貴族だからと荷物の検査を怠った警備隊の落ち度だな。いや、それを傍観したまま放置した、この町全体の責任と言ってもいいかもしれん・・・。なんにせよ、これで王への報告書がまとめられる。感謝する、ツバキにシン」
「どういたしましてー」
「いえ、私もヴァンを引き止めるべきでした。そうすれば、あんな大量の被害者を出すことも無かったかと・・・」
ニコニコと返事をするシンと、表情を曇らせる椿。
正反対の反応を返す二人を見た後、アズールは眼鏡を机の空いた所に置きながら否定した。
「いや、先の事は誰にもわからない。その時はそうするのが最善だと判断したんだろう?ならば、後悔しても仕方がない。それに、そもそもの原因はエルンドラ家だ。止められなかった、気づかなかった我々の落ち度が根本にある。そう自分を責めるな」
「・・・はい」
アズールの慰めの言葉を聞きながら、それでも表情の晴れない椿を見て、アズールは一度咳払いをする。
「まぁとにかく。これで私からの話は終わりだ。他に聞きたい事が無いのなら、退室して自由に過ごしてくれ。私の部屋も引き続き、好きに使ってくれて構わない」
そこで、意を決したように椿が口を開く。
あの事件の後からずっと気になっていた事だ。
「あの!ティオさん達は・・・」
椿のその言葉を聞いて、アズールは一瞬目を伏せるが、すぐに話し始める。
「あぁ・・・。キールが言った通りの場所で、三人の骸があったよ。全員、心臓が抜き取られていた」
「ーっ」
言葉を失う椿だったが、すぐにある事に思い至る。
「そうだ!魔法があるなら、蘇生魔法だってあるんじゃないですか!?ここでは無理でも、王都まで行けば」
まくし立てる様に喋る椿に、シンが落ち着いた声で遮った。
「椿。この世界には蘇生魔法なんて存在しないよ」
「ーーえ・・・」
ともすれば、冷たく聞こえるシンの声色に、椿が呆然と声を漏らす。
「死んだら死んだまんま。生き返る事なんて無い。例え神であっても、一度死んだ者を生き返らせることは出来ないんだ」
「そ・・・んな。だって魔法」
「魔法も万能ではない。限界がある。治す事は出来ても、蘇生は出来ない。死ねば、その魂はマナとして世界に還元され、浄化された後、新しい魂として再構成されて転生する。それがこの世界の法則だ」
シンに続いて、アズールも椿を諭すように説明した。
「まして、あの三人には心臓が無い。新しく臓器を創り出すことは出来ないし、例え蘇生魔法があったとしても、生き返らせるのは無理だっただろうな」
椿は悔しそうに唇を噛む。
「だから、くれぐれも君は死んでくれるな」
アズールは椿の肩に手を置いて、そう気遣った。
「・・・・・・はい」
アズールはショックの抜けきらない椿から手を下ろすと、暗くなった雰囲気を打ち消すように、意図的に声のトーンを上げる。
「亡くなった者達の葬儀は近々合同で行うが、ツバキには早急に王都に向かって欲しい。今回の守護天使殿はせっかちだからな。あまり待たせると、こちらに苦情が来る」
「そう言えば、守護天使って誰なの?」
小首を傾げつつ訊ねてくるシンに、アズールはフフンと得意気な表情を作って、その名前を告げる。
「聞いて驚け。御前天使が一人。ウリエル様だ」
「ウリエル!?あの破壊天使!?ウソでしょ・・・」
それを聞いて、シンの顔が驚愕、次いで不快気に歪んだ。
「残念だが事実だ。昨日、早速ここに来たからな。君と遭遇しなくて幸いだったよ」
「ホントにね・・・。でもこれから一緒に旅しなきゃなんないなんて。うわぁ、考えただけで憂鬱・・・」
苦虫を数十匹まとめて噛み潰した様なシンの酷い顔を見て、アズールが同情するようにしみじみとため息を吐く。
「その心情、察するに余りあるが、これも運命だ。諦めろ。それよりも君の髪色、何とかした方が良いと思うがな。その黒髪を見た瞬間、間違いなく殺しにかかって来るぞ」
「まぁ、だろうね・・・。でも、僕はこの姿が気に入ってるから、変えるつもりは無いよ。ウリエルは・・・何とかするさ」
「何とかって、そんな悠長な事を言える相手では無いんだがな」
呆れた雰囲気を漂わせつつアズールが言うと、椿が顔を上げて二人を見る。
「あの、ウリエルさんて、そんなに怖い人なんですか?」
「あぁいや。不安にさせたなら申し訳ない。救世主であるツバキは平気だと思う。石頭・・・真面目過ぎて息が詰まると思うがな」
思わず本音が漏れたアズールだが、すぐにマイルドな方に訂正する。
そんなアズールの態度に、シンも何やら訳知り顔で頷いて肯定した。
「ウリエルは‟破壊天使”って二つ名があるぐらい、眷属に対して容赦が無いからね。黒髪を見た途端、近くにあった槍で相手を穴だらけにした挙句、焔で消し炭にしたって話だし。しかもそれ、実際は黒髪じゃなくて、濃灰色の髪を持ったただの人間だったらしいよ~」
怪談話をするように、途中から手をワキワキさせて楽しそうに話すシン。
それを聞いて、サーッと顔色が悪くなっていく椿に、アズールが慌ててフォローを入れる。
「ま、まあ救世主の護衛には、それぐらい厳しい方が安全だ。シンの事は、ツバキから一言伝えておけば問題無いだろう。・・・多分」
目線を逸らしながら、最後に小さく‟多分”と付け加えたアズールに、椿は絶望的な気分になる。
「とにかく、詳しい事はシンが知っているだろうから、後で聞くといい。ではな、私はこれから都市長に会わねばならない上に、まだまだ片付けねばならない書類があるのだ!ツバキ達は湯浴み屋に行くのだろう?早く行かねば店が閉まってしまうぞ」
アズールは、これ以上のフォローはフォローにならないと判断して、無理矢理会話をぶった切ると、椿とシンに退室するよう勧めた。
よろよろと扉に向かう椿と、それに続いて後ろを歩くシン。
二人が執務室を退室する寸前、シンはボソッと誰にも聞こえない声で呟いた。
「ウリエルねぇ~・・・。今回は本気って事かな」
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その後、執務室を後にした椿とシンは、言われた湯浴み屋に向かうために階段を下りる。
外はすでに陽が沈み、紺色の夜空には昨夜と同じ紅い月が昇っていた。
支部を出た二人は、道を右に曲がり、庁舎と都市長の家を横切って南に向かって歩いていく。
昨日の事件の事もあって、町全体が喪に服しているかの如く、静まり返っていた。
東地区だけは比較的賑わっていたが、それでも通常時の半分程度、といった所か。
そんな静かな町を歩く事5分。
目的の湯浴み屋に到着する。
その湯浴み屋は、ぱっと見銭湯や浴場には見えず、長方形の箱の様な建物で、出入り口は右端にある引き戸だけ。
灰色をした建物は3階建てほどの大きさで、窓の類いが一切なく、煙突も無かった。
簡素な建物だなぁ~、と椿は考えながら引き戸を開ける。
「いらっしゃいませ」
戸を開けた正面にはカウンターの受付があり、そこに立っていた、藍色の長髪をシニョン風にまとめた受付係の女性が、入って来た椿達に笑顔で挨拶をした。
見たところ、建物の大きさに見合わず、中は受付以外左側に伸びた通路だけで、上に上がる為の階段は無い。
天井も特別高いとは言えず、至って平均的な高さだ。
通路には数字の割り振られた扉が並んでいるだけで、何の変哲も無い。
では何故ここまで大きな造りになったのかと言うと、実は2階3階に相当する部分に、水を温める魔法が刻まれた熱水器と、同じように浄水の魔法が刻まれた循環型浄化器が収まっているからに他ならない。
海水ならばいくらでもあるマレ・ペンナだが、真水となるとそうもいかない為、使われた水を浄化して再利用する‟循環型”の浄化器が設置されていた。
実は、この二つの魔法器をメンテナンスする為、数字の振られていない関係者用の通用口が通路の奥に一つあり、その先に上に行くための階段が造られてあった。
そんな事を知る由も無い椿は、見た目と中のアンバランスさに内心首を捻りながら、女性の元に歩いていく。
「えっと、二人なんですけど」
と言った所で、椿は今さらながらに気づく。
(そう言えば、シン黒髪だけど大丈夫なのかな?)
「はい。お二人様ですね。料金は前払い制となっておりまして、お一人様銅貨15枚。お二人様ですと、合わせまして銀貨1枚でございます」
「え、銀、銀貨1枚?」
「左様でございます」
銀貨1枚って、ただの湯浴み屋でその料金設定はかなり高いんじゃ・・・と椿が考えていた所で、シンがこそっと耳打ちしてきた。
「この世界だと、お湯を使って身体を洗うのはとても贅沢な事なんだ。だから、ここが特別高いって訳じゃ無いよ」
「え、そうなの?じゃあ一般の人はどうやって」
「あの、お客様?」
椿とシンがコソコソと話しているのを不審に思った女性が、訝しげに訊ねてくる。
「あ、す、すみません!銀貨1枚ですね!」
女性の胡乱気な様子に気づいて、椿は慌てて懐から革袋を取り出し、中から銀貨1枚を摘んで女性に差し出す。
差し出された銀貨を受け取りつつも、しばし疑問符を頭に浮かべていた女性だったが、金を払った以上は客として扱ってくれるらしく、すぐにタオルと番号の書かれた鍵を二人分渡して説明をしてくれた。
「このまま左手の通路に進まれますと、番号の書かれた扉がございます。鍵に書かれた番号が、お客様がご使用できる部屋となっております。部屋の中には洗浄機がございますので、衣類はそれで洗っていただくことも出来ます。よろしければご利用下さい。タオルは使用後、そのまま部屋に置いたままで結構です。お帰りの際は、お渡しした鍵を持って、またこの受付までお願い致します。以上でございます」
女性は丁寧かつ簡潔に説明すると、お辞儀をして話を終えた。
「あ、はい。ご丁寧にどうも」
社会人としての癖なのか、椿も腰を折って礼を返すと、女性はいささか驚いたようだった。
それもそのはずで、大体こういう高級施設を利用する人間は横柄な人間が多く、横柄では無いにしても、いち受付係でしかない者に逆に礼を言う人など滅多にいない。
現に、この女性が受付係に割り振られてから約2年は経っているが、礼を返されたのは今日が初めてだ。
女性が驚いている間にも、椿とシンは通路に足を進めている。
その後ろ姿を見つつ、女性はこれからもこの仕事を頑張ろうと、やる気を新たにしたのだった。
椿は通路を進みながら、自分達に割り振られた番号の部屋を探す。
女性が‟部屋”と説明していた通り、どうやらこの湯浴み屋は個室制で、客のプライバシーが守られる仕組みをしていた。
これならば、黒髪をしているシンも、人目を気にすることなく洗う事が出来る。
アズールがシンの髪色を知っていながら、湯浴み屋に行くことを反対しなかったのは、この仕組みを知っていたからだろう。
椿は安堵しつつ、手渡された鍵を見る。
鍵に記されたのは、8と13。
シンにタオルと8の鍵を渡しながら、先ほど聞けなかった疑問をぶつけてみる。
「はい鍵。ねぇシン。さっき聞きそびれた事なんだけど」
「ん。あぁ、普通の人達の風呂事情の事?基本的には水浴びだね。魔法が得意な人は、浄化の魔法を使って自分の身体を綺麗にしてるみたいだよ」
「へぇー、水浴びか魔法ねぇ。やっぱり魔法って便利だわ」
扉の番号を確認しつつ、感心したように相槌を打つ椿。
「旅に出ると、水浴びするのも多分難しいだろうから、身体を綺麗にするのは浄化魔法がメインになるだろうねぇ」
「そう。・・・あれ、シンも浄化魔法使えるの?」
「まぁねー。でも、やっぱりお湯を使って洗う方が、気分的にサッパリするよねー。魔法だと、どうにも味気なくて・・・。だから、今日はめいっぱい堪能するつもり」
「えぇ、そうしましょ。っと、ここか」
話にひと区切りついた所で、ちょうどよく自分達の番号の部屋に到着する椿達。
番号はコの字型に割り振られていて、受付に近い所から1が始まり10で終わって折り返す。
突き当りには上階へ向かうための番号の振られていない扉があり、反対側の壁に11~20といった具合で作られていた。
よって、シンの8号室と椿の13号室は向かいにある状況で、タオルを手にした二人はここで立ち止まる。
「終わったら受付辺りで集合ね」
「おっけー」
最後にそんな会話をして、二人は別れた。
鍵を開けて13号室に入った椿は、まず部屋の中を見回す。
4畳ほどの室内の右側には白い洗面台が備え付けられ、台上には各種アメニティーが置かれている。
椿は持っていたタオルをこの台上に置く。
反対の左側に、腰ぐらいの高さはある長方形の棚ともチェストともつかない、表面にびっしりと文字の刻まれた、茶色い箱の様な物が設置されていて、奥には浴室に繋がる半透明の扉があった。
女性が説明していた、洗浄機と言うのは、この茶色い箱の事だろう。
到底そうは見えないが、他に目ぼしいものが無い。
(どうやって使うんだろ、コレ・・・)
椿が洗浄機を見つめながら考えていると、突然その洗浄機が喋り始める。
「イラッシャイマセ!」
「わ!」
甲高い声で挨拶をした洗浄機に、椿は驚いて思わず軽い悲鳴を上げる。
「ゴ説明ハ必要デスカ?必要ナ方ハ右側ニ手ヲ置イテ下サイ。不要ノ方ハ左側ニ手ヲ置イテ下サイ」
洗浄機がそう言うと、箱の上部にカシュッと腕が突っ込めるほどの丸い穴が開く。
「え。まさかAI的なヤツなの?」
椿が恐る恐る呟くと、洗浄機は再度同じ文句を繰り返した。
その事から椿は、洗浄機がAIの類いではなく、ただ録音した事を繰り返しているだけだと判断する。
そして洗浄機の右側に手を置くと、録音が更新され、洗浄機の説明が開始された。
曰く。
この洗浄機は、上部に開いた穴に衣類を放り込むと、洗濯、乾燥、除菌に抗菌、消臭、シワ取り、物によってはシミ抜きにアイロンがけまでしてくれる便利な魔法器で、洗浄が済んだ物は綺麗に畳んで排出されるとのこと。
ちなみに洗浄物の素材の判断は、全てこの魔法器が自動でやってくれるらしい。
全ての工程が終わるまでにかかる時間は、10分~15分程度となっており、大抵は客が湯浴みをしている間に終わる設定だ。
クリーニング屋の仕事が全部これ一つに詰まった、夢の様な機器だった。
その説明を聞いて、椿は目をキラキラさせる。
「一家に一台欲しい・・・」
切実に思うが、ここは異世界。
即座に諦めながらも、椿は湯浴み屋の料金の高さに納得していた。
「これだけの設備が使えるなら、一人銅貨15枚は適正価格ね」
「洗浄済ミノ衣類ハ、反対側ノ端カラ出テキマス」
録音されていた声は、そう言って説明を終えた。
それを確認した椿は、早速服を脱ぎ始める。
最初に剣帯とレッグホルスターを外し、剣帯ごと刀を洗面台の端に立てかけ、レッグホルスターはタオルの横に置く。
それからブーツを脱ぎ、次にブーツで見えなかったが、紺色のハイソックス、ワンピース、インナータンクトップ、ショートパンツに下着類の順番で次々に脱いで、洗浄機の穴にポイポイと放り込む。
あっという間に真っ裸になった椿は、浴室に向かう前に洗面台の鏡で、改めて自分の身体を眺める。
全体的に適度に引き締まった白い身体は、余分な脂肪は付いておらず細い。
パッと見は華奢な印象を受けるが、触ってみると、筋肉の硬い感触が返ってくる。
やはり顔の造形や髪色、身長等は変わったものの、肉体のポテンシャルは17歳の頃に戻ったと考えるのが妥当か、と椿は考えながら、自分の胸を見下ろす。
ふっくらと丸みを帯びた二つのソレを鷲掴み、何故か微妙な表情をする椿。
「う~ん・・・。これ、小さくしてくれるように頼むべきだったかな。戦闘の時揺れて、地味に邪魔なんだよね」
と、聞く人が聞いたら激怒するような内容を呟き、ため息を吐く椿は、諦めて浴室に移動しようとして、そこで初めて気がついた。
鏡に映った自分の目が、赤紫色になっている事に。
「え」
バッと思わず鏡に手をついて、マジマジと自分の顔を見る。
シミも皺も無い、張りのある瑞々しい白い肌。
若く、そして軽く美形に変わった自分の顔に、若干居心地の悪さを感じながら、赤紫色をした目を覗き込む。
「・・・まぁ。髪色も変わってんだから、目の色ぐらい変わっても別に困らないんだけど、ひと言説明は欲しかったかな・・・」
ここにはいないシンに対して、抗議の独り言をぼやく椿。
赤紫色をした虹彩は、まるで夕暮れ時の空のようで綺麗だと思う。
むしろ、自分好みの良い色合いだ。
そこまで考えた所で、ん?と微かな違和感を覚えた。
だが、その違和感を深く考える前に、突然扉がバンッと勢いよく開く。
「ねぇ椿!洗浄機の説明、聞い・・・、あ」
一糸まとわぬ椿を見て、シンが言葉に詰まる。
バッと首がもげそうな勢いで椿が振り向く。
入り口で固まるシンを確認すると、椿の顔が羞恥に赤く染まっていき、そして思い出したように、自分の身体を手で隠した。
「・・・うん。扉に鍵をかけ忘れていた私にも落ち度はある。でも、ノックも無しに突然扉を開けるシンにも問題はあるよね?」
必死に感情を抑えつけた結果、いつもより2オクターブは低くなった椿の声を聞きながら、シンは真剣な目で椿の裸を目に焼き付ける。
「・・・ラッキー」
ボソッと呟いたシンの言葉に、ブチッと椿の理性の糸が切れる。
「だから!じっくりと見てねぇで!とっととドア閉めて出て行けぇぇええ!!」
叫びつつ、椿は近くに脱いであったブーツを振りかぶり、シンに向かって全力投球した。
刀を投げなかったのは、椿に僅かに残った理性のおかげだろう。
シンは、鋭い風切り音を立てて高速で飛来するブーツを、自分にぶつかる寸前で軽々と受け止めると、そっと床に置く。
「ははっごめんごめん!次から気をつけるよ」
そうして、にこやかに椿に謝った後、ゆっくりと退室して扉を閉めた。
13号室を出たシンは、目を閉じてしみじみと、感無量と言った様子で、万感の思いを込めて呟く。
「・・・眼福・・・」
一方椿は、ハァハァと肩で息をしつつ、即行で扉に歩いて行って、ガチャンッと乱暴に鍵を閉める。
この衝撃の出来事のせいで、椿はつい先ほどまで考えていた違和感の事を、すっかりと忘れてしまっていた。
忘れた、という事すら忘れて、椿は即座に浴室の扉を開ける。
一刻も早く頭なり身体なり洗って、気分を落ち着かせたかったからだ。
浴室、と言ってもそこに浴槽は無く、一畳程度の広さをした空間には、天井から固定式のシャワーが取り付けられ、壁の物置き台には、ポンプ式の洗剤と固形石鹸が一つずつ置かれている。
椿が壁に埋め込まれた丸い蛇口を捻ると、頭上から温かいお湯が放出され、椿の頭から足先へと順に濡らしていく。
お湯の心地良い感触を噛みしめながら、椿は嫌な記憶を洗い流すように、すぐさま身体を洗い始めるのだった。
ポンプ式の洗剤で頭を洗い、固形石鹸で身体を洗った椿は、思いの外早く浴室を出る。
とは言え、椿の髪は腰までの長さがある為、洗うのに時間がかかり、30分はゆうにかかったのだが。
洗面台の上に置いてあるタオルを手に取り、頭と身体を拭いていく椿の顔は、実にサッパリしている。
洗浄機を見れば、浴室の扉にほど近い所で、畳まれた服が置かれていた。
素早く身体を拭き終わった椿は、清潔になった服に袖を通していく。
脱いだ時とは反対に、下着類、ショートパンツ、インナー、ワンピースの順に着ていき、ハイソックス、ブーツを履いた後、レッグホルスターと剣帯を装備する。
ドライヤーが見当たらなかった為、髪は水気を取っただけだ。
使用したタオルは、女性が言った通り部屋に置いたまま、椿は鍵を手に部屋を出る。
部屋を後にした椿が、受付に向かって歩いていると、すでに8号室を出ていたシンが暇そうに立っていた。
それを見て、椿は小走りでシンへと近づく。
つい先ほど、シンに裸を見られた事を思い出して顔を顰めるが、努めて考えないようにすると、何事も無かったかのように声をかけた。
つまらない嫌な記憶など、忘れるに限る。
「ごめん。待った?」
「ん、おかえりー。せいぜい5分ぐらいだから気にしないで。それより、髪乾かさなかったの?」
「ドライヤー無かったし」
「あー、そっか。ちょっと待って」
シンはそう言うと、椿の手を握って魔法を使う。
瞬間、緩やかな温風が椿の頭髪を駆け抜ける。
「はい、いいよー」
その一瞬で、椿の髪は完全に乾いていた。
ついでに、櫛でとかした様にサラサラだ。
「おー。ありがとう。相変わらず魔法って便利ね」
「まぁ、イメージ出来ることは大概魔法で実現出来ちゃうからね。慣れと経験の問題だから、そのうち椿も使える様になるよ」
「鋭意努力します」
そう言った後、椿はシンから8号室の鍵を預かり、受付へと歩を進めた。
そして受付の女性に8号室と13号室の鍵を返却する。
「ありがとうございました」
「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
礼を言った椿に、女性は嬉しそうに顔をほころばせながら深々と腰を折って、店を出ていく椿達を見送った。
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外は冷えた夜風が吹いていて、熱を持った椿の身体を気持ちよく吹き抜ける。
湯浴み屋を出た椿とシンは、他愛ない話をしつつ東地区まで歩いて行き、そこで夕食を摂ることにした。
この後の旅の準備を鑑みて、選んだのは激安大衆食堂シーニィだ。
昨日の昼と変わらず、相変わらずの繁盛ぶりのシーニィで適当に夕食を済ませた後向かったのは、同じく昨日立ち寄った武具屋だ。
ヴァンにダガーを持っていかれてしまったので、その補充の為だった。
ちゃっちゃと鞘に合うダガーを選ぶと、椿は昨日とは違う店員に代金を払い、店を出る。
さらに続いて立ち寄ったのは道具屋。
ここでは、ベルトに取り付け可能な小ぶりのポーチが一つと、薬草や解毒薬などを数種類買い込む。
店を出た椿は、一度腰に巻き付けてある剣帯を外し、その腰ベルトにポーチを装着してから、再び巻き直した。
すでにポーチには、買ったばかりの薬類を突っ込んである。
色々と買ったおかげで、財布はかなり軽くなってしまったが、必要経費と割り切る。
これで、王都に向かうための準備が終わった二人は、支部へと戻る事にする。
その道中。
椿はシンに、守護天使の事について訊ねていた。
「で?守護天使だっけ?それについて詳しく聞きたいんだけど」
「詳しくって、読んで字の如く、救世主を守護する為の天使の事だよ。救世の旅は常に危険が付きまとうから、それらの脅威から救世主を護り、補佐する役目の天使だね」
何が分からないのかが分からない、と言った様子で、シンが隣を歩く椿に解説する。
「いや、そうじゃなくて。いや、合ってはいるんだけど、私が聞きたいのは‟ウリエル”さんについて。アズールさんとシンの態度からして、尋常じゃないっぽいんだけど?」
あぁ、とシンがポンッと一度手を叩く。
「ウリエルの事ね!それならそうと言ってくれなきゃ!」
シンは一度咳払いすると、気を取り直して説明を再開する。
「アズールの所でも話した通り、眷属の事に関してはかなり攻撃的で、融通の利かないヤツだよ。神との同席を許された御前天使の一人で、司っている属性は地。‟マグナスフォール”って名前の神器の槍を持ってる。物理攻撃、魔法攻撃、どちらも得意だけど、どちらかと言えば物理の方に特化している印象かな。実はアズールの元上司だったりする」
「え!?アズールさんの上司なの!?」
「そ。と言っても、アズールが堕天使た時点で、その関係性も無くなったから、あくまでも‟元”上司なだけだけどね。あんな石頭の部下だったなんて、アズールの苦労が偲ばれるよ」
感慨深げに、目を閉じてそう言うシン。
そんなシンを見て、椿は度々感じていた疑問を口にした。
「・・・シン、ウリエルさんと知り合いなの?」
「え、なんで?」
椿の予想外の言葉に、シンはキョトンとして聞き返してくる。
「見てきたように言うから、知人なのかな?って思って。言葉にも実感がこもってるし・・・」
「ん~、直接会ったことは無いよ。知識として知っているだけ」
「ふ~ん・・・」
胡散臭い、と言わんばかりのジト目で、穴が開きそうなほどシンを見つめる椿。
その針の様に鋭い目線から逃れようと、シンは椿を追い越して先を歩き始める。
「この話をすると長ーくなるから、今は省略させて。そのうち機会があれば改めて話すからさ」
「・・・わかった」
椿は腑に落ちないと言った表情をしていたが、結局シンの言葉を受け入れると、自らの内にあった疑問を押し流すように一度だけ深く息を吐きだし、再度シンの隣に並んだ。
「とにかく!ウリエルは頭がガチガチに凝り固まった、真面目一筋な天使って事だけ覚えておけばいいよ。救世主の事は命がけで護るだろうから、そこら辺は信用して大丈夫だと思う」
「そう。シンがそう言うなら信じるけど、それよりもシンの髪はどうするの?黒だと不味いんでしょ?」
それを聞いた途端、シンの目が泳ぎ始める。
右へ左へ。
しばしウロウロしていた目だが、最終的にシンは目を閉じて唸ってしまう。
「あー、どうしよう・・・。フードを被って誤魔化すのも限度があるし、かといって髪を染めるのは絶対に嫌だし・・・。もういっそのこと、一度戦っちゃった方が早いかな~」
「周りへの被害が凄いことになりそうだから、戦うのはやめて。アズールさんやガイ達に見せたように、黒血じゃない事を確かめてもらえば?」
シンは椿の提案を、振り子の様に首を振って否定する。
「無理。その程度でウリエルが納得するとは思えない。椿も知っての通り、眷主は自らの髪色のみならず、血の色だってコントロール可能だから、‟眷属じゃないなら眷主だろう”ってなって穴ぼこにされるのがオチだよ」
「でも、そんな事言ってたら、そこら中の人達が眷主の可能性ありになっちゃって、キリが無いと思うんだけど?」
「僕も、椿と同じ考えだけど、ウリエルがその言い分を聞き入れるのは難しいだろうね・・・」
椿とシンは、歩きながらウンウンと唸って考えたが、結局いい案は浮かばず、そうこうするうちに支部へと着いてしまうのだった。
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支部に帰還した二人を、受付にいた女性が呼び止める。
「あの、ツバキさんとシンさんですよね?こちらまでおいで頂けますでしょうか」
一瞬、シンと目を合わせた後、軽く首を傾げながら受付に向かう椿。
「はい、なんでしょうか?」
受付でそう訊ねる椿に、女性は一度屈み、カウンターの下部からジャラッと重い音のする革袋を取り出して椿に手渡す。
「こちら、アズール様より今回の報奨金との事でございます」
「え、報奨金、ですか?」
目を丸くして驚く椿に、女性はコクリと頷く。
「はい。アズール様からは、とりあえず昨日、自分が見た範囲の眷属討伐数に応じた報奨金が入っている、と聞き及んでおります。夕方の時点では、まだ合計金額の算出が出来ていなかったとの事で、この時刻になってしまいました。どうぞ、お受け取り下さい。それと、こちらもお預かりしてございます」
女性は、椿が報奨金の入った袋をポーチに仕舞うのを確認した後、二通の手紙を差し出した。
一通は、開封しないように、盾の紋章が刻まれた群青色の封蝋が施してあるが、もう一通には、封はされておらず、中の手紙も軽く見えていた。
「以上でございます。アズール様から、お部屋を好きに使って構わないとの言伝も賜っております。すでに清掃も済んでおりますので、どうぞお使い下さい」
二通の手紙を、くるくるとひっくり返しながら、疑問符を浮かべて眺める椿に、女性は最後にそう言うと、一礼して自分の仕事に戻る。
椿は女性に礼を言って、シンと一緒に階段を上り、遠慮なく3階アズールの部屋へと入って行った。
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部屋に入った椿は、まず封のされていない手紙を広げて読む。
そこに書かれていたのは、王都までの道程と王都に着いてからの流れについてだった。
手紙によると、このマレ・ペンナから王都までは、馬車を休みなく走らせても二日弱はかかる為、休息を入れれば明日の朝に出発しても、王都に到着するのは最低でも三日は必要とするらしい。
夜間に移動するのは、いくらアミュレットがあっても危険な為、道中にある村々で宿をとるように、とも書いてある。
この事は、すでに御者にも伝達済みと記載されていた。
さらに、王都へ着いたら、まずは王都の中心にある王城へ向かい、城の正門を警備している衛兵に、封のしてあるもう一通の手紙を渡すこと。
そうすれば、問題なく椿を謁見の間まで案内してくれる事が書かれていた。
なお、王都に入れば馬車は使えなくなるので、城までは魔走車を使うようにと記述されているが、椿には魔走車なる物が何なのかわからない。
「‟魔走車”?」
疑問符を浮かべて、椿はシンに訊ねる。
「ふふー。行ってみてからのお楽しみかなー。で?それまで使ってた馬車はどうするの?」
「勿体ぶるほどの物って事ね。楽しみにしてるから」
魔走車が何なのか、疑問が解消されない椿は、納得のいかない表情をして、シンにドスの効いた声で凄みながら、再び手紙に目を落とした。
「えーっと、馬車は・・・。王都に入ったら私達を適当な場所で降ろして、その後は御者の人が自分で何とかするから、気にしなくていいって。王都までの料金も、すでに払ってあるみたい」
「おー、至れり尽くせりだね。それなら、明日からは気楽な馬車旅が始まるって訳だね!」
「そうね。追加の報奨金の事もあるし、次にアズールさんに会ったら、ちゃんとお礼を言わないとね」
追加の報奨金と聞いて思い出したのか、シンが椿の腰にあるポーチを無遠慮に漁る。
「ちょ、ちょっと!」
困惑する椿を差し置いて、シンはポーチから新しく報奨金の入った革袋を取り出した。
「いくら入ってるのか確認しないとでしょ?宿代は自分達で出すことになるんだし。貨幣総額は把握しといた方が良いと思うけど」
「それはそうだけど、いきなりポーチを漁るのは不躾すぎる!」
そんな椿の抗議を受けて、シンは謝りつつベッドに歩いて行くと、革袋の中身を布団の上で広げた。
そして、ん、とシンが椿に向かって手を伸ばす。
それの意味するところを即座に理解した椿は、諦めたようにはぁ~とため息を吐いて、懐から財布を取り出し、シンに渡した。
その財布の中身も、先ほどと同じように布団の上に出して、新しい報奨金と一緒くたにする。
シンと椿が改めて硬貨を数えた所、その総額は以下の通り。
金貨3枚。銀貨が34枚。銅貨が26枚。鉛貨が30枚。
と言った状況だった。
財布の中身も含めているとは言え、控えめに言っても大金である。
あの乱戦の中、シンが雑に切り刻んでいた眷属の数は十数体にも及ぶ。
そのほとんどが低級~中級だが、塵も積もればという事のようで、改めて金額に換算したらこの様な大金になったと言う訳だ。
「おぉ~。結構な金額になったねぇ。これなら、しばらくはお金に困る事は無さそう」
「・・・・・・。泥棒には気を付けるわ」
ヴァンにスられた時の事を思い出したのか、椿は暗い表情でそう言った。
そんな椿の様子を見ながら、シンは硬貨を財布一つにまとめていく。
ジャラジャラと音を立てながら、硬貨を入れ終えると、椿にずいぶんと重くなった財布を渡す。
空になったもう一つの革袋は、シンが自分の懐に仕舞った。
「そうだね。お金は大事だものね。はい、コレ」
「ありがと」
財布を受け取った椿は早速、服の内ポケットに仕舞い入れる。
「さてと!それじゃあ、明日に備えてそろそろ寝よっか」
気分を新たにするかのように、殊更に明るい声でシンは言うと、腰に装着していた剣帯を外す。
それに触発されて、椿も剣帯と新しいダガーが収まっているレッグホルスターを外して、ベッドの横に立てかける。
シンの剣は短い為、枕元に置いていた。
「そうね。もういい時間だし、明日も早いから寝ましょうか。って、もしかしてシンは私の隣で寝るのかしら?」
「当然!他に一体どこで寝ろってのさ?」
「そう、そうよね。当たり前か・・・」
湯浴み屋での一件が地味に尾を引いているのか、椿は微妙な顔をしながら、封のしてある手紙を剣帯に吊るされたポーチに入れる。
そして、広げてあったもう一つの手紙も畳んで入れようとして、そこに書かれた最後の一文に目を奪われた。
書かれていたのは王都の名前と、この東大陸を治める王の名前。
飽食の都、グラ。
暴食の王、ベルゼブブ。
向こうの世界では、魔王として名高いその名前が、真っ白い紙に淡々と記されていた。