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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
第一章
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7.あなたと私の外出準備



 パン一切れに、スープ半杯。

 いつもの昼食を終えた私に、ジャスミンが頬を膨らませる。


「シャぁーリぃー」


 空になった食器を持って立ち上がった私を、妙な猫なで声が呼ぶ。首を傾げて振り返った私の口に大きな塊が詰め込まれた。

 思わず閉じた口の中で、甘い塊がぐしゅりとほどける。濃厚な甘さが口の中いっぱいに広がった。


「…………桃?」

「そそそ。桃。果物なら食べやすくて栄養取りやすいでしょ?」

「……この時期によく手に入りましたね」

「お祭り近いからね、色んなものが入ってきてるし、これなら若い女の子が食べやすいんじゃないかって料理長が」


 調理場を振り向くと、いつも無口でしかめっ面の男が深い鍋の陰にさっと消えた。老年に差し掛かった男は、いつも何も言わず望まれた量の食事を出してくれていたのだけれど、なんとも思っていなかったわけではないのだと初めて知った。

 食器を返しながら小さく頭を下げる。隠れきれなかった白い帽子が揺れているのが見えた。


「旦那様付きになって一か月にもなるのに、シャーリーは頑なにこっちで食べるよな。向こうの飯もうまいのに」

「今日は用事があったから戻ってきたのよ!」


 ぐわっと勢いをつけてジャスミンに詰め寄られたサムアは、二歩下がりながら隣にいる少年に耳打ちした。


「……俺、また何か失言した?」

「頑な、辺りがまずかったのかも」


 ひそひそと紡がれる会話がこっちまで届いている。

 相手の少年は、私より三か月前に雇われた執事見習いだ。若い稲穂のような瞳をした少年でティムという。


「あ、あの、シャーリーさん、私服ということはどちらかに行かれるんですか?」


 この一月で分かったけれど、サムアはどうにも一言多いというか、言葉選びがうまくないらしい。これ以上ジャスミンを怒らせる前にと、ティムは慌てて私に話を振ってきた。

 私は、さっきまで着ていたいつものメイド服から私服に着替えている。灰色のワンピース。数少ない私物の一つだ。


「旦那様が町に下りられるとの事ですので、私服に着替えてくるよう申し付かりました」


 領主として下りると大事になるし、準備もいろいろかかるから、ちょくちょくお忍びで下りているのだそうだ。だからお供も私服になる。カロンによると、最近忙しくてほとんど下りていないから、そろそろくる頃だと思っていたそうだ。

 一枚布を型に沿って切り取り、縫い合わせただけの簡単なワンピース。私が持っている唯一の余所行きなのだけれど、これを見たジャスミンは天を仰いだ。

 サムアに詰め寄っていたジャスミンは、苦渋に満ちた顔で握った拳をテーブルに叩きつけた。


「私の、私の服を貸したかったのにっ……! お祭りで着ようかなってこの前買った、すっごく可愛い桃色のワンピースを貸したかったのに、サイズがっ……!」

「ああ、お前昨日の菓子三つも食べ、ぶっ!」

「肩の位置が落ちちゃうの!」

「今のは失言か!? 事実……分かった俺が悪かったから殴るな! 痛い! 大体サイズ合わないなら何か別の物貸してやればいいだろ!?」

「…………あ、ちょ、ちょっと待ってて、シャーリー! すぐ戻ってくるから!」

「痛い!」


 サムアの胸倉を掴んだまま、急激な方向転換をしたジャスミンは、サムアを放り捨てて駆け出して行った。

 すぐということなら、座る必要もない。私は壁際に寄り、身体の前で両手を揃えて立った。



 食堂内では、いつもの昼時よりも人がまばらだ。ライウスでは一年に一回の大きな祭りが開催されるため、いまは他領から賓客を迎える準備で忙しい。その為、食事をとる時間はいつも以上にバラバラになっている。実際に賓客を迎え始めたら今の比ではないくらいばたばたするだろう。

 いつもみたいに混雑していないので席を立つ必要はないのかもしれないけれど、一度立ってしまったし、どうせ長居するつもりもない。

 壁には凭れず、背を伸ばして立っていると、苦笑したティムが近寄ってきた。


「その服も、落ち着いて見えるから素敵ですよね」

「ありがとうございます」


 ティムは私と同じく若輩者でありながら、面倒な仕事でも笑顔で率先して引き受け、よく働き、とても人当たりが良い。まだ少年の色が強く残る甘く優しげな顔も、好かれる要因の一つだろう。女性の扱いにも長けているようで、今のようにさらりと褒めることすら様になる。

 隣に立った同じくらいの身長のティムは、少し頭を傾けて私を覗きこんだ。


「シャーリーさん、最近少し顔色がいいねって皆さん言ってますよ」

「……皆さんが、よくしてくださいますから」


 そう言えば、ティムはぷっと笑った。あえて濁した対象を見透かされたのだろう。次に彼が口に出したのは、私が濁した人だった。


「旦那様が最近のおやつに出していらっしゃる指示、ご存知です?」

「……いいえ」

「一口で食べられて、持ち運びができるもの、ですよ」


 初耳だ。

 道理でぽんぽん放り込んでくるわけだ。カイドは忙しいから、片手で食べられるものを好んでいるのだと思いきや、まさか私の口に放り込みやすいからだったとは。

 これからは、話す時は口元を覆ったほうがいいかもしれない。指で唇を押さえた私に苦笑して、ティムは「あーあ」と両手を頭の後ろに当てる。袖が少し下がり、手袋との間に隙間ができた。手首に黒子があるのが見えて、なんとなく眺める。


「旦那様のおやついいなぁ。俺も食べてみたかったなぁ」


 次は俺の番だと思ってたのになぁと残念がる姿を無言で見つめる。私もそう思っていた。

 話を聞くに、慣れてきた人はあっちで一度働くという。だからきっと選別だろうと、当たりをつけている。いくら同じ面子で囲んでいても、人は必ず入れ替わる。その時が来たら滞りなく次の人が入れるよう、今の段階から少しずつ様子を見ているのだろう。

 三か月も前に入った彼ではなく、入ってそれこそ十日もなかった私が選ばれたのは、悪目立ちしすぎていたのだろう。だから、意味などない。




「俺じゃなかったのは残念ですけど、でも、シャーリーさんなら」


 片目をぱちりと瞑って、茶目っ気たっぷりに笑うティムにため息をつく。それに気づいたティムは苦笑したけれど、話題を変える気はないらしく耳元に唇を寄せて声を潜める。


「お似合いだって皆さん言ってますよ」

「……いくら旦那様がお優しいからといっても、流石に不敬だと皆さんにお伝えください」

「人一倍気にかけていらっしゃいますし」

「私がみっともない姿をしている自覚はあります」

「…………旦那様のご結婚は、使用人一同の悲願ですよぉ」


 ティムは、わっと顔を覆った。泣きたいのは私のほうだ。


「もう三十になられるというのに、お見合いも全て断っていらっしゃるし、浮いた噂の一つも立ててくださらないと、執事長は毎日髪を白くさせてるんですっ!」


 十五歳の執事見習いにまで悲痛に嘆かれるのはどうなんだろう。

 私はもう一つ溜息を吐いた。その溜息を聞いて、ティムは悲しそうに肩を落とす。


「シャーリーさんにとってもいいお話だと思いますよ? 旦那様、お嫌いじゃないんでしょう? 玉の輿ですよ! 使用人一同も味方です! 正直、メイド長が一番の要だと思いますが、幸いにもシャーリーさんを気に入ってるみたいですし!」

「旦那様はとても魅力的な方ですから、旦那様ご本人がその気になればすぐにお相手は見つかります。旦那様を焚きつけるべきです。そうすれば、きっとすぐにでも然るべきご身分のお嬢様をお迎えできます。そうしてライウスの安寧を更に盤石のものとして頂けるのなら、私はその為に惜しむものなどありません」


 一歩下がり、指先を揃えたまま礼をする。


「おい、ティム」


 それまで黙って打ち付けた場所を擦っていたサムアが口を開いた。


「焚きつけるのはいいけど、押し付けるのは違うだろ」


 ティムはしょんぼりと肩を落として口を噤んだ。引き際を見極められるのも、彼が好かれる理由の一つだろう。でも、焚きつけるのも全然よくないと気づいてほしい。

 ティムはすみませんと寂しそうに笑った。


「ライウス、お好きなんですね」

「生まれた地ですから」

「それなのに、十六になったらここからいなくなっちゃうんですか? ここはライウスの為に何かできる最たる場所なのに」

「…………短い分、精一杯務めさせて頂きます」



 本当は、院長先生に少しだけ感謝している。

 生まれ育った二度の故郷であるこの地の為に、何かできることを。どんな些細なことであれ、ライウスの為に働く彼らの手助けができることを。前の生では役に立つどころか害にしかならなかったから、余計に。

 一年という短い期間で贖い切れるわけもないし、余生は全てライウスの未来を祈り続ける為に使うつもりだけれど、きっとそれでも足りない。一度損なわせたものはもう二度と帰ってこない。

 常に死を吊り下げていたと言われるあの時代に失われた物を知る度に、そう思う。

 土地が、店が、人が、ライウスが滅んでいった。あの時代に富んだ者は、きっと、一度の死では足りないほどの業を背負っている。

 でも、二度目の生を与えるならば、あの時代に理不尽に殺されていった人々に返してあげてほしかった。それだけで、今尚喪失感に嘆く人々の救いとなっただろう。何を贖いとすればいいかも分からず、無為に生きたりしなかっただろうに。

 私はこの二度目の生をどう使えるのだろう。どう使えば、家族の分もライウスに贖えるのだろう。





 ため息をついた私の耳に、ぱたぱたと足音が聞こえてくる。振り向けば、息を切らせて少し顔を赤らめたジャスミンがいた。


「シャーリー、これ見て!」


 両手で持っているのは、青い飾りのついた首飾りだ。目の前にずぃっと差し出されたそれを見つめる。よく見たら、小さな花が一つになっていた。


「ヒヤシンス?」

「そう、可愛くってつい一緒に買っちゃったけど、よく考えたらワンピースと合わないなって、引きだしにしまってたの。シャーリーにあげる」

「私は」

「余計なお世話だって思うけど、やっぱり年頃の乙女としては、お洒落の一つも嗜まなくっちゃ……ふふ、シャーリー、髪をいつも纏めてるから首飾りつけやすい」


 そう言うと、首の後ろに手を回してさっさとつけてしまう。灰色一色だった私に、青がぽつりとぶら下がる。その青をつんっとつついて、ジャスミンは上から下まで眺めていく。


「本当は白だったら色も合ったんだけど、私、白いのこの前引きちぎっちゃったんだよね……」


 そういえば、指を引っかけて鎖が切れてしまったという首飾りには、白い花がついていた。悲鳴を上げたジャスミンに代わって拾い上げたから、よく覚えている。

 私も、昔何度かやってしまったことがあった。鎖が細ければ細いほど、気づいた時にはもう遅く、ぶちりと切ってしまうのだ。今はもう縁のなくなった感触を思い出して、なんとなく指を見る。

 その手を、ジャスミンは両手で取った。


「あのね、一緒の部屋になれた縁でも、お近づきの品でも、理由は何でもいいから、シャーリーにもらってほしいな……本当はね、シャーリーの瞳の色とおんなじだなって思ったら、つい買っちゃったの。ごめんね、私、シャーリーの好きな色分かんなくて、勝手にそれにしちゃったけど、できれば今度は私とも町に行ってほしいな。それで、好きな色とか、好きなの教えて!」

「ジャスミンさん」

「ジャスミンでいいっていつも言ってるのに……シャーリー、お肌綺麗になってる。え? 旦那様のお菓子? お菓子なの!? 何が入ってるか聞いてきてくれない!?」


 握っていた手よりも近づいてきた顔と、くるりと回った話題に瞬きする。少し仰け反って、必死に記憶を辿っていく。心当たりがあるとすれば一つだけだ。


「…………お茶じゃ、ないかな、と」

「お茶のお菓子!? やだ、身体に良さそう!」

「いえ、混ぜ物ではなくて」

「お茶単体のお菓子?」

「固形ではなく液体状態の……」


 液体状も何も、お茶は液体が基本だ。説明しようと余計にややこしくしてしまっていたことに気づいて、少し考える。簡単に、分かりやすく。


「普通に飲む茶だ。あれはそんな効能もあったのか? だったら売り上げは心配しなくていいな。ちょっと調べさせるか……」


 後ろから聞こえてきた声に、全員が飛びあがって振り向いた。




「旦那様!?」


 何故か窓から手招きしているカイドに、サムアが慌てて駆け寄る。

 私は、カイドをじっと見つめてその場から動けない。髪の色が、違う。格好も、まるで下位の貴族のようだ。普段も豪勢な意匠をしているわけではないけれど、それよりももっと町民に近い。

 カイドは、まるでヘルトのような茶色の髪を太陽に透かせて、慌てるサムアに片手を上げた。



「御用でしたらこちらから向かいましたのに!」

「ちょっと面倒な方が来たから裏から出る。悪いが表に用意した馬はひっこめてくれ」

「はい……面倒な方?」

「たぶんこっちまで探しに来ると思うが、知らないふりをしてくれな。シャーリー、行こうか」


 呼ばれて、ジャスミンと繋いでいた手を離す。繋いでいたというより掴まれていただけど、まあ、どちらでもいいだろう。

 その動作で、胸元で青い花が揺れる。お互いの視線がそれに重なった。そして、ちらりと窺うような視線を受けて、少し、考える。


「…………ありがとう」

「う、ん……うん! ありがとう!」


 もう一度手が取られた。その手を軸に、ジャスミンがぴょんぴょん跳ねる。跳ねたと思ったら、くるりと視界が反転して、背を押された。


「いっぱい楽しんできてね!」


 町に行く私より余程楽しそうでうきうきしているジャスミンに、窓に肘をついていたカイドが苦笑する。


「一応仕事だからな?」

「それでも掃除やお部屋を整えるよりよっぽど楽しいじゃないですか!」

「まあ、そうだな」



 背中を押されてたたらを踏む。窓に突っ込みそうになった私の手を取り、カイドがまた苦笑した。……窓から出る流れかな。足を上げるなら、カイドは向こうを向いていてもらえないだろうか。流石にこっちを向かれているとやりづらい。

 領主に他所を向いてもらうよう頼むのは失礼だろうか。けれどこのままだと別の意味で失礼なことをしでかしてしまう。

 どうしようかと悩んでいると、カイドが高い身長を利用して身を乗り出してきた。


「昼食は食べたか?」

「はい」

「たくさん食べたか?」

「……いつも通り頂きました」


 カイドは苦笑した。

 彼はよくこの表情をする。彼だけでなく、他の人も。きっと、そうさせるような態度を私が取っているのだろう。


「お前、嘘はつかないよな」


 苦笑と共に伸ばされた手が私の膝裏を抱え込む。驚いて屈んだカイドの頭にしがみつく。くしゃりと乱れた髪は、昔触れたそれより少し硬くなっていた。十四の子どもの髪とは比べ物にならないのに、何故かひどく指に馴染む。昔抱えたこの温もりだけはどうしてだか変わっていなくて、動き始めてしまった感情が痛みを齎す。

 そのまま私を抱え上げて窓を越えさせたカイドの頭を抱え、その耳の側で呟く。


「……もう、嘘は充分です」


 私を下ろそうと再び屈んだカイドの動きが止まる。中途半端に抱きこまれたまま、その肩に手を置いて自分の力で抜け出す。

 地面に立ち、肩から手を外しながら呟く。



 歪みを自覚しながら口角を吊り上げる。長く動かさなかった顔の筋肉が強張っているだけじゃない。色んなものがない交ぜになった(いびつ)を自覚しながら、隠さなかった。

 ジャスミン達に背を向けていてよかったと、頭の隅で安堵する。こんな顔、あの時代を知らない彼女らが見るべきじゃない。

 人差し指と中指を握りこみ、深々と頭を下げる。


「ありがとうございました」

「な、に?」

「窓を、越えさせてくださって」


 目元と口元を歪ませた私を、呆然と見つめるカイドから見て左に掌を向ける。その先にあるのは厩だ。


「参りましょう。町に、行かれるのでしょう?」




 旦那様。




 正しくそう呼んだはずの彼は、酷く奇妙な顔で私を見ていた。

 だから私は、歪を深めて。




 わらった。











 お互いとくに会話なく辿りついた厩が見えたとき、背がぴたりと止まる。足元ばかりを見ていて、すぐに気づかなかった。ぶつかりかけ、慌てて横にずれたことでその先が見える。

 厩の入り口に凭れた青年がいる。金の髪を一つに纏め、カイドのように下位貴族の普段着のような服を軽く着崩していた。

 どこか、見覚えがあるような美しい青年は、目尻にある黒子を揺らしてにこりと笑った。


「久しぶりだというのにつれないねぇ、カイド」

「幻覚が見える。あの茶、幻覚には効かないらしい」


 青年を完全に無視したカイドは、身体すら私に向けている。進行方向にいるにも拘らず背を向けられた青年は、片眉を跳ねあげて足早に近寄ってきた。


「それが、ライウス解放祭の為にはるばるギミーからやってきた次期領主に対する態度かな?」

「ギミー領からの賓客は、現在まだギミー領を移動中との報がつい昨日届いたばかりでな。少なくとも到着は十日後だ」

「ま、中身は空っぽだけど」

「くそっ」


 後ろから組まれた腕を振り払い、カイドはその青年と向かい合った。


「どうして大人しく来ないんだ」

「いやぁ、ライウス入った辺りからデブリンが合流狙ってるって聞いたから、面倒だし少数だけ連れて馬飛ばしてきた」

「ダリヒ領領主はジョブリンだ」

「デブリンだよ。あいつ、また一回り太ったの知ってる?」

「あれ以上か?」

「そうそう。この前なんか馬車の床抜けてた」


 記憶に残るダリヒ領領主は、樽のようだった父より二回りは恰幅が良かったと記憶している。あの頃より太っているとしたら、床も抜けるだろうなとぼんやり思い出す。

 そして、目の前の青年に見覚えがあるのも合点がいった。と、いっても、私が覚えているのは、人形のように愛らしい十歳の少年の姿だし、ほとんど会ったことはなかったけれど。


「で、お嬢さんに俺を紹介しては頂けないのかい? ライウス領主カイド・ファルア」

「領主として紹介させたいなら、公式の訪問で現れろ」

「それはそうだ」


 青年は、生地の薄いマントを翻し、胸元に手を当てて軽く背を傾けた。


「ギミー領主が嫡男、イザドル・ナヴァロと申します。以後お見知りおきを、お嬢さん」

「旦那様付きメイドの、シャーリー・ヒンスでございます」


 手を揃え、背を一切曲げずに深々と頭を下げる。


「……いいね、姿勢にも抑揚にも無理がない。本当に雇い入れて一か月?」

「うちのメイドに手を出すなよ」

「怖い狼領主が見張ってるライウスで、女遊びに精を出すほど愚かではないさ。お前、前にワイファー領の客が屋敷のメイド手籠めにしようとした時、何したんだよ。未だにワイファーの領主、ライウスに来たことないだろ。噂じゃ、ライウスの名を聞くだけで失神するとか」

「よりにもよって俺の屋敷でふざけたことしでかすからだ。領主には二度目がないよう徹底してくれと言っただけだ。シャーリー、もう頭を上げていいんだぞ。というより、ギミー嫡男はまだライウスに入っていないから、こいつはただの不審者だ」

「不審者はないだろ。せめて俺の心の友だ、くらいは言ってもらいたいものだね」

「行くぞ、シャーリー」


 私が頭を上げる僅かな間に、流れるように無視されたイザドルは、片頬を軽く膨らませた。そして私に向けて肩を竦めてみせると、馬の用意をしに行ったカイドの横に並ぶ。どうやら一緒に行くらしい。カイドは嫌がっているけれど、引く気のない様子に溜息を吐く。


「お前、ついてくるなら手伝わせるぞ」

「荷運びなら勘弁しておくれよ。俺、女性より重いものを持ったことがないんだ」

「じゃあ、大抵の物は持てるな」

「…………お前、それ言ったら刺されるぞ」


 ちらりと私に向けられた視線を辿ったカイドは、馬につけようとしていた鞍を数度上下させて少し考えた。


「シャーリーは鞍よりは重いぞ、安心しろ」

「そこは羽のように軽いね一択だろ。何真面目に検討してるんだ」

「羽のように軽かったら餓死寸前だろ。食料の支援と医師団の派遣を急げ」

「……世の中には比喩という、詩的な表現が許されていてだね?」


 ライウスと、将来ギミーを背負うであろう二人の男。

 その二人の会話を、姿勢を正したまま見つめる。


 何度瞬きしても、かつてのこの地に存在した茶髪と、かつてのこの地に訪れたことのある金髪の、幼い少年二人がじゃれ合っているようにしか見えなかった。






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