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馬車道中


 翌朝。

 早朝。

 椿がこの世界に来た時と変わらず、雲一つない蒼穹の空が広がっていた。

 ただし、空には雲の代わりに、茶色い四つの大陸の底が見えているのだが。

 しかし、それによって陽が遮られることは無く、光はあまねく世界に満ちている。


 王都グラへと旅立つこの日、椿は夜明けと共に起きていた。

 前日、夕方近くまで寝ていた為、睡眠が浅かったのも理由に上がるが、それ以上に、あの手紙の最後の一文が気になって仕方なかったからだ。

 読んだ瞬間、すぐにシンに聞いてみたが、シンは「その名前の通りだよ」と、到底説明にならない事を言った後、ベッドに突っ伏して寝てしまったので、今現在詳しい事は聞けていない。

 起きたらもう一度聞いてやる、と思いながら椿も就寝したのだが、起きた時にはすでにシンの姿は見当たらなかった。


 ベッドから抜け出した感じはしなかったのに、気がついたら消えていたのだ。

 一体どこに行ったのかと椿が気を揉んでいると、ベランダの扉からフードを被ったシンが入って来た。


「シン!一体どこに行ってたの!?」

 怒り半分、心配半分と言った様子の椿は、憤慨(ふんがい)しながらシンを問い詰めた。

「ふっふっふー。じゃ~ん!これを見よ~!」

 ご立腹な椿に構わず、シンはテストで満点を取った子供の様に、無邪気にそう言うと、被っていたフードをガバッと捲った。

 フードの下から現れたシンの姿を見て、椿は目を見開いて驚く。

 軽く息をするのも忘れたほどだ。


 そこにあったのは、漆黒ではなく赤黒い、臙脂(えんじ)色に変化した髪だった。


「え・・・。そ、染めたの?」

 思わずシンの髪を指差して、呆然と訊ねる椿。

「驚いた?驚いた??へっへー!実は染めたんじゃなくて、この魔法器のおかげなんだー!」

 得意満面に言うシンは、僅かに尖っている耳。

 その左耳を椿に向かって晒す。

 そこにはシンの今の髪と同じ、臙脂色をした雫型の玉が下がった、耳飾りが着けられていた。

 臙脂の玉には、小さく文字が刻まれているが、椿にはなんて書いてあるのか読めない。

「それは?」

「うん。これはね、相手の認識を上書きする魔法器なんだ」

「上書き?」

「上書きと言うか認識阻害に近いのかな?椿がアズールに貰ったアミュレットと似たような原理なんだけどね。相手の認識を阻害した後、その代わりとなる情報を差し込んで上書きするんだ。だから、コレを外すと・・・」

 椿にそう言いながら、シンが耳飾りを外すと、途端にシンの髪色が黒に戻る。

「これ、このように!上書きされていた物が剥がれて、本来の色に戻るのさ!」

「へぇ~。便利~」

「でしょ?これなら、髪を染めなくて済むし、ウリエルの目も誤魔化せるんじゃないかなって思ってね。急いで作ったんだー」

 シンの解説に、椿はひとしきり関心して、シンの手の中にある耳飾りを眺めるが、すぐにうん?と首を傾げた。


「‟作った”?」

「うん!詳しく聞きたい?」

 ニンマリと訊ねてくるシンに、この手の話は長くなる、と察したのか、椿は短く断った。

「結構」

「そ?残念。とにかく、この魔法器は僕のお手製なんだけど、一から材料を集めたから、金貨3枚も使っちゃったよ。はい財布」

 シンがサラッととんでもない事を言いながら、革袋を渡してくるものだから、椿は猛スピードで内ポケットに入っているはずの財布を確認する。

 だが懐には、確かに昨日しまったはずの財布が無くなっていた。

 椿は怒涛の勢いで、シンから財布をかっさらい中を改めると、そこには見事に金色の硬貨だけが忽然と消えていた。

 金額にして約30万。

 紛れも無い大金。

 それが知らないうちに使われていた事実に、椿は目が零れ落ちそうなほど見開き、固まってしまう。


 財布を持ったまま微動だにしない椿に、心配したシンが恐る恐る声をかける。

「つ、椿?どうしたの?」

 やがて椿は、陸に揚げられた魚の様に口をパクパクさせたかと思うと、ゆっくりと首を軋ませながらシンを見た。

「・・・き、き、金貨、3枚・・・」

 そこまで言って、椿はふっと気を失い、糸の切れた人形の如くベッドへ倒れこんだ。

「ちょっ椿!?」

 慌てるシンの声が、一層明るくなり始めたアズールの部屋に、空虚に響いていた。


 意識を取り戻した椿は、間髪入れずにシンを叱る。

 金を使うなとは言わない。

 必要であればいくら使おうと構わないけど、黙って財布を持ち出して、使い込むのはやめて欲しい。

 鬼の形相をしながら、それとは真逆の静かな声色でそう叱る椿に、シンは息を呑みながら、必死に首を縦に振って聞き入れた後、素直に謝罪した。


 時間にして10分程だろうか。

 時計が無い為、あくまでも体感的なものだったが。

 外で待っている馬車の事もあり、椿はひとまず説教を切り上げると、素早く身支度を整えて、臙脂色の髪をしたシンと共に1階に下りる。


 椿は支部を出る前に受付へ向かうと、そこにいた女性に馬車が停めてある場所を訊ねた。

「馬車は支部を出た真正面にて待っております。馬車の側面に盾の紋章が刻まれていますので、すぐにわかるかと」

「ありがとうございます。短い間でしたが、お世話になりました」

「ありがとー!お姉さん!」

「いいえ。どうぞ、お気をつけて」

 そんなやり取りを女性として、二人はマレ・ペンナ支部を後にした。


 馬車は女性の言った通り、確かに支部の真正面、噴水前に停まっていた。

 その馬車は灰色の四輪車で、栗毛の馬二頭が牽引(けんいん)している。

 馬車の側面に、大きく盾の紋章が施されている事から、椿達が乗るのはコレで間違いないだろう。

 定員4名ほどの馬車の扉は開け放たれていて、その横で、灰色の御者服に身を包んだ痩身の男性が立っていた。

 年齢は40代前半だろうか、白髪の混じった薄青い髪を、丁寧に後ろへ撫でつけている。


 まだまだ早朝。

 未だ空気が冷蔵庫並みに冷えている中、直立不動の男を見て、一体いつから待っていたのだろうと、椿は若干気になる。


「ツバキ様とシン様でいらっしゃいますか?アズール様から、この度王都グラまでの移送を承りました、アイクと申します。道中、よろしくお願い致します」

 アイクと名乗った御者はそう言うと、深々と腰を折り、椿達にあいさつをした。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「王都までは、途中休息や宿泊も含めて3日の道程となります。まず最初の村に到着するのが本日の夕刻。二日目は夜明けと共に出発して、陽が沈む前に次の村へ。三日目、これも早朝に出発。王都に到着するのは昼過ぎの予定となっております。何かご質問はございますか?」

「いえ。大丈夫です」

 アイクはザックリとこれからの予定を説明した後そう問いかけるが、椿は首を横に振って答える。

「僕も特に無いかな~」

 椿に続いてシンも、赤黒い髪をサラサラと揺らして言う。

「それでは、早速出発致しましょう。何か疑問や要望等ございましたら、いつでもお声掛け下さい」

 アイクは首肯しながら付け加えて言うと、二人に馬車に乗るよう促した。


 最初に馬車に乗り込んだのは椿だ。


 馬車の中は特に質素という事も無く、かと言って贅を凝らしている訳でもない、丁度よく中間をいくような内装だった。

 壁は落ち着きのあるベージュ。

 座席は長距離移動にも耐えられるように、ふかふかした布製の深緑色をしたソファー。

 紺色のカーテンが取り付けられた左右の窓とは別に、御者と意思疎通が出来るように、開閉式の小窓が御者席側に作りつけられている。

 天井には中央に一つだけ、ランタンの様な照明がぶら下がっていた。

 

 シンが椿と向かい合って座席に座ると、御者台に身を置いたアイクから、出発する旨の声がかけられた。

 パシンッと、手綱を(さば)く鋭い音が響くと、馬の(いなな)きと共に馬車がゆっくりと動き始める。

 初めて馬車に乗る椿は、ゴトゴトと意外と揺れる乗り心地に、若干の嫌な予感を覚えていた。


 こうして椿達は、様々な出来事が繰り広げられた、始まりの町マレ・ペンナを後にするのだった。


-------------------


 マレ・ペンナを出て、メイン街道を王都に向かって北上する事1時間。

 椿の嫌な予感は的中していた。

 と言うのも、実は椿は乗り物酔いをしやすい体質で、急発進急停車、きついカーブや激しい振動を繰り返されると、もれなく酔う。

 馬車である事から低速な上、メイン街道は基本直進で、カーブはあれど緩やかな為平気だったのだが、問題は振動だった。


 メイン街道と謳ってはいても名ばかりで、特に石畳等で舗装されている訳では無い。

 せいぜい草や大きな石が取り除かれた、横に大きいだけの粗末な道である。

 その為、椿達を乗せた馬車は、小石に乗り上げたり、道に空いた穴であったりの影響で、ガッタンガッタンと乱暴に揺られていた。


 馬車の中で、シェイクよろしく上下左右に振られている椿は、腰やら尻やらの痛みよりも、胃の内容物を吐き戻さないよう、口に手を当てて耐えるので必死だった。

「大丈夫?椿」

 同じ馬車に乗って、同じように揺られているのに、ケロッとした表情のシンは、むしろ椿を気遣うだけの余裕さえあるらしく、心配そうに椿に声をかける。

「・・・・・・」

 今口を開けば、吐いてしまうのは間違いない為、椿は土気色の顔と死んだ魚の様な目でシンを見返した。

「ダメ・・・みたいだね。うーん、どうしようか。止めてもらう?」

 言外に、吐く?と聞いてくるシンに、椿はフルフルと小さく首を振った。


 例えここで止まり、吐いて多少スッキリしたとしても、結局はこの馬車に乗って王都に向かわなければいけない為、そもそもの解決にならないからだ。

「まぁ、そうだよねー。仕方ない」

 涙目で、酸っぱい唾を飲み込んでいると、不意にシンが椿の額に手を当てた。

 その途端、急激に吐き気が弱まる。

 次にシンは両手で椿の両耳を覆い、魔法を唱えた。

「強化」

 すると、椿の中で猛烈に渦巻いていた酔いが治まり、喉をせり上がっていた胃液も、嘘の様に落ち着いた。


 完全に酔いが消えた椿は、口に当てていた手を外して、呆然とシンを見る。

「何、したの?」

 魔法のおかげとは分かっていても、思わず聞いてしまう。

「三半規管を魔法で強化したのさ」

「その前の行動は?あれだけでも、ずいぶん酔いが軽くなった気がしたんだけど」

「あれは、まぁ僕の半心特権って奴かな。椿の酔いの症状の半分を僕に移しただけ。ある程度症状を緩和しないと、三半規管を強化しても、効果が出るまでに時間がかかっちゃうからね」

 言われてみると、シンの顔色が気持ち青くなっている様な気もする。

「え、それ平気なの?だって今はシンが酔ってる状態なんでしょ?」

「平気平気!こんなの慣れっこ」

 シンの体調を案じる椿に、シンが両手を目の前で振りながら軽く言った所で、ドンッと馬車が浮き上がって落ちた。

 どうやら大きめの石を踏んづけたようだ。


 身体が一瞬ふわりと浮いた後、座席に尻を強打する。

 その痛みに二人揃って顔を顰めると、シンが腰をさすりながら口を開いた。

「あー、でもちょっと辛いから、椿が膝枕とかしてくれると嬉しいんだけどなぁー」

 そしてここぞとばかりに、わざとらしく辛そうな表情を作って、チラチラと椿を見ながらそんな要望をしてくる。

 あからさまなシンの様子に、椿は思わない所が無い訳でも無かったが、しょうがないなぁと膝を空けた。

「・・・まぁ、酔いを消してくれた礼もあるし、膝枕ぐらい構わないけど」

「ホント!?じゃ、お邪魔しまーす!」

 辛そうな様子はどこへやら、打って変わってシンが弾かれたように元気よく言うと、間髪入れずに椿の隣に移動して、さっさとその膝を占領する。

 ちなみに、顔を椿の身体側に向けようとしたシンだったが、さすがにそれは許してくれず、無言で反転されてしまった。

「にしても、これなら酔う前に最初から三半規管を強化してくれれば良かったのに」

 そうボヤいた椿に、シンが膝枕をされながら理由を話し始めた。

「まぁそうなんだけど。椿、何にも言わないから、てっきり平気なのかなーって思ってさ」

「・・・次からは早めに申告しとく」

「あはは。そうしてくれると助かるかな」


 相変わらずガッタンゴットンと荒々しく揺れる馬車に乗りながら、シンはおもむろに顔を上に向けて椿を見上げる。

「と言うか、自分で自分に強化魔法を使っちゃダメなんてルールは無いし、椿が自分で強化魔法を使えばいいんだよ」 

 唐突にそんな事を言うシンに、椿は目をパチパチと(まばた)かせて見返す。

「って、どうやって?」

「えーっと、強化したい部位をマナでコーティングするようなイメージって言えば分かる?」

「コーティング・・・」

 いまいち想像できないらしく、椿は眉間を寄せて考える。

「少年との戦いの時に、椿、刀に紫電を纏わせてたでしょ。その要領で肉体を強化するんだよ。身体を硬化したい場合はマナの鎧を纏うようなイメージ。速化したい場合は、マナで体重を削るようなイメージかな。とにかく、今日泊まる村まではまだまだ時間がかかるし、暇だから練習してみなよ」

 椿が窓越しに外を見てみると、陽はまだまだ低く、昼にもほど遠い。

「それじゃあ、やってみる」

 首肯してそう言うと、椿はシンに膝を提供したまま、強化魔法の練習に(はげ)みだした。


 そうして、何度か強化魔法を繰り返し練習し、椿がようやく慣れてきた頃、馬車はゆっくりと停車した。

 外を見てみれば、陽は高く昇っている。

 アイクからは昼休憩とのことだった。


 椿は馬車の扉を開けて、約6時間ぶりとなる大地を踏みしめる。

 目の前には青々とした草原と、湖とはいかないまでも、それなりの大きさを誇る池が広がっていた。

 池の水は澄んでいて、悠々と泳ぐ魚を見る事が出来る。

 椿に続いて、シンも馬車から降りると、うーんっと盛大に伸びをして、身体のコリを取る。

 ゴキゴキと腰付近から骨の鳴る音が聞こえた。


「ここでしばし休憩となります。軽食を用意してございますので、よろしければどうぞ」

 言いながらアイクは、御者台に取り付けられた四角い箱の中から、小さめのバスケットと木製の水筒を取り出して椿に渡した。

「ありがとうございます。あの、アイクさんは?」

「私は移動中に済ませてありますので、お気になさらず」

 そう椿に言うと、アイクは息を荒げる二頭の馬に近寄り、馬車と繋いでいた器具を外して、馬を池に誘導する。

 盛大な音を立てて水を飲む馬を眺めつつ、椿はシンに水筒を渡してバスケットを開けた。


 中に入っていたのは、鶏肉を挟んだサンドウィッチが四つ。

 そのうちの一つを手に取り、水筒を持ったままのシンの口に突っ込む。

 むぐぐむぐ、とシンが何やら抗議めいた声を上げていたが、それを無視して椿もサンドウィッチを頬張った。

 甘辛く味付けされた鶏肉が、ほのかに塩気を含んだパンと相まって美味しい。

 じっくりと味わいたいが、いつ休憩が終わるか分からない為、急いで咀嚼する。

 隣のシンを見ると、もう食べ終わりそうになっていたので、椿は追加のサンドウィッチをさらにシンの口に突っ込んだ。

 むぐー!!と、シンから悲鳴が上がるが、椿は素知らぬふりをして、ゆったりと景色を眺めながら昼食を摂るのだった。


 それからおよそ10分後。

 貰ったサンドウィッチを平らげ、水筒の中身を飲み干した椿達は、再び馬車に乗り込む。

 椿達が乗り込んだのを確認したアイクは、休憩を終えた馬に再度器具を取り付け、自らも御者台に戻ると、早速馬車を発進させた。


「椿。食べさせてくれるのは嬉しいけど、一気に喉の奥まで食べ物を突っ込むのはやめて。シンプルに苦しい」

 馬車が出発すると、シンが開口一番、真剣な表情で椿にそう苦言を(てい)した。

「気をつけます」

 反省してます。と言った様子の椿は、すでに自分で三半規管の強化を終えている。


 5時間にも及ぶ特訓の末、自分への強化は問題なく出来る程度には習熟した椿。

 とは言え、どうやら椿は補助系の魔法があまり得意ではないらしく、試しにシンに強化魔法やら硬化魔法やらを付与してみたが、結果は(かんば)しくなかった。

 かからない訳では無いのだが、魔法の強度が弱く、5分ともたずに効果が切れたり、著しく弱かったりと散々だ。

 その為、シンは椿に、とりあえず自身への強化を優先するように、と方向性を決めた。

 そのかいあって、問題なく強化魔法を自身にかけられるようになった椿は、長年の悩みであった乗り物酔いを克服することが出来、後半の馬車旅は見違えるほど楽なものになっていた。

 

 食事を摂取したことで、椿は軽い眠気に襲われる。

 ウトウトと船を漕ぎながら、これまでの事を反芻していると、昨夜の事に行き着き、シンに聞こう聞こうと考えていた疑問を思い出した。

「そうだ!シン!手紙に書かれてた名前の事だけど!」

 突然、勢いよく目を見開いて聞いてくる椿に、シンは思わず仰け反る。

「え、は?名前?」

 ‟名前”と言われてもピンと来ないシンは、仰け反ったまま椿に聞き返す。

 そんなシンを見て、椿は急いで腰のポーチから、アズールの手紙を取り出した。


 そして、最後の一文が書かれている所をズイッと突き出し、シンに見せる。

「これ!王都と王様の名前!」

 そこでようやくシンは、椿の言いたい事に思い至ったらしく、あぁーと声を漏らした。

「それね。何が知りたいの?王都と王の名称は、そこに書いてある通りだし、王の人柄については昨日、アズールが説明したので十分だよ?」

「・・・王都の名前が原罪で、王様の名前が魔王って、ここでは普通の事なの?」


「うん。普通」


 即答するシン。

 シンがあまりにもキッパリと断言するものだから、椿は思わず言葉を失ってしまう。

「このエデンには七つの国があり、七人の王がいる。そのそれぞれが原罪名を背負っていて、魔王が統治しているんだ」

 椿の困惑した様子を見かねたのか、シンは座席に深く座り直して軽く説明する。

「なんでまた、そんな・・・」

「人達をって?それは、このエデンの成り立ちに関係してるんだけど・・・知りたい?ものすごーーっく長い話になるし、知った所で特に役立つ事も無いよ?」

 説明するのが面倒だから、と言う思惑を含めてシンが椿に訊ねると、それを察したのか、椿はやれやれと首を振った。

「なら今はいい。でも、各国の名前ぐらいは知りたいから教えて」

「うーん・・・。それだったら地図があった方が説明しやすいんだけど・・・」

「持ってないわね」

「この先の村で売ってるかな?聞いてみよ」

 そう言うや否や、シンはガタガタと揺れる馬車の中、座席の上で膝立ちになり、真後ろにあった開閉式の小窓を開けて、御者台にいるアイクに話しかけた。


「ねぇ!」

 突然話しかけてきたシンに、アイクは多少驚きながらも後ろを振り返る。

「シン様。どうかなさいましたか?」

「うん。今向かってる村に、世界地図って売ってるかな?」

「世界地図、ですか?」

 急に突拍子も無い事を聞いてくるシンを訝し気に見つつ、アイクは今日泊まる予定の村について考えを巡らせる。

「・・・そうですね。確か雑貨屋があったと思いますので、そこで売っていたかと・・・」

「ありがと!」

 アイクに短く礼を言うと、シンはすぐに小窓を閉めて椿に報告する。


「あるって。そこで地図を買ったら解説するね」

「えぇお願い。で、それはそれとして、アズールさんから王様について軽く説明を受けたけど、それ以外で何か注意点とかある?」

 椿は王について、追加の情報は無いかとシンに訊ねると、シンは少し悩んだ後、そうだな・・・と続けた。

「一つ、付け加えるなら、ベルゼブブの前で食べ物の悪口と、食事の邪魔は厳禁ってとこかな。暴食の王だけあって、食べ物に関してはかなりナイーブなんだ。それを除けば、それなりにまともな王だと思うんだけどね~」

 しみじみそう言うと、シンは目を閉じて頷き、会話を終了する。

「・・・え、それだけ?」

 あっという間に終わり、予想の斜め上をいく内容に、椿はポカンとシンに聞き返す。

「そうだよ~、そんだけ~」

 だがシンはあっけらかんと復唱するだけで、それ以上の事は何も言わなかった。

 椿も‟それだけ”と言い切られてしまうと、何か追及する気にもなれず、微妙に納得のいっていない表情のまま黙りこんだ。


 やがてシンは座席に横になると、そのまま寝息を立てて眠ってしまう。

 することの無くなった椿も、シンにつられる様に横になり、目を瞑った。


 そうこうしているうちに、いつの間にか椿も眠ってしまっていたようで、目が覚めると窓の外は赤く色付いていた。


 最初の村に着いたのは、夕陽が地平線に沈む頃だった。


 到着した村は、木製の杭をズラッと並べた塀が作られ、囲んでいた。

 さらに所々、椿がアズールに貰ったようなアミュレットがぶら下がっている。

 どうやらこれで眷属から身を護っているらしいが、正直心許ない。

 それを補うためか、村の入り口には屈強な男性が二人、門番の様に立っていた。

 村の中央に作られた背の高い物見台にも、二人の人影が見える。


 御者台のアイクが、門番をしている男性に親し気に声をかけているのが、車内にまで聞こえていた。


 その後、村の中央、物見台の横まで馬車は進んで行き、ゆっくりと停まる。

 御者台から降りたアイクが、ガチャッと扉を開けた。


 椿とシンが馬車から降りると、アイクがお疲れさまでした、と声をかけてきた。

「本日はこの村に滞在致します。道中お聞きになりました雑貨屋は右手に、宿屋は左手にございます」

 アイクは雑貨屋、宿屋、とそれぞれ手で指し示す。

「それでは、また明日の早朝、こちらでお待ちしておりますので、準備が整いましたらお越しください」

 そして最後にそう言うと、自らは再び御者台に戻り、馬車を停めておくための係留所へ向かって行った。


 アイクを見送った二人は、まず教えられた雑貨屋へと歩を進める。


 杭の塀に囲まれた村の中は至って普通で、木製の家屋が立ち並び、共用の井戸が村の中心に一つだけある、ザ・村と言った造りだ。

 村の所々に、灯りとなる松明が設置されている。


 村内には畑や牧場が、小さいながらもいくつか存在していて、村の住人はそこから日々の(かて)を得ているようだ。

 ちらほら行商人と(おぼ)しき人も目に付く為、ここからも様々な仕入れをしているのだろう。


 次第に濃くなる紺色の空に追い立てられるように、村の人々は足早に自分の家へと帰っていく。

 外を出歩くのは、村を警備している人と、椿達の様に外から来た者だけだった。


 交易都市であったマレ・ペンナと比べると、微笑ましいほど素朴な造りの村を、椿は横目で眺めつつ、シンと共に雑貨屋の扉を開けた。


 雑貨屋は、ちょうど閉店間際だったらしく、店主らしきハゲ散らかした老人が、忙しそうにカウンター内で作業をしていた。


 雑多な店内で、その店主が入って来た椿達を(わずら)わしそうに見る。

「・・・もう店じまいなんだが」

「世界地図を買うだけだから、長居はしないよ。いくら?」

 不機嫌さを隠そうともしない店主に、シンは物怖じすることなく地図を要求する。


 店主はチッと椿達に聞こえる様に、あからさまに大きく舌打ちすると、背後にある棚からB6サイズの色褪せた地図を手に取り、バンッとカウンターに叩きつけた。

「銅貨2枚だ」

「ずいぶん吹っ掛けるね。その地図なら、良くて銅貨1枚でしょ。僕達が子供だからって舐めてるのかな?」

 愛想の欠片どころか塵一つない店主の態度に、シンは腰に手を当てながら冷静に指摘する。

「あぁ?嫌なら」

「銅貨1枚。それ以上は出さない」

 ピリピリとした空気の中、一歩も引かないシンは店主と睨み合う。

 

 やがて根負けしたのか、最初に目を逸らしたのは店主だった。


 店主は再度舌打ちをして、地図の上にあった手を退ける。

 張り詰めた空気に、生きた心地のしなかった椿は、シンが袖を引っ張る感覚で我に返る。

「椿、銅貨1枚でいいって」

「あ、う、うん」

 椿は急いで懐から財布を出し、中から銅貨1枚を取り出すと、店主に差し出した。

「・・・・・・」

 店主は無言で椿の手から銅貨をふんだくると、用済みとばかりにさっさと背を向けてしまう。


 そんな店主の接客態度に、椿は軽く苛立つが、シンはそうでも無いのか、いつもと変わらない飄々(ひょうひょう)とした様子でカウンター上の地図を手にすると、椿の手を引っ張って雑貨屋を出た。


 雑貨屋を出てすぐに、椿は店主の態度に不満を漏らす。

「・・・あの人、接客向いてないと思う」

「まぁ、マレ・ペンナみたく大きな町ならともかく、ここみたいな小さな村じゃこんなもんだよ。愛想を振りまかなくても客は来るからね」

「・・・気分悪い」

「接客業経験者としては納得がいかない?でも、エデンではよくある事だから、あまり気にしない方がいいよ」

 憤懣(ふんまん)やるかたない、と憤る椿とは対照的に、シンは落ち着いた口調でそう(なだ)めた。


 怒りそのままに、顔を顰めて地面を踏みつけながら宿屋に向かう椿。


 宿屋に到着しても、怒りの治まらない椿は、仏頂面のまま扉を開ける。


「いらっしゃ」

 ちょうど目の前にいた宿屋の女将が、そんな椿の顔を見てギョッとする。

「な、何かあったんですか?」

 自分の現在の表情を認識していなかった椿は、女将の言葉に疑問を抱いていると、シンが横から声をかけた。

「椿、今酷い顔してるよ。実はさっき、雑貨屋であまり嬉しくない対応をされちゃって、そのせいで怒ってるだけだから気にしないで」

 シンが前半を椿に、後半を女将に対して言うと、状況を理解した女将が同情してくれた。

「あぁ~、あの人ね。ごめんなさいねぇ。奥さんが生きてた頃はもう少しマシだったんだけど、最近は私達に対してもああで。お詫びと言っちゃなんだけど、夕飯はちょっとオマケしとくから、許してやってね」

 困った様な、あるいは疲れた様な微笑を浮かべて女将はそう言うと、今気がついたと言わんばかりに、改めて椿達に確かめる。

「あ!ごめんなさい!早合点しちゃった!お客さん・・・で、いいのよね?」

「はい」

「そうだよー!」

「あぁ、良かった」

 女将はホッとしたように顔をほころばせた後、ンンッと咳払いをする。


「改めて、いらっしゃい!うちは一泊夕食付、二人で銅貨12枚だよ!」

 どこぞのRPGゲームの様なセリフを口にする女将に、椿は軽く既視感を覚えつつ懐から財布を取り出した所で、不意にシンが口を挟んできた。

「ねぇ」

「でも!雑貨屋の親父さんの事もあるし、銅貨10枚でいいよ」

 だが、シンが続きを話すよりも早く、女将がそう言って宿代を値引く。

 黙って口を閉じたシンと入れ替わるように、口を開いたのは椿だ。

「え、良いんですか?夕食もオマケしてもらうのに・・・」

「いいのいいの!気にしないで!部屋は2階奥を使っておくれ。夕飯はどうする?部屋に持っていこうか?1階の食堂でも構わないけど・・・」

 女将は豪快に笑いながら、気風よく言うと立て続けに夕飯の事を訊ねてくる。

 椿はシンと顔を見合わせた後、一瞬悩んですぐに答えを出す。

「じゃあ」

「部屋に持ってきて!」

 食堂で、と言おうとした椿のセリフを遮って、シンが勢いよく女将に告げる。

「あいよ!」

 勝手に部屋食にしたシンに、椿は内心不満を感じないでも無かったが、別に食堂でなくちゃいけない理由も無い、と自分を納得させると、財布から銅貨10枚を取り出して女将に支払う。

「まいど!それじゃ、少ししたら夕飯を持っていくから、部屋で待っといてくれ!」

 女将は受け取った銅貨を着ていたエプロンのポケットに仕舞うと、(きびす)を返してキッチンへ消えていった。


 椿は改めて宿屋の中を見回す。


 木造2階建ての宿屋だ。

 1階は先ほどまで女将が立っていた、カウンター型の受付が正面にあり、その受付の奥にキッチンに繋がる通路がある。

 右手には食堂、左手には2階に上がる為の階段が設置されていた。

 

 椿とシンは、ギシギシと頼りない音の鳴る階段を上り、言われた2階奥の部屋に向かう。


 どうやら2階は全て客室となっているらしく、椿達以外に人の気配は無い。

 客室は全部で5部屋。

 左右に2部屋と奥に1部屋と言った間取りになっている。

 女将の自宅は宿屋と兼用ではないみたいだ。


 どの部屋の扉にも鍵の類いが無い為、いささか防犯面が気になるが、贅沢は言っていられない。

 割り当てられた部屋に到着した椿は、のっぺりとした薄い一枚板の扉を開ける。

 中の音が筒抜けになりそう、と不安を抱きながら入室する二人。


 部屋の中はシングルサイズのベッドが二つと、四隅の燭台、食事を摂れるよう端っこに四角いテーブルと背もたれ付きのイスが二つ、相反するように置かれているだけだった。

 窓にはカーテンが取り付けられていたが、所々に穴や()()()がある為、正直カーテンと呼称するのが(はばか)られる。

 ベッドのシーツや布団も、かなり年季が入っているのか、元は真っ白だったのだろうが、今はベージュへと変色していた。

 椿がベッドに腰かけると、これまたギシッと音が鳴る。

 乱暴に扱えば、即座に骨組みが折れてしまいそうだ。


「あのおばさん、なかなかのやり手だね」

 壊れないかな・・・と、恐る恐るベッドから立ち上がる椿に、シンは扉に目をやりながらそう呟いた。

「‟やり手”?」

「うん。このレベルの宿屋なら、二人合わせても銅貨8枚程度だよ。それを、あのおばさんは最初にわざと高い値段を伝えて、その後すぐに値下げした。それも雑貨屋の事を絡めてね。これで僕達は値段交渉がし辛くなった。夕食の件も含めて、すでに向こうから値引いてくれたからね。ここからさらに値段交渉なんて、よほど神経が太くないと出来ないよ。ま、こんな寂れた村だもの、それぐらい(したた)かじゃないと、やっていけないのかもね」

 滔々(とうとう)と解説するシンに、椿は唖然と聞き入っている。

「後はまぁ、夕食に期待するしかないか。銅貨2枚分の価値はあるメニューだと良いんだけど」

 シンはため息と共にそう締めくくると、手にしていた地図をテーブルの上に広げる。


 人は見かけによらない、と椿はしみじみ噛みしめながら、テーブルへと歩を進める。

 そして、そこに広げられた地図を覗き込む。

 色褪せた地図は、よく見れば所々(かす)れていた。


 地図には、東と北、北東に大きな大陸が一つずつ。

 南に中小の島々が点々とあり、西には巨大な大陸を三分割した様な、三つの大陸が隣り合って存在している。

 その大陸とは別に、地図の左上と右下。つまり北西と南東に、丸く印が描かれていた。


「さて、それじゃあ期待の夕食が来るまで、ここで地理の勉強といこうか!まずは、今僕達がいる東大陸から」

 意気揚々とシンは椿に宣言すると、まるで教師の様に地図を指差しながら説明を始めた。


 東大陸には四つの主要都市がある。

 まず、王都である飽食の都グラ。

 そこから南に行くと、大陸の中ほどに交易港湾都市マレ・ペンナ。さらに南に進めばマレ・ロサ。

 反対に王都の北に行けば、王都を護るように高く(そび)えるカリブルヌス山脈があり、それを越えれば北の玄関口であるマレ・アルゲオが存在する。

 東大陸を治めるのは、手紙にも書いてあった通り、暴食の王ベルゼブブ。


 次に南諸島。

 一番大きい、西側にある島に王都を置いていて、都市と呼べるのはここだけ。

 他はみんな、集落や村程度の規模となっていて、到底町とは言えないレベルだ。

 南諸島を統べる王の名は、嫉妬の王レヴィアタン。

 王都の名前は、羨望の都インヴィディア。


 西には三つの大陸があって、それぞれに王と国が存在している。

 外側にある最西大陸に、堕落の都アケディア。治めるのは怠惰の王ベルフェゴール。

 下にある南の大陸に艶美の都ルクセリア。王は色欲を司るアスモデウス。

 最後の一つ、東側にある大陸に貪欲の都アワリティア。強欲の王マモンが治めている。

 この三国は仲が悪くて、しょっちゅう小競り合いの戦争をしているけど、今は休戦中で小康状態を保っている。


 広大な北大陸を支配しているのは、ご存じ超有名な堕天使にして魔王。傲慢の王ルシファー。

 王都の名前は絢爛(けんらん)の都スペルヴィア。

 でも、現在はそのルシファーが行方不明中。

 ルシファーの代わりに今現在北大陸を治めているのが、北東の大陸を統べる憤怒の王サタン。

 北東大陸の首都は、激情のイラ。


 この東大陸と同じように、南諸島以外は交易都市や大きな町がいくつかあるけど、説明していたらキリが無い為、今は割愛。


 西諸国と言い、北の大国と言い、その情勢は安定していない。

 南諸島も、最近何やらきな臭い為、この東大陸が今一番安定していて平和だ。


 そこまで説明したところで、唐突にノックの音が部屋に響いた。

 ガチャッと扉を開けたのは、トレーに夕食を乗せた女将だ。


「失礼するよ。おや、勉強中かい?」

「うん、まぁね」

 シンはそう言うと、地図をガサッと乱暴にテーブルから退かす。

「偉いねぇ。ウチの子にも見習って欲しかったよ」

「お子さんがいらっしゃるんですか?」

 テーブルにトレーごと夕食を置きながら、女将がやれやれと言った様子でボヤく為、思わず椿は訊ねてしまう。

「あぁ。と言っても、もう18になるんだけどね。王都に出稼ぎに行ったっきり、連絡一つ寄越さないから、今ごろ何やってんだか」

「それは、心配ですね」

「まぁ、毎月仕送りは来るし、身体は丈夫な男だから、そんなに心配はしてないんだよ。便りが無いのは元気な証拠ってね!気を使ってくれて、ありがとね」

 女将は表情を曇らせていた椿に、苦笑して礼を言うと、食事が終わったらトレーごと廊下に出しといてくれ、と告げて部屋を出て行った。


「さてと、それじゃあ夕飯たべちゃおっか」

 そうね、と言いながら椿は置いてある夕食に目をやる。


 トレーに乗っていたのは、皿に盛られたシチューの様な物が二つと、硬そうなパンが四つ。後は申し訳程度のサラダが二つ。

 椿はトレーに置かれていたスプーンを手に取り、自分の分のシチューを手元に寄せて(すく)い、口に運ぶ。


 薄い。


 思ったのはそれだけ。

 全体的に味が薄いのだ。

 シチューと言うよりも、お湯で薄めたミルクに野菜をぶち込んで、ひとつまみの塩で味付けをしただけ、と言った有様で質素にもほどがある。

 正直、シーニィの方が100倍美味しい。

 でも、この村ではこれがご馳走(ちそう)なのかも知れないと思うと、残す気にも不満を言う気にもなれず、椿は黙々と食べ進める。

 パンは見た目通り、歯が取れそうなほど硬かった。

 ふと、椿がシンを(うかが)い見ると、シンも椿と同じ様に、無表情でモソモソとサラダを口にしている。


 無言の空間に耐え切れず、椿はシンに話しかけた。

「オマケって、このサラダの事かな・・・?」

「多分・・・。大自然の味が感じられて、言葉を失うよ・・・」

 シンはサラダから目を動かさず、虚ろな声色で椿にそう申告する。

 スプーンと同じく、フォークもトレーに置かれていた為、それを使って椿も恐る恐るサラダを口に運ぶ。

 途端、野菜の味がダイレクトに舌に襲い掛かる。

 野菜の甘みとか、旨味とか、そういったものは皆無。

 ドレッシングの類いも見当たらない。

 椿は一瞬でこのまま食べるのは無理だと判断すると、ただただ苦く青臭い野菜を、薄味極まるシチューで必死に誤魔化しながら飲み込んだ。


 シンの言った通り、言葉を失くした椿は、今度こそ黙々と夕飯を食べ進め、石の如きパンのおかげで顎が疲れ果てた辺りで、ようやく全ての料理を食べ終えた。

 量は少なかったが、石パンの活躍もあって、咀嚼回数が増えたことにより、満腹感を得ることが出来た。


 椿は静かに、完食した皿が乗るトレーを部屋の外に出す。


 軽く痛みを訴える顎を(さす)りつつ戻ってきた椿に、シンが地の底から響く様な昏く低い声で話しかけた。

「素晴らしい銅貨2枚分の食事だったね・・・」

「えぇ、筆舌に尽くしがたい夕飯だったわ・・・」

 皮肉を言うシンに、椿も同意すると、二人揃って重苦しいため息を吐く。


「これが、ここでの普通の食事なの?」

「うーん・・・。まぁ、この村レベルだとこんなものかなぁ。銅貨2枚には到底及ばないけどね」

「そう・・・。諦めるしかないか・・・」

 げんなりした様子で答えるシンを見た椿は、思わず天を仰ぎ見て、嘆息と共に呟いた。


「さて、それじゃあ、とりあえず満腹になった事だし、勉強の続きといこうか。何か質問とかある?」

 シンは空いたテーブルの上に、再びザっと地図を広げ、殊更(ことさら)に明るく椿に問う。

「う~ん。さっきルシファーが行方不明って言ってたけど、どういう事?原因とか、居場所の目星とかついてるの?」

「ううん。原因不明。数年前、突然姿をくらましたんだってさ。今も側近の人達が方々探し回ってるみたいだけど、まだ見つかってない」

「それ、いくら代理の王がいるって言っても不味いんじゃない?」

「そうだね~。結局サタンは別の国の王だしね。色々と軋轢(あつれき)が生まれて、今は西側諸国より北方の方が物騒だって言われてるよ」

 そうよね~と相槌を打ちながら、地図に目を滑らせていく椿。


 その中で、椿はふとある点を指差した。

「この左上と右下にある丸は何?」

 それは、先ほどの説明でシンが触れていなかった、北西と南東にある丸い印だ。

「あぁ、それは‟水天柱(すいてんちゅう)”だね」

「‟水天柱”?」

「そう。以前、椿に説明したと思うけど、この世界は天水って言う水に覆われている。その水は、水天柱によって天空にまで押し上げられた海水なんだ。空から落ちた際に、椿も見たと思うよ?」

 シンにそう言われて、椿は記憶を反芻(はんすう)する。


 そしてすぐに、それらしきものに思い当たった。

 空からの落下中に見えた、あの柱の様な物だ。

「もしかして、遠くに見えたあの柱?」

「そうそう。それそれ」

 まさか、見えていたのが実は水の柱などと思ってもみなかった椿は、はぁーと気の抜けた声とも吐息ともつかない音を口から漏らす。

「じゃあ、天水ってしょっぱいの?海水なんでしょ?」

「ううん。天水は真水だよ。天水の中に、クジラによく似た生き物が住んでいてね、そいつが不純物や塩分等の成分を分解、浄化しているのさ。運が良ければ、地上からでも影ぐらいは見れるかもよ」


 その後も、椿がシンの世界解説を受けていると、扉の外からギシギシと音が聞こえてくる。

 どうやら女将がトレーの回収に来たらしい。

 特に室内に入ってくる様子も無いので、無視して勉学に勤しむ椿。


 そうこうしているうちに、あっという間に夜は更けていき、椿の頭が船を漕ぎ始めた辺りで、シンからそろそろ寝ようと提案された。


 各国の状況説明も一段落していた為、椿も特に反対すること無く、二人揃ってベッドに潜り込み、この日は終了した。


-------------------


 二日目。


 本日の天気も昨日と変わりなく、雲一つない晴天だが、その色は心なしか濃いように感じる。


 前日と同じく夜明けと共に起きた椿は、同様に起きていたシンを連れて1階へ下りる。

 どうやら女将は夕方からの出勤らしく、受付にその姿は見えない。

 代わりに、初老の男性が立っていた為、椿はその人に挨拶して宿屋を後にした。


 外に出ると、すでに村の中央、物見台の隣でアイクが馬車の扉を開けて待っているのが見えた。

 

 椿はアイクへ駆け寄り、開口一番に謝る。

「すみません!お待たせしてしまったようで」

「おはようございます。いえ、こちらもちょうど支度が整った所ですので、お気になさらず」

 謝罪は不要と首を振るアイクに、椿が恐縮していると、その後ろからのんびりした足取りのシンが椿に追いつく。

「おはよ~。お待たせ~」

 牛の様に間延びした声で、朝の挨拶を交わすシン。

「おはようございます。それでは揃ったようですので、早速出発いたします。どうぞ、ご乗車下さい」

 アイクにそう促された二人は、昨日と同様、素早く馬車に乗り込むのだった。


 道程は昨日と大差ない。


 相変わらず揺れる馬車の中で、椿は昨夜の続きをシンに催促していた。

「じゃあ、昨日の続きだけど」

「続きって、大まかな説明は昨日ので全部だよ?」

 これ以上何を説明すればいいの?と、シンは首を傾げて椿を見返す。

「私が聞きたいのは、これから行くグラの事よ。他の国はまだ行くかどうかわからないから、ざっくり程度でいいけど、明日到着する町については詳しく知っときたいの」

「え~、そう言うもん~?」

 目を瞑り、腕を組んだシンが、より一層首の角度をつけて傾ける。

「私は、そうなの」

 椿がハッキリ言い切ると、シンは観念したのか、億劫(おっくう)そうにため息を吐いた後、グラの説明を始めた。


 王都グラは、巨大な湖の真ん中に存在する湖上の都だ。

 都の外周は湖に囲まれている為、それが天然の堀になっている。

 背後には、天を突くように鋭く(そび)えるカリブルヌス山脈が連なっていて、向こう側にあるマレ・アルゲオに行くにはトンネルを抜けなければならない。

 登山で越えることも出来なくはないが、途方も無い労力と危険が伴うため、オススメはしない。

 これらの事から、グラは守りやすい立地をしている事がわかる。

 この王都の立地と有能な王のおかげで、ここ1000年は争いごとの無い、平和な時代が続いている。


 肝心の王都内部の概要だが、王ベルゼブブが住まう王城は、円形に造られた町の中心にある。

 その王城の周りを貴族の邸宅が囲むように造られ、さらにその周りを、貴族御用達の高級店が軒を連ねている。

 一般平民の家々や、庶民が利用する店はさらにその外。

 高級店と背中合わせになるように、庶民の店が並び、そこから城壁側に向かって平民の家々と集合住宅がひしめいている。

 グラは飽食の都と言われている通り、食べ物に満ち溢れた所だ。

 そのおかげかは知らないが、グラに貧民街は存在しない。


「王都の大きさはマレ・ペンナよりも大きくて、大体直径で12キロはあるかな」

 シンがそこまで説明したところで、今まで黙って聞いていた椿が驚きの声を上げる。

「12キロ!?それって半径6キロはあるって事!?」

「うん。そう」

 あっさりと認めるシンに、椿は愕然とした様子で固まった。

 さもありなん。

 マレ・ペンナの時でさえ、支部から東地区に移動するだけで足が痛くなっていたのに、王都はそれ以上の大きさを誇っているのだ。

 下手をしたら、移動するだけで陽が暮れてしまうだろう。


 そんな椿の内心を察したのか、シンは救いの言葉となる補足説明をする。

「だから、王都には移動しやすいように、東西南北だけでなく、北東から南西、北西から南東にも‟魔走車”が走っている。運賃は一人につき鉛貨5枚だから、よほど困窮(こんきゅう)していなければ庶民でも普通に乗れるね」

「‟魔走車”って、アズールさんの手紙にも書いてあったアレ?」

 手紙の内容を思い出したのか、椿は天井を見上げながらシンに訊ねる。

「そうそれ。魔法器で造られ、マナで動いて走っている物だから‟魔走車”なんだって。安直だよね」

「どんな物なの?」

「それは前にも言った通り、見てのお楽しみだよ」

 魔走車の詳細について、頑として話さないシンに、ハードルはあまり上げない方が賢明だと思う、と考える椿。

 さらに言うと、名前やシンの軽い説明で、魔走車がどんな物なのか、何となく予想はつき始めているが、これは言わぬが華だろう。


「王都グラに関してはこんなとこかな」

 椿の半ば呆れた様なジト目を受けながら、シンはそう締めくくる。

「じゃあ、王都って簡単に言うと、王城を中心にエリアがどんどん外に向かって円形に広がっていく感じなの?」

「そ。理解が早くて助かるよ」

 ニコニコ顔で頷くシン。

「そう。それならー」


 それからも椿は、昼休憩で馬車が停止するまでシンに質問を続けた。


 知的好奇心が旺盛(おうせい)な椿に、予想以上の質問攻めを喰らったシンは疲れたらしく、ややげんなりした表情をしている。

 あらかたの疑問が解消された椿は、軽やかに馬車を降りると、シンとは対照的にスッキリした表情で伸びをする。


「そう言えば椿って、マレ・ペンナで道に迷った時も、あの迷宮で別れちゃったときも、僕の事呼ばなかったよね。なんで?」

 シンはおもむろに、だが常々疑問に思っていたことを椿にぶつけてみる。

「なんでって・・・」

「例え椿の近くに僕がいないとしても、呼べば飛んで行くって言ってるのに」 

「飛んで行くったって・・・」

 突然のシンの問いかけに、椿は困惑した様子で言葉を詰まらせた。

「信じられない?なら、百聞は一見に如かず、やってみようか」


 そう言うと、シンは椿の返事も聞かずにタタタッと走っていき、馬車から距離を取る。

 そのうち、シンの姿が指程度の大きさになった辺りで止まると、椿に向かって背伸びをしながら手を激しく振った。

「椿ー!呼んでみてー!!」

「は?え、えぇっと、シン?」

 気恥ずかしさも相まって、小声になる椿だったが、言われた通りシンの名前を呼んでみる。


 途端、遠くにあったシンの姿が、金の粒子となって消え失せた。

 そして、驚いて息を呑む椿の目の前で、金の粒子は瞬く間に凝縮していき、やがてシンの姿を形成する。

 金の光が治まると、そこには先ほどと寸分違わないシンが、明るく笑って立っていた。


「へへー!飛んで行くって、こういう事!」

「え、な、ど、どういう」

 思わず椿はシンを指差して、言葉をつっかえさせながら問いかける。

「なんで驚いてるの?椿と一体化する時も、僕、粒子化してたよね?」

 そう言われて思い返してみれば、確かにシンはその身体を金の粒子に変えて、一体化していた。

 その事自体は、特に疑問を抱かなかった。

 何故かと問われれば、それはこの世界(エデン)に落ちる前、シンに心体支援の許可をしたからに他ならない。

 であるならば、今さらシンの身体が金の粒子になって移動するぐらい、驚く事では無いのだろう。

 ふむ、と考えを巡らせる椿に、シンは声をかける。

「僕の身体は特別製なんだ。だからマナが存在する所なら場所、距離に関係なくどこでも飛んで行けるから、遠慮なく呼んでね!」

「・・・わかった」

 気の落ち着いた椿は、コクリと頷いてシンに返事をした。


 そんなやり取りをシンとしていると、ポツッと、椿の頬に何かが落ちてくる。

 はて?と椿が空を見上げれば、今度は額に冷たいものが降ってきた。

 手を伸ばして、額を拭い確認すると、それは水滴だった。

「雨?」

「みたいだね。馬車の中に戻ろっか。この調子だと本降りになりそうだし」

 シンの言葉通り、ゆっくりとだが、水滴の数が増えていってるように思える。

 改めて空を見上げれば、そこには相変わらず雲は無い。

 しかしその色は、濃く昏い藍色になっていた。

「お二方、そこにいては濡れてしまいます。どうぞ、中へお戻りください」

 椿が空を眺めていると、いつの間にか灰色の雨合羽を着て、フードを被ったアイクからも声がかけられる。


 アイクにも促された椿は、素直に馬車内に戻る。

 椅子に座った所で、アイクが昨日と同じようにバスケットを渡してきた。

 今日は卵サンドウィッチだ。


 シンと一緒にサンドウィッチを頬張りながら、外を眺める椿。

 すでに外は、静かに雨音が響いていた。

 さあさあと、葉の擦れるような音を立てて降り始めた雨は、あっという間にそこかしこで大小の水溜まりを形成する。


 昨日よりも幾分早く昼休憩を終えて出発した馬車の中で、椿は降りしきる雨を眺めながら、昨日シンが言っていたことを思い出す。


 曰く。

 水天柱は絶え間なく水を天に供給している為、天水はその比重がどんどん膨らんでいく。

 そのうち、重くなりすぎて天に留められなくなった水は、重力に従ってエデンに落ちる。

 だから、そもそもエデンには雲が存在しない。


 簡単に要約すると、この世界での雨の原理とはそういう事らしい。

 だからこそ、天水の中に浄化のための生き物が存在している、とも言っていた。

 なるほど、と思った。

 浄化生物がいなければ、海水やらゴミやらが降ってきて、とてもじゃないが心安らかに暮らすことなど出来ないだろう。


 追想に耽りながら、椿は雨の降る外の景色を見続けた。


 雲一つ無い藍色の空から降る雨は、薄い陽の光に照らされて、キラキラと宝石の様に輝く。

 元の世界では見られないその幻想的な光景は、まるで一つの絵画のようで、椿の心に色濃く刻まれたのだった。


 それから馬車は、ぬかるんだ道に手間取りながらも、なんとか日暮れまでには二つ目の村に辿り着く。

 雨はすっかり上がっていたが、その残滓となる水溜まりは至る所に残っている。


 昨日滞在した村と大して変わらない村で、同じような宿に泊まり、その晩はエデンの常識や基本的な町の規則について、シンから一通りの説明を受けてから眠りにつく。


 そして、三日目の朝を迎えた。


-------------------


 三日目。


 早朝。

 この日も、これまでと同じく夜明けと共に出発。

 

 前日の雨によってぬかるんだ道は、これまでよりもさらに馬車の乗り心地を悪くしていたが、これが最終日だからと、椿もシンも愚痴を言わずに座り続ける。

 もちろん椿は、前日、前々日に続いて、馬車に乗る前に三半規管の強化済みだ。

 

 今回は昼休憩無しで走り進め、昼を過ぎ、陽が軽く傾いた頃、ようやく目的地となる王都グラが見えてきた。


 そこはシンが説明していた通り、湖の中に存在する町で、王都に入るには東西南北に貫く大橋を渡らなければならない。

 北には高い山々が、西には草原が、東の橋の先には小高い丘が見える。


 王都の中央にあるはずの王城は、町に入る前の段階にも関わらず、巨大な尖塔がいくつも乱立しているのが確認出来た。

 その中の一つ。

 恐らくは王城の中心にあるであろう、ひと際高く、鋭く、剣の様に聳え立つ白亜の塔の天辺(てっぺん)から、さざ波の如くマナの粒子が放出され、王都を金色の結界で覆っていた。


「ここが、王都グラ・・・」


 椿はそう独り言ちると、王都の威容に目を奪われたまま、無事シンと共に王都入りを果たしたのだった。



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