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愚劣の代償Ⅰ~貧民街の少年~


 それから、ガイ達が残っていた料理を食べ尽くす間に、椿はガイが負傷した椿をアズールの所まで運んでくれたことをシンに話して聞かせる。

 聞き終えるとシンはガイに礼を言うが、ガイは苦い顔をしながら手を軽くひらつかせて答えるに留めた。

 やはりシンと眷属は関係ないと理解していても、なかなか黒色を持つ者を受け入れるのは難しいようで、その事実に(わず)かばかり心が痛むが、人の価値観を変えることが容易ではないのをよく知る椿は、複雑な心境でその様子を黙って見ていた。

 5分ほどで残っていた料理を平らげると、一行は1階へと下り、給仕をしてくれた女性に挨拶をして店を出る。

 外は昼時を過ぎたというのに、相変わらずの喧騒で賑わっていた。

「こっちだ」

 ガイは大通りに出ると城門側へと向かって歩き始める。

 先導するガイの背中を見ながら、そう言えば、と椿はずっと疑問に思っていた事をガイ達に訊ねてみた。

「どうして私が救世主だって知ってるんですか?」

 その問いに答えたのは、椿の左隣を歩くキールだ。

「救世主は薄い紫色を帯びた銀髪をしていると伝承で伝わっているんですよ。まぁ伝承と言っても、おとぎ話とか伝説みたいなものなので、真面目に受け取る人はあまりいないんですけどね。薄紫銀(はくしぎん)では無いにしても、銀髪の方はそれなりにいらっしゃいますから」

 苦笑して話すキールに、シンが水を差すように茶化す。

「でも、君達は信じてるんだよね?その、おとぎ話を」

「今朝、改めてアズール様に報告した時に救世主だと断言していましたからね。それに、低1級との戦闘を思い返せば疑う余地はありません。いえ、結果的に戦っていたのは貴方でしたが、それでも私はツバキさんが救世主だと信じています」

 キールと椿の話を聞いていたガイを始めとするするメンバー全員が、その話に共感して賛同するが、期待した反応と違ったのか、ふーん。とつまらなそうにシンは返すと、それきり黙ってしまった。

 一方の椿は、失礼な態度をとるシンの後頭部を軽く叩いた後、皆に善処します。とだけ述べた。


 その後も他愛ない話をガイ達としながら歩いていると、やがて城門に近づくにつれて飲食店は少なくなり、代わりに宿屋や薬草、消耗品を売っている店が立ち並ぶ区域に。

 そこを素通りし、さらに進むと今度は洋品店、城門まで100mほどの近さになると武具や防具を販売する店舗が並ぶ界隈(かいわい)に出た。店先には、陽を反射して銀色に輝くフルプレート一式やチェインメイル、レザーコートなどが並んでいるが、今は用が無い為ここも通り過ぎる。

 どこも客引きの活気ある声が飛び交っているので、大通りには熱気に満ち溢れ、気分的にも体感的にも暑苦しい。

 城門前に到着すると、道は左右に分岐しており、ガイは左の道に進む。

 城門はかなり巨大で、横幅に至っては6人乗りの馬車が3台並んで通れるだけの大きさを誇っていて、分厚い鋼鉄製の扉は跳ね上げ式を採用している為、現在は城門の上部で水平に固定されている。

 城門の左右に番兵らしきフルプレートを着た人間が3人ずつ配置され、それぞれが門を通る人々や物品を検閲していた。

 忙しく動き回る兵士と大きな城門を眺めつつガイについて行く椿。

 左に曲がった通りには、途端に鍛冶屋や武器屋が連なって並び、鍛冶屋からは鉄を打つ音が響き、武器屋からは、客が売られている武器を手にして具合を確かめている様子が伺えた。

 奥に進んで行くと人通りは徐々にまばらになり、それと同じように武器屋も少なくなって、骨董店がちらほらと並び始める。

 そんな中に、ガイ達行きつけの武器屋があった。


 武器、鍛冶工房アイアスは、武器の販売に買取、鍛冶、砥ぎに鞘の作成もしている、言わば武器専門の何でも屋みたいな位置づけだ。

 木造平屋建ての店内は外観に見合わずさほど広くない。その原因は中の右半分が壁で仕切られ、鍛冶工房として機能している為だった。

 右と左でそれぞれ出入り口が分けられ造られているが、店内からでも扉一つで行き来できる仕様だ。

 左側では売買用の武器が置かれ、店内だけでは足りないのか、軒先にまで並んでいる。

 武器は多種多様な物を取り扱っているらしく、剣や槍、弓のベーシックな物から、薙刀に杖、果てはモーニングスターまで売っていて、統一性が無い。そしてそのほとんどが装飾などされておらず、シンプルな造りになっているが、質が良いのか武器に歪みや曇りは無く、鈍色の光を静かに放っていた。

 店の扉は営業中は外されていて、外からでも中の様子がわかるようになっている。

「ここですよ、ツバキさん」

 ガイ達は立ち止まり、キールから椿に声がかけられる。

「じゃあ、俺はコイツの修理を頼んでくるから、適当に中で待っててくれ」

 ガイは仲間にそう言うと、半分に分かれた店の鍛冶工房側の出入り口へと歩いて行くが、すでにシンはガイの言葉を聞き終える前に、店内で武器を見始めていた。

「我々も入りましょうか」

 ティオがそう促すと、椿達も店内へと足を踏み入れた。


 店内は薄暗いが陰気という印象は無く、むしろ清潔感すら漂っている。

 壁には整然と剣や槍、弓などが陳列されていて、店の中央にあるガラスケースには短剣や杖が置かれているが、隅にある木箱の中には雑然と様々な武器が入っていて、何故かここだけ適当に扱われていた。

 シンはその木箱に入っている武器をしげしげと眺めている。

「らっしゃい。用があったら呼んでくれ」

 愛想の欠片もない坊主頭をした初老の男性は、椿達を一瞥(いちべつ)してそう言うと、すぐに隣の鍜治場へと引っ込んで行った。

「あの人はいつもああですから、気にしないで下さいね」

キールが苦い顔をして男性の弁解をするが、椿は特に気にしていないのか、軽い笑顔と共に首を横に振る。

「いえ、私は勧誘されるのが苦手なので、むしろ放っておいてくれた方が助かります」

「そうですか。では、自分は剣を見ていますので、何かわからない事があれば声をかけてくださいね」

 ホッと表情を緩めて椿に軽く会釈すると、キールは壁に掛けてある剣の所へと歩いて行った。

 他の仲間達も、思い思いに武器を見定めたり、あるいは隣の工房へ移動したりしている。

 武器の知識があまり無い椿は、店の中をぐるっと見回した後、箱の中の武器をゴソゴソと漁っているシンの元へと行く。

 近づいてくる椿の気配に気がついたのか、シンが振り返る。

「やぁ椿!もういいの?」

「うん」

 心なしか疲れた表情を浮かべている椿に、シンは苦笑すると、再び武器に視線を戻し物色を再開する。

「椿は人見知りだからねー。疲れちゃったんでしょ」

「そ!んなこと・・・は・・・」

 勢いよく否定しようとして結局叶わず、言葉は尻すぼみになり、最終的にボソボソと聞き取れない音量になってしまう。

「僕相手に無理はしなくていいよ。生まれた時からの付き合いじゃない。はいこれ!」

 シンから椿へ唐突に手渡されたのは、箱の中に入っていた1本の長剣だ。

「え、わ!」

 現実世界では一度も手にした事の無い真剣は、想像以上に重く、剣に重心を持っていかれ身体がよろめいてしまう。

 落としそうになる剣を、売り物だからと必死に耐える椿を見て、シンは顎に手を当て思案する。

「うーん、やっぱり椿にコレはまだ早いか・・・。かといって短剣はなぁー」

 シンは椿から長剣を受け取り、箱の中に戻す。そして再びゴソゴソと漁るが、突然おや?と呟くと、その手を止めた。

 取り出した武器はパッと見は短剣に見える。どうやら箱の底に入っていたようで、全体が埃に(まみ)れていた。

 短剣の全長は40㎝強。

 剣の柄は刀身よりやや長く、大体25㎝はあるだろうか。元は銀色だったのだろうが、今はくすんで鈍色になってしまっている。柄頭には柄と同色の金具に、紐を通すための穴が丸く貫通して空いていた。

 その柄に、金の蔦が巻き付いたような装飾が施されており、金の蔦はそのまま柄と刀身の間にある握りこぶしほどの大きさの、水晶に類似した透明な球体を枠のように囲み、そのまま真っ直ぐと伸びて細身の刀身になっている。かなり特殊な造りだ。

 失くしてしまったのか、それともそもそも存在しないのか、鞘は見当たらない。

 装飾の具合と言い、細すぎる刀身と言い、どう見ても実戦には向かない観賞用に作られた武器だ。

 シンはその剣をまじまじと見ると、おもむろに剣を振って具合を確かめる。

 そして椿に許可を求めた。

「これ、僕用に買ってもいい?」

 私の武器は?と内心突っ込みを入れながらも表情には出さず、椿は承諾する。

「別にいいけど、それいくらなの?」

「この箱の中の武器は中古品だから安いみたいだよ。えっと値段は・・・全部銅貨15枚均一だって!」

 箱の真ん中に貼られた紙を確認して言うシンによると、そう書かれているらしい。

 なるほど、中古品だから他の商品と比べて雑に扱われているという訳か。得心がいったとばかりに頷くと、シンに改めて了承する。

「いいわよ。と言うか、その報奨金はシンの功績によるものなんだし、私の了解なんて取らなくていいのよ?」

「椿の身体を借りて倒したんだから、椿の功績でもある!なら共有財産でしょ?当然、椿に聞くのは当たり前!それじゃ、コレは僕用で。椿のは、この中に合うのは入ってないみたいだから、そっちの剣コーナーでも見てみよっか!」

 そう(まく)し立てると、シンは椿の手を引いてキールのいる剣が陳列されている場所に足を運ぶ。

 キールは購入する物が決まったのか、以前と似た形の赤銅色の長剣を一振り、手に持っている。

「おや、ツバキさんの武器をお探しですか?」

近くに来たシンに、キールは声をかけると、シンが手にしている武器に目を落とす。

「それは?見たところ観賞用みたいですが・・・」

「これは僕のだよ!あの箱の中に椿に合う武器が無かったから、こっちを見に来たの」

 誰にも渡さないとばかりに、手に持った剣を抱くシンにキールは呆れたような視線を寄越すと、椿に話しかける。

「ツバキさんは、何かご希望などありますか?」

「重くない奴がいいです」

 即答な上にあまりにもざっくりとした要望に、キールは面食らったのか思わず聞き返してしまう。

「重くない奴・・・ですか?」

「はい。重くな」「えーっと僕が考えるに、出来れば長剣と短剣の間ぐらいの長さの剣で、なるべく軽いのが良いと思うんだよね!あと、そんなに高くない奴!」

 反復しようとした椿を遮り、シンが最低限の希望を伝えると、キールは助かったと安堵(あんど)の息を吐く。

「そうですねぇ・・・。ご要望にピッタリと合致するかはわかりませんが、このサーベルと刀はいかがですか?」

 そうキールが手で示して(すす)めてきたのは、銀の装飾が施されている茶褐色のサーベルと、その隣に掛けてある紫で統一された刀だった。

「サーベルの方は刀身が長剣より短く造られていて、重さもそこそこ軽いですが、装飾がある為値段が少し張ります。こちらの刀は刀身は長剣と同等。重量は平均的な長剣よりも軽く造られていて切れ味も良いです。装飾の類が無い分、値段は抑えられていますよ。もしも購入される場合には、無料で柄、鞘の調整や砥ぎをしていただけるので、よろしければご検討を」

 店員ではないはずなのに、店員並みに詳しく武器と店のサービスを説明してくれるキール。

「だって、どうする?」

「試し斬りはさすがに出来ませんが、持つ分には問題ないので、良ければ手に取ってみませんか?」

 シンとキールに促されて、まず椿は壁に掛けてあるサーベルを手に取り、鞘から抜いてみる。

 全長70㎝のサーベルの柄は革製で、なんの変哲もない牛皮だが質の良いものを使っているのか、しっとりと手に吸い付く様な触り心地をしている。

 柄の先端にある金具から、護拳(ごけん)と呼ばれる手や指を護る役割の枠が(つば)に繋がっていて、鈍色の刀身は半曲刀タイプの両刃。斬る、突くの両方が出来るようになっていた。

 茶褐色の鞘には、銀の装飾が真ん中から鞘尻にかけて施されていて、華美では無いが上品な仕上がりになっている。

 先ほど持った長剣よりは軽いが、それでもズシリと来る重さに、軽くダンベルを思い出す。

 とは言え、実際の重さは2㎏弱なので、それほど重くは無い。単に現実世界で椿が重い物をあまり持たなかった結果、重いと感じているだけの話である。

 そのサーベルを片手で上下に軽く振るが、本物の武器を扱ったことの無い椿は、サーベルの重心に引きずられて身体が揺らぎ、シンを斬りそうになってしまう。

「ちょちょ!椿!無理しないでいいから!」

 耳の間近で空気が斬られる音に、シンは冷や汗を流しながら訴えると、椿の手からサーベルを取り上げる。

「やっぱり重い?」

「まぁまぁ。これ、おいくらなんですか?」

「これは・・・銀貨3枚ですね」

 キールが壁に貼られている値札を見て椿に教えてくれる。

「銀貨3枚」

 シンが先ほど選んだ剣の6倍の値段だ。

 何がそんなに高いのかと言われれば、鞘に使われている銀の装飾と、柄に使われている革が原因だろう。

 椿はシンからサーベルを受け取ると、鞘に収めて元の掛けてあった場所に戻す。

 次に手に取ったのは、サーベルの横にある紫の刀だ。

 刀の全長は80㎝。

 柄には淡藤色(あわふじいろ)の組紐が巻かれ、鞘はサーベルの時と違い装飾が一切無く、強度を上げるために付けられた鞘尻の鈍色の金具以外ただただ濃い紫色をしている。

 さらに鍔も無い為、柄の(ふち)の先はすぐに刀身といった作りで、重さは長剣やサーベルよりも軽く1㎏も無い。

 鞘から抜くと刀身は長く、片刃の直刃文(すぐはもん)が銀色に煌めいて、シンプルだがとても美しい。

 椿は先ほどと同じく、刀を軽く上下に振る。

「どう?」

「うん。平気。重さもちょうどいいかな」

 その言葉通り、今度は武器に身体が引きずられず、安定して振れている。

「えーっと、その刀は銀貨1枚と銅貨15枚だね。どうする?」

 サーベルの半分の値段で、なおかつ重量的にも自分に合った武器。となれば、もはや答えは決まっている。

「これにする」

「他の武器など見なくても良いのですか?」

 悩むこと無く即決する椿に、キールはそう提案するが変えるつもりは無いらしく、刀を鞘に戻した後、椿は首を横に振って断る。

「これが気に入りましたので」

 それを聞いて、キールは微笑して頷く。

「わかりました。では、店主を呼んできますので、少し待っていて下さい」

 隣の工房に繋がる扉へ向かって歩いていくキールを見送ると、椿は改めて自分が選んだ武器を眺め、ソレをどこに装備しようかと考える。

 ガイの様に背中に斜め掛けにするのもいいが、この刀身の長さだと抜ききれないだろう。

 ガイの大剣の場合、切れ味を度外視して、叩き潰す叩き斬るのがメインの為、鞘が無い。その為、戦闘時には剣帯(けんたい)から背負い投げの要領で剣を担ぐと、剣を留めているボタンが外れて構えられる。という訳だ。

 結局椿は、腰に差すのが一番しっくりくるかなと結論を出す。

 その場合、後ろ腰よりも横で、右利きだから左側の腰に装備するのがいいか、とそこまで考えたところで、はたと気づく。そう言えばこの服、ベルトもベルト通しも無いという事を。

 まさか、ずっと片手に持ったままなんて事は避けたいので、何かないかと店を見回したり、中央にあるガラスケースの中を覗いたりするが、それらしい物は見当たらない。

 気がつけば店内には椿とシンだけで、他の人達は皆、隣の工房に行ってしまったらしい。

 唐突に焦ったように店の中を物色する椿を不審に思ったのか、シンが声をかける。

「どうしたの?椿」

「や、この刀を装備するのに必要なベルトみたいなのを探してるんだけど、見つからなくて」

 屈んでガラスケースの下段を見ながら返答する椿。

「あぁ、それなら武具を売ってる店に置いてあると思うから、帰りに寄って行こ。僕も剣帯、欲しかったし」

「剣帯?」

「剣を吊るすためのベルトみたいな物だよ」

 椿はケースの中を見るのをやめて立ち上がると、シンへ振り向く。

「あれ、そんな名前だったんだ」

「えー・・・椿、学生時代に剣帯使ってたよねぇ。知らなかったの?」

 呆れ顔で指摘するシンに、椿はバツが悪そうに視線を逸らす。

「学生時代って20年も前の話よ?それに、あれは授業でしか使わなかったし、何より名前なんてわからなくても問題無かったから・・・」

 などと、しようのない言い訳をシンに対して募っていると、最初にあいさつをしてきた坊主頭の男を連れてキールが戻ってくる。

 その手にはさっきまで持っていた赤銅色の剣が無い。この男を呼びに行ったついでに、購入を済ませ、調整の為に置いてきたようだ。

 どうやら他に店員はいないみたいなので、必然的に坊主頭のこの男が店の店主らしい。

「お待たせしました。ガイさんの剣の補修をされていたので遅くなりました」

「いえ、そんなに待っていませんから」

 キールが遅くなった理由を説明するが、椿は片手を軽く振って答えた。

「で?得物はそれでいいのかい?」

 最初のあいさつの時と同じく、愛想が微塵(みじん)も感じられない口調で聞いてくる店主に、椿はえぇ、とだけ返す。

「おじさん、これも!」

 椿の横に立っていたシンが、持っていた短剣を店主に向かってズイッと差し出した。

 椿の刀とシンの持つ中古の短剣。店主はその両方を見ると、瞬時に値段をはじき出して、二人に伝える。

「銀貨2枚だ。調整は必要か?」

 シンは懐から革袋の財布を取り出すと、中から銀貨2枚をつまみ店主に渡す。

「はい。銀貨2枚。僕のは調整いらない。椿はどうする?」

「私もこのままで平気です」

 元々、調整が必要ないぐらいしっかりと造られているので、二人揃って辞退する。

「坊主、お前のは鞘が付いてないが、いいのか?簡単な奴でいいなら作ってやるが」

「タダなら欲しい!」

 元気よく厚かましい事を言うシンに、店主は無言でポケットから皮のメジャーを取り出し、刀身を素早く測ると、少し待ってろと言って工房に引き返していった。

 待つ事しばし。

 再度姿を現した店主の手には、硬そうな革で造られた短い鞘が握られていた。

 キャメル色をしたその鞘は、硬い革に同製の革紐を編み込む形で造り上げられており、鞘尻に強度を増すための鉄製の金具、柄付近の上部には持ち運び可能なように、濃紫色の紐が結ばれ垂れ下がっている。

「そら」

 シンは投げて寄越された鞘を受け取ると、さっそく剣を収めてみる。

 きつくも無く緩くも無い、正確に出来上がった鞘を満足気に眺めた後、店主に礼を言う。

「ありがとう!ピッタリだよ!」

「余りもんで作った鞘だ。礼はいらねぇ」

 そっけなく言い捨てる店主。

 通常であれば、刀身を何度も抜き差しして的確な形に手直ししたり、持ち主の好みに合わせて調整していくのだが、よほど腕が良いのか、それともたまたま上手くできたのか、恐らく前者だろうが調整の必要が無いぐらい、ピッタリと鞘は出来上がっていた。

「うちの店で買ったものは、欠けや歪み程度ならタダで直してやるから持ってこい。調整もいつでも受け付けてる。じゃ、まいど」

 店主は最後に相変わらずのぶっきらぼうな口調で簡潔に説明すると、さっさと工房へと戻って行った。

「ここに置いてある武器は中古品を除いて、全て彼が作っているんですよ。なので他の店と違ってアフターフォローが充実しています。ガイさんの大剣もここの特注なんですよ」

 にこやかに捕捉するキールに、椿もつられて笑顔になると、手の中にある刀に目を落とす。

「へぇ~、そうなんですか。そう言われると、なんだか愛着が湧いてきますね」

「えぇ、ですので、どうか大事に使ってやって下さいね」

「はい!」

 頷く椿を晴れやかに見た後、キールが工房の方に視線を向ける。

「自分達は武器の調整が続いているので、終わるまでまだ時間がかかりますが、ツバキさん達はこれからどうしますか?」

 そう訊ねるキールに、答えたのはシンだ。

「僕達は剣帯を買わなきゃだから、武具屋に行ってくるよ」

「左様ですか。それでしたら、大通りにあるノーディカと言う武具屋がオススメですよ。盾の紋章が入った灰色ののぼりが出ているので、すぐにわかると思います。購入の際に、自分達の紹介だと伝えてくれれば多少割り引いてもらえるので、よろしければご活用下さい」

「何から何までありがとうございます」

 頭を下げて礼を言う椿に、いえ、とキールは首を横に振る。

「あなたは命の恩人ですから、この程度でお役に立てられたのなら幸いです。今、ガイさんを呼んで参りますね」

 いいえ、と椿が断る間もなく、キールは素早く工房へと消える。

 それからすぐに、ガイが工房に繋がる扉から顔を出すと、椿達に向かって歩いてくる。その背には、修理が終わったばかりの大剣が背負われていた。

「よお。もう行くのか。悪ぃな、あいつらの調整がまだ終わんなくってな。出来れば武具屋にもついて行ってやりたかったんだが・・・」

 ボリボリと頭を掻いて残念そうに言うガイに、椿は首を振る。

「ご飯も(おご)ってもらっちゃったし、良い武器屋も教えてもらった。武具屋の情報だって!何より、道に迷ってた私を助けてくれて、それだけで十分だよ。本当にありがとう。他の皆さんにも、よろしく伝えて」

 椿の感謝のこもった言葉を聞いて、ガイは照れ臭いのか、明後日の方向を向きながら首筋に手を回している。

 その様子を椿は微笑ましく、シンはニヤニヤと眺めていると、この空気に耐え切れなくなったのか、ガイが急に真面目な顔つきになって口を開く。

「ツバキ、救世主であるお前さんは、これから色々と大変な目や面倒事に巻き込まれるかもしれん。と言うか必ず荒事が降りかかってくる。十分、気をつけろよ。時には逃げることも戦略になる。無理だけはするなよ、いいな」

 そこまで話したところで、唐突にガイは沈黙する。

 どうしたのかと、椿が様子を(うかが)っていると、これまた唐突にガイが叫ぶ。

「・・・・・・だぁあああ!!やっぱりこんな事言うのは俺の柄に合ってねぇ!とにかく!気をつけろってこった!それじゃあまたな!」

 柄にもない事を言ったのがよほど恥ずかしかったのか、耳まで真っ赤にしながらも、そう助言を残して、ガイは足早に再び工房へと帰って行った。

 手短な別れのあいさつに、少しばかり拍子抜けしていると、シンが椿の袖を軽く引っ張る。

「行こ?ガイ達とはまたそのうち会えるよ」

 名残惜しんでいるつもりは無かったが、シンにはそのように見えたらしい。

 いや、実際、多少名残惜しかったのは確かか。こちらに来て初めて親しくなった人達だ。もう少し、会話をしてみたかったと思ってしまうのも無理からぬこと。

 椿は気分を変えるために、頭をブンブンと横に振ると、シンと一緒に武器屋を後にした。


 アイアスを出ると、陽はそこそこ傾いていて、すでに昼と呼べる時刻はとうに過ぎていたものの、宵闇が迫るのはまだ先だろう。

 キールに薦められた武具屋に行くため、椿とシンは元来た道を辿(たど)り、大通りへ戻る。

 昼時を過ぎたからなのか、人通りはそれなりに落ち着いていて、今度は手を繋がなくてもシンと(はぐ)れることも無さそうだ。

 やがて武具や防具を売っている界隈に入ると、すぐにキールが言っていた灰色の布地に盾の紋章が刻まれたのぼりを発見する。

「あそこかな?」

 シンが一直線に走ってその店に向かい、看板を確認すると、椿を手招いた。

「ここ?」

「うん!入ろ!」

 

 武具店ノーディカは赤茶色のレンガで造られた2階建ての建物で、1階に防具類、2階に武具や装飾品などが置かれている。

 なかなか繁盛している様で、店員4人全員が客の相手をしていた。

 キールは言わなかったが、灰色に盾の紋章は眷属狩り御用達(ごようたし)の店である証だ。

 つまり、この店に来る客のほとんどが狩人という訳で、そのため贔屓(ひいき)にしている狩人の紹介ならば、ある程度価格を割り引いてくれる仕組みになっている。


 木製の扉を開けると、扉に吊るされた小さめの鐘がカランと鳴る。

 その音に反応して、店員である青年が入って来た椿とシンに視線を向けると、申し訳なさそうに言葉をかけた。

「いらっしゃいませ!すいません、ただいま少し立て込んでいるもので、しばらく店内をご覧になってお待ちください」

 シンが手を振ってそれに答えると、2階へと上がっていく。

 椿も1階には防具しか置いていないのがわかると、すぐにシンの後を追って2階に上がって行った。

 2階には、盾や弓矢、ダガー、メリケンサック等が置いてあって、多種多様な小型の武器が並んでいる。

 1階ほどでは無いが、2階にもまばらに客がいて思い思いに商品を眺めたり、手に取ったりしていた。

 椿達が探している剣帯は奥の棚にあるが、あまり買う人はいないのか皆素通りして行くので、そこだけポツンと寂しげな雰囲気が漂っている。

 二人は他の商品を流し見しながら、剣帯の置かれている棚へ行くと、それぞれどれにしようか見比べ始める。

 数ある剣帯の中から椿が選んだのは、一本の長いベルトに途中から短いベルトが付属した革製の物だ。

 一つ目のベルトは腰で装着する為のメインベルトで、ベルト通しの付いた硬く頑丈な作りをしている。

 もう一つは帯剣用のベルトで、腰用ベルトの中央から後ろに繋がり、両端にある金具で左右どちらの腰にも帯剣出来るようになっていた。

 帯剣用のベルトの真ん中には、コルセットの様に鞘に革のベルトを巻き、紐を引き締めて帯剣する為の物が取り付けられている。

 一般的に広く使われている、スタンダードタイプと言ってもいいものだ。

 一方、シンが選んだのはベルトが一つしか無いタイプで、身に付けると後ろ腰で軽く斜めに帯剣できる短剣用のベルトだ。

 身体の真正面にバックルが来ると、自然と真後ろに剣を差すように作られた留め具が来るようになっている。見かけ上、ただのベルトと変わりない。

 他にも太ももに装着するタイプや、銃のホルスターの様に肩から下げるタイプもあったが、それらはダガー等のシンが持っている短剣よりさらに短い武器用だったので、結果的に腰で装備する奴を選んだという訳だ。

 値段を考慮したのもあるが、椿もシンも華美な装飾はあまり好まないらしく、選んだ剣帯はどちらも焦げ茶色に銀の金具が付いただけのかなりシンプルな物で、実用性重視なのがありありと見てとれる。

「決まった?」

「えぇ、シンも?」

「うん。これでいいや」

 椿は頷くと、店員を呼ぼうと周りを見るが、それらしき人は見当たらない。

「1階に下りよっか」

 シンのその言葉に促されて、購入する剣帯を手に持って二人で階段を下り、1階に戻る。

 そこにはちょうど客の対応が終わったらしい灰色の前掛けをした、さっきとは違う青年の店員がいたので、これ幸いと椿は声をかけた。

「すいません。これを買いたいんですけど」

「あ、はい!いらっしゃいませ!」

 よほど忙しかったのか、店員は軽く疲れた気配を(にじ)ませていたが、それでもすぐに反応すると、椿達に向かって小走りで近づいてくる。

「これと、あとそれもお願いします」

 椿は自分が手にした剣帯と、シンが持っている剣帯を店員に見せる。

「かしこまりました。すぐに着けて行かれますか?」

 椿とシンが片手に持っていた武器を見ると、気を利かした店員がそう訊ねた。

「はい。それと私達、キールと言うガイのチームに所属している狩人の紹介で来たんですけど」

 キール、ガイの名前が出た瞬間、店員の顔色が変わる。

 とは言え、それは否定的な雰囲気ではなくむしろ肯定的なもので、より明確に言うと店員の目が少年のように光り輝いていた。

「ガイさん達のお知り合いの方でしたか!」

 先ほどまでの草臥(くたび)れた様子とは打って変わって、突然の生気に満ち溢れた勢いで詰め寄ってくる店員に、思わず仰け反る椿。

「あ・・・はい・・・」

「あ!し、失礼致しました!」

 我に返ったのか、店員はサッと身を引くと気を取り直して、剣帯の値段を計算する。

「えっと、ご紹介の方ですと2割引きになるので、合わせて銀貨1枚と銅貨10枚です」

 それを聞いたシンが、アイアスの時と同じく懐の財布から銀貨2枚を取り出すと、店員に支払う。

「ねぇお兄さん。ガイ達って有名なの?」

 店員が釣銭を数えている間に、シンが素朴な疑問を投げかける。

「それはもう!ガイさんはもちろん副官であるキールさんも、この東大陸で知らない者はいないほどの人物ですよ!英雄と言っても差し支えありませんね!」

 釣銭を数える手を止めて、熱のこもった様子でそう言う店員に、椿は軽く驚く。

「そうなんですか?全然そんな風に見えませんでしたけど」

「そこがガイさんの良い所で、どれだけ有名になっても決して(おご)ったり高慢になったりしない。それどころか、気さくに話しかけてくれる素晴らしい人格者です!かく言う私も、以前眷属に襲われていた所を助けてもらいましてね!その時の鮮やかな立ち振る舞いと言ったらもう!」

 もはや、釣りを渡すことすら忘れて熱弁をふるう店員に、椿は口を挟むことも出来ず、赤べこの様にただ頷いている。

 シンはと言うと、自分から話題を振っておきながら内容に大して興味無いのか、椿と同じく頷いて聞いてはいるが、その手は買ったばかりの剣帯をズボンのベルト通しに装備している最中だった。

 店員は延々ガイを称賛し、自分がどれだけ尊敬しているか語った後、今度はキールの事へと話題が移る。

「副官のキールさんも素晴らしい人ですよ!貴族の身分を捨ててでも困っている人達のためにって狩人の一員になったんですから!そのせいで一族から絶縁されても一切後悔していないと仰っていました!全ての貴族があの方の様であったら、どれだけ良かったことか・・・」

 しみじみと語る店員に、ようやく話が終わると、剣帯を装備し終えたシンが胸を撫で下ろしかけた瞬間。

「へぇー、キールさんって貴族だったんですね。どおりで喋り方や物腰が丁寧だと思いました」

 なんて椿が合いの手を入れるものだから、終わりそうだった会話がさらに続く。

 予想外の展開にシンは愕然とすると、感情が抜け落ちた面持ちでスッとその場から立ち去り、買いもしない防具をつまらなそうに見始めた。

 そんなシンをよそに、椿と店員はキールの事で盛り上がる。

「どうやら王都では有名な家柄らしいのですが、ご本人が話したがらないので、詳しい家名まではわからないんですよね」

「そうなんですか?」

「えぇ。実際、キールさんが貴族だったという話も、ガイさんがうっかり口を滑らしてしまったから知る事が出来たので・・・」

「あー、なるほど。キールさんの渋い顔が浮かびます」

 あははと笑い合い、会話に一区切りつくと、店員はようやく椿達に釣銭を渡していないことに気がつく。

「おっと、つい話し込んでしまいました。申し訳ありません。こちら、お釣りの銅貨20枚です。あと、少々お待ちいただけますか」

 椿に釣りを渡して言うと、店員は返事も聞かないで2階へと駆け上っていく。

 それから1分もしないうちに戻ってくると、その手には短めのベルトと、小ぶりのダガーナイフを持っていた。

「こちら、よろしければお持ちください。私の話に付き合っていただいたお礼です」

「え、いいんですか?」

「はい!でも、他の人には内緒ですよ?」

 店員はいたずらっぽくウインクをして椿に手渡す。

「このベルトは太ももに着けるレッグホルスターです。ベルトにダガーを収める鞘が取り付けられてありますので、そこに入れて下さい。抜けないように留め具をしていただくと、走ったりしゃがんだりしても落ちる事はありませんよ」

 椿は説明を受けながら、スカートを少し上げ、ベルトを右の太ももに巻いて、右側に取り付けられた鞘にダガーを差し込む。

 そのままスカートを下ろすと、ベルトはスカート部分に遮られて、かろうじて見えるか見えないか程度になった。

 レッグホルスターが終わると、物はついでとばかりに剣帯の方も腰に着ける。

 服の上からぐるりと巻いて、中央にバックルが来るように調整すると、もう片方のベルトにある革を鞘に巻いて紐を引き、蝶々結びをして固定。簡単に(ほど)けないよう、蝶々結びの輪っか部分をもう一度固結びする。

 後は左側に回して、後ろ腰にあるベルト通しに金具をかけたら完了だ。

「よくお似合いですよ」

「ありがとうございます」

 はにかんで礼を言った後、まだ防具を見ていたシンを呼ぶと、顔をぱあっと輝かせて椿に駆け寄る。

 持っていた銅貨20枚をシンに渡すと、すぐに財布を取り出して中に仕舞った。

「では、色々とありがとうございました」

 椿は店員に再度お礼を言うと、出入り口に向かって歩いていく。

 店員は、いえ、こちらこそ、と返すと椿達よりも先に出入り口にたどり着き、扉を開けて椿達を待つ。

「またのお越しをお待ちしております」

 そうして腰を折り、深くお辞儀をして椿達を見送った。



------------------------


 背後で扉が閉まったのを確認してから、シンが椿に話しかける。

「ずいぶん話が盛り上がってたみたいだね。僕をほったらかしにするぐらいだもの、よほど有意義な内容だったのかな?」

 少し嫌味ったらしいのは、椿に放っておかれて若干いじけているからだろう。よく見れば、口が少し尖っているように見えなくもない。

「まぁまぁ。おかげでレッグホルスターとダガーがサービスで貰えたんだからいいでしょ?損して得取れって事よ!」

「棚からぼた餅の(たぐ)いだと思うけどね」

 胸を張る椿を半眼で見ながら、投げやりに返答していると突然、城門からけたたましい鐘の音が鳴り響いた。

 それと同時に、道行く人々がウンザリした様子で端に寄り、道を開ける。

「またかよ」

「なんで南門じゃなくて、こっちから入ってくるんだっての」

「ただ単に自慢したいだけだろ?虚栄心だけは、いっちょまえだよな」

「迷惑だって、なんでわからないんだ?」

「バカに決まってるからだろ」

「あの肉襦袢(にくじゅばん)

 言葉の端々に不快感がありありと浮かんだそんな会話が、そこら中から聞こえてくるが、話題の中心となったものが近くに来ると、皆口を閉ざして、それが通り過ぎるのをひたすら待つ。

 椿も理由は知らないが、他の人と同じく端に避けていた方が無難だろうと考え、シンと共にノーディカの扉前で待つことにした。


 やってきたのは4頭立ての豪奢(ごうしゃ)な馬車だった。

 馬車を引いている4頭の馬は全て白馬で、馬を操る御者(ぎょしゃ)も真っ白な服を着ている。

 御者は50がらみの男だが、白髪交じりの灰色の髪は後ろに撫でつけられ、髭も綺麗に整えられているので、一見しただけで高貴な出自の印象を受ける。

 だが、御者の手綱を握る手は震え、その目には何故か怯えが見え隠れしていた。

 一方、馬車の方は6人乗り用の大きな物で、その外装は白く、金の装飾がこれでもかとばかりに取り付けられていた為、ギラギラしたその様は上品には程遠く、下品を通り越して下劣に到達している。

 見ていてとても目が痛い。

 左右にある大きな窓の内側には、赤い布にこれまた金の刺繍が施された豪華なカーテンが付けられているが、今はそのカーテンが開けられていて、肩より上だけだが中にいる人物の様子が伺える。

 乗っているのは3人。男が二人と女が一人。

 大方、夫婦とその子供だろう。全員が金髪碧眼をしている。

 一番歳のいっている男は50ほど。金髪横ロールに、口にはくるりと上方に巻いた髭を蓄えていて、顎は脂肪がたっぷりと付いている影響で三重になっている。

顎だけでそのざまなのだから、扉で見えない身体の方も、押して(しか)るべきである。

 女性は、男性とは対照的にガリガリに痩せており、眼窩(がんか)は落ちくぼみ頬骨が浮き出ていて、首なんて骨と皮と筋だけで、力を入れれば簡単に折れそうだ。

 そこに素顔が分からなくなるほどの、けばけばしい厚化粧をしているせいで、大体の年齢さえ想像することが難しくなっていた。

 頭部には赤い大きな羽根が付いた帽子を被り、口元を大昔にジュリアナで使われていたような紫の羽扇子で隠している。

 髪は、男とは反対に縦ロールでまとめてあった。

 最後の男性は20代だろうか、青年と称した方が相応しい風貌をしている。

 金色の髪は毛先だけカールした長髪で、後頭部で一つにまとめてあり、髭が生えていない代わりに、もみ上げが発達していた。

 体型はやや肥満傾向にあるが、先の男性と比べると十分スマートだ。顎にも脂肪は付いていない。

 この3人全員が、白地に金の刺繍が入った華美な服装をしている。

 そして、何が面白いのか知らないが、全員がニタニタとナメクジの様な気持ち悪い笑みを浮かべて、窓の外にいる人々を見下ろしていた。

 椿はその中の一人、50代ぐらいの方の男性と目が合った気がした。

 (いぶか)しんでいる間にも3人の乗った馬車は通り過ぎ、後ろに連結されていた四角い、恐らく積み荷用の運搬車が通る。

 ‟恐らく”と付けたのは、その運搬車が車輪以外を金色の布で覆われていた為、中の様子を知る事が出来ないからだ。

 やがて馬車列が街の中心地区へ向けて行ってしまうと、人々は疲れたため息と共に通りに出てくる。

 興味本位で、椿は近くにいた男性にさっきの馬車は何だったのか聞いてみた。

「あぁ、あれ?貴族サマだよ。南地区にいるエルンドラって言う貴族サマ。本当なら南門から入った方が早く家に着くのに、自分達がどれだけ凄いか自慢したいがために、毎度一番人が集まる東門から入ってくるんだよ。脳みその代わりに(きん)が詰まってる、貴族の中でも生粋のバカで有名さ」

「でも今日は珍しいよな。いつもなら戦利品を見せびらかすのに」

 軽蔑を込めて吐き捨てる男性に、椿達の話を聞いていたのか、近くにいた中年の男性が口を挟み、そのまま会話に加わってきた。

「戦利品、ですか?」

「戦利品って名前の、要は金に物を言わせて方々から珍しい品々を買い漁った、その収集品の事さ。たまに物だけじゃなくて人も買ってるがな。嬢ちゃんも珍しい色の髪をしてるからな、気を付けた方がいいぞ」

 はぁ等と、椿が気の抜けた相槌を打っていると、最初に話しかけた男が続けた。

「いつもなら、その収集品を後ろの檻付き荷車に乗せて、ひけらかすんだがな・・・」

「あの被せてあった金の布を見せていたのでは?」

 椿の言葉に男性二人は首を横に振る。

「あれはいつも備え付けられてるもんだ。いまさら自慢する物でもない」

「だな。一体何なんだか」

「ま、オレ達庶民には到底思いつかない事を考えてんだろ。それじゃあな」

 投げやりにそう言うと、後から会話に参加してきた男性は足早に立ち去って行った。それに続いて、残った男性も城門方面に消えていく。

 今まで話をしていた男達を見送りながら、椿はノーディカでの店員との会話を思い出し、実感する。

(なるほどねぇ。確かにあんな話を聞いたら、貴族全てがキールさんの様であったらって考えもするわな)

「バカにつける薬は無いってよく言うよねー」

 椿とは反対に、馬車が去って行った方向も見ながらシンは呟くが、その表情は特に何か不快感を抱いている様子は無い。

「そう言う割に、不快な感じには見えないけど?」

「まだ実害が無いからね。椿だって僕と同じでしょ?」

 シンが指摘した通り、椿も、ああ言う人間は嫌われて当然だなと思いつつも、どこか他人事に感じているのは確かだ。それはシンが言った通り、まだ自分に直接の被害が出ていないからだろう。

 自分本来の性格が、褒められたものでは無いのをよく自覚している椿は、シンの言葉を否定することはせずに淡々と受け流す。

「まぁね。さ、支部に帰ろう。今からなら、陽が沈み切る前に到着出来るでしょ」

「はーい!」

 シンの間の抜けた返事を聞きながら、オレンジ色に染まり始めた世界の中、二人の足は人通りの少なくなった大通りから、支部に向けて歩き出していた。


 支部へと戻る道すがら、椿はシンが購入した剣について触れる。

「そう言えば、シンが買った剣だけど、それ観賞用よね。そんなんで戦えるの?」

 椿がシンの後ろ腰にある短剣を見ながら訊ねると、シンは一瞬キョトンとするとすぐに破顔して、右手で柄に触れながら答えた。

「ふふ。これはね、使い方があるんだよ。この状態だとガラクタも同然だけど、適切な方法を用いれば神器(しんき)にも匹敵する剣になる。かなり珍しい武器だから、店主が知らなかったのも無理ないよ」

「シンキ?」

 椿は首を傾げる。

「神の武器と書いて神器。神の宝で神宝(しんぽう)って呼ぶこともあるけど、神器の方がメジャーだね。神が作った武器だからとか、その反対に神を殺す為に作られた武器だからとか、名前の由来になった説はたくさんあるよ」

 それを聞いて、椿はシンが触れている武器を眺める。

「へぇー、そんなにすごい武器なんだ」

 椿の顔にも態度にも物欲しげな気配は無いが、一応聞いてみるかと、シンは訊ねてみることにした。

「欲しいならあげるよ?」

「いらない」

 間髪入れずに断言する。

 その即答ぶりに、シンは少し面食らった後、怒ったのかな?と心配になるが、椿にその様子は無い。

「そう?」

「その武器を使うには、ちゃんとした手順が必要なんでしょ?戦闘中に、いちいちそんな事を意識しないと使い物にならない武器なんて、私には使いこなせない。そんな器用な人間じゃないし。だから、いらない」

 キッパリとそう言う椿に、一拍してシンは吹き出すと、クスクス笑いだす。

 突然笑い出したシンに、特に変なことを言った覚えのない椿は、眉根を寄せて多少不快感を込めた声色で問い詰める。

「何が可笑しいの?」

「あー、ごめんごめん!」

 シンは謝りながらも未だに笑い続けるが、ひとしきり笑うと満足したのか、一度深く深呼吸して呼吸を整えると、再び口を開いた。

「やっぱり椿はイイね!」

「は?意味わからないんだけど」

 しばらく笑われていたのがよほどご立腹だったのか、椿の眉間の(しわ)はかなり深く刻まれていて、その声からも怒っているのは明らかだ。

「あれ?怒った?別に悪い意味で言ったんじゃないんだけどな」

 おかしいなと首を傾げるシンに対して、椿は歩く速度を速めながら、なるべく感情を抑えてシンに話す。

「理由もわからず笑われたら私は嫌な気分になるの。わかった?」

「つまり、理由がわかればいいんだね?」

 椿の早足に合わせて小走りについてくるシンは、あっけらかんと言うが、その態度も(かん)に障るらしく椿の歩く速度はどんどん上がっていく。

「そうだけど、そういう事じゃないの」

「えー?どーいうことさー」

 茶化しつつも駆け足で椿について行くが、椿の怒りがピークに達し、しばらく放っといてと言おうとしたあたりで、突然シンはピタリと立ち止まる。

 唐突に足を止めたシンに気づき、少し進んだところで椿もストップすると、怪訝そうにシンを振り返った。

「どうしたの?」

 シンから大体5歩先の所で椿はそう聞くと、シンは椿を見つめながら答える。

「え?だって椿、今本気でついてきて欲しくないって思ったでしょ?」

 ドクッと、椿の心臓が大きく一度跳ねた。

 確かに椿は、こっちの気も知らずに茶化してくるシンに対して苛立ちが募り、少しの間でいいから一人にして欲しい、シンと離れたいと思ったが、それを口にしていないのに核心をついてきたシンに、気まずさと若干の恐怖を感じる。

 声だけの存在だった時も、度々似たような状況はあったが、その時は不快に思うことはあれど、恐怖を抱いた事など無かった。なのに、身体を持っただけで、受け取る印象がここまで違うとは。

 自分の内心の変化に言葉を失って立ち尽くす椿に、シンが心配そうに声をかける。

「椿?」

 その声にハッと我に返り、気を取り直して頭を振ると、椿はまた前を向いて支部へと歩き出す。

「もういい。この話題は忘れる」

 シンを見ることなく話題を打ち切る椿に、シンは口角をあげて楽しそうに笑む。

 そして椿に小走りに駆け寄ると、また並んで歩き始めた。



------------------------


 無言で歩く事十数分。

 まだ支部の建物どころか中央区にある噴水も見えてこないが、東地区の終わり辺りまで来たらしく、店の代わりに住宅が多くなってくる。

 そんな頃。

 椿は、いい加減シンとの無言の時間に耐えかねて、何か話そうと思うが話題が見つからず、昼にガイ達と会話した内容を急いで反芻(はんすう)していると、急にシンから声が上がる。

「あ!」

「わあ!!」

「え!?」

 集中していた所に突然声をかけられたせいで、驚いて飛び上がる椿に、逆にシンも驚いて椿を凝視してしまう。

 椿はパッと口を手の甲で覆うと、顔を赤くしながらシンに続きをどうぞと、空いた手で促す。

 変なのー。と呟きつつ、シンは懐から硬貨の入った革袋、つまり財布を取り出して椿に差し出した。

「これ、やっぱり椿が持ってて」

「え、今更なんで?」

 椿は財布を受け取らずに、困惑した様子でシンに聞き返す。

「いやーほら。僕、見た目だけなら椿よりも年下でしょ?そんな子供にお金の管理を任せるなんて、やっぱり椿の世間体に悪いかなって思ってさ」

「そんなもんかねぇ?まぁいいけど」

 いまいちピンと来ていないようだが、それでもいつまでも財布を出しっぱなしにしているのは良くないと思ったのか、椿はシンから財布を受け取り、さてどこに仕舞おうかと服をゴソゴソ漁って悩んでいると、前から来た人にぶつかられた。

「っと!すいません!」

 反射的に謝る椿は、ぶつかって来た人を見ると、その人物はシンよりも小柄で、深い赤色の髪がボサボサに乱れている子供だった。年齢は10歳前後だろう。

 その子供は、貧相な身体に所々破れてボロボロになった灰色の半袖シャツと、つぎはぎのカーキ色の半ズボンを着ていて、シャツと同じ色の靴を履きダッシュで北東方向に延びる路地に走り去っていく。

 椿に対して、捨て台詞を吐きながら。

「邪魔なんだよ!バーカ!!」

「なっ!」

 子供ならではの高い声だが、少女のものよりは低い事から、少年だと推測出来る。

 その少年から、謝罪では無く(ののし)られて絶句する椿に、シンがツンツンと椿の腕をつつく。

「何!?」

 八つ当たり気味にシンに向かって怒鳴るが、シンは憐れみを浮かべた表情をして、無言で椿が財布を持っていたであろう手を指差す。

 その手を見て、椿は息を呑む。

 財布が無くなっていた。

 そしてすぐに、先ほどぶつかってきた少年が盗んで行ったのだと理解すると、椿は頭に血が昇るのを感じる。

「あ、のガキィ!!!!」

 すぐに少年が走り去った路地に目を向けると、まだ少年の後ろ姿が確認出来た。

 椿は額に青筋を浮かべ、鬼の形相で駆け出すと少年を追いかけ始め、その椿の後ろをシンが走る。

「野郎、目に物見せてくれる!」

 ドスの効いた声で椿は呟くが、実年齢の影響か、言葉のチョイスが古い。

「あんまり熱くならないでね」

 シンの忠告すら耳に入らないほど激怒しているらしく、それに答えること無く、椿は無言で少年を追いかけ続けた。


 大通り近くならば少ないながらも人がいたが、北東に進めば進むほど人はまばらになっていき、今現在椿達が走っている路地には、不自然なほど人が見当たらない。

 加えて言うなら、周りの建物がどんどんと(すさ)んでいき、倒壊している家屋や廃屋が増えている。

 どうやら貧民街(スラム)に入ったみたいだが、椿は頭に血が昇っているせいで、その事に気がついていない。


 少年を追いかけ始めて数分ほど、幸いにもすぐに追いかけたおかげで、相手が路地を曲がっても見失うことは無いが、全く追いつける様子が無いことに椿は疑問を抱く。

 言っても未成熟の少年と全盛期の椿。

 全速力で追えばすぐに捕まえられると考えていたのに、捕まえるどころか距離さえ詰められないのは妙だ。

 息も徐々に上がってくる。

 好転しない状況に、椿がさらに苛ついていると、いつの間にか並走していたシンから話しかけられた。

「椿!回路(パス)にマナを通して、マナを足に集中させて!」

「は?!」

「あの少年はソレをやってるから追いつけないんだ!流れているマナを、足に重点的に回すイメージでいけるから!」

 シンは有無を言わさない調子で告げると、椿を追い越し、さらに速度を上げて少年を追尾し始める。

 シンの意図する事がわからないながらも、椿は走りながらシンの助言に従って、朝に教わった通り、自らの回路にマナを通す。続いてそのマナを足、股関節から下に集中して流れるようにイメージすると、途端に椿の走る速度が飛躍的に上がった。


 回路にマナを通すことで基本の身体能力が上昇。

 そのマナを足に集中させることで、地面を蹴る力とそれを支える足の筋肉の強度も上がる。

 結果的に歩幅が大きくなるので、走る速度も当然上がるという理屈だ。

 強化魔法ほどの効果は得られないが、今は少年を捕まえるのが目的なので、これで十分だろう。


 椿は急に速度が上がったことを驚くよりも先に、これでようやく盗人(ぬすっと)を捕まえられるという事に高揚感を覚える。

 特に先ほどよりも足の回転率を上げたわけじゃないのに、前を走るシンにグングン近づくと、そうしてまた並走して少年を追う。

 少年はチラッと後ろを見て、いつの間にか椿達があと少しで、手を伸ばせば自分に触れられる位置にいることにギョッとする。

 なお一層速度を上げようと少年が足に力を入れた所で、少年より一足早くシンが跳躍して、少年の頭上を軽々と飛び越え、その行く手を阻む形で着地した。

「はい。ストーップ。鬼ごっこはおしまいだよ」

 必然的に足を止めざるを得ない少年。

 前にはシン。後ろには般若(はんにゃ)の如き顔でノシノシと近づいてくる椿。

 両脇は高い建物に(さえぎ)られ、逃走できる道は絶たれていた。

 少年は盗んだ財布を握りしめて、前に後ろにとおたおたしていると、椿はその頭をむんずと掴んで自分に向き直らせる。

 そこには、目はこれっぽっちも笑っていないのに、菩薩のように静かに微笑んでいる椿がいた。

 椿の表情と感情が全く一致していないアンバランスさに、少年はひっと息を詰まらせて固まるが、すぐに負けてたまるかと言わんばかりに、涙目になりながらも鋭く椿を睨む。

 改めて真正面から少年を見ると、全身埃に(まみ)れ垢だらけだったが、その下に覗く素顔はなかなかの美少年だ。

 パッチリした焔の様な(あか)い目に、通った鼻筋、小さな口。それらがバランスよく配置されている。

 髪を整え、身体を綺麗にしてからそれなりの服を着せれば、女の子に間違われてもおかしくないだろう。

「しょうねーん。謝るなら今のうちだよー」

 シンが間延びした声で少年に忠告するも、応じる気配はない。

「うっせぇな!離せよ!クソババア!!」

 次の瞬間、椿は真顔になり少年の頭を掴んでいた手を離すと、今度は顎を掴み上げる。

 互いの(ひたい)が触れそうなほどの至近距離で、椿は少年と目を合わせると、地の底から響く様な声色でキレた。

「人の物を盗んでおいて、なんだ?その偉そうな態度は。まずは‟ごめんなさい”だろうが!大体、私は今17歳で、クソでもババアでもねぇ!!」

「あ、椿が一番怒ってるのソコなんだ」

 シンが突っ込むも、誰も反応してくれないので、若干寂しい思いをしながら口出しするのをやめて、引き続き成り行きを見守ることにする。

「と言うか、人から物を盗っちゃいけませんって親から教わらなかったのか?」

 椿のその言葉に、顎を掴み上げられつま先立ちになりながらも、少年は一層の敵意を込めて椿を睨むと、絞り出すように()らす。

「・・・親なんていねぇよ。母ちゃんはオレを産んですぐ死んだし、父ちゃんもずっと前にどっか行っちまった。だから!オレは生きていくために金が必要なんだ!」

 最後は叫ぶように言うが、椿の表情は少しも変わらない。

 椿はパッと顎を掴んでいた手を離し、冷めた目で少年を見下ろした。

「へー。とりあえず、私は長ったらしい説教とか嫌いだし、してやるつもりも無いけど、これだけは聞かせて。あんた、逆の立場でも同じこと言える?」

「は?」

「あんたが金を持ってる立場で、それを他人に盗まれて、同じようなことを言われても納得出来るか聞いてるの」

「っ!それは・・・」

 椿の質問に答えられない少年は、目を逸らして顔を歪め、手元の財布に視線を落とした。

「・・・・・・。まぁ、どっちでもいいけど。とにかく、財布は返してもらうから」

 言うがいなや、少年が握っていた財布を奪い返す。

 中身を確認すると、盗まれる前と変わりなく銀貨と銅貨が入っている。

 少年は地面にへたり込み、(うつむ)きつつ呟いた。

「・・・なんだよ。別にいいじゃんか」

 その呟きが聞こえたのか、椿は少年を見る。

 少年は勢いよく顔を上げて椿を見上げると、怒りと悔しさで表情を歪め、紅い目に涙を溜めながら訴えた。

「その服装からして、あんた裕福なんだろ?金なんてまた簡単に稼げるだろ?オレみたいな貧民街の人間は、まともな職につけないんだ!だったら別に」

 そこまで言った所で、辺りに乾いた音が響き渡る。

 見ると、椿が少年の頬を平手打ちしていた。

 赤く染まった左頬を手で押さえながら呆然とする少年に、椿はやはり無表情で財布の中から硬貨を適当に掴むと、投げつける。

 少年の身体にぶつかった後、硬質な音を立てて地面に落ちる銀と銅の貨幣。

「拾いなよ。欲しいんでしょ?それ」

「っっ!!ふざけんなっ!!」

 カッと激昂して叫ぶ少年に、椿も怒鳴り返す。

「ふざけてんのはテメェだ!‟金なんて簡単に稼げる”だぁ?どんな職だって‟簡単”なんてねぇんだよ!真っ当な人間はな、楽に見えたとしても、みんなリスクやストレスと戦いながら稼いでるんだ!自分の不幸な境遇に酔って甘えて、他人を(ねた)んで犯罪に走ってるガキが、知った風な口をきくな!!そら、拾えよ。稼いだ金も盗んだ金も、投げ捨てられた金も、どれも金には変わりないだろ」

 一気にまくし立てると、そのおかげで頭が冷えたのか、椿は重いため息を吐く。

「はぁ・・・。説教すると、体力持っていかれるから嫌だったのに・・・」

「椿、そろそろ。陽が暮れちゃうよ」

 ひと段落ついた所で、今まで黙って見ていたシンから声がかけられる。

 空を見上げると、陽はかなり傾いているのか、椿達のいる場所からは確認できず、だんだんと濃さを増す青い世界に、夜特有の冷たい風が吹き始めていた。

「あんた、名前は?」

 声の出どころは少年だ。

「椿」

「ツバキ。オレはヴァン。あんたの事、忘れないから」

 少年、ヴァンの目には怒りだけでない何かが浮かんでいたが、それは複雑すぎて読み取ることは難しい。

 椿を真っ直ぐ見てそう言うヴァンに、椿は服のボタンを2つ目まで外して、内ポケットに財布を仕舞いながら見返すと、平坦な声で返答する。

「それはどうも」

 と、突然シンがドサッと(うつぶ)せに倒れた。

「・・・え?シン!?どうし」

 椿は倒れたシンに駆け寄ろうとして足がもつれ、一歩も進むことすら出来ず、地面に膝と手をついて這いつくばってしまう。

「な・・・ん・・・」

 状況が判断できず、目の前にいるヴァンを見ようとするが、視界が歪んでいるせいで視点が定まらず、そのまま横に倒れこみ何が起きているのか理解できないまま、それっきり椿の意識はプッツリと途絶えてしまった。



------------------------


 ヴァンはスッと立ち上がると、ズボンのポケットから小さい灰色の袋を取り出す。

 その袋は彼が依頼主から受け取ったもので、恐らく遅効性の麻酔香か何かなんだろうが、詳しい事は聞いていないのでわからない。

 ただこれを持って、この路地まで二人をおびき出し、香の効果が出るまで時間稼ぎをしろと言われただけ。

 ヴァンに効き目が表れないのは、事前に貰った中和薬を飲んでいたからだ。

 その中和薬も、時間的にそろそろ切れる頃合いなので、自分に香が効いてくる前に処分しなくてはならない。

 ヴァンは小袋の(ふち)を摘むと、小さく魔法陣を展開する。

「燃えろ」

 魔法陣が消えると、ボッと音を立てて赤い焔が袋を飲み込み、中に入っている香ごと焼いていく。

 その様を見ながらヴァンは、無臭なのに香と呼んでいいのか?とささやかな疑問をぼんやりと考えつつ、小袋が燃えていく様子をじっと眺める。

 やがて縁近くまで焔が来ると、ヴァンは手を離して袋だった物を落とすが、それは地面に落ちきる前に燃え尽きて消えた。後には灰すら残っていない。


 その後、ヴァンは椿の胸元に手を突っ込んで財布を取り出し、地面に散らばったままの銀貨と銅貨を拾って中に入れていく。

 顔に罪悪感なんてものは微塵も浮かんでいないが、財布を盗んだ自分を憐れむでも(さげす)むでも、まして暴力を振るうでも無い、真っ当に叱った椿に対して複雑な感情を抱いたのは確かだ。

 この感情の正体をヴァン自身も把握しきれず、モヤモヤとした気分で硬貨を拾い続けるも、今は仕事中だと言い聞かせて、考えることを放棄する。

 全部拾い終わった所で、シンのいた場所から数メートル奥の路地から小ぶりの馬車が出てきて、倒れているシンの手前まで来て停まった。


 貧民街に不釣り合いなこの馬車は、茶色い馬2頭立てで、外装は白く塗られ所々ある金具は全て金で出来ている。

 定員2名程の小さな馬車ではあるが、それは先刻見かけたエルンドラ一家が乗っていた物によく似ていた。

 馬を操る灰色のロングコートを着た御者は、同色の帽子を目深に被っているので人相まではわからないが、服を着ていてもわかる鍛えられた大柄な体躯から、男であることは推測できる。


 ヴァンが椿の財布を自分のズボンのポケットに押し込むのと同時に、御者が馬車から降りてきて戸を開ける。

 まず初めに、転がっているシンの(まぶた)を指で開き目の色を確認すると、その身体を片手で持ち上げて、馬車の中に無造作に放り込む。

 その後、ヴァンに向かって歩いてくるが、ヴァンが逃げる素振(そぶ)りも慌てる様子も無い事から、この御者がヴァンの依頼主であり、香の入った小袋を渡してきた張本人だというのがわかる。

 ヴァンは自分の目の前に来た御者に向かって、手の平を上にして右手を突き出した。

「依頼通り、この二人をここに誘い出して眠らせた。報酬の(かね)をくれ」

 御者は無言でコートの内ポケットから白い布を取り出し、ヴァンに手渡す。

 早速報酬の確認をする為に白い布を広げた瞬間、御者は袖に隠し持っていた長さ10㎝の針でヴァンの首を刺す。

 とは言え、殺す為に刺したのではなく、針に塗られた麻酔薬でヴァンを昏睡させ、椿達と一緒に連れ去る目的だからだ。

 その為、針を引き抜いても血は薄っすらとしか出ていない。

 彼が主人から命じられたのは、薄紫銀の髪を持つ女と、金色の目をした少年。そして適当に貧民街の人間を一人連れてくる事だった。

 ヴァンを連れて行けば金を払わずに済み、かつ口止めと証拠隠滅の全てが出来る。そう判断して、彼は行動に移した。

 針を首に刺された刹那、ヴァンは目を見開き御者の男を愕然と見ると、声を出す間もなくそのまま意識を喪失して御者に倒れこむ。

 手にしていた白い布から金色の硬貨が3枚、甲高い音を立てて地面に転がる。

 御者は自分に倒れこんでいるヴァンを左脇に抱えてから、地面に転がっている金貨3枚と白い布を回収し針と共に懐に戻すと、馬車に戻りシンの時と同じく雑にヴァンを放り込んだ。

 最後に、椿だけは横抱きにして運び、丁寧に馬車に乗せる。

 相変わらず周りには不自然なほど人の気配は無い。

 それもそのはずで、ヴァンに依頼した時には、すでにこの周辺は人払い済みだったからだ。その為にかかった費用は既定の範囲内。さらにヴァンに払う予定の金は、必要なくなったので、結果は黒字。きっと主人も喜ばれる事だろう。

 御者は帽子の下にある顔を満足気に歪めて笑うと、自らのすべき事を全て終えた事を確認し、馬車の戸を閉めて御者台に座り、手綱を(さば)いて宵闇迫る貧民街から、南地区にある主人の館へと馬車を走らせて行った。

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