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8.ドラゴン、殺される

 暗い夜空で雲が渦を巻いている。荒れ模様で、風もいつもと違っていた。昇りばかりでなく、右に左に、下りの風までが吹く。

 岩屋の外に出たドラゴンは、足音を立てずにふわりと舞うようにして急斜面を下りていった。月も星もない闇夜であっても、なんら支障はない。


 目指すは小さな明かり。ひとつだけ地上に星が落ちたように、赤く瞬いている。風を避けて岩の陰で焚かれている火だ。

 移動しながら、ドラゴンは姿を変化させた。春に覚えたニンゲンの青年へと。


 やがて彼は、炎の明かりがぎりぎり届くか届かぬか、という縁で足を止めた。

 焚火のそばに腰を下ろしていた青年が、気配を察知して腰の剣に手をやる。もう一人、岩棚の陰に横たわった少年はぐっすり眠りこんでいて身じろぎもしない。前回、騎士らと共に岩屋までやってきたあの少年だった。


 ドラゴンは面倒を避けるため、少年に眠りの息吹を送り込んでから、ささやき声で話しかけた。


「二度と来るな、と言ったはずだが」


 少年はもぞりと動いたが、起きなかった。青年のほうは剣の柄にかけていた手を離し、ほっと息をつく。


「わざわざお出ましとはかたじけない、我が命の恩人、貴き岩屋の(あるじ)殿」


 声にも態度にも嘘や敵意がないことを確かめ、ドラゴンは一歩進み出た。火明かりに照らされ、双子のようによく似た姿があらわになる。髪の色さえ除けば、であるが。

 ニンゲンの青年は驚きに目をみはり、次いで苦笑した。


「一瞬、血を分けた兄弟がいたのかと思った。失礼、話は聞いていたが……」


 そこで彼は昏々と眠る従者の少年を一瞥し、不思議そうに眉を上げる。ドラゴンに向き直ってなんとなく察したらしく、そのまま彼は片膝をついて丁重に礼を述べた。


「我ら卑しき人の子に、いと気高き御身の慈悲を賜りしこと、深く感謝申し上げる。貴殿が預けてくださった霊薬のおかげで、私ひとりにとどまらず大勢が救われた。どうしても、直接お会いして御礼を申し上げたかったのだ」

「ならばもう用は済んだな。夜が明けたら引き返せ」


 ふん、とドラゴンは鼻を鳴らし、素っ気なく応じた。目の前のニンゲンが、先だっての迷惑な連中が言っていた王子であることは間違いない。身なりも良いし、態度も堂々としている。

 取り付く島もない彼の態度にも、王子は気後れしなかった。


「貴殿が情け深くあられることは存じている。我々人間だけに慈悲をかける由はない、死ぬに任せるのが自然だと仰せられたそうだが、私が病から回復した時には、どうすれば病を治せるか、防げるか、今までまったく知らなかった知識を得ていた。まさに、貴殿の慈悲のおかげで大勢が救われたのだ。……最上位種として保たねばならぬ節度、あるいは姿勢といったものがあろうことは、お察しするが」


 王子はそう言ってほほえんだ。ニンゲンの中では上位種と言ってよい立場ゆえ、共感めいたものを抱いているのだろう。ドラゴンは呆れ顔をした。


「勝手に都合の良い解釈をするな。我は力、我は知識。ニンゲンひとりの命を救うには、あのようにするほかに手がなかっただけのこと。もしあの者らが誰を救うかの選択を誤っていたなら、知識は定着せぬか、してもそれによって同族を救う結果にはならなんだろう。我は慈悲をかけたわけではない」

「それでも御礼申し上げる。何か、我々の感謝をあらわす方法はないだろうか。貴殿を称える歌をつくらせるのはどうだろう」


 大まじめに王子が言ったもので、ドラゴンは危うく彼を鼻息で吹き飛ばすところだった。竜のなりをしていたら、堪えきれず本当にそうしていただろう。


「うぬらの考えは実に突拍子もないな。そんなことより、二度と山に登るな、という戒めを守るが良い。うぬらは山を荒らし、辺り構わず汚して、不快なものどもを呼び寄せるのだから」


 言いながら、ドラゴンは王子が風よけにしている岩棚の向こうを見やった。

 その暗がりには、王子と従者が夕餉にした兎シチューの残り――骨や鍋底の焦げ付き――が捨てられている。そんな“ごちそう”を、山の厳しい食糧事情のなかで生きているものが見逃すはずがない。


 ドラゴンの眉間に皺が寄り、牙を剥くかのように唇が歪む。彼の変化に王子がぎくりとし、さっと立ち上がって一歩下がった。

 むろんドラゴンは王子には目もくれず、ただ疎ましげに、闇へ向けて手を一振りした。


 まばゆい光が走り、ゴミにたかっていた生き物をまとめて消し飛ばす。


 瞬間の殺意に、王子は反射的に剣を抜き放った。ビョウッと吹き付けた強い風に負けじと足を踏ん張り、身構える。だが、こちらを振り向いたドラゴンの一言に拍子抜けした。


「『暗がり歩き』だ。やつらだけはどうにも不快で我慢ならぬ」

「……は」


 ぽかんと王子は妙な声をもらす。次いで、気まずそうな相手の顔を眺めて思わずふきだした。

 なんと、ドラゴンでさえあれにはおぞけがするというわけか!

 王子はおのれが抜き身の剣を持ったままということも忘れ、笑ってしまった。

 ――直後。


 風が吹き、はっとなったドラゴンが背後を振り返る。

 同時に闇夜の空から、黒い塊が急降下した。


「ヌシ様から離れろー!!」


 泣くような叫び。やめろ、とドラゴンが怒鳴って立ちはだかる。


 驚愕のあまり立ち尽くす王子の眼前で、山の(あるじ)が襲撃者を全身で抱き止めた。その肩に、黒い獣の牙が深々と突き刺さる。


「……っ!」


 ドラゴンが苦痛に喘ぎ、くずおれる。黒い獣の背に走る真っ赤なひとすじが、王子の目に飛び込んだ。


「背赤!? なぜこんな所に!」


 ぎょっとなり、次いでほとんど本能的な恐怖から剣を振りあげる。それを、ドラゴンが手をもたげて制した。


「やめよ! 殺すな。双方とも」


 命じた声がかすれる。既に背赤はぼろぼろ泣きだし、倒れたドラゴンの身体をあちこちさすっていた。


「どうして、どうして……っヌシ様、どうしてニンゲンなんか守るんですか! わたし……、ぅああぁ!」

「泣くな。心配いらぬと、言うたろう」


 弱々しく喘ぎ、ドラゴンは泣きじゃくる背赤の頭を撫でてやる。毒のせいで全身が燃えるように熱い。


 背赤が間違えたのも、当然だろう。

 仲間がニンゲンに殺されたと告白したその夜に、ドラゴンが黙って出ていった。明らかに、山に入った何者かを追い払うために。

 気付いて後を追ってみれば、夜空から見えたのは一条の火炎。そして焚火の明かりに浮かぶ、剣を持ったまま笑うニンゲン。

 これで誤解するなと言うほうが無理だ。


「ごめんなさいごめんなさいヌシ様、死なないで、ヌシ様ー!!」

「だから死なぬと……」


 ドラゴンはなんとか慰めようとしたが、もう声も出てこない。


 傍らで、王子は途方に暮れていた。猛毒の背赤が、どういうわけかドラゴンに噛みついた。いや、あの叫びからして標的は自分だったはずだが、あろうことかドラゴンに庇われたのだ。

 困惑しながら、彼は剣を収めてドラゴンのそばにしゃがんだ。背赤にあまり近づかないよう注意しつつ、おそるおそる呼びかける。


「岩屋の主殿、私はまたしても貴殿に命を救われたのか。どうすればいい、貴殿を助ける手だてはないのか」

「…………」


 ドラゴンは微かに首を振った。やたらとしかめっ面なのは、苦痛のゆえか、それとも王子を忌々しく思っているのか、両方か。


「あっち行け、ニンゲン!」


 背赤が泣きながら罵り、王子はむっとなって彼女を睨む。そなたこそ離れろ、と言いかけたが、しかし、言葉は喉に詰まって出てこなかった。

 濡れた黒い瞳の美しさに呑まれ、火明かりに照らされた身体が思いのほか優美であることに気付いてしまったから。


 思わず王子が顔を背ける。ドラゴンはそんな様子を、弱まってゆく視力で捉えていた。皮肉な可笑しみと、茨のような不快感がないまぜになって生じる。

 彼は背赤に目を戻し、思念で語りかけた。


《背赤よ。我を食らえ》

「ええぇっ!?」


 背赤は素っ頓狂な叫びを上げ、毛を逆立てる。思念の聞こえない王子がぎょっとなった。


《一口でも良い。このまま崩れ去る前に、食ろうてそなたの血肉とせよ。今この身であれば、そなたの牙で食いちぎれるだろう》

「そそそそそんな、ヌシ様を食べるなんて無理です畏れ多い!! じゃなくて死なないでください!!」

《だから死なぬと言うておろう。我が消えても本体が目覚めるだけのこと。だがそれでは、この身をつくった力が無駄になってしまう》

「で、でもでもでも」

《時間がない。食らえ。……頼む》


 思念までもが細く弱まってゆく。

 背赤は最後の一言に押され、迷いを振り切って、ドラゴンの腕をそっと捧げ持つようにして口元へ近づけた。


「い、……いただきます」


 涙声で絞り出すように言い、えいっと噛みつく。

 さすがにドラゴンが顔をしかめた。声を上げ抵抗する力はもう残っていないが、感覚はまだ生きている。

 ぶつり。皮と肉を食いちぎられ、身体が痙攣した。


 王子が青ざめ、後ずさる。その手は無意識にまた剣を求めていた。おのれと同じ顔をしたものが、目の前で食われているのだ。恐怖に背筋が凍る。


 幸い、その光景は長く続かなかった。

 背赤が三口目を飲み込んだところで、ドラゴンの分身はもう形を保っていられなくなり、ぽうっと薄紫の光に包まれたかと思うと、風に吹き散らされてしまったのだ。


 夜風に乗って小さな光が舞い、消えてゆく。

 幻想的な光景に、王子は呆然とした。

 最後の光が消えると同時に、焚き火のそばで「うぅん……」と声がした。従者が目を覚ましたのだ。


 そちらに気を取られた王子が、我に返ってはっと振り向いた時には、もう黒い獣の姿は消えていた。



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