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賢くなりたい(2)


 転がっていく背赤に唖然とし、手を引かれて戻ってきたのを見て小馬鹿にしたような失笑をこぼした姫だったが、岩屋に入ると今度は自分がひっくり返ることになった。


 巨大なドラゴンを見上げて声をなくし、ぽかんと口を開ける。全容を見ようとのけぞったまま後ろに倒れかけ、慌てて踏ん張ろうとしたものの、よろけてそのままへたっと座り込んでしまった。


「そなたは勘違いしておったようだが、こちらが我の本体だ。この姿は仮のものにすぎぬ」


 ドラゴンはそっけなく言うと、背赤の手を離した。じきにその姿が揺らいで消え、かわりにドラゴンの瞼が開く。ゆっくりと首をもたげる動きだけで、姫は圧倒されて気絶しそうになった。

 すかさず魔女が、小さな背中を支える。


「さ、姫様。わたくしたちは邪魔にならないよう、隅っこに退避しましょう」


 ふらふらしている少女を促して岩屋の端に移動し、さっと宙に手を一振りして絨毯を取り出す。続けてクッションもひとつふたつ。姫を座らせると、魔女はさらに飲み物のカップまで取り出した。

 姫は温かいカップを両手で持ったまま呆然としていたが、湯気と一緒に甘い香りが鼻をくすぐり、やっと我に返った。途端に打って変わって怯えた態度になり、縮こまって上目遣いに巨大なドラゴンの様子を窺う。


 背赤はそんな姫の反応が気になって、そこらをただそわそわと行き来していた。


《あやつらはいないものと思え。そなたが気にかけてやる必要はない。いつもと同じにしておれば良いのだ》

「は、はい。あの、でも……」


 背赤は言い淀み、ちらりとニンゲンたちを見やってから、大きな前肢のそばまでたたたっと駆け寄り、背伸びして耳打ちするかのようにささやいた。


「ニンゲンたちの話だと、わたしがあの小さなニンゲンに気に入られなかったら、下界の仲間が殺されてしまうんですよね?」


 使命感にぎゅっと拳を握り、けれどもう、黒い瞳が潤んでいる。ドラゴンは優しく目を細めた。


《さりとて、そなたがあの小さなニンゲンに媚びて気に入られたところで、下界の背赤たちは与り知らぬこと。あのニンゲンが下界に帰って、ほかの背赤がそなたと同じに尻尾を振るものと期待して近付き、噛みつかれでもしてみよ。結局、背赤が皆殺しにされてしまうぞ》

「あっ……」

《だから、構うな。あれらがそなたを気に入ろうと気に入るまいと、あれらの勝手にすぎぬ。そんなことより、罠の見回りも終わっておらぬだろう》

「!! そうでした!」


 背赤は耳をピンと立て、慌てて岩屋の奥に走っていく。細い隙間や岩陰にかけた風の網に、小さな虫が何匹か。破れたところがあるのは、何か大物がかかっていたのに逃げられてしまったのだろう。ひょっとしたら、好物のイワトカゲとか。


 がっかりしながら、おやつ程度の虫を網から外してパリパリ食べる。あまり腹の足しにはならないが、これはこれで美味しいし、口寂しさが紛れるのは良い。

 そもそも、この岩屋にいれば空腹で倒れそうになることなどないから、下界にいた頃のように必死にならなくて済む。

 幸せだなぁ、などとしみじみモグモグしていると、少女の小声が聞こえた。


「アンバー、あれは何をしているの」

「食事ですよ、姫様。背赤は風の糸を紡いで網を織り、罠を張ってかかった獲物を食べるのです」

「風の糸ですって?」


 途端に少女の声が期待と憧れに弾む。背赤が振り向くと、姫が小走りにこちらへやって来るところだった。魔女が慌ててそれを追う。


「すてきだわ、風から糸を編むなんて。どれがその……」


 せわしなく言いながらきょろきょろし、背赤が立っている罠の隣にかかっている銀糸の網へと駆け寄って――


「キャアァァ!!」


 絶叫が岩屋に響く。やっちゃった、とばかり魔女が苦笑し、ドラゴンはうるさそうにむっつりと瞑目した。


「な、何これ……っ、アンバー!! 焼き払って!!」

「駄目ですよ、姫様。それは背赤の大事な食べ物なんですから」

「食べ……っっ!?」


 涙目で狼狽する姫を抱き寄せ、魔女は背赤に軽く会釈して、そそそ、と離れる。背赤はなんとなく悲しい気分になりつつ隣へ移動し、途端にぱっと笑顔に変わった。

 小さいけど、イワトカゲだ!


 まだじたばたしているそれを掴み取り、かぷ、と一噛み。途端にトカゲはびくっと震えて動かなくなる。それを待つまでもなく、背赤は新鮮な肉を、小さくも鋭い牙で食いちぎった。

 ああ美味しい! 甘い汁気と、新鮮な肉の香りがたまらない。ぺろりと平らげて、きれいになった骨を地面にまとめて置く。手と口の周りを舐めて、ほっと満足の吐息。


「けだもの……」


 小さな震え声がつぶやいた。背赤は耳を片方そちらに向け、首を傾げる。続いて魔女の声が諭した。


「姫様、獣人にもさまざまな位のものがおりますのよ。ニンゲンと似たような生活をするもの、獣に近いもの、ニンゲンよりも上位のものも。背赤はわたくしたちより少し低い生き物ですけれど、それは自然にそうなっているのであって、駄目だとか卑しいとか言うものではありませんよ」


 うんうん、と背赤は納得してうなずいた。自分に向けられた話ではないが、魔女の言うことはよくわかる。


「ヌシ様が以前、ドラゴンというのはただそこに在る生き物だ、っておっしゃいました。わたしたちも、突き詰めたらおんなじってことですね! あ、もちろん、位は全然違いますし、ヌシ様みたいにある日突然そこにいるっていうんじゃなく、お母さんから産まれてくるんですけど」


 思わず会話に割り込んでしまい、姫君に険悪な目で睨まれて竦む。魔女は優しく微笑んだ。


「自然のままに生きているもののほうが、こういうことは感覚でわかるものかもしれませんわねぇ。姫様、そんなにふくれっ面なさらないで」

「わたしだって、そのぐらいわかるわよ! ただ……と、トカゲを、火も通さずに食べるなんて、って驚いただけよ!!」


 ふんだ、と鼻を鳴らして少女は腕組みする。背赤は困惑し、首をほとんど直角になるぐらい傾げてしまった。


「火を通す……焼くってことですか?」


 そしたら、ヌシ様の炎に焼かれた『暗がり歩き』みたいに、消し飛んでしまうのではないか。山火事の後の黒焦げみたいになるとか。


「そうよ! 知らないの? お肉もお魚も、火を通さずに食べてはいけないのよ!」


 当然でしょ、とばかり姫はえへんとそっくり返る。背赤は素直に、へえぇ、と感嘆した。そしていわく。


「ニンゲンって、大変なんですねぇ。火も噴けないのに、ごはんの度に火を熾さなきゃいけないなんて」

「……」


 むっ、と姫が背赤を睨み、魔女が失笑した。ドラゴンは聞いていないふりで、無視を決め込んでいる。姫はめげずにふたたびつんと顎を上げ、無知な背赤に常識を説いてやった。


「そんなの、火種をちゃんと取ってあるに決まってるでしょう。魔術師だっているのだし、火を噴けないぐらい大した問題じゃないわ。とにかく! 火を通さない食べ物は、悪いものがいっぱいついてるから危ないのよ。お腹を壊したり、死んじゃったりするんだから!」


 ふむふむ、と背赤は感銘を受けたようにうなずく。ニンゲンって案外と弱い生き物なんだなぁ、と思ったのだが、そういえばヌシ様でさえイワトカゲを食べて死にそうになっていたのだから、違う生き物のことは想像ではわからないものだ。

 よくわからないことは黙っていよう、と決めて、背赤は代わりに質問してみた。


「焼いたら黒焦げになったりしませんか? それとも、ニンゲンは焦げたのを食べるものなんですか」

「そんなわけないでしょ、焦がさないように焼くのよ! こんがりローストしたお肉に、じっくり煮詰めたイチジクとリンゴのソースをかけていただくのは、本当に素晴らしいわ」


 自分で言って、姫はうっとり夢見心地の表情になる。背赤もなんとなくつられて、美味しそうな気がしてきた。


「なんだかわからないけど、美味しそうですねぇ」

「それはもう最高のごちそうよ! ねぇアンバー、魔法でぽんと一切れここに出せない? お城の厨房から呼び出すとか」


 何やらすっかり食べ物談義に夢中で、当初の目的だとか状況だとかが、どこかに消えている。魔女は少女たちの様子に苦笑しながら、やんわりと諫めた。


「あいにくですが姫、そこまで魔法は万能ではございません。それに、もしぽんと仔牛肉のローストを呼び出せたとしても、背赤にそれを食べさせてはいけませんよ。わたくしたちの食べ物は、背赤の身体に悪いですからね」


 ええー、と姫が不満の声を上げる。魔女は重ねて、いけません、と念を押した。


「人間の食べ物は人間が食べるためのものです。ほかの生き物にはそれぞれの食べ物があります。牛や馬は草を食べるし、ネズミは穀物をかじり、鳥は小さな虫や草の種をついばむ。お聞きになったことがあるでしょう。魔物の子についベーコンの端切れを与えてしまい、味を覚えた魔物が大きくなって村の家を次々に襲った話」

「うっ……でも、背赤は魔物とは違うわ。怖がりで、害にならないって言ったじゃないの」


 姫が苦し紛れに言い返したもので、あら、と魔女は面白そうに眉を上げた。


「姫様ったら、あんなに背赤を嫌っていらしたのに、もうお考えを変えて下さったのですね。わたくし、教師としても大変嬉しゅうございますわ」

「――!」


 しまった、と姫は目を真ん丸にし、頬に血を昇らせる。うろたえて無意味にきょろきょろした視線の先で、当の背赤が黒いつぶらな瞳に期待の光を浮かべ、尻尾を控えめにぱさぱさ振っている。

 姫に出来たのは、真っ赤になって地団太を踏みながら叫ぶことだけだった。


「ああもうっ、知らないっ!!」


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