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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
第一章
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6.あなたと私の乾杯


 領主の部屋に人の出入りが激しい。なんだか新鮮だった。

 次から次へと人が出入りし、出迎えて見送る暇もない。書類を持っていたり、何かしらの確認を済ませると、次の人がもう入ってくる。父の頃は、こんなに多くなかった。そしてずっと前から会う日と時間を決めていたから、いつ誰が来るかきちんと管理されていた。


 みんな慣れたもので、挨拶もそこそこに要件に入る。気心知れた人達なのだろう。次から次へと持ち込まれる案件を、カイドは次から次へと捌いていく。時には部屋に設置されている巨大な本棚の前に立ち、何冊か引っ張り出してきて、案件を持ってきた人と一緒に本と睨めっこしていた。

 そんな風に午前中を過ごし、あっという間に昼も過ぎた。

 それでもなんとか昼を少し過ぎた辺りで人心地つくことができた。


 カイドは書類の最後に何百回も書いていたサインを書きこむと、しゃっと線を引いてしめた。

 背を反らせて伸びているカイドにお茶を出す。


「ありがとう」


 さらりとお礼を言って平然と飲み干す姿に、思わず眉を寄せる。

 毒でも入れられたらどうするのだろう。

 雇い入れる際に厳重に調べ上げているからなのだろうが、それにしたって不用心ではないだろうか。雇い入れたばかりの者を、口に入れる物に触れさせるべきではない。むしろ最初からこの建物付メイドにするべきではない。

 私が入れなくても、私が淹れたお茶に毒が入っていたら私が捕まってしまう。濡れ衣で処刑は嫌だし、カイドがいなくなったら、みんな、困る。


「不用心すぎると言いたいか?」


 私の視線に気づいたカイドは、空になったカップをこっちに向けて振った。


「食べる物がない時は靴の革まで食べたし、食べて大丈夫な物を探し回っては少々の毒よりまずい代物の植物だって食べた。弱った民より、頑丈な俺が試したほうがましだったからな。だからか、多少の毒じゃ死なない。間者に『なんで死なないんだ!』と怒られたこともあったなぁ。それより数段まずい茸で死にかけたから、あいつはそれを混ぜ込むべきだった」


 カイドはとんでもないことをさらりと言った。私は思わず言いかけた何かを飲みこみ、人差し指と中指を握り締める。


 ただでさえ痩せた土地なのに、重い税が課せられれば取り返しのつかないほど困窮する。次の春に植えなければならない苗さえ売り払い、果物を収穫するべき木々の根を齧って飢えを凌ぐ。齧られた木は枯れていき、作物の植わらない土地は固くなり、どんどん、どんどん、先細る。

 私と共にいた二年の間にあったことには思えない。潜入している期間にそんな危ない橋は渡らないだろう。

 ということは、それより前。十四歳よりも前の話だ。否……二年経って十四なのだから、十二歳より、前だ。




「………………いつ」

「ん?」


 少し目を細めて何かを見ていたカイドが、私の声に顔を上げた。


「いつ、死にかけたのですか」

「いつと言われてもな……一度や二度じゃないしな…………最初は六歳だったか? 流行病にやられて人手が減ってたところに増税の積み重ねでな。ろくに備蓄も出来ないまま迎えた冬を越えられなかったんだ。だが、その甲斐あって今まで食えないとされていたその茸が食えると分かった。食えないのは茎だけだ。何故か笠は無害だった。あれであの冬は越えられたから、結果よしだろう。まあ、かなり怒られたが」


 怒られて済んだことが奇跡だろう。黒服に泣きながら囲まれる事態にならなかったのが奇跡だ。

 潜入がばれなくても、別の些細な理由で殺されたかもしれない領主の屋敷に、単身で潜り込んだだけある。無茶は昔からだったのか。

 指を握り締める力が強くなる。


 カイドは立ち上がり、別のカップにお茶を淹れて私に差し出した。


「それに、お前は間者などではないだろう?」

「…………何故?」


 その確信はどこから来るのか。

 私の怪訝な視線に、カイドは心底呆れた顔をした。


「間者が目立ちきった状態で紛れ込んでどうするんだ。普通、怪しまれないように潜り込むものだぞ。最初から寄るな触るな近寄るなじゃ、間者など務まらない」


 さすが元間者。説得力が違う。


「俺には前世だなんだのの対処は分からん。聞いたこともない。だが、それがお前を苛むなら、調べることはできる。その中で手を貸せることがあるかもしれない」


 少し悩み、引かれる気配のないカップを受け取った。少し冷めたそれは、知らない香りがする。カイドは自分の分も淹れ直してカップを持つ。鮮やかな赤みがかった茶色が透明に揺れる。


「お前が何であれ、俺の領民であることに変わりない。俺は、領民には全員幸せでいてもらいたいよ。無謀で夢見がちで阿呆な願いだとしても、そう思う。そうでなければ、俺が領主になった意味がない。前領主からこの地を奪った意味がない。全員が生涯遊んで暮らせる金を持てだなんて願っているわけじゃない。だが、せめて飢えないでくれ。冬が越せるか不安にならないでくれ。明日を信じ切れず、幼子を連れて死に絶えないでくれ。命を繋ぐために犯した罪で裁かれないでくれ。そして、それらの心配がないのなら、今度は笑って暮らしてほしいと思っているよ」


 彼が紡ぐ願いは、きっと最低限の権利だ。最低限、人が持っていなければならない権利。

 嘗てのライウスには、なかったもの。




「大変素晴らしいお考えだと思います。私もライウスの為、微力ではございますが、一年間旦那様の手足となりお仕え致します。ですが私は、それらを既に前の生で頂いております。旦那様の願いは、どうか未だ頂いていない他の方にお渡しください」

「残念だったな、シャーリー。俺は傲慢なんだ。一人よりは二人、二人よりは三人、切りがないのはいいことだ。少なくとも、俺の目の前で飢えているのは許せんな。とにかくお前を太らせることから始めたいが、まあ、とりあえず乾杯といくか」

「何に対してですか」

「そうだな」


 カイドは少し考えた。その姿を見上げる。本当に、背が伸びた。彼の身長に合わせてヒールを低くしていた過去が信じられないくらい。こっちの首が痛くなりそうだ。

 カップがかちりとぶつかり合う。


「前途ある若者の、幸せな未来に」

「我らがライウスの未来に」


 苦笑した彼と共にお茶を煽る。あの頃でも飲んだことのないお茶だったけれど、癖もなく飲みやすいのに、甘味とコクがあって美味しい。

 ぱちりと瞬きした私に、カイドが笑う。


「美味いだろ? 東のほうにある町の特産物、に、なる予定だ。どうにもあの地は他の作物の実りが悪いが、この茶葉には適していてな。来年にはライウス中に広める。他領にも出せるくらいになれば最高だが、そこまでは難しいかもしれん。あの地は少々雨が多すぎるから、地盤が不安で農地を増やせんのが問題だ」


 父から、祖父から、こんな話を聞いたことがあっただろうか。

 家族は、王都の店の新作や、有名店の物ばかりを買い求めていた。ライウスから搾り取ったお金をライウスで使わなかった。そうすればどうなるか少し考えれば分かったのに、私は考えなかった。


 綺麗でしょう、可愛いでしょう。最高級の物よ。

 似合うわ。素敵だ。可愛いよ。


 与えられるがまま、家族の笑顔を信じ切り、それがどういう過程で与えられているか考えもせず。





 ああ、あなたは正しい。

 カイドを見上げて、私は笑い出したくなった。ずいぶん久しぶりに湧き出たその感情がなんだったのか、自分でも判断がつけられない。

 愉快で、陽気で、惨めで、無様な、この感情の名を、私は忘れてしまった。


 私は一体どんな顔をしているのだろう。金色の瞳が見開かれ、何かを呟いたのに、私はその言葉すら拾えない。

 再び生を得て十五年、静まり返っていた感情が湧きだし、噴き出した。渦を巻いて身体中に行き渡るのに、血液より質が悪い。血液は身体を生かすものなのに、これは私を殺すものだ。




 私達は僅かな曇りなく、いっそ輝かしいほどの悪だった。ライウスを蝕む害虫そのものだった。殺されて然るべき、殺されるべき害悪だった。

 彼の決断は英断となり、ライウスを滅びから救い、栄えを与え、領民を守った。

 あなたは正しい。

 あなたは、強く、賢く、優しく、英雄と呼ばれるにふさわしい。あなたはまさしく、ライウスの救世主。





 だからあなたは、間違えたのだ。






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