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(後編)


 こんこん、と遠慮がちなノックの音を聞いて、ルナ=サリナイはよろよろと布団から這い出した。

 狩りの日からもう2日たつが、疲れがとれない。

 寝間着にかいまき布団を背負ったまま、のそのそとドアを開ける。 

 目をまん丸くする。

 そこに立っていたのは、エル=サラナであった。

 なんとなくよそいきじみた、えんじ色の寛衣と、ふんわりとした上着をまとっている。右手に、布で包んだ箱のようなものを抱えて、左手には買い物に使うような麻の袋を下げている。

 ルナより、頭ひとつ分は背が低いので、見上げるようにして、

「あの、」

 かすかにうわずった声で、

「この間は、……ごめんなさい。」

 と、言った。


 こんな人だっただろうか。

 

 ルナは、胸のうちで少し疑問に思いながら、

「どうぞ、入ってください。」

 と、言った。



 そういえば、たった2つしか年は離れていないのだった。



 引っ越してから15日ほどたつが、まだ身の回りの品もろくに揃っていない。

 食器も足りていないが、茶器だけは、僧院を出たときに餞別にもらったものがある。

 種火が残っているのを確認し、火鉢に炭を入れた。水をくんでおいた土瓶を火にかける。

「……少し待って下さいね、」

 言ってから、自分の格好に気づく。

 かいまきはさすがに脱いだが、寝間着のままである。まさか、ここで着替えるわけにもいかない。

「あの、……おかまいなく、」

 なんとなく居心地悪そうな顔をして、エル=サラナは床に座っていた。

「敷物もなくて、……すみません」

「そんな、……それより、これ」

 上着のかくしから手巾をだして、差し出してくる。

「あの、ちゃんと洗ったから、」

「お気になさらず」

 正直言って、貸したことも忘れていた。

 少し、気まずい沈黙。

「あ、これ、」

 脇に置いていた箱を出し、包んでいた薄布をほどく。

 きれいな木箱だった。蓋のうえに、なにか書いてある。

 大きな丸の中にレ点がひとつ。それから、下に3文字の銘柄。

 エルが箱をあけるよりも一瞬はやく、ルナは、

「朱餅ですか。」と、つぶやく。

 かすかに高くなった声音に、エルは首をかしげた。

「知っているの?」

「ええ、」

 ルナは少し顔を赤らめて頷いた。

 フリウス通りの甘味屋で売っている名物である。高級品というほどではないが、庶民が仕事帰りに買うような駄菓子ではない。

「僧院にいたころに。たまに、お土産で持ってきてくださる方がいて。」

「そうなんだ。……あと、これ。」

 とん、と麻袋から陶瓶を取りだす。これも、どこかの店の符号が刻んである。

「なんですか?」

 ルナが首をかしげる番だった。

「ベーリーの酒店で、……あの、お詫びに。」

 は、とルナは少し眉をひそめた。

「やっぱり、……まずかった?」

「いえ…、」

 僧院でも、べつだん飲酒が禁じられているわけではない。

 ただ、あまり好まれないだけだ。

「ごめんなさい。あの、……、お詫びの品というと、こんなものしか思いつかなくて。」

 小さくそういって、エルは目を伏せた。

 顔が熱い。

 ふと、ルナが立ち上がる気配がした。

 かちゃかちゃ、と何かをとりだす音がする。

 茶器であった。

「こんなものしかありませんが。」

 そういって、座りなおした巫女の目は、かすかに笑っていた。



 はじめて酒を飲んだのは、カルナーに拾われてからすぐのことだ。

 ひどく不味かったのを覚えている。


 

 木製の、ちいさな茶飲みに、薄紅色の液体が注がれる。

 はるあかり、燈、シルナ。三種類の果実酒をブレンドしたものである。

「甘いよ、」

 ルナが口をつける前に、エルはつぶやくように言った。

 気にする様子もなく、こくん、と飲み干す。

「そうですね、」

 と、答えて、ルナは笑った。

 エルは少し意外そうに、

「お酒、好きなの?」

「いいえ、」

 首をふる。

「儀式で何度か飲みましたが。あまり、おいしいとは思いませんでした」

 ぽおっと、頬を赤くして、

「でも、このお酒はいいですね。甘くて、飲みやすい。」

 ことん、と茶飲みをおく。

「そうでしょう。」

 エルは少し早口になっていた。自分の杯をかたむけ、思いきって全部のみほす。

「兄にいわせると、こんなのは酒じゃないって。」

 そう言ってから、不適切な話題だったかと口をつぐむ。

 ルナは何も言わなかった。

 安心して、また口を開く。

「甘いものをつまみにするのも。おかしいってさ。」

「そうですねえ……。」

 なんとなく遠慮がちな手つきで、ルナは朱餅に手をのばした。

 まだ、ねっとりした甘さと痺れが残る口のなかに、思いきって放り込む。

「どう?」

「……味がわかりません。」

 目をしばたかせてルナがいうと、エルはくつくつと笑った。



 その日、エルは夜半を過ぎてから自分のアパートへ帰った。

 さらにその翌日まで、ルナ=サリナイはおもてに出られなかった。



 アルセア・シティーは、二重の城壁に守られた都市である。

 小城壁の内側には、貴族とその身内が住む家、それから、国政をつかさどる宮がある。

 ダロット=カルリア侯爵の館は、表城門のすぐ内側、地霊宮の南。

 爵位には不釣り合いなほど小ぢんまりとした、黒い壁の屋敷である。

 とはいえ建物の規模は、エルが住むアパートの、ゆうに倍はある。


 エントランスの右、廊下の入り口付近にある応接室に通されて、エルは緊張で身をかたくしながら侯爵を待っていた。

 フォスターは前にも来たことがあるはずだが、やはり表情は硬い。

 ふたりとも、滅多に着ることのない、旧アルセア帝国ふうの礼装を身につけている。エルは、赤く染めたちりめん織りのワンピースドレスの中に、足首で絞った綿の下服をはいて、爪先を慣れない木靴で痛めながら、直立不動の姿勢を保っていた。

 しばらくして、ドアがあく。

 カルリア侯爵は、およそ貴族らしからぬ風貌をした男である。この国の貴族階級は、およそ200年前に入植してきた旧アルセア帝国人の末裔であるが、侯爵の髪や眼の色は、茶色がかった薄灰色で、大陸よりもむしろジル・ア・ロー島原住民のそれに近い。

 年齢は40前後のはずだが、それよりだいぶ若く見える。

「お久しぶりです、侯爵」

 フォスターが、かたい声で呼びかけると、侯爵は目をまん丸くしてつかつかと近づいてきた。

「お前ら、どうした。その格好は」

 口元をひくつかせて、今にも吹き出しそうな顔をしながら、

「わざわざ借りてきたのか? 礼服なんか、」

「……実は、お願いごとがございますので。」

「ほう、」

 侯爵は表情をかえて、ソファに腰かけた。

「まあ、座れ。……エル、その後どうだ。」

 急に話をふられて、エルはうろたえた。侯爵とは、カルナーが死んだ日に会ったきりである。

「調子をくずしていたらしいじゃないか。……まあ、その様子だと、悪くはないみたいだな。

 …おい、」

 直立不動のままのフォスターを見上げて、

「何をしてる。座れと言ったろう。」

「いえ、……」フォスターは、無表情のまま、

「このまま、お願いを申し上げます」

「なんだと?」

 カルリア侯爵は声を高くした。エルははらはらしながら、フォスターのとなりで立っていた。

 しばらく沈黙があった。

 侯爵は、ふいに大きく息をついて目を伏せた。それからすぐに顔を上げると、落ち着いた、柔らかな目つきにかわっていた。

「よほど、言いにくい頼みごとなのだろうな。」

「……あるいは、そうかもしれません。」

「よかろう。聞いてやる。必ずお前の言うとおりにするから、まあ座れ。」

 あっさりそう言われて、フォスターは少しうろたえたように見えた。

 エルは、侯爵の態度に驚いていた。カルリア侯爵は変わり者で、なぜかミナの薬草店によく顔を出している。退魔師の活動に理解のある、ものわかりのいい貴族。その程度の認識だった。

 フォスターは黙って一礼し、ソファに腰を下ろした。エルもそれにならった。

「……それで?」

 うながされ、フォスターはぼそぼそと話しはじめた。

「例の、とかげ鳥のことでございます。」

「ああ、難儀なことだ。……なぜ、あんなことになったのか」

「……やはり、理由はまだわかりかねますか。」

「まあ、な」

 少し、含みのある声で、侯爵はうなずいた。

「学問所のマレバ師にたのんで、昔の記録をあさってもらったが、どうやら前例がないでもない。」

「本当ですか。」思わず、エルは身を乗り出していた。

「たしかだ。といっても、記録にある二度のうち、一度はアルセア人入植前で、くわしい様子はわからない。いま一度は、およそ180年前、初代アルセア国王の御代のことだ」

「では、そのときは…、」フォスターをさしおいて口を開くのに気おくれしつつも、エルは訊かずにはいられなかった。

「誰が、どうやって、倒したのですか。とかげ鳥の群れを……。」

「倒せなかった。」

 侯爵はあっさりと答えた。

「当時は退魔師も少なかったし、戦後の混乱のただなかで、アルセア騎士団にも、諸侯にもその余裕はなかったのだろう。ただ襲われるにまかせ、しまいにアルセア・シティーとテベーを結ぶ道は途絶えたとある。」

「そんな…、それでは、」

 当時は、海路も今ほど発達していなかった。陸路が絶たれたとすると、物資を自給できないアルセア市がどんな惨状においこまれたか、想像にかたくない。

「昔の話だ。……それに、そんなに長いことでもなかったろう。」

「どういう意味です?」

 こんどは、フォスターがそう問い返した。

「そのうち、やつらは群れることをやめたのさ。理由はわからん。単純に、餌が足りなくなったのかも知れん。

 そもそも、大きな群れをつくる動物ではないからな。今のように何十匹も群れることそのものが、何十年か、何百年かに一度の異常事態ということだ」

「ならば、なぜ、今年にかぎってそのような…」

「わからん。寒さに関係があるのではないかと、アラン老師は考えているようだが」

 滅多に雪の積もることのないアルセアで、昨年は数十年ぶりに大雪が降った。それに、今年の夏は異様なほど涼しく、そのせいで、アルセア・シティーの食料問題はいっそう深刻になっていた。

 前回の記録では、くわしい気象条件まではわからないが、当時の官吏が残した覚書によれば、真夏に雪が降っていたという。

「……真夏に、雪が。」

 それが、どれほどの異常事態なのか、非現実的すぎて、エルにはよくわからなかった。

「関係あるのかどうかも、よくわからん。獣のやることに、意味などないのかもしれない。

 ……それで、」

 すっと目を細めて、侯爵は仕切り直した。

「本題に移ろう。頼みとはなんだ」

「とかげ鳥の退治は、我々にお任せいただきたい」

 フォスターは即座に答えた。少しだけ間があいて、侯爵は問い返した。

「我々とは?」

「私とエルに、勇者の子アーサー、夢見の巫女ルナを加えた四人です」

「四人だと、……」

 侯爵はなにか言いかけたが、フォスターの目を見て、口をつくんだ。

 かわりに、

「どのみち、騎士団はとうぶん出動しないぞ。調整はしているが、前例もノウハウもない。昔からの上級貴族には、退魔師の仕事に理解のないものが多いし…。今日の午後、テベー公に会って、もうひと押しふた押しするつもりだったがね」

「それは、結構ですね」

「結構かもしれないが……。」

 侯爵は苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「……頼みというのは、それだけじゃないんだろう?」

「はい。」

 むしろ、ここからが本題であった。

 フォスターは、居ずまいを正して、座ったまま深く頭を下げた。

「ウマを、用意して頂きたい。」

「馬?」

 侯爵は思わず首をかしげた。

 ジル・ア・ロー島に馬はいない。それどころか、ブルガナン大陸のなかでもごく限られた地域、パンドル王国の火山帯にしか野生の馬は棲まない。 

 アルセアのほとんどの人間にとっては、名前すら浮かばないような希少動物である。

 もっとも、王宮には、パンドルから輸入した馬が数頭いる。主に、パレードや儀式のさいに王族が乗るためのもので、移動手段として使われることはない。

「……お前、馬を見たことはあるのか?」

「間近にではありませんが、何度か」

「乗ったことは?」

「ありません」

「ふむ……」

 侯爵はふと思い至って、カルナーか、と小さくつぶやいた。

「誰が乗るつもりだ?」

「……やはり、軽いほうがいいのでしょうね」

「それはそうだが……」

 二人は顔を見合わせ、どちらともなくエルのほうを見た。

 エルは、軽く目をしばたかせて、無言で頷いた。多少、口許がひきつっていた。

「指南役も必要だろうな。」

「できますれば……」

「わかった。あちこちあたってみるから、少し待て。目処がついたら、ミナの店に連絡を入れよう」

 なんでもない頼まれごとのように、侯爵はそう言った。

 フォスターは、立ち上がって深々と頭を下げた。

 エルも、あわてて立ち上がり、フォスターにならった。


 厨房のほうから、暖かい匂いが漂ってきた。腹の虫がかすかな音をたて、エルは赤面した。

 侯爵は、からからと大きな声をあげて笑った。



 はじかれた。

 乾いた音。


 ひゅっと、するどい音をたてて、右耳のわきを木剣がすりぬけてゆく。

 おかえしに、下からはねあげる。胴にあたったと思ったが、脇を抜けている。


 ミナの薬草店の裏の訓練場で、アーサーとルナは木剣を交わしていた。

 ルナの体は、白い光に包まれている。

 保護の魔法である。


 突き。

 当たらない。


 保護の魔法を使って訓練をするよう言ったのは、フォスターだ。

 しろうとの巫女と戦うならば、そのくらいのハンデがあれば丁度よかろうと。

 ばかにするなと思ったが、はじめての魔法あいてに、苦戦をしいられている。


 ルナは息を切らしている。

 基礎訓練をひととおりやった後だから、無理もない。


 はっ、と息をついて、白い光に覆われたルナの左胸にむかって、突きを放つ。

 はずしようがない距離と、タイミングである。


 すると、なぜか、狙いが微妙にずれている。


 正中線に近い、左胸のまんなかあたりを狙ったはずが、肩に近いところに剣が向いている。

 突きをはなってから、相手の体にとどくまでのわずかな時間に、そのことに気がつく。

 気がつくが、修正するいとまはない。


 ルナの肩口に、ぱしんと音をたてて、アーサーの木剣が当たった。

「……負けました」

 さして、くやしげな様子もなく、ルナは頭を下げた。

「さすが、この国の王となられる方ですね」

 息をきらしながら、にやりと笑って、そんなことを言う。

「それはもう言うなよ。」

「すみません。……どうかしました?」

 ふと、アーサーが目をそらしたのに気がついて、ルナは聞いた。

「いや。……すこし、休憩にしよう」

 ルナの脚はがくがくと震えて、ふらついていた。

 二人は、訓練場のはしに設けられたあずまやに腰をおろした。ルナははーっと大きく息をついた。

「さすが、どころじゃないよ」

 目をあわせぬまま、唐突にいわれて、ルナは首をかしげた。

「なんです?」

「魔法さ。保護の魔法」

「ああ、……実践したのは初めてです」

「ぼくも、戦ったのははじめてだ。自分で使ってみたことはあるけど。」

「……そういえば、今日は……」

 ルナがなにかいいかけたとき、格子窓からミナが顔をのぞかせた。

「お客様ですよーう」

 と、間のびした大声でいわれて、何ごとかと身構えると、

「誰かーッ!」

 つづけて、切羽詰まったような男の大声がきこえてきた。

 ルナはさっと立ち上がった。一瞬遅れて、アーサーも立った。

 敷地をまわりこむようにして駆け込んできたのは、40すぎくらいの痩せた男であった。全身汗だらけで、頬はきつく紅潮していた。

 右手の先に血がついているのが、ちらりと見えた。

「けが人です! どうか、──」

 いいおわらぬうちに、ルナは走りだしていた。

 アーサーも後に続いた。駆け出しぎわに、自分の胸もとに浮かぶ無色の魔法球をみて、かるく舌うちをした。



 男に案内されて、薬草店から3軒はなれた十字路へと走った。人だかりをかきわけると、四歳くらいの幼児が、若い女に抱きかかえられ、腹から血を流していた。

 すぐ側では、二階建ての木造建築が、骨組みだけ建っていた。職人らしき男が数人、女のまわりにいる。

「どいて下さい!」

 するどい、風をきるような声で、ルナは道をあけさせた。子供の腹に目をやる。足元に、血に濡れた大きな鑿が落ちている。

「巫女さま!」

 母親らしき女が、悲鳴のような声をあげた。

「動かないんです…、どうか…」

「服を脱がせましょう」

 ルナはいいながら、子供の鼻に目を近づけて、息があるのをたしかめた。

 かたかたと震える女の手を支えるようにして、衣服をとりはらい、他に傷がないのをたしかめる。

 腹の傷は、思ったより深かった。

 鑿を手にとる。折れてはいない。

 手布で傷口をぬぐい、あふれでる血をおさえるようにして、様子をさぐる。

 異物はないように思えた。

 まだ確信はもてなかったが、

「ルナ、何をしてるんだ」

 アーサーの苛立った声をきいて、ようやく、決断する。

 これ以上時間をかけると、よけいに危ない。

 治癒の魔法球をひきよせ、子供の傷口にあてて、魔力を解放する。

 白い光が、子供の全身をつつみ、ほどなく消えた。

 傷口のあったところを見る。別に異常はない。

「……怪我は治りました」

 そういって、女の顔をみる。

 とても、安堵したようにはみえなかった。

 子供の目は、まだ開かない。息は荒く、顔色は、さきほどよりずっと悪い。

「魔法の治療を受けると、体力を消耗しますので……、とにかく、休ませて下さい。それから、」

 ほんの少しだけ、ためらうように間をあけてから、

「たぶん、異物は巻き込んでいないと思いますが、様子がおかしければすぐ医師にみせて下さい。」

「はい、……」

 女は、青い顔のまま頭をさげた。

 ざわざわと人だかりがざわめくなか、ルナは軽く一礼して、ミナの薬草店へと歩きだした。



 修道院では、葬儀や儀式でおもてに出ることが多く、治療をする機会はあまりなかった。



「補充しておきます、」とひとこと言って、ルナはあずまやに座りこんだ。

 あぐらをかいて、腹のところに置いた両手を軽く組み、目をとじる。

 魔法球を生みだすための、瞑想に入ったらしい。


 ふつう、巫女が瞑想をするときには、人を遠ざけて暗室にこもるものだが。


 アーサーは、なんとなく取り残されたような気持ちで、掌を枕にごろんと横になった。

 どうせ、しばらくこのままだ。

 目をとじる。


 眠っていたわけではないが、少し意識が遠のいていた。

 すぐそばで気配を感じて、ぱっと起き上がる。

 巫女が立ち上がって、こちらを見下ろしていた。


 額のそばに、白い魔法球が4つ。


「ずいぶん、早いな」

 太陽を見る。ほとんど、動いたようにも見えない。

「慣れていますので、」と、こともなげにルナはいった。

 アーサーはあいまいに頷いて、あぐらをかいて座りなおした。

 かるく向かい合うようにして、ルナも座る。

「……そういえば、今日は透明なのですね」

 いわれて、アーサーはちょっと戸惑った。

 すぐ気がついて、魔法球を頭上から目線の高さまでおろす。

「フォスターに、練習しておくように言われて。普段は、治癒の魔法にしておくんだけど。」

「白と、他の色を、両方使えるのですか?」

「ああ、」

 アーサーは少しいやそうに首をふった。

「……たいしたことじゃない。先祖に森妖精がいるんだ」

 巫女や僧兵がつかう白の魔法と、他の色の魔法をかねそえることが、勇者の条件だという者もいる。しかし、アーサーは信じていなかった。

「きみこそ、4つも魔法球を使えるなんて、」

「それこそ、たいしたことではありませんよ。」

 ルナはにっこりとほおえんだ。

 それから、手をみて、

「……井戸のところで、洗ってきます」

 たちあがる。

 ルナの指先は、なかば乾きかけた血で、べっとりと赤くなっていた。



 アーサーは、目の高さにおいた無色の魔法球を、くるくると回してみた。


 魔法球の色は、こめられた魔力の種類で決まる。


 白の魔法球になるのは、

 治癒の魔法、狂戦士の魔法、灯りの魔法、閃光弾の魔法、闇祓いの魔法、死人封じの魔法。


 赤の魔法球になるのは、

 発火の魔法、熱波の魔法、保温の魔法。


 青の魔法球になるのは、

 霧の魔法、粘水の魔法、水流しの魔法、脱水の魔法、人工呼吸の魔法。


 無色の魔法球になるのは、

 風向きの魔法、豪風の魔法、空中浮遊の魔法、地割れの魔法。


 茶の魔法球になるのは、

 岩弾の魔法、隆起の魔法、砂散らしの魔法、岩縛りの魔法。


 アーサーは、5つの色すべてを使えるが、一度に保てる魔法球は1つだけだ。

 いま、魔法球に込められているのは、風向きを操作する魔法である。


 ぽん、と、透明な球を思念で操り、もう一度目線の高さまで浮かばせる。

 遠ざけてみる。

 アーサーの場合、魔法球を自在に動かせる範囲は、自分の体からおおよそ10歩くらい。

 熟練した魔法使いなら、ほとんど目にもとまらぬ速さで操れるが、かれにはそこまでの技術はない。せいぜい、早歩きくらいの速度が限界だ。


 ぎりぎり、魔法球を維持できなくなる限界まで飛ばして、空中で静止させる。


 ひと呼吸だけこらえて、

 はなつ。


 こう、


 と、風が吹く。

 いけがきの枝と、薬草店の暖簾が、ばさばさと大きな音をたてて揺れた。


 この魔法の風は、人が立っていられないほど強いものではない。しかし、暫くの間はやまない。


「アーサー!」

 悲鳴のような高い声が、風下から聞こえてきた。見ると、礼服をきたエルとフォスターが立っている。

 エルは、赤い顔でこちらを睨みながら、風でめくれそうになるスカートをおさえていた。

「あ、──ごめん、」

 あわてて駆け寄ろうとしたとき、スカートの裾が、エルの手からするりと抜けた。

 ばふ、と大きな音をたてて、ドレスが裏返った。

 柔らかそうな白い下服が、アーサーの目にとびこんできた。その上にちらりとのぞく、鍛えこんだ腹の肉と、形のいい臍も。

 アーサーは動揺して後ずさった。

 エルは声にならない悲鳴をあげた。フォスターはこらえきれずに、大声をあげて笑った。



「……まずは、これを見てくれ」

 そういって、フォスターは布図面を広げた。

 ミナの薬草店の、いちばん大きなテーブルを、4人で囲んでいる。アーサーとルナは、まだ昼食をとっていなかったので、ミナのつくった香草饅頭をつまんでいる。

「カルナーがつくった地図を、大きくひきうつした。とかげ鳥の営巣地周辺の地形だ」


 ジル・ア・ロー島の東端にあるアルセア・シティーから、西端のドナまで、一直線につなぐ道は、グルゴール街道と呼ばれている。

 もともとは、ジル・ア・ロー島原住民が使っていた道を、アルセア帝国人が整備しなおしたものだ。

 アルセア・シティーからテベーまでは、大人の足で、およそ二日ほど。

 都市の西側をかこむ山岳地帯を一日弱で抜けて、海岸沿いの草原地帯へ入る。その後、また内陸に入り、森林を切り開いてつくった牧草地を通ってテベーへ至る。

 とかげ鳥の巣は、その途中にある。

 森を抜け、草原へと出たあたり。街道の南側、海岸へとつづく平地に、とかげ鳥の大群が棲んでいる。

 当初、ルパード隊が確認した数は、およそ100匹。戦いで少しは減ったはずだが、正確な数はわからない。

 営巣地より街道のほうが少し高くなっており、そのあいだには斜面がある。ルパード隊は、これを利用して、高所から攻撃する戦術をとった。

 東側は、しばらく草地が続いたあと、岩場になっており、その奥はアルセア・シティーを囲む森林へと続いている。

 西にはまばらな林。街道は、陸地側に向けてカーブしており、巣のあるあたりは、もっとも海に近くなっているところである。


「どう攻める?」

 言われて、ルナとアーサーはしばし考えこんだ。

「……とかげ鳥は、泳げるのですか?」

 口を開いたのは、ルナだった。フォスターはにやりと笑った。

「いや。やつらは泳げない。だから……、」

 すっ、と海岸側へ指を動かす。

「こちらから、船で攻めるという手もある」

「……船は近づけるの?」と、アーサー。

「ここは深くなっているから、船で海岸のかなり近くまで近づける。海岸から営巣地までの距離は、正確にはわからないが、おそらく矢は届くと思う」

「それじゃ、」

「だが、4人では無理だ」

 あっさり、そういって、フォスターは軽く肩をすくめた。

「実は、海から攻める案は、カルナーと一度検討した。数十人の射手が一度に船で近づいて、火矢を放てば、巣を壊滅させることはできるだろうという結論だった」

「……ならば、何故それをしなかったのです?」

 ルナが訊いた。アーサーは少し鼻白んだが、フォスターは特に表情を変えなかった。

「理由はふたつ。ひとつは、カルナーはルパードとの権力争いに負けたから。もうひとつ、この計画にも欠点があった」

「欠点?」

「巣を破壊することはできても、とかげ鳥を全滅させられる保証がない。営巣地を焼き払えば、生き残ったとかげ鳥は逃げ散って、他の場所でまた群れを作るだろう。場合によっては、今よりやっかいなことになる。それを防ぐには、別働隊があらかじめ巣を包囲しておくことだが、そこまでの人数はとても集められなかった」

 2人はだまりこんだ。少しして、フォスターはまた口をひらいた。

「……そこで、カルナーはもうひとつの方法を考えた。準備をしている時間がなく、カルナーの生きているうちに実行できなかったが……多少修正すれば、4人でも可能だ」

 フォスターは、今度は営巣地の東側に手を動かした。

「こちらから攻める。つまり、──」



 それから、30日ばかりは、訓練と準備で過ぎた。

 二度ほど、慣らしをかねて狩りにでたが、たいした収穫はなかった。また、狩りの際に、アルセア・シティー周辺の森を調べたが、とかげ鳥の痕跡はなかった。 

 やはり、森を抜けたさき、巣の周辺で獲物をとっているらしい。

 隊商が通るたび襲われていることからすると、街道を人間が通ることを覚えて、待ち伏せをしている可能性もある。



 馬とは、パンドル国の火山帯に棲む猛獣である。草食だが気は荒く、野生では人間をみつけると集団で襲いかかる習性がある。火口に棲む精霊を守っているのだともいう。

 もし肉食であれば、魔獣と呼ばれていただろう。

 牛や鴉に比べて、家畜としての歴史は浅い。古くは、火山周辺の少数民族が馬を手懐け、利用していたともいうが、人間の手で管理し、繁殖させられるようになったのは、アルセア帝国崩壊の前後であるからおよそ200年前である。

 今のアルセアにその技術はなく、パンドルから輸入した馬を使っているにすぎない。


 さて──

 

 アーサーとルナは、フォスターにともなわれて、アルセア宮廷内の地霊宮へとやってきていた。

 地霊宮とは、策軍寮、王立学問所、史官局の4つの部署からなる行政組織である。

 宮頭は、アラン=フェルナンデス老師。

 おもてだってはいないが、カルリア家が後ろ盾についているといわれる。


 やってきたのは、策軍寮が普段つかっている訓練場の一部だ。

 まばらに草の生えた、二百歩四方くらいの空き地である。

 むろん、本来は乗馬のためのスペースではない。

「やあ、来たな」

 カルリア侯爵がふりむいてそう言った。フォスターたちはあわてて姿勢をただした。

「そう緊張するな。……アーサー、久しぶりだな」

 侯爵はそう言ってにっこりと笑った。きょうは騎士団の平服姿だが、帯剣はしていない。侯爵家の紋が入った黒いマントを羽織っている。

 アーサーとは、ミナの薬草店で、何度も顔をあわせている。最後に会ったのは、ルパード隊が壊滅した日であった。

「夢見の巫女よ。初めてお目にかかる」

 すこし、かたい表情になって、侯爵はルナに目をむけた。

 ルナは、無言で手を前において、深く頭をさげた。

 侯爵は、つかつかと歩み寄って手をさしだした。

「ルナ=サリナイ。……君たちは、アルセアの希望だ。よろしく頼む」

 ルナは顔をあげて、目をまん丸くしてしばらく硬直してから、手をとった。

 侯爵は、おちついた目でルナの瞳をみつめて、かるく頷いてから、握った手をはなした。

「……エルは、いかがですか。侯爵」

 フォスターが、どことなく暗い声でそういった。侯爵は、広場の真ん中へと目をむけた。

「俺も乗馬のことはよくわからないが、筋はいいようだな。」

 アーサーも、侯爵の目線を追って、エルのほうをみた。

 ルナやアーサーにとっては、馬を見ること自体が初めてである。ただ、想像していたよりもずいぶんと筋肉質で、大きな動物であるように感じた。

 エルは、大きな馬のうえにちょこんとまたがって、片手でゆるく手綱をにぎっている。馬は、人が走るのと同じくらいの速さで進んでいる。上下動はかなり激しいが、エルは、かるく体を前後させて、うまくバランスをとっているように見えた。

「かなり、いいですよ。上達が早い」

 侯爵にそう応えたのは、エルが走るのをすぐ側で見ていた、初老の男性であった。

「獣の扱いにも慣れているようですね。このぶんなら、ふつうに走るのはもう問題ないでしょう」

「そうか。……すまんな、クレス。もうしばらく付き合ってくれ」

「お気になさらず。」

 男はかるく微笑んで、エルのほうに目をもどした。

「……そこまで! とまれ」

 男が鋭くいうと、エルが反応するより先に、馬が勝手にうごいた。

 走りながら、後ろ足に体重をかける。

 次の瞬間、後肢をそろえて大きくのけぞり、前足を空転させるようにして、急停止した。

 エルは、手綱を強くにぎって、バランスをとるのにせいいっぱいである。

「言葉がわかるのですか?」

 ルナは、思わずそう口にだしていた。

「限られた命令はね。そのようにしつけてある。本当は、騎手が、言葉と動作で指示をだすんだが」

 男は、少し自慢げな様子で、そう答えた。

 エルは馬をおりて、大きく息をついた。汗だくのまま、侯爵にむかってぺこりと頭をさげる。

「綱で姿勢を保とうとするのはやめなさい。手綱は、馬に指示をあたえるためだけに使うんだ」

「はい、」

 男の言葉に、エルは真剣な目でうなずいた。

「脚で馬の体をしめつけるのも、馬によけいな指示を与えることになる。あの程度の揺れであれば、上半身の動きだけで耐えられるはずだ」

「はい。」

 エルはもう一度うなずいた。その手はかたく握りしめられていた。

(緊張しているな、)と、フォスターは胸のなかでつぶやいた。

「もう一度、」と男がいうと、エルは黙って、馬の背に手をかけ、またがろうとした。

「まって下さい」

 ルナがそれを制した。男は、ぎょっとしてルナのほうをみた。

「これだけ大きな獣なら、後ろに、もうひとり乗っても、同じように走れるのではありませんか。」

「少し練習すれば、まあ……。それが?」

 男がけげんそうに言うのにかさねて、フォスターが問い返した。「どういうことだ?」

「私がエルと乗れば、閃光弾の魔法で、足止めの役に立つと思います」

「なんだと、」

 フォスターはしばし絶句した。

 たっぷりひと呼吸のあと、眉をしかめて、男にむけて問う。

「強い光と音が炸裂しても、走り続けるように指示できますか?」

「なんとも……。平地をまっすぐ走り続けるだけなら、慣れさせれば、できるかもしれないが。うまく視界をさえぎるとか、何か工夫をすれば……」

「そうですか、……」

 フォスターは首をひねった。

 侯爵は、ふむ、と唸り声をあげた。ようやく意味がわかったらしい。

「やってみろ、フォスター。できることはなんでも試してみるがいい」

「……はい」

 フォスターは頷いた。

「ルナ、エルのうしろに乗ってみろ。……クレスさん、お願いします」

「ありがとうございます、」

 ルナはフォスターに礼をいって、エルのうしろに乗ろうとした。

 届かない。

 エルが、手をさしのべた。

 ルナは、もう一度、ありがとうございます、といって、エルに体重をあずけて馬の背にあがった。


 エルの体は、かすかに震えていた。


 ルナは、後ろからそっとエルを抱きしめた。耳元でそっとささやく。

「大丈夫。……私が、一緒にいます。たとえ、逃げきれず、とかげ鳥に喰われるとしても、その最後の瞬間まで、私はあなたと共にいます。ですから……安心して下さい」


 エルは、かすかに笑った。胸元にまわされた巫女の手を握ると、体のふるえがとまった。


 手綱と馬の頭の位置を確認し、脚をのばす。

 声で指示をだしながら、両足で、胴を軽くしめつける。

 馬が歩きだした。もう、迷いは消えていた。


 遠ざかっていく馬を見つめながら、フォスターは低い声でいった。アーサーは少し離れたところにいた。

「……侯爵。実は、言っておかなければならないことがあるのですが。」

「何だ?」

「あの馬、……生きて返せないかもしれませぬ」

「そんなことか。」

 侯爵も、おなじくエルとルナのほうを見ながら、少し口角をあげた。

「かまわんよ。おれが、テベー公に頭をさげればすむことだ。ことと次第によっては、陛下にもな。あとは、金と爵位でかたがつく。たいしたことじゃあない」

 本当にたいしたことではないように、侯爵はいった。

「それより、約束してもらわなければならないことがある。」

「何です?」

「お前らは、アルセア市を守る最後の退魔師だ。必ず生きて帰れ」

 長い沈黙があった。


 訓練場のむこうで、ルナがバランスを崩して落ちそうになり、馬が歩みをとめた。それから、もちなおしてまた歩きだした。


 フォスターは、ようやく口を開いた。

「……努力します。できうるかぎり」



 決行の時刻は、明け方ときまった。

 とかげ鳥の主な活動時間は、昼間であるからだ。

 営巣地の近くで準備をしなければならないし、いざ戦いのときには、とかげ鳥たちが十分に動ける状態でなければ、作戦が成立しない。

 真昼に街を出て、夜になってから現場近くへたどりつく。夜中に準備をして、明け方、とかげ鳥たちが目をさましてから、作戦を開始する。そういうことになった。



 その、前日の夜──


 ミナの薬草店で、壮行会がもよおされた。

 ちかごろ、この店を溜まり場にしているのはこの四人だけであるから、わざわざ貸し切りの札を出す必要もない。ミナのつくった料理と、果実酒、芋の蒸留酒で乾杯した。


 真夜中、アーサーはふらりと店の外に出た。

 酔いざましのためである。

 エルとフォスターは、まだ飲んでいる。エルは、なかば潰れていたが。

 夜の冷気に身をふるわせながら、あずまやに身をよせると、先客がいた。

 ルナであった。

「少し詰めましょうか。」

 そういって、少女はにっこりと微笑んだ、ような気がした。

 今夜は月もなく、星あかりでぼんやりとしか見えない。

「おこごとは、終わりましたか。」

 すこし、おどけたようにそう言われて、アーサーは笑った。

「小言じゃないよ。まあ、……」

「助言、でしょうか。お酒を飲んだ殿方は、口数が多くなるものですね」

「そうかもね。フォスターと飲んだのははじめてだけど……」

 少し、誇らしくもあった。このあいだまで、見習いにも入れてもらえなかった自分が。

「きみこそ、エルにずいぶん飲まされていたじゃないか。」

「それほどでも。この間は、この倍は飲みましたから」

 この間、だって?

 アーサーは首をかしげて、目線で問い返した。ルナはそれには応えず、

「……明日は、いよいよ決行ですね」

 そう、言った。

 思いつめたような口調ではなかった。

「……そう、だね」

 アーサーは、何かいわなければ、と思いながら、ただそう返すしかなかった。

 そして、

「前から、きこうと思っていたんだ、」

 気がつくと、べつの言葉が口をついていた。

「きいていいのか、わからなくて。でも、教えて欲しい」

「なんです?」

 ルナは、べつに怒ったふうもなかった。

「……人を鬼に喰わせた、ときいた」

「ああ、……」

 小さく首を振って、

「そのようなこともありました。でも、……」

「本当なのか。」

 アーサーは思わず、強い声をだしていた。

 ルナは口もとに笑みをうかべて、首をふった。

「そうは言っていません。いえ、ある意味では、本当かもしれませんけど。」

「……どういう意味なんだ」

 やっぱり聞くべきではなかったと、謝ってしまいたい気持ちをこらえて、アーサーは問い返した。

「そうですね。……あまり、人に話すべきことではありませんが、あなたにはお伝えしたほうがよろしいでしょう。もう終わったことですし……。」


 そういって、少女は語りはじめた。


 アーサーとルナが出会う、ほんの少し前のこと。

 下町の長屋に、若い焼き物職人と、その妻が住んでいた。

 男はまだ見習いであったが、まじめな仕事ぶりで親方に気に入られ、将来は独立する目星もついていた。妻は口数は少ないが気だてのよい女で、二人は仲睦まじく暮らしていた。

 ある日、妻が、頭が痛いと言った。

 男は、疲れているのだろうとおもい、夕食後すぐに妻を寝かせた。

 それっきり、妻は目覚めなかった。


「死んでなどいない、とかれは言ったのです」

 ルナは横をむいたまま、淡々と語り続けた。


 医師が死を告げても、大家が情理をつくして説き伏せても、男は妻の死を認めなかった。

 僧院から、『夢見の巫女』がやってきて、葬儀の始まりを告げても。


「長屋の、遺体のあるへやで、二人きりで話をしました。

 しばらく話したあと、かれは言いました。

 時間をくれ、と。」


 妻は死んでなどいない。

 眠っているだけだ。今にも、起きてくる筈──


 そう、主張しながら、一方で男は、こんなことを言った。


 皆がそう言うのなら、あるいは妻は死んでいるのかも知れない。

 けれども、自分には未だそれを納得する事が出来ない。

 できない以上は、妻を引き渡すことなどできよう筈もない。


 落ち着いた様子で、そう言ったかと思うと、次の瞬間には涙を流して、頬を歪めていた。


 そして、半日ほども話したあと、かれは言ったのだ。


「どうしても、妻を連れてゆくのなら、別れを惜しむだけの時間をくれ。ほんの少しだけ、時間をくれれば、きっと、妻を手放す決心がつくから──と」


 その言葉をきいて、すぐ、というわけではなかったが。

 結局、巫女は了承して、部屋をでた。


「──それで?」

「見張りを、することにしました。」

「見張り、だって?」

「戸口のまえで、誰も部屋に入れぬように──。

 かれが、妻を手放す決心がつくまで、と約束をしましたので……」

「決心がつくまで、って、どのくらいの間……?」

「……15日ほど、かかりましたでしょうか。」

 ルナは、なにかを思い返すように、抑揚のない声でそう答えた。


 大家、隣人、女の血縁、医師。

 15日のあいだ、幾人ものひとが、戸口の前にたって、ルナを非難した。

 女が死んで、数日してからは、匂いもひどかった。

 けれども、ルナは頑として動かなかった。最後には、床に頭をつけて猶予を乞うことまでした。

 食事は僧院から運んでもらい、日に1度だけ、隣家の厠を借りて用を足して、戸口に立ち続けた。


 幾度か、人のものとは思われぬ叫び声が聞こえてきた。

 また、ものが壊れる音、床や壁を叩く音が、日に何度か響いてきた。


 15日後の昼。

 男は、やせおとろえていたが、つきものが落ちたような様子で、外に出てきた。

 そして、ルナの顔をみて、ひとこと礼をいって、頭をさげた。


「……なかに入りますと、家のものはほとんど壊れていました。

 ただ、遺体の寝かされていた夜具はきれいに整えられていて、その横には、手のつけられぬまま腐った食事が、何膳も並べてありました。

 遺体は、蛆に喰われて、ほとんど原型をとどめてはおりませんでした。」


 その後、布団にこびりつく肉塊のようになった遺体をかきあつめて、葬儀をおこなった。

 男は、葬儀には出席しなかった。



「……それで、終わりです。」

 そういって、ルナは語りを終えた。


 男が、一度だけ礼を言いに訪ねてきたことは、言わなかった。言う必要もないと思ったからだ。


「それじゃ……鬼と、いうのは。」

「人が、鬼になるということが本当にあるのか、私にはわかりません。……けれど、もし、そういうことがあるとするなら……あのときの、かれの姿は、鬼に近いものだと、私は思いました」

「……では、なぜ?」

「わかりません。ただ……いま、かれに時間を与えねば、本当に、鬼となり、二度と人になれなくなるのではと、そのときはそう思いました。

 15日のあいだ、かれが何をしていたのか、本当のところはわかりません。かれが妻の屍肉を喰ったとか、妻のからだを犯したとか、さまざまなことをいう人がいます。あるいは、本当にそういったことがあったのかもしれません。たとえ、そうであったとしても、それは夫婦の秘密として隠されるべきことだと思います」

「でも、それでは……。死者の尊厳は、」

「死者がそれを望んでいなかったと、どうしてわかります?」

 いわれて、アーサーは口をつぐんだ。何も言葉が出なかった。

「それに、……知っていますか? 葬儀も祈りも、生者の心のためにあるのですよ」

「……巫女がそんなことを言って、いいの?」

「かまいません」

 ルナは立ち上がった。大きく、手足を伸ばして、息をついてから、またアーサーのほうをむいた。

「少し……話しすぎました。お酒のせいですね」

「いや、……聞けてよかったよ。ありがとう」

 自分に言い聞かせるように、アーサーはいった。

「話しすぎついでに、もうひとつだけ。」

「なに?」

「この戦いのことです。……葬儀は、生者の心のためと申し上げましたね。私は、この戦いは、とむらいのための戦いだと思います」

「……カルナーのことを言っているのか。君は、カルナーとは面識がないだろう?」

「ええ。ですが、エル=サラナのことは知っています」

 アーサーはまた黙ってしまった。言葉を探しているうちに、ルナがまた口をひらいた。

「焼物師の男が、屍体とともに過ごすことで妻の死を受け入れたように、エルにも、仲間の死を受け入れる機会が与えられねばなりません。……今は、それが、私が戦いにゆく理由です。」

 ルナはそこまでいってから、軽くいずまいを整えるように服の裾を握った。それから、少しだけ哀しげな目をして、

「アーサー。……あなたは、なぜ戦いにゆくのですか?」

 それから、少しして、ルナは、失礼、といって歩きだした。

 あとに残されて、アーサーはなんともいえない居心地の悪さを感じていた。



 翌日、昼すぎ。

 大きな壺を背負子にのせて、フォスターたちはアルセア・シティーを出た。

 壺の中身は、魚油である。

 アーサーとフォスターが背負っているほか、馬の背中にも乗せている。

 それから、柄杓。

 大きめのものが4つ、馬の背にくくりつけてある。

 そのほか、弓矢、毛布、火打ち石やたいまつなど、荷物はたくさんある。

 旅程の半分ばかりも歩いたころ、

「まて、」

 とつぜん、先頭を歩くフォスターが、そういって立ち止まった。

 エルが頷いた。少し先の地面に跪いて、足元に手を当てる。


 足跡であった。


 草をかきわけたような痕、特徴的な、大きな鉤爪、一歩ごとに大きく跳ぶような蹴りあと。

 とかげ鳥だ。それも……たくさんの。


 全身が総毛立つ感覚に襲われて、エルは唇を噛み締めた。


 

 結局、作戦は予定どおりやることにきめた。

 ルパード隊と同じ轍を踏んでいるような気もしたが、いま戻ったところでどうなるわけでもない。

 とかげ鳥の群れが、街の近くまで来ているのなら、余計に、早く退治しなくてはならない。

 それだけのことだ。



 岩場に着いた。

 馬から荷をおろして、準備をはじめる。

 日はとっくに沈んでいる。

 寒いが、空は晴れており、空気はほどよく乾いている。

 岩場から、巣のある場所までは、草原が続いている。今の季節は枯れ草が多く、火計にはおあつらえむきだ。

 壺をあける。むせかえるような油の匂いが、あたりに広がる。

 アーサーとフォスターは、柄杓で油をすくって、あたりに撒きはじめた。

 エルとルナは、少しはなれたところで、馬をつれて野営の用意をしている。

 野営といっても、火は使えない。

 毛布をかぶって交代で見張りをしながら、夜があけるまで待つだけである。

「フォスター!」

 エルがさけんだ。

「偵察にいってくる。」

「なに?」

 フォスターは思わず聞き返した。

「気になるんだ。さっきの……」

「足跡か」

 エルは頷いた。

「群れがあそこにいるかどうか、確かめなくては。」

「おれが行く、」

「いや。」

 エルは、つとめてにっこりと笑って、いった。

「偵察は私の役目。そうでしょう」



 ルナは、することもなくぼんやりと座っていた。

 油をまく役からはずされたのは、女だからではなく、囮役だからだ。

 そうとわかっていても、少し不満ではあった。

 焚き火もできないまま、毛布にくるまって座っていても、寒いばかりだ。

 立ち上がる。

 少し、体を動かしたかった。

 馬は、木につながれたままじっとしている。眠っているのかもしれない。

 明日の手順を、頭のなかで反芻しながら、持ち物をしらべる。

 杖、布図面、火つけ石、ほくち、血止めぐすり、手布が大小4枚、干し芋、水袋、下着のかえと雨具、そのほか背負袋いっぱい。

 ほとんどの荷物は、ここに置いていく。

 明日、持ってでるのは、布鎧のほかは短剣と笛だけだ。

 短剣をぬいて、刃にきざまれた銘をよむ。


 刃にて鬼神悪鬼を祓う可し


 とかげ鳥は、魔獣とは呼ばれているが、鬼神悪鬼の類ではない。

 それでも、明日の戦いには、この剣が必要だと思った。

「寝ていろよ」

 闇のなかから声がした。

 アーサーであった。

「明け方まで、まだ間がある。見張りは僕たちがやるから。」

「……エルは偵察にいったのでしょう。」

 アーサーは、ああ、と頷いて腰をおろした。油のにおいがぷんと漂ってくる。

「もう、ずいぶん経ったように思うのですが。」

「そうだね、……」

 油をまくのに夢中で気が付かなかったとはいえず、アーサーは曖昧に頷いた。

「とかげ鳥が、……」

 いいかけて、ルナは口をつぐんだ。


 気まずい沈黙が流れかけたとき、足音がした。


 フォスターと、エルであった。



 エルは憔悴した様子で、見てきたものを報告した。

 とかげ鳥は、営巣地にいる。

 夜のことで、数まではわからない。けれども、群れでいるのはたしかだと。

 とかげ鳥の気配と、声と、


 こちらを見る、目の光を、たしかに確認した、と。


 予定どおりであった。



 明け方──


 ルナは、エルの腰に手をまわして、馬上にいた。

 作戦は、こうだ。

 エルとルナが、まず、とかげ鳥の巣へ近づいて、群れをおびきだす。

 アーサーとフォスターは、この場所で、二人を待ちうける。

 油をまいた場所を、馬が走りぬけた直後に、火をはなつ。

 アーサーの魔法で風をあやつり、火がとかげ鳥の群れを襲うようにする。


 問題は、その後である。


 晴れた、かわいた日とはいえ、一瞬で群れを覆い包むほどの火勢が得られるかどうか。

 もし、火のいきおいが足りなければ、生き残った魔獣たちとまともに戦わなければならなくなる。

 そうなった場合には、エルとルナだけは馬を駆って逃げるよう指示されている。

 しかし、二人とも、そのつもりはなかった。


 ──二度も、おめおめと逃げられましょうか。


 はっきりと口にはしなかったが、エルの目はそういっていた。

 そして、その気持ちは、ルナも同じであった。



 アーサーは、松明を手にして、岩陰にしゃがみこんでいた。

 ゆうべは徹夜したが、疲れは感じない。

 ただ、すこし、足が震えているだけだ。

「……なるべく音をたてるなよ、」

 と、横で姿勢を低くしているフォスターがいった。

 待ち伏せを悟られてはならない。二人は、岩に囲まれた窪地にいるが、とかげ鳥が近づけば見られるかもしれない。

 さいわい、いまの風向きはこちらが下だ。匂いではわからないだろう。

「……遅くないかな。」

「足音でわかるさ。」

 答えて、フォスターはすぐにシッと息をはいた。

「くるぞ、」

 あわてて体をおこそうとするアーサーを制止する、


 と、


 フォスターの顔が恐怖にひきつった。

「え、」

「反対側だ!」

 小さく叫ぶや、フォスターはアーサーの体を引き倒した。松明が地面にころがる。


 ごう、と嵐のような音。


 たくさんの足音。


 ウマのではなく、とかげ鳥の──



 笛の音は聞こえない。そして、足音は森のほうからだ!


「なぜ──」

「しるか!」

 短い会話のあいだに、足音は岩場まで到達していた。

 二人は岩のすきまにじっと身をひそめた。頭の上を、いくつもの影が跳躍していった。反射的に顔を上げようとするアーサーを、フォスターは必死でおさえつけた。

 がつんがつんと、岩に爪がくいこむ音がするたびに、くだけた石のかけらが降ってくる。

 通りぬけた影の数をかぞえる。5、7、11。ならば全体の数は?


 ──ようやく、頭をあげたときには、群れはもうずっと離れたところを走っていた。


 営巣地にむかって。


「追うぞ!」

 地面に落ちた松明を拾おうとするアーサーを、フォスターは叱りつけた。もう、そんなものは役にたつまい。


 ──追ったところで、犬死にではないのか。


 胸にちらつく思いを、噛み殺した。

 エルなら、きっと、そんなことは考えもすまい。

 そう、思う。



 馬が足をとめた。


 エルは、目をこらして、気配のするほうを見る。

 昨晩の偵察ではもう少し先まで行ったが、夜のことで、巣のようすが詳しく見えたわけではない。

「……みえるんですか?」

 ルナが、いぶかしげにつぶやく。すこしはね、と頷く。

 乗馬した状態で、これ以上近づけば、先にむこうに見つかるおそれがある。


 深呼吸する。


 耳をすませる。

 目をこらす。

 風が頬にあたる感覚を、頭のなかでもう一度とらえなおす。


 気配の数を、かぞえる。

 うっすらと見える、影の数を。

 かすかに耳に入ってくる、鳴き声の数を。


「……なんだか……、」

「え?」

「ううん。……なんでもない。」

 エルは首をふった。

 群れが、まだあそこにあるのは間違いない。

 だから、些細なことだ。きっと、ただの錯覚だろう。


 もともと、正確な数はわかっていないのだから。


「いこう。近づいたら、笛。いいね?」

 ルナがうなずいたのを感じてから、脚をのばして馬に合図を送る。

 もう、あともどりはできない。



 ルナの頭上には、2つの魔法球がきらめいている。

 先ほどまでは4つあったが、自分とエルに保護の魔法を使ったので、減っている。

 今あるのは、閃光弾の魔法だ。

 ひとつは、とかげ鳥に追いつかれそうになった時のため。

 もうひとつは、火で群れを全滅させられなかった場合に、生き延びる可能性をつくるため。



 予定どおりだった。

 とかげ鳥の群れは、予定していた場所にいた。

 少し離れた場所から笛を吹いただけで、群れ全体がこちらを見た。

 馬を反転させて走らせると、追ってきた。


 予定どおりだ。


 だが、エルの胸中は、不安でいっぱいだった。


 ──数が、少ないのではないか?


 群れと対峙した瞬間に、正確な数がわかったわけではない。

 斜面上から見下ろしたルパード隊と違い、平地での対面である。奥までは見えない。

 けれども、ただただ違和感が、恐怖よりも緊張よりも大きなそれが、エルの胸を支配した。


 ルパード隊との戦いで、どれだけのとかげ鳥が斃されたのか、正確なところはわからない。

 餌がとれず、自然と数が減ったということもあろう。

 群れの規模が思ったよりも小さいのなら、喜ぶべきことだ。



 本当にそうか?



 馬が走りだしてから、ずいぶん時間が経ったような気がする。

 とかげ鳥の群れは、かわらず追ってきている。

 最初に戦ったときにくらべれば、冷静になれている。そう、思う。馬を操るのに必死で後ろをみるいとまはないが、音と気配で、距離感は十分につかめる。

 このままなら、追いつかれることはない。


 しかし、

 やはり、胸のどこかで判っていた。


 言葉にはしなかったが、


 だから、岩場のむこうから、もうひとつの群れがあらわれたときも、たいして驚きはしなかった。



「エル!」

 ルナがさけんだ。もちろん、いわれるまでもなかった。

 手綱を放す。

 腰から、弓と矢をとる。

 剣のありかを目でたしかめる。

 何度も、頭に思いえがいていたことだ。


 前方の群れを、はっきりとみすえながら、エルは覚悟をなぞった。


 ジャスの生首を、

 カルナーのはらわたを、

 そして、見たはずもない兄の死に姿を、思い浮かべた。


 自分が、これからゆくはずのところを。


(たとえ、逃げきれず、とかげ鳥に喰われるとしても、)


 背中の温もりを感じながら、


(その最後の瞬間まで、私はあなたと共にいます)


 思い出す。勇気を与えてくれた言葉を。


 きりりと、弓をひく。

 馬上で弓をとるのは初めてだが、不思議と、体は揺れなかった。

 ぎりぎりまで引き絞って、指をはずしかける。


 はなとうとした刹那──


 ふいに、背中の気配がうごいた。

 腰にまわされていた腕が、胸のあたりに動いて、ぎゅっと締めつけられる。

 抱きしめられたのだ、と気づくまでに、すこし時間がかかった。

 耳元で、やさしい声がささやく。

「大丈夫です、エル。……落ち着いてください。」


 頬がかあっと熱くなった。


 弓をおろす。右手で手綱をつかみなおす。

「……ごめん。」かすれた声で謝った。

「いいえ。」

 そういいながら、巫女はにっこりと微笑んだ。見えたわけではないが、エルはそう感じた。


 進路をかえる。

 南へ。



 南へ進路をとったのは、そちらが下り坂だからだ。

 前の群れも後ろの群れも、ある程度の幅をもって広がっているから、逃れるには左右どちらかへ一気に駆け抜けなければならない。上るよりも下るほうが速い。とっさにそう思った。

 しかし、この先には海があるばかりだ。

 とかげ鳥の数は、ざっと見たところ数十匹。2つの群れをあわせて、ルパード隊が戦った数よりは少し減っているくらいだ。

 もっとも、この場合、数は関係ない。10匹だろうが20匹だろうが、追いつかれれば死ぬ。保護の魔法で守られてはいても、たった二人でまともに戦えるはずもない。

 逃げ切るには、どこかで反転しなければならない──

「……やってみましょう、エル」

 ルナが、ちいさく囁いた。

 白い魔法球。

 閃光弾の魔法を使おうというのだ。

「わかった。」

「馬をお願いします。」

 短い会話。

 訓練場で慣らしてはおいたが、いざこの場で、轟音と閃光に耐えながら馬が走れるかどうかは、はっきり分からない。

 しかし、やらなければ、追い詰められてしまうだろう。

 少なくとも、とかげ鳥に効果はある筈だ。

 強烈な光と轟音をまともに受けると、獣も動物もひとしく動けなくなる。人間ならば、しばらく闇に包まれたように感じて、立っていられなくなる。視力も、聴力も失ってしまう。

 エルは、馬の首にもたれるようにして、そっと馬の耳をふさいだ。

 ルナは、腕を曲げて自分の耳を両手でふさぎ、肘でエルの耳をおさえた。

「いきます!」

 ルナが大声でさけんだ。魔法球は、合流しようとする群れにむけて放ってある。距離があるから、群れの中心とはいかない。

 エルは指先で馬の目をふさいだ。ほんの一瞬だけ。

 同時に、自分も目をとじる。ルナもそうしているはずだ。


 白い光が瞼にやきつく──

 衝撃が、全身をつらぬく。


 一瞬、ふわりと浮いたような感覚に包まれて、次の瞬間には痛みに襲われた。


 目をあけると、土くれと石が目の前にあった。

 落馬したのだ。

 耳をやられて、音はきこえない。たぶん、一時的なものだろうが。

 あたりを見回す。目がちかちかする。それでも、見えないことはない。

 すぐそばに、ルナ、もう少しはなれて、馬が倒れている。


 しかし、

 とかげ鳥は、かわらず走り続けていた。


 ──なぜ!?

 

 前後にあった2つの群れが合流する前に、魔法球ははじけた。

 カルナーの隊にいたころ、魔獣に閃光弾を使うのを見たことは何度もある。とかげ鳥を相手にしたことも、ある。

 目や耳ををふさぐことなくまともに受ければ、感覚を失う。

 走り続けることなど、できないはずだ。


 横で、ルナが起き上がっていた。何事かつぶやいたらしく、唇が動くのがみえた。

 お、に。

 鬼。

 そう、言ったようにみえた。

 とにかく、エルは立ち上がった。馬は使えそうにない。ルナの手をひっぱる。

 南へむかって、走りだした。



 ルナはもう息を切らしていた。

 とかげ鳥は、二人が走りだした直後に、さっきまで倒れていた場所へ突っ込んできた。馬はふみつけにされ、動かなくなった。ころがるようにして必死で逃れたが、すぐ追いつかれそうだった。

 しかし、そうではなかった。

 走りだして、少し経っても、とかげ鳥は追いついてこなかった。

 エルは、こちらのペースにあわせてくれている。

 本当なら、とっくに殺されているはずだ。

 ちらりと、背後を見る。

 とかげ鳥の2つの群れは、合流して、ひとつになっていた。

 しかし、様子がおかしい。

 一匹として、こちらを向いているものはいない。

 ぶつかりあって、転倒したらしきものも多い。

 それに、馬。

 一匹のとかげ鳥が、倒れた馬を踏みつけにしているが、それだけだ。

 喰われていない。はっきりと攻撃された様子もない。

 これは──


 ぐいっと、手が強く引かれた。

 エルがこっちをむいて、何事か叫んでいる。

 気を散らすなと叱咤しているのだろう。


 また前をむいて、全力で足をうごかす。

 しかし、まだ先程の光景が頭を離れなかった。

(見えていない?)

(それでも、走れた)

 必死で、考えをめぐらす。生きのびるためには、それしかないと思った。

(間違いない。閃光弾で、目はつぶされているんだ。たぶん、耳も)

 それでも、すぐに回復して、追ってくるだろう。

 あたりに隠れるようなところはない。

 馬の足がない以上、逃げ切れるとは思えない。

(狂戦士の魔法──)

 覚えてはいるが、ほとんど使ったこともない術の名前が頭をよぎる。

 ルナは知るよしもないが、カルナーが死の寸前に使った魔法。

 一時的に恐怖や痛みをなくし、力を何倍にもする強化の術である。

(感覚をつぶされても動けるのは、たぶんあれと同じだ)

(興奮状態で走っているから、見えなくなってもそのまま体を動かし続ける)

 事前に、エルから聞いていたところでは、普通なら閃光弾はとかげ鳥にも効くらしい。

 しかし、そもそも群れをつくる獣ではない。

 こうして、何十匹もの集団で走っている状態そのものが、異常なのだ。


 考えている間に、どんどん海が近づいてきていた。

 いきどまりだ。

 背後から、群れの足音がきこえる──


 隠れるところはない。

 海に潜ったら、と思うが、すぐに無理だと気づく。

 もうほとんど間はない。波打ち際で追いつかれて捕まるだろう。少しばかり海に入れたとしても、完全に身を沈める前に攻撃される。余計に動きにくくなって、捕まりやすくなるだけだ。

(だったら──)

 そこまで考えたところで、ぐい、と肩を掴まれた。

 エルが、剣を抜いて、とかげ鳥たちの前に立ちはだかっていた。

「エル、」

「ごめん、ルナ」

 なにを謝っているのか、ルナにはわからなかった。

 最期までいっしょにいると言ったのは、自分のほうだというのに。


 けれど──

 いまは、その時ではない。


「ちがう、エル。……伏せて!」

 ルナはさけんだ。

 エルの腰を抱いて、思いきり引き倒す。

 狂気にみちたとかげ鳥の群れが、もう目の前にせまっている。

 足元はもう砂地だ。ほんの何歩か先には、波が打ち寄せてきている。

 やるなら、ここしかない。

 最後に残った、白の魔法球。


 閃光弾が、炸裂した。



 目も耳も、ふさいでいる間はなかった。

 上下左右の感覚を失ったなかで、ルナは背中ににぶい衝撃を感じた。

 吐きそうになる。

 ようやく感覚をとりもどしたとき、ルナのからだの上には、エルがうつぶせになって倒れていた。

「エル──」

 つぶやきながら、這いだす。

 エルの口元から、血が漏れていた。

 とっさに、ルナをかばって、とかげ鳥に踏まれたのだ。

 ルナは唇をかんだ。

 同時に、助かった、とも思った。

 ともかくも、エルは生きている。自分もだ。

 保護の魔法をかけていなければ、もっとひどい怪我をしていただろうが──


 ルナは、海のほうを見た。

 海面に、たくさんの羽根や、突き出した嘴が見えている。

 頭だけを苦しげに水面からだして、もがいているものもいる。

 魔獣の群れは、二人のいた場所を通り抜け、海へと突っ込んでいった。

 水に足をとられ、おそらくほとんどのとかげ鳥は、転倒しただろう。

 転ばなかったものも、まわりの仲間にぶつかって、あともどりはできなかったはずだ。

 とかげ鳥は泳げない。目も耳もきかないとなれば、なおのことだ。

 ここらの海は深いとはきいていたが、確かめたわけではない。いちかばちかの賭けだった。


 ……ぞわりと、悪寒がした。


 一頭のとかげ鳥が、海から這いだしてきていた。

 群れの末尾にいた個体らしい。ゆっくりと、砂を踏み固めるようにして、こちらに進んでくる。

(何匹……!)

 そう考え、すぐに意味がないと悟る。

 何匹生き残っていようと関係ない。自分たちが死ぬには、一匹で十分だ。

 ルナは歯噛みした。エルは動けない。いや、動かすことさえ危険だ。

 先ほどエルがみせた覚悟を、今度は自分が背負う番だった。

 短剣を、腰からぬきはなつ。

 銘を心にきざむ。

 かまえる。

 生き物を斬ったことはない。けれども、とまどいはなかった。

 たとえ、斬る前に、命がなくなるのだとしても──


 間近で見ると、とかげ鳥は思ったよりずっと大きかった。

 荒い吐息が、獣臭とともに顔にかかる──


 鉤爪が、頭上にみえた。

 背後には、エルが倒れている。といって、受け止められるはずもない。

 ただ、短剣をかざして、睨みつけることしかできなかった。


 死が、振り下ろされる──


 そう、感じた刹那。


 迅、と刃がはしった。

 青いひかりが、ルナの目にやきついた。

 それは、剣のはなつ光であった。


 アーサーだ。

 横あいから、いつのまにかかけ寄ってきていた。

 とかげ鳥の首は、一撃で斬り落とされて、地面に転がっていた。


「……エル、ルナ──」

「アーサー」

 ルナは、割れそうな胸の鼓動をおさえながら、頭をさげた。

「ありがとうございます。……さすが、王となられる方ですね」

「冗談をいっている場合か、」

 アーサーは顔をしかめながら、身をかがめてエルの顔をみた。呼吸はしているようだ。

「治癒の魔法を、いや──」

 あせりのにじむ口調で、そんなことをつぶやく。治癒の術は用意してきていない。作戦のために必要な魔法を優先したからだ。

「エル──」

 唇をかんだアーサーの頭上を、


 ひょうと音をたてて、矢が通りぬけていった。


「気をぬくな!」

 フォスターの声。

 矢は、海岸から這い出ようとしていたもう一頭のとかげ鳥の頭をつらぬいていた。

「まだ何頭か息がある。手伝え」

「でも、」

「ルナ。治癒の魔法が必要だ。できるな?」

 坂を降りながらこちらを一瞥して、フォスターはそう指示をとばした。

 ルナは無言でうなずいた。すぐにその場にすわりこんで、目をとじる。

 瞑想に入る。


 アーサーは、少し暗い気持ちになって目をそらした。

 自分なら、もっと静かな場所で、落ち着いてからでなくては精神集中に入れない。

 そもそも、魔法球を生むのに時間がかかりすぎて、治癒が間に合わないだろう。


 フォスターに肩を叩かれた。

「おまえにはおまえの役割がある。……行くぞ」

 アーサーは頷いた。深呼吸。

 まだ、戦いは終わっていないのだ。



 結局、大半のとかげ鳥はそのまま溺れ死んでいた。

 なんとか息があったものも、上陸する前に矢で仕留めた。

 陸まであがってこられたのは、最初の2頭だけだった。



 ルナの魔法でエルは治癒したが、動けるようになるには半日ほど必要だった。

 その間、フォスターとアーサーが交代で見張りをし、置いてきた荷物を回収した。


 そして、その日の昼すぎ。

 主のいない営巣地へと、4人はやってきた。


 斜面の下、広い草地に、たくさんの巣が設置されている。

 枯れ枝と、草と、土くれでできた丸い巣である。

 いくつかの卵と、産まれたばかりの雛の姿もあった。

「……焼き払うぞ」

 フォスターがいった。まって、とエルが叫んだ。

 営巣地の中央あたりに、白いかたまりのようなものがあった。

 アーサーが息をのんだ。

 それは、骨であった。

 おそらくは、人の。

 いくつもの死体が重ねられて朽ちたものか、小さな山のようになっている。

(雛に、食わせていたんだ……)

 ルナは口のなかでつぶやいた。本当にそうかは、確かめようがないが。

 やぶれた服のかけらや、身につけていた品も、そこらに転がっている。

 エルは、ずかずかとそこへ近づいて、膝をついた。

 落ちていたものを、ひとつ拾いあげる。

 それは、剣であった。

 銅製の長剣である。雨風にさらされたせいか、汚れて錆びている。

 血のような痕もある。

 どこにでもあるような品だったが、エルにはわかった。

 それは、兄の遺品であった。


 エルは、あの日から初めて、大声をあげて泣き叫んだ。



 10日後──

 四人は、王宮へと呼び出された。

 カルリア侯爵の後ろについて、紫刺繍のじゅうたんの上を歩く。

 むろん、正装である。

 ルナだけは、着慣れた巫女衣装であり、1人だけ落ち着いているように見えた。

 王座から、3段下がったところで、指図どおりにひざまづく。

 アルセア王は、大柄な男であった。少なくとも、アーサーたちにはそう感じられた。

 おそらく侯爵よりも年下であろう。体も、フォスターよりは小さいはずだ。しかし、人の上にたつものの威厳が、自然と王を大きくみせていた。

「アーサーよ。久しいな」

 王は、そういった。

「覚えてはおるまいな。お前が赤子の頃、一度だけ会ったことがある。ランガには世話になった」

 それは、アーサーの父、勇者と呼ばれた男の名であった。

 旅に出る前、アルセア・シティーに住んでいた頃は、王宮に仕えていたという。

「さて、侯爵よ」

「はい」

 侯爵は立ったまま一度、頭をさげた。

「この者たちに命じ、魔獣の群れを退治したとのこと、大儀であった。何かと、必要なものあったようだが──」

 意味ありげに侯爵の目をみて、

「──それは、構わぬ。アルセアを思ってのこと、ありがたく思う」

「恐れおおきことでございます」

 馬のことを言われたのだとわかっていたが、侯爵は涼しい顔であった。

「その者たちにも、何か、ほうびが必要であろうな。むろん、定められた賞金は与えられようが、それだけというわけにはいかぬ」

「は──」

 侯爵がなにか言いかけたが、王は手をふった。

「直答を許す。何か、ほしいものはあるか。望むなら、騎士として取り立てもしようが……。」

 しばらく、沈黙が流れた。

 フォスターとエルは、まっさきに金と武具を思い浮かべたが、答えをためらっていた。

 王の意図は、おそらく仕官だと思われたからだ。

 アーサーは、それもわからず、ただただ戸惑っていた。


 そして、ルナだけが心をきめて、口をひらいた。


「お願いがございます」

 ほう、と王は息をついた。むろん、夢見の巫女の名くらいは知っている。

「言ってみよ」

「船を、出していただきたいのです」

「船!?」

 その場の誰にとっても、意外な答えであった。

「マヌルガ行きの船を、お願いしたく思います」

 それは、海をへだてた隣国であった。アルセアとは最も近しい国であり、王国の所在するジル・ア・ロー島から大陸への入り口でもあった。

「マヌルガへ行くと申すか。なぜだ?」

「勇者ランガの足跡をたどるためでございます。……いえ、ランガのみならず、勇者と呼ばれるものはみな、大陸をめぐり、精霊の許しをえて魔の島へと至ったとか──」

「なんじが勇者のまねごとをすると申すか、夢見の巫女よ」

 王はからかうようにそういった。むろん、そうでないのはわかっていた。

「いえ、私は──かれについてゆきます。アーサー=ブルガナンに。」

 ルナは、そう言い切った。

 確信にみちた目であった。

 アーサーは、ごくりと唾をのみこんだ。

 これまで、考えなかったわけではない。いや、ずっと意識して生きてきたことだ。

「アーサーよ、」

 王は、すこし楽しんでいるようだった。

「巫女はそう言っているようだ。お前の意思はどうかな。」

「ぼくは……いえ、私は」

 アーサーは奥歯をかんだ。


 ──なぜ、といまでも思う。しかし、


 顔をあげる。震えを感じていた。まっすぐに王を見あげた。


 ──いっぽうで、覚悟はきまっていた。


「私は、父のようになりたいと思っています」

 それだけ、言った。

 精一杯の言葉であった。


 王は大笑した。


 よかろう、と言われて、アーサーはほっと息をついた。

 なぜだか、エルのほうを見ることはできなかった。



 これが、最初の物語である。

 勇者アーサーの、長い長い物語歌の、最初の一章。


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