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18.忘却の彼方で晩餐を




 コン先生の独白から一夜明け、今日は清々しい朝を迎えておりました。

 己の記憶喪失が他者の介入によるものだと知れて、心が盛大に晴れたのです。私が私としての何も覚えてないのも、誰のことも等しく忘れてしまったのも、私のせいではなかったのです。こんなにも嬉しいことはありません。

 と、同時に軽く殺意がとある方へ湧きましたが、相手が規格外の化け物だったので敵にしてはこちらがあっさりやっつけられてしまうため、この際記憶を奪った犯人については不問にしておきましょう。謝罪を希望していた昨日の私、諦めが肝心ですよ。


 さて、今日も勉強の日々でございます。またコン先生のつまらなそうな顔に見下ろされながら、単語を書き綴り、それを発声練習し、テーブルマナーを行い、歩き方を学び、歴史を聞き、国を見て、先人に教えを請う時間がやって参ります。

 朝から溜め息が出そうな己を奮い立たせ、私は両手で両頬を叩いて気合を入れました。

 真人間になるため、今日も一日がんばりましょう!


 すると、コンコンと部屋の外からノックの音がしました。


「お嬢様、おはようございます。開けてもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「失礼致します」


 毎日変わらず同じ時間に起こしに来てくれる勤勉な従者ケリー。今日は彼が来る前に起きたので、顔面近い攻撃を受けずに済みました。


「お嬢様。こちらを」


 差し出されたのは、ピンク色の封筒でした。


「こちらは?」

「フラン様よりお嬢様へお渡しするのようにと」

「フランから?」


 普通、同じ家に住む兄弟間で手紙のやり取りをするものなのでしょうか?


「この国では夫婦ではない異性の家族は食事を共にすることは稀ですが、だからと言って話をしてはいけないという風習はございません」


 私が問う前に答えをくれました。さすが優秀な従者ケリー。

 手紙を受け取ろうと片手を差し出すと、目の前で手紙の封をペーパーナイフで切ってくれました。

 従者って何でもしてくれるんですね。


「えー…前略、姉様。先日お約束した食事ですが、今夜はいかがでしょうか? 返事はケリーに伝えてください。お待ちしてます。フラン」


 …なぜ直接言わないのでしょう? やっぱりあちらも気不味く思ってるのでしょうか? 思ってますね、絶対。

 フランにとって、血の繋がらない姉であるプエラフロイスと仲睦まじい関係を築いてたところ、私という異物が姉を排除して現れたのですから、私と気不味いのは致し方がないのです。

 私は私で知ったかぶって姉面をしてしまったので、恥ずかしいやら居た堪れないやら気不味いのです。

 けれど、わざわざ誘ってくれたのですから応えない訳にはいきません。

 いつまでも同じ家の中でギスギスなどしたくはありませんし、可能ならば関係の修復を図りたいので、私にとってもこれ幸いではあります。


「ケリー」

「はい、お嬢様」

「フランに、楽しみにしてると伝えてくれませんか?」

「かしこまりました」

「それと…」

「いかが致しましたか?」

「家族との食事では、服装などはどのようにするのが的確なのでしょう?」


 この国では異性と食事をすることを同衾と同義と捉えているそうなので、マナーがあるのかもしれません。既に一度、何も対策せずに同席してしまってはいますが、知らずにマナーを蹴ることと知ってマナーを蹴ることは違います。誘われたからにはそれなりの礼節をもって臨みたいのです。


「かしこまりました。では、その旨をコンシリアトル先生にお伝え致します」

「え?」

「恐らく特別授業になるかと存じますのでご覚悟を」


 その未来を回避したいから貴方に訊いたのですよケリー…。

 そんな本心など言えず、私はコン先生の地獄のマナー講習を受け、異性との食事のいろはをたたきこまれたのでありました。





「お待ちしておりました姉様」


 常よりも幾分も着飾った義弟に招き入れられた部屋に入ると、色取り取りの紙を折ってできた動物が出迎えてくれました。

 まちまちの大きさの動物達が、テーブルに椅子に窓辺に床に至る所に置いてあります。まるで小さな動物園、いえサバンナという場所のようです。見知らぬ形の動物もいます。鋭そうな牙を模していて、実際に紙ではないそれがいたら怖そうです。


「本日はお招きありがとうフラン」


 ゆっくりと丁寧に、夕食の時間ギリギリまで習っていたお辞儀をしてみせました。腰の角度と頭の高さと手の位置と声の音程が難しく、コン先生に合格を貰うまで何度先生に向かって頭を下げたことでしょう。頭を下げるべきは私ではなく先生のはずなのに、世の中とは理不尽極まりないものです。


「…いいえ、こちらこそ来ていただいて嬉しく思います。さあ、どうぞこちらへ」


 私の優雅な所作に面食らっているフランに勧められるまま席に着きました。

 本来ならば部屋を出るところから席に座るまで相手にエスコートして貰うものらしいのですが、フランとプエラフロイスの姉弟は気安い仲のため昔から簡略しているそうです。

 それを知った上で、ケリーはコン先生の地獄の講習を発足したのです。怨みます、ケリー。


「……大分学ばれたようですね。見違えました」


 食事もそこそこに彼から言われた言葉です。

 私は心の中で自分自身へ喝采を浴びせました。

 そうです、学んだのです。よく見てください。もう昔の私ではないのです。フォークもスプーンもナイフもナプキンもグラスも、全部使いこなしてみせましょう!


「デュクス様との婚約を解消したそうですね」

「…はい」


 忘れたい過去を一気に掘り下げられ、私は7のダメージを受けました。


「エグを家に返したとか」

「…はい」


 10のダメージ。


「泥棒も追い払ったと」

「…はい」


 20のダメージ。


「記憶を失くした経緯を突き止めたとか?」

「…はい」


 30のダメージ。

 …なんでこんな詰問されないといけないのでしょう…? 私何か悪いことしましたか?


「第二王子…」

「え?」

「いえ、何でもありません」


 何か聞き覚えのある単語が飛び出してきた気がしましたけれど?


「フランは第二王子様を知っているんですか?」

「…ええ。会ったことがあります」


 フランはとても渋い顔をしました。

 私は水を得た魚のように活き活きと今度はこちらから詰問しました。


「どんな方なのでしょう?」

「…なんで姉様が知ってるんですか?」


 うっ。早速出鼻を挫かれてしまいました。

 だがしかし、ここで諦めてはいけません。


「泥棒が言っていたのです第二王子がどうとか。有名な方なのかしら?」

「この国で一番綺麗だと言われてる人ですよ。誰もが羨む美貌と優しさを兼ね備えた理想の王子様だと、国中の女性が憧れているそうです。と言っても、滅多にお目にかかれないから噂に尾ひれがついて広まっただけで実際は…」

「実際は?」

「…いえ、確かに綺麗な人だし、紳士的な方だった。僕とは話してないから父との会話から受け取った感じだけですが…」

「そうですか」


 訊いてみたものの、さして興味がない私は食後のお茶を啜りました。とても苦しげな義弟の顔が見れたので第二王子様には感謝しかありません。こういうと私がいじめっ子みたいですが、違いますからね皆さん! 最初にいじめてきたのは義弟ですからね!


「…父に、姉様が王宮に呼ばれたとも聞きました」

「え?」

「姉様は…この家を出て行くのですね…」


 目下勉強中の『幼児向け一般常識その3』曰く、この国の上流家庭の女性はほぼ全員が二十歳前後でお嫁に行くそうです。例外は、家を継ぐ男児が家にいない場合のみ。

 我が家には跡取りのフランがいる以上、どの道私はお嫁に行く選択以外ないのです。

 だから、そんな風に寂しげな声と表情で言われると、どうしていいのか分からなくなります。


「…いずれは、そうなるかと思います」

「…そう、ですよね…」


 義弟との間に、重い沈黙が容赦なくのしかかってきました。


 それにしても、先程の「王宮」と言う単語が気になります。

 我が父は、エグのことと言い、私に内緒が多過ぎませんか?

 王宮って、行って何をすれば良いのですか?


 未知の単語に悩んでいると、弟が深妙な声音で私を呼びました。


「姉様……僕は今でも、記憶を失くす前の、プエラが好きです。傲慢で気高くて高慢で慢心で傲岸不遜だったプエラが好きでした。この想いは、当分色褪せてくれそうにありません。だけど、それは貴女ではないのだと、もう理解しています。充分…思い知らされています。でも……だからこそ、貴女の幸せを願います。貴女の幸せを心から祈っています」


 まるで今生の別れのような言葉を、彼は贈ってくれました。こんなに心の籠った惜別の言を貰うとは思いませんでした。

 私王宮に殺されに行くのでしょうか? という不安は一先ず傍らに置いておきます。


 贈ってくれた言葉はきっと私へではなく、彼の姉であり想い人であったプエラフロイスへの言葉だったのでしょう。私であって私では無く、けれど私だった人。彼女との別れの言葉だったのかもしれません。


 こうして弟との二度目の、いえ最後の食事は終わりました。






「お嬢様…」


 食堂から自室へ戻る長い長い廊下の途中で、後ろを歩くケリーに声を掛けられました。


「どうしました?」

「エグをけしかけたのは私でございます」

「へ?」

「私が貴女様に恨みを持つよう仕向けました」


 驚きの余り振り返ってケリーを見れば、床に平伏していました。


「どうぞお叱りを」


 深々と下げられた頭を私は「旋毛が2個あるな、珍しい」などとトンチンカンな感想を抱きながら見下ろします。


「…どうして、そんなことを?」

「どうぞお叱りを」

「私ケリーに恨まれていたのですか?」

「どうぞお叱りを」

「答えてください」

「…どうぞお叱りを」


 まるで壊れた玩具のように同じ言葉を繰り返すケリー。二個ある旋毛を押せば直ったりしないでしょうか?

 それにしても、黒幕は実在していたのですね。本当にエグを操って私を殺そうとしていたなんて…誰かに洗脳されたと微塵も疑わなくてごめんなさいエグ。完全に単独犯だと思っていましたエグ。でも実行犯が一番罪が重いから結局悪いのは貴方ですからねエグ。


 さて、ではこの殺人未遂教唆の自白をいかが致しましょう? もし罰するのならば、叱るというレベルでは済まされないと思うのですけれど。まさか私に拷問をさせたい願望があるわけでもないと思いますし…無いと信じてますよケリー。

 不思議なのは、彼が私を本当に殺すつもりなら、もっと簡単な方法がいくらでもあったことです。わざわざ長期間青年を監禁洗脳して殺人を強要することに労力を割くよりも、私に一服盛ればあっさり済むのです。あるいは階段から落とせば、あるいは硬い何かで頭をぶつければ、あるいは馬車で轢けば、か弱い私はいともあっけなく簡単に死ぬでしょう。わざわざエグを利用した意図が見えません。

 そこで私は、カマをかけました。


「ケリー……ありがとうございます。助かりました。全ては上手くエグを排除する為にしてくれたのでしょう? お見通しですよ。貴女の変わらぬ忠誠に救われました。感謝します」


 その名も、『叱られたいと言うのなら逆に敢えて褒めちぎって相手の心を揺さぶろう作戦!』

 効果は如何に?


「……お叱り、くださらないのですか…」

「仮に貴方が私を亡き者にしようと企んでいたのだとしても、結果的に私をエグから離してくれたこと、心より感謝します。ありがとう」


 私は素直に心からの礼を述べました。


「貴女は…本当にお嬢様ではないのですね…」


 え?


「今更ですか? 私の記憶が無いことは、貴方が一番良く分かっていると思っていましたけれど」


 そう、思わず口に出しておりました。


「…それでも私は…いつかのように貴女に…お嬢様にお叱りいただきたかったのです。その為ならば何をしてでも…」

「それによって私に万が一のことがあっても良いのですか?」

「その時は私もお供致します」


 …これは、付ける薬がない事案ですね。困りました。弱りました。私では彼をどうにもこうにもできそうにありません。

 仮にここで私が叱責したとして、それは本当に彼が求めてる「お叱り」なのでしょうか? いいえ、きっと違います。彼は私ではなく、記憶を失くす前のプエラフロイスに叱ってほしいのでしょう。それを分かっているので、私は叱ることができません。


「ケリー…」

「はい。お嬢様」

「貴方がどんな策を弄しようとも、私が貴方を叱ることなどないのです。それが私から貴方へ捧げられる罰なのです」


 出来ないのではなく、何もしない。そう嘯いてみることしか今の私には、記憶の無い私には出来ないのです。

 プエラフロイス、記憶を失くす前の私なら彼を救えたかもしれません。けれど、私は彼女であって、彼女ではないのです。


「お嬢様…」

「はい?」

「ありがとうございます。目が覚めました」


 床に頭をめり込ませる勢いで平伏していたケリーが、おもむろに顔を上げて私を仰ぎ見ました。


「これからは放置プレイをされているつもりでお仕えしたいと存じます」


 全身に鳥肌を発生させた私を置いてけぼりにして、まるで何事も無かったかのように立ち上がったケリーはそのままいつも通り私の自室まで卒なく誘導しました。

 本当に恐ろしいのは力ではなく、変態なのかもしれません。




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