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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
第一章
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5.あなたと私の職場




 少ない少ないとジャスミンにぷりぷり怒られながら朝食を済ませた私は、まだ本来の職場でさえ慣れていないというのに、新しい職場へと足を運ぶこととなった。

 私は本来、領主の屋敷メイドとして雇われている。

 けれど、ここにはメイドが二種類いた。

 一つは、私のように屋敷にいるメイド。

 もう一つは、いま私が向かっている先、領主の仕事が行われている建物のメイドだ。





 若い世代が多かった屋敷とは違い、こっちの職場は年齢層が高かった。擦れ違う使用人は、三十代から四十代が一番多く、二十歳以下と思える年齢の者はとても少ない。


 今は比較的落ち着いてきているとはいえ、カイドは革命により成り立った領主だ。当時は残党による襲撃も間者も多かったと聞く。

 だから、信頼できる者で固めたのだと、案内をしてくれている三十代ほどのメイドが教えてくれた。当時のまま残って働いている者が多いから年齢層が上がっているのだと。執事もそうだと。

 雇い入れる人間は、当然厳重な調べの上採用されているけれど、その中でもここは特別なのだ。忙しいのもあるだろうが、カイドもこっちで寝泊まりしているという。




 そんな大事なことから、不審な動作には気をつけなさいとの心得まで教えてくれているのに、私は頭半分で聞いてしまう。いけないと分かっているのに、どうしても視線が擦れ違う人に向く。

 何だか、既視感がある。場所ではない。ここは最早実家の面影など欠片も残してはいない。当たり前だ、あの日すべて焼け落ちてしまったのだから。

 じゃあ、何に既視感があるのか。

 擦れ違う使用人に目がいき、きょろきょろとしてしまう私の行動を、初めてきた場所への物珍しさと取ってくれたらしく、女性は苦笑した。


「執務室だから実用的にという領主様のお言葉だけど、初めて見るとびっくりしてしまうわよね。まさか、少しくらい威光を感じられる箇所を作りましょうと進言申し上げる日が来るなんてと、執事達ともよく話しているの」


 繊細な物より、長く使える物を。細工を入れるくらいなら太さでも増せ。そう言わんばかりに、正に無骨の一言に尽きる建物。窓枠は鉄で、ガラスの隙間が狭いから割られても枠ごと外さないと中に侵入できない。下手すると鉄格子に見えるそれらは、必要だからこうなっているのだろう。

 同じ敷地内でありながら、あっちの屋敷とはずいぶん違う。あっちはあっちでどちらかというと地味だったけれど、こっちに比べればまだ贅沢……というか、遊び心というか、洒落っ気があった。あっちのほうが奥まった場所にあり、表に立つのはこの建物だ。向こうに行きたくばこれを破ってからいけとの意気込みを感じた。


 でも頑丈なのよと、要塞みたいな屋敷を眺めて目を細めたその人の後ろを通り過ぎていく、三十代後半になろうかという男をじっと見つめる。でも、確信が持てない。私はカイドのように良い主ではなかったから。




「すぐに慣れるわ。そうそう、あなたはメイド長に会うのは初めてよね?」

「いえ、採用頂いたときにお会いしました」

「あら、そうだったかしら」

「はい、ヒルダさんと」


 少しふくよかな身体の、ふんわりとした笑顔を浮かべる優しそうな女性だった。年齢は二十歳半ばだろうか。にこりともしない私を叱りもせず「お客様がいらした時は頭を下げていれば、笑ってないなんてばれないわよ」と、笑わずにやり過ごす方法まで教えてくれた。

 それは伝えないまでも、ヒルダさんは知っている旨を伝えると、彼女は「あら」と声を上げた。


「ごめんなさいね、違うのよ。ヒルダは代理のメイド長なの」

「代理?」

「ええ、メイド長は少し休みを……ああ、ちょうどよかった。あちらにいらっしゃるわ」


 さっき私が目で追っていた男が立ち止り、誰かと話している。一枚の紙を見てお互い指さしては何かを確認して、次の紙に移ってを繰り返していた。

 こちらを向いていた男が先に気付いた。私達に背を向ける形で立っている、自分の前にいる女性に何事かを告げる。女性は紙を折り畳み、くるりとこっちを見た。

 三十代半ばほどの女性は、私達を見て、「ああ」と口を開ける。


「ご苦労様、ダリア。彼女がシャーリー・ヒンスですね。話には聞いています」


 手を差し出しながら、そばかすの残る頬で僅かに微笑むその人は。



「カロン……」

「え?」



 そばかすを気にして少し厚めの化粧ばかりしていたカロン。

 少しおっちょこちょいだけど、お茶目で愛嬌のあったカロン。

 恋人がいたけれど、両親が許してくれずに無理やり婚約者を決めてきたと泣いたカロン。

 別れるその時、どうかお元気でと姿が見えなくなるまで恋人と一緒に頭を下げ続けたカロン。

 帽子屋夫婦の一人娘、カロン。

 私のメイドだった、カロリーナ。




 思わず呟いた私に首を傾げたカロンに、慌てて頭を下げる。そして、同じように怪訝な顔をした男は、一時執事をしていた男だ。そう、思い出した。


 くるくる変わっていった使用人。些細なことで叱責され首になっていったと、今生になって聞いた。

 カイドみたいに新人の名前なんて覚えていない。それどころか、元々いてくれた人すら覚えていないのがほとんどだ。あっという間に入れ替わる人々に、そんなものなのだと思っていた。


 怖かっただろう。恐ろしかっただろう。


 新しい生となり、かつての屋敷の惨状を聞くたびそう思った。

 自分の粗相で、職どころか、下手をすれば家を失い、家族まで理不尽に奪われかねない恐怖の中、彼らは頑張って働いてくれた。

 いつもどこか青褪めて暗い雰囲気だったメイドの中で、カロンは同じ年の私にいつも元気な笑顔を向けてくれていた。線が細くて少し頼りなさそうな、けれど優しいあの画家の青年と幸せになってくれればと、見送った。


 遠巻きに私を見ていた人々と違って、色々と気にかけて、いろんな話を教えてくれた、明るく優しいカロン。

 友達のように、思っていた。確認したこともなかったし、彼女にとっては仕事の一環だったのかもしれない。けれど、大好きだった。



 帰ってきていたのか。

 そして、それでようやく既視感に確信が持てた。見覚えのある人々がいたのは気のせいではなかったのだ、と。

 みんな十五年の歳月を得て年を取ってはいたけれど、面影は残っている。みんな、屋敷を首になっていった人々だ。もちろん知らない人も大勢いたし、私が気づいていないだけで、他にも屋敷にいた人はいるのだろう。




「カロリーナ、知り合いか?」

「いいえ……ごめんなさいね、私、あなたとどこかで会ったかしら」


 男は執事の服を着ていない。つまり、今は執事ではないのだろう。それでも書類の束を持っていることから、おそらく別の形で働いて、カイドを、新領主を助けているのだろう。

 忙しさからか少しやつれているけれど、みんな目が違う。

 カロンはどちらかというと落ち着きを得たみたいだけれど、他の人々は生き生きと、目に力がある。いつも何を叱責されるか分からず、同じことでも、母の、祖母の、気分次第でどうにでもなってしまう屋敷内で、青褪め、びくびくとしていた人々とはまるで別人のようだ。

 ああ、いい時代に、いい場所になった。



 まるでお城のような、白亜の屋敷。

 それとは比べ物にならない無骨な要塞のような箱型の建物。



 それでもあの、私達だけの楽園より、よほどいい。私達の楽園は、ライウスの悪夢だったのだから。

 働いている人の顔を見るだけで、そう思う。人が人として、当たり前の生き方ができる場所になったのだ。




「……知っている人に、少し、似ていたので。失礼しました」

「あら、そうなの? ふふ、不思議なご縁ね。私もね、カロンと呼ばれていたことがあるのよ」


 ええ、そう呼んだわ。

 笑うあなたが可愛らしくて、鐘の音のように可愛い愛称で呼びたくて。


「あの……お休みだったと伺いましたが、お身体を?」

「ああ、いいえ、違うの。夫の実家でご不幸があってね、少しお休みを頂いていたの。ありがとう、大丈夫よ」

「ご主人の、ご実家で」

「ええ、画家で各地を転々としているから、連絡してくるのが遅いのよ。困った人よね。……ああ、それにしても、カロンなんて久しぶりに呼ばれたわ。あなたのお知り合いが羨ましいわ。私も、その音がとても好きだったの」


 カロンは懐かしそうに目を細めた。昔より薄い化粧が、とてもよく似合っている。

 あの愛称を、あなたも気に入ってくれていたのだろうか。そうだったら、よかった。嬉しいと言ってくれたあの言葉が真実であって、嬉しい。そして今もあなたが幸せなら、こんなに嬉しいことはない。

 この地に関わった人全てが不幸になっていなくて、よかった。あの優しげな人は、今もカロンと共に生きて、彼女を幸せにしてくれているのだろう。

 あなたがいなくなって寂しかった。けれど、見送ってよかった。

 あんな最期をあなたに見せずに済んで、本当によかった。




 数人の男に囲まれて、早足で歩いてくる人がいる。

 背が高くて、まるで夜のように黒髪を靡かせて、太陽よりよほど眩しい金色の瞳で世界を見据えて。


 私達は皆廊下の端により、礼の形を取った。

 他の人達は既に挨拶を済ませているのだろう。カロンに瞳で促されて、頷く。


「おはようございます、旦那様」

「ああ、おはよう……目の下に隈があるな。眠れなかったか? 枕変えるか?」

「いいえ、眠りました」


 いい時代になった。いい場所になった。

 目の前の人が、カイドが、そうしたのだ。



 カイドは周りの男の人達に指示と書類を渡して、ぐるりと肩を回した。


「カロリーナ、早速だが貰っていくぞ」

「はい」

「それにしても、こんなに急いで戻ってこなくても、もう少しゆっくり日程をとってもよかったんだぞ。強行軍だっただろう?」

「いえ、急にお休みを頂いてしまい、大変ご迷惑をおかけしました。これから忙しくなりますのに、これ以上お休みは頂けません」

「まあ、忙しくはなるな。だが、まあ、あまり無理するなよ。昔とは違うし、身体を壊しては元も子もないからな」

「旦那様にだけは言われたくありませんが、それは暗に私が年だと言っているのですか」


 ずぃっと一歩踏み出したカロンに、カイドは慌てて二歩下がった。


「いや、いやいや違うぞ。女性にそんな失礼なことは言わない」

「失礼を承知で申し上げますが、あなた様と私はたかだか三つ違い。私が年ならあなた様も年でございますよ!」

「すまん!」


 カロンは、私にだけ「頑張ってね」と優しい笑顔をくれた後、優雅な礼をしてダリアと一緒に去っていった。残った男の人達の視線が憐れみに満ちてカイドを見ている。憐れみには満ちているけれど、誰一人として助けようとしていなかった。助けを求めるようなカイドの視線から、さっと逸らしてさえいた。


「……もう昔のようにぎりぎりの人数で回しているわけじゃないと言いたかったんだ」

「………………はい」


 ぽつりと落ちた言葉に、男性陣はカイドの肩をぽんっと叩いていく。




 いい、場所に、なっ……た。






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