表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/11

愚劣の代償Ⅴ~惨劇の夜~

代償編完結。

鬱展開、グロ描写、カニバリズム的表現があります。

十分にご注意下さい。


「あれ、ガイ?」

 と、アズールさん?そう続けようとした矢先、椿を追ってクレーターから飛び出してきたヴァンが、サーベルを振るって椿へと焔を放った。


 アズールとガイは、ヴァンの黒髪を見て背筋を凍らせるが、椿は気づくこと無く戦闘を続行する。


 椿はすぐに視線をアズール達からヴァンに戻すと、刀の、本来なら鍔が存在する付近に中ぐらいの魔法陣を三つ展開し、薙ぎざまに魔法を繰り出す。

「灼き尽くせ、燼雷(じんらい)!」

 一つ目の魔法陣を消費して、刀身からビームの如く放たれた蒼白い(いかづち)は、焔を飲み込んでもなお止まらず、ヴァンへと一直線に向かって行く。

 だが、雷がヴァンに直撃するその寸前で、ヴァンは足に力を溜めると一気に跳躍し、回避してしまう。

 空中に飛び上がったヴァンへ追い打ちをかける様に、椿は二つ目の魔法を放つ。

「燼雷!」

 刀から放ったのは、先ほどと同じ魔法の為、椿は口上を省く。

 残った魔法陣は一つ。

 先に放った雷のビームがヴァンに到達する前に、椿は最後の魔法を使った。

灼雷(しゃくらい)!」

 それは、ヴァンの‟灼焔”を元にイメージしたもので、焔の塊を雷で覆った二重属性の魔法だ。

 その魔法を、椿は刀を切り上げて打ち出す。


 ヴァンが二つ目の魔法をサーベルで切り裂いた直後に見たのは、自らの至近距離で放電する焔の塊だった。


「っこの!重化!」

 ヴァンは咄嗟に足元に魔法陣を浮かべ、自分に重力倍加の魔法をかけて、無理矢理落下速度を速め、その魔法を紙一重で躱す。

 避けきれなかった毛先がチリチリと焦げた。

 重化魔法の影響で、ドスンッと重い音を響かせてヴァンが地上に着地すると、それを待っていたかのように、ヴァンに向かって疾走した椿が刀で斬りかかる。

「ぅおっ!」

 甲高い音を立てて、交差した刀とサーベル。

 間一髪、紫電刀をサーベルで受け止めたヴァンは、このまま鍔迫り合いになるのかと予想するが、それはすぐに裏切られることになった。

 椿の持つ紫電刀に紫色の電流が(ほとばし)り、躊躇(ちゅうちょ)なくヴァンを襲う。

「ぐあっ!」

 苦痛の呻き声を上げるヴァンを、椿は冷徹に眺めた後、唐突に飛び退いた。

 いつの間にか、ヴァンが椿の足元に魔法陣を展開していたからだ。


 椿とヴァンの流れるような戦いに、アズールもガイも手出し出来ずにいると、突然ヴァンから飛び退いた椿がアズール達の所へ戻ってくる。

 椿とヴァンの距離はおよそ5m。

 このまま再び戦闘に戻るのかと思われたが、そうはならず、おもむろにヴァンが椿に話しかけた。


「やるじゃん、ツバキ。その身のこなしもシンのおかげなのか?」

「マナの供給とか回避とか、サポートはして貰ってるけど、基本的に自力よ。昔取った杵柄ってところかな」

 親しげに黒髪の少年と会話する椿に、アズールとガイは椿を庇うように前に出る。


 それを見たヴァンは、不快気に眉を(ひそ)めてアズール達に詰問した。

「あ?誰?あんたら。ツバキの知り合い?」

「それはこちらのセリフだ。お前こそ、彼女とずいぶん親しげだが、どういう関係だ?」

 アズールは腰の剣に手をかけて、警戒しながらヴァンに聞き返す。

「はあ?質問してんのこっちなんだけど?」

「いいから答えろや、高位眷属!」

 ますます顔を(しか)めて苛立つヴァンに、今度はガイが背中の大剣を眼前で構えて怒鳴る。


 そんな緊迫したやり取りの中、椿の中にいるシンは、この状況を楽しんでいた。

(やめてー。椿(わたし)の為に争わないでー(棒))

(ちょっと、お願いだから空気読んで黙ってて)

(ちぇー)

 渋い顔で、椿はシンに念じて懇願すると、シンはつまらなそうな声を上げた後、静かになった。


「言っとくが、オレは眷属なんかじゃー・・・ん?んん~?」

 ガイの言葉を否定している途中、ヴァンは何かに気がついたのか、ずいーっと前傾姿勢になってアズールを見つめる。

「・・・なんだ」

 唐突に自分を見つめてくるヴァンに、アズールは戸惑いつつも警戒は解かずに訊ねると、やがて自信なさげにヴァンが切り出した。

「お前・・・アズラエル・・・か?」

「-っ」

 驚愕に目を見開いて凍り付くアズールに、今度は椿が口を開く。

「‟アズラエル”?」

(天使の名前だね。死を司る天使じゃなかったかな)

「アズラエルってのは、アズール様の昔の名前だ。だが、何故アイツが知ってるんだ?」

 アズールの代わりに、シンとガイが簡潔な説明で椿の疑問に答えると、それを聞いていたヴァンが、何やら納得いった様子で大きく頷いた。

「アズール。へぇ、なるほどなぁ。お前、あの後堕天したのか」

「どうして・・・その名を・・・。お前は一体・・・」

 アズールはようやくそれだけ言うと、ヴァンは苦笑して続けた。

「おいおい忘れたのかよ?ひでぇなぁ。オレとお前は、初代救世主の頃からの付き合いなのに」

 意図を掴めずにいるアズールを見て、ヴァンはその紅い目を愉しそうに煌めかせた。


 ヴァンのその言葉と紅い目を見て、アズールの脳裏に、かつての記憶がフラッシュバックする。


 昏い遺跡。

 澱んだ大聖堂。

 救世主。

 腹から突き出た腕。

 紅い血。

 真っ黒に燃え上がる身体。

 二つの絶叫。

 響く笑声。

 禍々しく煌めく紅い目。


「ま、さか・・・眷主・・・緋・・・」

 アズールが言葉を詰まらせながらもそう言うと、ヴァンは嬉しそうにパッと破顔して、ニコニコとアズールに話しかける。

「ご名答!ようやく思い出してくれたか!まぁ、最後に会ったのが5000年前だし、しゃーねぇのかもだが。にしても髪の色と言い服装や雰囲気と言い、見違えたぞ!」

「眷主って、アズール様!」

 ‟眷主”の単語に即座に反応したガイが、隣にいるアズールに勢いよく振り向く。

 アズールは無言で頷くと、椿をさらに庇うように、ずいっと身体を椿に寄らせた。

「あぁ。お前の考えている‟眷主”で間違いない」

「はっ!こんなとこで眷属の親玉に会えるとはな!運が良いぜ!」

 好戦的に言うガイだが、よく見れば剣を握っている手が、微かに震えている。

 格どころか次元がまるで違う相手に、例え強がりででもそう言わないと、恐怖で膝から崩れ落ちそうな気がしたからだ。


 その様子を眺めるヴァンは、苦笑しつつガイに言葉をかけた。

「おいおい。震えてんじゃねぇか。怖いなら、逃げ出しても良いんだぜ?今なら追うこともしない」

「けっ!ざけんな!!これは武者震いって奴よ!誰が逃げたりするかってんだ!」

「えぇ。今度こそ、この命を賭してでも、救世主を護ってみせます」

 腹を括った表情で断言するアズールとガイに、ヴァンは肩を竦めると、おもむろに椿へ視線を移した。

「残念。却下されちまったか。まぁ安心しろよ。今の段階で、救世主を殺すようなことはしない」

「何?」

「どういうことだ?」

 不可解なヴァンの発言に、アズールとガイが思わず訊ねると、それに答えたのは予想外にも椿だった。


「今回は様子見。あるいは現段階での力を計るのが目的ってことかしら?」

「様子見だと?」

 椿の言葉に、ますますアズールが顔を曇らせるが、ヴァンはそれを無視して話を続けた。

「察しが良いな。その通りだ。こちらにも色々と事情があってな。今はまだ殺すわけにいかないんだ」

 それに、とヴァンは誰にも聞こえない小さな声で呟いた。

「オレには大事な役目があるんでね」

「何か言った?」

「いんや、なんも!ま、そんなんだからよ、もう少しオレと遊んでくれや」

 ヴァンは首を横に振った後、朗らかな笑みを浮かべて三人を見る。

「あー・・・。とは言え、オレが遊びたいのはツバキだけなんだよなぁ。アズラエルとそこの山賊風筋肉ゴリラの相手は別の奴に任せるわ」


 そう言うと、ヴァンは不意につま先で、自分の影を軽くトントンと叩いた。


「眷属よ」


 紅い月光に照らされて、目の前に浮かび上がったヴァンの影が、不意に揺らいだ。

 そしてその影から湧き出る様に、這い出る様に、滲み出る様に、ゴポリと黒い獣が飛び出し、地上へと躍り出た。


 姿を現したソレは、四肢に黒い焔を纏った、2m弱の黒い狼だった。


 漆黒の毛並みに爛々と輝く紅い目。足先から鋭く覗く爪。

 その狼はひと声大きく吼えて、ヴァンの斜め前に移動し、アズール達と対峙した。


「中位種1級の玄狼(げんろう)だ。がんばって相手してくれよ。(クロ)、適当に相手をしてやれ」

「御意」

 ヴァンは前半をアズールとガイに、後半を玄狼に命じると、‟(クロ)”と呼ばれた眷属は、低く短く返事をした。


「狼・・・が、喋った」

 ポツリと呟いた椿に、アズールがピシャリと叱責する。

「気を抜くな!」

「はっはい!」

 背筋を伸ばして返事をする椿だったが、その胸のうちには疑問が渦巻いていた。

(なんでヴァンの影から眷属が・・・?っていうか、喋ったよね。確かに)

(眷主は眷属を生み出せるんだよ。ガイが言った‟眷属の親玉”ってのも、この眷属生成のイメージが強いからだろうね)

(なるほど)

(さらに、眷属は中位種から知能が飛躍的に上がるから、言葉を操る個体は珍しくないんだ。まして相手は1級な上に、眷主自らが創り出したものだからね。喋れて当然だよ)


 椿に補足説明するシンをよそに、ガイが手に汗を滲ませながら、神妙に口を開いた。

「眷主に中位種1級。こいつぁ、なかなかヤベェかもな・・・」

 珍しく弱気な発言をするガイを横目に、アズールは椿に警告した。

「ツバキ。出来るだけ私達から離れるな」

 それに椿が返事をする前に、ヴァンが怪訝そうな顔で訊ねる。

「人の話聞いてたか?今は殺さねぇって言ってんだろ」

「貴様の言葉など、信用するとでも思ったのか?」

「それに‟殺し”はしないだけで、‟危害”は加えるつもりかも知んねぇだろ」

 アズールに続けてガイがそう言うと、ヴァンは一瞬目を丸くした後、ニッと口角を吊り上げて笑った。

「さぁて、どうかな?玄、薄紫銀の女には手を出すなよ。行け」

 ヴァンの命令を受けた途端、玄狼は高く跳躍して、大砲のようにアズールとガイに飛びかかって行った。


「全強化」

 玄狼が跳躍した瞬間、アズールは中程度の魔法陣を足元に作り出し、即座に自分を含めた全員に強化魔法を付与する。

 強化内容は、防御力を上げる硬化、攻撃力を上げる強化、素早さを上げる速化の3種類だ。

 そういう意味での‟全強化”でもあった。

「鋭器」

 続けてガイの大剣に、刃を鋭くする為の魔法を追加する。


 玄狼の黒焔を纏った鋭い爪が、アズール目掛けて振り下ろされたが、瞬時にガイが間に入って大剣で防ぐ。

 ガイはそのまま、刃を立てて腕を切り裂こうとするが、毛を2~3本斬るのがやっとで、とてもじゃないが傷を負わせることなど出来そうも無い。

「クソが!」

 思わず悪態を吐くガイの後ろで、アズールは素早く玄狼の頭上に魔法陣を浮かべる。

水追槍(すいついそう)、四連!」

 そしてすぐに唱えると、魔法陣から群青色をした水の槍が四つ形成され、玄狼へ襲い掛かる。

 玄狼は即座に飛び退き、一旦後方に引くことで回避するが、水の槍は進路を直角に折って玄狼を追尾し始めた。


 その事を視認した玄狼は、すぐに逃避するのを止め、迫りくる四本の槍に向かって大きく吼える。

 狼、と言うよりはライオンに近い鳴き声の咆哮は、衝撃波として放たれ、槍に直撃すると四本のうち二本が、ただの水となって地面に落ちて行った。

 消しきれなかった残り二本に対して、玄狼は黒焔を帯びた前脚で薙ぎ払い、蒸発させて打ち消す。

 玄狼が槍に対処している隙に、ガイは猛スピードで玄狼の背後へ回り込み、右の後ろ脚へ大剣を叩きこもうとしたものの、結局その攻撃は、直前で玄狼がバク転して避けた為、当たる事は無かった。

 むしろ、逆に背後を取られる形となったガイに、玄狼は前脚を容赦なく振り下ろしてくる。

「チッ!」

「水晶壁!」

 ツルハシの様に鋭く尖った爪が、ガイの背中に到達する寸前で、アズールの放った障壁魔法がそれを食い止めた。

 透明な水の壁が玄狼の爪と拮抗する中、体勢を立て直したガイが、腰に着けたポーチから銀の粒子が混じった、透明な液体の入った小瓶を取り出す。


 ガイはアズールと目を合わせ、タイミングを計ると、アズールが障壁魔法を解除したその瞬間、持っていた小瓶を玄狼に向かって投げつける。

 小瓶が高い音を響かせて割れ、中身が玄狼の顔に降りかかった途端、玄狼はギャン!と悲鳴を上げて、すぐさまガイとアズールから距離を取った。

 片側の目に液体が入ったらしく、玄狼は片目を閉じて忌々しそうに唸った。

「・・・聖水か」

「おうよ!しかも、御前天使サマのマナが入った特別製だ!気に入ったか?」

 低い唸り声と共に聞いてきた玄狼に、ガイは得意満面の笑みで返す。


 この世界の聖水は、単に聖職者の祝福を受けた水、と言うだけではなく、その水に天使のマナを注入した物の事を差す。

 ‟御前天使”とは、神と同席することを許された特別な七天使の事だが、今回ガイが持っていた聖水はその中の一人、ウリエルのマナが仕込まれた物だ。

 特にウリエルは、‟破壊天使”の異名を持つぐらい苛烈な天使で、こと眷属関連は特に容赦が無い。

 そんなウリエルのマナが入った聖水は、他の物よりも眷属に対して効果抜群なので、とても人気がある上に値段も高い。

 ガイも、アズールのコネを利用させてもらって、ようやく入手出来ている貴重品なのだ。


 話が横に逸れたが、その希少な聖水をガイが(断腸の思いで)使ったおかげで、玄狼の目を潰すことが出来たという訳だ。


「おのれ。矮小なる人間如きが、よくも我に傷を負わせたな」

「はん!薄汚い眷属が、大層な事をぬかすな!」

 ガイはそう(あお)りながら、玄狼に向かって駆け出して行った。

「ガイ!あまり私から離れるな!」

 アズールが慌てた様子でガイに警告するが、玄狼の鳴き声と打ち合う音で聞こえていないのか、返事もせずに玄狼の爪を弾きながら戦っている。

「チッ。このままでは、ガイが射程内から出てしまう」

 

 ‟射程内”と言うのは、魔法を行使できる範囲の事だ。

 転移魔法や攻撃魔法は、使用者のマナ量に応じて使用範囲が広がっていくのだが、支援魔法や障壁魔法は効果範囲がある程度決まってしまっている。

 使用者から半径20m以内。

 これを越えると、途端に魔法の効力がガクンと落ち、さらに遠ざかると魔法自体が消えてしまう、なかなか面倒な原理をしていた。


 現在、アズールとガイの距離は約15mほど。

 このまま玄狼に引きずられる形で戦い続ければ、ほどなく射程から出てしまうのは必至。

 とは言え、椿のそばから離れるわけもいかないアズールは、ガイをバックアップしたい気持ちと板挟みになり、苦悩の様子を醸し出していた。

「行って下さい。アズールさん」

 顔を(しか)めて悩んでいたアズールに、助け舟を出したのは椿だった。

「いや、しかし・・・。ダメだ。それでは君を危険に晒してしまう」

「私は平気です。シンも一緒ですし」

「だが」

「お願いします。ガイを死なせたくはありません」

 それでもまだ言い募ろうとしたアズールに、シンが椿の口を借りて後押しをした。

「僕が付いてるんだから、椿の無事は保証するよ。それとも、僕が信じられない?」

「シン・・・」

「さ、早く決めないと!ガイが射程から出ちゃうよ?」

 アズールは一度目を閉じて考える。


 熟考は出来ない。

 こうしている間にも、ガイは少しずつ離れて行っている。

 だが、どうしても自分が護り切れなかった、初代救世主の事が頭を(よぎ)ってしまう。

 アズールは目を開いて、眉間に皺を作りながら椿と、その中にいるシンを見る。

「どうするの?」

 どちらでも構わない、とでも言うようにニコニコしながら聞いてくる。

 口調からして、恐らくシンだろう。

 シンは、椿の事に関しては誠実である、と直感していた。

 だが、直感と言えど、所詮は勘の一種。

 容易く信じきる事は出来ないが、それでもガイを助けたい気持ちも大きかった。

 そしてすぐに結論を出すと、シンに念押しする。


「彼女の事、くれぐれも任せたぞ」

「任せてよ!」

 椿の顔で、屈託のない笑顔を浮かべたシンは、アズールに向かって断言する。

 その言葉を聞いたアズールは、険しい表情のまま反転し、ガイと玄狼の元へ滑るように走って行った。


「これで、邪魔者はいなくなったな」

 そう言ったのは、今の今まで微動だにせず、一切口を挟むことの無かったヴァンだ。

「君の古い馴染みなんでしょ?そんな事言っていいのかな?」

「いいんだよ。オレにとって、今大事なのはツバキだからな」

「ちょっと、椿に粉かけないでくれる?」

「そういう意味じゃねぇよ」

「どうかなー。君は信用ならないからなぁー」

「はあ?あんた、いつからそんな恋愛脳になったんだ?めんどくせぇな」

「失礼な!純愛って言ってくんない?」

 シンとヴァンがそんな応酬を繰り返していると、椿がシンの意識を押しやって、身体の主導権を取り戻す。 

「ちょっと!こんな時にそんな下らない事を喋ってる場合!?」

(下らなくないよぉー!僕にとってはかなり重要)

「ぃやっかましい!恋愛話なんて、クソほども興味ないわ!!そんなの、もっと暇な時にやってろ!!」

 椿は自分の中にいるシンに、激昂して怒鳴ると、すぐに頭を冷やしてヴァンに目を向ける。

「で?まだ私と戦いたいんだっけ?」

「お、おう。そう」

 シンの声が聞こえないヴァンからしてみると、椿が突然ブチ切れたようにしか見えない。

 若干引いているヴァンに、椿は思わず首を傾げる。

「何?」

「あ、いやなんでも。そんじゃ、オレともうしばらく遊んでくれよ!」

(アイツが、新しい身体(うつわ)を手に入れるまでな・・・)

 ヴァンは内心そう考えると、黒い微笑を浮かべ、椿に向かってサーベルを構えた。

「私は遊びじゃなくて、殺すつもりだから」

「望むところだ」

 このやり取りを皮切りに、椿とヴァンも再度戦いへと没頭していった。



------------------------


 一方その頃、キールとゾフィールは、クレーターからかなり離れた位置で、生存者の捜索を続けていた。

 そう離れていない所に、ティオとジルの姿も見える。

 遠くから聞こえてくる鳴き声の様なものが気になったが、(つと)めて気にしないようにしていた。

 アズールとガイに無理を言って、生存者の捜索に割り当ててもらったからだ。

 周囲を注意深く見回しながら歩くキールとゾフィール。

 遠目からでは分からなかったが、地面に散らばっている赤やピンク、黄色の物体は、よく見れば人間の肉や内臓、脂肪の欠片であることが確認できた。たまに骨も転がっている。


 この惨状に、狩人としての経験が浅いゾフィールは、口に手を当てて、必死に吐き気を我慢していた。

「いっそのこと、吐いてしまった方が楽になるかも知れませんよ?」

 真っ青な顔色をしたゾフィールを案じて、キールはそう提案するものの、ゾフィールは小さく断る。

「いえ・・・大丈夫です・・・」

 蚊の鳴く様な声で言われても、全く説得力が無いが、無理に吐かせる訳にもいかないので、キールは心配そうな表情をしたまま、そうですか、と答えるにとどめた。

 もちろん、キールもこの酷い惨状を目にして胸のムカつきを覚えるが、長年狩人をしてきた為か、ゾフィールほどでは無かった。


 眷属狩りという職業は、このような場面に出くわすことは珍しくない。

 むしろ、よくある光景だ。

 運悪く眷属に襲われた隊商や旅人のみならず、一匹の中位種に壊滅させられた村、眷属を鎮める為の生贄と称して差し出され、食われた女性達。

 たまたま薬草を取りに出かけた先で眷属と遭遇し、成す(すべ)も無く(むさぼ)られた少年などなど、枚挙の(いとま)がないほど、この手の話は転がっている。

 眷属から救えた話より、救えなかった話の方が圧倒的に多いだろう。


 キールも狩人になりたての頃は、散乱した人間の死体を見ては嘔吐を繰り返したものだ。

 だが、それも年数を重ねる毎にだんだんと慣れ、今では胃や胸がムカつく程度しか感じない。

 もちろん、眷属に対する怒りや(いきどお)りは昔と変わらず存在するが、それでも徐々に人間らしい感情が失われていくようで、キールは(ひそ)かに恐怖を抱いていた。


 そもそも、どうして狩人なんて職業を選んだのだろう、とキールはゾフィールを気遣いつつ考える。

 人の助けになる、と言う動機だけなら、狩人以外にも選択肢はいくらでもあった。

 それこそ、騎士団や警備隊、傭兵でも良かった。

 騎士団や警備隊であれば、家族と絶縁する必要も無かっただろう。

 狩人と言う職業は、人に感謝される事もあるが、それ以上に恨まれる事が多い。

 さらに、死亡率が他の職種と比べて異常に高い。これはまぁ、眷属を相手にしているのだから、しょうがないのだが。

 高い報奨金を目当てに狩人となり、1年も持たずに眷属に殺される事なんて日常茶飯事だ。


 それなのに何故。

 とキールは過去に思いを馳せ、すぐに思い出した。


 あれは、まだ自分が8歳の時。

 父と母と共に、休暇で観光していた南の交易都市であるマレ・ロサから、馬車で王都へと帰る道中だった。

 あと少し、王都の城門が見えた所で、低位の眷属に襲われたのだ。

 馬車は横倒しになり、車内でしたたかに身体を打ち付けながらも、必死に扉を開けて這い出る。

 真っ先に出て行ったのは、同乗していた二人の使用人。

 あろうことか、自分達を踏み台にして出て行った。

 続いて父、母、最期に父に引っ張り上げられる形で自分。

 外に出て始めに見た光景は、雇っていた人間達が逃げていく様だった。

 二人の使用人は言わずもがな、護衛に雇っていた4人の傭兵も、こちらを振り返る事もせず脱兎の勢いで逃げ去り、同じように雇っていた3人の狩人は頑張って抵抗を試みたものの、あっという間に殺されて眷属の腹におさまってしまった。

 今考えれば、あれは低1級の‟黒兜”という甲虫型眷属だったのだから、傭兵が逃げるのは当然だし、狩人が容易に殺されてしまったのも当然の事なのだが、当時はまぁ恨んだ。

 高い給金を支払って雇ったのに逃げた、自分達が逃げる時間すら稼げないのか、と。

 幼いながらも、ずいぶんと高慢な考えに染まっていたものだ。


 その時の事を思い出して、キールは自嘲(じちょう)気味に苦笑する。

「どうかしましたか?」

 突然笑ったキールに、ゾフィールが怪訝そうな顔をして聞いてくる。

「いえ、なんでもありません。さ、もう少し捜索の範囲を広げましょう」

「?はい」

 ゾフィールは腑に落ちないといった様子を漂わせていたが、特に文句を言うでもなく、キールと共に歩を進めた。


 そんなこんなで、自分達を助けてくれる人間は誰もいなくなってしまった。

 投げ出された影響で気を失っていた御者の男を、黒兜がグチャグチャと咀嚼(そしゃく)している。

 父も自分も、地に降りたはいいものの恐怖で腰が抜けてしまって、這いずるのがやっとで走って逃げるなど出来なかった。

 やがて、御者を食い尽くした黒兜は、その紅い目を自分に向ける。

 目が合った、そう直感した瞬間、黒兜が紅い血に濡れた(あぎと)を開いて、自分に向かって飛んでくるのが見えた。


 目を見開いて固まる自分を、母が勢いよく突き飛ばす。


 地面に身体を擦りながら転がり、擦り傷だらけになりながらもバッと顔を上げると、そこで見たのは、母が黒兜に食われる瞬間だった。

 読唇術なんて会得していない筈なのに、逃げて、と母が言ったのが分かった。

 次の瞬間、黒兜の口が閉じ、母はバキバキと音を立てて死んだ。

 自分の物とは思えない絶叫が喉から迸る。

 父もただ呆然と、母が咀嚼(そしゃく)されるのを眺めていた。


 その時だった。

 自分の叫び声が聞こえたからか、それとも誰か、あの逃げた傭兵達が伝えてくれたからか、王都の城門から10人の狩人がこちらに向かって走ってくるのが見えた。

 そしてすぐに、その中の一人が黒兜に焔の魔法をぶつけ、矛先を自分達から狩人達へと変更させた後、討伐が始まった。

 駆け付けた狩人は全員がベテランだったらしく、黒兜を倒すのに、それほど時間はかからなかったのを覚えている。

 せいぜい30分程度だろうか。

 もしかしたら、もっと短かったかも知れない。


 黒兜が黒い粒子になって消えていく中、一人の狩人が自分の頭に手を置いて、ニカッと笑った。

「もう大丈夫だぞ!坊主!」

 そのままグシャグシャと頭を撫でられると、安堵感から自分の中にあった感情が一気に噴き出した。

 涙と鼻水、(よだれ)。後は失禁もした気がする。

 とにかく、ギャンギャン泣きながら、その狩人の身体を無茶苦茶に叩いて、なぜもっと早くに来てくれなかったのか、もっと早く来てくれれば母は死なずに済んだ。

 そもそも、こんなメイン街道に眷属が出るなんて聞いてない、これは黒狩りの怠慢だー等々、思い返せば思い返すほど、理不尽な事を言っていたな・・・と思う。

 父も、他の狩人の人達に対して、自分と似たような事を言って責め立てていた。


 だがその狩人は、そんな理不尽な理由で殴られても怒る事も無く、ただすまんなぁと泣きそうな声で繰り返して、自分の頭を撫で続けていた。

 もう23年も前の記憶なので、狩人の顔など覚えていないが、それでもその狩人の手の大きさと暖かさは、今でも覚えている。


 これが、自分が狩人に憧れた始まりだった。


 母が死んだ後、ほどなくして父は新しい女を(めと)った。

 母が死んで半年と経たずの事だった。

 未だ母の事を忘れられない自分と、早々に母を忘れたと思われた父との間に(わだかま)りが出来たが、継母(はは)はとても優しく、かつ気高い人だったので、父の女を見る目は確かだったのだろう。

 もしかしたら、母を失って寂しがっている自分を気遣って早々に再婚したのかも知れないが、今となっては確認のしようが無い。


 それから6年後。

 自分が14歳の時に、弟と妹が同時に出来た。

 双子の弟妹(ていまい)は、筆舌に尽くしがたいほど可愛く、両親以上に可愛がった。

 父も継母も半ば呆れ顔だったが、可愛いものはしょうがない。

 二卵性の為性別は違うものの、二人とも稲穂の様な金色の髪と、自分と同じ水色(アクアブルー)の目は、まるで柔らかな空のように澄んでいて綺麗だった。


 実の子と分け隔てなく、優しくも厳しい継母に育てられたおかげで、自分は特にひねくれることも無く育つことが出来た。

 その事には感謝しかない。


 転機が訪れたのは、それから更に6年後。

 自分が20歳の頃だ。


 その頃の自分は、このまま貴族として生きていくか、それとも別の道を選ぶか悩んでいた。

 ただ流されるまま、貴族として生きていくのも悪くないが、釈然(しゃくぜん)としない何かが胸に渦巻いていて、踏ん切りがつかず悶々とした日々を送っていた所に、継母から、弟と妹を連れて気分転換にピクニックでも行ってきたら?と言われたのだ。

 6歳になった弟妹も、自分に飛びついて行くー!と言うものだから、断ることも出来ずに早速支度をして三人で家を出た。


 よく晴れた穏やかな日だった。

 

 ピクニックと言っても、王都の城門から数分も離れていない小高い丘で、近くには兵士の詰所もある。


 地面に家から持ってきた白いシーツを広げ、三人でその上に座る。

 継母が持たせてくれたバスケットを開けると、そこには少し(いびつ)な卵とハムのサンドイッチが詰まっていた。

 恐らく継母が手ずから作ったのだろう。

 食事はいつも専属の料理人に作らせるのに、無理をしたものだ、と思わず笑みが零れる。


 いただきまーす!と元気に言って、弟妹はサンドイッチを頬張るが、その顔はすぐに歪んだ。

 どうした?と訊ねると、弟はしょっぱいと言い、妹はジャリジャリすると訴えた。

 どうやら調味料のさじ加減を間違えた上に、卵の殻まで混じっていたようだ。

 自分もサンドイッチを一つ手に取り、口に含む。

 なるほど、確かに塩辛いし、ひと噛みごとにガリッと殻が存在を主張してくる。

 自分達は顔を見合わせると、アハハと笑い合った。

 味も食感も最悪だったが、それでも継母がせっかく作ってくれたものを残せるはずも無く、卵の中の殻を必死に取り除きながら完食したのは、良い思い出だ。


 爽やかな風が吹く丘で、鳥の(さえず)りを聞きながら、弟妹がキャッキャと遊ぶ姿を穏やかな気持ちで眺めていると、唐突に背後の地面が盛り上がり、爆発した。


 驚いて振り返った自分の目に映ったのは、黒い百足(ムカデ)の眷属。

 さっきまで楽しそうにはしゃいでいた弟妹も、突然の出来事に固まってしまっている。

 脳裏に、母が食われた時の光景が蘇った。

 刹那、身体が放たれた矢の様に飛び出し、急いで弟妹を両脇に抱えて、城門まで駆け出す。

 弟妹は、恐怖のあまり目を見開いたまま、彫像の様にピクリとも動かない。

 下手に暴れられるよりはマシだが、息まで止めてるんじゃないかと思うほど、微動だにしないのは気がかりだった。

 子供とは言え、人を二人も抱いたまま、あんなスピードで走れたのは、後にも先にもあの時だけだ。

 ‟火事場のバカ力”と言うものだったのだろう。


 今思えば、あの黒い百足は低4級なので、それほど脅威では無かったのだが、当時は眷属の情報など無いに等しかった為、弟妹を抱きかかえて逃げるのに必死だった。


 背後から、百足が口をギチギチ鳴らしながら、地面を這って迫ってくるのが分かる。

 

 事態を察した詰所の兵士が、城門の所からこちらに向かって手招きしているのが見えた。

 早く、と叫んでいるのも聞こえている。

 息を切らしつつ、(もつ)れそうになる足を懸命に動かして走っていると、城門から一人の男性が自分達に向かって疾走してくる。


 これが、自分とガイさんの出会いだった訳だが、その当時からガイさんは山賊の様な風貌をしていた為、初見では狩人なのか、それとも傭兵なのか区別がつかなかった。


 ガイさんは自分達を素通りすると、百足に向かって背負っていた大剣を思い切り振り下ろした。

 叩き斬る、ではなく叩き潰すと形容するのが相応しい有様で百足の頭を潰し、そのまま百足の身体の中央を大剣で貫く。

 ちょうどそこに核がある事を知っていたのだろう。

 百足が黒い粒子になって消えていく中、かつて自分を助けてくれた狩人の様に、ガイさんは突っ立っていた自分の頭を鷲掴みにし、グシャグシャと撫でた。

「もう大丈夫だぞ!坊主!よくガキ共を守り通したな!」

 正直言って、もう坊主の年齢はとうの昔に過ぎ去っていたのだが、到底突っ込む気にもなれず、自分は弟妹を抱えたまま、へなへなとへたり込んでしまった。


 ニカッと笑うガイさんの姿が、あの時の狩人と重なる。

 そして思ったのだ。

 あぁ、自分はこの人のようになりたい、と。


 ようやく緊張の解けた弟妹が、堰を切ったように泣き始めたのを聞いて、自分もハッと我に返る。

 雄叫びの如く泣き喚く弟妹を見て、ガイさんは自分の風貌が怖いからだと勘違いし、ワタワタと慌てるさまは、今思い出しても微笑ましい事この上ない。

 その慌てっぷりを見て、当時の自分は思わず笑いながら泣いていた。

 

 結局、自分は20歳にもなってみっともなくワンワン泣いた後、ガイさんと別れ、兵士に付き添われて自宅へと帰った。

 事の顛末(てんまつ)を聞いた父と継母は大層驚いたが、何はともあれ無事に帰ってきたことを大げさなほど喜んでくれた。

 6年前の母の事が記憶に新しい我が家にとって、怪我も無く三人が無事に帰ってきたことは、奇跡にも等しいと理解していたからだ。


 その事があってから、それほど時を置かずに、父に狩人になりたい旨を告げたが、無論反対された。

 まぁ当然だろう。

 自分は跡取りであったし、何より母の事とこのピクニックの件があったのだから。

 それでも自分の決心は変わらず、父と何度も話し合ったが、結論はいつも平行線のままだった。


 1年後、結局自分はこれ以上父と話し合うのは無駄と判断し、絶縁状を叩きつけて家を出奔(しゅっぽん)した。


 その際、弟妹は泣いて引き止めてくれたが、心は揺らいでも変える事は出来なかった。

 継母からは、身体に気を付けて、とだけ言われた。

 きっと深い憂慮と心痛をかけたと考えると、未だに罪悪感に襲われる。


 それから自分は名前を捨て、ただのキールとして狩人となり今に至る。

 ガイさんに直談判して、チームに加入できた時は飛び上がるほど嬉しかった。


 あれから10年。

 弟妹はもう17歳になる。

 あの両親の元にいるのだ、立派な紳士淑女になっているだろうと思うと、一目会ってみたい気もするが、絶縁してしまった以上、きっとそれは難しいし、そんな甘い事を考えてはいけない。

 家族ともう二度と会えなくても構わないと、覚悟を決めて家を出たのだから。


 キールが懐かしい記憶に浸っていると、ゾフィールが何かを発見したようで、キールを呼んだ。

 その声で一気に現実に引き戻されたキールは、この非常時に呑気に過去を振り返っていた自分に叱咤すると、気を取り直してゾフィールに応えた。


「どうしました?」

「あそこに倒れてるの、人じゃないですかね?」

 ゾフィールがあそこ、と指差したのは、キール達から正面5mほど離れた場所だった。

 見ると、確かにそこには人が倒れていたが、まだ距離があるので生きているか死んでいるかはもちろん、男女の区別もつかない。


 ゾフィールと一緒に急いで駆け付け、その人物を抱え起こして顔を見た瞬間、驚いて息を呑んだ。

「!!」

「こいつ!」

 ゾフィールも、この顔には見覚えがあった。

 その左半身は無残にも黒く焼け焦げ、左足は太もも付近で無くなっていたが、金色の長髪に良く育ったもみ上げ、ふくよかな体型。

 ゾフィールだけでなく、多分この町、もしかしたらこの国の人間なら誰もが知っているであろう人物。

「・・・カルミリス・フォン・エルンドラ・・・」


 そう。

 悪名高きエルンドラ家の一人息子だ。


 キールが呻くように呟くと、カルミリスの胸元に目を落とす。

 どうやら傷を負っているらしく、胸から溢れる赤黒い血が、上半身をじわじわと染め上げていた。


 とりあえず傷の度合いを確かめようと、服に手をかける。

「キールさん、こんな奴放っときましょう!どうせ、この状況もエルンドラ家のせいなんでしょうから!」

「そういう訳にもいかないでしょう」

「ですが!」

「もし仮に、これがエルンドラ家のせいだとしたら、なおさらその責任を取ってもらわなければなりません。ここで死んでもらっては困るのです」

 興奮して反対するゾフィールに、キールは(つと)めて冷静に返しながら、カルミリスの服をはだけさせていく。

 白と金の上着を脱がせ、その下にある白いシャツのボタンを2つ外した所で、突然カルミリスの目が開いた。


 そしてシャツに手をかけているキールの手首をガシッと掴んだ。

「!?」

 驚愕に硬直するキールとゾフィールを無視して、カルミリスは口からゴボッと黒い血を吐き出しながら言う。

「あぁ・・・。あなたが丁度いい・・・」

 シャツに付いていた血も、よく見れば黒かった。紅い月光の影響で、赤黒く見えていただけだ。

 一気にキールの背筋に、冷たい汗が流れる。

「黒血!?ゾフィール!逃げ」

 キールが慌てて、ゾフィールに逃げる様に指示を出そうとした瞬間、キールの身体はカルミリスから発生した黒い半球体の中へと呑み込まれていった。


 間一髪、半球体に取り込まれる前に逃げられたゾフィールは、そのほど近くで途方に暮れる。

 狩人になってまだ1年。

 自分に突出した才能も能力も無く、経験も浅い。

 その為、呑み込まれたキールを助ける手段も思いつかない。

 どうしよう、と軽くパニックになるが、すぐにジルとティオの事を思い出す。

 アズールとガイがいるはずのクレーターは、ここから遠く離れている。

 呼びに行って戻ってくるまで、それなりに時間がかかるし、何より向こうからは獣の遠吠えの様な声まで聞こえてくる。

 知らせたとしても、こちらに来れる状況では無いかも知れない。

 それならば、ここで右往左往しているよりも、すぐ近くにいるはずのジルとティオに助けを求める方が合理的だ。

 そう判断すると、ゾフィールはさっきまで二人がいた方向へ、急いで駆け出して行った。


-------------------


 一方、半球体の中では、黒い粒子となったカルミリス、もとい翠がキールを取り巻いていた。

 まるで嵐の中心にいるようだ、とキールは冷静に思いながら立ち上がり、顔の下半分を腕で覆い隠す。

 この正体不明の黒い粒子を、なるべく吸い込まないようにする為だ。


 さて、ここから脱出出来るのだろうか、と考えていると、キールの頭に直接響くように、翠は語りかけた。

(ずいぶんと落ち着いているのですね。もっと取り乱すかと思っていたのですが・・・)

「あなたは誰です。・・・いや、あなたは何なんですか?」

 怖くない訳では無い。

 むしろ怖くて怖くて仕方ないのだが、キールの中で恐怖はすでに限界を突破しており、逆に何も感じなくなっていた。

 そのおかげか、キールは普段と同じく冷静な頭で、翠の只中にいた。


(私ですか?私は眷主の翠と申します)

「眷主?」

(ご存じですか?)

 眷主の事は、アズールとガイから聞き及んでいる。

 5体しかいない、眷属を統率するもので、混沌の欠片だと。

 身体(うつわ)を乗り換える特性から不死の存在と言われ、未だかつて、眷主を本当の意味で倒せた者はいないとも。

 殺そうと思えば、自分など赤子の手をひねるよりも簡単に殺せるだろう。

 そんな存在が、自分と会話をしているこの流れに、キールは疑問を抱かざるを得なかった。


「眷主ともあろうモノが、自分に一体何の用です」

(あなた、意外とせっかちですね。まぁいいですけど。‟何の用”と言いましたね。実はあなたに提案、と言うより取り引きをしたいと思いまして、こうして私の中に招いたのですよ)

「取り引き?残念ですが、何を言われても応じるつもりはありません。殺されてもお断りです」

 顔を顰めてキッパリと断言するキールに、翠はなだめる様に柔らかい声で続けた。

(まぁまぁ。そう焦らずに話だけでも聞いて下さい。その後、どう判断するかはお任せしますから)

 キールが、聞くつもりは無いと言うよりも早く、翠は‟取り引き”の内容に触れた。


(取り引きと言うのは他でもありません。あなたの身体を私に頂きたいのです)


「な!?」

 予想外の言葉に、キールは思わず顔を覆っていた腕を下ろして驚くが、翠はそれ無視して話を続ける。

(その代わりに、私の力をあなたに差し上げます。強大な力です。以後、あなたは負ける事も殺される事もほぼありませんし、この契約に応じて下されば、あなたの自我の保証も致します)

 淡々と、契約書を読むかの如く説明する翠に、キールは声を荒げて拒否した。

「お断りします!!狩人の自分に眷主になれなどと、よくもそんなぬけぬけと!到底受け入れられるものではありません!」

(別に断るのなら、それはそれで構いません。強制的に身体を頂くだけですから)

「!?」

(契約を交わさなければ、身体を乗っ取られることも無い、とでも思いましたが?これは言わば私達、ひいては混沌の善意なのですよ。自我を保ったまま眷主となるか、そうでないか。どちらにしても、身体(うつわ)となる運命は変えられません)

「過程が違うだけで、結果は変わらない・・・と?」

 キールは手をギリッと握りしめ、呻くように低く言う。

(その通りです。呑み込みが早くて助かりますよ)

 翠がフッと笑った気配がする。


 だが、そう言われてもキールの答えは、最初から決まっている。

 キールは首を横に振って、拒否しかけた。

「お断り」

(あなたが私の取り引きに応じて下されば、外にいるお仲間を、私が手にかける事はしないとお約束しましょう)

 キールの返答に被せて、翠はそう付け加えた。


 ドクッと、キールの心臓が大きく跳ねる。

 それは、仲間思いのキールにとって一番痛い箇所であり、言わば急所だ。

 狩人になって、キールは自分の生き死にはある程度覚悟していた部分があるが、仲間となるとそうもいかない。

 ゾフィールは狩人になってまだ1年だし、ジルは22歳の若者だ。

 死ぬには早すぎる。


(どうです?あなたの自我が残っていれば、彼等を助けられると思いませんか?ちなみに、あなたが応じなかった場合、彼等は間違いなく殺す予定です)

 翠の甘言が頭に、心に響いてくる。

 自分が折れれば、仲間が助かる可能性がある、と言われれば、人の良いキールはこの取引に応じざるを得ない。

 そう予測しての発言だった。


(いかがです?)

 そしてそれは、狙いを違えず的中する。

「この、卑怯者・・・」

 恨みと憎しみ、悔しさがない交ぜになった昏い声色で、キールは翠を責めた。

(それは、了承ととってもよろしいですね?)

「一つ、聞かせて下さい。何故自分なのですか?」

(何故、ですか?そうですね、簡単に言うと、相性が良さそうだから、ですかね。あなたと私は、よく似ていますから)

「‟似ている”?」

(えぇ。どこが似ているかは、すぐにわかりますよ。それでは)

「最後に!本当に、自分の仲間には手を出さないでくれますね」

(お約束しますよ。()()手を出しません。それでは今度こそ。ようこそ、こちら側へ。キースゲイル・フォン・ユースティア)

 翠がキールに向かってそう言うや否や、黒い粒子が勢いよくキールに吸い込まれていく。


 自分の意識が黒く染まり、生ぬるい闇に呑まれる寸前、人であるキールが最後に思い浮かべたのは、双子の弟妹の事。


 次いで、眷主に転生したキールが最初に感じたのは、耐え難いほどの飢餓感だった。


-------------------


 ゾフィールが、ジル、ティオと共に元の場所に戻ってきたのは、ちょうど黒い半球体が消え、中からキールが姿を現した頃。


 焦げ茶色の髪を風に(なび)かせ、静かに夜空を見上げて突っ立っているキールの背中に、ゾフィールは急いで駆け寄り、心配げに声をかける。

「キールさん!大丈夫ですか!?」

 その言葉に、キールは答えることも振り向く事もしない。

「キールさん?」

「どうしました?」

 ジルとティオもそう聞きながら、キールに駆け寄る。

 そしてゾフィールはふと気がついた。

 半球体が現れる前は確かにいた、カルミリスの姿が消えていることに。


「・・・あぁ、大丈夫ですよ。ただ、とてもお腹が空いたなぁと考えていただけです」

「腹、ですか?まぁ言われれば確かに空腹ではありますけど・・・。そんな事より」

 何があったんですか?とティオが続けようとした時、不意にキールが振り返る。


 振り返ったキールを見た瞬間、三人は違和感を覚えた。

 いつもと変わらないフルプレートの装備、昼に買った赤銅色のロングソード、焦げ茶色の髪、到底狩人とは思えない柔和な顔つき。

「なので、少々腹を満たしたいと思います」

 言うが早いか、キールはにこやかに微笑みながら、目の前に立っていたゾフィールの胸に、右手を突き入れた。


「・・・え?」

 感じたのは衝撃。そして熱。

 あまりに突然の事に、ゾフィールはそれだけ呟くと、両手で胸を抉っているキールの右腕を掴む。

 掴む、と言うよりか触る、と表現した方が適切か。

 現実感を伴わないこの状況を確かめる様に、ゾフィールは間の抜けた表情で、キールの右腕をペタペタと触った。

 それは一部始終を見ていたジルとティオも一緒で、脳が現実の認識を拒み、キールを止めることもゾフィールを助けることもせず、ただ見ているだけだった。


「すみません。どうしても、この空腹感が耐えられないのです」

 申し訳なさそうに、眉尻を下げて言うキール。

 その言葉が合図になったかのように、ゾフィールの口から紅い鮮血が溢れた。

 それと同時に、ゾフィールの脳に痛みの電気信号が届く。

 苦痛に呻き、顔を歪めて脂汗を流し始めるゾフィールを見ながら、キールは再度謝罪する。

「申し訳ありません。本当は殺したくないですし、殺さないという契約だったのですが、この空腹感だけは如何(いかん)ともし難く。まぁでも、今の自分は翠でありキールでもある。逆に言えば翠でもキールでも無いのですから、契約を反故(ほご)にした訳では無いですよね」

 キールはゾフィールに優しく微笑みつつ、手の中で鼓動を繰り返す心臓を撫でる。

「な・・・んで」

 絶え間なく襲い来る激痛に耐えて、ゾフィールは純粋な疑問を血と共に吐き出す。

「うーん。説明しても理解できないと思いますよ?あなた達はまだ眷主の情報を開示されていませんから」

 キールは困った顔をしてそう言うと、撫でていたゾフィールの心臓を掴み、ブチブチと繋がっていた血管を引きちぎって、体内から取り出した。

 胸から抜き出された手に続いて、鮮血が噴き出てキールの顔と身体を紅く染める。

「あ、が・・・」

 結局、ゾフィールは疑問が解決しないまま絶命した。


 困惑と苦痛がない交ぜになった表情のまま、ゾフィールは仰向けに倒れる。

 そして、キールは右手に握っていたゾフィールの心臓を口に含み、ひと息に呑み込んだ。

 人の心臓と言うのは存外大きい。

 成人だと幅は約10cm、長さは大体15cm前後。

 本来の人間の構造で言えば、丸呑みするなど到底出来ないだろう。

 それを、キールはゴクリと、蛇の様に容易く呑んだ。

 口の端に付いた血をペロリと舐めながら、キールは呟く。

「うーん。足りませんね・・・」


 一方ジルとティオは、倒れたゾフィールを呆然と眺めていた。

 胸に空いた穴、覗く肋骨と内臓、開いたままの瞳孔。

 ついさっきまで生きていた仲間の変わり果てた姿に、動くことも声を出すことも出来ない。

 まして、ゾフィールを殺した上に、その心臓を食べるという、人間の所業とは思えない行動をしたのが信頼する副官殿であるなど、とてもじゃないが受け入れられない。

 荒い息を吐きつつ、二人はゆっくりと視線を上げ、紅く濡れたキールを見てようやく気がついた。

 その目が、青空の様な水色から、翡翠の様な(みどり)色に変わっていることを。


「縛鎖!貴様、誰だ!」

 最初に正気に戻ったのはティオだ。

 キールの姿をしながらキールではないその者に、ティオは拘束の魔法を放ち、すぐに次の魔法陣を手に浮かべて厳しく問いただす。

「自分はキールですよ?あぁでも、厳密に言えば違うのでしょうが」

 マナで出来た金色の鎖で、身体を拘束されたキールは首を傾げて言うと、ティオはより激昂する。

「ふざけているのか!」

「自分は至って真面目です。ただまぁ説明するだけ無駄なので、省いてはいますが」

 瞬間、キールは自らに巻き付いていた鎖を、腕を広げただけでいとも簡単に砕く。

 そして、容易く拘束を解いたキールに対して驚いているティオではなく、その隣のジルへ瞬く間に距離を詰めて、ゾフィールの時と同じく胸に右手を突き刺し、心臓を引き抜いた。

 続いて、先ほどと全く同じように、その心臓を口に含み呑み込む。


 何が起きたのか理解する間もなく死んだジルは、間の抜けた表情のまま倒れた。

「やはり、戦士職のマナでは足りませんか。残念ですが、仕方ないですね」

 全然残念と思っていない口ぶりでキールは呟き、最後の一人となったティオに顔を向ける。

 ティオは二人の死体とキールを見て、真っ青な顔でキールに攻撃魔法を放とうとするが、結局その前にキールに距離を詰められ、先の二人と同じ末路を迎える事となった。

 

 キールに何があったのか、何故キールが仲間の、そして自分の心臓を食べるのか、その疑問は解決することなく、ティオの意識は心臓を抜かれた瞬間、プッツリと途切れて消えた。


 キールはティオの心臓をゴクッと呑み込む。

「ふーむ。まぁこんな所でしょうか。流石に魔法士のマナは戦士職よりも多いとは言え、やはり少ないですね。そもそも美味しくないですし」

 仲間を殺し、その心臓を食べるという鬼畜にも劣る所業を終えたキールは、仲間だった者達の死体を見下ろして(うそぶ)く。

 その翠の目には、僅かに悲しさに似た感情が映っている。


 そもそも、翠と契約したのは彼等を生かす為だったはず。

 それなのに、大切な仲間を殺してもなんとも思わなくなってしまった事が、人としての感情を失ってしまった事が、微かに哀しいだけ。

 契約の時に交わした‟仲間を殺さない”と言う約束も、出来れば守りたかったが、 ヴァンとの戦闘でマナを大量に失った結果、耐えられないほどの空腹感に襲われた為、ああするより他なかった。


 人体でもっとも重要な器官の一つである心臓は、全身に血を行き渡らせるポンプとしての機能以外にも、この世界ではマナの貯蔵庫としての役割も担ってる。

 それ故、ヴァンとの戦闘で失ったマナを手っ取り早く補給する為に、キールは近くにいた仲間の心臓を喰らったという訳だ。

 そうは言っても、所詮はただの人間の心臓。

 溜めてあるマナなど、眷主からしてみれば微々たるもので、回復したとはお世辞にも言えないのだが。


 キールは三人の心臓が収まっている腹を撫でながら、ヴァンと椿達のいる方を見やる。

「さて、向こうはどんな感じですかね」

 そう独り言ちると、三人の死体には見向きもせず、キールはクレーター方面に向かって足を踏み出した。


-------------------


 椿とヴァン。そしてアズール達と玄狼は、未だに一進一退の攻防を続けていた。

 一進一退と言うが、ヴァンはもちろん玄狼も本気で相手にしている訳では無いので、実際のところは違うのだが、傍から見ればその戦闘は、そう形容してもいいほどに激しかった。


 椿の紫電刀とヴァンの紅蓮剣が交差し、紫の電光と紅い火花が散る。

 そのまま鍔迫り合いを始めるが、すぐにサーベルから焔が巻き上がり、椿を飲み込もう紅い顎を広げた。

 それを、シンが椿の足を無理矢理動かして、後ろに飛び退き躱す。

「紫電二閃!」

 椿は着地するのと同時に、刀に追加の魔法をかけて、ヴァンに向かって薙ぎ払う。

 一閃目は真横に薙ぎ、二閃目を切り上げ、ちょうど十字型に(かたど)られた紫の雷電が、眩くヴァンに迫る。

 だがヴァンは慌てる事無く、むしろ余裕の笑みさえ浮かべて、その二つの雷電をサーベルから生み出された焔で呑み込む。

 激しい爆発音と共に、爆発によって発生した煙と突風が、椿の視界を奪う。

 煙を多少吸い込んでしまったのか、椿が空いた手で鼻と口を覆い、軽く咳き込みながら刀を構えていると、その煙をサーベルで切り裂いてヴァンが現れた。

 一瞬息を呑むが、咄嗟に刀で防御してやり過ごす。

 剣戟の音を響かせて、椿がヴァンと対峙していると、タイミングを見計らったように煙が晴れる。


 それに合わせて、ヴァンは一度剣を振るう手を止めて後退した。

「いやぁ、よく頑張るな!いくらオレが手加減しているとは言え、未だ傷一つ付いてないとは」

 おどけたように言うヴァンに、椿は顔を不快気に歪めて吐き捨てる。

「褒めてるつもり?全然嬉しくないし、むしろムカつくんだけど」

 言いながら椿は刀に魔法陣を展開して、さらに魔法を付与しようとする。


(椿。これ以上の魔法の使用はやめた方が良いよ。そろそろ限界だ)

「限界?」

 どういう事?と続けようとして、椿は唐突に強い咳の感覚に襲われた。


 反射的に口を押さえて咳き込むと、その口から紅い血が吐き出される。

 荒い息をして、椿は左手を汚した自分の血を絶句して見ていたが、立て続けにむせてしまい、地面に片膝をついてしまう。

(まだ回路が十分に出来上がっていないのに、魔法を連発したから、その負荷が身体に跳ね返って来たんだ)

 本来であれば、回路が出来たばかりの椿に、魔法を連発するだけのマナは無いのだが、シンと一体化した事によりマナの補給が随時受けられるようになり、そのせいで、まだまだ弱い椿の回路は休む間もなく酷使され続け、結果的に椿の肉体にツケが回ってきたのだ。


 紅い血を指の間から(したた)らせ、頻繁に咳き込む椿を見て、ヴァンが声をかける。

「おいおい大丈夫か?」

 椿を案じるかのような言葉を投げかけているが、そこに気遣うような感情は一切込められていない。

 社交辞令よろしく、ただ言っただけだ。

 そんなヴァンの軽口に返す余裕もないほど、椿はハアハアと苦しそうに呼吸を繰り返している。

「うーん。ここら辺が潮時か。(クロ)、戻れ!」

 ヴァンが声を張り上げて言うと、30mは離れた所にいたはずの玄狼が、一瞬で戻ってくる。

 それは、走って戻ってくるでも跳んで戻ってくるでも無く、巨体を黒い粒子にして移動し、ヴァンの隣で再構成した、そんな光景だった。

「楽しめたか?玄」

「はっ。不測の事態はございましたが、以降はそれなりに、と申しましょうか」

 そう言った玄狼の片目は、聖水によって潰され、身体の至る所に火傷の様な痕があったが、ヴァンが玄狼に触れると、その傷は瞬く間に修復され、数秒もしない内に元通りの綺麗な体躯に戻っていた。

「恐れ入ります」

「気にすんな。ウリエルの聖水じゃ仕方ない」

 恐縮する玄狼に、ヴァンが気安くフォローを入れた所で、アズールとガイが椿の所に駆け付けた。


 ザッと砂埃を上げて滑り込んだガイは、椿の隣でヴァンと玄狼に大剣を振りかざす。

「おい平気か!?」

「ゲホッゲホッ!だ・・・いじょ、でゴホッケホッ」

 椿は必死に大丈夫だと伝えようとするが、止まらない咳がそれを許してくれない。

 アズールはガイとは反対側で、すぐに椿の隣に(ひざまず)くと、背中に手を当てて治癒魔法をかけてくれる。

 徐々に収まってきた咳感に、椿は軽く咳き込みつつもアズールに礼を言う。

「あ・・・りがとう、ございますケホッ」

「無理に喋らなくていい」

 椿を気遣うアズールに、ヴァンは意外そうに言葉を投げかけた。

「へぇ~。アズラエルが治癒魔法とはな。変われば変わるもんだ」

「黙れ眷主」

「おーこわ」

 肩を(すく)めてわざとらしく怖がるヴァンに、アズールは苛立たし気に舌打ちをする。


 そんな時だった。

「ガイさん!大丈夫ですか!?」

 椿達の背後から、慣れ親しんだ声が聞こえてきたのは。

 ガイとアズールが振り返れば、キールが赤銅色の剣を手にしてこちらに走ってくるのが見えた。

「キール!」

 声を発したのはガイだ。

 アズールもガイも、駆け付けてくるのがキールだとわかると、すぐにヴァンに視線を戻して、改めて戦意を露わにする。

 やはり仲間の存在と言うのは、例え戦力的には焼け石に水だとしても、戦意を取り戻すほど精神的に大きいものなのだろう。

 ニッとヴァンに向けて不敵に笑うガイとアズールだったが、ヴァンはそれを見て、可笑しそうに笑った。

「ククク」

「何が可笑しい!」

 次の瞬間、声を荒げたガイの鳩尾(みぞおち)から、唐突に剣が突き出た。


 ドンッと背中に何かがぶつかった様な感覚。

 振り返るより先に、自らの腹から、血で紅く濡れた赤銅色の刀身が伸びているのが見える。

 血が喉をせり上がり、そのまま口から流れた。

 剣の突き出た箇所から、焼けるような激痛がガイを容赦なく襲う。

 ガランッと手にしていた大剣が手から滑り落ち、大きく重い音を立てて地面に転がる。

 呆然と突き出た刀身を見つつ、ガイはゆっくりと背後を振り返った。

 その際、驚愕に目を見開いているアズールと椿の姿が目に入る。

「キー・・・ル?」

「すいません、ガイさん」

 ガイの橙色の目に、ニタリと翠色の目を歪めて邪悪に嗤う、紅く濡れたキールの姿が映った。

 キールの行動、そして目の色が変色している事に、ガイは困惑と共に疑問を抱くが、腹からの激痛と失血で考えがまとまらない。

 血が失われるのと連動しているかのように、ガイの意識は徐々に薄くなり、思考も焦点もボンヤリと定まらなくなっていった。


 水色をしていたはずのキールの目が、翠色に変わっているのを見て、椿の中のシンが即座に事態を把握する。

(どうやら、彼も眷主になったみたいだね。目の色からして翠かな)

「・・・眷主」

 シンの言葉を復唱する椿に、アズールがハッと我に返り聞き返す。

「眷主・・・だと?」

「あれは翠だよ。てっきり緋にぶちのめされて、早々に戦線離脱したと思ってたんだけど。まさか新しい身体(うつわ)を手に入れて戻ってくるとはね。緋が僕達と戦っていたのは、彼が新しい身体を手に入れる為の時間稼ぎも兼ねていたって考えるのが妥当かな」

 椿の口を借りて、シンが冷静に説明すると、キールはガイの腹から剣を引き抜く。

 刺し口からドプッと大量の血が溢れ、力なくうつ伏せに倒れるガイをキールは冷たく一瞥(いちべつ)した後、おもむろに高く跳躍してヴァンの真正面に降り立つ。


「よお。上手いこと新しい身体(うつわ)が手に入ったみたいだな」

 隣に立つ玄狼を撫でながら、晴れやかな笑顔で話すヴァンとは対照的に、キールはムスッとした表情で深々とため息を吐きだす。

「・・・おかげさまで。あなたには色々と言いたいことが山積みですが、それは後にしておきましょう」

「おぉ!礼ならいくらでも受け付けるぜ!」

「何故、礼だと思うんですか。そんな筈ないでしょう」

「え?礼以外に言う事なんてあるのか?」

 心底わからないといった雰囲気のヴァンに、キールは先ほどよりも重く長いため息を吐いた。


 眷主達の軽口を聞きながら、椿は自分に治癒を施していたアズールに提言する。

「アズールさん、私はもう平気なのでガイさんの治療をお願いします。この出血の仕方だと、重要な血管か臓器が傷ついている可能性が高いです」

 アズールは即座に頷き、椿から倒れているガイに近づき、傷口に手を当てて迅速に治癒魔法を開始する。

 だが、何故か上手く魔法が働かないらしく、出血は気持ち緩やかになったが、傷が塞がる様子は無い。

「何故」

 アズールが、焦燥感に顔を歪める。


 椿は立ち上がり、再び刀を構えてヴァンと新しく眷主になったキールに、厳しく問い詰めた。

「一体何をしたの!?」

 もはや怒声に近い椿の言葉を聞いて、ヴァンとキールは軽口を止めて椿を見る。

 振り向いたキールは、敵意むき出しの椿と倒れているガイ、そのガイに必死に治癒魔法をかけるアズールを一見し、口を開いた。

「何って、あぁ。治癒が上手く働かない事ですか?簡単ですよ。剣に治癒妨害のマナを付与させて、それを突き刺したときにガイさんの身体へ流しただけです」

 事も無げに答えるキールに、今度はアズールが低い声で聞いた。

「・・・何故ガイを選んだ」

「理由は色々ありますが、一つはあなたよりガイさんの方が厄介だったからですよ。アズール様」

「それは、今の私は取るに足らないとでも?」

 ギリッと歯噛みして睨みつけるアズール。

 それに答えたのはキールではなく、相変わらず玄狼の身体を撫で続けるヴァンだった。

「実際その通りだろ?‟神”の、天からのバックアップの無いお前なんて、普通よりもちょっと強い人間と変わりない。現に中1級程度(コイツ)を相手に四苦八苦してたじゃねぇか」

「まぁ、そういう事です。強がってはいますがツバキさんも既に限界。であれば消去法で考えて、ガイさんに矛先が向いただけの話です」

 ヴァンの言葉を肯定し、淡々と()べるキール。


 変わり果てたキールの態度に、アズールは俯き、悔しそうに唇を噛みしめる。

「キ、キー・・・ル」

 息も絶え絶えに漏らしたのは、倒れたままのガイだ。

 一瞬驚いた様子のキールは、目を丸くして首を傾げる。

「おや。まだ意識があったのですか。驚きました」

 キールのその言葉が聞こえていないのか、ガイは血を吐きながら、うわ言のように呟く。

「・・・ール・・・を、・・・か、かえ・・・せ」

「うーん。それは無理ですね。と言うか、これでも正式な契約を結んで眷主になったわけですし」

「それはつまり、キールさんが望んで眷主になったって事?」

 思わず聞き返したのは椿だ。

「多少、意地の悪い手を使ったのは事実です。内心、眷主との約束なんて半信半疑でしたが、それでも選んだのはキール(自分)ですよ」

「約束?」

「えぇ。‟自分が眷主になる代わりに、仲間達に手を出さない”と言う約束です。まぁその約束は果たされませんでしたが。彼等の遺体はここから北に進んだ所にあります」

 キールの発言に、アズールは勢いよく振り返り、言われた北に目を凝らすが、ティオ達の姿は見えない。


 正直、キールが眷主になってしまった段階で、キールと一緒に行動をしていたゾフィールやティオ達の安否は絶望的だったが、改めて断言されると、受け入れ難い気持ちでいっぱいになってしまう。

 この、慣れ親しんだ仲間が死ぬという感覚は、5000年経った今でも慣れることは無い。

 それが寿命ではなく、よりにもよって眷主、しかも仲間だったはずのキールの手にかかってとなると尚更だ。

 今すぐにでも駆け出したい気持ちを抑えて、ガイに効いているかどうかもわからない治癒魔法をかけ続ける。

「キー・・・ル。も、もどって・・・こい」

「ガイさん、申し訳ありませんが、自分にはやるべき事があるんです。残念ですが、その要求は受け入れられません」


 ガイの必死の言葉を、キールはすげなく断ると、魔法を使って宙に浮かぶ。

 それに続いて、ヴァンも玄狼の背中に飛び乗り、同じように宙に浮く。

 その際、ヴァンは手にしていたサーベルをダガーに戻した。

「眷主になったのは、オレもコイツも自分の意思ってこった。ま、元に戻そうなんてまず無理だから、諦めるんだな」

「待ちなさい!逃げるつもり!?」

 咄嗟に駆け寄ろうとした椿だったが、まだ万全の状態では無い為、思わずよろめいてしまう。

「逃げる?違ぇよ。見逃してやるんだよ。ツバキの現段階での実力はわかったし、翠も新しい身体(うつわ)が手に入った。これ以上ここにいても意味が無い」

「とは言え、このまま立ち去るのも芸が無いですし、少しばかり置き土産をしていきます。がんばって処理して下さい」

 キールはそう言って、赤銅の剣を適当に地面に落とす。


 剣が突き刺さった途端、そこから大きな黒い虫がワラワラと湧き出してくる。

 今まで遭遇してきた眷属と違って、その目は緑色をしていた。

「低位種です。消耗したあなた方でも対処出来るでしょう」

 そう言ってキールが街の方へ視線を向けると、ちょうど周辺の人々の救助を終えた警備隊と狩人の面々が、こちらに向かって走ってくるのが見えた。

「どうやら援軍も来たようですし」

「ま・・・て・・・」

 ガイは最後の力を振り絞って言うと、そのまま意識を失った。

「すいません、ガイさん。自分の事は諦めて下さい」

 形だけでも申し訳なさそうに謝るキールの姿は、以前と変わりないように思える。


「そうそう。最後にツバキ。お前ん中にいるシンな、あんまり信用しない方がいいぜ」

「・・・どういう事?」

 突然シンの事に言及したヴァンに、椿は身体の痛みも忘れて聞き返す。

「そのまんまの意味さ。それじゃあな。またいずれ会おうぜ」

「それでは」

 そう言うや否や、ヴァンは玄狼に跨ったまま、キールと共にさらに空高く上がり、南の夜空へと呆気なく消えていった。


 残ったのは重傷のガイと、治癒魔法に専念するアズールに未だ満身創痍の椿。

 そして黒々とした低位種の眷属の群れだけ。

(椿。ちょっと身体を借りるよ。今の椿じゃ、この群れは厳しいから)

「・・・うん」

 正直、ヴァンの言った言葉が引っかかっているけど、今はその言葉を吟味している余裕は無いと判断し、椿はシンに身体を明け渡す。


 身体の主導権が椿からシンに変わると、シンは刀に付与していた魔法を解除して、鞘に納める。

 その代わりに、後ろ腰にある剣を抜いた。

 剣の中心に()まった透明な球体にマナを集中させて、同じような透き通った刀身を出現させる。

 その剣を見て、アズールは僅かに驚く。

「それは、神器か?」

「アズールはガイの治療を続けてていいよ」

 そう言い捨てると、シンは無造作に剣を薙ぎ払った。

 発生した剣風が鋭い刃となって、アズール達に近づいてきた蟻型と蜘蛛型の眷属を、数体まとめて横に両断する。

 続けざまに、下から上へ連続で切り上げると、同じように発生した剣風が、近づいてくる眷属を微塵切りにした。


 無表情で眷属を処理していくシンの姿を見て、アズールはゾクッと得体の知れない恐怖に、心胆を凍えさせる。

 まるでゴミを処理しているようだ。と治癒魔法をかけ続けながら内心思っていた所で、不意にシンが口を開く。

「・・・キリがない。やっぱりあの剣が大本かな」

 見ると、キールが置いて行った剣を中心に、ボコボコとひっきりなしに眷属が湧いて出ていた。

 その全てが低位種とはいえ、1級~5級がのべつ幕なしに現れて四方八方に散って行き、一部がシンとアズールに向かって来ている状況だった。


「ちょっと離れるよ」

 シンはアズールに向けて言い放つと、返事を聞く前に思い切り地面を蹴って、一足で突き刺さった剣の元に移動する。

 そして剣を思い切り振りかぶり、躊躇なく振り下ろした。

 バギンッと硬質な音を立てて、真っ二つに折れる赤銅の剣。

 途端、眷属が湧き出るのが止まる。

 それを確認すると、シンは先ほどと同じように地面を蹴って、アズールの元に戻ってくる。

 時間にして数秒の出来事だった為、眷属がアズールを取り囲む前に戻って来れた。


 後は警備隊か狩人が到着するまで、適当に相手をするか、とシンが考えていた所で前方から黒蟷螂(こくとうろう)、後方から墨蜘蛛が金切り声を上げて迫って来る。

「はぁ・・・面倒くさい」

 心底面倒だと、シンはため息を吐きつつ呟き、金の目を煌めかせる。

 最初に狙いを定めたのは黒蟷螂だ。

 瞬きの間すら無いほどの速度で、黒蟷螂の懐に飛び込み、その首目掛けて回転切りを放ってあっさりと断頭する。

 頭部を失った黒蟷螂が暴れだす前に、シンは剣を縦、横、斜めに薙ぎ払い、体内にあった核を切り裂くと、すぐ背後に迫っていた墨蜘蛛の(あぎと)に左手をかける。

 そして顎が閉じる前に振り向き、右足を差し込んで思い切り踏みつけると、ミヂッともビキャッともつかない音を立てて、墨蜘蛛の身体が上下に分かれた。

 内心で、虫嫌いの椿が大絶叫していたが、ひとまずスルーする。

 墨蜘蛛の裂かれた身体の中心に、緑色の核を発見したシンは、右手の剣で突き刺して破壊した所で、警備隊と狩人の面々がアズールの元へと到着した。


「アズール様!それに、ガイさん!?」

 レザージャケットを着た中年の狩人が、アズールと倒れているガイを見て驚いている。

「詳しい話は後だ。治癒魔法を使える者はガイの治療、それ以外の者は散って行った眷属の処理を頼む。低位種だが1級~5級と幅が広い、ベテラン陣と連携して、油断せず事に当たれ」

 アズールが狩人、警備隊と区別せずに指示を飛ばしていると、転移してきたベテランの狩人勢も合流してきた。

 やはり、大量に血を流して気を失っているガイを見て驚いていたが、アズールが2級以上の眷属の対応を指示すると、何も言わずに5人チームを作って走って行った。

 ガイの周りにはアズールを含めた6人が、絶えず治癒魔法をかけていたが、あまり状況は芳しくないらしい。


 その様子を見ながら、シンは相変わらずつまらなそうに剣を振り、発生した剣風で近寄って来る眷属を処分する。


 ようやく全ての眷属を狩り尽くした時には、すでに空は薄く白み始め、夜の気配が遠のき始めた頃だった。


 こうして、エルンドラ家を含め100名以上の死傷者、行方不明者を出した大惨事は、気怠(けだる)い疲労感と後味の悪さを残して、沈鬱な雰囲気のまま幕を閉じた。


 もしも、エルンドラ家と言う愚か者達を放置せず、何かしらの対応をしていたなら、この様な事態に至らなかったのではないか。

 あるいは、椿がヴァンを説得して復讐を諦めさせるなり、緋の‟声”に応じないように言ったなら。

 ヴァンが攫われなかったら、もっと(さかのぼ)って、ヴァンの父親がエルンドラの提案に乗らなければ、被害はこれほどまでに拡大しなかったのではないか。


 ifの話をしても仕方が無いが、いずれにしてもその代償はあまりにも大きく、また取り返しがつかなかった。


 この凄惨な事件をきっかけに、貴族に対する取り締まりが強化され、少なくない数の貴族が粛清され、家が取り潰される事になったが、それはまた別の話であり先の話だ。


 兎にも角にも、椿のこの世界(エデン)での初日は、慌ただしいままいつの間にか終わっていた。


 そうして救世主は、明るくなりつつある空を見上げて、軽くため息を吐く。

 ため息は白くたなびいて、ヴァンとキールが去って行った方角へと流れ消えていった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ