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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
第一章
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9.あなたのお友達と私




「君は、何なのだろう。カイドの何に成り得る娘なんだい?」

「……存じ、あげません」

「君は、俺の友を呪縛から解放出来得る娘かな?」

「存じあげません」


 にこりと笑ったイザドルの長い指が、私の顎をがしりと掴む。無理やり上げられた顔を痛みで僅かに歪め、近づいてきた顔を見上げる。


「解放はできなくても責めはしない。領主ではなく、カイドとして生きる望みを得る兆しに成り得れば上等。けれど、傷になることだけは許さないよ。これ以上、あいつに背負わせることは俺が許さん。ただの憧れならば今すぐ去れ。最後まで関わる覚悟がないのなら、傷を与える前に身を引け。あいつなら傷がつかんとでも思っているのか。……何が狼領主だ。お前達はそれを強さの象徴として呼んでいるつもりだろうが、狼は群れで生きる生き物だ。それを一人で立たせ、重荷だけは積み上げるか。あいつを人の群れから追い出しておきながら、それに縋る害虫共め」


 吐き捨てる声音に滲み出た嫌悪に、分かってしまう。


「…………イザドル様は、領民が……いえ、平民が、お嫌いですか?」


 ライウスのことだけを言っているのでは、きっとない。

 女性が好むであろう甘い顔が一変する。口調だけでなく形相までもがぎらつき、まるで刃物のようだ。


「好きだと思うたか? ただ弱いのは致し方ない。己ではどうしようもない部分の弱さまで責めはせん。だが、弱さを槍にし、こちらの生まれを責める輩をどうして好ましく思える? 弱者は罪ではなかろうさ。だが、強者は罪か? 強者ならば奪われるをよしとせねば罪なのか? 自らの強さを他者の為に使わねば罪か? 己の力を己の為に使えば傲慢か? 俺の友を生贄にして救われていく様を祝い、喜び合う様を見て微笑ましく思えというか? それを貴族の務めと呼び、個の人生を踏み台に生きておきながら、それは犠牲と呼ばぬのか。俺はカイドのように優しい人間ではないからな。それほど寛容にはなれんよ」


 笑みと呼ぶにはあまりに壮絶な表情だ。彼のように平民を嫌う貴族を見たのは初めてではなかった。だから、恐ろしくはない。ただ、苦しい。

 彼らは平民を嫌う。蔑むのではない。嫌うのだ。


 生まれた時から決められた、人の上に立つ職に就く。うまくやれなければその先には死が待つかもしれない。私の家族のように悪行の限りを尽くさずとも、それがただ時代の流れ故のことであったとしても、その時代、その瞬間、領民に許されなければ罪なのだ。無知も、無能も、無力も、貴族であるだけで罪となる。

 更迭で済めばいいほうだ。追放で済めばまだいい。島流しでも、命はある。

 私達のように処刑された人もいた。私達は真っ当な裁きが下っただけだけれど、中には優しい人もいた。正しい人も、普通の人も。地位を悪用せず、金を奪わず、土地を奪わず、女を犯さず、人を潰さず。そんな、普通の、善良な人も、いた。功績を残せる人ではなかっただろう。偉業を成し遂げられる人でもなかっただろう。力及ばなかった。先を見通せなかった。飢饉を越えられなかった。降らない雨に耐え切れなかった。流行病を押さえられなかった。暴れ回る盗賊団を捕えられなかった。他領のように富めることができなかった。



 悪では無かった。

 ただ、優でも無かっただけだ。



 貴族にさえ生まれなければ、人の上に立つ場所にさえ生まれなければ。ささやかな日々を幸福に思い。小さな家族の営みくらいは守っていけただろう人々。きっと、普通の、優しい父親になったであろう、領主としては無能な人々。

 向いていなかった。ただそれだけが許されない。

 出来なかった。知らなかった。それが死に直結する。領民にも、自分にも。



 いつか自分を殺すかもしれない人々を守り、身を削る。

 それが、領主だ。






「領民は領主を選べるが、領主は領民を選べない。これほど不公平な制度もあるまいよ」

「それだけが世界では、ないはずです。強者も弱者も、互いが搾取しない場所もあると」

「はて、俺は知らぬな。そんな理想の世界は願いの中にしかなかろうよ。そんなことはカイドも分かっている。分かっていて、あいつは領主であり続けるんだ。そうとあいつが決めたなら支えてやるが友であろう。だが、邪魔者は見過ごせぬ」


 顎を押さえる指が、骨にめり込まんばかりに強くなる。


「お前はどちらだ? 強者同士で食い合うならばまだよい。だが、弱者としてあいつの枷になるのなら今すぐ去ぬることだな」


 近づいた瞳を見つめ返す。

 そこには憎悪が渦巻いている。平民が嫌いだなどという質問は生ぬるかった。彼は憎悪している。不平等を憎んでいる。

 けれど、それだけではない。

 案じている。友を、友の行く先を。カイドの幸福を。あの頃から変わらず、彼はカイドを案じていた。


 顎を掴む手に触れる。


「あなたはずっとカイドと……ヘルトと、変わらず仲がいいのね」


 不快気に歪められていた瞳が、見開かれた。


「ごめんなさい、イザドル様。あなたの大切な友達を、私は取り返しがつかないほど傷つけてしまったわ。あなたの仰る通り、私は足枷そのものよ」


 手が力を無くし、ずるりと落ちていく。弾かれたようには離れていかず、不意に力が抜けたかのように。


「な、に?」


 落ちていく手を両手で握る。


「少しだけ、待ってくれるかしら。……きっと、カイドだって分かっているの。分かっていて、お互い、探しているの。言葉と……二度目の終わり方を」


 昔一度だけ、彼とこうやって手を握ったことがあった。昔は平民を嫌ってなどおらず、父上のように立派な領主になるのだと夢いっぱいに輝かせた瞳で見上げてくれた。いつから変わってしまったのか。十五年は長い。誰にとっても、長かった。

 そして、あの時はもう一人いた。


「…………お前達、何をやっているんだ?」


 そう、あなたがいた。







 驚きと呆れが混ざった顔でカイドが立っている。中途半端に浮いている手のやり場に困ったらしく、少し彷徨わせた後、結局組むことで落ち着けたらしい。腕を組んで立っている長身の男の姿は、通行人から見ればただの仁王立ちだ。自然と人が避けていく。中には向かいに立っている私達に憐れみが篭った視線をくれる人もいた。

 私はイザドルから手を離し、カイドに向き直る。そして、深々と礼を取った。


「おかえりなさいませ、旦那様」

「ああ、戻ったが……」

「ご首尾の程は如何でしたでしょうか」

「……イザドルが喋ったな? 思ったより増えていない。祭りが近いことを考えれば少ないほうだろう。絡んできたのは落として警邏に渡してきた、が、それはいいとして……本当に何をやってたんだ?」


 私とイザドル、交互に向けられた視線だったのに、イザドルも私を見るものだから、カイドの視線もこっちに固定されてしまった。

 人差し指と中指を握りしめ、少し考える。


「旦那様が如何に素晴らしい御方かを拝聴致しておりました」

「おいイザドル、何吹きこんだ」


 鋭くなった視線を向けられたイザドルは口籠った。何度も私とカイドを往復していた視線が、結局また私に収まる。


「い、や……」

「こいつの言い分は聞き流すくらいがちょうどだぞ。あることないこと混ざり合ってるからな」

「嘘は、言っていないよ」


 視線だけは私に向けたまま、なんとか言葉を絞り出したイザドルにカイドは怪訝な顔をした。そして、私のほうを見る。


「私も、嘘はついておりません」

「ああ、いや、それは疑っていないが」


 それでもまだ納得がいかない様子で私達を交互に見遣るカイドの前に、一歩踏み出す。驚いた顔で見下ろす人を見上げ、笑う。 歪な引き攣りは感じない。


「嘘はもう、充分なんです」


 今度こそ、ちゃんと微笑めただろうか。




「昔、酷い嘘をつきました」

「…………つかれたではなく、ついた?」




 私がライウスの為にできることは、きっと何もない。

 けれど、ライウスを守るこの人の為にできることは、ある。


 私達が己の為だけに壊したこの地を救い、守り続ける。私達の後始末の為だけに生きさせてしまったこの人の為にできることは、きっと私の中にある。

 私が無理やり持たせた重石を、返してもらわなければならない。




「私、嘘つきなんです」




 礼の体勢のまま頭を下げ、それきり会話を打ち切った。何か言おうとした気配が二人分あったけれど、無礼を承知で頭を下げ続ける。

 お願い、もう少しだけ待って。

 私は、あなたの過ちをあなたに告げる。そして、私の嘘をあなたに詫びなければならない。謝るわ。必ず、謝るから。その為の勇気を、ちゃんと育てるから。




 だからどうか、もう少しだけ、私に時間をください。







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