42.あなたと私の王城Ⅲ
「では、ご用が出来ましたらお呼びくださいませ。失礼致します」
「ええ、ありがとう」
荷物を運び、仕舞うという一通りの用事が終われば、王城付の侍女達が一糸乱れぬ礼をして退出していく。彼女らを見送り、ふっと息を吐く、と同時に、大きく吐かれた息の音が響き渡った。呼吸と言うより、何かの空気が勢いよく抜けていく音に近い。
視線を向ければ、先程まで姿勢を正し静かに佇んでいたジャスミンがへなへなと床に崩れ落ちていた。
「き、緊張したー……」
「……お嬢様からお言葉を頂く前に言葉を発した件を咎めたくはあるのですが、まあ、今回ばかりは見逃してあげましょう。初めてにしてはよくやれていたわ、ジャスミン」
ジャスミンは身体中の骨が無くなってしまったようだ。カロンに腕を取られ、ぐにゃりとしたまま掴み上げられている。その様は手を差し出してもらったというより、釣り上げられたといったほうが正しいかもしれない。
初めての王城はライウスとは勝手が大きく違い、気を張り続けていたのだろう。引っ張り上げられ椅子に座らせてもらっても、ぐったり俯いている。
「お疲れ様、ジャスミン。少し休んだほうがいいかしら」
「甘やかさないでくださいな、お嬢様。これくらい出来ずして、ライウスのメイドは務まりません。ほら、さっさと立ちなさい。これから夜会の用意があるんですから」
「えぇー!? 過酷すぎませんか!?」
悲痛な声で顔を上げたジャスミンには申し訳ないが、これは決して珍しいことでは無いのだ。
「ごめんなさい、ジャスミン。カイドとカロンが予定を調整してくれたから、寧ろ楽なほうなの。もっと早く到着していたら、夜会の前にお茶会と会食が入っていたわ」
「えぇー!? ……流石貴族様。いっつもお忙しい」
驚愕した後、しみじみ呟くジャスミンに、私とカロンは顔を見合わせてこっそり苦笑した。
貴族に対し、ジャスミンが口にした感想を抱く市民は、そう多くない。貴族は生活を整えるために必要な雑事のほとんどを使用人に任せ、のんびり贅沢な日々を謳歌していると思っている。貴族の屋敷で働き、その生活を目の当たりにしている使用人達でさえそうなのだから、市井に生きる民のほとんどがそう思っていてもおかしなことではない。けれど、ライウスでは、特に領主や彼に近しい人々はそう認識されていない。
ライウスの市民は、貴族とは忙しいものだと揃えて口にする。良くも悪くも、カイドがとにかくよく動くからだ。
ちっともじっとしていない。同じ屋敷内にいるのに、探しても偶然を頼らなければ出会えないというのは尋常ではない。そんなカイドについていけている部下の人々も、似たり寄ったりである。のんびり昼休憩をする町民の間を、パンをくわえた領主一行が早歩きで歩き去っていくのだ。貴族は楽でいいと言える人もそうはいないだろう。
それほどのことをしなければなければライウスを立て直せなかったのだから、仕様のない部分も多分にあった。そうさせた原因である私が、それにとやかくいう権利は、本当ならない。
休んでほしいと、あなたが心配だと、伝えさせてくれるのはカイドがそれを許してくれるからだ。
「さあさあさあ、そのお忙しい方々の貴重な時間をこれ以上頂くわけにはいけないわ。ほら、しゃきっとしなさい。幸いにもここにはライウスの面子しかいない上に、何よりお嬢様が許可を出してくださっているから、多少のお喋りは大目に見るわ。だからさっさと夜会の準備をするわよ」
「はぁーい!」
勢いよく起き上がったジャスミンの元気な返事は、最後の気力と言わんばかりの必死な形相から発せられた。
当然のことだが、訪問着と夜会の服は同じではない。服が替われば身につける装飾品も髪型も化粧も全てが変わる。ある意味一からやり直しになるので、衣装替えには時間がかかるのだ。
カイド達を待たせてしまうのは申し訳ない。けれど、おかしな格好で彼らの隣に並ぶことは、申し訳ないという私個人の感情だけでは済まないのだ。
青を基調としたドレスを繊細な白いレースが彩ったドレスは、フェンネルからもらった首飾りによく合う。このドレスを持ってきていてよかった、本当によかったとカロンが崩れ落ちたのは記憶に新しい。苦労をかけてばかりで申し訳ない気持ちになる。
「わあー! シャーリー綺麗! 凄いね! 可愛い! 綺麗だね! 私同じこと言ってるね!」
「……ジャスミン、私はあなたをどこから注意すればいいのかしらね?」
「わ、わぁー! カロリーナさん、キレイ、スゴイ、カワイイ、デス!」
「誰が私を褒めろと言ったの! 全く……王城にいてもあなたは変わらないわね」
私の髪を纏めながら、カロンが溜息を吐く。その横で、ジャスミンが反省した顔で頭を掻いている。しかし、指に髪が引っかかってしまい、ひと束解れてしまった。しまったと困った顔になったジャスミンは、私の後ろにいるカロンの更に後ろに移動し、私達の隙間からこっそり鏡に映った。何をしているのかと思えば、どうやらその隙間から鏡を使って髪を直しているようだ。
確かにカロンから直接彼女の姿を見ることは出来ないけれど、鏡にしっかり映っているので全て見えている。鏡には、真剣な顔でこそこそと髪を直しているジャスミンと頬を引き攣らせたカロンと、苦笑した私が映っている。
カロンはどうやら見逃すことにしたようで、こほんと咳払いした。
「……髪色が、少し変わってきましたので、青が更に映えますね」
声を潜めて耳元で囁かれた言葉に、整えられていく己の髪を鏡越しに見やる。少し、色が薄くなった。明るくなったともいえる。それは、少し、昔の色に近づいているように見えた。カロンが言うには、顔つきも少し変わってきたそうだ。大人びてきたと表現も出来るけれど、髪の色を考えると、少し不安も残る。
最終的に、私はどんな人間になるのだろう。見目もそうだが、私自身、どんな人間に辿り着くのか、想像も出来ない。
私はあの日、大人に辿り着くことは出来なかった。私より年下だったカイドから子ども時代を奪い去り、大人へと追い立て、子どもに背負わせてはならぬ重荷を押しつけたくせに、自分は何の責任も負わずに小娘のまま死へと逃げた。そうして途切れた私という人間が、辿り着くのはどんな形なのだろう。
処刑台へ向かったあの日、悪女と呼ばれた。魔女と呼ばれた。毒婦、悪魔、人非人の鬼畜生。沢山の言葉は最終的に一つの同じ言葉に集約された。
その女を殺せ 殺せ
殺せ!
その言葉はライウスの望みそのもので、ライウスの希望で、ライウスの未来だった。
いつか、もしも姿形があの頃と同じものへと辿り着いたならば、私は一体どんな末路を辿るのだろうか。




