43.あなたと私の王城Ⅳ
「さあ、出来ましたよ、お嬢様。大変お似合いでございます。素敵です、お嬢様」
カロンの穏やかな声に呼ばれ、いつの間にか伏せていた視線を上げる。そこには、王城の豪奢な調度品の一つである鏡にも負けぬほど素晴らしい衣装と装飾品を纏った、覇気のない女が映っていた。
顔色も雰囲気も明るく見えるような化粧をとても上手に施してくれたというのに、土台である私が陰鬱な瞳をしていては何の意味もない。
「わあー! シャーリー、本当に似合うね!」
「……そうかしら、ありがとう」
「うん、似合うよ。だってシャーリーいっつもきちんとしてるから、綺麗なドレスにもたっかい宝石にも全然振り回されてなくて、凄く素敵!」
手放しで褒めてくれるジャスミンに苦笑する。含みなく無邪気に全力全身で褒めてくれる可愛い子に、私はつい甘えたくなってしまう。本当に駄目な女だと思う。
「ありがとう……でも、少し不安なの。必要なことだとは分かっているけれど、こんな高価な品を私の為に用意してもらっていいのかと、思うの……私はこの品々に、そしてこれを選んでくれたあなた達に、ふさわしくあることができるのかしら」
「シャーリーなら大丈夫だよー。シャーリーは、難しいこといっつも考えてるんだね。私だったら『くれるの!? やったー!』ってなる!」
「ジャスミンのようになれとは申しませんし、今から申し上げることは完全に別問題なのですが」
そう前置いて、カロンはすぅっと息を吸った。胸が大きく膨らんだのを見て取ったジャスミンが、慌てて両耳を塞ぎ、目もぎゅっと固く瞑った。
「失礼ながら、お嬢様はもう少し男心というものを学ばれるべきかと。けれど、それはそれで収拾がつかないどころかとんでもない事態を引き起こすのではないかとの不安もございますので、どうかそのまま健やかにお過ごしくださいとも願っております」
どこかで聞いたことのある物言いに首を傾げる。カイドも同じことを度々言っているように思う。少し言葉は違うけれど、大体同じだ。けれど、恥ずかしくて情けないことに、私はその意味がよく分からないのだ。恥を忍んで言葉の意味を聞いてみても、カイドは答えてくれなかった。長い激動の日々をカイドと越えてきたカロンは、カイドが言っている意味が分かるのだろう。
「カイドも同じようなことを度々言うの。でも……私、物知らずでとても恥ずかしいのだけれど、よく分からないの。だから、よければ教えてもらえないかしら」
「……致しかねます」
「カロン……」
断られてしまって、思わずしょげてしまう。カロンはそんな私の情けない顔を見て、少し考え込んだ。何事かを考えながらちらりと私を見て、にこりと笑う。
「……そうですね。せっかくの機会ですし一つだけ。お嬢様、旦那様はあなたの為にお金を使うことを心底喜んでおいでです」
「そう、なの?」
思ってもいなかった意外な言葉に、ぱちりと瞬きをする。
カイドは倹約家というわけではない。使うべきものにかける費用は惜しまず、また使用人達の息抜きのために盛大なパーティーを開くことを厭わず率先して行う人だ。だからといって、豪奢な物を好むかと言えばそうでもなく。堅実で誠実なお金の使い方をする人である。そんな彼だから、王城へ召喚される際の衣装にお金を惜しんだりはしないだろう。けれど、喜んでいるという言葉が分からない。多額の出費は、必要であれば惜しんではならないが、だからといって手放しで喜べることでもないはずだ。勿論景気や流通のためにもお金は使うことに意味があるのだけれど、それは喜ぶとはまた違うことだ。
ますますよく分からなくなってしまった。私はとても困った顔をしていたのだろう。カロンは思わずと言った顔で噴き出した。
「し、失礼致しました」
まだ笑いながらそう言ったカロンは、笑いすぎて涙が滲んでいる目元を指で拭っている。
「ですが、お嬢様。己の甲斐性で憧れの方を着飾らせることが出来るのは、大変喜ばしく誇らしいことなのですよ。その権利を持ち得ないだけではなく、得られる立場にすらなかったのなら尚のこと。お嬢様さえ宜しければ、好きにさせてやってください。まるで恋を知ったばかりの少年のようで、可愛らしいではないですか」
男って、仕方がない生き物ですから。
首飾りを直す振りをして顔を寄せてきたカロンが、くすくす笑いながら耳元で囁く。
「そういう、ものなのかしら」
「ええ、そういうものなんですよ。男心というものは、難解なようで元を辿れば単純なものですから」
まだおかしそうに笑っているカロンに、私とジャスミンは揃って首を傾げた。
ちょうどその時、扉がノックされた。不思議そうな顔をしていたジャスミンがぱっと振り返り、扉の前に走り寄る。
「はぁい!」
元気いっぱいの返事に、カロンの眉が吊り上がる。ちょっと元気がよすぎて、落ち着きが追いつかなかったようだ。
「ジャスミン!」
「は、はい! どちらさまでしょうか!」
ぴゃっと飛び上がったジャスミンが慌てて言い直した先、扉の向こうから躊躇いがちな声が返ってきた。
「……サムアです。旦那様とイザドル様のご用意が出来ましたが、如何致しましょう」
「ご苦労様、サムア。お嬢様もご用意が出来ましたので、旦那様方をお連れして頂戴」
カロンの言葉に、サムアは恭しく答えた。
「畏まりました……ジャスミンお前、まだ一日終わってないのにその調子で大丈夫なのかよ」
「全然大丈夫じゃない! 何だかもうライウスに帰りたくなってきた!」
「だよなぁ!?」
後半砕けてしまったのはご愛敬というものだ。二人とも一杯一杯なのだろう。初めて王都へ訪れた高揚と緊張で必死になっているのが傍目にも分かる。今だって、サムアを一旦招き入れてあげればよかったのに、扉越しにやりとりして帰してしまっていた。サムアもそんな状況に違和感を覚えることなく帰ってしまったので、どっちもどっちである。
そんな二人を見ていると思わずくすくす笑ってしまう。重ねて叱ろうとしていたカロンは、そんな私を見て眉根を下げてしまった。
「お嬢様……たまには叱ってくださらないと困ります」
「ふふ、ごめんなさい。二人を見ていると、とても微笑ましくって、私も頑張らないとと思えるの。だからカロン、叱るならどうか私も叱って。……でも、困ったわ。私あなたが大好きだから、あなたに叱られると、きっと嬉しくなってしまうと思うの」
「そ、んなことを仰ったら、私も嬉しくなってしまいますよ!」
「まあ! だったら私達、両思いね!」
「お嬢様ぁ……」
酷く弱り切った顔と声になってしまったカロンに慌ててしまう。ジャスミンもとても驚いていたけれど、ノック音に反射のように反応して対応に走った。扉越しのやりとりはほんの少しで、すぐに扉は開かれた。
部屋に入ってきたのは、カイドとイザドル、そして二人に付き従っているサムア達だ。イザドルは、私とカロンを交互に見て何やら頷いている。
「さしものカロリーナも、お嬢様には手も足も出ないと見える。だからこそお嬢様と言うべきか。なあ、カイド」
「……俺に振るな」
二人の後ろで、サムアがじりじりと場所を移動し、ジャスミンの隣に並んだ。ジャスミンからも徐々に移動していたので、合流は思ったよりも早く果たされている。
「……何があったんだ?」
「えっとねぇ、シャーリーとカロリーナさんが仲良しだった!」
「そんな和やかな状況には見えないんだけどなぁ!?」
そういう二人も大層仲良しだ。そして、カロンと私がそう見えるならとても嬉しい。こっそり話しているようでいて部屋中にしっかり聞こえている二人の会話は、聞こえないものとして流すことにした。ただでさえ緊張を強いられる王城内だ。公の場ならともかく、この面子でいるときは少しでも気楽に過ごしてほしい。
私は、二人の子どもから視線を外し、二人の大人へと向けた。
いつもより装飾品が増し、髪型も変わっている。前髪が少し上がっているだけで随分印象が変わるものだ。立つ機会を逸してしまい、座ったまま立った二人をじっと見上げる。同じように私をじっと見下ろしているカイドが思ったよりも真剣な瞳をしていて、どきりとしてしまった。やがて、鋭いとさえ思える瞳が緩やかに解けていく。その顔は、どこか泣き出しそうな苦笑に似ていた。
「お嬢様、大変よくお似合いです」
「ありがとう。あなた達も素敵よ。前髪を上げただけで、とっても大人っぽくなるのね」
見慣れないその姿に何だかどきどきしてしまう。違う人みたいだとは思わないけれど、いつもの可愛らしさより凜々しさが強く感じられる。
素直に褒めたつもりだったけれど、二人は無言のまま立ち尽くしている。先に我に返ったのはイザドルだった。未だ瞬き一つしないカイドを、何だか哀れむような瞳で見ている。
「……まさかこの歳になって、デビューしたての青かった頃と同じ褒められ方をするとは…………カイド、大丈夫か? 傷は浅いぞしっかりしろっ……いや、憧れの女神様から子ども扱いされたことを考えると傷は深いぞもう駄目か? 致命傷か? …………ライウス諸君、残念ながらライウス領主は殉職なされ、たっ!?」
突如跳ね上がったカイドの手がイザドルの口元を押さえた。長い指を持つカイドの手は、イザドルの顔をしっかり掴んでいる。
「誰が殉職だ。この程度で死んでいてはライウス領主なんざ務まるか」
顔に張り付いた指を一本ずつ剥ぎ、その拘束から逃れたイザドルは、顎と頬を悲しげに擦った。
「ちなみに、この程度ってどの程度の衝撃だ?」
「冬ごもりしそびれて腹を空かせた熊と素手で鉢合わせした衝撃くらいだな」
「うん、分かった。相当な衝撃でちょっと錯乱してるんだな。大丈夫だ、その衝撃は大事にしろ。子ども扱いが変に癖になったらまずいからな。主に健全なお付き合いの意味で」
「……何の話だ?」
何やら深く頷いているイザドルと、怪訝な顔でそれを見つめるカイドは、とっても大人っぽい姿なのにいつも通りで微笑ましくなる。ジャスミンとサムアは、その後ろでひそひそと話しているようでいて大声大ぶりな動作で、王城についての感想を言い合っている。
大きい、お金持ちだ、静かだ、綺麗だ、胃がひっくり返りそう、お菓子美味しそう、お花綺麗だった、銀食器の磨き方が見事だった、靴の手入れが難しそうだった、お城の天辺まで登ってみたらライウスまで見えるだろうか。そんな無邪気な会話を、王城に慣れた他の面子が微笑ましそうに見守っている。
王のおじ様に抱いた蟠りが、ふっと解けていく。
もう、私と彼とは終わっている。彼は確かに『私達一家』を見捨てた。だが、私がこれから彼へ意識を向ける際必要なものは、見捨てられた悲しみでも憤りもない。私達はもう終わったのだ。関係も立場も血も、その全ての繋がりが絶たれた。私達の間に残るものは何一つない。まして、カイド達へ向けたときのように、終わった後も繋ぎたい感情は、一つもない。
必要なのは、彼が『私達一家』を見捨てた事実ではない。『ライウスを見捨てた』事実だ。私がこれから彼へ向ける意識で重視すべきことは、それだけだ。
王のおじ様、あなたが私へ下したその事実が、これからのライウスを守る礎になるのなら、こんなに嬉しいことはない。
死んでよかった理由がこの生で積み重なるたび、己の中に降り積もっていくものがあった。私はその感情に名前をつけなかった。元より、つけようがなかったのだ。
それは羞恥だったのか、怒りだったのか、虚しさだったのか、憤りだったのか。ただただ息もできないほどの悲しみだったのか。判断をつけられなかった名もなき感情は、しんしんと降り積もり、やがて私を飲みこむだろう。
だけど、今なら名付けることが出来る。これは喜びだ。
それ以外の感情がないとは言わない。きっと、沢山の感情がそこにはあった。けれど、否、だからこそ、これは喜びなのだ。私達の死でライウスが救われていく。私達家族が砕いたライウスに、私達家族が報いることの出来る唯一が、私の中に降り積もる。これを喜びと呼ばす何とするのだ。
王のおじ様。あなたに見捨てられた事実は、仕方がないとはいえ、悲しかった。けれど、その事実がいま、あなたはライウスの味方にはなり得ないと明確な判断を私達に教えてくれるのだ。
「お嬢様?」
私に視線を向けたカイドが、驚いた顔をした。私はいま、どんな顔をしているのだろう。きっと、王城で一度も浮かべたことがない顔をしているはずだ。だって、とても、幸せなのだ。
「どうしましょう、カイド。私いま、とてもライウスに帰りたいわ」
幸せで幸せで、恐ろしいくらいだ。
驚いた顔の後に柔らかく微笑むカイドも、首を傾げるカロンも、不思議そうなイザドルも、きょとんと瞬きする愛おしい子ども達も、どうか二度と悲しい思いをしませんように。つらく苦しい思いをせずに過ごしていけますように。もう二度と、誰も、犠牲を払わずライウスを守っていけますように。
そう願う。心から、願い続ける。私はこれから一生、そう願うのだろう。
願い、祈る。
この愛おしい存在達が、あらゆる災厄から守られますようにと。
もしもこの先、犠牲がなければライウスが救われないなんて悲しいことが起こったのなら、そのとき払われる犠牲は私だけでありますようにと。
一度目の死は、犠牲でさえなかった。あれは罪に罰が下されただけの当然の帰結だった。平和のための贄でさえなく、法に倫理に則った当然の処罰だ。あのとき犠牲を払ったのはライウスであり、民であり、その全ての嘆きをカイドは負った。
悲しいことは、もう充分だ。
けれど、どれだけそう願っても時が止まらない以上、良くも悪くも出来事は起こり続ける。だからもし、もしもつらく悲しいことが起こり、犠牲が必要となるのなら、今度は私の番だ。
今度こそ、私の番なのだ。
愛している。彼らを、ライウスを、愛している。今も、昔も、これからも。
きっと私がどんな形に辿り着いても、どんな最期を迎えても、それだけは変わることなどないのだ。




