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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
三章
47/70

47.あなたと私の王城Ⅷ









 走り抜けた風が、髪を、ドレスを、花を揺らす。


「風が出て参りました。建物内に戻られませんか。お身体が冷えてしまいます」


 そう告げたとき、薄く音がした。薄氷が割れたような、薄く小さな頼りない音だ。

 けれど、やけに胸がざわつく。

 どうしてこんなに不安になるのだと考え、はっとなる。明かりが、少ない。あれだけ煌々と灯されていた篝火が、一つ、また一つと消えていく。





「……二人とも、下がりなさい」


 マーシュ様が私とアジェーレア様を押しやった。おかしい。人気がない。人払いがされているとしても、王族のお二人がいらっしゃるのだから護衛がいないはずがないのに。


「……マーシュ様、護衛はどちらに?」

「さっきから気配がないようです。すみません、話に夢中になりすぎました。急いで建物に」

「きゃあ!」


 建物を背にしている私とマーシュ様とは違い、建物の方角を見ていたアジェーレア様が引き攣った悲鳴を上げて私にぶつかった。突然のことに対処できず、三歩ほどよろめく。支えてくださったマーシュ様と一緒に弾かれたように振り向いた動きで、首飾りが揺れる。身を飾るしゃらりと鳴る軽い音ではなく、重い、まるで唸り声のような音だ。


 振り向いた先には、男がいた。

 一人ではない。二人、三人と影から現れる。闇と見紛うほど黒い服で顔まで覆っている。


 だが、どれほど衣装を黒に染め上げようと、あの位置では会場内から見えてしまうだろうに。そう気づいて、はっとした。さっきよろめいてしまったことで立っていた位置がずれてしまっている。これでは私達の姿は会場から見えない。男達の影に紛れる姿では、余程目を凝らさないと光に慣れている目では捉えられないだろう。


「……何者です。私達を王族と知っての無礼でしょうか」


 ゆっくりと剣に手をかけたマーシュ様の背後にも黒い男達がいる。その男達の手には、唯一の色が存在していた。鈍色の、刃だ。




「私の護衛はどうしたのでしょうね」

「邪魔だったので死んで頂きました、マーシュ王子」


 淡々と答えた男に、マーシュ様が唇を噛みしめた。何が起こっているのか、分からない。恐らくはマーシュ様にも、真っ青な顔でかたかたと震えているアジェーレア様にもだ。

 王族が命を狙われることは、残念ながらままある。それはどこの国でも同じだ。だが、誰が手配をしたのだ。こんな、人目があり、王を含め王族が三人とも揃っている城中で最も警備が厳重な会場に、どうやって。疑問は尽きないが、問うて答えてくれる相手とも思えない。

 男達が一歩進めば、必然的にこちらは一歩下がるしかない。背後を囲んでいる男達も気がかりだが、抜き身の剣をこちらに向けている男達の接近をそのまま許すわけにもいかなかった。じりっと下がる途中、真ん中の男が妙な顔をしていることに気づいた。顔と言っても目元しか出ていない。唯一露出している瞳が、怪訝そうに細まる。


「二人いるとはな……どちらだ」


 小さく呟かれた言葉でも、この場ではよく響く。夜の闇では尚のことだ。この場に王族は二人いる。それは最初から見れば分かっていることだ。それなのに男達は迷いを見せた。どちらだと男は言った。何に対して……誰に対しての言葉なのか。

 意図して変装をしていない男女を間違えはしないだろう。ならば。


「……狙いは、アジェーレアか?」


 剣を構え直しながら、マーシュ様が慎重に問う。大きな瞳を更に見開き、アジェーレア様が男達を見た。何故、どうして。疑問と驚愕が瞳の中で踊っている。


「お分かりならば話は早い。貴方様に用はございません。どちらが王女かお教え願いましょうか、王子殿」


 成程。王女と会ったことがなかったのか。この場に王族の二人が人払いして現れるという情報をどうやってか入手したはいいものの、いざ現れてみれば年の頃が似た娘が二人いる。問答無用で皆殺しにしない程度には理性が働いているようだが、王族が揃っている場を強襲している時点で狂気の沙汰だ。どこまで男達の理性を信頼できるだろうか。


「何故でしょう。何故、アジェーレアを? 妹は政務には関わっておりませんが」

「答える義理はなし。さあ、王子殿。どちらが妹君か教えて頂きましょう。さもなくば、あたら若い命が巻き添えで散らされることになりますゆえ」


 おかしい。確かにアジェーレア様は今は亡き正妃様のご息女だ。けれど政務にはあまり携わっていないと聞く。逆にマーシュ様は庶子の出ではあるが、早期に王城へと上がり王族としての教育を受けた万人に認められている王族だ。

 それなのに、狙われているのはアジェーレア様なのか。人質としてならばまだ分かる。だが、命を狙うとなると話は違ってきた。



 疑問は尽きないが、周囲を囲む男達から逃げ出さないと悩んでも意味がない。せめてバルコニーから見える場所まで戻れたらいいのだが、男達の囲いは解けそうにない。マーシュ様は剣を持っているが、男達は七人で全員が帯剣している。ここで、王族を二人とも失うわけにはいかない。だからといって、そう易々と身を投げ出すわけにもいかないのだ。


 命を差し出す相手はもう決めている。その存在の為ならば無抵抗で首を差し出すが、そうではないのなら無気力に生を放棄することはもうしないと決めたのだから。





「わたくしです」


 背を正し、身体の前で両手を組む。心臓が早鐘のように打っている。重ね合わせた手の指を、癖のまま握ってしまっていることに気づいたけれど今更変えることはできない。


「わたくしがアジェーレアです。わたくしに何のご用でしょうか?」

「貴様がアジェーレアか……相違ないな?」

「嫌ですわ、そのようにじろじろご覧になって。わたくし、不躾な殿方は嫌いですの」


 嫌悪感を滲ませた瞳と、掌で口元を隠す。汚らわしいと、同じ空気を吸いたくないと視線と態度で男達を拒絶する。その態度に、男達は私を身分が高い貴族の令嬢であるとは判断したのだろう。剣の切っ先が完全に私を向いた。


「まあ、嫌だ。乱暴ですこと。それに、いつから覗き見していらしたの? 王族の団欒を覗き見るなど、不敬が過ぎましてよ」

「よく喋る」


 男が剣を握る手に力をこめた。


「お前の姿を見たのは先程だが……成程、これが噂のアジェーレアかと思ったな。先程お前が浮かべた笑みは」


 剣が振り上げられる。




「恐ろしいほど美しかった」











「やめろっ!」


 マーシュ様が叫ぶと同時に、男達が出てきた薔薇の中に駆け込む。男達が忍んでいた場所は、最初から用意されていたのか薔薇が部分的に刈り取られ空洞が出来ている。

 飛び込んだ薔薇の中は、刈り取られているとはいえ棘もそのままの場所だ。男達より私の体格の方が小さくとも、場所を取るドレスを着ているのであちこちに引っかかりそうになった。ドレスの裾を掴み、出来る限り薔薇に絡め取られないよう纏め上げる。ドレスに着られてしまわないようにと、体型に合わせて膨らみを押さえたドレスを選んでくれたカロンに感謝する。

 すぐに追いかけてきた男達の音を聞きながら、植木の裏側に飛び出てバルコニーを目指す。王城に変化がなくて助かった。記憶にある建物配置と方向感覚で、周囲の景色が見えずとも走るべき方向を間違えずに済む。


 背後に追いついてきた男の気配を感じながら、大きく息を吸う。影の向きが変わる。光を浴び、私の影が背後へと伸びた。闇に慣れた瞳は、その明かりに眩みそうになる。だが、今更だ。あの人は、ライウスの太陽は、いつだってどんなときでも眩しいのだから。

 バルコニーの影が見えると同時に髪を掴まれて仰け反る。剣が首に掛かる。だが、既に息を吸い込んでいた私の方が早い。首飾りが妙な浮き方をしたので、もしかしたら剣が触れていたのかもしれない。精神的な支えだけでなく、まさか物理的にもお守りになってくれるなんて。本当に強い竜だ。そして、私の首はやけに刃物と縁があるなと苦笑いするしかない。



「カイドっ!」

「お嬢様!」



 バルコニーに出てきているのはカイドだけではなかった。明かりが消えたことをおかしく思ったのだろう。カイドよりは会場沿いであったが、複数人の男女がこちらを窺っている。

 階段前でカイドを遮っている衛兵は、恐らく王子達から人払いを指示されていたのだろう。声に反応してこちらを見た彼らの動揺が見て取れた。当たり前だ。王族と一緒にいたはずの私が、暴漢に襲われて想定とは違う位置から飛び出してきたら、驚くのも無理はないだろう。


 カイドは、私の姿を見るや否やバルコニーから飛び降りた。階段前にいる衛兵に詰め寄っていたとは思えぬ所業だ。衛兵の視線の先を辿れば、アジェーレア様の手を引いたマーシュ様が躍り出てくる。男達の数名が私を追ったので、囲いが崩れたのだろう。アジェーレア様をこちら側へと突き飛ばす勢いで己の位置を変え、背後から襲い来る剣を受け止める。


「曲者だ! 捕えろ!」


 着地と同時に剣を抜き、間髪容れずにこちらに向けて走り出したカイドの動きはどこまでもしなやかだ。剣なんてどこに持っていたのかと思えば、先程までカイドを制止していた衛兵が慌てた様子で腰に手をやっている。残念ながらライウスの英雄は、彼らの常識とは少し違った行動を取るのだ。


 鋭いカイドの声と同時に、衛兵達もすぐさま剣を抜いて走り出した。カイドに剣を取られた衛兵が、素早い動作で甲高い笛を鳴らす。元々人払いをする為に辺りを囲んでいるのだ。あちこちで上がる笛の音に、私を掴んでいた男は舌打ちして手を離し、身を翻した。

 あっという間に距離を詰めたカイドが私を見て一瞬躊躇った。


「カイド、行きなさい!」

「っ、畏まりました!」


 立ち止まらず私の横を抜け、マーシュ様の加勢に駆け寄ったカイドの風を受けて、ようやく身体の力が抜けた。へたりと座り込んだ私の横を衛兵が走り抜けていく。衛兵の隙間を縫って駆け寄ってきたイザドルが目の前に膝をつく。



「お嬢様!」

「イザドル……ここは、相変わらず疲れる所ね」


 昔からあまり長居したい場所ではなかったのだが、こんなに疲れるとは思わなかった。こっそりそう伝えると、イザドルは弱り切った顔で笑った。








 いつもならば衛兵と一緒に飛び出して行ってしまうカイドも、流石に王城でライウスと同じ行動は取れなかったようだ。特に、王族お二人がいらっしゃる場でお二人を置いて駆けだしていくわけにはいかない。どちらにしても深追いは悪手だ。ここが彼の領分ではないのなら尚のこと。それは彼の仕事ではない。

 ご無事なお二人を連れて衛兵と共に戻ってくると、私の前に駆け寄ってくる。王族を置き去りに走り寄ってくるのは推奨されない態度ではあるが、眉を寄せる人は誰もいなかった。

 お二人もご無事のようでほっとする。アジェーレア様は憔悴され、足下が覚束なくなっていたが、お怪我はなさそうだ。アジェーレア様を支えるマーシュ様と目が合い、そっと頭を下げる。マーシュ様も小さく頷いてくださった。

 カイドは私の前に走り寄ると躊躇いなく膝を突きながら上着を脱ぎ、私の足下に掛けた。肩にはイザドルが貸してくれた上着が掛かっていたからだろう。流れるように上着を貸してくれるので、どうやら今の私は、自分で思っているより酷い有様のようだ。


「お嬢様、こんなに、お怪我を」


 カイドは、私がまるで大怪我をした気持ちになるほど痛ましい顔になった。けれど、大した怪我はしてない。薔薇の棘に少し手足やドレスが引っかかってしまっただけだ。


「あらあら、せっかくカロンが選んでくれたドレスが解れてしまったわ。カロンに叱られてしまうわね」

「お嬢様……お顔にも、傷が」


 この程度のひっかき傷、すぐに直るだろう。もし痕が残っても化粧や髪で隠してしまえばいいのだ。それなのに、カイドもイザドルもまるで命に支障が出るほどの大怪我をしたかのような顔をする。そんな顔をされては、言われるまで気づかなかった傷がじくじく痛み始めてしまった。気づくと痛くなるものねと苦笑する。


「あら、本当ね……ふふ、いたずらっ子みたい。じゃあ、これはあなた達が叱ってちょうだいな」


 あまりやんちゃをしてはいけませんよ、はしたないですからね。立てた人差し指を揺らしお説教の礼を見せた私に、イザドルが噴き出した。


「それなら、お嬢様もカイドを叱ってやってください。こいつ、階段使わなかったんですよ」

「そうだったわ!」


 バルコニーの柵を軽々跳び越え、体勢を崩すことなく一瞬で走り出したカイドを思い出して、今更ながら目を丸くする。すぐに走り出していたので大きな怪我はなかったと思うが、それにしたって危険だ。

 慌てて両手を伸ばし、その顔に触れる。触れることを許されていることに甘え、許可もとらずぺたぺたとその身体をなぞっていく。


「カイド、どこか痛い所はない? 怪我をしてはいない? 足は平気? 背中は?」


 裾が少し汚れてしまっているが、触れている限り痛みに眉を顰めたりしていないので、どうやら大丈夫なようだ。ほっとする。けれどまだ油断してはいけない。カイドは自分の身体に関しては一切頓着せず、更に不調を隠す技能に長けているのだ。後でお医師様に診て頂き、カロンも見た上で判断してもらわなければならないだろう。

 本当に無茶ばかりをする。改めて肝が冷えた私に、カイドは詰めていた息を深々と吐いた。触れていた私の手の間をするりと抜けたカイドの身体は、そのまま私を抱きしめる。カイドに抱きしめられると、いつも少々の気恥ずかしさと胸がときめく。そしてそれと同時に温かくなったものだ。けれど、人の目がもっとも集まる場所で抱きしめられると羞恥が一番強くなってしまう。

 身動ぎして身体を離そうとしたが、いつもは素直に離してくれる力が強くなる。


「カ、カイド」

「俺はちゃんと戻ってきましたので、褒美を頂きます」

「……そうね、叱られてしまうのは私だけだったわ」


 困ったわ、あんまり怖く叱っては嫌よ。

 往生際悪くそうお願いした私は、大人しくカイドの胸に赤くなった頬を隠した。

 










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