外伝 鬼憑きの女
フリウス通りにくると、いつもおかしな気分になる。
たのしい気持ちと、いやな気持ち。ふたつが絡み合って、胸が苦しい。
ここにくる人々はいつも浮き立っている。布舞いをする大道芸人、役者絵の屋台に、きれいな菓子屋、ぞろぞろと若い娘が出入りする織物屋。
そのひとつに、わたしも入っていく。裏口から。
すーっ、とん、と音をたてて、くすんだ赤の引き戸をあけると、待ち受けていたかのように、奥から店主が出てくる。川もようの前掛けをした四十すぎの女、染み付いたような笑顔に、皺のない口元。きれいな手をお腹の前でぎゅっと組んで。
「ありがとう。いつも、早いのね。」
きれいな、高い声で。
「いえ。」
わたしは、ちいさくそうつぶやきながら、布包みをさしだす。中には、仕上がった織物が、五着。貴族ふうのドレスがふたつと、近頃はやりの折衷もの、柄と裾飾りだけ旧アルセア帝国の意匠を取り入れた、帯とそろいの普段着がみっつ。
ほんとうは、三日前にはぜんぶ仕上げていたのは、秘密だ。フリウス通りにくるのが気ぶっせいで、いつも、手元に溜め込んでしまう。
「タリナさんの針はいつも丁寧で、助かるわ。」
いやみのない、真綿のような口調。
「いいえ。」
わたしは、それだけ小さく答えて、店主が検分するところをじっと見ている。
這い回る蜥蜴のように。
織物屋をでて、しばらくフリウス通りを歩く。
物売りの、浮足立った恋人たちの、貴族ふうのこぎれいな格好をした男女の声。
人ごみはきらいだ。
他人の顔をみるのがきらい。ちりちりと頭の奥がうずいて、むりやり入り込んでくる感覚がする。一度みた顔は忘れない、といえば聞こえはいいが、ただ厄介なだけだ。
役に立ったことなど、一度もない。
でも、役者絵をみるのはすきだ。動かないから。
喋らないし、こちらに笑いかけてきたりもしない。つんとすまして、そっぽをむいた横顔が、お気に入り。自分より少し年上の、ブロンドの男役者が。
枠にぴんと張って吊られている布絵をしばらく眺めていると、「どうだい、」と屋台の店主が声をかけてきた。曖昧にわらって後ずさる。まだ、一度も買ったことはない。役者絵の一枚くらい、買うお金はもっているのに。
ため息ひとつ。
よろよろと、ぼうっとした頭のまま、通りを歩く。もうすぐ、フリウス通りはおわり。お大通りを一本外れれば、潮がひくようにすぐ静かになる。
そうして、角をまがって、
*
ミナ=ブルガナンの薬草店の一階、食堂のいちばん奥の席は、ダロット=カルリア侯爵の指定席のようになっている。
もとは、退魔師カルナー=メンサとその取り巻きが、いつも座っていた席だ。最近、よくやって来るカルリア侯爵は、いつものっそりと奥の席に座って、薬草茶を飲みながら夕食をとっていく。
酒は飲まない。けれども、時々みやげとして摩国の林檎酒などを持って来る。たいていは、居合わせた退魔師たちにふるまわれるが、時折、店主のミナが一人で飲んでしまうこともある。ミナも普段は飲まないが、そんなときは、ひと瓶かんたんに空けてしまう。
さて──今夜は、まだ侯爵の来訪はないようだ。
ひとつだけ埋まったテーブルには、三人の若い男女。ほかは、みな空いている。
銀髪に、ととのった顔立ちの少年。ミナの息子、アーサー=ブルガナン。森妖精の血をひいているので、肌はぬけるように白く、およそ戦士らしくない細い腕。それでも、腰にさした剣をふるえば、おそろしいとかげ鳥の首だって一刀両断してしまう。
裾の長いチュニックをきた長髪の女、ルナ=サリナイ。『夢見の巫女』とよばれた有名人だ。顔を知らなくとも、頭のまわりを回る4つの白い魔法球で、誰でもそうとわかる。退魔師になったのはつい最近だが、ベテランのようなすました顔をしている。
ズボンに男物の上着をはおった短髪の女、エル=サラナ。三人のうちではいちばん小柄だが、いちばん年かさで、退魔師としてのキャリアも長い。腰にさした剣はアーサーのものより短く、そのかわり椅子のとなりには小さな弓と矢筒がある。
いま、アルセア=シティーにいる退魔師は、彼ら三人だけである。
いや、正確なことをいえば、少数ながら他にも退魔師は生き残っている。しかし、半ば引退したものや、『祓い』専門のものがほとんどで、魔獣とまともに戦えるのは、やはり、彼ら一味だけということになる。
そういうわけで、三人とも、毎日のように狩りに出て、疲れ切っているのだった。
今日も、転び猫を退治してきたばかり。朝から街道ぞいで小柄な魔獣の群れを追いかけまわして、片付いたのは昼下がりも過ぎたころ。街にもどると、とっぷりと日が暮れていた。
ようやく一息ついて、遅い夕食をとっているところだ。
薬草を練り込んだ餅の皿、それから、きざんだ香草と焼いた芋、干した魚を漬けたもの。味付けは、かなり濃い。僧院で育ったルナなどは、最初は顔をしかめていた。けれども、一日体を動かして戻ったあとは、不思議においしく感じる。
「お酒はいいの?」
ミナが、カウンターのむこうから軽く声をかける。エルが首をふる。
いちばん飲む人間が、今日はいない。テベーの手が足りぬとかで、救援にいっている。
「……でも、侯爵さまが持って来られたら飲むでしょう?」
「そりゃ、あのお酒なら。」
ルナが軽口をたたく。普段は飲まないが、あの林檎酒は別だ。
「今夜は遅いのね。」
「来ないんじゃないですか。」
毎日来るわけではない。カルナーが死んでから頻度がふえたが、せいぜい、10日に一度というところだ。
「今日は来るよ。……わたし、勘はいいの」
ミナは、森妖精の末裔らしい白い顔を、ぎゅっとふるわせて微笑んだ。
「……ほら。」
かたんと、扉の開く音。
*
入ってきたのは、ふたりの男女。
ひとりは、カルリア侯爵である。ぴっしりと糊のきいた旧アルセア帝国ふうのスーツで身をつつんで、紋のはいったマントをはおっている。肩飾りと硬いブーツのせいか、ずいぶん大柄に見えるが、じっさいはさほどでもない。貴族には珍しく、薄灰色の髪をしているせいか、黒い衣装がよくにあう。
もうひとりは、四十代ほどの、いささか太った女。こちらは黒髪に黒い目、低い背丈、うす茶色の巻衣を帯でしめて、どうみても庶民。
貴族の連れには見えない。まして、退魔師にも。
「あら、あら」
ミナはころりと首をかしげて、
「侯爵さま、今日はご婦人連れでいらっしゃいましたか」
「おうよ、」
と軽口をたたきかけて、女の深刻そうにうつむいた顔に遠慮したように、
「いや、すぐそこで会ったんだ。入りにくそうにしていたのでな。声をかけた」
「あら、まあ」
ミナは女に駆け寄って、すぐに手をとった。
「さあ、こちらへどうぞ。お茶をいれてあげましょうね。」
「いえ、わたしは……」
不安げに、あたりを見回して、女はかぶりをふった。
「なにか、ご相談があってこられたのでしょう?」
「ええ……」
「ならば、心配なさいますな」
カルリア侯爵が、たのもしげに手をたたく。
「このダロット=カルリアが保障します。彼らは、この街で、いやこのアルセア王国で随一の退魔師ですぞ。紛れもなく」
*
娘に、なにかが憑いた、というのであった。
女は、マルガ通りの長屋に住む、大工職人の妻である。家には、まだ嫁にいかない娘がひとり。ことし二十四になる、タリナ=ライという女である。
タリナは、日中は、おおむね縫い物の内職をして過ごしている。が、このところ、気分が悪いといって、寝つくことが多くなった。医者に見せても、なんの病気だか判然としない。
寝ていると、奇妙な寝言をいう。
『殺してやる』
『喰うてやる』
そんな言葉が、ときたま口から漏れる。
おそろしくなって、起こすと、何も覚えていない。
ここ十日ほどは、それだけでなく、起きているときも目つきがおかしい。心配して声をかけると、ぶきみな唸り声がかえってくる。
家族のものはみな、タリナにおびえるようになってしまった。
こういうときは、退魔師に相談するのが通例であるが、知り合いの退魔師は、ここしばらく連絡がつかない。どうも、街にいないという話である。
困っていると、知り合いがこの店のことを教えてくれた。が、その知り合いも、実際にここで退魔師をたのんだことはないという。
そこで、一人でとまどいながらも、この店にやってきたというのであった。
*
夜、であった。
月もない。ただ、暗いばかりだ。
マルガ通りまでは、それほど遠くない。それでも、夜闇のなかを歩いていると、ずいぶんかかっているような気がする。
昼間の疲れが出ているのかもしれない。
さきほどの女は、先に戻らせた。それから、三人は薬草店を出て、エルのアパートと、ルナの下宿に寄り、それぞれ身支度を済ませてきたのだ。
エルとアーサーは、旅装に革の部分鎧。
ルナは、白い巫女衣装。ぎりりと巻きつけた帯に、短剣をさしている。
「祓い、とは、何をするのですか。」
巫女衣装と、花かざりをつけて下宿をでたあとで、ルナはエルにそうたずねた。
「憑き物なら、憑いたものと話す。場合によっては、戦うことになるかな。」
「戦う、ですか……、」
ルナは、ちらりと腰の短剣をたしかめた。エルもアーサーも、武装している。
まさか、本当に剣をふるって戦うのだろうか。人に憑くようなものと。
「……まさか。」
エルは、ちょっと歯をみせて笑った。
「そんなことには、ならないと思う。私も、祓いは、あまりやったことがないけど。」
「なら、どうして武装を?」
「脅して、追っ払うため。そう、教わったの。」
「なにをです?」
「さァ。……鬼か、けものか、人の精か。……魔族か。」
そういって、首をふった。
*
しゃん、と小さな音。
エルが、小さな鈴を、叩きつけるように鳴らしたのである。
エル、ルナ、アーサーの三人は、部屋のいりぐちに座っている。
かれらの後ろに、かんてらがひとつ。
灯りは、それだけだ。
部屋の反対側では、若い女──タリナ=ライが寝かされている。
板じきの床の上に、うすい綿のふとんを敷いて、かいまきを上にのせて。
しゃん、ともう一度。
かすかな寝息をたてていたタリナが、ふと身じろぎをする。
もう一度。
ふたたび、身じろぎ。それから、
すっと息をつく音がして、
「……悔しや、……」
はっきりと、そう聞こえた。
「悔しや、悔しや……、」
しんとした、暗い部屋のなかに、タリナのうめき声だけがひびいている。
「首をとってやろか。……胸に爪をたてて、裂き殺してやろか……、」
「誰の、首をとるのです。」
エルが、かすかにうわずった声をあげる。
とたん、うめき声がやんだ。
後悔しかけたとたん、次の言葉が、タリナの紅い唇からもれる。
「……あの男よ、」
「伯爵よ、」
「デミグル伯爵、」
「フリウス通りに来ていたあの男、」
「赤い服をきた男よ、」
「──の小さな男、」
「いつも会うたびに、せがんでくるあの男よ」
まるで、幾人もの口がさえずるように。
次々に耳にとびこんでくる声に、エルは眉をしかめた。
「……デミグル伯爵が、あなたに何をしたというのです?」
「しれたこと、」
それから、とつぜん、しずかな、芯のとおった女の声になって、
「……捨てたのよ。」
そう、いった。
ぱしゃん、
ぱしゃん、
ぱしゃん、
三度、得体のしれない音がひびいた。
アーサーが、ひっと息をのむのがきこえる。
エルは衝動的に弓に矢をつがえた。本当なら、弓だけで使うために持ってきたものだ。矢をつがえずに、弦を鳴らす。魔除けの所作である。
が、いまは、武器としての弓に頼りたかった。
ここにいるのは──
しゃん、
鈴の音が鳴る。ひとりでに。
しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、……、
叫びだしたかった。口を開くかわりに、歯をくいしばって弓をひいた。
狙いをつけるいとまもなく、矢がすべり出していく。
タリナ=ライの額をかすめるようにして、壁につきささる。命中しなかったことに安堵しながらも、不安で震えがとまらなかった。
次の瞬間、タリナ=ライは闇のなかにすっと立っていた。
白いねまきに、はだしの脚。背はずいぶんと高い。痩せた腕は膝につきそうなほど長く、幽鬼のような立ち姿。切れ長の目、鼻は低く、
額に、二本の角。
*
エルは、気圧されるように背筋を伸ばした。右手は弓の弦に。左手はわれ知らず剣の柄をさぐっている。
すっくと立って、ぞわりと、夜に沈み込むような声で、
「……何用、か、」
と、問いかけて来る。
「サラナ通りのエル。魔を祓いに参った」
座ったまま、硬い声で、エルがこたえる。
「退魔師が、我をどうするというのか。」
「……名を、聞かせていただく」
ひゅっと、エルは片膝をたてて、ふたたび弓をかまえた。
矢はつがえていない。
きりりとふりしぼった弦は、まっすぐに、タリナの首筋にむいている。
「名など、あるものか。」
「名乗るまでもないと?」
「……知りたいのは、名ではなかろう?」
タリナの声が、ひときわ深く沈んだ。
「考えているな。これは魔族か、闇の精か。それとも……と、」
傲然と、座っている三人を見下ろしながら、
「いずれでもない。それ以上、語るべきことがあろうか。」
「それでは、」
エルの首筋を、いやな匂いのする汗が流れた。必死で追いすがる。
「別のことを聞きましょう。……なぜ、この女に憑いたのか?」
「知るものか。なんじは何者か。」
「サラナ通りのエル。あなたは──、」
「そうではない。……私は、おまえのなかにもいるものだ」
すいと、ルナが姿勢をただして、口をはさんだ。
「……それでは、タリナ=ライの胸のなかで、あなたは生まれたのですね。」
タリナは、しばし沈黙し、それから少し嗤った。
「おもしろいことをいう。タリナの胸で、と。」
「違うのですか?」
ふたたび、沈黙。
「……タリナ=ライに何があったのか、聞かせていただけますか。」
「よかろう。」
タリナは、男のようなふとい声でうなずいた。
*
デミグル伯爵。
その男は、全身を赤い絹でつつみ、あざやかな金髪をきれいに結い上げていた。
フリウス通りの南端で、タリナは伯爵に出会った。
そうして、ふたりは、何度も、何度も会って、……愛を交わしたのだという。
*
「けれども、……その男は、タリナが邪魔になったのだ。」
男のような声で、そこまで語ったとき、ふと唇が奇妙なかたちにふるえた。
ふたたび、女の声で、
「いいえ、」
幼い声で、
「そんなことない、」
老人のような声で、
「あの男は、……あんなに、タリナの体を愛したのだもの。」
「体だけだ、」と男の声。
「いいえ、愛していた。タリナがかれを愛したように。」
「タリナが、本当に?」
「ただ、フリウス通りで袖が触れただけの、あの男を?」
「いいえ、」
「かれは……、」
それから、ふたたび沈黙。タリナは意識をまとめるように頭をふって、
「……なればこそ、あの男を、……」
苦痛にさいなまれるように息を殺しながら、そう言いかける。
「なれば、」
ルナが、平坦な声であとをひきついだ。
「その男の胸にこの剣を立てれば、あなたは鎮まりましょうか。」
たん、と。
刃に銘の入った短剣を、抜身で床につきたてて。
は、は、とタリナは嗤った。
「もし、そうすると言ったら、お前はどうするのか。」
「ぴったり四回、剣を男の胸に突き立てることを許しましょう。」
「なぜ、四回と?」
「あなたが剣を突き立てるたびに、私はそれを癒しましょう。男を殺さず、ただ死ぬほどの痛みを四回与えたならば、あなたの気も晴れましょうか」
ルナの頭のまわりに浮いた、4つの白い魔法球が、くるりと円を描いた。
「もし、五回目を望むなら、どうするのか。」
「五回目は、私の胸に。」
顔色ひとつかえずに、ルナは立ちあがってそういった。
とたん、タリナが顔色をかえた。
頬に、皺が。
目は、きつく細められて、
青筋が浮いたその額は、十も老いたかのように見えた。
ずるりと、爪が伸びる音がした。
タリナは、長い脚で一歩ずつ、ルナに近づいた。
ルナは微動だにしない。エルは息をのんで、しかし動かなかった。
アーサーは、闇のなかに何かをじっと見ていた。
タリナ=ライの鉤爪が、ルナの首を、横薙ぎに斬りおとした。
かのように見えた。
……エルは抜剣しようとして、寸前でこらえた。
息をついてよく見ると、タリナは、ただ、ルナの胸にとりすがって、泣いていた。
「愛する男を、……どうしてそんな目に合わせられましょうか。」
涙が、ほろりと床に落ちる。
その瞬間、アーサーが跳んだ。ぎんいろに、それから青く色をかえて輝く刃が、空をさいて奔った。
タリナの体から、煙のようにわいた何かが、斬られて消えるのを、エルはたしかに見た。
*
祓いは、それで終わった。そういうことになった。
*
エルは礼金をうけとらず、長屋を辞した。もともと、祓いを専門としない退魔師がやむなく引き受けるときは、経費以上のものは受け取らないのが慣習である。
別れぎわに、タリナの母がいった言葉が、胸にひっかかっていた。
『そんな男が、……あの子にいたとは、とても思えません。そんな気配は、……まったく』
うすら寒い思いが、背筋を這い登ってきた。
「……ねえ、」
夜闇のなかを歩きながら、
「鬼って、……本当に、いるのかな。」
アーサーが、ちいさな声で、ルナにそうきいた。
「さあ。……私には、わかりません。」
夢見の巫女は、ただそう答えるしかなかった。




