再会と食事と
椿とシンは1階に降りて受付にいる女性に、昼食を取りに外に出ることを伝えると、眷属狩り支部を後にする。
外に出ると陽は頂点に達していて、気温も汗ばむほどになっているが、爽やかに吹き付ける風が、それを不快にさせない。その風の中に潮の香りが混じり、椿の鼻腔をくすぐる。
支部の扉を開けた先には大きな噴水があり、その噴水を中心に道が十字に造られている為、この中心地である中央区は4つの区画に分けられていた。
支部から見て、噴水を挟んだ反対側に行政機関なのか水色のかなり大きい庁舎が建っていて、高さと奥行きは支部より一回り大きく、横幅は支部を2つ繋げたぐらい広い。それと全く同じ造りの建物が、道を挟んだ隣にもう一つある。その両方の建物に多くの人が出入りしていた。
さらに道を挟んだ隣、つまりは支部の右隣だが、そこを見ると支部に負けるとも劣らない大きさの白い豪奢な建物が建っていて、恐らくはこの街の長の館なのだろう。使用人らしきメイド服を着た妙齢の女性が、玄関前を箒で掃いて掃除をしていた。
椿とシンはとりあえず、噴水前に設置されている案内板に歩みを進めるが、椿には読めない文字で書かれているので、あまり役に立っていない。
ただまあ、案内板に描かれている目印のおかげで、何となく今いる場所はここかな?程度の物だ。
支部の出入り口は東方向を向いている為、出て真っ直ぐに進めば東地区へと行くことが出来る。
とりあえずシンが、商店や飲食店が密集している東地区城門付近に行くことを決めると、シンを先頭にして歩き始めた。
歩き出して少ししてから、椿が目の前を歩くシンに向かって訊ねる。
「ねぇ、シン。自動翻訳が働いているのに、どうして文字が読めないの?」
「そりゃあ椿が言ったのが、‟言葉が通じる”であって‟言語が通じる”じゃなかったからさ」
椿は眉を寄せてシンに聞き返す。
「何が違うの?」
「‟言語”は言葉と文字の両方。‟言葉”は文字通り言葉だけ」
「へぇ~。今からでも言語に変更って出来ないの?」
シンは振り返り、後ろ向きで歩き始める。
「無理かなぁ~。願い事はすでに叶えられてしまったし、何よりあれは、この世界に落ちる前のボーナスタイムみたいなものだったから」
「そう・・・。」
残念そうに言う椿に、シンは椿の真正面に移動してくると、笑顔を浮かべてフォローする。
「まぁまぁ!そんなに落ち込まないでよ!文字ぐらい僕が読めるんだし、わからなかったら僕に聞いてくれればいいからさ!」
椿は、ふむ。と考えると、その言葉を呑んだ。
「なら、その時は遠慮なく。ところで、話は変わるんだけど、魔法ってどうやって使うの?」
シンは目を丸くして、あ!というと今度は椿の隣に並んで歩く。
「忘れてた!そう言えば、使い方を教えてなかったね。簡単だよ。全身を流れる回路にマナを通して、使いたい魔法を思い浮かべ、その後言葉にして放つだけ」
「回路?どうやってマナを通すの?」
シンは足を止めると、椿の胸、心臓のある部分を指差す。
「血流と一緒だと考えるとわかりやすいかな。心臓がマナを溜める場所だとすると、そこから血であるマナを全身に行き渡らせる。ホースに水を流すイメージでもいいかもね。さ、やってみて!」
「やってみてって・・・」
困惑する椿に、目を瞑りながら助言を続けるシン。
「とにかく、イメージすることが大切だから!ほら想像してごらん!」
しぶしぶ椿も目を瞑ると、想像する。
血管の様に全身を巡る回路。マナを貯蔵している器官を。そしてそこから蛇口を捻り、水の如くマナを回路という名のホースに流して、全身に行き渡らせる。
そう想像しただけで、体温が上がったような、身体が軽くなったような感じがする。
椿が目を開けると、視力も良くなったのか、かなり遠くの看板まで鮮明に見ることが出来た。
隣にいたはずのシンは、いつの間にかまた椿の目の前に移動していて、椿の身体を見通すように上から下まで見ている。
「うんうん。ちゃんとマナが通ったね。その感覚を忘れないでね!魔法を使うには、まず回路にマナを通さないと始まらないから。それだけでも、基本の身体能力が上がるから、慣らすためにもちょこちょこ使ってみると良いよ!じゃ、次は使いたい魔法をイメージして!そうだなー・・・。単純なのがいいから、枝に火を点けてみようか!」
そう言いながら、シンはおもむろにしゃがむと、道に落ちていた手のひらほどの長さの枝を拾い上げる。
「はい!この枝の先に火が灯るイメージをして!」
言われたとおりに想像する。
枝全部が燃える炎ではなく、枝の先にだけ、蝋燭に灯るような小さな火を。
「イメージが決まったら、それに対応した言葉を発して。椿が一番わかりやすい、それでいてイメージがぶれない言葉でね」
椿は言葉を発するために口を開く。
「灯火よ、点け」
その瞬間、枝の先に小さな金色の魔法陣が現れ、そしてすぐに金の粒子を残して消える。
枝の先には、椿が想像した通りの、小さな火が灯っていた。
「すごい・・・。本当に出来た。こんな簡単に・・・」
呆然としながらも嬉しそうに言う椿を見て、シンも笑顔で喜んだ。
「上手い上手い!おめでとう、椿!見事成功したね!慣れれば、回路にマナを通すなんて息をするのと同じぐらい簡単に出来るようになるから!で、魔法は基本的にこんな風に使うんだ。大規模な魔法になると、もっと緻密なイメージと太くて頑丈な回路が必要になるから、今の椿には無理だけど、魔法を繰り返し使ってれば回路は勝手に発達していくから、そのうち使えるようになるよ!」
シンは火の点いた枝をブンブン振って消化しながらそう言うと、また椿の前を歩き始めた。
「シン。あなたは魔法は使えないの?」
「もちろん使えるよ!」
快活に笑い、枝を振って否定するシンに、椿は首を傾げる。
「でも、アズールさんに傷を治してもらってたよね?」
椿のその疑問に、シンは肩を落としてため息を吐くと、疲れたように答えた。
「まったく使えないわけじゃないけど、苦手なんだぁ・・・。ただ壊すだけの攻撃魔法と違って、治癒魔法は面倒なんだよねぇ」
「そうなの?」
持っていた枝を指揮棒の様にピッと立てると、苦手な理由を説明し始める。
「そ!負傷した部位を特定して、そこからその部位に合わせた修復作業に入るから、人体に詳しくて繊細な作業が得意な人じゃないと難しいんだよ。僕には向いていない!」
「なら、私にも難しい?」
「切り傷とか打ち身程度の軽傷なら治せると思うけど、それ以上は厳しいと思うよ。まぁ膨大なマナがあれば、それにものを言わせて強引に治すことも出来なくもないけど・・・」
「膨大なマナ・・・」
と言われてもピンと来ないのか、依然表情は曇ったままの椿。
「そうだなぁ・・・。熾天使クラスなら出来るんじゃない?」
「熾天使・・・」
「智天使もギリ出来る・・・かな?」
「智天使・・・」
「それ以外にも一部の堕天した人達とか、王クラスの堕天使とか・・・。こう考えると結構いるなぁ」
そこまで話してシンが後ろを振り返ると、そこには今にも頭から煙を出しそうな勢いで情報を処理している椿がいた。
「ここら辺の話はより複雑になってくるから、また今度にしよっか。今は僕にも椿にも、治癒魔法は軽傷までしか使えないって事を理解してくれてればいいよ!」
苦笑しながらシンはそう言うと、最後に魔法を扱う際の注意点を伝えた。
「とにかく!魔法は確固たるイメージが大事なんだ!この想像が必ず現実に反映されるって意志によって魔法は発動する。だから、もしも発動しなかったらとか失敗したらとか考えないようにね!その通り、失敗しちゃうから」
それからも、フードを目深に被ったシンについて行く椿は、街の様子が物珍しいのか、しきりに辺りを見回している。
街は石畳の道と赤茶けたレンガ造りの高い建物が壁の様に連なっていて、中世ヨーロッパに似た街並みをしていた。
違うのは、遠くに見える城壁の上から、街を波の様にさざめきながら覆う、金色の粒子で出来たドーム状のものぐらいだ。金の波の向こうには綺麗な青い空が見てとれる。
不思議に思った椿が、上を見ながらそのドーム状の物の事をシンに聞く。
「ねぇシン。アレ何?」
シンは振り返り、椿の視線の先にあるものを見て、あぁと説明する。
「あれは結界だよ。眷属避けの結界。ま、気休め程度の威力だから、どの程度効果があるのかは知らないけどね」
「へぇ~、結界・・・」
相変わらず上を見て歩く椿に、シンが呆れて声をかける。
「椿、ちゃんと前を見て歩かないと人にぶつかるよ」
「ん~」
波の様に揺らめく金の粒子が余程気に入ったのか、生返事をしながらそれでも上を見続ける椿。
それからもしばらく歩き続け、そろそろ足が痛くなってきたなと思っていた所で、東地区の入り口に到着する。
ちょうど昼時の為、中に進めば進むほど人口密度が増していって、二人は喧騒に囲まれる。
さすがにこの状況だと、椿も街を眺めている余裕は無いため、必死に前を行くシンに追い縋るが、シンは気がつかないのかスイスイと器用に人を避けて先に進んでしまう。
待ってと声を出そうとした瞬間に、前方から来た旅人の集団に流されてしまい、椿はシンからさらに離されてしまった。
流され続けること数分。ようやくその集団から抜け出し解放されたが、そこは大通りから外れた路地で、シンはおろか人影すら見当たらない。
薄暗い路地で、自分がどこから来たのか、現在地も目的地の場所もわからない椿が途方に暮れていると、後ろから突然声がかけられた。
「おい、あんた」
「―っっ!!」
息を呑み、ビクッと身体を震わせると、椿は恐る恐る後ろを振り向く。
そこには、一見すると山賊にしか見えない大男と、4人の見知らぬ男達が立っていた。
一人は背中に鈍色の武骨な大剣を背負った山賊風の男。一人はフルプレートを着用した焦げ茶色の髪を持つ柔和な顔立ちの男。続いて、青いローブを着て灰色の髪をした男に、レザーアーマーの上から深緑のマントを羽織り、弓を持つ紺色の髪の男。最後に薄茶色の髪で、茶色いシャツの上からチェインメイルを着て、腰にポーチと短剣を4本下げた男の計5人だ。
大男とフルプレートの男以外、年齢は20代ほどだろうか。
その大男、ガイは椿の姿を真正面から確認すると、破顔した。
「やっぱりあんたか!身体はもう平気なのか?」
ガイは昨日の件もあり、椿の事を見知っていたが、椿からすれば見も知らぬ人。しかも外見は山賊のような風体をした大男から声をかけられるなど、現実世界でも無かった事。
いくら親しげに話しかけられても、警戒して身体が硬直してしまうのは仕方がないだろう。
「ど・・・どちら様でしょうか?」
硬い声でガイに聞き返す椿の顔は、笑顔を作ろうとして失敗し、引き攣ってしまっている。
「おいおい、どちら様って冷てえなぁ!確かに、俺達ぁ見てるだけしか出来なかったが、重傷を負ったあんたをこの街の支部まで運んだのは俺なんだぜ?」
「そっそう仰られましても、私はあなたの事を存じ上げません。誰かとお間違いなのでは?」
警戒心の表れなのか、それとも相手の機嫌を損ねない為か、椿は尊敬語でガイに返してしまう。
「いやいや!その独特の服と言い、その髪と言い、あんたに間違いねぇ!」
ビシッと椿に向かって指を差しながら、ズンズンと距離を詰めるガイ。
恐怖と警戒心から、無意識に距離を離そうとして後ずさる椿を見て、副官の男と周りの仲間たちがガイに駆け寄って制止する。
「ガイさん、落ち着いてください。彼女が怯えています。あなたはただでさえ風貌が厳ついんですから、もっと優しい物言いでないと」
「そうですよ!リーダーは山賊や野盗とよく間違われるぐらい強面なんですから!」
「女性には丁寧に接しろと母から教わっています」
「この状況、俺だったら速攻で逃げてますね」
「あぁもう!!うるせぇ!!わぁったよ!!近寄らなきゃいいんだろ!!」
次々と矢継ぎ早に仲間たちから責められたガイは、頭がパンクしたのか激昂してそう言い放つと、鼻息荒く元いた位置へノシノシと戻っていく。
ふぅっとガイを除く一同が落ち着いたところで、副官がゆっくりと椿に近づき、穏やかに声をかけた。
「怖がらせてしまった様で申し訳ありません。お嬢さん。自分達は眷属狩りの者でして、決して怪しい者ではありません。こちらの強面の方はガイ。自分は彼の副官を務めているキールと申します。よろしければ、あなたのお名前を教えていただけますか?」
キールの物腰が柔らかい為か、それとも名乗られたからにはこちらも名乗らねばと思ったのか、未だ若干緊張しながらも椿は自己紹介をする。
「椿・・・です」
「ツバキ、ですか。不思議な名前ですが、美しい響きをしていますね」
現実世界でも名前を褒められることなど無かった椿は、キールにそう言われどう反応すればいいのか分からず、微妙な表情をしながら、とりあえずお礼を言うことにした。
「はぁ・・・。ありがとう・・・ございます」
その返答にキールは優しく微笑む。
「ツバキさん。自分たちは昨日、あなたに助けられたのですよ。普通であれば、あの装備で低1級と相対して無事では済まない。それをあなたは瞬く間に倒してしまった。恐らく無理をして高威力の魔法を使ったのでしょう?結果として、自分たちは誰一人傷を負うことなく無事でしたが、あなたは重傷を負ってしまった。そのあなたを、ガイさんが支部まで運んだんですよ。覚えておいでですか?」
それを聞いて椿は、彼が話しているのが、椿の身体を使って眷属を倒したシンの事だと気づく。
「あ、えっとそれは・・・」
そこまで喋ってから、どう説明しようか躊躇して止まってしまう。
キールは途中で固まってしまった椿を見て、心配そうに話しかけた。
「もしかして、あの時の怪我が原因で、記憶が曖昧なのですか?」
「え?えぇ・・・と、そうじゃないんですけど、すいません。ちょっと説明が難しくて・・・」
結局、椿はそう言いとどめて置く。
そんな煮え切らない椿の態度に、気を悪くした様子も無く、キールは軽く頭を下げて礼を言った。
「さようですか。どちらにせよ、自分たちはあなたに助けられた。あの時はありがとうございました」
「あ、いえ!こちらこそ!怪我した私をここまで運んでいただいたようで、ありがとうございました」
ガイ達に向かって腰を折り礼を言うと、ガイは照れ臭そうに頬を指で掻きながら、そっぽを向いてしまう。
その様子を、キールを含めた仲間たちがニヤニヤしながら見ていた。
ガイはその視線に気づいて、拳を振り上げ仲間たちを殴ろうとするが、笑いながら避けられてしまう。
やがて、仲間たちにお仕置きすることを諦め、ガイは力なく拳を下ろすと、椿を見つけた時からずっと疑問に思っていたことを訊ねる。
「そういやあんた、こんな何もない路地で何してんだ?」
「あ、実は連れとはぐれてしまいまして、東地区の大通りにご飯を食べに行く途中だったので、その辺りにいると思うんですけど、道に迷ってしまって・・・」
「東大通りで飯ってーと、飲食店が固まってる城門辺りか?ちょうど俺達もそこで昼飯を食うところだったんだ。ついでだから案内してやるよ。ついてきな」
「え、でも」
戸惑う椿にキールがガイの提案を後押しする。
「無理にとは言いませんが、良かったら一緒に行きましょう。この街はなかなか複雑な造りをしていますし、土地勘の無いツバキさんが一人で大通りまで迷わずに出るのは大変なのでは?」
「そうそう!もしも間違って貧民街にでも入ってしまったら、スリや強盗に目をつけられてしまうからね」
「下手したら奴隷商人に攫われてしまう可能性もあります」
「バラされて臓器を売られるなんて話も聞くぞ」
キールに続いて仲間たちも援護射撃とばかりに話し始めるが、途中でキールがそれを押しとどめた。
「脅すような事を言うのはやめなさい!決めるのは彼女です!」
「今の話・・・」
椿は怯えてキールを見るが、キールは首を振り真剣な表情で仲間たちの話を肯定する。
「嘘だとは言いません。その手の話を聞くことは多々ありますから。それに、知り合って間もない自分たちの事を信用しろなどと無理も言いません。ですが、せめて大通りに出るまででも良いので、一緒に行きませんか?」
「ガイさんは野盗もかくやという顔つきだからな」
短剣を4本下げた男が、いたずらっぽくガイを見ると、ガイはその男に大股で近づき、むんずと首根っこを掴まえて近くの路地に連れて行く。
数秒後、連行されていった路地から悲痛な悲鳴が聞こえてくるが、それを無視してキールは優しい笑顔で、いかがでしょう?と再度椿に聞いてきた。
キールの真摯な言葉と態度に、多少考えはしたものの結局椿は頷くと、その提案に乗る事にした。
「よろしくお願いします」
------------------------------
同じ頃、執務室で機械さながらに淡々と書類を捌いていたアズールに、来客を知らせる旨が伝えられる。
来たか。と思い、客人を応接室に通すように指示すると、アズールは重い腰を上げた。
正直に言って、アズールはこの客人が苦手だ。出来れば会いたくないし、関わりたくもない。だがこれが仕事、特に救世主に関わる事なら、そんなことを言ってられるはずも無い。
アズールはその顔に似つかわしくない、重く深いため息を吐くと、執務室を後にした。
朝方、椿とシンの二人と話をした応接室。その左手の窓近くに真っ白い人がいる。
人、というには語弊がある。なにせその人物の背中には、大きな3対6枚の純白の羽が生えているからだ。
外見年齢は20代前半程度。真っ白い肌にアズールと同じく中性的な顔。背丈や体付きから推測するに、恐らく男性だろう。
定規で引いたかのような、真っ直ぐな白銀の髪は膝裏まで伸びていて、痛みの無い美しい髪に艶が光りを反射して輪を作り、頭上には銀色の輪、天輪が浮かんでいる。
その鋭い目は、冴え冴えと青く、銀の虹彩が散っていた。
どんな美男美女であろうと裸足で逃げ出す容姿端麗な姿は、まるで高名な芸術家が丹精込めて造りあげた人形を思わせるが、その目はガラス玉の様に感情が欠落している為、より一層人形感が増している。
その身には、背にある羽と同じく純白のローブを着て、腰を一本の紐で結んでいた。
ローブは足元を隠すほど長く、袖も指がかろうじて見えるほど長かった。
「お久しぶりです。ウリエル様」
部屋に入ったアズールが開口一番に挨拶をするが、ウリエルと呼ばれた天使はそれを無視すると、感情の無い声で端的に要件を口にする。
「神子はどこですか?」
「現在、市井に食事に出ております。夕刻までには戻るかと」
「そうですか」
そう言うと、ウリエルは窓の外へと目を移した。
「ウリエル様、わざわざここまでおいでいただかなくとも、神子は近日中に王都までお送り致します。あちらでお待ち下さっても・・・」
その言葉に視線を動かすことも無いまま、ウリエルはやはり抑揚の無い口調でアズールに問いかける。
「アズラエル。私がここにいる事に何か問題でもあるのですか?」
かつての捨てた名で呼ばれて、思わず顔を不快気に歪めるアズールは、ウリエルの質問に答えるよりも先に名前の訂正を求めた。
「ウリエル様、今の私の名前はアズールです。どうかお間違え無きよう」
「あぁ、そう言えばそうでしたね。失念していました」
つまらなそうにウリエルは言うと、氷の如き目でアズールを一瞥してから、またすぐに外を眺め始める。
アズールは、ウリエルのこの性格が苦手だった。
他の天使達も似たり寄ったりとは言え、ウリエルのそれはなお酷い。無自覚に人を不快にさせ、傷つけ、そのことを指摘しても反省も後悔も、まして改善などと考えもしない。神の教えや言いつけが全ての盲目的で独善的な考え。その考えを変えることも無く、むしろ人に押し付けてくる。
まさしく、神の人形とでもいうべき天使。
まぁ、その思考に支配されているのが嫌だったからこそ、自分は堕天したのだったか。
アズールは思わずそう感慨に耽ってしまうが、ウリエルの質問にまだ答えていない事を思い出す。
「ウリエル様がこちらにいらっしゃられる事に問題などありませんが、神子はこちらに来てまだ間がありません。そう立て続けに説明されても、困惑しましょう。彼女が王都へと行く際、私も一緒に戻りますゆえ、その時にゆっくりと教えて差し上げるつもりです。その点におきまして、ウリエル様は性急に過ぎます。神子の精神面を鑑みて、どうか王都にてお待ちいただきたく思います」
ウリエルには、朝、椿達と別れた後すぐに専用の通信装置を使い、その出自についてざっくりと報告してある。
椿が異世界人であること、シンという少年は、髪色の事を伏せて知らせている。
シンという少年。少ししか会話出来ていないが、その髪色と言い言動と言い信用も信頼も出来ない。話をしていて、どこかウリエルに近いものを感じたからだ。自らが信じる者以外に無関心で無感情な気質・・・とでも言えばいいのか・・・。
だが、ことツバキに関する事だけは信じられる。真実、ツバキの味方かと問い、睨み合ったあの数舜でそう断言できるぐらいに、シンの目は本心を語っていた。
つまり、シンにとって本当に信じている者がツバキという事だろう。
もしも、ウリエルがシンの髪色を見たら、まず間違いなく殺そうとする。黒血の有無など歯牙にもかけないだろう。ただ黒色が発現している、それだけで処分対象に振り分けて、迷わず実行する。
ツバキとシンは精神面で深く結びついている様子が伺えた。シンが無残に殺害されるのを見て、彼女がどういう反応をするのか、想像に難くない。
そんな事態だけは、なんとしても避けたい。ウリエルに会わせる前に、シンの髪色をなんとかしなければ。
アズールは、椿が情報過多で四苦八苦しているのも、もちろん気遣っているが、それ以上にウリエルを王都に引き上げさせたい理由がここにあった。
表情は平静を装ったまま、ウリエルの返事を待っていると、やがてウリエルは外を見るのをやめて、アズールへと身体を向けた。
「・・・・・・いいでしょう。あなたがそこまで言うなら、王都までの神子の処遇はあなたに任せます。ですが、こちらにも予定があります。7日以内に王都まで来るように」
なんとか、ウリエルを引き上げさせる事が出来て心底安堵するが、それを表に出さないように注意して、右手を胸付近に当てて深く腰を折り礼をする。
「かしこまりました」
顔を上げると、そこにはもうウリエルの姿は無く、白い燐光が残されているだけだった。
アズールは短く息を吐くと、ウリエルが見ていた窓へと行き、同じように外を見る。
なんてことは無い、ただの平凡な街並みだ。特筆すべき点など見当たらない。
それでもアズールはこの街が気に入っている。人々の往来、活気ある声に海の匂い。馴染みの狩人たち。
ウリエルはこの景色を見て何を思っていたのか。いや、何も感じてはいないのだろう。ウリエルの目は景色を映しているだけで、見てなどいなかったのだから。
ウリエルの性格に期待や希望など既に捨てているが、それでもかつての上司。僅かでも、人の心に寄り添うことが出来れば、と思わずにはいられない。
(あれが守護天使だなどと、ツバキも難儀なことだ・・・)
アズールは椿のこれからの道行きを思い、ひと際重いため息を吐くと、窓から離れ部屋を出て行った。
---------------------------
椿とガイ一行は細い路地を3回曲がると、無事に大通りへと出ることが出来た。
大通りへの道行きで、椿はガイやキール達と会話する中、信用に値すると判断したのか、結局シンを探してもらう流れとなり、シンと行く予定だった城門付近にあるとされる飲食店街に向けて、現在もガイ達と共にいる。
ガイを先頭にして、椿を中央に置き、左右に仲間たちが二人ずつ展開する配置で進んで行くが、大通りはやはり人でごった返していて、ガイの巨体を盾にしながら歩くが、人の波に押されてさっぱり先に進めない。
キールや他の仲間達も椿の盾になってくれて、人混みに流されることも潰されることも無いが、それでも圧迫感は感じるのか、身を縮こませて歩いている。
そのうち、さっぱり前に進まないことに業を煮やしたのか、ガイが椿に声をかける。
「おいツバキ!あんた、とりあえず連れを見つけられればいいんだよな!」
人々の喧騒にかき消されないように、大声でそう言うと、椿も同等の音量で返す。
「はい!シンさえ見つけられたら、後は何とか!」
椿の右隣にいるキールからも声がかけられる。
「何か特徴は無いのですか?!」
「薄茶色のフードを被っていて、少年なので背が小さい事ぐらいしか!」
とは言え、周りは人が大量にいる為、椿やキールはもちろん他の仲間達さえ見つけるのは容易ではない。
それは先頭を歩くガイも例外ではなく、薄茶色のフードを被っている人間なんて、そこここにいるし背が小さいとなれば人に埋もれてしまって、それなりの高さから見ないと見つけるのは難しいだろう。
そうガイは判断すると、唐突にしゃがみ、後ろを歩く椿を肩に担ぎ上げる。
「埒が明かねぇ!肩貸してやるから、あんたが見つけな!」
「え?ぅわ!」
突然、ガイの肩に椅子に座るような形で担がれて驚きに声が出るが、そこから見る景色はなかなか見晴らしが良かった。
ガイの身長は187㎝。そこに座る椿の座高を合わせると、楽に2mは超える。
カラフルな人々の頭髪を見下ろしながらシンを探していると、5mほど先の路地から見慣れた服装をした小柄な人物が出てくるのが見えた。
「シン!」
椿が思わず叫ぶと、その声が届いたのかシンは辺りを見回し、すぐに椿を発見する。
おーい!と手を大きく振る椿に、シンは背伸びをして同じく手を振り返すと、波に乗るようにスルスルと人混みを避けながら椿達の元へ向かった。
1分もしないうちに到着すると、ガイに担がれた椿を見上げる。
「やぁ椿!楽しそうだね!」
椿はガイに肩から降ろしてもらうと、シンの頭を遠慮なく引っぱたく。
「‟楽しそうだね!”じゃない!こっちはシンの事を探してたのに、そっちは私の事を探しもしないなんて!」
叩かれた頭を両手で押さえながら、シンは心外だとでも言うように、不満げな表情で椿を見上げながら訴える。
「ちゃんと探してたよ!ただ、どこら辺ではぐれたのか分からなかったから、いちいち路地を覘いてたら、今度はしつこい客引きに会っちゃって、今の今まで捕まってたの!椿の方こそ、勝手にいなくなっちゃって、心配したんだからね!」
「シンがズンズン先に行っちゃうから、はぐれたんでしょ!?」
「困ったら呼んでって前に言ったよね?!そしたら、すぐに飛んで行けるんだから!」
「初耳よ!」
「椿が忘れてるだけじゃないの!?」
言い争った末、むーっと睨み合う二人に、ガイがやれやれと言った様子で身体を割り込ませて仲裁に入る。
「おいおい、やめろやめろ!とにかくお互い見つけられたんだから、良かったじゃねぇか!」
「誰?このおじさん」
いきなり目の前に立ちふさがったガイを見て、睨みつけるように見上げるシンに、椿が慌てて叱る。
「こら!この人はガイさんって言って、道に迷ってた私をここまで連れてきてくれた上に、シンを探すのも手伝ってくれたのよ!それに他にも」
そこまで言った所で、今度はキールから仲裁の言葉が飛ぶ。
「まぁまぁ!ここで話し込むのは他の人の迷惑になりますし、どこかお店で食事でもしながら話しましょう!」
確かに、道の真ん中で椿とシンが言い争いをしているせいで、往来する人々は迷惑そうな視線をよこしながら横切っていて、通行の邪魔になっているせいか、道の前後で軽い渋滞が起こっている。
「あ、すみません!頭に血が上ってしまって・・・」
「いえ、とりあえずもう少し進みましょう。そうすれば飲食店街に入ります」
「ついてこい」
ガイがぶっきらぼうに言うと、また先頭を歩き始める。さっきと違うのは中央にシンを加えた点だけだ。
そのシンは、今度ははぐれないように椿と手を繋いでいる。
椿はこれまでの人生で、他人と手を繋ぐことはほぼ無かったし軽い潔癖症のせいで、いつもなら他人と手を繋ぐことに違和感を覚えて、すぐに外してしまうのだが、なぜか今現在シンと手を繋いでいても違和感を感じない。
それどころか、妙な心地良ささえある。
やはり元は自分自身だったからか?
難しい顔で、椿の右隣にいるシンを見ながら歩いていると、その視線に気づいたのか、シンが椿を見る。
「どうしたの?」
「・・・別に」
まぁ、不快じゃないならなんでもいいか。と椿は考えることを放棄すると、シンと手を繋いだまま、ガイの後ろを黙々とついて行く。
それから5分ほど歩くと、やがて飲食店がちらほらと見え始めた。肉や魚の焼けるいい匂いと、パンの香ばしい香りが辺りに漂い、思わず喉を鳴らしてしまう。
そこからさらに数分歩き続けると、そこは右も左も飲食店が所狭しと立ち並ぶ一画で、正面を見ればそう遠くない位置に灰色の高い城壁と、今は開かれた大きな城門を見ることが出来る。
城門からは、様々な人や商隊、野菜や麦など食物を乗せた荷車が出入りしているが、椿のいる場所からは行き交う人々に遮られてしまって見ることが出来ない。
並んでいる店の中には露店もあって、串に刺してこんがり焼かれた肉が吊り下がっていたり、素揚げされた野菜や肉まんみたいなものまで置いてある。
それらに目移りしながら歩いていると、目の前を進んでいたガイが足を止めたが、椿は気づくのが遅れガイの背中にぶつかってしまう。
「す、すみません!」
ぶつかった顔を左手でさすりながら謝ると、ガイが振り返る。
「おう。いや、突然止まったこっちも悪かった。で、店なんだがココでいいだろ」
ガイは顎をしゃくって店をさすと、そこはいかにも大衆食堂という店構えで、店の出入り口に扉は無く、代わりに暖簾が下がっていた。
暖簾の隙間から見える店内はだいぶ混雑しているようで、従業員と思われる人たちが忙しなく動いている。
「シーニィですか。いいですね。ここは安くて量も多い上に、味も申し分ないですから」
椿の左側にいたキールが、ガイに向かって頷きそう言うと、今度は椿に聞く。
「ツバキさんも、ここで大丈夫ですか?」
「はい。私は大丈夫ですけど・・・」
同意した後チラリとシンの方を見る。
シンは空を見上げてぼうっとしていたが、椿の視線に気が付いたのか、振り向いて首を傾げた。
「ん?あぁお店?いいんじゃない。僕も異論は無いよ」
ガイは他の仲間たちを見るが、皆賛成のようで反対の声は上がらない。
「んじゃあ、入るか!」
声高らかにそう言うと、一同は食堂の暖簾をくぐり入店した。
大衆食堂シーニィは、昼は一般食堂。夜は酒場に変わる店だ。
店は木造2階建てで、1階に厨房と受付にカウンター席、テーブル席が6つある。
中央にある階段を上った2階は左右に分かれていて、それぞれ団体用の大きなテーブル席が一つずつ置かれている。広い店内は吹き抜けになっており、2階から1階が見渡せる造りで、2階には落下防止のために吹き抜け側に腰程度の高さの柵が取り付けられていた。
シーニィは安い、うまい、多いがモットーで、普通量を頼んでも3人前の量が運ばれてくる。大盛りを頼むと倍以上、約8人前分が来るので食べきれない人が出ないように、初めての客には店員から最初に注意される。団体の客などは大盛りをいくつか頼んで、それを全員でシェアして食べていることも日常茶飯事だ。
それだけの量でありながら、メニューは全て鉛貨10枚。大盛りだと鉛貨11枚で統一されていて、この安さに釣られて街に住んでいる住民から旅人、狩人の面々に至るまで幅広く利用され、愛されていた。
店内は活気に満ち溢れていて、そこここから客達の話声や店員を呼ぶ声が飛び交っている。
見渡せば、1階のテーブル席は全部埋まっていて、カウンター席も2つ空いているだけだった。2階の状況は、入り口からでは窺い知れない。
入店したガイ達に、二人いる店員の内の一人である恰幅のいい50代ぐらいの軽いウェーブがかった赤毛の女性が、配膳の途中なのだろう、大量の焼きそばが乗った皿と魚介のスープが入ったどんぶりを持ちながら話しかけてくる。
「おやガイさん!いらっしゃい!今日は大人数なんだねぇ!えーと・・・7人だね。上のテーブル席が空いてるから、そこを使っとくれ!すぐに水を持っていくから!」
ガイは了承の返事をすると、中央にある階段に向かい、ガイの後ろを椿達もゾロゾロとついて行く。
階段を上がると、左右に大きな四角いテーブルがあり、どちらもテーブルを挟む形で椅子が8脚置かれている。
昼に団体の客はあまり来ないのか、今はどちらのテーブル席も空いていた。
ガイは右側のテーブル席に決めると、ドスドスと進んで行き壁側の奥から2番目、真ん中の席に座る。
それに続いて、一番奥に短剣を4本装備した男、ガイの右隣にキール、一番手前の席に青いローブを着た男。
その反対、吹き抜け側の席にガイと対面する形でシンが座り、シンの左隣に椿、一番手前に深緑のマントを羽織った男が座った。
持っていた武器はそれぞれ机や壁に立てかけて置いてある。
1階では、先ほどの女性が水差しを2つとコップが7つ乗ったトレーを持って、厨房から出てくる様子が見れた。
(そう言えばメニューって無いのかな?まぁ、あっても読めないんだけど・・・)
などと椿が店内を見ながら考えていると、椿の目の前に座るキールが微笑を浮かべて口を開いた。
「ここにメニューは無いんですよ。頼めばなんでも作ってくれます」
「なんでも、ですか?」
その疑問に、今度はガイが答える。
「さすがに材料が尽きていたり、まったく想像も出来ない知らない料理なら無理だろうが、今まで通ってきた中で、作れないなんてセリフは聞いたことがねぇな」
「この街は東大陸の物流の要ですからね、揃わない食材はほぼありませんし、知らない料理でも説明すれば、可能な限り再現してくれます」
深緑のマントの男がそう話すと、ガイも同意した。
「ま、そういうこった。で、注文なんだが、こっちで勝手に頼んでいいか?」
「あ、はい。私はよくわからないので、お任せします」
椿が頷いてそう答えるのと同時に、女性が2階に上がってきて、机の上にトレーを置き、水差しとコップを下ろしていく。
「はい水!で?注文は決まってるのかい?」
「あぁ、焼き飯と魚のムニエルそれに、肉串。あとは・・・野菜のスープぐらいか。それを全部大盛りでくれ。細かい味付けは任せる」
ガイがすらすらと注文すると、女性はメモを取ることも無く、注文の確認をする。
「焼き飯に魚のムニエル、肉串、野菜のスープ、全部大盛りだね!」
「あと取り皿を7つ下さい」
最後にキールが取り皿の事を思い出したように付け加えた。
「あいよ!それじゃあ、ちょいと待っといてくれ!すぐに作って持ってくるからね!」
女性は威勢よくそう言うと、軽快に階段を下りて厨房へと入っていった。
女性を見送った後、青いローブを着た男が全員分のコップに水を注いでいき、皆に配って行き渡らせる。
椿が礼を言って受け取り、水を一口飲んだところでガイから声がかけられた。
「ここの飯代は俺達が持つ。昨日助けられた礼だから気にすんな」
その言葉に反応して、シンがガイ達を見る。
「昨日?あぁ、もしかしておじさん達、昨日武器を貸してくれた人達?」
「ん?お前さん、昨日あの場所にいたか?見た覚え無いんだが・・・」
怪訝そうに聞いてくるガイに、シンは横に座る椿を見るが、当の椿もどうしたものやらと顔を曇らせてしまう。
シンはしばし目を閉じて考えると、とりあえず、と話し出す。
「軽い自己紹介でもしない?僕、君達の名前も素性も知らないし」
そう笑顔で提案した。
突然の自己紹介発言にガイ達は面食らうと、思わずシンに聞き返してしまった。
「今、自己紹介って言ったか?」
「言ったよ?だって、知らない人に個人情報なんて明かせないでしょ?」
当然のように、あっけらかんとシンは言うと、コップを手に取り水を飲んだ。
「それは、そうだが・・・」
納得がいかない様子のガイは、渋い顔でシンに食い下がるが、シンはコップを置くとこう続けた。
「そっちは僕の事は別としても、確証が無いにせよ、椿が何であるか見当はついてるんでしょ?それに対してこっちは君達の事は何もわからない。君達が敵か味方かもわからないのに、こっちの情報は明かせないって事だよ。理解した?」
挑発しているのか、からかっているのかわからない口調で言うと、シンは背もたれに体重をかけた。
ガイは仲間たちに目配せすると、それぞれから了承の意味の首肯が返ってくる。
「わかった。確かにお前の言うことに一理ある。だが、俺からも一つ要求がある。自己紹介が終わったら、そのフードを取ってくれるか?俺達には素性を明かせと言っておいて、お前はフードをしたままで信用してくれ、なんてそんな虫のいい話は無いだろう?」
「椿が取ってもいいって言うなら取るよ。椿はともかく、僕は君達に信用してもらわなくても構わないからね」
シンは両手を頭の位置で組むと、いたずらっぽい笑みを浮かべて椿を見た。
その視線を受けて、椿は嘆息すると、なぜシンは自分以外に対してこうも喧嘩腰なんだろうと思う。
まだ何もわからない自分を守るために警戒しているのは理解できるが、これでは逆にトラブルの火種をばらまいているようにしか思えない。
(後で叱っとこ)
そう結論付けると、椿はガイ達を真っ直ぐに見る。
「どうしてフードをしているのかは後で話します。とりあえず自己紹介、お願いできますか?」
ガイは頷くと、なら俺から、と始めた。
「俺の名はガイ。眷属狩りに所属している狩人で、眷属狩り統括のアズール様直属だ。歳は42。狩人になってそろそろ23年になる。こんなもんでいいか?」
OKとばかりに、笑顔のシンが指で丸を作る。
では、と続いたのはキールだ。
「自分はキールと申します。同じく眷属狩りに所属していて、ガイさんの副官を務めさせて頂いています。年齢は31歳。狩人のなって10年です」
次に話し出したのは青いローブを着た男。
「ティオです。同じく狩人で、リーダ・・・ガイさんのチームで魔法士をしています。28歳。狩人歴は8年になりました」
それから深緑のマントを着た男、短剣を4本装備した男と続き、それぞれジル、ゾフィールと名乗った。
一番年若いのがジルで22歳。ゾフィールは25歳だが、狩人になってまだ1年の新人で、一人前の狩人と言うよりは、まだまだ狩人見習いの位置にいる。
「ま、こんな感じで5人でチームを組んで狩りをしている。で、今度はそっちが自己紹介してくれんだろうな?」
ガイはずいっとシンに向かって前傾姿勢になりながらそう言うと、シンも同じように前のめりになってニヤッと口を歪めて笑った。
「もちろんだよ。僕の名前はシン。年齢は秘密!それ以上の事は椿の自己紹介が終わってからね!」
胸を張って宣言した割に、明かしたのは名前だけのシンは、すぐに隣にいる椿にバトンタッチする。
到底、自己紹介とは思えない短さと内容の薄さに驚愕する面々を無視して、当の本人は椅子ごと柵に寄りかかり、階下の様子を眺めている。
そのままこちらを振り向く素振りを見せないので、諦めて椿は自らの事を話し始める。
「私は椿です。アズールさんからは救世主だと言われたのですが、本当かどうかはわかりません」
そう前置きした後、椿は自分が異世界人であること、昨日低1級と戦い倒したのはシンであることを話した。
黙って耳を傾けていたガイ達は、椿が話し終わるとシンに目を向ける。
「じゃあ、昨日のアレはシンが椿の身体を使って倒したってのか?にわかには信じられんが・・・。それにもしそれが本当なんだとしたら、シンは一体何者なんだ?人間が人間に乗り移って操るなんて聞いたことがねぇぞ」
ガイが不可解な面持ちで言うと、シンがガイ達に向き直って口を開く。
「僕は椿のガイド役兼護衛役兼相棒だからね。椿の危機には特別な権限が与えられてるのさ。救世主を助けるシステムとでも認識してもらえればいいよ」
その言葉に、キールが目を細めて訊ねる。
「ツバキさんの守護天使という事ですか?」
シンは一瞬目を丸くすると、次の瞬間大きく笑い始めた。
「アッハハハ!違う違う!僕があんなお人形さんに見えるの?」
笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を指で拭うと、シンは机に頬杖をついて面白そうにキールを見る。
「なんで僕が天使なんかに見えたの?僕の背中には羽なんて無いし、天輪も無いんだけど?」
「人知を超えた事が出来るのは人間以外の者と決まっています。そこで更に救世主を補佐するものと言ったら限られてますから」
目を伏せるキールに、うっすらと笑みを浮かべるだけでそれ以上口を開かないシンに、今度はゾフィールが質問をした。
「ところでお前のフードだが、なぜ外さない?その事に対する答えがまだ得られていないが」
忘れてたとシンは椿に目を配ると、椿は頷いて返す。
「その事なんですけど、私の世界では黒髪や黒目の人は当たり前に存在していて、黒い服も好まれてよく着られていました。なので、その事を念頭に置いておいてもらえますか?」
ガイ達はその発言の内容に驚いて、仲間達と顔を見合わせるが、椿の真剣な様子に最終的に了承する。
その返事を受けるとシンは椅子から立ち上がり、1階からは見えない壁側に移動すると、そこでフードを取った。
露わになったシンの黒髪に、一瞬で椿とシンを除く全員に緊張が走り、各々立ち上がり武器に手をかけ始めるが、椿は慌ててそれを押し止めた。
「待ってください!確かにシンは黒髪ですけど、眷属では無いんです!疑わしいのなら彼の血を確認してもらっても構いません!」
「だが、黒だぞ?!」
ガイが大剣から手を離さず、敵意を滲ませて椿に言うが、椿も負けじと語気を強めて続けた。
「さっきも言いましたが、私の世界では黒色は当たり前なんです!彼の髪が黒いのは、この世界の事情を知らない私がそのように決めたからなんです!」
ガイと椿が睨み合っていると、シンはおもむろに右手の指先に爪を立てて血を出し、それをガイ達に向かって突きつける。
「はい。これで僕が眷属じゃないって納得してくれる?」
指先に浮かんだ玉のような赤い血にしばらく見入っていた面々は、ようやく武器から手を離して席に座りなおしたが、それでも皆の表情は厳しく、その目には敵意と猜疑心が篭っていた。
黒色が嫌われているのは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった椿は愕然としてしまう。
シンはと言うと、指の血を舐めた後に、またフードを被りなおして元の席に戻ってきた。
ガイ達はその一挙手一投足を注意深く見守り、シンが座るのを見届けるとガイが口を開く。
「それが、フードをずっとしていた理由か。賢明だな。出来る事なら、この先ずっとその髪は隠しておいた方がいい。さっきシンの髪色を決めたのはツバキだって話だが」
椿は頷いて同意する。
「はい。この世界に来る前にシンの容姿を決めたのは私です。それまでシンには身体が無かったので・・・」
「椿のガイド役って事で、身体が無いと不便だからね。特別に作ってもらったんだー。僕の髪が黒い事はアズールも承知してるよ」
シンが事も無げに言うと、その言葉にガイはなおも険しい表情をしながら椿に助言する。
「俺ぁ学がねぇから、救世主ってのがどういう仕組みでこの世界に現れるのかは知らねぇ。だから、シンの身体がどうとかも聞かねぇ。そんな小難しい話は聞いてもわからねぇからな。だが、その髪色は染めるなり何なりした方がいいと思うぞ。これから行く先々で敵意を持たれるのも面倒だろ?」
「そう・・・ですよね」
俯き、落ち込んだ様子で肯定する椿を見て、シンは殊更何でもないように声をあげた。
「えぇ~?僕この色気に入ってるから嫌だよ!人に見られなければいいんでしょ?ならずっとフードしてるからいいよ!」
「でも、ずっとって大変じゃあ・・・」
「いいの!僕が好きでこのままでいるんだから!」
椿に向かって朗らかな笑顔でシンは言うと、今度はガイに顔を向ける。
「周りの人に迷惑をかけないなら、このままでもいいでしょ?」
「まぁ、お前がそう決めたなら俺から言うことは何もねぇよ。ただ後になって、やっぱり染めとけば良かった、なんて下らねぇ事は言うなよ」
「もちろん」
ガイがシンに向かってそう釘を刺し、シンが応じた所でタイミングよく頼んでいた料理が運ばれてきた。
未だシンに対して敵意を抱いているキール達を尻目に、赤毛の女性は遠慮なく両手に持った皿を机の中央に置き始める。
「あいよ!お待たせ!なんだい難しい話でもしてたのかい?顔が怖いよ!うちの美味い飯でも食って気分直しな!」
まずは大皿に大量に乗った焼き飯を机に置き、次に同じく大皿にピラミッド型に盛られた魚のムニエル。色的に白身魚だろう。
そこで女性は一度厨房まで戻ると、すぐに残りの料理を持ってくる。
つまり、目を疑う量の肉串と寸胴鍋いっぱいの野菜のスープだ。
どれも出来立てで、ホカホカと湯気が立ち上り、香ばしくて甘いとてもいい匂いがする。
さらにもう一度戻ると、最後にスプーンやナイフが大量に入った箱と、取り皿という名のどんぶりとパスタ皿を7つ持ってきて置いていく。
「じゃ、鉛貨44枚ね」
どうやらこの店では、料理を運んだ時点で会計をするらしく、女性は皆を見ながらそう告げる。
ガイは腰に着けているポーチから、使い込まれて草臥れた革袋を取り出すと、その中から言われた通りの硬貨を44枚取り出し、女性に渡す。
「ピッタリだね!まいど!それじゃ、ごゆっくり!」
女性が渡された硬貨の枚数を数えて、金額ちょうどなのを確認すると、そう言って1階へと戻って行った。
机に置かれた料理の量を見て唖然とする椿は、ついガイに確認をしてしまう。
「あの、大盛り・・・ですよね。頼んだの」
「おう!これがここの大盛りだ!ま、とりあえず食おうぜ!腹減った!」
椿は食べきれるかな・・・と独り言ちると、取り皿とスプーンを配っていたキールから声がかけられた。
「大丈夫ですよ。ガイさん、大食漢ですから。ツバキさんは気にせず、好きに食べてください」
「あ、はい。ありがとうございます」
椿が遠慮がちに言う横で、シンは遠慮なく取り皿に料理を取っていく。
「いっただっきまーす!」
そして元気よくそう言うと、ガイ達を差し置いて、まずは肉串を口に入れた。
肉串は子供の拳ほどもある肉が4つ串に刺さっているもので、味付けはシンプルに塩と胡椒のみ。弱火でじっくり焼いた肉は中までよく火が通っているが、かぶりつくと旨味のある肉汁が溢れてくる。それが塩、胡椒と相まって絶妙に美味しい。
「んー!おいひいよ椿!ほらほら食べて!せっかくのタダ飯なんだから、しっかり食べないと!」
「食べ物を口に入れたまま喋らない」
朝にしたのと同じ注意をシンにすると、椿もおずおずと取り皿に料理を取り始める。
ガイ達はと言うと、どんぶりにスープをなみなみと入れて、パスタ皿に焼き飯、その上半分に串から外した肉を乗せ、反対側に魚のムニエルを乗っけて即席の丼ものにして、それを無言でガツガツと食べて始めていた。
あっけにとられてガイ達の食事風景を見ていると、それに気づいたティオが椿に話しかけた。
「早く食べないと無くなりますよ?キールさんが言った通り、リーダーは大食らいですからね」
そう言い終えると、ティオはまた食事に戻る。
「あ、いただきます」
椿はまず、どんぶりに取った野菜の浮かんだ乳白色のスープをスプーンで掬い、ひと口口に運ぶ。
どうやらミルクスープだったようで、口に含んだ途端、野菜の甘みとミルクの甘みに軽い塩気が合わさって、優しくて甘い、優しい味が広がっていく。
「美味しい・・・」
つい感激してそう零すと、ガイが自分のどんぶりにスープのおかわりをよそいながら、椿を見る。
「お、口に合ったようで何よりだ!俺も色んなとこで飯を食ってきたが、やっぱりココが一番だな!」
「色んなとこ・・・ですか?」
「狩人だからな!俺とキールは、東大陸にある村や町は全て行ったことがあるぞ!」
スープをスプーンではなく、豪快に直接グビリと飲むガイに、椿は感嘆したように返した。
「全て、ですか。凄いですねガイさん」
その言葉にガイはピクッと反応すると、静かにどんぶりを置いた。
「あー、ツバキ。ずっと言おうと思ってたんだけどな、その‟さん”ってのと敬語やめてくれるか?どうにも背中が痒くて仕方ねぇ」
ガイがばつの悪そうな表情で言うが、椿は頭に疑問符を浮かべてしまう。
「え?でもキールさん達もガイさんに対して敬語ですし、‟さん”付けですよね?」
「コイツらは部下だしな。それに最初の頃は、俺も口がすっぱくなるぐらい言ってたんだが、頑として受け入れなかったから諦めたんだよ。キールに至っては最初‟様”付けだったんだぜ?目眩がしたよ。ツバキは俺の部下って訳でもねぇし、出来るなら、と言うか頼むからやめて欲しい」
ガイは隣に座るキールをゲンナリした様子で見た後、椿に視線を戻して、そう懇願してきた。
椿はプッと吹き出すと、笑顔でその頼みを受け入れた。
「わかった。それじゃあ、これからは敬語も‟さん”付けも無しでいくね」
「おう!助かるぜ!」
ガイも威勢よく笑顔で返すと、また食事に没頭し始め、それに続いて椿も本格的に食事を開始した。
それから20分もすると、大量にあった料理のほとんどが食べ尽くされ、残っているのはスープが少しと肉串が3本だけだった。
椿も満腹になるまで食べたようで、ウエスト周りが少し大きくなっている。
「ふぅ。ごちそうさまでした」
「ごちそうさまー!」
椿とシンは水を飲んで落ち着くと、そう言って食事を終えた。
「ところで、ツバキさん達はこれからどうするのですか?」
一足先に食事を終えていたキールは、全員のコップに追加の水を注いでいた所で椿にそう聞いた。
「アズールさんには東地区と支部周辺なら散策しても良いと言われているので、まだ陽も高いですし、少しシンと回ってから支部に戻るつもりです。キールさん達はどうするんですか?」
椿は少し悩んだ後に答えると、キールに聞き返した。
「自分達は武器屋に行きます。昨日の戦闘で自分の剣は無くなってしまいましたし、ガイさんの剣も歪んでしまったので」
キールがガイの大剣を見ながら言うと、シンから突然声が上がった。
「あ!キールって、昨日僕に剣貸してくれた人かぁ!すっかり忘れてた。ゴメンね溶かしちゃって。あの虫を倒した報奨金も入ったし弁償するよ。いくら?」
シンのその申し出に、キールは静かに首を横に振り、断る。
「いえ、結構です。低1級を相手に剣1本で済んだのは、むしろ僥倖でしたから」
「でもあれ純銅製でしょ?高かったんじゃないの?」
小首を傾げて訊ねるシンに、キールは表情を変えずに淡々と返答する。
「ご心配なく。アレと同等の剣を買える程度の金銭は貯蓄してありますので」
頑なに固辞するキールに、シンは薄く微笑むと、それ以上勧めることは無く簡単に引き下がった。
「そ?そんなに言うなら、別にいいんだけどね」
「それより、ツバキが救世主ってんなら、これから旅に出ることになるんだろ?武器や防具をそろえた方がいいんじゃねぇか?」
残った肉串の1本を手に取りながら言うガイの言葉に、キョトンとする椿。
「そうだねぇ。確かに武器は必要かな。お店出たら見に行こっか」
椿は水を飲んでいた手を止めて、シンに問い返す。
「それはもちろん。でも武器屋の場所知ってるの?」
「さあ?歩いてれば、そのうち見つかるんじゃない?」
などと、シンが軽い調子で適当に答えていると、今度はジルから声がかけられた。
「・・・ツバキさん。よろしければ、これから我々が行く武器屋にご一緒しませんか?そこは安いとは言いませんが、良心的な値段ですし物も確かです」
ジルが提案すると、ガイや他のメンバーも頷いて賛同する。
「そうだな、あそこなら武器の種類も豊富だ。ツバキに合う武器も見つかるだろ」
「鍛冶屋も併設されているので、ある程度要望にも応えてくれますしね。どうですか?ツバキさん」
「え、いいんですか?」
そう聞く椿に、ガイは破顔して快く了承する。
「おう!俺達も行くついでだからな、気にしなくていい!」
「シンもそれでいい?」
椿は隣にいるシンにも聞く。
「僕は構わないよ!椿の好きにするといいよ」
「それでは、よろしくお願いします」
シンの承諾に椿は頷き、ガイ達に向かって軽く頭を下げると改めてそう頼んだ。