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夏のお客様(前)


 雲上にそびえる山の頂にも夏は来る。

 普通ならろくに植物の生えない高さだが、地脈の恩恵を受ける竜の岩屋のまわりでは、可憐な草花や小さな実をつける背の低い木が地を覆っていた。


「ヌシさまー! ありました、ありましたよー!」


 ぴょんぴょん跳ねる黒い毛玉、もとい背赤が呼ぶのは、むろんこの山のあるじたるドラゴンである。と言っても今は、ニンゲンの青年に近い姿をしているが。


「わかったから、跳ねるな。また転がるぞ」


 呆れ気味に答え、悠然と歩いて行く。ゆったりした服も、長い髪も、夕暮れ空のような薄紫色だ。同じ色の鱗に覆われた本体を岩屋に眠らせて、こうして小さな体で歩いている目的はただひとつ。


「ほらほら、ヌシ様のお好きなヤマツツジ! たくさん蜜があるといいですねぇ!」


 待ちきれない様子で赤い花が満開の低木を指さす小さな生き物と一緒に、花の蜜を味わうことであった。とはいえ、完全にニンゲンと同じ姿だと背赤がしょんぼり尻尾を垂れてしまうので、青年の身体に獣の耳と尻尾を生やしてある。まるで背赤の同族かのように。

 いまや下界で人気絶大な王子とそっくりの身体に、獣耳と尻尾。ニンゲン達が知ったらどんな反応をするやら見物だが、当竜(とうにん)は興味がないのでどうでも良い。


 背赤が尻尾をぱさぱさ揺らし、黒くて丸い両目をきらきらさせて、期待に満ち満ちたまなざしをくれる。

 ドラゴンは苦笑しながら、繊細な作業のできる手指を動かして花を一輪摘み取った。

 おもむろに唇へ運び、ちゅっ、と吸う。ごくわずか、さらりとした甘さが舌を伝い、新鮮な香りが喉を満たした。

 反射的にドラゴンは笑みをこぼす。途端に背赤は歓喜の叫びを上げて万歳した。


「美味しいですか! 良かったあぁぁっああーー!?」


 のけぞったはずみで後ろ向きに転倒する毛玉。もはや見慣れたドラゴンは手を伸ばしもしない。もともと背赤という種族は風に乗れるほど身軽なので、転がったところでたいしたダメージはないのだ。

 今日も背赤は慣れた動きでくるんと一回転して起きあがり、ぴょんと跳ねて戻ってきた。


「そなたほどよく転がる背赤もおるまいな……」

「そそそそんなことはありませんよ!? ちっちゃい頃は特にみんな、ころころ転がってばかりでしたし! そりゃわたしはちょっとだけ、よく転がるほうですけど! きょうだいの中で鈍くさいほうでしたけど、一番ではなくてむしろ妹が」

「良いから、そなたも蜜を味わえ」


 ドラゴンが促すと、背赤は嬉しそうにぷちんと摘んでくわえ、幸せ満面になった。


「美味しいぃ~! ヌシ様はもういいんですか?」

「そもそもは虫を呼ぶためのものだ。ものを食べる必要のない我が奪ってしまってはいかんからな」

「……でも、ヌシ様、楽しみにしてらしたのに」


 背赤の耳がぺたんと倒れ、尻尾が力なく垂れ下がる。ドラゴンはやれやれと微苦笑した。


「我が楽しみにしておったのは、そなたと共にツツジを探して歩くことだ。蜜は余録にすぎぬ」

「えっと……つまりヌシ様は、わたしとお散歩したかった、ってことですか」


 背赤はことんと首を傾げ、目をぱちぱちさせて確認する。知恵がついたおかげで、ドラゴンの婉曲な言葉もそれなりに理解できるようになったのだ。身も蓋もない言い方に直されてしまうので、良かったのか悪かったのか微妙なところではある。


 ドラゴンは曖昧な顔で明後日のほうを向き、ごほんと咳払いして返事をごまかした。

 そんな態度すら背赤は正しく理解し、はにかみながらも溢れんばかりの笑みを広げ、ツツジをぴょんと飛び越えてドラゴンの手を取った。


「わたしも、ヌシ様とお散歩するの、大好きです!」


 えへへ、と嬉しそうに手をつなぎ、彼女はうきうきと歩きだした。

 これといった目的もなく、花を愛で、景色を眺め、雲の形を評しつつ、付近をぐるりとひとまわり。

 そうしてふたりが岩屋に戻ってきたところで、不意にドラゴンが足を止めた。


「ヌシ様? どうされたんですか」

「……なにやら妙な気配がする」

「えっ!? まさか、暗がり歩きですかっ」


 びくっ、と背赤が竦んで毛を逆立てた。どうも最初の一件以来、奴らが出るとヌシ様が怖い、と刷り込まれてしまったようだ。

 ドラゴンは不面目そうにうつむいたが、気を取り直して真顔になった。


「そうではない。地脈の具合がどうもおかしいのだ。危険はあるまいが、良いと言うまでそなたは岩屋に入るでないぞ」

「は、はいっ」


 緊張に耳を寝かせて、背赤は邪魔にならないよう手を離し、一歩下がる。岩屋のあるじが住まいに戻る後からそろそろついて行き、入り口で止まって様子を窺った。


「えっ」


 岩の陰から中を覗き込んで、彼女は頓狂な声を上げた。

 奥に眠る巨大なドラゴン本体に向かっていく青年の後ろ姿、その向こうに……出かける時にはなかった妙なものが見えたのだ。

 待っていろと制止されたのも忘れ、背赤は、ととと、と少し近づく。見間違いではなく、巨大な前足の間で小さな生き物が眠っていた。薄紫のなめらかな鱗に覆われた、ころんと丸く全体に寸詰まりの、ドラゴンの幼児らしきものが。


「ヌシ様――!? いつのまに子供産んじゃったんですかあぁ!?」


 ちょうど奇態な生き物のそばに屈んで膝をついたところだった当のヌシ様は、そのまま両手を地面についてしまう。いっそ倒れ伏したかった。


「……背赤よ。ドラゴンとは繁殖せぬ存在だと、以前、教えなかったか」


 自然界における最高位の生物、ただ忽然とそこに在るもの。それがドラゴンだ。つがいを求めて子をなし繁殖するのではなく、世界の一部が具現したものと言うほうが近い。

 そういう高度な内容まではともかく、背赤にも理解できる範囲で、ドラゴンはつがいだの同族だのといったものとは無縁なのだと教えたはずだ。

 同族のもとへ帰るほうが良いのではないか、と案じたドラゴンに対し、背赤が、ヌシ様こそひとりぼっちで寂しくないんですか、などと言い返してくれたものだから。


 背赤もその時のことは覚えていたので、慌てて言い繕った。


「す、すみません失礼を申し上げました! あの、あのあの、でもその、……本当にヌシ様の子じゃないんですか? だってどう見ても」

「違う」


 ため息まじりに断言してから、そなたの勘違いもわからんではないが、と彼は言い添えた。

 確かに、丸まって眠るそのものは、仔竜と言うしかない姿をしていた。くぴー、くぷー、と平和そうな寝息を立てている。静かに寄ってきた背赤がとろけそうな笑みを浮かべて、感動に全身を震わせた。


「かっ……かぁわいいぃですねぇぇ……!」


 歓喜の興奮に毛並みがぶわっと膨れ、一本一本の毛先に火花を咲かせそうな勢いだ。

 ドラゴンは複雑な気分でそれを見やった。これが、仔を前にした生き物の本能的反応というやつなのだろうか。繁殖しないドラゴンには理解しようのない感情だ。むろん彼とて、小さきものが健気に生きるさまを愛しいと思うが、今の背赤の反応はそうした感情とはまったく別のように見える。


(そもそも、こやつは厳密には……)


 軽く手を触れただけでおよそ正体を察したドラゴンは、背赤にどう説明したものかと悩んで沈黙する。

 その間に、珍客がぶるりと背びれを震わせて目を覚ました。


「あっ、起きましたよ! うわっ、わぁ、可愛い……っ! こんにちはー、どこから来たのかな? 言葉はわかる?」


 背赤はすっかり気を許し、ドラゴンの横にぺたんと座って両手を小さな生き物に差し出した。仔竜は黄金の瞳を瞬かせ、並んで座るふたりを交互に見上げて首を傾げてから、おぼつかない足取りで背赤のほうへ這い寄った。

 艶やかな黒い毛に覆われた膝に登ろうとして、力が足りないのかぽてんと腹ばいにもたれかかる。背赤は迷わずそれを抱き上げた。


「あああぁぁ可愛いっ……! ヌシ様、この子、わたしがお世話しますから、ここに置いてあげてくれませんかっ」


 黒いつぶらな目をいつもの倍ぐらいきらきらさせて、背赤がおねだりする。その腕に抱かれた仔竜は当然のように、黒い毛並みに顔をすりつけて満足そうだ。

 ドラゴンは複雑な顔でそれを眺め、つかのま瞑目してから重々しく口を開いた。


「背赤よ。『それ』は生き物ではない」

「だ、だめですか? ……え? えっ、あの、今なんて」

「生き物ではない。地脈に還ったはずの……魂とでも言うか、思念の影のようなものだ。地脈が地表近くを走るこの岩屋で、たまたま何かのはずみで浮き上がって現れたのだろう」


 ぽかん、と背赤は口を開け、腕の中のものを撫でて感触を確かめる。もぞもぞ嬉しそうに身じろぎした仔竜は、みゃう、と猫のような甘えた声を漏らした。


「で、でもほら、ちゃんと触れますし、生きてますよ?」

「ここには我の力が満ちておるからな。この姿を取るために精気を凝縮させたのが影響して、形を取らせたのかもしれぬ。いずれにせよ、そう長くは持つまい」

「……つまり、この子、……じきに消えちゃうんですか」


 呆然と問い、背赤は仔竜をぎゅっと抱きしめる。ドラゴンは適切な言葉を探したが、結局、率直に認めるしかなかった。


「そうだ。地脈に還るだろう。つかの間の客だと思って、もてなしてやるが良い。そなたと『それ』の双方がともに満足できるようにな」

「みゃ」


 狙い澄ましたように仔竜が相槌を打ったので、背赤とドラゴンはともに一瞬ぽかんとし、次いで失笑した。

 背赤は悲しい気分になりかけたのを払うように、明るい口調で声をかける。


「そうだそうだ、って言ったの? ふふ、それじゃあ、張り切っておもてなししますね、お客さん! そうだヌシ様、ツツジの花蜜ならこの子もきっと喜びますよね。わたし採ってきますから……」

「いや、我が行こう。『それ』はここを離れぬほうが良かろうから、そなたもそばについていてやれ」


 ドラゴンは優しく言って立ち上がる。いつもなら、ヌシ様のお手を煩わせるなんてとんでもない、と大慌てする背赤が、今日に限ってはすんなり受け入れた。

 仔竜を抱いたまま、恐縮そうに、けれど嬉しそうに微笑んで。


「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて。お帰りをお待ちしています」


 行ってらっしゃい、と送り出されたドラゴンは、何とも言えないむず痒さと落ち着かなさで、しきりにモゾモゾしたのだった。




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