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黄昏の幕間~承~

 

 黄昏と水鏡の世界。


 赤紫色の空には雲一つなく、金色の光が世界を穏やかに照らしている。

 大地には浅い水が何処までも広がっていて、鏡の様に空をそのまま映し返す。

 秋の如く涼やかな風は緩やかに吹いている為、水鏡には波紋すら起こらない。


 ヴァンが眷主へ変わる際に見た光景。

 その世界に一つだけ、天を貫くほどに高い尖塔が建っている。


 雲の無い世界なので、どのぐらいの高さかと言われると、はっきりとした数値は出せないのだが、とりあえず見上げれば首が痛くなり、仰け反る程度と言っておこう。


 金色の光に照らされて、灰色の塔は静かに聳えている。

 下から見ると、ただの虫食い穴にしか見えない黒い点は、実際には人の背丈ほどはある窓だ。

 パッと見は何の変哲も無い塔を見上げ、私は入り口に向けて歩き出す。


 入り口には10段だけだが階段がある。


 コツコツと音を鳴らしながら階段を上り、細長いアーチを描いた扉を押し開けると、真正面には巨大な透明のオベリスクが鎮座している。

 オベリスクの手前には、楽譜台の形をした石の台が置かれており、金色をした長さ20㎝の長方形の板が、縦方向に取り付けられていた。

 オベリスクはその物体から情報を吸い上げ、横三面に渡ってホログラムの様に蒼白く、記録を空中に映し出している。


 大きく浮かび上がっている記録を一瞥した後、視線を巡らせて、この広間にいるはずの人達を探す。


 左右には壁にへばりつく様に螺旋階段が上に向かって伸びている。

 さらに下から上まで、壁には様々な本が並べられているが、それは見せかけだ。

 重要なのは本の背表紙に書かれたタイトルと、中に収められている長方形の板だけ。

 この板一つに対して、世界が一つ記録されている。

 本のタイトルは世界の名前だ。

 以前は、繭の様な大樹の形をしていて、葉の一つ一つに世界が刻まれていたのだが、飽きたので形を変えてみた。

 かなりコンパクトになった上に、背表紙のおかげで以前よりも管理がしやすくなった為、そこそこ気に入っている。


「お戻りですか。主様」

 不意に声がかけられる。

 声のした方を見れば、オベリスクの背後から、サファイアの様な青い目をした、おっとりとした雰囲気を持つ女が姿を現した。


 外見だけ見れば20歳前後。

 垂れた目と優し気な佇まいの彼女には、すずらんの様なイメージを抱く。

 黒く長い髪は膝まであり、緩くウェーブがかっている。

 細い身体にはフード付きの濃く青いローブを羽織っているが、その下から覗く服は、彼女の上品な口調に反してなかなか扇情的だ。

 肩と袖の無い黒いロングドレスは、胸付近から鳩尾にかけて大きく空いている。

 彼女の胸はメロン並みに大きいので、服の下で窮屈そうに主張していた。

 その下のスカート部分は、両腰までの深いスリットが入っていて、生足が露わになっている。

 以前、その服の下はちゃんと着ているのか訊ねた所、当たり前です!とプリプリ怒られた。

 靴は編み上げのピンヒールサンダルを履いていて、元々高い彼女の背丈をさらに伸ばしていた。


 これだけ見ると、まるで南国にでもいるような出で立ちだが、生憎とここは違う。

 季節も無ければ時間の概念すらない。

 黄昏のまま動くことの無い世界だ。

 

「主様?」

 呼びかけても答えない私に、彼女は軽く首を傾けて、もう一度話しかける。

「あぁ。ヴァンの見送りと、一度目の介入は問題なく終わった。そちらはどうだった?」

「はい。こちらも滞りなく。修正率も3%で済みました」

「そうか」

 私が短く返すと、彼女はふと俯き、言いにくそうに「ですが・・・」と続けた。

「よろしかったのですか?貴重な1回を、彼のお仕置きに使ってしまって・・・」

 その事か、と思わず私は笑ってしまう。


 確かに、今回私が介入できるのは3回が限度だ。

 特に、過去への介入となると、控えめに言っても慎重にならなければいけない。

 それを、たかがヴァンの罰如きで使ってしまっても良いのか、という事だろう。


 私は一度目を閉じた後、オベリスクに向かって歩いて行く。

「大したことない。今回は罰以上に、アレに対しての牽制(けんせい)も含めての事だし、これから先を見据えて、(あらかじ)めパスを繋いでおくのも目的に入っていたからな」

「左様でしたか。愚問、お許しください」

 彼女はオベリスクの隣へ移動し、こちらに向かって深く腰を折る。

 私はそれに手を上げて答えた。


 オベリスクの前で立ち止まり、映し出された情報を眺める。

 過去の私が刻まれたエデンの記録は、左から過去、現在、未来と並んでいる。

 どうやら、現在の私は馬車旅を満喫しているらしい。


 あの時は説明ばかりで大変だったなぁーと思い返していると、ふぅとため息が聞こえる。

 見れば、彼女が白魚の様な細い指を頬に当て、再度首を傾げていた。

「それにしても、本当に彼で大丈夫でしょうか・・・」

 ‟彼”とはヴァンの事だろう。

 根っからのお姉さん気質の彼女は、現在のヴァンの容姿も相まって、こうしてよく心配する。

 彼女の言葉を受けて、私は少し前のヴァンとの会話を思い出した。


-------------------


 ちょうど、今回の事件が起きた直後の事だ。

 よりにもよって、過去改変。

 しかも、私の過去を変えようとする(やから)から宣戦布告を受け、さてどうしたものかと考えた末、今のヴァンを過去のヴァンと同期させて、なるべく史実通りに進めさせる事にしたのだ。


「なぁ、本当にオレで良いのか?他にもっと適任がいると思うんだが・・・」

 黒い髪に紅の目。

 深緋色(こきあけいろ)のローブを纏ったヴァンは、険しい表情でこちらを見ているが、それは不快感からでは無く、純粋に疑問だったからだろう。

「いや。この役目は、眷主達の中ではヴァンが一番適している」

「え~?そうか~?タイミング的に、(すい)の方が良いと思うんだが・・・」

 断言する私に、ヴァンは腕を組んで首を傾げる。

 それに私は、緩く首を振った。

「ダメだ。翠は几帳面すぎる上に完璧主義だ。何か予期せぬハプニングが起こった時に、問題なく対応出来るか不安が残る」

「じゃあ青とか・・・」

「青と出会うのはインヴィディアでだ。時間が空いてしまう為、その間に手を出されたら不味い」

「なら(こう)は・・・ダメだな。問答無用で・・・」

 黄に言及したヴァンだったが、すぐに彼女の性格が破綻している事を思い出したのか、ブンブンと首を振って否定した。

「そういう事だ。柔軟性を持ち、かつ臨機応変に対応できるヴァンが適任だろう?」

「そう・・・かぁ?」

「そうだ。何、過去の私が堕ちるまでの間だ。そう長期間では無いから安心しろ」

 私がそう言うと、ヴァンは渋々と言った様子で頷いた。


「それにしても、今の私に敵わないからと言って、まさか過去に干渉してくるとは思わなかったな・・・」

 思わず内心を吐露すると、ヴァンは失笑しながら私を見上げた。

「‟必ずお前を救ってみせる!”とか意気込んでたよな」

「まったく。一体、何から私を救おうとしてるのやら・・・。自分の理想通りにいかないからと言って、この様な愚策に出る馬鹿とは思ってもみなかった」

 寄っていた眉間に手を当て、シワを伸ばす私は、最後にヴァンに念押しする。

「ヴァン。分かっているとは思うが、眷主同士の(いさか)いは厳禁だぞ。隙をつかれて、お前達まで取り込まれたら(たま)らん」

「はいよ」

「今回私は、私が堕ちるまでの間、3回しか干渉出来ない。例え何かあっても、私の事はアテにするなよ」

「了解!分かってるって!」

「・・・なら、いいんだが」

 適当に返事をするヴァンに、一抹の不安を覚えたが、そんなやり取りをした後、私はヴァンと共に塔を出たのだった。


-------------------


 その時の事を思い浮かべながら、私は彼女を安心させるように答える。

「平気だろ。ああ見えて、ヴァンは真面目で要領が良い。確実に役目をこなしてくれるさ」

「確かにそうでしょうけれど・・・」

 でも・・・と言い募る彼女に、不意に上方から声がかけられた。

「我らが主の言葉を疑うのですか?青」


 見上げれば右の螺旋階段、2階程度の高さの場所で、彼女に声をかけた人物は悠然と立っていた。

「まぁキール!いいえ、いいえ。(わたくし)は主様のお言葉を疑ってなどおりません」


 コツコツと靴音を鳴らしながら、階段を下りてくるのは、フード付きの深緑色のローブに身を包んだキールだ。

 ローブの下は、かつて着ていたハーフプレートの装備ではなく、黒い軍服を着込んでいる。

 几帳面な彼らしく、襟のホックは一番上までキッチリ留めてある。

 足元は黒い革靴を履いていた。


「青。いつも言っていますが、器名(固有名)ではなく役職名で呼んでくれませんかね」

 キールは顔を顰めて彼女、青に苦言を呈するが、当の本人はどこ吹く風と、にこやかにキールに言い返す。

「よろしいではありませんか。主様もお許しになっている事ですし」

「主は許しているのではなく、無関心なだけですよ」

「まぁ、そうなんですか?主様」

「そうですよね。主」

「え」

 正反対の表情で言い合う二人を眺め、傍観者を決め込んでいたら、唐突に矛先がこちらに向いた。

 どうやら第三者ではいられないようだ。 

 正直なところ、キールの言う通り、私としてはどちらでも構わない。

 呼び方など、誰が誰か分かればそれでいい。

 ため息を吐きつつ、キールの言葉に同意しようとした瞬間、背後から扉の開く音が聞こえた。


 振り返れば、黒髪黄眼の8歳ぐらいの少女が、私に向かって突進してくるのが目に入った。

 一瞬避けようかとも思ったが、面倒だった為、そのまま彼女を受け止める。

 ボフッともドスッともつかない鈍い音を立てて、勢いよく私に抱きつく少女。

「おかえりなさーい!主どのー!」

 イヒヒ、とひまわりの様な弾ける笑顔を私に向ける彼女の名は‟(こう)”。

 ヴァンやキール、青と同じ、眷主の一人だ。


 三人と同じ、フード付きのローブは鮮やかな黄色。

 その下にある服は鳩尾までの短く黒いTシャツに、黄色い円形の幾何学模様の入ったショートパンツを履いている。

 靴は黒いショートブーツだ。

 黒い髪は肩よりも少し長いセミロングで、頭頂部からアホ毛がピンと伸びている。

 青と同じく、肌色の面積が多いが、彼女とは逆に、黄は色気の‟い”の字も無い。

 当たり前だが、胸も真っ平である。

 目鼻立ちの整った顔とパッチリとした目は、快活な彼女の性格をよく映していると思う。


「あぁ、ただいま。黄」

 黄の硬い髪を撫でながらそう言うと、青とキールの二人が唐突に声を荒げた。

「黄!主に対して不敬ですよ!」

「その通りです!主様も甘やかさないで下さいませ!」

 突然、目くじらを立てて怒り始める二人に、私は(いささ)か困ってしまう。

 黄は、いわゆるトラブルメーカーな上、私に対してヴァン以上に気安い。

 そんな黄の態度に、几帳面な青とキールは思うところがあるらしく、時折こうして険悪なムードになる。

 そして今は、二人の怒りの矛先が私にも向いていた。

 無礼な態度をとる黄を何故叱らないのか、といった所だろう。

「いや、私は別に・・・」

 叱っても効果が無いなら、叱るだけ労力の無駄だろう。と二人に言いかけたが、それは黄が私の腰を急にグイッと引き寄せたため、口から出る事は無かった。

「あ~!僕が主どのと仲が良いから羨ましいんでしょー!だから、そんな怒ってるんだー!ふふふー」

 黄は楽しそうに、青とキールにこれ見よがしに私の腰、と言うか腹に顔をグリグリと押し当てて見せつけている。

「こら、(あお)るな」

 やれやれ、と黄を(いさ)めつつ、青とキールに視線を向けると、二人とも顔を真っ赤にしていた。


 そしておもむろに、二人して金色の魔法陣を足元に展開する。

「いい加減にしなさい。黄」

「主様に対して、数々の無礼。万死に値します」

 氷柱の如く、鋭く冷たい二人の声色は、その場の空気を一気に氷点下まで冷却する。

 先ほどまでの和やかな空気は、もはや何処にも残っていない。

「あはっ!いいよぉー。ボクと遊ぶー?」

 黄は二人に触発されたのか、私から身体を離すと、構えた(こぶし)の先に魔法陣を展開した。

 だがその声色は、二人とは対照的に楽しそうだ。

「貴様一人で、我らを相手に勝てるとでも思っているのか?」

「試してみなよ」

 額に青筋を浮かべて、黄に手を向けるキール。

 それに対して、黄はニヤニヤと嘲笑を浮かべている。

 冷たく凍える、吹雪の様な気配を見せる青と、一歩でも動けばズタズタに切り裂かれそうな気迫を滲ませるキール、沼の様に底知れない狂気を孕んだ黄。

 この三者が創り出す一触即発の空気に、私はフッと嘆息した。


 パチン。


 そうして私が指を鳴らすと、ガラスが割れる様な音を立てて、三人の魔法陣は粉々に砕けて消える。

「それ以上やりたいのなら外に行け。鬱陶しい」

 温度の籠らない声で言うと、青とキールは我に返ったのか、すぐに片膝をついて(ひざまず)く。

「申し訳ございません」

「どうか、ご容赦を・・・」

「えぇ~?やらないのぉ~?」

 ただ一人、黄だけが空気を読まずに、残念そうな声を上げる。

「黄。お前もいちいち煽るな。そんなに体力が有り余っているなら、外でも走ってこい」

「え~、走るだけは退屈だからヤダー」

「なら、大人しくしてろ」

「はぁ~い」

 不満たらたらの顔で、ブー垂れる黄を見た後、私は青とキールに視線を戻す。


「二人とも立て。それで?キールは上で何をしていたんだ?」

 そう問いかけると、立ち上がったキールはそうでした、と口を開いた。

「実は、この塔から少し離れた所で、空間の(ほころ)びを発見致しました」

「綻び?ヴァンを招いた時の綻びなら、私が修復しておいたはずだが?」

「いえ、それとは別口かと。(あか)が来た場所とは反対側でしたので」

 私がキールと話し込んでいると、不意に青が黄に詰め寄る。

「・・・黄。あなた、さっきまで外で何をしていらしたんです?」

 青の顔は微笑んでいるが、反して、その目は剣呑な色を湛えている。

 責めるような青の瞳に、黄はキョトンとした顔を返す。

「何って、ちょっと出かけてただけだよ?ノルンまで」

 黄の最後の一言に、私を含めた全員が固まる。

「ノルンって、あなた!それじゃあ、この空間の外に出ていたって事ですか!?」

 黄の首を締めあげそうな勢いで問い詰める青に呼応したように、外から地鳴りが聞こえてきた。


「侵入者・・・のようだな」

「恐らく、綻びから入って来たものと推察されます」

 侵入者の正体は分かっている。

 私は思わずため息を吐きだし、身体を反転させ扉に向かって歩を進める。

「やれやれ、アレも諦めが悪い。青とキールはそのままココで記録の監視を続けろ。黄は私と来い」

「え!?いいの!?」

「今回、アレの侵入を許したのは、お前の責任だ。自分の(けつ)ぐらい、自分で拭いて見せろ」

「わぁ~い!やったぁ~!」

 目をキラキラさせながら、飛び跳ねて喜ぶ黄。

「主様、どうかお気をつけて」

 青が心配そうに、そう声をかけてくれる。

「問題ない。どうせまた一部分だ」

「前回は頭だっけ?」

「えぇ。直接主様を狙ってきましたが、敵わないと見るや、宣戦布告だけして帰って行きましたね」

 適当に言った私の言葉を捕捉するかのように、黄と青が思い返して話す。

「主、慢心は危険です。気を抜いたが故に危機に陥る事もあります」

 ただ一人、キールだけは渋い顔をして忠告してきた。

 かつての自分の所業でも思い出したのだろうか。

「大丈夫だーって!ボクが付いてるんだから!」

 黄がドンッと、自分の真っ平な胸を叩いて得意気に言っている。

「いや、むしろお前だから心配なんだが・・・」

 より一層、渋みが増すキールの顔。

「キールの忠告は肝に銘じておく。お前達も気を抜くなよ」

『御意』

 青とキール、揃って返事をする二人は腰を折って、塔を後にする私と黄を見送った。


-------------------


 階段を下り、水鏡の地を踏みしめた私は、すぐに塔に結界を張る。

 金色のマナが階段を含めた塔の周囲に円形に走り、下から上に向かって昇っていく様は、なかなか壮観だ。

 これで、そこそこ激しめの戦闘をしても、塔に損害が出る事は無いだろう。

 黄はと言うと、準備体操なのか、グニグニと身体のストレッチをしている。

 そんな黄に声をかけて、綻びのあるとされる場所目指して、水鏡の地を進んで行く。


 やがて、塔からそれなりに離れた所で、私は立ち止まる。

 侵入者、と言っていたが、見渡す限り平面の水鏡が広がっているだけで、それらしきものは見えない。

 肝心の綻びは、もう少し離れた左側の空にうっすらと見てとれた。

 綻びと言っても、穴が空いているとか裂けている訳では無く、単純に歪んでいるだけだ。

 その歪みを確認した後、黄へと目を移すと、彼女は私よりも多少進んだ所でスキップしていた。


「・・・黄。下だ」

 私はついっと目線を下げ、黄に警告すると、それと同時に黄の真下から、白い腕が幾本も伸び、黄に襲い掛かった。

「今回は腕か」

 冷静に分析する私とは正反対に、黄は襲い掛かってくる腕を(かわ)しながら、キャッキャと楽しそうな笑い声を上げる。

「わぁ~い!()っちゃうぞ~!ねじ切って、捻り潰して、叩き潰して、すり潰すぞ~!」

 可愛い見た目と相反して、物騒な事を声高らかに宣言する黄は、狂気を宿した目で本当に楽しそうに腕の一つを掴んだ。


 ブチブチブチ。


 と、腕から指を4本引き千切り、けたたましい笑い声を上げる黄を見た後、私はこの世界に出来た綻びに目をやる。

 綻びを修復して戻ってくるまでの時間を計算していると、腕から出た銀色の血を、服の至る所に付けた黄から声が飛んできた。

「主どのー!そっち行ったよぉー!」


 黄へ視線を戻すと、確かに腕の一本が、私に向かって掴みかかって来るところだった。

 私は身体をずらしてその腕を避け、腰に下げた黒剣(クリフォト)を抜き放ち、肘辺りで両断してやる。

 ドバドバと水銀の如き血が噴出するが、次の瞬間には切断面からイソギンチャクの様な新しい腕が生えてくる。

「やはり、綻びを修復しない限り、倒しきるのは難しいか」

 独り言ちた後、黄を見る。

「黄。しばらく一人で・・・ってこら。そんなもの食べると腹を壊すぞ」

 見れば、黄は腕の一つに噛みつき、その肉を噛みちぎってグチグチと咀嚼していた。

 だが、どうやら不味かったらしく、飲み込まずにベッと吐き出す。

「うえ~っ!不味い!!」

「まったく・・・。私は綻びを修復してくる。一人で大丈夫だな?」

「うん!まっかせて!」

 呆れる私をよそに、黄は元気よく首肯し、グッとサムズアップしてくる。


 再生した腕からの攻撃を躱しつつ、私は空へと浮かび上がり、綻び目指して滑空すると、背後から白腕が追い縋ってきた。

 必死に私の足なり、服なりを掴もうとしているが、急にガクンッとその手が虚しく宙を掴んだ。


 チラリと視線を下げれば、黄が両手に装備した黒いナックルで、白腕を広範囲に渡って粉砕しているのが見えた。

 轟音と共に高い水柱が噴き上げ、空にいる私の所まで飛沫(しぶき)が微かに飛んでくる。

 同時に甲高い笑声も聞こえてきた。

 黄は、幼く華奢(きゃしゃ)な外見に見合わず、眷主中一番の武闘派だ。

 純粋な肉弾戦ならば、黄の右に出る者はいない。

 と同時に、頭のネジも数本ぶっ飛んでいる。

 特に戦闘時の狂喜乱舞さ加減は筆舌に尽くし難い。

 その為、青やキールだけでなく、ヴァンですら黄と共闘するのは御免(ごめん)だと言って(はばか)らない。


 そんな黄だが、一応主である私の事を尊重するだけの頭はあるらしく、今回は私のアシストに徹してくれている

 いや、たまたまの結果論なのかも知れないが・・・。

 とにかく、黄を連れてきたのは正解だったらしい。


 そう安心したのも束の間、今度は空の綻びから大量の白腕が出現し、私に向かって殺到してくる。

 水面から現れた腕が右腕なら、綻びから出てきたのは左腕だ。


「おっと」

 四方八方から迫りくる腕を、身体をきりもみ回転させて避ける。

 ビュンビュンと風を切って、顔を、身体を、腕が掠めて行く音が耳に響く。

 もはや腕、と言うより紐の束、と例えた方がしっくりくるほどだ。

 よく絡まないな、と軽く感心していると、丁度よく綻びに到着する。

 だが、綻びを修復するにはまず最初に、そこから絶え間なく湧き出てくる腕を、根こそぎ排除しなければならない。


 私は、手にしていた黒剣にマナを込める。

「浸食しろ、クリフォト」

 瞬間、光すら飲み込む様な漆黒の刀身に、金色のマナが舞う。

 そして、Uターンしてくる白腕が私に到着するより早く、剣を腕の根本へ振り下ろした。


 黒の極光が奔り、綺麗に腕を両断する。


 切断面は銀の血を噴き出すことなく、ただ黒く侵され、そこから新たに腕が生成される様子も無い。

 切り落とされた、えのきの様な左腕の束は、大きな音を立てて地へと落ちて行った。

 先の黄ほどでは無いが、水柱を上げて横たわる腕は、まだウゴウゴとのたうち、切断面から銀血を垂れ流して水面を汚していく。


 蛆虫の様な姿に軽く嫌悪感を抱きつつも、私は腕の処理を後回しにし、綻びの修復を開始する。

「囲い阻め、八籠目(やつかごめ)

 空の歪みに金色の丸い二重魔法陣が浮かび上がり、一瞬の後、八角形のパーツが籠を編むかの如く展開され、結界を創っていく。

 一度目を閉じ、再度開けた時には、すでに歪みは解消されており、綺麗な赤紫色の空が、何事も無かったかのように存在していた。


 さて、残骸処理するか、と視線を地表部分へ向けると、壊しても壊しても再生する腕が余程気に入ったのか、黄の喜色満面の顔が飛び込んできた。


 しかし、綻びが修復され、本体から力の供給が止まってしまった白腕は、徐々に再生力が衰え、ぐったりと動かなくなっていく。

「あ!主どのー!」

 そのぐったりとした腕を引き千切り、黄はこちらに向かってブンブンと手を振ってきた。


 千切った腕で手を振ってくるとは、良い趣味をしている。


 そんな事を考えながら、私は水鏡の地に降り、真下で転がっていた左腕の塊を黒剣でひと薙ぎする。


 黒い帯状に発生した剣風は、一瞬にして腕を分解すると、余韻も残さずかき消えた。

 辺りに漂うのは、白銀の粒子となった残滓だけ。

 再生する様子も見受けられない為、私は高く跳躍して黄の元に戻る。


 黄はと言うと、動かなくなった腕に対して、未だに殴打を繰り返していた。

「あれー?もう動かないのぉ~?ねぇ、もっとボクと遊ぼうよぉ!ねぇ!ねぇ!!ねぇ!!!あはははははは!!」

 もはや腕の形を失くし、ただの白い塊となったソレに、黄は全身を白銀の血に染めながら、執拗に殴り続ける。

 手に装備しているナックルから、銀の雫と筋線維が糸を引いていた。


「黄。その辺で良いだろう」

「えー?ダメだよ。ダメダメ。全然足らない。もっと、もっともっともっと!ボクと遊んでもらわないと!ボクは全然満足していないんだから!ほら!ほらぁ!!」

 私には目もくれず、目を見開いたまま、瞬きもせずに白い肉の塊を潰し続ける黄。


 これが、彼女がトラブルメーカーたる所以(ゆえん)の一つだ。

 黄は一度戦闘状態に入ると、本人が満足するまで攻撃の手を止めることは無い。

 例え、相手が戦意を喪失し、泣いて謝っても、降伏しても、果ては死んだとしても、そんな事関係なしに拳を振り下ろし続ける。

 理性の塊とも言える、青やキールとは対極を行く存在、と言っても過言では無いだろう。


「クヒッ!キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒイヒヒヒ!!」

 (いびつ)な笑い声を上げる黄を見ていて、ふと気がついた。

 黄の身体の至る所に付着した銀血とは別に、ゆっくりとだが、彼女の内側から白銀色が滲み出している事に。


「黄」

「なぁにぃ?」


 振り返った黄の薄い胸、そこにある核目掛けて、黒剣を突き刺す。

 躊躇や罪悪感など微塵も感じない。


 ポカンと、黄は間の抜けた顔で、胸から伸びる剣を眺める。

「ふぇ?」

 顔と同様、間の抜けた声を上げた瞬間、その身体から黒焔が噴き上がり、瞬く間に黄を飲み込む。

 激しい熱風が、辺りに漂っていた銀の粒子を蹴散らした。

 私の髪も、その余波を受けて乱雑に舞っている。


「浸食されていたぞ」

 燃え上がる黄に向かって、私は淡々と言い放つ。

「ありゃー。抜かったわー」

 真っ黒い火柱の中から、黄の呑気な声が聞こえてくる。

 とても、今現在身体を灼かれている人間の出す声ではない。

 まぁ、とは言っても彼女は人間では無いのだが。

「手間をかけさせるな。取り込まれる阿呆など、アイツ一人で十分だ」

「ごめんなさーい」

 黄に刺していた剣を引き抜きながら言うと、黄からはウエハースの様に軽い謝罪が返ってきた。


 やがて黒焔が鎮火すると、その中から現れたのは、元の黄色いローブを纏った黒髪黄眼の黄だ。

 その身は、白銀の要素が一切無くなっているだけで、服が焼けた様子も、火傷の痕も見受けられない。

 黄はその場でクルクルと回り、自分の身体を確認する。

「平気~・・・かな?」

「問題ない」

 そう言ってやると、黄はピタリと止まり、私に屈託のない笑顔を向けた。

「えへへ~!お手間取らせました!」


 ふっと嘆息して、私は不意に黄がマッシュしていた白い腕だった塊を見る。

 もはや動かなくなった肉塊。

 だが、何か違和感を覚える。

 それは、恐らく予感と呼ぶべきもの。


 一拍の後、私は無意識に黄の腕を掴んで、自分の背後に放り投げる。

 驚く黄の声を背中に受けながらも、視線は肉の塊から逸らさない。


 そして、その異変は唐突に起こった。


 真っ白い肉塊を中心に、周囲に漂っていた銀の粒子が渦を巻いていく。

 銀の渦が肉塊に集約される様を見て、私は咄嗟に黒剣を振るう。

 あれを放っておくと、面倒なことになりそうな予感がしたからだ。

 左腕を分解した黒い剣風を、続けざまに容赦なくお見舞いするが、一部分を分解することは出来ても、肝心の肉塊にまでは届かず、結果、何の効果も生み出すことは出来なかった。

 舌打ちする私を見て、後ろにいる黄が楽しそうに茶々を入れてくる。

「あれあれー?主どのの力はそんなものなのかなぁ~?」

五月蠅(うるさ)い。脳みそヘチマたわし」

「酷い!ボクの頭がスカスカだって言いたいの!?」

 大げさな態度で、あからさまに傷ついたと主張する黄に、私は振り向かずに辟易(へきえき)していると、間もなく銀の渦は肉塊に吸収され、消えて無くなった。


 代わりに現れたのは、白い腕ではなく白い人だ。

 ‟人”と言っても、ソレは上等な人間型ではなく、‟人”と呼ぶことすら憚られるほど醜悪な姿だった。

 人の姿なのは上半身のみで、下半身はタコの様に無数の足が生えている。

 その足も、いわゆる人の足ではなく、大量の腕が足替わりをしているだけ。

 上半身も、頭髪は布でも被ったかのように()()()()としており、顔面は眉毛もまつ毛も無い、ただ銀色の球体を嵌め込んだだけの目がある。

 本来、鼻が存在すべきところには何も無く、口の部分は引き裂いたような横線が一本だけあった。

 胴体と腕も、筋肉や骨の存在など欠片も感じない為、頭部と同じく、ひたすら()()()()としている。


 まるで、幼児が作った下手くそな粘土細工の如き姿に、私は呆れて閉口してしまう。

 後ろでは黄がゲラゲラと笑っていて五月蠅い。


 そんな私達の姿を、無機質な銀眼が捉えると、その白い人モドキは、おもむろに口を開いた。


「あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 高音と低音が混ざった不快な声が耳に障る。

 どうやら声帯が無い為に、まともな言葉が紡げないらしい。


 (やかま)しいな、と思っていると、人モドキは叫び声を上げながら、腕と下半身から生えてる腕を水面に叩きつけた。

 空中に舞い上がった数多の銀色の水滴は、それ一つ一つが腕へと変異し、私と黄に向かって殺到する。


 その光景を視認しつつ、私はつま先で水面を叩いた。

 途端、水面は黒く変わり、そこから黒い極光が次々と飛び出す。

 飛沫を上げ、発生した夜色のレーザービームは、こちらに向かってくる白い腕を蛇の様に飲み込んで肥大し、逆に人モドキへ押し寄せる。

 水飛沫(みずしぶき)では到底治まらない水柱が、叫び続ける人モドキを中心に発生する中、私は黄に指示を飛ばす。

「黄。あの人モドキ、粉砕しろ。喧しくって仕方ない」

「はーい!」

 威勢よく黄は言い放つと、黒いビームに交じって人モドキに突貫していく。


 黄の後ろ姿を眺めながら、私は黒剣を鞘に納めた後、金色の魔法陣を水面に展開する。

 万華鏡の様に煌めく魔法陣は、私と人モドキの丁度中間地点を中心に広がっていき、やがて綻びのあった地点まで伸びた所で、拡張を停止した。

 人モドキ、銀色の水、銀の粒子はその範囲内に全て収まっている。


 そして私は詠唱を開始する。

 修復の時も含めて、本来なら必要のない行為だが、まぁ気分だ。


「世界の根源たる闇よ、静謐(せいひつ)の象徴たる夜よ、安息を打ち破りし愚か者に、無の安らぎをもたらせ」


 そこまで唱えた所で、水柱の隙間から黄の姿が見えた。

「行っくよぉー!滅裁!ソドム!」

 決め台詞と共に、黄が右腕で人モドキを思い切り殴ると、人モドキはものの見事に、その姿を銀の粉塵へと変える。

 耳障りな叫び声が途切れ、スッキリした気分のまま、私は魔法を放つ。


夜葬無黒(ノクトガル)


 人モドキを破壊した黄が私の元に戻ってくるのと、魔法が発動したのはほぼ同時。

 銀の粉塵が再び人型をとろうと再生し始めた所で、夜葬無黒(ノクトガル)が無慈悲に襲い掛かった。


 最初は黒い点でしかなかったその魔法は、加速度的に巨大化していき、私達ごと人モドキと銀の粒子、水を余さず飲み込み、魔法陣いっぱいに広がった所で止まる。

 外から見ると、一つの黒い繭に見えることだろう。

 その後、今度は反対に圧縮するように小さくなっていく。

 魔法の行使者である私と、除外指定した黄は効果の対象外となる為、やがて繭の外へ出るが、以降も繭は縮小していき、今やその大きさは人モドキよりも一回り大きい程度だ。

 空中に漂っていた銀の粒子も、全て繭の中に凝縮されている。

 中から例の叫び声が聞こえる為、人モドキの再生は終わったようだが、事ここに至っては何の救いにもならない。

 今ごろ、繭の中では空間消去の真っ最中だろうからな。


 どんどん小さくなる空間から出る(すべ)は無く、ただ夜の様に静かに消えていくのみ。

 夜葬無黒(ノクトガル)は、そんな静かな情景に反して、なかなかにえげつない効果の魔法だ。

 どんなに懇願しても泣き叫んでも、足掻いても、小さくなる繭を止める事は出来ない。

 そのうち、魔法の対象となった者はプチッと、蚤でも潰すかの如く世界から消え失せる。


 あぁ、(たの)しい。楽しい。

 こんなにも楽しくて幸せなのに、愉快で仕方ないのに、何故私を救うなどとほざいたのか。

 理解に苦しむ。

 

 私は自分の口が吊り上がり、(わら)うのを自覚する。

 吐息の様な嗤い声が漏れる。

 そんな私の姿を覗き見た黄も、同じように嗤った。

「うふふ。愉しい?主どの」

「ふふふ。もちろんだ。最高の暇つぶしだよ。これからもどんな手を使って抗ってくるのか、今から楽しみで仕方ない」


 そうして、繭は小指の爪程度の大きさになり、プチリと潰れて消えた。


 後に残ったのは、相変わらずの黄昏と水鏡の世界。

 人モドキを形成していた銀の粒子は、一粒たりとも存在していない。

 戦いの痕跡など一つも残っていない、ツルリとした水鏡は、赤紫の空を鮮やかに映し返していた。


「さて、侵入者の排除も済んだ。塔に戻るぞ」

「はーい!ねぇねぇ主どの!次はいつ介入するの?」

「そうだな。向こう次第ではあるが、恐らくこの剣を手に入れた時だろうな」

 言いながら、私は鞘に納めた黒剣(クリフォト)をポンと軽く叩く。

「うわぁ!楽しみだねぇ!」

「あぁ、とても楽しみだ」


 太陽の様に眩しく嗤う黄と、三日月の様にニンマリ嗤う私を、黄昏世界に吹く涼しい風は、軽やかに駆け抜けていった。




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