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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
三章
44/70

44.あなたと私の王城Ⅴ








 沢山の人間が詰め込まれても、ちっとも狭く感じない広い会場。首を大きく傾けなければ見えない高い天井。昔はただ素晴らしいと抱いた感想が、今では違う物になっていた。


 差し出された腕に絡めた手を離さず、不格好にならない程度に視線を上げる。その先では、巨大なシャンデリアが美しい光を放っていた。


「どうしましょう、カイド」

「はい?」

「あのシャンデリア、掃除が大変そうだわと思ってしまうの」


 素直な感想を伝えると、カイドはきゅっと唇を噛みしめた。イザドルはさっと顔を背ける。口元を押さえるだけでは止まらず若干背を曲げて震えているイザドルとは違い、カイドは唇を噛みしめるだけだ。けれど、私が触れている腕は硬く強張っていた。これは、私をエスコートしてくれているから姿勢を保っているだけで、手を離していたらイザドルと同じ体勢に陥っていたかもしれない。

 そんな二人を見ながら、小さく息を吐く。


 美しい宝石達に負けない食器に盛り付けられた、職人が腕を振るって作り上げた料理。人々から匂い立つ最高級の材料と研究で作り上げられた香り。


「お料理のお皿も山のようだから、洗い終わる頃にはきっと日が変わってしまうわ……香水の匂いも、これだけ混ざり合ってしまうとドレスから抜くのは大変ね。違う香水をつける前に綺麗に抜いてしまわないとと思うの……メイドの性ね……」

「お嬢様っ、もう勘弁してください!」


 ついに堪えきれなくなったカイドは自分の口元を押さえ、顔の上半分だけで必死に私へと訴えかける。イザドルは完全にこっちに背を向けていた。必死に私へと訴えかける金色の瞳を見ると、思わず笑ってしまう。

 私も口元に手をやり、小さく笑う。手袋の滑らかな感触が肌をくすぐる。手袋を紅で汚してしまわぬよう、唇には直接触れず、覆い隠す。


「ふふ、ごめんなさい。意地悪をしているつもりはないのだけれど、どうしても目が向いてしまうの。同じ場所なのに、感じ方は全く違うことが楽しくて」


 くすくす笑えば、二人はどこかほっとした顔をした。本当に優しい二人だ。だからこそ心配になってしまうのだけれど。










 王が開いた夜会には、沢山の人が集まっている。

 事前に参加者の名前を確認しているけれど、顔と名前が一致しない人が沢山いた。既に挨拶を済ませている人達はかろうじて何とかなるけれど、全員と挨拶を交わすことは難しい。主要な方々と挨拶を済ませれば、後は挨拶をしたい人の元へ自ら出向くか流れに身を任せる。

 だから今の私達は、相手側から一方的に知られている状態で視線を集めていた。

 向かい合って話している人々も、部屋の隅で一休みしている人々も、その視線は私達へと向けている。どれだけ控えめに隠そうとしていても分かるものだ。見られている側なら尚のこと。


 けれどそれは最初から分かっていたことだ。ある意味見世物になる覚悟でなければ、この場に立てるはずもない。それなのに、二人とも私から一度たりとも離れていないのだ。王の挨拶から始まり、一通り主要な方々と挨拶を済ませた今に至る前で、一度もである。



 唯一王族の血を継いでいた元ライウス領主を打ち倒し、ライウスを救った英雄が、十五年目にして初めて色めいた話で話題に上がった。それも、何の身分もない養護院出の娘を婚約者に据えたのだ。

 その二人が揃って、しかも初めて公の場に現れた。視線を集めないわけがない。

 そんなことは最初から分かっていたことなのに、私の両端にぴたりと張り付いているのだから、この二人は本当に優しい。そしてとても心配性だ。それとも、私を小さな子どもとでも思っているのだろうかとこっそり苦笑する。

 



 女性の色鮮やかなドレスだけではなく、男性も華やかな衣装で場を彩る。王が主催する夜会だ。誰もが気合いを入れて衣装を用意するものだ。王は数段高い場所に用意された玉座に座り、夜会の様子を眺めている。

 王の隣に座るのは、王の庶子である第一王子だ。

 正妃の子である第一王女より身分としては劣るが、王はどちらにも隔てなく愛情を注いでいると聞く。現に王子は、こうした公の場にもよく顔を出している。あまり公の場に出てこない王女より、王子のほうが顔が知れていると言えるだろう。


 王子は、穏やかな顔で王の横に座っている。マーシュ様は今年十九になられるはずだ。大きくなられたと、思う。

 最後に会った時はまだお小さかったのに、今では立派な青年となられた。けれど穏やかで優しそうな目元はそのままだ。お元気なまま大きくなられたことも喜ばしい。母親は違えど兄妹仲は悪くないと聞く。お二人とも健康だとも。この王の治世は安泰だろう。


 アジェーレア様は、今年十七になられる。やはりこの会場にも姿を見せてはいないが、照れ屋で恥ずかしがりなのだと、挨拶回りをしている雑談内で耳にした。

 きっと、大きくなられたのだろう。私がお会いしたのはまだ歩き方もおぼつかない頃だったが、王妃様に似てとても愛らしい顔立ちをしておられた。どんな女性に成長されたのだろう。今でも、王妃様に似ておられるのだろうか。





 そんなことを考えながら歩を進め、壁の前に辿り着く。そこでようやくカイドの腕から手を引き抜く。これは、今すぐはこの場を動かないという意思表示にもなる。挨拶回りで常に動き続けていた私達が一カ所に留まったことは、会場内の参加者にすぐに知れた。何せ、ほとんどの人が私達に意識を向けているのである。



「さーて、どうしたもんかな。十数人なら俺が持っていけるけど、間に合わせにもならないな、こりゃ」


 イザドルはがりがりと頭を掻いた。雑に掻いているようでいて手を離した髪は乱れていない。それに、彼なら乱れてしまった所で直してくれる女性は沢山いるだろうから心配は要らない。今だって、女性からの熱い視線が彼に向けられている。


「覚悟を決めて、一度皆様とお話ししたほうがいいわね」

「ですが、お嬢様」

「もう、カイドったら仕様のない人ね」


 瞬時に心配そうな顔になったカイドに苦笑するしかない。二人の影になって表情は隠れているだろうから、こっそりしまい込む必要もないだろう。さっきまで絡ませていたカイドの腕に揃えた指先をそっと当てる。


「こんなことでまで守ってくれなくていいの。あなた、イザドルもだけれど、私のことを重病人だと思っているのかしら。貴族がお喋りで好奇心が強いのは、今に始まったことではないでしょう? 悲しいこともつらいことも、何もないわ。あなた達がいるのに、何の悲しいことがあると言うの」


 二人の弱り切った顔は、今までしっかりそれぞれの務めを果たしてきた成人男性にはとてもではないが見えない。

 本当にこの二人は、私のことを吹けば飛ぶような女だと勘違いしているように思える。確かに私の命は一度散ったけれど、別に儚くなったわけではないというのに。



「どんな視線も、言葉も、平気よ。ちっとも恐ろしくなんてないわ。本当よ。だって、あなた達がいるのだもの。そんなことより、イザドルは早くあなたに用事がある方々へ挨拶回りを済ませてこなくては駄目よ。さっきから、あなたに話しかけようとしている女性が大勢いたじゃない。あなた達のように素敵な男性を独り占めにしていたら、私は他の女性から恨まれてしまうわね。カイドも、少し男性のお喋りに加わってこなくては駄目ね。私も、女性の輪に加わらなくては務めを果たせないわ。大丈夫よ、カイド。もしもダンスに誘われたら、私を理由に断ってしまえばいいのだもの」


 まるで初めて夜会に参加する子どもを諫めているみたいだ。ずっと、私などより余程立派にそれぞれの立場を務めてきた二人は、神妙な顔で私の話を聞いている。

 二人の手に触れれば、手袋越しでも分かるほど指先が冷えていた。そんな、恐ろしいほどの緊張を抱えなくていいのだ。私は夢現でもなければ少しの衝撃で弾けてしまうしゃぼんでもない。多少の衝撃など何ともない、ただの女なのだから。

 二人から離した手を自分の胸に当てる。


「何か恐ろしいことがあれば、私の元に逃げていらっしゃい。私、あなた達の盾になるくらい何てことないのだもの。恐ろしいことがあれば隠してあげるわ。悲しいことがあれば慰めてあげる。つらいことがあれば抱きしめてあげる。そうして一緒に眠ってしまいしょう。ほら、何も怖いことなどないでしょう?」


 この場を恐れているのは私ではない。彼らのほうだ。


「私はちゃんとあなた達の視界に入る場所にいるわ。もう子どもではないのだもの。どこかへ勝手に駆けだしていったりしないわ。ね、可愛い人。気をつけて行っていらっしゃい。知らない方についていっては駄目よ? 甘いお菓子に釣られてもいけないわ。ちゃんと無事に戻ってこられたら、ご褒美をあげますからね」


 くすくす笑いながら、小さな子どもに言い聞かせるよう言葉を紡ぐ。中には、私自身が幼い頃に両親から言い含められてきた言葉も混ざっていた。どうしたって、あの人達は私という人間を構成する核になる存在だったのだから。




 小さな子ども扱いされた二人は、怒ることも悲しむこともなく、苦笑いをした後、表情を引き締めた。

 そこにはもう、私をしゃぼん扱いする人はいない。この時代に生まれたライウスの英雄と、ギミー次期領主が、凜々しい青年の顔つきで立っている。



 二人は私の両手をそれぞれ取り、恭しく口づけた。

 こんなことは夜会では日常茶飯事であるが、突然だった事と、相手がさっきまでと表情を突然入れ替えた大切な二人だったため、何だか気恥ずかしくなってしまう。

 少し熱くなった頬を隠したくても、手は二人に取られたままだ。通常は口づけの後はすぐに手を離すものだが、二人は手を離さぬまま私の顔を見て、いたずらっ子のような顔をした。


「お嬢様が大丈夫だと言ってくれたので、遠慮なく。なあ、カイド」


 笑いながら握っている手を揺らすイザドルにカイドも頷いた。


「お嬢様、確かに今のは俺達が悪かったとは思います。ですが、俺達はいい年をした男なので、あまり迂闊なことは仰らないようお願いします。俺達はそれなりに――つけ込みますよ」




 カイドが浮かべた見たことのない表情は、どこか怪しげなものだった。けれど艶があり美しい、歳を重ねなければ浮かべられない怪しげな魅力がある。瞳は鋭さの中に妙な色が混ざり、恐ろしさがちらりと覗く。迂闊なことを言ったからといって、そんなに脅さなくても大丈夫なのにと、思う。

 だって私は、ちゃんと分かって言っているのだ。約束を反故にしたりしない。それが可能かどうかはちゃんと考えて口にしている。


「あら、平気よ。二人纏めて抱きしめられるわ。だって私、腕が二本あるのだもの」


 しゃぼんでもないのだから、二人を抱きしめて弾けたりもしないのだ。


「……………………お嬢様」

「……………………お嬢様ぁ」


 神妙なカイドの声と、情けないイザドルの声が同時に上がった。カイドはイザドルの手を私の手から叩き落とした。


「前言撤回します。俺はつけ込みますがこいつにはつけ込ませません」

「……よーし、しっかり見張れよカイド。どこまでもつけ込んでいきたくなるから、頼むからしっかり見張ってくれ。言っておくが、俺は俺を全く信じていないからな!」


 どこか必死な顔をしたイザドルに、カイドは神妙に頷いた。




 ようやくカイドも私の手を解放し、それぞれの務めを果たしに会場内を移動していく。その背を見送りながら、一つ息を吐く。

 今まで浮いた噂の一つもなかったライウスの英雄と、浮かない噂があまりなかったギミー次期領主からの口づけを両手に授かってしまった。カイドは私の婚約者とはいえ、なんとも贅沢な話だ。

 目立たぬよう周囲へ視線を走らせる。これは、なかなか大仕事になりそうである。


 二人が離れた途端、じりじり縮まっていた男女の輪があっという間に近づいてくるのを見て、私は気を引き締めた。胸元では竜を題材とした首飾りがしゃらりと揺れ、これから戦場へ向かう私の守護を約束してくれた。









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[一言] ヤバイ(・・;) カイドもイザドルもシャーリーも可愛すぎて堪らない(*≧∇≦*)
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