8.あなたと私のお客様
ライウスは、過去の一度も占領を受けたことはない。
けれど、一年で一番大々的に行われる祭りの名は『解放祭』。
前領主の館が落ちた日ではない。それから数日後。一族最後の血が絶えた日。
私が死んだ日が、ライウスの悪夢が終わった日であり、祝福の日だ。
まだ祭りまで二週間はあるというのに、町中既に祭りの最中と言わんばかりに飾り付けられ、各地から集まった人々で溢れ返っている。
大通りには大きな柱が幾本も立てられ、柱同士を紙花が繋げ、広場への道を彩った。
大きな広場四段ほどの高さで舞台が設立されている。その壁部分は何かが飾られるのだろう場所がぽっかり空いていた。きっと絵が設置されるのだろうけど、雨が降るかもしれないことを考えたのか、それとも当日までのお楽しみなのか、慌ただしく幕が垂らされていく光景をぼんやり眺める。
大人は勿論、子ども達もいつもとは違う日常に目を輝かせていた。高揚する空気に促されるまま、きゃあきゃあと騒ぎ立てる。
「おれカイド様!」
「えー! ずるい! ぼくもカイド様がいい!」
「だめ、はやいもんがち! おまえは前のりょうしゅ様な!」
子ども達の中でひときわ身体の大きな男の子が棒きれを振り回しながら、カイドを名乗る。残った子ども達から不満が溢れだし、ぶうぶうと文句が響き渡った。やんちゃ盛りの少年達の中に、愛らしい桃色が揺れる。誰かの妹なのだろうか。一番年下の少女は、少年達の間を一所懸命うろちょろしている。
「あたしは? ねえ、あたしは? おにーちゃん、あたしは?」
一番小さな手に引かれたのは、一番大きな少年、彼女の兄だった。彼は振り回していた棒きれの先を地面に置いて、少し考える。
「えー! おまえ、おひめさまじゃないと泣くだろ?」
「おしめさまがいい!」
「おひめさまだってば」
少年達は額を寄せて話し合いに入った。さっきまでのぶうぶう上がっていた文句はなく、自分達の役どころより、とりあえず少女に泣かれるほうが困るようだ。
「じゃあ、おじょうさま?」
誰かがぽつりと呟いた役柄に、少女は目を輝かせる。
「おぞうさま!」
「おじょうさまだって。でも、おじょうさまって敵?」
「とんでもない悪女だって、父ちゃんが」
「えー、いい人だって母さん言ってたよ」
「俺の父さんも」
「え、俺のおじさん、すっごい怖い女だぞーって」
頭を突き詰めあってうんうん唸っている少年達の足元で、少女は「おぞうさま、おぞうさま」と嬉しそうだった。
「子どもは無邪気だねぇ」
私の横に立つイザドルは、通りすがりの女性に手を振っている。女性はくすくす笑って片手を上げた。知り合いではないのだろう。他にも無差別に女性に手を振っていた。あの天使のように愛らしかった少年が、大きくなったものだ。
時の流れを感じながら、私は一歩横にずれた。でも詰められた。
私達は、広場の片隅に立っている。
広場をぐるりと囲むように出店が並び、その少し後ろに回れば、出店で仕入れた食べ物を持った人々が座り込んだり、壁に凭れていた。
その中に混ざり込み、カイドの帰りを待つ。
カイドは、イザドルがいるならと私を預け、一人裏道に消えていった。
「彼らの英雄様は、今現在裏道でごろつきの確認中だっていうのにねぇ」
「……ごろつき?」
何か用事があるのだろうとは分かるけれど、用事内容まで把握できていない私に、イザドルは目尻に黒子がある方の目を少し細めた。
「そう。解放祭で集まるのは、何も善良な人間ばかりじゃあないからね。あいつを亡き者にしたい奴だって、そりゃあわんさか集まってくるよ。その確認と把握に本人が向かってちゃ世話ないけどね。まあ、あいつをどうにかしたければそれなりの人手がいるし、その人手を集めれば目立つからその前に潰せる。つくづく、敵に回したくない男だよ」
「……報告を、上げてもらうわけには」
「報告もそりゃあ上げさせてるだろうけどな、自分がやらなきゃいけないと思ってるんだよ。全て、自分が負わなければと思ってる。領主の仕事も、恨みも、怪我も、犠牲も。王族殺しの汚名もね」
王族殺し。
こんな、天気を告げるようにさらりと口に出していい単語ではない。まして、次期領主が。
私の視線すらもさらりと流し、イザドルは何でもないことのように続けた。指された先にいるのは、さっきの子ども達だ。
「もう十五年も経つのに、未だライウスの宝花が齎す混迷は健在か……あの御方も、罪な方だったな」
すっと流された視線は、領主の屋敷の方向に向いた。ここからは箱型の建物しか見えない。けれど、彼の瞳にはかつてあの場所にあった白亜の建物が映っているように思えた。
広場を走り抜けた風が出店の屋根を揺らし、紙くずを飛ばし、子どもの手から花を奪う。
風の通り道に巻き込まれた面々が思わず目をつぶる中、イザドルは髪が乱れないよう片手を押さえて微かに目を細めた。
「君のように若い世代はもう知らないかな。かつてのライウスには、宝花と呼ばれた姫がいたんだよ」
「…………ライウスの徒花ですね」
「おや、その呼び名を知っていたか。そう。彼女がなかなかに曲者で。未だに、殺すべきではなかったと言う層と、殺して正解だと言う層がいがみ合う。とてもお美しい方だったから余計にね。無垢だったという者と、無知も罪だという者と、稀代の悪女だったという者と、誰よりもごちゃまぜな逸話が残る御方だよ。だからこそ、あの時、生かしてはならなかった。カイドは正しかったよ。生かしてしまえば必ずどこかで誰かが持ち上げる。万人に利益を齎す政策など存在しない以上、どこかで不満は出る。掲げられる存在が残っていては、あの頃のライウスは保たなかっただろうね。民衆は勝手なものだから、過去の痛みはいつか忘れてしまうんだ。痛みも傷も癒えれば、次は目先の不満が痛い痛いと騒ぎ立てる。そのくせ、傷痕を見れば過去の傷も痛むと吼える。あっちも痛い、こっちも痛い。全部の痛みが解消されれば、今度は他人の傷が痛いと上を殴る。文句言える先があるというのは楽なものだよね。羨ましいよ。文句を言う先の痛みには無頓着なんだから尚更ね。貴族は下々の者を人とは思っていないなんて忌々しげに言うくせに、彼らこそ貴族を人とは思っていないんだ。痛みなんてないと、自分達と同じことで傷ついたり悲しんだりしないと思ってるから質が悪いよね。弱いって、それだけで充分特権だよ。あれこそが特権階級だ。責任も選択も負わなくていいのに、結果を背負うことにすら不満を持つ。弱音を吐けて、他者にぶつけることを許されている。羨ましいことだよ。彼らがすると文句と呼ばれ、俺達がすると、虐げると糾弾されるんだから、差別だよねぇ」
「……掲げられるものがあると人は集ってしまいますから、旦那様のご判断は正しいと私も思います」
「おっと、ごめんよ。話が逸れたね。それに、君は賢い子だね。さすが、地方の学校とはいえ常に首位を保っていただけのことはある」
何でもないことのように告げられた内容に驚きはしない。彼らのように地位ある人間は、相手のことを調べず近寄るわけがないのだ。まして、こんな危ない話題を選ぶ相手を知らないはずがない。
じっと見上げると、イザドルは今度こそ片眉を上げて、おやっという顔をした。
「驚きもしないか。これは肝も座っているかな。そうだね、俺は君の事を知っている。恐らく、君よりも。シャーリー・ヒンス。十五年前の雨の日、布にくるまれ道端の石の上に放置されていたところを保護。その後、カーイナの孤児院で育てられる。学業は常に優秀、運動は少し苦手かな? 優秀故に養子の申し込みは多かったけれど、君はどれも蹴ってしまったね。この町の貴族からの申し出もあったようなのに、勿体ないことをしたのではないのかい?」
「修道女になる娘を養子にしたところでお返しできるものは何もございません。私を養子にして、勿体ないことになるのは皆さまの方です」
「凄いね。六歳のとき書かされる作文「将来の夢」と一貫して目標が変わらないっていうのは、本当に凄いよ。じゃあ、カーイナの村長が自分の息子と君を結婚させたがっていたっていうのは知ってるかな。どうやら息子はあまり賢くはないらしいから、賢い女性にうまく手綱を取っていてもらいたいようだね。だから、孤児院の院長は君をここに送り出したんだ」
きっと私は少し眉を顰めているのだろう。イザドルが今度こそしてやったりと言わんばかりに楽しそうに笑った。
道理で院長先生が必死になっていたわけだ。修道女になるのを止めようとしているだけが理由ではなかったらしい。ここで働くことが決まるや否や、詳細を聞く暇もなくまるで夜逃げのように追い立てられたので、修道女になれなかったらすぐに死にそうな顔でもしていたのかと思っていた。
村長の息子……確か、鷲鼻のちょっと乱暴者の少年だった。泥団子を投げつけてきたり、スカートを捲られたり、髪を引っ張られたりした記憶がある。元気が有り余っている感じだった。その元気で孤児院の屋根を直したりもしていたので悪い子ではなかった気がするけれど、屋根を壊したのも彼なのでいい子でもなかったように思う。
「…………私をお調べになって、何かございましたか」
「いいや? 何もないことがおかしな程に、何も。けれど、調べたのは俺だけではないさ。君を雇い入れる際にカイドが調べただろう。そして今や、ダリヒもワイファーのみならず、きっと王までもが君を調べているだろうね」
人差し指と中指を握りこみ、元から正していた背に力を籠める。
「ライウスは大きすぎる。だから十五年前も、誰も手を出せなかった。王に至っては手を出さなかった。ここは、嘗て武功を立てた将軍と降嫁された姫の血が受け継がれた地だ。前領主は元を辿れば王族になる。だから、他領は手出しできなかった。王族の血を持つ者に他領が手を出せば、王に叛意ありとの口実を与える。王は、ライウス領を解体するつもりだった。だから、手を出さなかったんだ。ライウスは力を持ち過ぎた。ダリヒに至っては、解体された後に下げ渡されると分かっていたから、前領主の行いを助長させさえした」
そう、だから私達だけの楽園が出来上がってしまったのだ。どこかで止められることなく、着々と出来上がった楽園は、ライウスから養分を搾り取りながら成長した。
かつて想いを叶えたお姫様。愛した人と添い遂げたあなたの血が、あなたが愛したこの地の枷となってしまいました。あなたの子孫である私達が、枷としてしまいました。
「もうライウスは終わるはずだった。他領が手を出せない以上、ライウスの領主を討ち取れるのは、討ち取る叛意を許されるは、ライウスの領民しかいなかったけれど、最早誰もが手を出せない状況にまで追い込まれていた。だからまさか、随分昔に地方に飛ばされた弱小貴族が這いあがるなんて誰も思わなかった。まして、流行病で一族諸共死に絶えた、齢十四の子どもが領主を食い破るなんて、誰が思うだろうね。だけどカイドはやりきった。既に一族は死に絶えたとはいえ、ばれれば彼に従った全ての者とその家族のみならず、下手すると関わった村や町、通っただけの集落すらも焼き払われる危険に曝されながら、よくやったよ」
「…………はい」
「今でもよく覚えているよ。俺と四つしか違わないのに、もう完全に大人の顔をしていた。領民の命とライウスと王族殺し。まだ薄かった肩に全部背負って、あいつは領主になった。……俺の父はね、あいつを哀れだと言った。ライウスの民が奪われた物を取り返す為に汚したあいつの手には、何も帰ってこないのにって。そう言って、後ろ盾になったよ。元々ギミーはそんなに大きくはない。ライウスを割られて与えられたところで、持ちきれなかった。持て余すのが目に見えていたから、ライウスに崩壊されては困ったんだよ」
身体はどんどん冷え切っていくのに、頭の中では熱がぐるぐると渦を巻く。
もう、犯した罪が重すぎて、きっと地獄にすらいけやしない。だから私はここにいるのだろう。……ああ、せめて両親達は地獄にいってほしい。贖えない罪はすべて私が持って巡るから、だからどうか、地獄で償い、贖い。どうかいつか、ご先祖様の元に逝ってほしい。
私達の前で、両親に手を繋がれて足を浮かせた子どもが笑う。肩を組んだ少年が駆け抜けていく。頬を赤らめた男女が繋いだ手を一度解き、指を絡め直す。目を合わせて恥ずかしそうに、けれどにこりと笑う様子が、酷く眩しかった。
「あいつが結婚しないのは、世襲させない為だよ。世襲の結果が嘗てのライウスだからと、次は襲名制にしたいんだって。……それを口実に、ずっと一人で生きる気なんだよ。何も持っていないくせに失い続ける気なんだ。あいつを友と呼ぶ俺の前で平然と。まったく、酷い話さ」
天を眺めたイザドルとは逆に、私は地を見つめた。
「ライウスは彼から奪い、何も与えず、返しもしない。けれど彼はこれからもずっと領主として生きるつもりだ。そりゃあ、賢領主だろうさ。カイドはライウスの従順なる奴隷だ。カイドとして得るものが何もないと分かっているのに、望みもせずに朽ちていくつもりなのだから。領主は人に在らざる者。それが条件だというのなら、随分な話だ」
二本の指を圧し折らんばかりに握りしめ、唇を噛み締める。
「…………それを私に話して、何をせよと仰るのですか」
俯く私の足元に影が落ちる。イザドルが私を見ているのが分かった。顔を上げるべきなのに、私の視線は綺麗に敷き詰められた石畳から離れない。
「君が徹底的に調べられている理由を教えてあげよう。君が、カイドを乱したからだよ。十五年間ちっとも揺るがなかったカイドを揺るがせた。町にメイドと下りるなんて初めて聞いたよ」
「…………今まで幾度もあったことです。お調べが、足りないのでは?」
「部下も数人、メイドも数人でならね。二人で下りたのは初めてだよ。この目で見て、驚いた。色ボケでもしてくれていたのならまだましだったのに、どうやらそうでもないらしい。さて、それなら君はいったい何だろう。俺も不思議でならないんだ。あのカイドをどうやって揺るがせた? これより以前に君達が接触するような機会はなかったはずだ。君はカーイナから出たのはこれが初めてだし、カイドもあんなど田舎に用もなく出向くほど暇じゃあない。じゃあ、このひと月で? いくら運命の相手だとしても早すぎだろう。一目惚れにしたってもう少し手間暇かけてもらわないと、信憑性がない。君の魅力で落としたっていうのも、申し訳ないけれど同じくらい信じられない。仮に君が物凄くカイドの好みだったとしても、それなら余計、彼は君を近づけないはずだ。じゃあ、君は何だろう。君の何がカイドを揺るがせた? たったひと月、されどひと月。それが通用するのはあの堅物以外の話だよ。あいつが相手なら、一年かけたって驚きはしないくらいだからね」
折れても構わないと握りしめた指を頼りに、顔を上げる。イザドルは思ったより近い位置にいた。目尻の黒子が見える。逆光になったその顔の中で、吊り上った口角だけがやけにはっきりと見えた。
「君達に会う前に、馴染の使用人を掴まえて聞いてみたけれど、これといって何があった訳でもないようだ。それこそ奇妙な話だね。君は他のメイドと同じ仕事をしているだけだ。むしろカイドから距離を取っているとさえ言われていた。それなのに、何がカイドを引きつけた?」
探っている。私を見極めようとしているにしては、やけに鋭い。彼が内情を知りたいのは事実だろうに、問い詰められているというより嬲られているようにさえ感じるのは私が卑屈だからだろうか。
「そのような事実はございませんので、お答え致しかねます」
「いいや、違うね。当人達は気づかないものなのかな……。会ってみて、確信したよ。あれほど視線を向けていながらよく言う。君はカイドの背を、カイドは君の背を、常に追い続けているくせに、何もないじゃあ通用しない。悪いけど、これはカイドに伝えさせてもらうよ。他の領が来る前に直してもらわないとばればれだからね」
指摘されて初めて自覚する。そんなに見ていただろうか。……見ていた、かも、しれない。
唇を噛み締める。いっそ食い破って血が流れ出てくれたらいいのに、震える口元ではそんな力すら籠められなかった。
一つに結ばれた黒髪が揺れる様を、太陽より柔らかく揺れる金色を、随分伸びた背を、かつて小川で絡めた足を、かつて繋いだあの手を。
きっと、見ていた。かつて愛したあの人を、初めて恋したあの人を。見ていた。きっと。
見ていた。
ずっと。
ずっと、見ていた。
今も、昔も、ずっと見てきた。
だって、あなたを愛していたのだから。
 




