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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
三章
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41.あなたと私の王城Ⅱ







 最初は行列だった人々が、ぱらぱらと数を減らしていく。最後まで付き従っていたカロンと執事長が深々と礼をしたまま立ち止まる。けれど私達は一度も止まることなく歩き続けた。


 私達が立ち止まった場所で、カイドとイザドルは城の者に剣を預けた。

 流石にここまで来ればいくら外面を取り繕っていようが話をする人はいない。そもそも、溜息一つが響いていきそうな程静かな場所だ。喋ってしまえば声は簡単に拾われてしまうだろう。


 ついにライウスから来た者はカイドとイザドル、私だけになってしまった廊下を黙々と進む。少し伏せた視線には、鏡のように私達の姿を反射している磨き抜かれた廊下が見える。

 生まれを考えると、もうとっくに立ち入る権利を失った場所だ。それなのに、以前と同じ道を歩いているのだから不思議な気持ちになる。



 両親から授かった血も、姿形も、名も、全て終わった。私という存在を形作っていたはずの多くが残らず、この場への縁が残ったというのもおかしな話だ。本来この場と私を繋いでいた血という縁は、十五年前に置いてきた。それなのに、私はここにいる。






 大きな扉がゆっくりと開かれていく。ここでは、全ての動作が穏やかだ。大きな物音を立てることはなく、素早く動くこともなく。鷹揚に、優雅に、威厳を持って。慌てたり、急いだ姿を見せることは、隙であり野蛮で無様な行いだと言われるものだ。指先一つにまで意識を巡らせ、優美でありなさい。貴族はそう教えられて育つ。けれど。


 開かれた扉の先へ、促されるがまま歩き出す。一歩一歩進む歩の中に間が出来る。そんな当たり前の音なのに、カイドの歩が紡ぎ出す音には思えなくて小さく笑ってしまう。

 私は、屋敷内では誰の足も追いつけないほどの速度で歩くその音に慣れてしまったのだ。そんな人だから、目が合えば走ってもいないのにあっという間に私の元に来てくれる。その速度に慣れてしまったいま、今の音が紡がれるような速度になってしまったら、私は待ちきれなくなり焦れてしまうかもしれない。

 私は甘やかされれば甘やかされるだけ、際限なくわがままになっていくから、困ったものだ。





 それにしても、靴音がよく響く。呼び鈴よりも鋭さが削がれるとはいえ、頭の中に直接割り込んでくる音を無意識に数える。いつの間にか覚えてしまった扉からの距離は、私の歩幅で十七歩。顎を引きすぎないよう一定の位置に固定し、されど決して上を見上げぬよう目線を落としたまま歩き続け、歩を止める。


 三人で並び、静かに頭を下げた。たっぷりと生地が使われたスカートを持ち上げ、腰をまっすぐに落とす。足を軽く引いたことで重心が崩れぬよう気をつける。以前は意識しなくてもこなせたことなのに、普段はしない動作というだけで身体がついていかない。幼い頃はよろけてしまうのではないかとはらはらしたものだけれど、まさか大きくなっても同じ心配をすることになるとは。どうやら、ふらついてしまうのは、身体の小ささの問題だけではなかったようだ。

 養護院と屋敷で以前より動いていたけれど、どうやらそれとは身体を使う場所が違うのだろう。


 全員の頭が下がり、動きと共に揺れていた衣擦れの音が止んだ頃、言葉は紡がれる。あまりに記憶通りに進む時間に滲んだ苦笑はそっと飲みこむ。ゆっくりと流れる動作に相応しく、本当に、変わらない。この場だけ、時が止まっているかのようだ。







「面を上げよ」


 低くゆっくりとした声に促されるがまま、私達は顔を上げる。数段高い場所にある玉座に座った王は、カイドとイザドルに向けた視線を、一瞬だけ私に向け、再び戻した。

 玉座の後ろには、大きな国旗が幕となり垂れ下がっている。青い旗と溶け合ってしまうから、ここに座るときは青に気を使うと、亡き王妃様が仰っていた言葉を思い出す。その椅子は、もう随分前から空っぽのままだった。

 懐かしい玉座の間にこの生でも訪れることになるなんて、カーイナにいた頃は考えたこともなかった。


「ライウス領主、カイド・ファルアにございます」

「ギミー領主が息子、イザドル・ギミーにございます」

「……ライウス領より参りました、シャーリー・ヒンスにございます」


 鷹揚に頷いた王は、吐息の形すら見えそうな程ゆっくりと口を開く。




「よくぞ参った。ああ、堅苦しいことは、この場では抜きにしよう。楽にするがよい」

「はっ」


 そう答えたカイドも、私達も、体勢を変えることはない。頭を上げることはしても姿勢を崩すことなど出来るはずもない。面を上げよと言われた直後は上げていた顔も、話していないときは少し下げている。目線も玉座よりも下げ、段を彩る敷布の刺繍に固定した。


「ライウスもまだ落ち着いておらぬ所、急かしてすまないことをした。堅物の代名詞であったお前が婚約したと聞けば、どうにも気になってならなかったものでな」

「恐れ入ります」


 和やかにも硬質にも思える声音で、淡々と会話が進んでいく。王の声音自体は穏やかなものだ。けれど、それが硬質に聞こえるのは、そこに感情が乗っていないからである。

 王としてあるべき姿からはみ出さず、儀礼的なやりとりを恙なくこなしていくだけだ。言葉が上滑りして聞こえないだけの回数を繰り返してきた王は、通常それを悟らせることはしない。また、悟らせては王など務まらない。

 けれど私は、ほんの僅かではあるものの、個人としての王と付き合いがあったから気づけただけだ。そこには、幼かった私への甘さも、多少は含まれていたのだろう。よくぞ参ったな、疲れたであろう。そう言って、幼い私へかけてくださった声音は、今とは違ったものだった。




「お前が婚約したと聞いた時は耳を疑った。どんな誘いも頑なに断り続けた男が、ついに観念したかと、城中が色めき立ったものだ。勿論、お前が選んだ相手にも皆興味が尽きぬようだ。かくいう私もその一人だがな」


 王からの言葉に、カイドは緩く口角を持ち上げて笑みを作って見せた。普段見ている笑みとは全く違う、作品として完成されている笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開く。


「奥手なものでして。お恥ずかしい限りです」

「何でも、それは丁重に扱っているらしいな。狼と呼ばれたお前の従者のような姿に、皆驚いているらしくてな」

「この方だけが、私にとって女性なのです。嫌われてしまわぬよう、私も必死でして」

「はっはっはっ。お前ともあろう男が骨抜きにされたか。さて、イザドル、次はお前の番だな」

「王までそのようなことを仰るのですか。私はまだ遊びたいもので、どうぞお許しください」

「お前は相変わらずだなぁ。ギミー領主も頭が痛いことだ」


 平坦に交わされる王とのやりとりを、敷布の刺繍を見つめながら聞き続ける。

 久しぶりに聞く声だ。昔は、恐れながら近しい大人の一人として認識していたように思う。勿論王として尊敬もしていた。幼い頃は、頭を撫でてくださったことも、抱き上げてくださったことも多々あった。両親達と冗談を言い合って笑っていた姿が今でも思い出される。そこには親しさがあったように感じていた。

 けれど今は。


「シャーリー・ヒンス」

「はい」


 いくら視線を向け続けることが無礼だとは言え、呼ばれて視線を向けないほうが許されることではない。今度こそ、きちんと視線を上げきる。



 こんなに、小さな方だっただろうか。

 玉座に深く座った王をしっかりと見て初めて、ああ、時が過ぎたのだと思った。

 王城へ向かう道でも、到着してからも、何一つとして歳月の変化を感じなかった。けれど、記憶にあるより一回り小さくなった王の姿に、十五年の歳月を見た。

 カイドやカロンのように、子どもが大人へと向かった十五年とは違う。成長過程で得る見違えるほどの変化とは違い、全体的な違いは微々たるものだ。けれど、成人が老年期へと向かう時の流れは、どこか寂しさを伴う。

 皺が、増えた。つり目がちだった瞳も少し目尻が下がっているように見える。昔より優しげに見える顔で平坦な声を紡ぐこの人は、十五年前、ライウスを捨てた人だ。


 見捨てたのではない。明確に、捨てようとした。

 第二の王都と呼ばれていたライウスを荒れるがまま放置し、私の家族を窘めず、助長させた。結果ライウスは、その名を失う寸前まで滅びに瀕した。




 ライウスは大きすぎる。それは度々言われてきたことだ。けれどまさか、王がライウスを捨てるだなんて思ってもみなかった。家族の愚行に気づかなかった私が気づけなかっただけで、きっと皆、分かっていたのだろうけれど。

 だってそうでなければ、十五年前のあの日、私を処刑した軍に王軍が混ざっていたはずなのだ。カイドは王城に助けを求めてはいなかった。コルキアの私軍を中心とし、全てライウス内で賄い、反旗を翻したのだ。それは、王城に援助を申し出れば、逆に潰されていたと分かっていたからだろう。




 王は、ゆっくりと言葉を続ける。


「そなたの名は耳にしたことがあるぞ。カーイナに、とても優秀な娘がいると」

「恐れ入ります」

「ライウスはよくよく人材に恵まれるものだ。ライウスを立て直した英雄の隣に、そなたのように優秀な娘が立つとなると、ライウスは安泰であるな」


 この王は、失礼ながら、大きな功績を残した方ではない。同様に大きな失策を行ったこともない。功績となるか失策となるか、後世にどう判断されるかは分からないが、大きな出来事といえばライウスを解体しようとしていた事実だけだ。


 それも、分からないではない。王族は代々身体が弱く、子が出来にくかった。一人は庶子とはいえ現在のように子が二人誕生することは珍しく、二人誕生しても、片方は成人する前に亡くなってしまうことすらあった。

 そんな中、唯一王族の血統を継いでいた元ライウス領主とその血筋は、事あるごとに名が持ち上がり続けた。主に、王の言葉や為さろうとしている事柄に反対する人々の象徴として。

 掲げられるものがあると人は集ってしまう。それが善であれ悪であれ、選択できる存在がある以上、人は割れ続ける。


 両親は王都での買い物を好んでいたけれど、王都の諍いを望んでいたわけでは無かった。だから、召喚されない以上王城へ出向くことも避けていた。


 それでも。きっと、疎ましく、思っていたのだろう。自分に反対する意見が出たとき必ず上がる名を。王都に次ぐ大きな領を統治する、己の直系以外で唯一の王族の血を。


 だけどそれならば、私達一族をライウスから叩き出せばよかったのだ。王の権限を持って、私達を領主の地位から解任し、ライウスを追放すればよかった。そして誰か別の、それこそご自身の息のかかった誰かをライウスに配属していればよかったのに、この王はライウスを解体し、その名を失わせ、よりにもよってダリヒへ下げ渡そうとした。

 ライウスを二つに割り、ギミーとダリヒに吸収させるつもりだったようだが、イザドルも言っていたとおりギミーは歴史はあれど大きくはない領だ。それほど多くを抱えきれない。ならば、残りは全てダリヒへ下げ渡される予定だったのだろう。


 カイドがすんでのところで掬い上げなければ、ライウスはその名ごと失われていた。




 ライウスを崩壊へ導いた私が言えた義理ではない。だが、カイドと共にライウスを取り戻してくださったのであればどれだけよかったかと思う。それがどれだけライウスの為になり、王の栄誉となり、カイドの助けになったかと思うと、惜しまれてならない。せめてライウスであれほど人が死ぬ前に、せめてダリヒへ下げ渡そうとせず。一言、せめて一言、両親を窘めてくださっていたならばと、思う心を完全に閉ざすことは出来ない。






 優しく穏やかな王だと思っていたかつての近しい大人へ向けた視線をそっと伏せ、頭を下げる。


「身に余るお言葉を賜りましたこと、心より光栄に存じます。卑小な我が身ではございますが、精一杯カイド様をお支えできるよう尽力して参りたいと思います」


 きっと私には到底考えもつかないお考えがあったのだろう。王として必要なことだったのかもしれない。

 そう思いたいけれど、この王は、失礼ながら、英雄の器ではない。この方は王に生まれ王として育った、ごく普通のおじ様だったのだから。



 ああなんて酷い方。

 王のおじ様。君を本当の姪のように思っているよと言ってくださったその口で、幼い私におじ様と呼ぶことを許し頭を撫でてくださったその同じ手で、私の家族を見捨てた、酷い方。


 本当に、私が言えた義理ではない。無責任で身勝手で無意味な言い分だとも、分かっているのだ。

 けれど、けれどもしも、この王がライウス救済へ動いてくれていたのなら。ライウスはあれだけの死者を出すこともなく、もっと早い段階で救われた。そして、カイドが一人で立ち、一人で背負い続けることも、なかったのだ。そう思うと、堪らない気持ちになる。



 頭を上げながら、王を見上げる。老い始めた王を見て、苦い気持ちが滲み出す。

 昔は無条件に信じられた偉大さを、私は、この王に見出せなくなっている。酷い不敬だと、思う。そして、酷い裏切りでもある。私は、彼が王でなければ、ライウスを救って欲しかったなどという分不相応な期待を抱きはしなかった。幼い私に、おじ様と、流石に不敬が過ぎると王のとつけることにはなったけれど、おじ様とそう呼ぶことを許し、望んでくださった方に、王であることを理由に期待をかけ、苦い気持ちを抱く。

 勿論、王という立場にあるのなら、そう望まれることは当たり前と言えた。けれど、私が、領主の娘でありながらその無能さでライウスを破滅に導いた私が、カイドを孤独の場へ追いやったこの私が、その立場にあるからという理由で、彼を責めることは許されるのか。

 もしも私の事実を知ったならば、この方はどんな顔をしたのだろう。ふと浮かんだ仄暗い疑問はそっと沈め、閉ざした。









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