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愚劣の代償Ⅳ~眷主~

グロ描写有り。ご注意下さい。


 ヴァンは、椿がシンの元へと行ってしまった後、目の前に置かれているダガーを手に取る。

()るのか?)

 唐突に、ヴァンの中で‟声”が響く。

 自分の中で響いている為、男なのか女なのか区別がつかないが、これが椿に話した、ヴァンがこの闘技場に足を踏み入れた時から聞こえている‟声”だ。

 椿と会話したことで、精神が落ち着いたらしく、ヴァンはダガーと父の骨その両方を見た後、父の骨をポケットに入れダガーを握りしめる。

「あいつらだけは、許せない」

 ヴァンの目には、抑えようのない憎悪と怒りが、炎の如く燃え盛っていた。


(クク。力を貸してやろうか?)

 声は楽しそうにヴァンに問いかける。

「お前、一体誰なんだ?なんでオレに手を貸そうとする?」

(オレか?オレの名は‟(あか)”。さっきからお前の目の前にいるだろう?)

(あか)?オレの目の前なんて誰も・・・」

 変な名前だな等と考えつつ、ヴァンは辺りを見回して緋を探す。


 今、ヴァンの目の前に広がるのは、出口の扉付近で背中合わせになった椿とシン。

 その二人に相対するカルミリスとバルドス。

 あとはこちらに這いずって逃げてくるターレンだけだ。

(そっちじゃあない。もう少し右、そのもっと奥だ)

 ヴァンは目を細め、緋の言う通り視線を動かした所で、はたと気がついた。

(・・・え。いや、まさか・・・)

 そして、ヴァンとソレの視線が交差する。


(そう。それがオレだ)

 身体の大半が見るも無残に黒く焼け焦げ、だがそれに反して目だけはギラギラと紅く輝く、人間の姿をしておきながら人間ではないもの。


「高位・・・眷属・・」


 無意識にヴァンの口から零れ落ちた単語に、緋は即座に否定する。

(オレは眷属じゃあない)

「何言ってんだ!黒い髪をした人型なんて、高位眷属以外いるもんか!」

 頭の片隅で、そういやシンは眷属じゃなかったな・・・とよぎるが、アレは例外だと無理矢理自分を納得させ、あまり深く考えないようにする。

 そんなヴァンの心境を知ってか知らずか、緋は先ほどと変わらぬ様子でヴァンに語りかけた。

(オレは眷属じゃなくて‟眷主(ロード)。あんな下僕風情と一緒にするなよ)


(ロー)・・・()?」

 意味が理解できず、どこか間の抜けた表情で聞き返すヴァンに、緋はあーっと面倒くさそうな声を上げた後、簡潔に説明した。

(眷属の(あるじ)だよ。眷属を生み出している者って言っても間違いでは無いな)

「・・・へぇ」

(・・・あんまり驚かないんだな)

 抑揚の無い返事をするヴァンに、思わず緋は拍子抜けしてしまう。

「どっちにしても、オレ達とは違う生き物なんだろ。眷属だろうが眷主だろうが、今はそんな事どうでもいい」

(ククク。確かに、今お前はそれどころじゃないか。だがな、あのミイラ女と豚男は簡単に殺れても、アイツは無理だぞ)

「アイツってカルミリスの事か?」

 ヴァンは、ずいぶんこちらに近づいたターレンから、今まさにシンと戦っているカルミリスへと視線を移動させる。


 金色の長髪を(なび)かせ、両手に金の魔法陣を浮かべてシンへと風の刃を浴びせるその姿は、確かに一筋縄ではいかなそうだが、‟無理”と断言するほどのものだろうか。

(アレもな、眷主なんだぜ)

「は!?」

 驚いて声が上ずってしまったヴァンに気を良くしたのか、緋は楽しそうに笑った。


 ヴァンは改めてカルミリスをよく見るが、カルミリスに‟黒”の要素は無い。

 金の髪に翡翠の目、白い肌、白と金の裾の長いスーツと靴。

 ヴァンの頭には疑問しか浮かばない。

 それを察してか、緋は得意気に語る。


(オレ達眷主はな、契約した身体(うつわ)の姿そのままでいられるのさ。まぁ本当は黒髪に変異してるんだが、アイツは小賢しいからな。わざと金髪のままって訳よ)

「契約、身体(うつわ)って、じゃあもしかして、お前と契約したらオレもああなるってのか!?」

(あぁ?説明してなかったか?)

 わざと、という訳ではなく、本当に説明し忘れていたらしく、緋はうっかりしていたと呟く。

「絶大な力ってそういう事かよ!そんなもん手に入れても、オレの意思が消えちまったら意味ないだろ!?」

 自分が人間から眷主へと変わってしまうのは別に構わないのか、ヴァンは緋に対して、自分の自我の有無だけに言及した。


 その詰問に、緋は薄く笑うと、捕捉の説明を加えた。

(安心しろよ。お前の自我はオレと一体化するだけで、消えて無くなるわけじゃない。お前の知識にオレの知識が合わさり、価値観や視点が少し変わるだけだ。お前はお前のまま、復讐することが出来る)


 自分は自分のまま、絶大な力で復讐することが出来る。


 それは、絶対に復讐を完遂したいヴァンにとって、甘美極まりない誘惑だったが、やはり自らが変質する事に一抹の不安と抵抗感、そして自分が眷主になるという事は、必然的に救世主である椿達の敵になってしまう、その後ろめたさで、緋を受け入れることが出来ないでいた。

「・・・・・・」

 揺れる思いに、ヴァンが俯いて唇を噛んでいると、緋がふっと笑った気配がした。

(まぁ、必要になったら言え。オレの名を呼んで、契約すると一言言えばいい。じゃ、復讐がんばれよ)

 最後に簡単に激励すると、緋はヴァンの中から消えた。


 呆気なく自分の中からいなくなった緋に、ヴァンが形容しがたい気分を抱いていると、轟音と共に辺りに風が吹き荒れる。


 顔を上げたヴァンが見たのは、こちらに向かって飛んでくるバルドスと、観客席に飛ばされた椿の姿だった。

 シンは椿を助けに行きたそうにしていたが、カルミリスの猛攻がそれを許してくれない。

 ターレンはすでにヴァンから5歩ほどの位置にいて、そのターレンの少し後ろに、バルドスがドシャッと重い音を立てて肩から落下してきた。


 二人を殺るなら今しかない。

 特にターレンはもはや目と鼻の先で手負いだ、このチャンスを逃す手はない。

 そうヴァンは思い至ると、右手に持ったダガーを再度握りしめて、ターレンへと駆け寄った。



------------------------


「ひきゃああぁぁぁぁああぁ!!」

 恐怖に見開かれた目でターレンは絶叫するが、ヴァンはそれを無視して、無表情でターレンの髪を掴み上げ、その喉元を(あら)わにするとダガーを押し当て、一気に真一文字に引き抜いた。

 切り裂いた喉から、赤い鮮血が噴水の様に噴き出て、ヴァンの顔と身体を濡らす。

 こひゅーこひゅーっとターレンの喉から、空気が漏れる音がする。

 ごぷっとターレンの口から血が溢れ、その目からは生気がどんどんと消えていく。

 その様子をつぶさに眺め、ターレンが絶命したのを確認すると、ヴァンは髪を掴んでいた手を離す。

 ドサッと音を立ててターレンだった物は横に倒れ、まだ喉から溢れている血が、地面に吸い込まれ色を変えていく。

 ターレンの目からは、一筋の涙が光っていた。


 死体を見下ろしながら、人ってこんな簡単に死ぬのか、とまず一人目を殺したヴァンは冷えた心で思う。

 まだ一人目だが、復讐を果たしたというのに、ヴァンには達成感も爽快感も浮かばない。

 殺した、という結果だけが、ヴァンの心に実感として去来する。

 銀色だったダガーは、ターレンの血に濡れて真っ赤になり、切っ先からは重力に従って赤い血の糸がポツポツと、地面に落ちていた。


「まず一人」

 ターレンの死体を見つめて、ヴァンがボソッと独り言ちると、ターレンの足元近くにいたバルドスが叫ぶ。

「ターレン!きっ貴様ぁぁ!!」

 目の前で妻を殺されたバルドスは、あまりの衝撃に両手の激痛も忘れて、ヴァンに激昂する。

 いくら仮面夫婦と言えど、やはり長年一緒にいた為、それなりの情が湧いていたのだろう。バルドスの胸の内に、激しい怒りが燃え上がっていた。


「なんで怒ってんの?あんたと同じ事をしただけなのに」

 心底不思議だとでも言うように、ヴァンは小首を傾げてバルドスに言う。

「きっ貴様!わ、私達はき、貴族なのだぞ!?そ、それを、それを!!」

 興奮しすぎたせいで、バルドスは上手く言葉を紡げていない。

 ヴァンは首を傾げたまま、バルドスを嘲笑する。

「貴族?何言ってんの?喉を裂けば赤い血が出て、腹を裂けば肉の塊が詰まってる。オレと同じ人間だろ?貴族なんて肩書き、オレにとっては何の意味も持たないよ」

 言いながら、ヴァンはゆっくりとバルドスに歩み寄っていく。


 ゆったりとした歩調で、妻の血で真っ赤に染まりながらも、笑顔を浮かべて近づいてくるヴァンに、バルドスは恐怖を抱く。

 両腕が使い物にならない上に、腹の分厚い脂肪が邪魔をして立ち上がることが出来ないバルドスは、ズリズリと地面を必死に蹴って後退する。

 そして、白と金の豪華な服を土で茶色く汚しながら、咄嗟にカルミリスに助けを求めた。

「カ、カル、カルミリス!カルミリス!!わっわたっ私、私を、たすっ助けろぉ!!」

 それを聞いたカルミリスは、即座に足元に魔法陣を浮かべて魔法を使用する。

「走風」

 靴と地面の間に高出力の風を巻き起こし、滑るようにバルドスの元へ飛んで行くと、ヴァンの目の前に立ちはだかった。

「申し訳ありません。父上にはまだ役割がございますので、ここで殺させる訳には参りません」

「そんなの知らねぇよ。コイツより先にアンタを殺してもいいんだぜ?」

「フフ。出来る者なら、どうぞ?」

 剣呑なやり取りをするヴァンとカルミリスに、バルドスはカルミリスに庇われている安心感からか、火に油を注ぐ事を言ってしまう。

「こ、こんな事して、お前の父親が喜ぶとでも思っているのか!?あの正義感の強いカーディナルが、今のお前を見たら悲しむぞ!!」


 ギシッと、何かが軋んだ音が、聞こえた気がした。


 三人のやり取りを遠くから見ていたシンと椿は嘆息する。

「あ~あ、言っちゃったねぇ~」

「それは禁句ってものでしょうに。まして父親を殺した張本人の口からだなんて、バカにもほどがある」

 椿はこめかみを押さえてそう言うと、刀を鞘に戻して、崩れた観客席から恐る恐る下を覗き、一番高低差の少ない、ちょうど丘になっている所を目指し、意を決して飛び降りる。

 トサッと軽い音を立てて着地すると、シンへと駆け寄った。

「あー、怖かった・・・」

「せいぜい2mしかないのに、ホント椿の高所恐怖症は治らないねぇ~」

 苦笑するシンに、椿は青い顔をして、しょうがないでしょっと言い返す。

「それじゃ、アイツらのとこに行く?」

「放っといてもヴァンが殺ってくれそうだけどね」

 椿のその言葉を肯定と受け取り、シンは椿の怪我した手を取って、治癒魔法を開始しながら歩き出す。

「到着するまでに治れば良いんだけど・・・」

「別に今じゃなくても良いのよ?」

「僕が気になるの!」

 そんな呑気なやり取りをしながら歩いていると、ヴァンがカルミリスに対して斬りかかるのが見えた。

 正確に言えばカルミリスに、では無く、バルドスに対してなのだが、それをカルミリスに(はば)まれた為、結果的にカルミリスに斬りかかっているように見えているだけだ。


 カルミリスは、ヴァンがバルドスに斬りかかった瞬間、素早くダガーの刃先を指先で(つま)んだ。

「てめぇ!邪魔すんな!!」

 ヴァンはカルミリスに怒号を叩きつけた後、摘まれていたダガーを押し込もうとするが動かない。

「ダメですよ」

 言い聞かせるようにカルミリスがヴァンに告げる。

「クソッッ!!」

 カルミリスが力を入れてる様子は全く無いのに、押しても引いても微動だにしないダガーを諦めて手放し、後方に飛び退いて距離を取ると、ヴァンは代わりに右手に魔法陣を浮かべる。

「灼焔!!」

 ドォンッとバルドスとカルミリスに着弾する音が響くが、ヴァンの魔法はカルミリスが直前で生成した風の盾で阻んでいた為、二人は無傷だ。

赤焔矢(せきえんし)ぃぃ!!」

 行き着く間もなく、ヴァンは両手に魔法陣を展開し、カルミリス達に向けて振り払うと、魔法陣から無数の炎の矢が生成され、カルミリス達に殺到する。

 

 ヴァンの魔法を見て、カルミリスはニイッと不敵に笑い、左手に持っていたダガーを地面に落とす。

 ダガーはサクッと音を立てて、地面に垂直に突き刺さった。

風盾(ふうじゅん)風牙(ふうが)

 カルミリスは右手で、先ほどよりも大きな風の盾を作り出し、正面の炎の矢を受け、受けきれない矢を左手で作った風の刃で切り裂いて消していく。

「こんのぉ!!」

 ヴァンがさらに魔法を叩きつけようとしたところで、またもやバルドスが要らぬことを言う。

「やめろ!やめろぉ!!私達を殺したとしても、お前の父親は戻ってこんのだぞ!こんな無駄な事をしてどうなる!!」


「ーーっっ!お前が、お前が、言うなあぁぁぁぁああぁ!!」


 咆哮を上げて、身の丈程もある大きさの魔法陣を、自分の目の前に作り出すヴァン。

「父上、少し黙って」

「呑み込めぇ!洪焔(こうえん)!!」

 カルミリスがバルドスを(たしな)めてる最中に、ヴァンは魔法を発した。

 もはや下級では無く中級に類するヴァンの魔法は、焔の洪水となってカルミリスとバルドスを襲う。

 目の前だけを阻んでも無駄だと、すぐさまカルミリスは判断すると、魔法陣を自分の足元に、バルドスも入るぐらいの大きさで展開して、障壁の魔法を唱える。

「覆いなさい、風蓋(ふうがい)

 凄まじい爆音と共に、風の障壁を赤い焔が覆う。

 カルミリスの後ろでは、バルドスがヒィッと情けない声を出して縮こまっている。


 一方、ヴァンの魔法は僅かに椿とシンの所まで届いていたらしく、火の粉が椿達に降りかかっていた。

 ヴァンと椿達の距離は大分縮まり、あと10mほどといった所だ。

「アチアチ!」

「これぐらい、なんとも無いでしょ?はい。腕もういいよ、椿」

 シンは治癒魔法が消えるのを確認すると立ち止まり、椿の手を離す。

 同じように立ち止まった椿は、元のツルッとした白い肌を見て、シンに礼を言う。

「ありがと」

「どいたまー」

 緊張感に欠ける二人の会話は、他の人間がこの場を見たなら異様な光景に思えただろう。

「これ以上近寄るのは危ないから、見るだけならここまでだね。少年の手助けをしたいなら、このまま進むけど?」

 シンが聞くと、椿は首を横に振る。

「助けを求められたなら別だけど、これはヴァンの戦いよ。私は結果的に元凶を潰せればいい。なら、より動機の強い方がアイツらを殺すのが適切。そしてそれは、私じゃなくてヴァンが相応しいでしょ」

 淡々と答える椿を見て、シンは目を細めて笑うと、ヴァンとカルミリスに視線を向ける。

「フフ。椿のそういうとこ、僕は大好きだなぁ~」

「そりゃどーも」

 椿はシンの言葉に適当に返すと、引き続き戦いの成り行きを見守ることに集中した。


 ヴァンの魔法が治まり、辺りに静けさが戻ってくる。

 あれだけの火力、さすがにカルミリスと言えども、多少ダメージを受けているだろうと考えるが、その期待はすぐに裏切られる事になる。

 カルミリスとバルドスを覆っていた風の障壁は、ヴァンの魔法を受ける前と変わらず、健在だったからだ。

 地面に展開していた魔法陣が消えるのと同時に、障壁も風を(ほど)くように、辺りに微風を吹かせて消えていく。

 障壁のあった部分を除いた地面が、雫型に黒く焼け焦げていた。


 だが、いくら障壁で護られていたとは言え、さすがに温度までは防いでくれなかったみたいで、カルミリスの額には汗がじんわりと滲んでいた。

 地面に転がったままのバルドスは、自分が死んでいないのを理解すると、ゆっくりと顔をカルミリスに向けた。

「い、生き、生き・・・てる。はは、ははは。はははははは!良くやったぞ、カルミリス!!わはははははは!!」

 地面に這いつくばったまま、偉そうにカルミリスを(ねぎら)うバルドスの姿は滑稽(こっけい)そのものだったが、本人はその事に気づいていないのか、高笑いが止む気配は無い。


「そ・・・んな・・・」

 バルドスの笑い声を聞きながら、呆然と呟くヴァンに、カルミリスは額の汗を拭って一息つくと、ヴァンを褒め(たた)えた。

「素晴らしい魔法でした。まさか障壁を張っても熱が到達するとは。未だ年端の行かぬ少年の身で、あれ程の魔法が使用出来るとは、感服ですよ」

「・・・・・・」

 カルミリスの言葉は耳に入っているが、それに反応するだけの体力が、もはやヴァンには残されていなかった。

 あれは今現在、ヴァンが使用出来る最大級の魔法だ。

 それが通じなかったという事は、ヴァンにカルミリスを倒すことは事実上不可能だろう。

 ヴァンのマナは、あの魔法で全て使い切った。もはや、回路に回すだけのマナすら残っていない。

 立っているのさえやっとの有様だ。

 加えて、カルミリスは未だに余裕を感じさせる。

 せめてバルドスだけでも殺したいが、それはカルミリスが許してくれないだろう。


 ヴァンが歯を食いしばっていると、再びヴァンの中で緋の声がした。

(な?だから言っただろう?アイツを倒すのは無理だって。どうだ?オレと契約すれば、アイツを殺せるぞ?)

 緋の甘美な誘惑に、ヴァンが大きく揺らぐその最中(さなか)、椿とシンの姿が目に入った。


 ー覚悟ある選択をしてねー


 その言葉を、思い出した。


 静かに目を閉じる。

 閉じて、自分の感情、成し遂げたい思い、現在の状況を冷静に判断する。

 答えなんて、考えるまでも無く、当に決まっていた。


 たとえ後戻り出来ないとしても、いつか後悔したとしても、救世主である彼女と敵対する道であっても、その全てを受け入れる。


 この選択が間違っている事なんて、十分理解している。

 自分が愚かな事など百も承知。

 一時の感情に流されて、その後の人生を棒に振るなんて、愚の骨頂だろう。

 それでも、この思いだけは、どうしても、どうしても、曲げられない。諦められない。


 だから、絶対の覚悟を持って、選択する。


 スッと開いたヴァンの紅い目には、燃え盛る焔の如く、強い意志が宿っていた。


(あか)、お前と契約する」


 壁に寄りかかる緋は、ヴァンのその言葉を聞き、焼け残った口の端を吊り上げて微笑む。


(あぁ。契約成立だ。歓迎するぞ、ヴァーミリオン)


 緋がヴァンにそう告げた瞬間、緋の肉体は黒い粒子となって霧散し、雪崩の様にヴァンへと押し寄せる。

 ヴァンはそれから逃げる事も抗う事もせずに、粛々と受け入れると、ヴァンを中心に大きな暗黒のドームが形成された。


 突如、ヴァンを包んだ黒いドームに、バルドスは事態が理解できず、目を白黒させて眺めている。

 カルミリスは訳知り顔で、椿とシンはただ黙ってドームを見つめていた。


 一寸先も見通せない漆黒のドームの中では、ヴァンと緋の合体化(ごうたいか)が進んでいた。

 ヴァンは、自分の中に黒い粒子となった緋が入り込み、混じり合っていく感覚に奇妙な恍惚感を感じ、我知らず吐息が漏れる。

 まるで、欠けていた半身が戻ってきたような、空っぽの器が満たされるような、そんな感覚だった。

 午睡(ごすい)のような微睡(まどろ)みの中、自分の価値観や視点が変化し、徐々に緋の知識や意識が一体化していくのを感じる。


 その中で、ヴァンは一つの光景を見た。


 何処までも広がる空は、青と赤紫が絶妙なグラデーションを描き、地平線に黄金の光が眩く輝いている。

 果ての無い大地には一面、鏡のように反射した水面(みなも)が広がり、爽やかな風が吹く、黄昏と水鏡の世界だった。


 空と水面の境目すらわからない黄昏の世界の中心で、逆光に照らされて黒い人が立っていた。


 黒い髪、黒い服、腰に丈の長い黒い布と黒い剣を下げたその人物は、ヴァンの姿を見てフッと笑い、唇に人差し指を当てる。

 そしてもう片方の手をヴァンへと向けると、手の平を上にして、指をピンッと弾いた。


 弾かれた刹那、黒い人とヴァンの間にはかなりの距離があったのに、一気にヴァンの意識は黄昏の世界から、こちら側へと戻ってくる。


 しばし呆然としていたヴァンだったが、緋との融合が進み、あの光景の意味を理解すると、自然と口元に笑みが浮かんでいた。


(あぁ、なんて素晴らしい未来なんだ)


 あれが、未来の光景だとするならば、それはヴァンにとって何よりの幸いだった。


 これで心置きなく復讐に専念することが出来る。


 やがて、ヴァンと緋が一つになった段階で、ドームは解けるように消滅する。

 と言っても、ドームを形成していた緋が、ヴァンへと完全に吸収されたが故の結果に過ぎないのだが。


 消えたドームの中から現れたヴァンは、髪が漆黒へと変異していた。

 だが、変わった点と言えばそれだけで、ヴァンの紅い目や細い手足、ボロボロの服は何も変わっていない。

 眷主へと変じた彼を、ヴァンと呼ぶべきか、それとも緋と呼ぶべきなのか迷うところだが、彼の身体も意識もヴァン寄りなので、ヴァンと呼んでおこう。


 ヴァンは首を捻ったり、手足をブラブラと動かして身体の調子を確認していると、その耳に拍手の音が聞こえてきた。

「おめでとうございます。緋。無事、新しい身体(うつわ)を得られたようで何よりです」

 おもむろに視線をカルミリスへ移すと、ヴァンは目にも止まらぬ速さでカルミリスに迫り、その片足を文字通り()()()()()()


 ボンッと鈍い音を立てて遠くに落下する左足。


 この展開は予想だにしていなかったのか、カルミリスはおやっと(いささ)か驚いた後、軽く身体が揺らめく。

 失くしたのは左の大腿から先。

 消えた大腿部分から、一泊置いて紅い血が溢れてくる。

 かなりの勢いで蹴り飛ばしたせいか、大腿から覗く骨も筋肉も、鋭利な刃物で切り取ったように滑らかだ。


「ひぃっ!!」

 唐突に片足が無くなった息子を見て、バルドスは怯えた悲鳴を上げる。

 それを聞きつつ、カルミリスは素早く痛覚を遮断した。

 倒れこそしなかったものの、バランスを崩しそうになるカルミリスだが、それに耐えてヴァンへと目を向ける。

「何を、するんですか?」

「悪ぃなぁ‟(すい)”。例え同族と言えども、お前のその身体と、そこに転がってる豚だけは、どうしても許せなくてな。まぁ潔く死んでくれ。死んだら許してやるからさ」

 ‟(すい)”と呼ばれたカルミリスとヴァンは、至近距離で睨み合う。

「ボロボロのあなたを保護し、新しい身体(うつわ)まで用意してやったこの私に、恩を仇で返すつもりですか?」

「頼んだ訳じゃねぇだろ。そもそも、お前のその恩着せがましい態度は、前々から嫌いだったんだ。(オレ)鬱憤(うっぷん)も晴らせて、清々するぜ」

 カルミリスは舌打ちをして、ヴァンを見下ろし、軽蔑を込めて吐き出す。

()れ者が」

 その言葉に、ヴァンも下からカルミリスを睨みつけ、言い返した。

「小賢しいんだよ」


 成り行きを見守っていた椿とシンは、先ほどとは段違いの二人の気迫に、軽くため息を吐く。

「結局、こうなっちゃったねぇー」

「ヴァンが自分で選んだ事なんだから、私達がゴチャゴチャ言っても仕方ないでしょ」

「まぁ、そうなんだけどさぁー」

 シンは両手を組んで頭に回し、椿を見る。

「とりあえず、僕達も一体化しとく?」

「まだいい」

 短く拒否する椿の目は、ヴァンから離れない。

 そこには、見届ける、と言う意思以外なんの感情も浮かんでいなかった。

 そんな椿から、シンもヴァンへ視線を移すと、唇を尖らせてボソッと呟いた。

「やっぱり妬けるなぁー」


 言い合いの後、再び戦闘を開始したヴァンは一度屈みこみ、カルミリスの足元に刺さっていたダガーを引き抜いて、距離を取る。

 そして、柄を掴んでいる手の先に魔法陣を浮かべて唱えた。

「創製、紅蓮剣」

 途端、魔法陣から紅い粒子が巻き起こり、ダガーを覆っていく。

 瞬きの間の後に現れたのは、紅いサーベルだ。

 元となった銀色のダガーはそのままに、紅い護拳と紅の長い刀身が作り出されている。

 ある意味、シンの剣と似通っているようにも思える。

 そのサーベルが完全に形成されると、魔法陣は金の粒子を放ち、消えていった。


「あー!パクリだぁー!」

 ヴァンの作り出した剣を見て、シンが指を差して抗議すると、椿は苦い顔をして(たしな)めた。

「ちょっとシン、うるさいんだけど」


 ヴァンはその紅いサーベルを、カルミリスに向かって勢いよく振り下ろす。

 すると刀身から巻き起こった紅蓮の焔が、カルミリスに向かって放たれた。

 鞭、と言うよりは火炎放射並みの激しい焔を、カルミリスは咄嗟に風の盾で防ぐが、片足しか無い為、踏ん張りが効かず徐々に後退していく。

 それを見ていたバルドスが、空気を読まずカルミリスを叱る。

「ひいっ!こっこら!カルミリス!!もっと踏ん張らんか!この私が死んでしまうだろう!!」

 その言葉を聞いたカルミリスは、バルドスに振り返った。

「あぁ、もう。面倒ですね」

 カルミリスが、ため息交じりに疲れた声でそう言った所で、ヴァンからの焔が止まる。


 そのタイミングを逃さず、カルミリスはヴァンに大声で告げる。

「緋!この者をあなたに差し上げます!」

 カルミリスはバルドスの片足を掴むと、バランスを崩さないよう器用に振りかぶり、ヴァンへと放り投げた。

「は?」

 間抜けな声を残して、ヴァンへと滑空するバルドス。

 土煙を上げて、足元に転がってきたバルドスを、ヴァンは冷酷に見下ろすとカルミリスに問いかけた。

「なんのつもりだ?さっきまであんなに庇っていたのに」

「ソレを庇っていたのは、あなたと身体(うつわ)を一つにする為の布石だったからです。役目を果たした今、もはやソレは不要。煮るなり焼くなり好きにして下さい。代わりに、私の事は見逃してもらえませんか?私には新しい身体(うつわ)がありませんので、コレを壊されてしまうと困ってしまいます」

 ヴァンはカルミリスとバルドス、その両方をふむっと思案気に見る。

「な、何、何を言って、言ってるんだ?カル、カルミリス」

 どもりながらも、バルドスは顔を横に向けて、突然態度を(ひるがえ)したカルミリスに聞くと、そのカルミリスからは非情な回答が返ってきた。


「申し訳ありません。私はあなたの知っているカルミリスでは無いのですよ」


「へ?」


 目を丸くして唖然とするバルドスに、カルミリスだったモノは平然と先を続ける。

「あなたの息子のカルミリスは、3年前の出征の際に死にました。よほど恨まれていたようで、戦闘のどさくさに紛れて、部下全員から滅多刺しですよ。思わず笑ってしまいました」

 その時のことを思い出したのか、口に手を当てて笑うカルミリスだったモノ。

「へ?」

「私もちょうど身体(うつわ)が壊れかけていたので、これ幸いと契約を持ちかけたのですが、二つ返事で了承してくれて助かりました。ですが、合体化(ごうたいか)が完了する前に、あなたの息子は亡くなってしまいましてね。今では彼の記憶と感情の残滓(ざんし)が、微かに私にこびり付いているだけです」

「な、何」

「いかがでしたか?私の演技は上手かったでしょう?」

「き、貴様、だ、だ、誰」

 顔を真っ青にして、ようやくそれだけ聞いてくるバルドス。


「私ですか?私は5人いる眷主の一人で‟(すい)”と申します。あなたの目の前にいる(あか)の同僚ですよ」


 カルミリス、もとい‟翠”は愉しそうに、愉しそうに、顔をくしゃりと歪めて嗤った。


「お前と同僚だなんて、虫唾が走るけどな」

 ヴァンは翠を見て、心底不快気に言い捨てる。

「私だって、あなたの様な間抜けと同僚なんて、本当ならゴメンですよ」

 絶句するバルドスを置いてけぼりにして、ジリジリと睨み合うヴァンと翠。


「‟眷主”?」

 初めて聞く単語に、椿は隣にいるガイド役のシンを見て訊ねる。

「眷属の統率個体だよ。眷属が混沌から湧き出る灰汁(あく)みたいなものだとするなら、眷主は混沌から直接生み出された欠片だね」

 シンは椿をチラッと見て説明すると、すぐにヴァン達へと視線を戻す。

「へぇー。なら、アイツらを倒せば、世界を救うことに一歩近づくのかな?」

「根本的な解決にはならないけど、大きな前進にはなるんじゃない?何せ、眷主を倒すことの出来た者は、今のところ誰もいないから」

「え、いないの?」

 嘘でしょ、と椿が眉根を寄せると、それを横目で見ていたシンも渋い顔をする。

「そりゃあ、高位眷属の遥か上に位置するのが眷主だしね。そもそも身体(うつわ)を乗り換え続けて生きてるモノだから、どうやれば倒せるのかも不明かな」

「不明なのに、どうやって倒せと・・・」

「そこはまぁ、頑張って見つけて、としか・・・」

 うーん、と首を傾げて二人で悩んでいると、ヴァン達の方で進展があったらしい。

 方法さえ分かっているのなら、今が眷主を倒す絶好の機会だが、その見通しも立たない為、ひとまず二人は考えるのを停止して、目の前の光景を見守る。


「だ、だが、お前、血が赤、髪、金、お、お、おか、おかし」

 自分の息子がすでに死んでいて、かつ今は眷主に変じているなど、信じられない、信じたくないバルドスは、片言になりながらも、翠に言い募った。

「え?あぁ、これは失礼しました」

 翠がそう言うや否や、髪が頭頂部から毛先に向かって黒くなっていき、あっという間に艶やかな黒髪へと完全に変わる。

 それと同時に、左足から流れていた血も、紅から黒へ変色する。

 目だけは、名前の通り(みどり)色のままだった。

「これで、納得いただけましたでしょうか?」

 バルドスは、もはや口をパクパクと開けたり閉じたりするだけで、声も言葉も出てこない。

「で?いかがです?あなたの目的はその人間なのでしょう?」

 改めてヴァンに問いかける翠。


 ヴァンは足元に転がるバルドスを見下ろし、ふむっと一言発すると、ニンマリと笑い翠に答えを返した。

「いいぜ。ひとまず、コイツで我慢してやるよ」

 そう言うと、ヴァンは全力でバルドスの腹、鳩尾(みぞおち)を蹴り飛ばした。


 バシャンッと、水風船が破裂したような音を立てて、バルドスの腹部が爆散する。

 翠の横を、バルドスの下半身が掠め飛んで行く。

 腹部に詰まっていた内臓や脂肪、血や肉は、蹴られた場所から放射状に飛び散り、辺りを散らかした。

「-あ?」

 バルドスが感じたのは衝撃だけ。

 自分に何が起こったのか分からないのか、バルドスは悲鳴ではなく、気の抜けた声をあげる。

 そして、心臓を含めた重要な臓器の大半を消し飛ばされたバルドスは、痛みも自分の状況すらも理解することなく、そのまま絶命した。


 痛みと言う電気信号が脳に到達する前に死んだバルドスは、ある意味幸せな死に方だったのだろう。

 ターレン、あるいはこの眷属の巣に放り込まれた人々と違って、恐怖や絶望を抱く前に死んだのだから。


 何故ヴァンが、あれだけ憎んでいたバルドスに、そんな楽な死を与えてやったのかと問われれば、それは単に価値観が変わったからだ。

 緋と融合する前のヴァンであれば、出来るだけ長く苦痛と恐怖、絶望を味わわせてジワジワと殺しただろう。

 だが今は、なるべく早く、迅速にこの世界から消えて無くなって欲しいと考えていた。

 それは例えるなら、害虫を駆除する時の感覚と似ている。

 害虫に苦痛や恐怖を与えるために、わざわざ時間と手間をかけてまで丁寧に殺すか、と言われれば、そんな人間はいたとしてもごく少数。

 もちろん(もてあそ)ぶのが目的なら、上記の限りでは無いが。

 同じ人間と認識しているからこそ、手間をかけた殺し方をする。

 今のヴァンは、眷主であって人間ではない。

 その価値観も視点も、すでに人のものから乖離(かいり)している。

 だから、憎しと言えども、バルドスを手早く速やかに処分した、という訳だ。


 呆気なく死んだバルドスの死体を、足で転がして弄ぶヴァンの心中は、それでもスッとしたらしく、表情は晴れやかに微笑んでいる。

「気は済みましたか?」

 翠の言葉に、ヴァンは足を止め、代わりにバルドスの頭を踏み潰す。

 湿った音を残して潰れた頭から、ピンク色の脳が零れた。

 靴の裏に付着したバルドスの脳髄と金の髪を、地面に擦り付けて落とすと、ヴァンは破顔して翠を見上げる。

「あぁ。大分スッキリした」

 そう言った直後、その言葉に反してヴァンは闘技場の床一面に、巨大な金の魔法陣を展開する。


「椿!身体借りるよ!」

 切羽詰まったシンの声に、椿も背筋に嫌な汗が伝うのを感じながら、すぐさま了承した。

「えぇ!」

 それを聞いたシンは椿の手を取り、その身体を金の粒子に変えて、繭のように椿を包み込む。

 シンとの一体化は、椿の意識がある時に行うのはこれが初めてだったが、椿に抵抗感はない。

 理由としてはやはり、生まれた時からの付き合いであることと、自分の半心であることへの信頼感が強いからだろう。


 一体化する時の感覚は、ヴァンが緋と合体化(ごうたいか)した時と酷似している。

 その満たされていく感覚は、とても気持ちの良いもので、眠りに落ちる時の感覚とよく似ている、と言えばより分かりやすいかも知れない。


 一瞬にも満たない時を置いて金の繭は弾け、シンと椿の一体化は終了する。

 前回と違うのは、椿の後ろ腰にシンが着けていた剣が、剣帯と共に装備されている所。

 さらに椿の意識がハッキリしているのもあって、左目が金、右目が赤紫のオッドアイになっている所と、身体の操作権が椿寄りになっている事ぐらいだ。

「シン!どうするの!?」

 初めての一体化に、勝手がわからない椿は、自分の中にいるであろうシンに訊ねる。

(詳しく説明したいけど今は時間が無い!とにかく障壁魔法、張るよ!)

 困惑する椿を置いてけぼりにして、シンはそう言うと、魔法陣を椿に目の前に浮かび上がらせる。


「緋!貴様っ!」

 意表を突かれた翠の声色には、驚愕と怒りが多分に含まれていた。

「いやぁー考えたんだが、我慢とかオレの性に合わないからな!やっぱり殺すわ!」

 ヴァンは軽い調子で、翠に対して殺害を宣言すると、サーベルを握っていない左手を翠に向ける。

 その後の行動を悟った翠は、ヴァンの魔法に対抗する為に魔法陣を作り出す。

 翠の魔法陣はヴァンとは反対に、天井に広がった。

 規模はヴァンと同程度、とは言え闘技場の空間は球状になっているので、天井ピッタリに展開するのではなく、観客席の中段辺りで展開されている。


 そして、ヴァンと翠はその目をひと際輝かせて、同時に詠唱を開始する。


「煉獄に咲く気高き焔の花よ、我が呼びかけに応えて顕現し、眼前の敵を灼き払え」


「絶界に吹く非情なる風よ、我が声に応じ、優美なる花の形をとって敵を切り裂け」


「燃え咲かれ、紅蓮華」


「斬り咲け、絶風華」


「護り囲え、雷壁球」

 二人が魔法を唱える瞬間に合わせて、シンも障壁魔法を言い放つ。

 黄金の雷が、椿の身体を球状に包んで障壁となった刹那、ヴァンと翠の魔法も発動した。


 ヴァンを中心に、紅い蓮の花が咲きほころんだ様な焔の魔法は、翠を飲み込もうと広がっていく。

 その焔の熱はおよそ2000度。

 岩石でさえ溶け崩れる温度だ。

 飲み込まれれば、人の形など欠片も残さず溶け失せるだろう。

 現に、ヴァンの魔法に飲み込まれたバルドスとターレンの死体は、すでに消し炭を通り越して蒸発してしまっている。


 そんな激烈な焔の奔流に対抗して発動した翠の魔法は、有形無形問わず切り裂く巨大な風の刃だ。

 魔法陣のあった上空から、身を切り裂く様な凍える風が吹き荒れ、風の刃を作る。

 刃、と言うにはかなりの大きさがあるので、どちらかと言えば鎌に近いだろうか。

 それがあたかも花弁を形成するが如く次々と現れ、紅蓮の花に守られているヴァンへと迫った。

 ヴァンの焔の魔法が、蓮の花をモチーフにしているのだとしたら、翠の風の魔法は、月下美人の花がイメージの元となっている。


 そして、二つの華がぶつかり合った瞬間、発生した絶大な量のエネルギーは、地下迷宮どころかエルンドラ邸を丸ごと巻き込み、そこに存在していたはずの生命全てを、跡形もなく消し飛ばした。



------------------------


 時刻は深夜に差し掛かろうとしていた。

 元々閑静な住宅地である南地区。

 この時間になると、南地区の人々はすでに就寝しているらしく、家々に明かりは見えない。

 必然的に、外を出歩くものも無く、馬車も通らない。

 紅い月光が静かに世界を照らす中、聞こえるのは虫の声だけ。

 いつもと変わらない、穏やかな夜になるはずだった。


 それが突然、何の前触れもなく、南地区の一等地に建つエルンドラ邸が、轟音を響かせて爆発した。


 耳をつんざく激しい音と強い地響きに、南地区の人々は飛び起き、慌てて外に飛び出してくる。

 爆心地にほど近い人達が目にしたのは、目に痛いほど煌びやかだった黄金のエルンドラ邸が、黒煙立ち上るクレーターとなった光景だった。


 本邸と別邸どころか、敷地全てがポッカリとクレーターに様変わりしている光景に、集まってきた野次馬は目を擦って現実かどうか確かめている。

 ここがエルンドラ邸であった名残は、僅かに残った金の塀と門扉だけ。

 何処をどう見てもエルンドラ家の生存者はいないだろう。

 集まった人達は、クレーターを覗き込むが、黒煙が充満している為見通せず、底で何が起こっているのか、知る事の出来る者はいなかった。



------------------------


 黒煙渦巻くクレーターの中では、3つの人影があった。


「クク。やっぱり、そう簡単には死んでくれなかったか」

 翠の魔法で、全身傷だらけになったヴァンが、頬から黒い血を流しながら笑って言う。

 その目線の先は当然、翠だ。

「・・・・・・やってくれたな」

 ヴァンとは対照的に、憎々し気に呟いた翠の身体は、左半分が黒く炭化している。

 焼けてしまった影響で、もげた左足からの出血は止まっていた。


 魔法の矛先が向いていなかった椿だけは、シンが張った障壁のおかげで無傷だ。

(はぁ~。間一髪だったねぇ~)

「し、死ぬかと思った・・・」

 椿の中で安堵の息を吐くシンと、心臓が耳に移動してきたのかと錯覚するほどの、うるさい鼓動の音を聞きながら声を震わせる椿。

(にしても、ずいぶん風通しが良くなったね)

 シンの言う通り、先ほどまで闘技場だった場所は、立ち上る煙のせいで視界はあまり良くないが、それでも広々としたクレーターへと変貌していることがわかった。

 空にはうっすらとだが、紅い月が輝いているのが見える。

 その事に、椿はヴァンと翠が使用した魔法の凄まじさを実感した。

 それと同時に、魔法を使ったとは言え、よく自分が無事だったな、とも思う。

(これで外に出られたことになるのかな。逃げようと思えば逃げられるけど、どうする?)

「まだ。まだ見届けてない」

 シンの問いかけに、椿はキッパリと否定して、二人を見つめる。

(フフ。そうだね。最後まで見届けないとね)

 椿の発言に、シンも椿の中で楽しそうに同意した。


「おのれ、よくも!貫け、風渦槍(ふうかそう)!」

「お?素の口調に戻ったな!」

 翠は焼け焦げた半身をそのままに、新たに身の丈ほどの魔法陣を眼前に展開して、ヴァンに魔法を叩きつけるが、ヴァンは軽口を叩いて躱していく。

 余裕のあるヴァンに翠は苛立ち、眼前だけでなく、ヴァンを取り囲むように魔法陣を作り出すと、連続で同じ魔法を放つ。

 煙を抉って迫る風の槍を、ヴァンは跳躍と共に身を捻って避け、避けきれないものはサーベルで切り裂いて対処していった。


 やがて全ての風の槍を消し終えたヴァンは、強く地面を蹴り、一気に翠へと肉薄する。

「ざぁんねん!最初に気を抜いて、オレに足を取られたのがお前の敗因だな!」

 ヴァンは得意気にそう言うと、翠の身体を思い切り蹴り上げ、上空へと飛ばした。

 かなりの威力で蹴り飛ばしたため、衝撃波が生まれ、クレーターに充満していた黒煙が、綺麗に放射状に吹き飛ぶ。


「がーっ!」

 肺から空気が一気に無くなる感覚を味わいながら、翠はうつ伏せ状態で空へと上がる。

 バルドスのように身体が爆散しなかったのは、蹴り飛ばされる寸前に、自ら飛んで威力を殺したからだ。

 一瞬の浮遊感の後に、重力に従って翠の身体は落下を始める。

 背に紅い月光を浴びながら、翠は最後の足掻きとばかりに、巨大な魔法陣を展開し、詠唱を開始した。


「全てを薙ぎ払う黒き暴虐の旋風よーー」


 詠唱が聞こえたのか、はたまた空中に浮かんだ巨大な魔法陣を見たからか、ヴァンは口元に好戦的な笑みを湛えながら、地面に蜘蛛の巣状のひび割れを発生させ、翠に向かって勢いよく飛び上がる。

 サーベルを赤く煌めかせて、真っ直ぐ、一直線に翠へと飛んで行くその姿は、さながら紅い流星だ。


 クレーターに集まっていた野次馬は、突如現れたその流麗な光景に、驚きを通り越して声も無く見惚れていた。

 クレータの周りにいた人々が、ヴァンの黒髪を見ても、空に浮かんだ魔法陣を目にしても、逃げ出さないどころか悲鳴一つ上げないのは、今起こっている出来事が、あまりにも非現実的だったからだ。

 日頃、荒事とは無縁の生活を送っている富裕層ならではの感覚が、このような現象を引き起こしていた。

 もしも、この時点で事の重大さに気づき、全速力で逃げ出していたなら、あるいは助かる命もあったのだろうが、残念ながら、そのような行動を起こした者は誰一人としていなかった。


 ヴァンは翠へと迫りながら、風圧に逆らいサーベルを突きの態勢で構える。

 間近に迫ったヴァンに、翠は忌々し気に顔を顰め、すぐさま魔法を発動しようと口を開いた。


「ー荒れ狂え、黒旋葬(こくせんそう)

 そして、翠が魔法を言い終えるのと同時に、ヴァンのサーベルが翠の心臓を貫いた。


 翠の口から、墨の様な黒い血がゴポッと零れる。

「ま、これで勘弁してやるよ」

 そう言いながら、ヴァンは突き刺したサーベルをグリッと(ねじ)った。

 翠の身体を、サーベルが貫通したのと時を同じくして、魔法が発動する。

 黒い竜巻が地上に向けて生成されていくのを背後で感じつつ、ヴァンは翠の身体からサーベルを引き抜き、そのまま流れる様な動作で地上に蹴り落とした。


 巨大な竜巻が降りてくる中、椿は咄嗟に地上にいる人々を助ける為に動こうとしたが、それをシンが無理矢理足を止めて行かせなかった。

(ダメだよ。今の僕達の力じゃ助けられない)

「でも!」

(今、障壁を張らないと、僕達も死んじゃうよ)

 シンの真剣なその言葉を聞き、椿は悔しそうに唇を噛むと、やるせない気持ちを込めて、障壁魔法を唱えた。

「護り囲え、雷壁球」

 障壁を構築した直後、雷の壁越しに巨大な黒い竜巻が荒れ狂い、轟音を立てて建物と人々を、ミキサーで粉砕するかのように無残に葬っていく。


 人々の悲鳴を聞きながら、シンは気を取り直して椿に訊ねた。

(さてと、これからどうする?)

「・・・ヴァンは眷主になったのだから、当然倒さないとでしょ?」

 人々を助けられなかったことに、椿は沈痛な表情を浮かべつつ、淡々と答える。

(いいの?せっかく仲良くなったのに。無理はしなくていいんだよ?)

 シンの疑問に、椿は少しだけ押し黙った後、ポツリと答えた。

「・・・・・・いいの」

(そう。それじゃ、僕はサポートに回るから、椿は好きに動いていいよ。マナの心配もしなくていい)

「わかった」

 短く椿が言うと、そのタイミングを見計らったように、黒い竜巻はつむじ風になり、そして(ほど)けて消えた。


 ヴァンはと言うと、浮遊魔法を使い、竜巻が治まるまで空中で待機していた。

 元エルンドラ邸を中心に、家屋や人々が軒並み破壊されていくのを、なんの感情も浮かべずに冷めた目で眺める。


 やがて、クレーターの周囲200mの範囲が破壊され尽くすと、黒い竜巻は細く消えていった。

 後に残ったのは、至る所に散らばった建物や草木の残骸と荒野のみで、そこに生命の息吹は感じられない。

 クレーターに集まっていた人達のみならず、魔法の効果範囲内にいた人間は、その全てが細切れにされ、ただの肉として、そこかしこに散乱していた。


 翠の魔法が完全に終了したのを確認すると、ヴァンは魔法を解いてクレーターへと舞い戻る。


 かなり高い位置から落下してきたのに、およそ重さを感じさせない音を立てて、ヴァンはクレーターの中心へ着地した。

 そして、ただ一人生き残った椿へ目を向ける。

「よぉ。無事だったか」

「そっちも、ずいぶん黒くなったけど、生きてるみたいね」

 椿の言葉に、ヴァンはキョトンとした後、自分の髪を見、黒い血に塗れた身体を見回す。

「ん?はは。まぁな。そういうツバキだって、目の色変わってるぞ」

「そりゃあ、僕と一体化してるからね」

 椿の口を借りて、楽しそうにシンが言う。

「あ?あぁ、そうか。シンが入ってんのか。なるほど、それで・・・」

 なにやら訳知り顔で呟くヴァンに、シンはニッコリと笑んで続ける。

「元気そうで何よりだよ、少年」

「そりゃどーも」

 色は多少変わったが、以前のヴァンと変わらないその口調に、椿はシンの意識を退けて思わず訊ねた。

「あなた、ヴァンなの?それとも眷主、緋?」


 ヴァンはニヒルな笑みを浮かべ、椿の問いに答える。

「オレはヴァンでもあるし、緋でもある。緋とヴァンの性格はよく似ている上に相性も良くてな。今や完全に交じり合っちまってるから、どっちと言われても答えようがない」

 その返答に、椿は一度目を閉じるが、すぐにまた開き次の疑問をぶつけた。

「なら、あなたをヴァンと思って聞くわ。眷主になるという事は、私と敵対する道だと理解して選んだの?」

「もちろん、全て覚悟の上だ。ヴァン(オレ)の人生を棒に振ろうとも、世界の敵になろうとも、成し遂げたい思いがあった。だから、絶対の覚悟を持ってこの道を選んだ。その事に言い訳はしない」

「そう。ヴァンがそう決めたのなら、それでいい。でも、私はこれからあなたを殺さなければならない。出来れば、抵抗しないでくれると助かるんだけど」

 平然とヴァンの選択を受け入れ、かつ‟殺す”と明言する椿に、ヴァンは一瞬固まった後、プッと吹き出した。

「クハッ!そりゃ無理だ。やっぱりあんた、およそ救世主とは思えない言動だよな」

「私もそう思う」


 このやり取りを皮切りに、椿は抜刀しながらヴァンへと斬りかかる。

 その攻撃を、ヴァンはサーベルを掲げて受け止めた。

 硬質な音を響かせてせめぎ合う刀とサーベル。

 と、突然サーベルの刀身がゆらりと揺らめく。

 それを視認した椿の身体は、唐突に後方へと飛び退いた。

「シン!?」

(ちょっと嫌な感じがして)

 無理矢理、回避行動をとったのはシンだ。

「お?惜しいな。あと少しでアンタを燃やせたのに」

 とぼけた様子で言うヴァンに、椿の目がスッと細くなる。

(あのサーベル、炎を疑似的に剣へと変化させてるだけだ。だから)

「わかった。無形には無形でいく」

 シンが言い終わる前に、椿は冷静に返すと、刀を持っている手に魔法陣を二重で展開した。

「纏え、紫電刀」

 椿が言い終えると、本来なら鍔がある所に展開した、一つ目の魔法陣から紫の電流が(ほとばし)って刀身に流れていき、二つ目の魔法陣でその紫電を刀身に定着させる。

「これでいいでしょ」

 椿はそう言い捨てると、ヴァンに向かって勢いよく刀を斬り上げた。


 その瞬間、刀から紫の雷が発生し、落雷の様な音を響かせてヴァンを襲う。

「ぅわっと!」

 雷が到達する寸前、ヴァンは慌ててサーベルを振るって焔を放ち、直前で相殺する。

 雷と焔が入り交じり爆発する中、ヴァンはハハッと笑う。

「すげぇじゃん!これ、シンの入れ知恵か?」

「・・・・・・」

 楽しそうなヴァンとは反対に、椿は無機質な表情で刀を振るう。

(椿?)

 その様子に、シンはただならぬ気配を感じたのか、思わず椿に話しかけるが、椿がその声に返答することは無かった。


 そして椿は目を閉じ、すぐに開くと、左手の平に小さめの魔法陣を浮かべた。


-------------------

 

 自分の意識が乖離(かいり)していくのを感じる。

 確かにこの手で戦い、この耳で聞いて、この身体で動いているのに、どこか他人事の様な感覚に襲われる。

 自分が入れ替わっていくような、水底で揺蕩(たゆた)っているような不思議な感覚。

 でも、嫌な感じではない。

 そんな意識の底から、何かが浮かび上がってくる。

 姿形なんて、ぼんやりとしていてわからないのに、唐突に悟った。

 これは椿()だ。

 紛れもなく(椿)だ。

 暗い底から浮上してきた(椿)が、椿()を見て、瞬きの間だけ貸して。と、いたずらっ子の様な笑顔を浮かべて言っている。

 まぁ、瞬きの間なら、と椿()は特に抗うことも無く、身体の手綱を(椿)(ゆだ)ね、ぼんやりと視界に映る世界を見続けた。


-------------------


(椿!?)

「うん。ゴメン。少しだけ、邪魔しないで。シン」

 平坦な声色で椿はシンに忠告すると、意図的にその声と干渉(パス)をシャットアウトする。

 椿の異変に、ヴァンも怪訝(けげん)そうな表情を浮かべたが、それを無視して、椿は魔法陣を浮かべた左手をヴァンへと向けた。


(いかづち)の天秤よ。罪過を量る無情の(はかり)よ。彼の者の罪を量り、相応しき罰を下せ」


「ちょっ!!」

 その詠唱を聞いた途端、 ヴァンは事態を察する。

 全身に冷や汗を流すヴァンに、椿は(まばた)きもせず冷酷に告げた。

「眷主同士の(いさか)いは厳禁だと言ったはずだけど、忘れたの?」

「それは!」

「問答無用。裁定はこの天秤に任せた。これは確定事項だから、素直に受け入れなさい」

「待っ!!」


「罪を(あがな)え、雷裁秤(らいさいしょう)


 その言葉と共に、魔法陣は金の粒子を散らし、黄金の(いかづち)(ほとばし)る天秤を持った、手のひらサイズの金の天使を形作る。

 いや、天使という表現は語弊(ごへい)があるか。

 なにせ、その天使の背中にある翼は、片方は天使にありがちな鳥の様な翼だが、もう片方は悪魔によく見られる、蝙蝠(こうもり)の様な翼だったからだ。

 とは言え、他に呼び方も無いので、便宜上(べんぎじょう)天使と呼称しておこう。


 天使は翼をはためかせてヴァンに向かって行き、あと一歩と言う所で止まって手に持った天秤を掲げると、その天秤は金の粒子となって天へと昇って行った。


「-っっ!!弾き燃やせ!焔檻(えんかん)し」

 ヴァンが息を呑み、慌てて障壁魔法を発動しようとしたその瞬間。


(あらが)う事を許した覚えは無い」


 指を鳴らしながら椿がそう言うと、パキャンと軽い音を残して、ヴァンの足元に展開していた魔法陣は砕け散ってしまった。

 砕けた魔法陣の欠片は空中へ舞い上がり、すぐに金の粒子となって消えていく。


 そして(そら)から、真っ青な顔で歯ぎしりするヴァンへと、蒼白い裁きの雷が容赦なく降り注いだ。


 あの小さな身体のどこにそんなエネルギーがあったのか、と考えずにはいられない程の、膨大な量の(いかづち)の雨がヴァンを襲う。

 だが、なんとしても魔法の直撃を避けたいヴァンは、苦し紛れにサーベルの出力を最大にして、上空へ向けて薙ぎ払った。


 その瞬間、サーベルから焔の柱が出現し、雷の雨とせめぎ合って、全体の半分ほどを弾き飛ばす。

 焔と共に弾き飛ばされた雷は、行き場を失ってクレーターの外、建物の瓦礫や人間の残骸だけでなく、荒野となった大地までも黒く焼き払って行った。

 その内の何本かは椿にも向かって行ったが、椿は紫電刀を振るって容易く消す。


 蒼白い閃光と紅い煌めきが、広範囲に渡って辺りを真昼のように照らした。


 やがて、徐々にその輝きが治まり、周囲に夜が戻ってくる。

 クレーターの外は、辛うじて残った瓦礫に点いた火がチロチロと揺らめき、人間の欠片も僅かに残っている以外、かなり見晴らしが良くなっていた。


 ヴァンの目の前にいた金の天使は、魔法が終了するのと同時に、その身を金の粒子に変えて消えていった。


 さっきと変わらず、ヴァンはクレーターの中心でなんとか立っていたが、それでも雷の何本かに打たれたようで、色のくすんだサーベルを地面に突き刺して寄りかかっていた。

 ヴァンの体表には、蒼白い電流が幾本か走っている。

「いっ・・・てぇ・・・」

 脂汗を流しながら、言葉を詰まらせつつヴァンが呻く。

「この程度で済んだことを幸運に思いなさい」

「・・・大事な切り札を、こんな事に使ってもいいのかよ」

「言ったでしょ?これは確定事項。全て織り込み済みだよ」

 椿はヴァンに対して冷たく言い放つと、そっと(まぶた)を閉じた。


-------------------


 途端、揺蕩っていた椿()の意識が急浮上する。

 先ほどまで身体の主導権を握っていた(椿)椿()が入れ替わる瞬間、(椿)椿()に短く言づてを頼んだ。

(身体ありがとう。後でシンに謝っといて)

 もう一人の(椿)は、やはり、いたずらっ子の様な笑顔を浮かべてそう言った。


-------------------


 目を開いた椿が最初に聞いたのは、焦ったようなシンの声だった。

 どうやら、入れ替わる時にシンとのパスを元に戻しておいてくれたようだ。

(椿!椿!!大丈夫!?どうしたの!?)

「・・・あー、うん。平気。なかなか得難い体験だったわ」

(え、何?どういう事?)

 シンが訝し気な気配を漂わせる。

「ううん。気にしないで。あ、ゴメンねだって」

(え?えっと、許す・・・よ?)

 35年一緒にいて、こんなにシンが取り乱している所を見た事(聞いた事)が無い椿は、思わず吹き出して笑ってしまう。

(ちょっと、笑い事じゃないんだけど。本当に心配したんだからね!一体何だったの?)

「ゴメンゴメン。私もよくわからないんだけど、とにかく嫌な感じじゃなかったから気にしないで」

 笑いながら首を横に振る椿に、シンはいまいち納得していないようだったが、気にしないでと言った椿の言葉に従って、それ以上は聞いて来なかった。


 ヴァンは、椿から感じていた重い威圧感が消えたのを確認すると、大きく安堵の息を吐く。

 正直、言いつけに背いたのに五体満足でいられるのは、椿が言った通り幸運としか言いようがない。

 いや。もしかしたら、わざと軽く済ませてくれたのかもしれない。

 ‟織り込み済み”と言っていた事から、この推測はかなりの確率で当たっているだろう。

 そんな事を考えつつ、ヴァンは大量に消費してしまったサーベルのマナを充填する。


 サーベルが鮮やかな紅に戻ると、ヴァンは電光石火の速さで、椿へ袈裟斬りに斬りかかった。

「戦闘中に気を抜きすぎだって」

 そのサーベルを、先ほどとは逆に椿が紫電刀を掲げて受ける。

「のけ者にしたつもりは無いんだけど、疎外感を感じたならゴメンね」

「疎外感なんて、感じてねぇよ!」

 椿とヴァンは、まさしく疾風の如き斬り合いを開始する。


 椿が刀を横に薙ぎ払うと、ヴァンはしゃがんで回避し、ヴァンがサーベルを突くと、椿は身体を捻って避ける。

 ヴァンが焔の魔法を放つと、椿が雷の魔法を打ち返す。

 そんな攻防を絶え間なく繰り返し、硬質な音を立てて、紅と紫の剣が連続で打ち合っていると、クレーターの外から、どこかで聞いた覚えのある声が聞こえてきた。


赤焔矢(せきえんし)!」

 だが、その声の主の事を考える間もなく、ヴァンが無数の焔の矢を放ってくる。

「チッ!雷穿光(らいせんこう)!」

 椿は苛立たし気に舌打ちすると、同じ数の稲妻の矢を作り出し、焔の矢と相打ちにさせて打ち消していく。

灼焔(しゃくえん)!」

重雷(じゅうらい)!」

 さらにヴァンは焔の塊を飛ばし、それを重ねた雷で裂いて散らす椿。

 あまりにも連続して二人が魔法を放つ為、マナの残滓である金の粒子が消える間がなく、クレーター内は黄金の燐光が乱舞する、場違いなほど美しい光景へと変貌していた。


 椿はヴァンと鍔迫り合いをしながら、先ほど聞こえてきた声の事を一瞬考えてしまうと、その隙をヴァンが見逃すはずも無く、思い切りサーベルを振り抜いて、刀ごと椿をクレーターの外へと弾き飛ばした。


 かなりの高度で飛ばされた椿は、その高さと内臓が浮く感覚にゾワッと皮膚が粟立つが、それは不思議と一瞬で治まった。

(高所恐怖症は僕が抑えとくから、気にせず戦って!)

 椿の疑問を察したのか、シンが先回りして説明する。

「ありがと!」


 そうして椿は飛ばされながら、薄紫銀(はくしぎん)の髪を(ひるがえ)しつつ、空中でくるりと上手く受け身を取って足から着地すると、刀を地面に突き刺して勢いを殺す。

 砂埃を舞い上げてようやく停止すると、そこにはこちらを驚いたように見入る、アズールとガイがいた。

「あれ、ガイ?」

椿は二人と同じく、金と赤紫の目を丸くして、確認する様に言った。

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